ひとつぎ[続・ときつぎ] (8)
タカミが他の男と付き合い始めた。俺がいい気になって真奈さんや琴乃さんとの関係を続けている事に愛想をつかした、という訳ではなく、ある意味人生経験の一貫だという理解をすることにした。タカミはあまり多くを語らないが、貴美チャンの希望が大きいのだと思う。俺と亘クンはそこそこうまくやっているが、タカミと貴美チャンはそうでもないみたいだ。絶対的な対立を避ける意味でもちょっとした冒険に踏み出したのだろう。俺はまるで娘を心配する父親のような気分になっている。前世のままの意識が出て、四十過ぎの俺の目線で19歳のタカミを見ている。金曜の夜は愛し合い。土曜日はタカミはバイト終わりで幾多クンとデートしてから夜に帰ってくる。俺はタカミに連絡させて駅まで迎えに行く。真奈さんや琴乃さんからは「過保護ね」と呆れられ、タカミからは「ありがたいけど心配し過ぎ」と言われる。それでも前世では予想できない事が起こってしまって激しく後悔した。それがタカミにも分かっているから俺のお迎えを受け入れてくれている。どんなデートをしたかなんて聞きたくもないが、そいつの人となりを俺なりに分析して万が一に備えるつもりで聞いている。ソイツはこれまで女の子と付き合った事が無くて、そういうお店にも行ったことが無いらしく、まともに女性と話すのはタカミが初めてらしい。チャラチャラした男よりはマシかもしれないが、恋愛未経験だとそれはそれでややこしい事になりかねない。最初の期間限定という条件を守れるか怪しいものだ。デートの内容はともかく、雑誌か何かで知識を得たのか、順序正しくステップアップしているようだ。まったく関係ない男なら微笑ましく見ていられるが、俺が愛するタカミの相手となると気が気ではない。過保護にもなる。
「今夜はお迎えは無しよ」
タカミがソイツと付き合い始めて一ヶ月が過ぎようとした土曜日、バイトに出掛ける前にタカミが言った。そろそろかと思っていた日がついに来てしまったようだ。それでも一応確認の為にとぼけて聞き返した。
「どういう事だ?」
「分かってるでしょ?そういう事よ。お泊まりよ」
タカミがソイツに触られる。顔は知らないけど想像したくない。
「だ、大丈夫なのか?ちゃんと予防してくれるのか?」
「前にも言ったでしょ?釘を刺して念を押してあるよ。ドラッグストアで買うって言ってた。念の為私も持っていくね」
タカミはベッドサイドの引き出しから2個取り出した。
「おいおい、2個も要るのかよ?」
「ワタル、初めての時どうだった?昨夜も、でしょ?」
何も言えない。欲望に正直なら足りないくらいだ。
できることなら引き留めたいが、バイトを休ませるわけにもいかない。極めて複雑な思いでタカミを送り出した。
いつもはタカミを送り出した後は俺の家でもタカミの家でも洗濯して掃除して買い物に行って、と、主夫の仕事に精を出すのだが今日はやる気になれない。とりあえず洗濯機だけは回したけど、ただボーッとテレビを見ていた。前世で生きていた頃は、こんな休日はタカミが働いていたパチンコ屋に行っていた。タカミと付き合う前だ。あの頃はタカミの事は『ポニーテールが似合う可愛い店員さん』という認識でしかなかった。別に店員さんに会いたくて行ってた訳ではなく、ただ無心に回胴を回していた。こちらでも街中まで行けばパチンコ屋はある。でも行こうとは思わない。今後の仕事の参考として知っておいた方がいいだろうけど、俺は前世で嫌というほど知っている。ギャンブルに依存してしまう悲惨さを。俺は何とかどん底から戻れたが、それでも完全にはやめられなかった。どん底に堕ちたまま脱け出せないでいる人を何人も見た。今行けば恐らく勝てるだろう。ビギナーズラックというヤツだ。そんなのは続くわけがない。ギャンブルで食べていける人は一握りどころか一摘まみも居ない。気が付けば借金まみれになってどうにもならなくて、一発逆転を狙ってまたギャンブルだ。そんなのを知っている俺でさえそうならない自信は無い。店員をやっていたタカミは俺以上にそんな人間を見ている。だから休みの日に2人で何もする事が無くても「パチンコ屋にでも行こうか?」なんて事にはならない。
ボーッとしていて気が付いたらもうお昼を回っていた。小腹が空いたのでコンビニにでも行こうかと思っていたところに電話が鳴った。百合華からだった。
「亘、今大丈夫?」
「ああ、ボーッとしてただけだから」
「今からそっちに行っていい?久しぶりに会いたいな」
「別に構わないよ。ヒマしてるから」
「じゃあすぐに行くね。実はもう駅まで来てるの。お昼もう食べた?」
「いや、ちょうど何か買いに行こうかって思ってたところなんだよ」
「じゃあサンドイッチでも買っていくよ。今日は私が奢ってあげる」
何か、前に話した時より上機嫌な声に感じた。百合華に言われて気付いたが会うのは久しぶりだ。ほぼ毎日日記のようなメールを俺に送ってきていて、それを読むのが習慣になっていた。夏にメガネを掛けた姿を見せてからは、それまでたまに風景の写真を添付していたのが自撮り写真に変わった。それも胸元の緩いシャツを着て胸の谷間を写り混ませたり、短いスカートを履いて体育座りした姿を鏡越しに写したりしたちょっとエロい写真だ。俺の中の亘クンは興奮してしまい、体が反応してしまう。そんなメールもタカミがアイツと付き合うようになってからあまり来なくなっていた。一つの可能性として考えていた『タカミと付き合っている俺の事が好き』という事が当たっていたのだろう。これからは友達として百合華と付き合っていける。そう思っていた。
電話から20分程で家に来た百合華は相変わらず美しい顔で、まだ少し幼さの残る屈託の無い笑顔を見せた。
「久しぶりね、ねえ、ハグして」
軽く密着すると百合華は目を閉じて唇を突き出した。薄く口紅を塗ってるようでちょっと色っぽい。
「そういうオフザケはやめてくれ」
「ん?どうして?口紅塗ったから見せただけだよ」
ケラケラと笑ってリビングに行き、ソファーに勢いよく座った。長めのスカートが一瞬ふわりと浮き上がる。
「今私の脚、見たでしょ?エッチ」
「見たのはスカートだ。コーヒーでいいか?」
「あ、うん、お願い。砂糖は1つね」
コーヒーカップをテーブルに置いて百合華の正面に座ろうとしたら隣に座るよう促された。並んで座ってコンビニのとは違う専門店のサンドイッチを食べた。俺にしてみればちょっとした贅沢だ。たまに自分でも作るけどさすがにこれほど手の込んだ物は作れない。作れても焼きそばパンぐらいだ。
「百合華は料理とかするんだっけ?」
「たまにね。でもまだまだよ。私も亘くらいに上手になりたいんだけどね。お父さんは、あっ、家では`パパ´って呼んでるんだけど、パパは美味しいって言ってくれるからそれに甘えちゃって向上心が無かったのよ。1年くらい前までは」
「1年くらい前って・・・」
「そう、亘の事が好きになってから、いつかは亘に私の料理を食べてもらって`美味しい´って言ってもらいたいって思ったの」
「そうか、じゃあそのうち作ってくれよ」
俺は自分ではそんなに料理が上手いとは思っていない。前世で母親と二人暮らしだったタカミには到底敵わない。何と言っても手際がいい。作りながら調理器具を洗ったりして食べ終わってからの後片付けは食器くらいしか残ってない。
「ねえ、亘」
百合華は俺の腕を両腕で抱え込んで上目使いで俺を見た。
「私、今でも亘の事が好きよ。今でもって言うかこの気持ちは膨らみ続けてるの。もう溢れ出してるの。パパ以外で初めて好きになった人。だから、だから私の初めてを全部亘にあげたいの。お願い・・・」
そう言って顔を近付けてくる。どうやら俺の読みは外れていたようだ。このまま流れに身を任せそうになるけど、その前に聞きたい事と言わなければならない事がある。そっと百合華の肩を押して近付いた顔の距離を取った。
「俺に日記みたいなメールを送ってたのは何故?」
「あれはそのまま日記よ。最近ブログとか有ってそこに書けるんだけど、それだと他の人にも見られるでしょ?私の日記は亘にだけ見て欲しかったの」
俺が押し戻した距離を再び縮めようとしながら百合華は答えた。
「あの日以来自撮り写真を付けてきたのは?」
「自撮り?自分を撮った写真って事?」
しまった。この時代にはまだ一般的な言葉じゃなかった。
「そ、そう。自分で撮ったから自撮り」
「ちょっとエロかったでしょ?あれでも精一杯頑張ったんだよ。恥ずかしかった。あんなの見せたら亘から来てくれるかなって思ったの。ズルいかもしれないけど、私から亘に迫って貴美から奪うような事はしたくなかった。貴美にバレないように亘が私と浮気してほしかった。そうよ、あの日から、メガネを掛けた亘を見てから私の想いは加速したの。そしてこうしている今でも加速し続けてるの。私の精一杯の誘いに亘が乗ってこないから、今私が迫ってるのよ。貴美が他の男と付き合って隙を作ってくれた。貴美も許してくれてる。だから・・」
百合華は俺の隣の位置を離れ、俺に跨がって組敷くような格好になっている。
「その気持ちは嬉しいけど、俺には百合華の知らない一面が有るんだ。軽蔑されるのが嫌だから黙ってたんだ」
さすがに真奈さんや琴乃さんとの事を知ったら気持ちが冷めるだろう。タカミというパートナーが居ながら2人も愛人が居るようなものだ。
「ハーレムの事でしょ?貴美に聞いたよ。さすがにショックだったよ。それは亘が既に貴美公認とは言え浮気してるって事じゃなくて、私と貴美以外に亘の魅力を知ってる人が居たってこと。真奈さんと私がまだ会った事が無い琴乃さんとそんな事してるんなら私ともいいんじゃないの?私はハーレムに入れないの?」
改めて思った。俺の女性関係の秘密は無いに等しい。
「でも、真奈さんも琴乃さんもちゃんとパートナーが居る。俺はあの2人にとっては所詮つまみ食いだよ。百合華は違うだろ?」
「それでもいいの。私はこの想いを遂げたいだけ。イヤな事言うよ。今夜は貴美はあの彼とお泊まりでしょ?あっちがよろしくやってるんだから私達だっていいじゃない」
グイッと近付けた百合華の顔をすんでのところで避けて、結果百合華の頬に口付ける形になった。ふと窓を見るともう暗くなりかけている。晩秋の日暮れは早い。夜になると妖しい雰囲気が増してくる。何としてもそれは避けたいが、俺自身どうしてここまで頑なに百合華を受け入れられないのか疑問に思えてきた。据え膳食わぬは何とやらと言うけど、単に俺が天邪鬼なだけなのか?こんなに綺麗でスタイルも良くて性格もいい百合華に想われるなんて、男として幸せな事なんじゃないのか?俺は俺が解らなくなった。俺の体をソファーの背もたれに押し付けている百合華の手をどけさせて俺は体を起こした。目の前には百合華の胸の膨らみが有る。そこを見ないように百合華の顔を見上げた。
「とにかく、今日はもう帰ってくれよ。お昼のサンドイッチありがとう」
このままでいると百合華の勢いに流されてしまいそうだ。「泊まる」なんて言い出しそうだ。
「そんな事言って、もうここには何だかんだ言って来させないつもりなんじゃないの?ここまでさせた私を手ぶらで帰らせるつもり?」
半分くらいは当たっている。百合華の気持ちを弄ぶ気は無いが、ここに来る度にこんな展開になっても困る。
「手ぶらじゃないならどうすればいいんだ?」
「そうね、お昼のお礼って意味でもいいから、私のファーストキスを貰って。私が亘にされたいって思ってたシチュエーセョンで」
「さっきまでの百合華から迫るんじゃないの?」
「あれは不本意よ。その先も見据えての非常手段だったからね。恥ずかしいけど夢見る少女時代からの夢よ。とりあえず立って」
百合華から段取りを細かく指示された。寸止めのところまでリハーサルを繰り返す。こんな台本がある展開でも感動はあるのか?セリフまで決められて本番スタート。
向かい合って見つめ合う俺と百合華。左手で百合華の右手をそっと握る。
「好きだよ、百合華」
「私も好きよ、亘」
左手を百合華の顎に添えると百合華は目を閉じる。そして唇を重ねて互いに抱き締め合う。そして一旦唇を離して微笑み合う・・という台本だったが百合華は離れずに「ン・・ン・・」と呻きながら脱力したように俺に体を預けてきた。何とか背中に回した腕で持ち上げるようにして体を支え、顔をずらして百合華の耳もとで抗議した。
「台本と違うじゃないか」
「ごめんなさい、私も予想外だったの。キスってこんなに気持ちいいものだったのね。亘のキスが上手だったのかな。全身の力が抜けて頭が真っ白になっちゃった。もう一回して。今度はしっかり立ってるから」
「じゃあセカンドキスだな」
今度は百合華が俺の頭を引き寄せてキスした。条件反射的に舌を入れそうになるのを堪えた。
「嬉しい、ありがとう。じゃあ帰るね。その前にトイレ。あっ、亘が先に行って」
素直に「帰る」と言ってくれて正直ホッとした。期待していた訳ではないがあのまま押し倒されても不思議ではなかった。この先、百合華に今日以上の展開を求められるか、それとも今日の事で歯止めがかかるか、楽しみなような不安なような、そんな気分だった。
「もう外は暗いね。送って欲しいな」
「ああ、そうだな。駅まで送るよ」
駅まではそんなに遠くないとは言え、夜は急激に気温が下がるからしっかり外出用の服に着替えた。
「私も上着貸して、昼間暖かかったから薄着で来ちゃった。泊まるつもりだったしね」
あっけらかんと本音を洩らした百合華にジャケットを着せて玄関を出た。並んで歩きだすとスッと腕を組んできた。あまりにも自然な動きで隙をつかれ、為す術無く受け入れざるを得なかった。
「はい、これ」
駅に着くと百合華はスカートのポケットから切符を取り出して俺に渡した。
「どういう意味?」
「えっ、駅まで送ってくれるんでしょ?私が降りる駅まで」
確かに「駅まで」とは言ったが『百合華が乗る駅』とは言ってない。
「お前は?」
「私は定期が有るもの」
来た時に切符を買っておいたのだろう。「泊まるつもりだった」のは本当だろうがそれを断られた時のプランも考えていたのだろう。『百合華は計算高い』と言っていたタカミの言葉を思い出した。
仕方無く一緒に電車に乗った。百合華の家はここから二駅、俺が来る前の亘クンが入院して俺が目覚めた梨葛市にある。ドアの付近に並んで立っている俺達は普通のカップルに見えるだろう。
改札を出て帰りの切符を買う為に券売機の所に行こうとする俺の腕を百合華は掴んで離さない。
「ここから家までの間にね、空き家とかどこかの会社の事務所とか有って結構暗いの。ちょっと怖いな」
夜道・空き家・女の子の一人歩き。まさかタカミの事件を聞いてないだろうけど、そのシチュエーセョンは俺にとってもトラウマだ。もしも前世でタカミの身に起こった悲劇が百合華の身にも起こってしまったら、ここまでで帰ってしまった事を激しく後悔してしまうだろう。
「分かったよ、家まで送ってやるよ。でもいつもは平気なんだろ?」
「そうよ、全然大丈夫よ。でもここまで一緒に来てくれた亘が居なくなったら寂しい」
百合華が一人暮らしだったら送り狼になってしまいそうだ。わざとなのか天然なのか、男心を擽るセリフを百合華はチョイチョイ挟んでくる。他の男にそんな事を言ったら皆その気になって襲いかかってくる。俺が守らなければ。と、俺は思わされてしまっているのか?
百合華の家まで歩いていると、確かに灯りの点いていない建物が目立つ。まだそんなに遅い時間じゃないから人通りも車も有って危険な雰囲気は無い。街灯もしっかり点いていて比較的安全だと思える。こうして歩いている間も百合華は俺の腕に自分の腕を絡めて寄り添い、幸せそうに笑っている。タカミとこんな風にしてるのとはまた違った感じで何となく俺も気分がいい。
「ここが私の家よ」
暗くて良く見えないが、俺の家よりは大きく、タカミの家よりは小さいみたいだ。
「へ~っ、じゃっ、無事にお前を送り届けるという大役を勤めあげたから帰るよ」
俺の言葉を無視するように俺の腕を掴んだまま門扉を開け、玄関まで引き摺るように連れていってチャイムを鳴らした。百合華に抗議する間も無く内側から扉が開かれ、ガッシリした体格の男性に出迎えられた。
「パパ、ただいま」
「おかえり、百合華」
言うまでもなく百合華の父親だ。
「キミが東堂亘君だね。待っていたよ。さぁ上がりなさい」
咄嗟に百合華を見た。百合華は笑顔で父親を見ている。「待っていた」とはどういう意味だ?まさか初めから俺を家に連れてくる計画だったのか?そうだとしたら『計算高い』どころの話ではない。とんでもない『策略家』だ。
「あ、いえ、今日は・・」
「いらっしゃい、遠慮しないでいいのよ。外は寒いから中で暖まって」
丁重にお断りしようとしたところに奥から何とも美しい女性が現れた。百合華の母親だろう、目を奪われてしまった。
「さあ、上がって上がって」
先に上がっていた百合華に手を引かれて俺は中に入った。ついさっきまで(その手には乗らないぞ)と帰るつもりでいたのに大人モードのワタルが百合華の母親の美しさに惹かれてしまった。まったく現金なものだ。
「改めて自己紹介するよ。僕は百合華の父親の吉富昌平、これが家内の小百合だよ」
「あ、どうも、百合華さんの友達の東堂亘です」
リビングに通されてにこやかに自己紹介した吉富氏に対し、緊張したせいもあって何とも締まらない挨拶をしてしまった。
「私は夕食の支度をしてくるわね」
「私、お風呂に入ってくる」
小百合さんと百合華が相次いでリビングを出て吉富氏と二人きりになった。
「まあ掛けなさい、今お茶を淹れてくるよ」
「どうぞお構いなく」と言ったものの今更感いっぱいだ。年頃の一人娘が男を連れてきたのにこの歓待ぶりだ。お尻がモゾモゾして何とも居心地が悪い。これなら父親が目をつり上げて不機嫌になられる方がまだマシだと思ってしまう。
リビングとダイニングキッチンは、今は引き戸で仕切られているが、開け放てばLDKは一つの広々とした空間になる。この家族の習慣なのか、それとも今だけなのか、お茶を淹れて戻ってきた吉富氏は引き戸を閉めた。
「まあどうぞ、緊張しているかい?気持ちは分かるよ。ビールでも、といきたいところだけどキミはまだ未成年だからね。このお茶で気持ちをほぐしてくれ」
「はっ、いただきます」
ズズッとお茶を一口飲んでも緊張はほぐれない。あくまでも百合華の`友達´という立場でどう接すればいいのか、その心の準備もしないままこうして吉富氏と相対しているというのもあるが、何よりも目の前に居る吉富氏の雰囲気に圧されている。穏やかな表情を浮かべているが、存在感と言うか迫力が圧倒的だ。大人ワタルモードでも到底太刀打ちできない。年齢は恐らく四十半ばくらいで前世で生きていたら同年代だろうけどあまり会いたくない種類の人だ。ひょっとしたらその筋の人かもしれない。
「僕の仕事は土木建設会社のそれなりの役職に就いているんだ。若い頃ヤンチャしていたときに今の会社に拾われてね、現場仕事をしているところに家内と出会ったんだ。もう一目惚れだったよ。分かるだろ?今でも綺麗だけど若い頃はもっと綺麗だった。何とか近付きたくていろいろ手を尽くしてね、やっと話せるところまで漕ぎ着けたんだけど、小百合が`真面目な人がいい´って言うからそれまで付き合ってた悪友を全部切って真面目になって、勉強して資格取ったりしたんだよ」
この顔で`切る´と言われると物理的に切るのを想像してしまうがもちろん『縁を切る』という意味だ。
「おっと、僕の身の上話をしても仕方がないね。百合華が産まれて、それはもう可愛くて仕方がなくて溺愛してたら成長しても子離れ出来なくて、百合華も父親離れ出来なくなっていてね、聞いてるだろ?百合華はかなりのファザコンなんだよ。世の中には娘から`お父さんの物と一緒に洗濯しないで´なんて言われる父親が居るようだけど、ウチではそんな事は全然無くて、ここだけの話だけど、去年まで一緒にお風呂に入ってた程なんだよ」
ファザコンなのは本人からも聞いていたが、まさかそこまでとは思ってもみなかった。
「僕も`こんなのはおかしい´とは思ってたんだけどね、娘の成長を正に目の当たりにできるのが楽しみで嬉しかったんだよ。去年の8月までだったけどね」
吉富氏は俺を冗談ぽく睨んだ。
「9月に入ってから急に一緒に入ってくれなくなったんだ。ちょっと寂しくて理由を聞いてみたら`好きな人ができた´って言うんだよ」
今度は「キミの事だよ」と言うように俺を見た。何も後ろめたい事は無いけど背中に汗をかいた。
「あの子に同級生の好きな男がファザコンからの卒業を意味してるようで、ホッとする反面少し寂しくなったものだよ。見事にフラれたようだがね」
「どうも・・すみません」
「おいおい、謝る事じゃないよ。ちゃんと付き合ってるコが居るんだろ?自慢じゃないがあの子は母親に似て綺麗な顔だし、スタイルだって申し分ない。確かDカップだと言ってたな。頭も良いし、そんなコに告白されたら男として気持ちが揺らぐところをキミは毅然とフッたんだから大したものだよ」
百合華がお風呂から出た気配がした。どうか服を着てこの部屋に来て、この針のムシロのような状況を和らげて欲しいと思っていたが、「私も手伝うよ」と声がしてキッチンの母親の方に向かったようだ。
「キミとキミのカノジョの貴美クンの境遇は百合華から聞いているよ。同情・・してもいいのかな?」
共に両親が居ない二人が付き合ってるとなると同情してしまう気持ちは分かる。
「確かに、同情される境遇だと思います。でも2人とも親が残してくれたものがありますし、生活に困る事はありません。`かわいそう´と思われる事もありますけど、正直僕らはピンときません。高校の時も、特に僕の両親が無くなって僕の記憶が無くなってからは、何か腫れ物に触るように接して来られました。僕としては普通に接してもらいたいと思っています。だから、何と言いますか、フラれると分かっていながら普通に告白してくれた百合華さんには感謝しています」
「そうか、そう言ってくれるとあの子もフラれ甲斐があったんだな。実際、あの子がキミに告白してからみんな気が楽になったようだし。卒業式の日のキミのモテっぷりがそれを物語ってるよ」
そうだった。高校の卒業式にはこの吉富氏が来ていた。また背中が湿る。
「あの時は凄かったね。キミと写真が撮りたくて行列が出来るなんてね。あの時百合華はモジモジしていたんだよ。`どうしよう、あの中に入れない´なんてね。`良い記念だから行ってきなさい´って背中を押してあげたよ」
懐かしそうに微笑んで遠くを見ている。俺も気恥ずかしい懐かしい情景を脳裏に見ていた。
「今キミは・・」
いきなり真顔で吉富氏は俺に目を向ける。
「半分フリーらしいじゃないか。貴美クンが期間限定で他の男と付き合って、キミとも付き合いを続ける事になっているって聞いたよ。別にそれが悪い事とか浮気者とかは思わない。貴美クンの真意は分からないけど視野を広げると言うか、人生経験の手段としては少々危なっかしい面も有るけど『有り』だと思うよ」
吉富氏は当然知らない事だが、複数の女性と同時進行で関係を続けている俺には否定する事はできない。
「そこでだ、キミも期間限定でいいから百合華と付き合ってはもらえないだろうか?一人娘の父親の言う事じゃない事は百も承知だ。だけど親バカかもしれないが、娘の初恋を何とかしてあげたいんだよ。もう子供じゃない、大人の女だからそういう事にもなるだろう。それも含めて東堂君、亘君になら任せられると思うんだが、どうかな?」
テーブルに両手を付き、身を乗り出して迫力満点で俺に迫る。そのまま頭を下げそうな勢いに俺は思わず仰け反った。一人娘の純血を奪う事になるかもしれないのに、この父親は何を考えているんだ?俺の前世での40年の人生経験では見たことも聞いたことも無い。姿勢を崩さずに真っ直ぐ目を見られて、全身から熱いような冷たいような汗が滲み出る。
「ご飯出来たよ」
百合華がガラリと引き戸を開けた。ナイスタイミング!長袖のシャツにデニムの短パン姿の百合華が天使に見えた。
まるで家族の一員にでもなったかのようにテーブルに付いた。大皿に盛られた肉じゃがを隣に座った百合華が取り分けてくれる。全員が各々自分の分を小皿に取って、吉富氏の「いただきます」の号令と共に食べ始める・・・と思いきや3人が俺に注目して箸を動かさない。どうやら俺の感想待ちのようだ。仕方無く一口食べてみた。俺やタカミの味付けと違ってやや甘めになっている。これが吉富家の家庭の味なのだろう。
「美味しいです」
素直な感想を述べると百合華の母親、小百合さんは少し緊張した面持ちから一気に笑顔になった。
「良かった。どうぞたくさん食べてね」
食べながらいろいろ話を聞かされた。吉富夫妻の馴れ初めから百合華の小さい頃の話。過去の失敗話を暴露されて顔を赤くして照れる百合華。吉富氏の娘に対する溺愛ぶり。それを見守る小百合さんの心持ち。時に笑い合って楽しく食事が進む。絵に描いたような一家団欒の風景だ。俺にも確かにこういう瞬間が有った。両親と弟で食卓を囲み、ワーワー言いながら食事していた。共働きの両親が揃うのは週末だけで、今から思うと貴重な幸せなひと時だった。弟家族の新居への引っ越しを手伝った帰りに落石事故で死んでしまった俺。もう二度と弟にも義妹にも、可愛い姪っ子にも会えないけど、彼らもこんな時間を過ごしているのだろうか?小さい頃から俺を頼っていつも俺の後を追いかけていた弟は、俺が死んでしまった事にショックを受けていただろう。どうかその事を乗り越えて家庭を守って元気に暮らしていて欲しい。
「亘、どうしたの?」
前世に残してきた弟の事を考えていたら知らぬ間に涙ぐんでいた。
「いや・・こんな一家団欒っていいもんだなって・・」
涙を拭ってあからさまな作り笑いをしたら余計に空気を重くしてしまった。
「いいのよ、いつでもここに来て。パパもママも喜んで迎えてくれる」
百合華が俺を抱き締めた。そんな事されたら声を上げて泣きそうになる。
「ね、パパ、ママ」
「もちろんよ。亘君、カノジョと2人で頑張るのもいいけどたまには甘えたっていいのよ。例え百合華とどうにもならなくても私達は亘君の味方よ」
小百合さんに言われて全身の力が抜けていくような感覚になった。自分でも気付かないうちに気を張っていたのかもしれない。ひょっとしたらタカミもこんな気持ちになったのだろうか?
吉富氏は何かを堪えるように険しい顔で真一文字に結んだ口を開いた。
「亘君、さっき安易に`同情する´と言った事を謝るよ。僕の両親はまだピンピンしてて、百合華も元気な両親の下で暮らしている。それが当たり前だと思っている。親が居ないなんて僕らには想像できない。そんな状況でも力強く生きている、生きていこうとしているキミ達を尊敬するよ」
少し潤んだ目で真っ直ぐ見つめられた。
「きっと百合華はそんなひたむきに生きている姿に惹かれたんだろう。なかなか見る目が有るじゃないか?」
今度は優しい目で百合華を見た。大好きな父親に褒められて少し照れる百合華が可愛い。小百合さんからの優しく温かい眼差しを受けて俺も少し照れる。
食事が終わり、「ごちそうさまでした。そろそろ帰ります」と言おうとしていた直前に百合華に部屋に誘われた。
「私の部屋に行こうよ。見て欲しい物がいっぱい有るの」
タイミングを奪われた俺は従うしかなかった。後日改めて問い質そうと思っていた事を今から聞くのも良いだろう。
「いっそ泊まっていきなさい。二階の押し入れに布団が有るから。それとも百合華のベッドで一緒に寝るかい?」
さりげなくとんでもない事を言われた。
「ハハハッ、別にそうなっても構わないよ。僕はキミを認めたからね。もちろん百合華次第だけど。僕らは早くに休むから帰るんならそのまま黙って出てくれてもいいよ」
さすがに百合華は恥ずかしいのか、俺の手を引いて二階に連れて行こうとする。
「そ、それじゃあ失礼します」
「ああ、おやすみ」
引きずられるように階段を上がり、短い廊下の先の百合華の部屋に入った。何となく『頭の良いコは部屋も綺麗にしている』というイメージに近い部屋だ。机の横の本棚には勉強関係の本や難しそうな本がキチンと整理されていて、カーテンとソファーは白でベッドの布団は薄いピンク。テレビは置いてなくてガラスのテーブルにはチェック柄のクロスが敷かれている。
「ちょっと飲み物取ってくるね」
百合華が部屋を出た隙にタンスの中を見よう、などとは思わない。そんな事より机の上に置かれた写真立ての中の写真が目に入った。百合華とタカミが家庭教師を終えた打ち上げの時に撮った俺の写真だ。笑顔でこちらを見ている俺を見ると、何だか気持ち悪い。鏡を見るのとは違って、静止画だと何とも間の抜けた顔に見える。
「お待たせ、あっ、その写真。お気に入りの中の一枚よ。メモリーカードからデータ読み取って、知り合いにプリントアウトしてもらったの。日替わりで色んな亘の写真入れてるの。全部見る?」
「いや、遠慮しとくよ」
あの時撮った写真なら相当な枚数になる筈だ。調子に乗って要求されるがままにポーズを取ったから恥ずかしいのも有るだろう。そんなのは見たくない。
「そう?でも携帯に入ってるのは見せたげる」
2人が座って丁度いいサイズのソファーに並んで座り、百合華が携帯を開いた。小さな画面を見る為に自然と顔が近付く。
「ほら、これが卒業式の時のよ。この最後に撮ったハグした時、写真じゃ分からないけど私、顔真っ赤なの。嬉し恥ずかしだったよ」
俺はあの時、別の意味で緊張していた。まだ人柄が分からない、存在感に迫力がある吉富氏が見ている所で百合華をハグするなんて、今思い出しても汗が出そうだ。
「あとね~、先に謝っとくよ、ごめんなさい。亘を隠し撮りしたのも有るの、ほら」
教室の中や廊下や登下校時にタカミと一緒の時の写真だ。小さくてよく見えない。
「あっ!・・・」
百合華が小さく叫んだ。良く見る為に顔を寄せるが、それでもちゃんと見えないので俺と百合華の間にある俺の腕をどけて百合華の肩を抱いた。
「こんなに近付いたらまたキスしたくなっちゃう」
「その前にいくつか聞きたい事が有る」
こちらに顔を向ける百合華を制するように言った。
「後でしてくれるんならいいよ」
「今日の事は全部計画してたのか?家に連れてくる事も親には事前に言ってたんだろ?」
「えへへっ、そりゃあバレるよね。でもここに連れてくるのはあくまでもBプランよ」
「Bプラン?」
「そう、本線は亘の家に泊まる事よ。もちろん私の初めてを貰ってもらう事も含めてね。でも貴美がね、`ワタルはたぶんすぐには落ちないから別の戦略も考えておいた方がいい´って言うから前もってパパとママに言ってたの。亘の家を出る前にパパにメールして心の準備してもらってたの。でもあんなに亘がパパに気に入られたのは嬉しい誤算ね」
やはりタカミが一枚噛んでたか。
「誤算と言えばもう一つ、亘がママを気に入った事」
「俺が百合華のお母さんを?」
「そうよ、ご飯食べてるとき、ママの事チラチラ見てたでしょ?綺麗だもんね、仕方ないよ。それに亘の2人の愛人もちょっと年上でしょ?亘って年上好きなの?」
思わぬ反撃だ。
「別に年上だからって事はないよ。百合華がまだ会った事がない琴乃さんは年上だけど年下に見えるし、たまたま年上だったって事だよ。まさかあの2人の事は言ってないよな?」
「言ってないけど、どうしようかな~。このまま何もしてくれないなら言っちゃおうかなぁ」
「俺を脅迫するのか?」
「冗談よ。理想は亘が本当に私を求めてくれる事。私の心はもう決まってる。亘が求めなくても私が亘を求めてる。もう聞きたい事が済んだのならこのまま・・・」
百合華が俺の頬に口付けた。
「まだだよ。この際だから訊きたい事を全部訊くよ。タカミと同じ大学に行ったのは偶然か?」
「やっぱりそこも気になるよね」
少々不満げに座り直して百合華はジュースを一口飲んだ。
「ほんのちょっと魔が差したのよ。進路の最終面談の時にね、先生が一瞬席を離れたの。その時に机の上のみんなの書類がそのままだったから貴美のを見たのね。貴美の進学先を見て私、変えたの。先生ったら何度も私に確認して溜め息ついてた。私も実は悩んでて、都会の大学行ったらパパと離れちゃうでしょ?亘とももう会えない気がしてたから。貴美と同じ大学ならそのどちらも解消できるじゃない?」
「そんな事でって言ったら悪いけど、お前の将来はそれでいいのかよ?」
「そこまで深く考えてなかった。でも全然後悔はしてないよ。私にはパパと亘がすべてだもん。告白してフラれても全然亘に対する気持ちは変わらなかった。たぶん本能的にあの頃から私の初めては亘って決めてたのよ」
「大学でのタカミとの再会は?」
「そこは私の誤算があったよ。同じ大学に入ったけど広くて人も多い中で貴美をなかなか見つけられなかった。でも何とか見つけて、でもどう声を掛けていいか分からなかったの。だから貴美が通りそうな所で待ってたら男子に囲まれて、怖くて困ってたところに貴美が通りかかったのよ。偶然と言えば偶然かな」
タカミが『計算高い』と言っていたがすべてが計算通りとはいかないみたいだ。それでも結果オーライになるんだから百合華は運が強いのかもしれない。
「あと、俺の思い込みかもしれないけど、お前、お母さんとも仲良いよな。普通ファザコンだと母親は敵なんじゃないのか?お父さんとお母さんも仲良いみたいだし、ヤキモチとか妬かないの?」
「あのね、パパ、今日は早く休むって言ってたでしょ?今夜はママと愛し合うのよ」
「えっ!」
思わず耳を澄まそうかと思った。
「他の家ではどうかは知らないけど、パパとママは今でも週に1~2回のペースよ。別に土曜日に決まってるわけじゃなくて、二人の気が合えばしてるの。はっきり言う事はないけど、『早く休む』って言うのが私に向けてのサインなの。私はそれが嫌じゃないよ。だって、パパとママが仲が良いのが良いし、ママの事も大好きだよ。私とママでパパを共有してるみたいな感じかな。だから亘の事も貴美と共有できるって思ったのよ。ワタルのハーレムのメンバーもそんな思いが有るんじゃないかな。亘には悪いけど亘はみんなのモノよ。その中に私も入りたいな」
百合華がゆっくり顔を近付けてくる。その唇を俺は受け入れる。
「やっぱり亘のキスって気持ちいい。キスだけでもう・・・。ねえ、触って」
俺の手を取って胸を触らせようとする。それをやんわりと拒否して百合華をそっと抱き締めた。
「やっぱり貴美の言う通りね。すぐには抱いてくれないって聞いてたけど、私ならもしかしたら、って思ってたけど甘かったみたいね」
タカミは俺の事は何でもお見通しのようだ。しばらく抱き締めてから体を離した。
「帰るの?」
「ああ、帰るよ。百合華を拒むつもりは無いけど、やっぱり下に親が居る事を考えたら集中できないよ。特にお前が初めてだから時間を掛けてしないとな。準備もしてきてないし」
「私はたぶん平気よ。言うのは恥ずかしいけど、予行練習はしてるから。でも準備かぁ。パパに貰っとけば良かったな」
まだ名残惜しそうにキスを求めてくる。
「ねえ、何もしなくていいから一緒に寝てくれない?明日の朝もみんなで一緒に食べようよ」
「そんな事したら俺が我慢できなくなるよ。百合華のカラダだけが目当てになっちゃうよ。自分でも分かってるだろ?お前のカラダはとても魅力的なんだよ。それでもいいってお前は言うだろうけど俺は嫌だ。お前の気持ちは理解したよ。前向きに考えるよ」
そう言うのが精一杯だった。例えは悪いけど俺にとって今の百合華は『据え膳』だ。もし百合華が経験者だったら押し倒してたかもしれない。百合華に他にちゃんとパートナーが居て、お互いにただの浮気だったら多少の後ろめたさを抱えながら出来たかもしれない。ちゃんと付き合える可能性がゼロに等しい俺なんかで本当に良いのか?たぶん俺の考え方が古臭いのだろう。でも改めてちゃんと考えたい。
玄関まで見送りに来た百合華を抱き締めた。ご両親はたぶんもう眠っている。起こさないように耳元で囁いた。
「今日はありがとう。始めは戸惑ったけど、久しぶりに家庭の温もりを味わったよ。本当に感謝してるよ。くれぐれも宜しく伝えておいてくれ」
「私も。今日は来てくれてありがとう。無理矢理連れてきちゃってごめんなさい。また来てね。それと、私もまた亘の家に行かせてね」
軽くキスして外に出た。駅へと急ぐ間にいろいろ考えた。半分は(勿体無かったかな)という思い。オスの本能だ。もしも昨日タカミと愛し合っていなくて欲望が溜まっていたら本能に負けていただろう。最近は真奈さんともご無沙汰だし、琴乃さんとはひと月以上メールのやり取りだけだ。その分タカミと週末にじっくり愛し合ってたが、あっちもこれから忙しくなってそれもままならない。久しぶりに亘クンのコレクションで邪念を解消しておかないと、百合華が来たときに耐えきれないだろう。欲望だけでしてしまうのは何とか避けたい。屁理屈でも俺なりに理由を持っておきたい。
電車に乗り、ふと思い出して携帯を開いた。今まで気にする余裕が無かったから見なかったけど、もしかしたらタカミからメールでも入っているかもしれないと思った。でも無かった。タカミどころか真奈さんからも琴乃さんからも無かった。俺の気持ちも大事だが、あの2人にもちゃんと確認しておかないといけない気がしていた。