三度目の告白 ~秋仕様~
Act1
◇菱沼忠隆
俺は溜め息を飲み込んで俺の事を見つめている面々の顔を見つめた。女性達は期待を込めて、男は早くやれというように眉を寄せて俺の事を見ていた。
「じゃあ、掛けるぞ」
そう言うと、携帯を取り出してある番号をコールした。
◇桐谷尋昇
朝起きて部屋を出た俺はトイレに向かおうとして、リビングの様子がいつも違うと気がついた。人の気配がしないのだ。いつもなら萌音が朝食の支度をしてくれているのに。リビングにもキッチン内にも萌音の姿は見えなかった。(まだ寝ているのか。珍しいな)と思いながら萌音の部屋に向かう。
コンコン
扉をノックしたけど返事がない。もしかしてまだ寝ているのかと思い声を掛けた。
「萌音、おはよう」
返事がない。もしかして体調を崩して起きられないのか。
心配が頭をもたげてもう一度扉をノックして声をかけた。応えがないことに「萌音、入るぞ」と言って扉を開けて部屋の中に入って、呆然となった。いつも以上に綺麗に整えられた部屋。
もちろん萌音はいなかった。
◇
俺は萌音と同居してから、萌音の部屋には極力入らないようにしていた。プライベートな空間も必要だろうという、俺なりの配慮だ。まあ、入ったことがないとは言わないが・・・。
萌音が気絶したのを運んだ時とか、気絶した振りをした時に運んだとか・・・。
流石に意識がない状態をいただくのは違うだろうと、手を出さずにいたのに。あれのほとんどが芝居だったと知った時の衝撃は今でも軽いトラウマになっている。
住む家を失くした萌音を強引に家に連れ帰り、同居に持ち込んだのは悪かったと思う。告白しそびれたのも、俺のポカだから萌音が自己防衛のためにそういう行動をしていたと、今なら理解している。
だけど、夏に萌音の本音を聞かされてから、俺はどうしていいのかわからない。萌音と一緒になる未来を夢見ているが、萌音との関係を進めていいかどうかがわからないのだ。
夏祭りの夜。改めて萌音に告白したのに、萌音から返事が貰えなかった。萌音は俺を押し倒すのに必死で気がついていないようだったけど。
今は立場が逆転して萌音の方が積極的に迫ってくる。俺の方が躱して部屋に逃げ込んでいる始末だ。萌音がどうして欲しいのかはわかっている。だけど、それをして萌音の両親に萌音を連れ戻されたりしたら。
俺は萌音にいつ愛想を尽かされるかと思うと、怖くて何も出来ないでいたのだ。
◇
だから、整った部屋の中に萌音がいないことで、俺は萌音が出て行ってしまったのだと思ったのだ。
どれくらいそうしていたのだろう。携帯が鳴る音に気がついて、通話にしてノロノロと耳に当てた。
「はい」
『出るのが遅いですよ、桐谷さん』
「・・・菱沼さん」
掛けてきた相手はついこの間彼女と結納を交わして正式な婚約者同士になり、幸せいっぱいの菱沼忠隆だった。彼とは取引先の課長と主任ということで顔を合わせ、夏祭りのトラブルで親しくなった。
・・・というより、萌音と菱沼さんの彼女の上条聖子さんが、その時に知り合った結城和花菜さんに懐き、事あるごとに結城さんを頼るようになったことが原因だった。必然的に俺と菱沼さんも、結城さんの彼氏の相馬碧生くんと会う機会が増えた。
それに偶然にも、相馬君はうちの会社に就職が決まっていて、結城さんは菱沼さんが勤める会社に内定をもらっているという。女性たちはそれに運命を感じているのだから、始末に負えない。
などと、思っている場合ではなかった。耳に飛び込んできた言葉に俺はフリーズした。
『それに駄目じゃないですか。萱間さんを待たせてしまっては』
「・・・はっ?」
『もしかしてまだ書置きを見つけてないのですか?』
「書置き?」
『ええ。リビングに置いておいたと言っていますけど。・・・あっ、待ってください。萱間さん。・・・いいですか、なるべく早く来てくださいね』
そう言って電話が切れた。俺はリビングに行って書置きを探したけど、目につくところにはなかった。そんなものがあれば、さっきリビングに来た時に見つけているはずだ。テーブルの下を覗き込んで、落ちている紙を見つけた。きっと萌音が出て行く時に落ちてしまったのだろう。その紙を見た俺は呟いた。
「なんだ、これは」
Act2
◇菱沼忠隆
通話を切った俺に皆の視線が集中している。
「桐谷さんは呆然とした声をだしていたのですけど。萱間さん、分かりやすい所に置いてきたのですよね」
「もちろんよ。テーブルの上に置いたわ」
「書置きが動かないように重石は置いたのよね」
結城さんが萱間さんに聞いている。それを聞いた萱間さんがあっ、という顔をした。
「もしかして落ちちゃったとか」
呟いたけど、誰もそれに答える人はいなかった。結城さんが気を取り直したように言った。
「まあ、仕方がないわ。確認しようにも、下手な電話は出来ないのだからね。それよりも私達も移動をしないとね」
結城さんの言葉に萱間さん、結城さん、相馬君、聖子と俺は頷いた。
「じゃあ碧生。ここは任せたわよ」
「ああ。じゃあ、またあとで」
俺達は相馬君を残して移動を開始した。
◇桐谷尋昇
急いで出掛ける支度をした俺は部屋を出て電車に乗り込んだ。電車の中で萌音が残した書置きを眺めていた。
『尋昇さんへ
たまにはデートしましょ。
次のところで待っているわ。
森林公園の中の
その実が赤くなると医者が青くなる
と言われている木のところ
ただし、10時30分までに来てね♡
萌音』
腕時計を見るともう10時12分。森林公園がある駅まで、あと25分はかかる。駅から森林公園まで5分はかかるし、その木のところまでどれくらいかかるのか見当もつかないじゃないか。完全に間に合わないということしかわかっていない。
それに目覚ましの時間が弄られていて、1時間もずらされていたのだ。起きた時間のずれも大きいし。
萌音が何をしたいのかがわからない。
◇
やっと柿の木が植えてあるところに着いた。柿の葉も赤く色づいているものがあった。
もちろん、萌音の姿は見えない。時間が過ぎても待っていてくれるのではないかと思っていたのに、淡い期待は打ち砕かれた。
途方に暮れて辺りを見回していると、見知った人物が俺の方に走ってくるのが見えた。
「相馬君?」
「あ~、いたいた~」
駆け寄ってきた相馬君は、「はい」と俺に封筒を差し出してきた。
「これは?」
「ん~、萱間さんに頼まれた」
ニコッと笑顔で言う彼に、少し違和感を覚えた。そういえば、さっき電話を掛けてきたのも、菱沼さんだ。もしかして萌音に協力しているのか。
不信感を込めて見つめたら、相馬君はニヤリと笑った。
「ご名答! そうだよ。俺達は萱間さんに協力してんの」
「萌音はどこにいる?」
「さあ? 俺は知らないよ」
「嘘つけ。これを預かったのなら、萌音に会ったんだろ」
「会ったけど、移動先は知らないから。それよりもそれを見たら。多分行き先のヒントが書かれていると思うよ」
俺は相馬君を一睨みしてから、封筒を開けた。
それを見た俺は移動を開始した。相馬君はそんな俺を見送ったのだった。
Act3
◇菱沼忠隆
「そう、桐谷さんは移動を開始したのね。碧生はどうするの。ゆっくり後を追いかける。わかったわ」
結城さんは相馬君との通話を終えると、俺達の方に笑顔を向けた。
「予定通りに移動しているわよ。ということで、時間だし次に移動してください」
「和花菜さん、ごめんね。私の我儘につき合わせて」
「いいのよ。楽しいもの。だから萌音さんも、最後まで捕まらないでね」
「うん。ありがとう」
萱間さんが俺と聖子のことを見てきた。それに頷き返すと、「それじゃあ、行こう」と言って、奥に向かって歩いて行った。
◇桐谷尋昇
俺は相馬君と別れると、速足で公園の奥へと足を進めた。
便箋に書かれていたのはこんな言葉。
『尋昇さんへ
待てないから次に移動するわね。
モンブランやきんとんに使われる実がなる木
そこで待っているわ。
ただし、11時10分までに来てね。
萌音』
今の時間は10時58分。絶対間に合わないだろう。
それでも俺は萌音が待つ場所へと走った。
やっと見つけた栗の木。葉っぱはかなり褐色に変わっている。栗の実はもう収穫されているからついていなかった。
ここにも萌音はいなかった。代わりに結城さんが腕を組んで待っていた。
「残念でした~。萌音さんは次のところに行っちゃったわよ」
ニンマリと笑ってそう言ってきた。
「君は萌音がなんでこんなことをしているのか知っているのか」
「さあ~、どうでしょう~」
ニヤリと笑って眇めるように俺の事を見てきた。俺は顔をしかめて結城さんの事を見つめた。結城さんは真顔に戻ると封筒を出しながら、俺に言った。
「次の場所のヒントが書かれているわよ」
俺は受け取ったものの、封筒をすぐに開けなかった。
「ねえ、見ないの」
「見てもそこには萌音はいないんだろ」
「う~ん。書いてある時間に間に合わなければいないんじゃないの」
「萌音は俺を振り回して楽しいのだろうか」
「はあ~?」
つい愚痴めいた言葉が出てしまった。それを聞き咎めて結城さんが不審そうな声を出した。
「どういう事よ」
「だから、最初から間に合わないことがわかっているのに、こんなことをする意味ってあるのかと。それともこれを最後に俺と別れるつもりだとか」
「ちょっと聞き捨てならないじゃない。なんでそんなことを思ったのよ」
気がつくと俺は、朝起きてから家を出るまでのことを結城さんに話していた。
「萌音さんってば、流石にそれは」
「やり過ぎだな」
結城さんが呆れた様に言いかけたら、相馬君が続きの言葉を掻っ攫って言った。
「碧生、早くない」
「ここで呑気に話し過ぎ。それより和花菜、連絡したの」
「桐谷さんと会ったところで、メールを送ってあるわよ」
「それなら、立ち止まってないで歩きながら話そう」
二人も俺の隣に並んできた。
「一応、確認してからの方が良いわよね。桐谷さん、指示書を出して」
俺が封筒から指示書を出して読んだ。
『尋昇さん
これが生る木のところに来て。
いっぱい拾って炒るか茶碗蒸しの中に入れて食べたいな。
お相撲さんの髷にもこの名前があるよね。
そこで待っているね。
11時35分までに来てね。
萌音』
二人にも見せたら、碧生君がニヤリと笑った。
「ここならこっちの道の方が短縮になるよ」
俺達は三人で早歩きで歩き出したのだった。
Act4
◇菱沼忠隆
「和花菜さんからメールが来ました。桐谷さんと会えたそうです」
聖子が携帯を見てそう言った。その言葉に頷く俺。萱間さんは来た道の先を見ようと伸びあがった。もちろん樹木に邪魔をされて見えるわけがない。
「それじゃあ、聖子と萱間さんは移動してくれ」
「はい。忠隆さん」
「すみませんが、お願いします」
萱間さんは神妙な顔をして頭を下げて歩いて行った。
それから程なくして三人が姿を現した。普通のルートだとこんなに早くはここまで来れない。どこかにショートカットできるところがあったのだろう。
「あ~、残念。少し、遅かったか」
相馬君が軽い調子で言ってきた。隣にいる結城さんは苦虫を噛み潰したような顔をしていた。桐谷さんも元気のない顔をしている。
「一緒に現れたということは、萱間さんの計画にはつき合えないということかい」
相馬君と結城さんに問いかけたら二人は顔を見合わせた。
「そういう訳じゃないんですけど」
「そうなんです。というよりも、またも二人の会話無しのすれ違いが原因だったようです」
「その話は後で聞くから、まずはこれを」
預かっていた封筒を桐谷さんに渡した。彼はその中身を読んだ。
『尋昇さんへ
次のところに行ってるね。
これに楊枝を差して独楽にしたことない?
12時までに来れるかしら
萌音』
読んだら俺達にも見せてくれた。
「これは団栗の事だよな。団栗がなる木ってこの森の中にはいっぱいありそうだよな」
「コナラ、ミズナラ、クヌギ、ウバメガシ、マテバシイ。栗も団栗の仲間じゃない」
「いや、この先にクヌギの木がある。それのことだと思う」
顔を見合わせて頷くと、俺達は歩き出した。
相馬君がここまでに桐谷さんから聞いた話を纏めて話してくれた。
「つまり強引に同居に持ち込んだけど、肝心な『好きです』も『つき合おう』も言っていなかったのを夏祭りの日に自覚して、そこから萱間さんにどう接していいか分からなくなったんだ。萱間さんは逆に『何も言ってくれない』と拗ねていたのが、桐谷さんに『つき合おう』と言ってもらってから押せ押せで迫っているけど、肝心な返事をしていないんだって」
思わず俺は自分の眉間を揉んでしまったのは、仕方がないことだろう。
「本当に~。萌音さんってどこか抜けているのよね。それに夏祭りの時に聞かされた話がネックになって、桐谷さんは手を出しづらくなったのよ」
「それってどんな話なのかな」
「萌音さんの親友とその彼氏が、萌音さんの心の内を聞かせたらしいのだけど、萌音さんの両親にまだ暫定的にしか認められてないとかも言ったらしいわ」
それは・・・いろいろ自信を無くすよな。この間、男だけで飲んだ時に聞いた話だと、桐谷さんは強引な遊び人風に思われていたようだけど、この春まで弟妹と一緒に暮していたから、浮いた話はなかったとか。どうしても彼女を作るよりも、弟妹のことを優先してしまっていたそうだ。
ノリが軽いだけで実は真面目で一途だ。相馬君の方がよっぽど、女性の扱いに慣れている気がする。
「それでね、私が萌音さんから受けていた相談はね、如何に桐谷さんに手を出してもらう雰囲気を作るかだったのよ」
結城さんの言葉に俺と桐谷さんは表情が固まった。それに気がつかない結城さんは言葉を続けた。
「でもねえ、それ以前じゃない。萌音さんって思いこみやすいところがあるでしょう。多分彼女は自分が返事をしていないなんて思っていないと思うのよ。まあ、そこが萌音さんらしいのだけどね」
結城さんが苦笑を浮かべた。
「とにかく萌音さんの思い込みを正さないと、話は進まないわけよ」
うんと一人頷く結城さん。
「その前にさ、和花菜。結局萱間さんは今日のこれで何がしたかったんだよ」
「えーと、この間の菱沼さんと聖子さんの結納に立ち会って、羨ましくなったみたいなのね。だから、プロポーズを意識して貰いたいって言っていたの」
「この、書置きヒントの追いかけっこで、どうしたらプロポーズを意識させんだよ」
「萌音さんが言うには、実のなる木をチョイスしているから、それで気がついてくれると思うって」
「桐谷さん、分かりました?」
相馬君の問いに桐谷さんは暗い顔で「わからなかった」と答えた。その答えに相馬君と結城さんが顔を見合わせて苦笑いを浮かべた。
「だろうね。軽く話を聞いてた俺でも、その発想はなかったわ」
「桐谷さんはどう思ったんですか」
結城さんが聞いてみた。
「俺は・・・萌音が俺と別れたいと思っているのだと思った」
桐谷さんの言葉に結城さんが立ち止まった。桐谷さんの腕に手を掛けて、彼を立ち止まらせた。
「どうして、そう思ったのよ」
「どうしてって、部屋は片付いていたし、家中の時計を1時間遅らせていたし。それにこのところ話しかけても萌音は上の空で、適当に相槌を打っていたから、俺に興味がなくなったのかと思ったし」
その言葉に結城さんは眉を寄せて何かを考えだした。少し俯いて考えていたけど、顔をあげるとキッパリと言った。
「やはり話は両方から聞くべきだったわね。これは萌音さんが悪いわ。ねえ、桐谷さん。桐谷さんは萌音さんとどうなりたいの」
「それは・・・出来れば一生を共にと考えているけど。でも、これは俺の気持ちの押し付けになるかもしれないわけで」
そう言って桐谷さんは俯いている。どうも思考が後ろ向きになってしまっているようだ。
「私が言うべきじゃないのはわかっているけど、桐谷さん。萌音さんも同じ気持ちよ。だけど、萌音さんの思考が予想の右斜め上にいってしまって、変に暴走したのよ」
「それじゃあ、どうすれば」
「拗らせたのは、二人がちゃんと話し合ってないからよね。まあ、萌音さんが素直に話を聞くとは思えないけどね」
確かにそうだろうな。今日も止めようとしたけど、変に思い詰めているようだったし。ここはどうした方が良いのだろうか。結城さんは打開案でも、持っているのだろうか。
「和花菜はどうするのがいいと思う」
相馬君の問いに結城さんは笑顔を浮かべた。
「こうなったら荒療治をするしかないでしょうね」
ニヤリと笑った顔に禄でもないことにならないことを、俺は祈ったのだった。
Act5
◇菱沼忠隆
聖子がメールを確認して萌音さんに告げる。
「忠隆さんが桐谷さんと接触したようです」
「本当に」
「はい。では行ってください」
「聖子さん、ありがとう」
「上手くいくことを祈っています」
「うん。本当にありがとう」
萱間さんが立ち去り後ろ姿が見えなくなるかどうかという所で、聖子のそばに行った。
「行ったようだね」
「きゃっ。びっくりした~。忠隆さん、いつからそこにいたのですか。それに・・・どうかしましたか」
振り向いた聖子が俺達の姿を認めて、目を丸くした。だけど、俺達の雰囲気から何かがあったと察したようだ。だけど、その説明の前に予定の物を桐谷さんに渡して貰おう。
「聖子、説明は後でするから、先に渡してあげてくれないか」
「ええっと、はい。これです」
封筒を取り出すと、桐谷さんに渡す。彼はすぐに開けて内容を確認すると「じゃあ、行ってくる」と言って、俺達から離れていった。彼の姿が見えなくなると、聖子が訊いてきた。
「ねえ、忠隆さん。本当に何があったのですか」
「それがね・・・」
俺達はゆっくりと歩きながら聖子に桐谷さんから聞いたことを話していったのだった。
◇桐谷尋昇
上条さんに渡された手紙にはこう書かれていた。
『尋昇さんへ
ここも間に合いませんでしたね。
なので私は次のところに行っています。
童謡にも歌われている木
落葉していれば絨毯のように綺麗よね
そこで待っています。
萌音』
この場所は楓か紅葉の木があるのだろう。それが散っていれば絨毯のように奇麗なのかもしれない。
結城さんはこれで赤い絨毯を連想して欲しいのだろうと言っていた。教会のバージンロードを思い浮かべて欲しいのだろう。
だけど、俺は・・・。
◇
「尋昇さん」
目の前に萌音が立っている。とても嬉しそうな顔をしている。きっと今から俺から幸せの約束の言葉を言ってもらえると信じているのだろう。
「萌音」
萌音から三歩ほど離れたところで立ち止まった。萌音が瞬きをした。
「どうしたの、尋昇さん」
不思議そうな顔で尋ねてくる萌音。
「萌音、楽しかったかい」
「えっ? ・・・なんのこと」
「俺を振り回すのは楽しかったかい」
「尋昇さん?」
何でこんなことを言われているのかわからないのか、萌音は不安そうに俺の事を見つめている。
「萌音、俺はここに来るまで全然楽しくなかったよ。なんでかわかるかい」
萌音は首を横に振った。
「朝起きて君がいなくて、部屋の中は片付いていたし。もう君は俺に愛想を尽かして出て行くつもりなのだと思ったんだよ」
「ち、違うわ。部屋を片付けたのは他の理由で」
「もういいよ、萌音。君が考えたこのサプライズ。俺は全然楽しめなかった。あの書置きの言葉の意味も解らなかったし。わかったのは全部落葉樹だということだけだ。落葉樹ということは葉が落ちて終わり。もう、俺との関係を終わらせたいということだと思ったよ」
萌音は顔を蒼褪めさせて叫んだ。
「違うわ。そんなことは考えてないの。私は尋昇さんと楽しみたかっただけなの」
「楽しむ。そうだね、萌音は俺が右往左往するのを楽しんだよね」
「だから、違うの。そんなことは考えてないの」
「ごめんね、萌音。もう俺は萌音につき合えない。こういう遊びがしたかったら、それが分かる人と遊んでくれ」
そう言って俺は踵を返し歩き出した。三歩行ったところで、背中にぶつかる様に抱きつかれた。
「ごめんなさい。私が悪かったの。尋昇さんが何もしてこないから不安になっただけなの。だから、尋昇さんの気持ちを確かめたかったの」
「萌音、そういう君こそ、言葉では何も言ってくれないじゃないか」
「そんなことない。私だって、ちゃんと・・・ちゃんと・・・」
「君からは言われたことはないよ。それどころか、俺の言葉に返事をくれなかったじゃないか」
「うそ。私は返事を・・・あっ」
萌音が小さな声で「あっ」と言った。あの時のことを思い出したようだ。
「俺は聞いていないよ、萌音。肝心なことなのに言葉にしてくれなければわからないだろう。そういったのは萌音なのに、同じことをするんだね」
「そ、そんなつもりじゃなかったの」
萌音の声が涙声に変わってきた。
「萌音、放してくれないか。合わない相手と一緒にいるのは苦痛だろう」
「違うの、そんなことないの」
萌音は俺の背中に頭を押し付けて首を振っているようだ。
「好きなの、尋昇さんのことが。お願いだから嫌いにならないで」
体の前にある萌の手を解いて向かい合うように向きを変えた。涙でグチャグチャの萌音の顔が見えた。向きを変えた俺に抱きついて俺の顔を一生懸命に見上げている。
「ごめんなさい、嫌いにならないで~」
「萌音、嫌いになるわけがないだろう」
「だって、つき合えないって」
「それはこういう遊びにだよ」
「でも~、でも~」
そっと萌音を抱きしめて涙が伝う頬にキスした。驚いたように萌音の動きが止まった。
「萌音、愛しているよ。俺と結婚して、俺を世界一幸せな男にして」
耳元で囁くように言ったら、萌音の身体が震えだした。
「萌音?」
顔を覗き込んだら、さっき以上に萌音が泣きだした。
「よがった~。嫌われたとぉ~、思ったの~」
「俺からは嫌わないよ。それより、萌音。今度こそちゃんと返事をして欲しいな」
萌音はハンカチとティッシュを取り出して、涙を拭いて鼻をかんでから、俺にニッコリと笑顔を向けてきた。
「はい。私を尋昇さんのお嫁さんにしてください」
俺は、萌音をギュ~と抱きしめたのだった。
Act6
◇菱沼忠隆
「やれやれ。どうなるかと思ったけどうまく行ったようだな」
「本当ね」
隠れて覗いていた俺達は抱き合っている二人を見てホッと息を吐き出した。
「あっ」
と、聖子が小さく声を上げた。
「どうかしたの、聖子さん」
結城さんが訊いてきた。
「その、萌音さんに旅行のことを話すのを忘れていたのを思い出して」
「それって泊まる旅館のこと?」
「ええ。どうしましょうか」
「今、行ったら・・・無粋よね」
結城さんはニンマリと笑った。
「黙っておきましょう」
「結城さん、それはさすがに」
「いいえ、菱沼さん。黙っておくべきです。今回私達は萌音さんに振り回されましたから。それに旅行にはハプニングがつきものです。黙っていたからって、困ることじゃないですから。ね。碧生もそう思うでしょ」
「そうだな~。和花菜の言うとおりかな」
ニッコリと相馬君も同意した。聖子も上手く丸め込まれて、黙っていることを約束させられていた。俺に視線を向けて威嚇してくる二人に俺も同意の意を示したのだった。
ああ、旅行でも何かが起きそうだ。
本作も、シャッフル作品になりました。
他の作品と合わせてお楽しみください。
単品でも楽しめるようにしておりますけどね。
この中にできた萌音さんが出したクイズみたいなもの。
皆様は答えがわかったでしょうか?
三カ所目だけ答えを載せませんでしたけど。
お読みいただきありがとうございました。