ひとつぎ[続・ときつぎ] (6)
私の前世での人生は失敗と後悔の連続だった。最大の失敗はワタルさんを残して死んでしまった事。その事の後悔はこっちに来てから散々した。私の弱さ故にいろんな人を傷つけた。その原因を私をレイプした実の父親に転嫁する事は簡単だ。でも自ら死を選んだのは私自身だ。そんな事が私の身に起こるなんて想像する事などできない。私が後悔するべきはその前にも有った。もしもあの時、もっと大胆に、もっと強引に行動していれば最悪の選択をしなかったかもしれない。それは私が初めて直接的にワタルさんに関係を迫った時だ。もしもあの時、ワタルさんに食い止められても、それに構わず強引に力ずくで結ばれたなら違う展開になっていたかも知れない。ひょっとしたらその事でぎくしゃくしたかもしれない。やらないで後悔するよりやって後悔した方がマシ。もしそれで上手くいってたら、私に不幸な事件が起こっても最悪の選択をしなかったかもしれない。ワタルさんに泣きながら慰めてもらえたかもしれない。そしてワタルさんとの付き合いが続いていたら、ワタルさんが死ぬのも回避できたかも知れない。避けられなかったとしても一緒に死ねたかもしれない。
でももうそれは過去の、前世での事。今更あの頃に戻れる訳でもない。せっかくこっちに2人とも呼んでもらって、同い年として一緒に歩いていける境遇を与えてもらっているのだから考える必要は無い。だけどやっぱり、ずっと心の中で引っ掛かっていた。あの時、別の手段を取っていれば違う道が有ったんじゃないか。そんな事を考えていた。
先日、目が悪くなったワタルに付き合ってメガネ屋さんに行った。フレーム選びを任された私は、何となく見覚えのある物を見つけてワタルに掛けて見せてもらった。それまでしょっちゅう顔を見てたから、ワタルの顔が微妙に変化しているのに気付かなかった。私が選んだフレームを掛けたら、そこにはワタルさんが居た。思わず声を失って見入ってしまった。前世で飽きることなく見つめていたワタルさんの顔だ。懐かしさと同時に、過去のものとして封印していた後悔が沸き上がってきた。今日はその後悔の念を払拭できる。
ワタルは既に家に帰っている。前もってメガネを掛けて、ワタルさんの顔で待っていてくれている。私もあの日を再現する為にあの日の服装でワタルの家に向かった。通い慣れた道のりだけどやけに緊張して心が早る。
いつものように玄関で出迎えられて、抱き締め合って熱いキスをする。唇を離して改めて顔を見るとやっぱりワタルさんだ。自然と涙が溢れた。
「お願い、今日だけ`ワタルさん´って呼ばせて」
「いいよ。俺は`タカミ´で変わらないけど」
ワタルも分かっている。ワタルの胸に顔を埋める私に、頭を撫でながら優しく言ってくれる。何となくワタルさんの匂いがする気がした。
あの時を再現する為に、食事はワタルの部屋にわざわざ運んで食べた。ワタルさんはワンルームのアパートに住んでいた。キッチンで洗い物を済ませ、再びワタルの部屋に戻り、あの時と同じようにベッドに並んで腰掛けて手を繋ぐ。いよいよ再現ドラマの始まりだ。あの日と同じように家でシャワーを済ませてある。ワタルさんの手を取って私の胸に近付ける。触れる直前でワタルさんが手を止める。私は諦めたフリをして、ワタルさんを押し倒そうと突進する。これもワタルさんはしっかり受け止めて倒す事ができない。一旦離れて妖しい目でワタルさんを見つめ、ポニーテールをほどいてワタルさんの耳元で誘うセリフを囁く。ワタルさんは強引に離れて私の頬を両手で挟んで最後の一字を言わせないようにする。拗ねる私に優しくキスしてくれる。あの日はここで私は諦めた。それまでの私達にとってキスする事が大きな一歩前進だった。キスするだけで幸せだった。それで満足してしまった。
ここまでは台本があるドラマだ。ここからはアドリブで展開させる。
「ワタルさん、本当はシたいんでしょ?さっきも言ったように、私は大丈夫なのよ」
『大丈夫』というのは妊娠しない薬を飲んでいたからだ。今はちゃんと避妊する。
「だからまだ心の準備が・・・」
ワタルも合わせてくれる。
「それ、女の子のセリフよ。女がこんな、ワタルさん好みのカワイイ格好で迫ってるのに。意気地無しね」
「確かにその格好はそそられるよ。ずっと見ていたい。いや、ずっと見てたら我慢できなくなるかも」
「我慢しなくていいのよ。もう私はあなたのモノ。私をワタルさんの好きにしていいのよ。それとも私がワタルさんを好きにしていい?」
「俺はタカミのモノか?」
「ううん、まだ私のモノになってない。だから、私のモノになってほしいの!」
再度ワタルさんを押し倒しに掛かる。今度は成功して、仰向けになったワタルさんに馬乗りになった。マウントポジションだ。これでワタルさんは抵抗できずに私の思うがまま。
「どう?これでもまだ私を拒むの?拒んでも無理矢理ヤッちゃうよ?」
「分かった分かった、降参だ。俺も心を決めるよ。だからお前の好きにはさせない!」
ワタルさんが起き上がって反対に私を押し倒した。服の脱がせ方とか触り方がいつもと微妙に違う。ワタルもワタルさんだった頃を思い出して成りきっていた。
「ありがとう、ワタルさん。ワタルさんでいてくれて嬉しかったよ。前世で結ばれてたらあんな感じだったの?」
「こちらこそありがとうだよ。やっぱりタカミも少しずつ変化してたんだな。こっちで初めての時と同じ格好だったけど、今日見たのはあの頃のタカミだったよ。あっちでできなかった事をやっとできて俺も嬉しいよ」
「もしも・・・ん、やっぱりやめとこう。過去の事はさっきまでだもんね。今度はこっちのワタルがいいな。あ、でもこれからはメガネ掛けたままでしてね。ワタルのメガネ顔ってステキ。惚れ直しちゃった」
「俺からも一つ。時々でいいからポニーテールしてほしいな」
「その好みは相変わらずね」
「ただポニーテールが好きなんじゃない。タカミのポニーテールがいいんだよ」
髪を撫でられながキスした。私の後悔は昇華されて消えていった。
百合華を見ていて、本当に頭の良い人ってこうなんだろうなと思う。講義中、ノートをとるのが速い。そして字も綺麗だ。私は頭の中で整理しきれずに必死で書いて、後で関連性を矢印などで補足して、家に帰ってから清書している。早書きで汚い字。時々自分でも読めない事が有る。だから極めて非効率的だ。百合華のノートを見せてもらうと、前もってそういうフォーマットが有ったかのように初めから整理されている。高校時代の成績は一度も勝てなかった。別に勝負を挑んでた訳ではないが、実力差は明らかだった。クラスでも誰かが訊いてきたら気軽に教えてあげていて、「解りやすい」と評判だった。彼女なら中・高生に教えるのも容易いだろう。事前に真奈さんにはそういった百合華の事を話していたので、家庭教師先にはそれなりにレベルが高く、目標も高く置いている所に割り振られていた。中三の男子だ。私が思う事ではないが、その男子が百合華の美貌と大きめの胸に心を奪われないかが心配だ。
私が受け持つのは高二の女子。それなりの成績だが、もう少しレベルを上げたいらしい。そのコの名前は朝霧楓。5月頃、お小遣いを貯めて真奈さんのカウンセリングを受けたコで、その場に同席したワタルに淡い恋心を抱いている。真奈さんも人が悪いと言うか、数有る家庭教師の依頼の中から彼女を選び、そのコを私に担当させる。別にワタルの事に触れなければ良いのだけれど、女の勘は侮れない。
とは言うものの、裏を返せば私には朝霧楓さんの人となりを予備知識を得られる立場に有る。真奈さんによると、彼女は視野が狭く、妄想による思い込みが激しいタイプ。前世の頃の言葉を借りれば『中二病』に該当する。高二なのに中二病。あまり得意ではないカテゴリーだ。高校の夏休み前に、ワタルに彼女からメールが届いた。5月に会った後にお礼のメールがあって以来らしい。本来は男女間のルールというかマナーとして内容を口外するべきではないが、予備知識を得る為、という事で私に見せてくれた。2枚の写真が添付されていて、中間テストと期末テストの全教科の答案の点数部分を並べて撮っていて、概ね5~10点上がっていた。彼女なりに頑張った結果だった。ワタルは[良く頑張ったね]と返信したらしいが、本人としては不本意な結果だったようで、それで今回家庭教師を親にねだった、という事らしい。親にねだるにあたり、具体的な目標を提示しなければならず、ここら辺りでは一番レベルの高い私の通う大学に設定したらしい。それならば百合華でも良さそうなものだが、百合華には男子を受け持たせるつもりでいたらしい。ファザコンの百合華が中学生に心動かされる事は有り得ないが、百合華が父親やワタル以外の男と2人きりで居る事で多少の心境の変化があるかもしれない。真奈さんは面白がって百合華を『ワタルハーレム』に入れたがっているが、真奈さんなりに百合華のファザコン克服の策を施そうとしているのだろう。その真奈さんは中学生と高校生の2人の女子を掛け持つそうだ。百合華が受け持つ男子中学生よりも、真奈さんが受け持つ女子達が、真奈さんの手で目覚めさせられないかが心配だ。私の中の貴美ちゃんのように。
週2回の家庭教師のバイトをするにあたり、ファーストフードのバイトのシフトを調整してもらわなければならない。その権限も有る琴乃さんに相談した。店内ではわりと仲が良いと認識されている私と琴乃さんが、休憩時に2人で居る事に違和感は無い。
「そう、真奈さんの所で家庭教師のバイトするのね。いいわよ、火曜日と金曜日を外しとく。交換条件として、ふ、ふふっ、ワタルと・・・ふふふっ」
最近になってようやく私に対しての敬語キャラを脱している。しかしワタルの事となると別のキャラが付いてくるようだ。
「嬉しそうね。カレシに満足してないの?」
「いえいえ、前にも言ったようにワタルは別腹だから。で、何回くらい会えるの?」
テーブルを挟んで座っていても脚をモジモジさせているのが上半身にも表れている。
「平日ならいくらでもいいよ。真奈さんは忙しいから被る事は無いと思う。週末は私のモノだから遠慮してね。でも、特殊なプレイするんだったらしょっちゅうだと刺激が無くなるんじゃない?カレシとも会うだろうし」
「カレシは週末にって事で調教してあるから。それにね、最中に違う名前呼んじゃうんじゃないかって事が不安だったんだけど、内容が全然違うからその辺も大丈夫なのよ。年上のカレシに対してはSで年下のワタルにはM。このギャップがたまらないの」
ウットリした目で遠くを見つめる。つい半年前まで抑圧されていた欲望が一気に開放されているようだ。初めての相手によるだろうが、あまり年を取ってから初体験するとこんなになってしまうのか?百合華とはそんな話はしないが、彼女にそんな欲望は有るのだろうか?早めにGOサインを出してあげた方が良いのだろうか?親友として本気で心配になってきた。
いよいよ人に教えるという私の初体験。緊張しながら朝霧家のベルを押した。楓さんと母親が出迎えてくれた。
「初めまして。南ハートケアから来ました西門貴美です。よろしくお願いします」
「お世話になります。こちらが楓で私が母です」
「楓です。よろしくお願いします」
ペコリと頭を下げた楓さんは、ワタルに聞いた話だとショートヘアだったが、今は肩に掛かるくらいに髪を伸ばしていた。やや緊張した表情で、年相応の顔立ち。背は私より少し高いくらい。柄物のTシャツにデニムの短パン。ちょっと細すぎる印象の白い脚。腕も白くて細く、胸も小さくて頑張ってBくらいか。
リビングで朝霧母娘から現状と目標を改めて伺って、私なりの方針を提示した。私の話を私の目を見て真剣に楓さんは聞いてくれて、並々ならぬ決意とやる気を感じた。それに応えるべく、私も気合いを入れ直した。ワタルや真奈さんに聞いていた予備知識では、どこかおどおどして頼り無さげなコだったが、今目の前に居る少女は真っ直ぐ前を見て強い意思を感じる。短期間でこれほど変わるのか?
『楓ちゃん』と呼ばせてもらうことにして、楓ちゃんの部屋に移動してお勉強の始まり。ほんの少しだけ、さっきの真剣さは母親の前でのポーズとの疑いが有ったが、勉強を始めても真剣さは変わらなかった。解らない所を次々と質問してくる。「遠慮しないでね」とは言ったものの、ここまでグイグイ来られるとこっちはタジタジだ。若さなのか、本人の意欲なのか、吸収が早いのが初日にして翌分かる。もっとも、まだこれまでの復習段階なのでこれを基礎として次の段階に繋げなければならない。
時間が過ぎるのが速い。午後イチから始めて気が付けばもう夕方になっていた。途中、少しの休憩を挟んだが、それでもあっという間だった。楓ちゃんの強い要望で次回からは午前中から始めて、昼食をよばれて夕方頃まで勉強する事となった。楓ちゃんは夕食後は学校の宿題をこなすそうだ。あまり飛ばしすぎるのは良くないとは思うが、本人がやる気の有るうちにやらせてあげたいという母親の思いもあって承諾した。真奈さんからは時間について特に制限はされていない。何せ初めての事なのでペース配分が分からない。帰りに真奈さんの家に寄って報告と相談をしよう。私としても、楓ちゃんに教える為に再び勉強しなければならない。気軽に半分興味本意で引き受けたものの、ファーストフードのバイトのように現場で何とかなるものではないと痛感した。百合華の方も気になるが、今は自分の事で精一杯だ。
真奈さんの家に寄るとまだワタルが居た。ワタルの顔を見ると、安心して体を預けるように抱きついた。
「お疲れさん。どうだった?って聞くまでもないようだね」
優しくキスしてくれて頭を撫でながら労われた。
「いや~、想像を遥かに越えるハードさだよ。こっちに来て必死で勉強してた頃の方が楽だったよ」
そう言ってハッとした。まだ入り口に入ったばかりで部屋の中を見てなかった。ひょっとして百合華が来ていたら聞かれてはいけない発言だった。ワタルの肩越しに中を見ると真奈さんが椅子に座っているだけで、他に誰も居なかった。
「百合華はまだなの?」
「あのコは直帰するって。あっちも疲れちゃったみたいね。お茶淹れるから座ってて」
ワタルと並んでベッドに腰掛けた。もたれ掛かる私の肩をワタルは柔らかく抱いてくれる。
「聞いてたのと全然違ったよ、楓ちゃん。髪は伸びてたし、煩悩の欠片も見えなかった。勉強でストレス発散してるようにも見えたな」
「タカミにそう見えたんならそうなんでしょうね。いい傾向じゃない?」
「でもあんなに勉強に打ち込むだけのストレスがあるんなら相当なものよ。次から午前中からってお願いされたんだけど、いいかな?」
「その辺は任せるわ、時間単位の料金じゃないから」
「うん、分かった。ところでワタル、琴乃さんからオファーは有った?」
「いや、一応[権利は得たから覚悟しといてね、ワハハハ]ってメール来たけど具体的には無いよ」
恐らく舌舐めずりしてタイミングを計っているのだろう。
「じゃあ今夜は平日だけど特別に甘えさせて」
「ああ、分かったよ」
ワタルの顔を見上げると優しいキスで応えてくれた。
「まだ始めないで。今日は私が晩ご飯作ってあげるから、そのあとここで3人で・・・」
「じゃあ帰ろうか」
立ち上がりかけた私達を真奈さんが止めた。
「待って、冗談よ。でもご飯だけは食べて行って。久しぶりに3人で食べようよ」
「そうね、じゃあご馳走になろうか?ワタル」
「そうだな、お願いすることにしようか」
疲れた頭にはちょうど良い真奈さんの手料理を味わった。本当は食事の支度も含めてワタルに甘えたかったのだけれど、こうして3人で食べるのが落ち着けた。
今夜は私の家でワタルとイチャイチャタイム。お風呂で体を洗いっこしながら、ベッドで本格的にイチャイチャしたらいい感じにリフレッシュできた。心地好い疲れの中でピロートーク。イチャイチャしてるのももちろんいいが、その後のワタルの腕の中に包まれて話す時が幸せだ。
「楓ちゃんはいい具合に勉強に集中できてるんだな。少しだけだけど関わった身としては嬉しいよ」
「そうね、でもまだ今は先生と生徒って言う緊張関係だから余計な話はしてないけど、慣れてきたらちょっと恋愛話もしてみるつもりよ。どうせ私がワタルのカノジョだってバレるだろうしね」
「バレるかな?」
「女の勘を侮っちゃダメよ。男の人はバレないつもりで浮気しても、パートナーならすぐに見破るのよ。試してみる?私に言わないで真奈さんや琴乃さんとイチャイチャしても当てて見せるよ」
「琴乃さんはお前がアリバイの共犯だから分かるだろう」
「そうだけど、あの人は突然来るかも知れないよ。だってカレシのスケジュールも把握してるんだし、隙間時間を見つけてワタルが内勤してる真奈さんのアパートにだって行けるんだし」
「仕事中はいくらなんでも俺は断るよ」
「お昼は?」
「一応一時間は休んでもいい事になってるけど、その時間帯でも電話は掛かってくるし、それに対応しない訳にもいかないよ」
前世で付き合った男の人とホテルで見たAVを思い出した。事務所で最中に電話で話しながらシてた。ワタルと琴乃さんが真奈さんのアパートであんな風に・・。
「ん?どうした?」
「えっ?ああ、ちょっと想像しちゃった。フフッ、あそこでワタルと琴乃さんが佳境に入ったところで電話が鳴るの。途中で止められないワタルが琴乃さんの口を押さえながら電話対応してて、どっちにも集中できなくなってグダグダになっちゃうの」
「そのシチュエーションだと確かに集中できないな。今度お前が電話してる時にイタズラしてやろうか?」
「じゃあ今から百合華に電話しようか?この時間だとまだ起きてるはずよ」
「冗談だよ。それに百合華はいろんな意味でマズイだろう。そう言えば今日はメール来てないな。さすがに百合華も慣れない事で疲れたのかな?」
それも有るかもしれない。でも百合華の策かもしれない。だとしたらワタルがどう対応するのか見ものだ。
3回目の授業を終えて真奈さんのアパートに行った。別にそう決められてる訳ではないが、楓ちゃんの様子を早くワタルに教えたくて行っている。勉強に打ち込む楓ちゃんの姿勢を教えてあげるとワタルは嬉しそうにしている。まるで親とか親戚のおじさん目線だ。こういうのが仕事のやり甲斐なのだろう。今日は百合華も来るらしい。何やら真奈さんに相談事が有るみたいだ。人に教える事に慣れてる百合華でも中学生相手だと勝手が違うのかもしれない。
「ちょうど良かった、亘にも聞いてほしいの。今日ね並んで座っててペンを落として拾う時に何気に見たら机の裏の所に小さいカメラが張り付けてあったの。ちょうど私の脚の方を向いてて気味が悪かったの。何であんな事するの?」
今日の百合華の服装はTシャツにホットパンツ。綺麗な長い脚がむき出しだ。怒ってるような困ってるような百合華の様子を茶化すつもりは無いが、私達3人は微笑ましく見ていた。思春期の男子の涙ぐましい努力をワタルは懐かしむように聞いている。
「それはね、百合華が魅力的だからだよ。中坊から見たら百合華は眩しすぎてまともに見れないからこっそり撮ってるんだよ」
「私はこの胸をチラチラ見られるのはしょっちゅうよ。百合華ちゃんは男子のそういうところ、理解できない?」
「え、ええ。女子に興味を持つのは解るけど、勉強する為に私は行ってるのにそんな事されたらこっちも集中できないです」
真面目な百合華の気持ちは分からないではないが、自分だってワタルにそういう気持ちが有ることを棚に上げてしまっている。
「でもお勉強はちゃんとやってるんでしょ?そのコにしてみれば一生懸命頑張った自分へのご褒美よ。まあ確かにやり方は陰湿だけど大目に見てあげたら?」
「貴美はいいわよ、エッチな事知ってるんだから。私、まだ知らないのよ!男の人のそういうのに対応の仕方が分からない」
堂々と未経験である事を告白した。知ってる事とは言え、ワタルは少し困惑している。
「そうね、次回からは暑いけど長めのスカートを履くか、面と向かって注意するか、ちょうどカメラが狙ってる所に[ダメよ!]って書いた紙でも貼っておくかね」
「ちょっと待ってくれ。男子目線で言わせてもらうと『長めのスカート』はNGだな。あれだと余計に妄想を掻き立てて逆効果だよ」
「どう言うこと?」
「それはワタルの趣味なんじゃない?」
「亘は長めのスカートが好きなの?」
矢継ぎ早に女3人からの質問がワタルに浴びせられた。
「男子が何故スカートめくりをするか?それは隠れてるものを見たいからだ。例えば今タカミが履いてるくらいの、座って膝が隠れる長さのスカートをこうやって・・」
ワタルが私のスカートを少しずりあげた。
「何よ!エッチ!」
「いいから。太ももが見えたら`おぉ!´ってなるんだよ。今まで隠れていた太ももが見えるだけで興奮する。そしたら今度はもっと奥の下着まで見たくなる。それらを隠していたスカートは容易にめくる事ができるし、男子が手を下さなくても偶発的に、例えば脚を組み替えたりしたらチラリと太ももが見えたりする。だから長めのスカートを履くようになったら、今度はローアングルから百合華の膝辺りを狙ってカメラをセットするだろう。するとさっきも言ったように次はその奥を見たくなる。そうなったらもう勉強どころじゃない。妄想は膨らむばかりでそっちに神経が集中してしまうんだよ。エスカレートしたら今度は上半身にも興味を持つようになって、偶然を装おって触ろうとするだろう。真奈さんならそんな経験が有るんじゃないか?」
ワタルの『男子の主張』は理路整然として素晴らしかった。女子では思い至らない発想だ。
「確かに、私の場合はいきなり胸ね。男子を受け持ったら100%真っ先に胸を見られるわね。もう慣れちゃったけど。私はわざとこの胸を男子の腕に押し付けたりしてからかったりしちゃうけど、百合華ちゃんはムリだよね。で、百合華ちゃんの対策はどうすればいいの?考えが有るんでしょ?ワタル先生」
「そうだな、パンツスタイルでも下着のラインが出るのはマズイな。だから俺が・・いや、男が一番がっかりするキュロットがいいんじゃないかと思う。一瞬スカートのように見えて、実は左右に分かれてたら落胆するよ。裾から脚が見えたとしてもほんの少しだし、偶然めくれるかも、という期待も持てない。男をその気にさせない最強のアイテムだよ」
「何か亘の性癖が垣間見えたみたい。だから貴美はいつも長いスカートなのね。私もこれから長いの履こうかな」
「そう言うんじゃないよ。これは私が恥ずかしいからよ。ワタルを誘う時はミニも履くし下着だけって時もあるよ。まあ私が誘う前にワタルに誘われる事の方が多いけどね」
「そうか、亘を誘う時はミニね。勉強になるわ」
「コラコラ、そこの2人!冗談にしてもとんでもない事言ってるぞ。話を戻して、次回からはキュロットをお勧めするよ。中坊とはいえ男だ。いきなり押し倒す可能性がゼロじゃないんだから。経験の無い百合華は対応できないだろ?真奈さん、その辺の事を教えてやってくれよ」
真奈さんが襲われそうになった事が無いとは思えない。たぶんそういうエネルギーを上手にベクトルをずらして勉強させるんだろう。私も参考にさせてもらいたい。
「なに?百合華ちゃんを心配してるの?」
「亘に心配してもらって嬉しい」
「友達としてだよ」
ワタルの気持ちは良く分かる。例え友達としてでも備えをしっかりしてほしいのだ。もし何か有ったら百合華の周りの人達が傷ついてしまう。自分達のせいじゃないのに激しく後悔してしまう。前世であまりにも無防備だった私のせいでワタルが深く傷ついてしまって、その後悔をずっと引き摺っているから。
その後は百合華も家庭教師の帰りに真奈さんのアパートに寄るようになった。一応は事後報告という名目だが、お茶を飲みながら4人での井戸端会議だ。真奈さんが仕事で出掛けていて居ない事もある。高校時代、百合華の周りには多くのクラスメイトが集まっていたが、これほどざっくばらんに話せる環境ではなかった。
「亘の言ってた事、まったくその通りだったよ。膝上のキュロット掃いていったら、初めはスカートだと思ったみたいで嬉しそうだったけどキュロットだと分かった瞬間、あからさまにがっかりしてたよ。そっちは諦めて勉強に集中してくれたし、亘のおかげよ」
「それは良かった。タカミの楓ちゃんはどうだい?」
「相変わらず順調よ。順調すぎてセーブしたいくらいだよ。二学期になったらみんな驚くんじゃない?」
人に教える事に戸惑いは有ったけど、彼女が私の期待以上の成果を上げつつあるのが嬉しかったし自信になってる。モチベーションの源はワタルの存在だろうが、そのカノジョが教えていると知ったら楓ちゃんはどう思うだろう?言わないでおいた方がいいかもしれない。
「2人ともあと1回か。終わったら3人でご飯でも食べに行こうか。奢るよ」
「真奈さんは仲間外れ?」
「真奈さんからは別に労いが有るだろう。あくまでも俺の気持ちだよ」
楓ちゃんの頑張りが余程嬉しかったのだろう。それに百合華をイヤラシイ目から守れたのもホッとしたのかもしれない。
「だったら私、亘の手料理がいいな。貴美はいつも食べてるんでしょ?だから貴美には改めて奢ってあげて」
「俺はそれでもいいけど、タカミはそれでいいか?」
「いいよ。ワタルにはそれとは別に特別バージョンのサービスを要求するから」
百合華は意味が分かっているのかいないのか、キョトンとしている。
「じゃあ最終日はここに集まってから俺の家に行こう。なるべく早く仕事を終わらせるよ」
そう、早めに食事を終えて、百合華を送っていって、帰ってからワタルに特別バージョンのサービスを提供してもらう。そのつもりが無ければ百合華を家に泊める案を呈示してたはず。さすがにワタルは私の気持ちを理解してくれている。
楓ちゃんの家庭教師の最終日、ここまで私の想像を遥かに超える頑張りを見せた楓ちゃんに、ご褒美という訳ではないが勉強は早めに切り上げて女子トークタイム。「好きな男子は居るの?」と聞くだけ野暮な事を訊くと、思いもよらないカウンターパンチをもらった。
「貴美先生って東堂さんのカノジョさんでしょ?」
「えっ?そ、そうだけどどうして分かったの?」
「初日に`あれっ?´って思って、2回目に確信したよ。だって、仕草とか似てるもん。私の事は東堂さんに聞いてたんでしょ?」
一緒に居る時間が長くなると似てくるものなのか?
「ええ、大体の事は聞いてたよ。私も楓ちゃんの事はワタルに報告したよ。『凄く頑張ってる』って言ったら嬉しそうにしてたよ。だから頑張ったの?」
「ん~、元々頑張るつもりだったけど、東堂さんに言ってもらえるかもって思ったら余計に力が入っちゃった。教えて、東堂さんってどんな人?」
改めてワタルの人となりを考えるのが何だか照れくさい。
「そうね、優しくて頼り甲斐が有って、私の事を大切にしてくれて、そしてエッチ」
「エッチ?」
「やはりその言葉に反応した。
「そうよ、優しくてエッチなの。楓ちゃんにはまだ早いかな?」
「そ、その・・東堂さんのエッチって、どんな・・なの?その、何て言うか、行為としてのエ、エッチって」
耳まで赤くして恥ずかしそうに聞いてくる。女子高生にしたら興味は有ってもなかなか人には聞けないことだ。あまり未経験者の妄想を刺激するのは良くないかもしれないけど、モジモジしてる楓ちゃんが可愛くて苛めたくなる。
「聞いてどうするの?妄想して今夜のオカズにするの?」
耳元で囁くと首まで真っ赤になった。
「そ、そんなこと・・・」
「ん?したこと無いの?私には分かるよ。ワタルの写真、携帯に保存してあるんでしょ?それ見て毎晩独り遊びしてるんじゃないの?」
「毎晩なんて!・・・み、三日に一回くらい・・」
「フフッ、それくらいの息抜きは必要よね。そうだ、頑張った楓ちゃんにご褒美あげる。アドレス教えて」
楓ちゃんの携帯に現在のメガネ姿のワタルの写真を数枚送ってあげた。
「こ、これは!」
「ワタルね、今メガネ掛けてるの。目が悪くなってきてね。今は掛けたり外したりだけど、私の前ではずっと掛けてもらってるの。どう?ステキでしょ?」
「は、はい!ステキです。ありがとうございます!あの・・ひょっとして、・・・スル時もメガネなんですか?」
「もちろんよ」
楓ちゃんは遠くを見つめてミニスカートの裾を握り締めた。ちょっと刺激が強すぎたかもしれない。
「ワタルにオトナにしてもらいたい?」
「はい、あっ、いえ、憧れだけど遠い存在です。貴美先生が居るんだから。私はちゃんと付き合える男の人を好きになってオトナになりたいです。東堂さんにも言われました、誰かが私を好きになってくれるって。そんな人が現れるか、私が誰かを好きになると思います。今はそんな事より、今私がやるべき事をします」
「いいわね、うん。今の言葉、ちゃんとワタルに伝えておくね。どうしてもワタルにお願いしたくなったら遠慮しなくていいよ。楓ちゃんなら許してあげる。じゃあ二学期からも頑張ってね」
「はい、ありがとうございました。わ、亘さんにもよろしくお伝えください。またメールさせてもらいます」
楓ちゃんのこれからの成長が楽しみだ。ツーショットで撮った写真は私の宝物の一つになった。ワタルが初めて仕事として話を聞いた楓ちゃん。私が初めて家庭教師として教えた楓ちゃん。2コしか違わないのに、まるで私達の子供のように可愛くて仕方がない。私とワタルの本当の子供も楓ちゃんみたいに可愛かったらいいな。私ももっと成長しなければ。
真奈さんのアパートに戻って約束通りワタルは早めに仕事を切り上げた。ただ計画と違ったのは真奈さんも参加する。立ち位置としてはワタルと同じもてなす側だ。ワタルと真奈さんが買い出しに行って、私と百合華は先にワタルの家に向かった。ワタルの家に初めて入る百合華はテンションが高い。私の家には来たことはあるが、男の人の一人暮らしの家に入るのは初めてらしい。
自分の家ではないけれど一通り中を案内して、落ち着いたのはリビングではなくてワタルの部屋だ。
「ここで亘が寝てるのね。ねぇ、寝てみてもいい?」
私が答えられる事ではない。答える必要も無かった。百合華は既にワタルのベッドにうつ伏せになっていた。
「あぁ~、亘の匂いがする。なんか興奮しちゃう」
「あんたそういうキャラだったの?この一夏で変わっちゃった?それにそのベッドには私の匂いも付いてるよ」
「もう~、そんな事言わないで。浸ってるんだから。本人の前じゃこんな事できないでしょ?私の匂いも付けとこう。マーキングだー!」
今まで見たことの無いハイテンションの百合華さんは枕に顔を擦り付けた。
「百合華、ひょっとして三日に一回くらいワタルの写真見ながら独り遊びしてる?」
百合華の動きが止まった。そして向こうを向いたまま無言になった。分かりやすい答えだ。
「ワタルのベッドでワタルの匂いを嗅いで、今夜は確定ね。さあ、リビングに戻るよ。もうそろそろ帰ってくるよ」
名残を惜しむ百合華を引き摺るようにリビングに連れていった。
「貴美が羨ましい。あのベッドで亘とあんな事やそんな事するんでしょ?ねぇ、初めての時ってどうだったの?やっぱり痛かったの?」
「ちょっとね、それまでその手前までしてたからそんなでもなかったよ」
「ふ~ん、事前の準備が必要って事ね。私は大丈夫・・かな」
さっきの私の問いに対する答えだ。
「言っとくけど自分でするのとしてもらうのとじゃ全然違うからね。それだけは覚悟しといてね」
「貴美って不思議。私が亘を好きで私の初めてを亘に、って思ってるの知ってて普通にしてる。ヤキモチとか妬かないの?それとももしそんな事があっても亘の気持ちは変わらないって自信があるの?」
「それはワタルが決める事だし、もちろん私はワタルと一緒に居たいよ。私というパートナーが居るのに百合華と浮気したら悔しいって思うかもしれない。でもワタルが居なければこうして百合華と友達になれなかった。逆に百合華が片想いを続ける苦しさが理解できないよ」
慎重に言葉を選んだつもりだが伝わっただろうか?真奈さんの時や琴乃さんの時と違って、ワタルは百合華の事は頑なに拒もうとしている。百合華も三角関係になって今の関係性が壊れるのを怖れている。まだ経験の無い百合華は一線を越える事で、気持ちがどう変わるのかが想像できないだろう。仮に私が百合華に許可を出しても、当のワタルが断固として拒絶したら今度こそ玉砕だ。そうやって傷つくのも人生経験の内だとは思えないだろう。楓ちゃんと違って百合華には目標はワタルしかない。ワタルはたぶん百合華はそのうち諦めて他の男に興味を持つようになる、とでも思っているのかもしれないが、もしそうなるのならもっと早い段階でそうなっていたはずだ。毎日、日記のようなメールをワタルに送るだけで、卒業式以来この間まで約4ヶ月会っていなかったのだから。ここまで膨らんだ想いはそう簡単に萎むものではない。友達として百合華には想いを遂げさせてあげたい。私の恋人じゃなかったら無責任に「取っちゃえば?」なんて事を言えたかもしれない。時間を掛けてワタルを洗脳して、私がタイミングを計ってGOサインを出すしかなさそうだ。
ワタルと真奈さんが帰ってきて料理を始める。2人のキッチンでの共同作業を私と百合華で眺めている。百合華が見ているのはもちろんワタルの背中。さすがに手慣れている2人は手際よく連係して、見る間に行程が進んでいく。
「百合華は家で料理しないの?」
見た目で判断してはいけないが、百合華が家事をこなす姿を想像できない。
「少しね。お母さんに教えてもらったりしてるけど、不器用だから上手にできないの。やっぱり家事一般できないとお嫁に行けないよね」
「そうね、私やワタルは必要に迫られてやってるし、それが特別な事とは思えないけどね。百合華も一人暮らしすればできるようになるんじゃない?一人暮らしはいいよ、自分のリズムで生活できるから。でもお父さんが許さないか」
百合華はファザコンだが、父親も一人娘を手離したくないだろう。直接見たのは高校の卒業式の日だけだったが、娘に向ける優しい眼差しと、話し掛ける男子に向けた厳しい視線が物語っていた。
「いつかは親離れしなきゃいけないんだけど、まだお父さんと一緒に居たい。一人暮らしかぁ。一人だと自分の好きにできるんだよね。でもちょっと恐いかな」
そう言ってまたワタルの背中を見つめた。百合華の『恐さ』は一般的な女性の一人暮らしの『恐さ』なのか、それとも自分の気持ちが暴走するかもしれないという『恐さ』なのか。恐らく後者だろう。彼女の頭の中で論理的に整理しきれないのだろう。父親以外の男性に初めて恋心を抱いたのがつい1年ほど前で、告白して断られても諦めきれないでいる自分自身に戸惑っているようにも見える。
そうこうしてる間に料理が出来た。既に料理に使った鍋やフライパン等も洗い終えて、キッチンの掃除も終わってる。私達には普通の事だが、百合華には信じられないみたいだ。
「亘って私のお母さんより家事ができるんじゃない?帰ってくる前に家の中見させてもらったけど掃除もちゃんとしてるし、さすがにタンスの中は見てないけどキチンと整理できてるんでしょ?凄いな」
「まず料理を誉めてもらいたいけどね。家の中はお客さんを迎えるんだから念入りにやったよ。普段はここまでやらないよ」
「いや~、そうやって謙遜するのもオトナだな~。それにしてもこの短時間でよくこんなに作れるね」
テーブルに並べられた大皿には手の掛かる煮物や炒め物から彩り鮮やかなサラダまで、大盛りに盛られている。
「今日はダイエットは気にしないでたくさん食べてね。まだ寝るまでには時間があるでしょ?それに食べた分消費すればいいんだから。タカミは足りないくらいかな?百合華ちゃんはどう?」
「私は・・・」
「そんな事訊くなよ。さあ、食べよう」
ワタルの合図で食事会が始まった。私には食べ慣れた味。百合華はどうだろう?
「あっ、おいしい!これは体重なんて気にしてられない」
次から次に自分のお皿に取ってモリモリ食べる百合華を見て、ワタルも真奈さんも満足そうだ。私はちょっと悔しい。真奈さんはまだ良いとして、ワタルの料理をこんなに美味しそうに食べられたら女子としては対抗心が湧いてくる。今度は私の作る料理も食べさせたい。百合華は食べながらも作り方を熱心に訊いている。男性に手料理を食べさせたいという女子の本能が呼び覚まされたのかもしれない。その相手はもちろんワタルだ。私もワタルに私の料理を食べてもらう事に、女としての喜びを感じている。ワタルも私に自分の作った料理を食べてもらう事が嬉しいと言っていた。要は好きな人に奉仕することが人としての喜びなのだろう。
食べ終わると、私はお礼の意味も込めて後片づけ。もっとも、作らなかった方が片付けるのが、私とワタルの間に自然に出来たルールだ。今日はゲストという形の百合華にはソファーでくつろいでもらっている。
「ちょっと調子に乗って食べ過ぎちゃった」
「たくさん食べてもらって作った俺にとっても嬉しいよ」
「私もよ、私のカレシはね、あまり食べないのよ。だから時々ここやタカミの家でたくさん食べるこの人達に作ってストレス発散してるのよ」
「カレシ居るんですか?あっ、真奈さんなら当然ですよね」
「今は遠距離だけどね」
「いいなぁ、私も欲しいな~」
「でも好きなのはワタルでしょ?」
「ど、どうして!?」
「分かるわよ、私は専門家よ。百合華ちゃんの態度に出てるわよ。そうそう、ワタルは百合華ちゃんの前でメガネ掛けたこと無いでしょ?どうして?」
「亘、メガネ掛けてるの?」
背中を向けているが3人の様子が手に取るように分かる。今ワタルは真奈さんに`余計な事言うなよ´って顔をしているだろう。
「ああ、ずっとパソコンの画面を見てたらちょっと視力が落ちてきてね。あまり掛けないようにはしてるんだけどね」
私はワタルのメガネ姿に前世のワタルさんを見た。それは40才の彼で、十分な大人の顔だ。一般的に言うと老けて見えるという事で、それは真奈さんも認める所だ。ファザコン≒オジサン好きだとしたら百合華にはど真ん中。増してそれが大好きなワタルだったら一気にヒートアップするかもしれないから、敢えてワタルは百合華にメガネ姿を見せていなかった。
「ねぇ、掛けて見せてよ。見たいな~、亘のメガネ」
百合華には想像できていない。ただの好奇心で無邪気に言ってるだけだ。ワタルのメガネ姿を見て百合華の気持ちがヒートアップしたら、私と真奈さんでワタルを説得するしかない。真奈さんもそのつもりで話をしたのだろう。百合華がどういう反応をするのか、興味というか確認したくて私もけしかけた。
「見せてあげたら。どうせいつかは見せる事になるんだから」
「お前まで・・あ、洗い物は終わったのか?」
「終わったよ。後は食欲の次の欲を満たすだけよ」
「私も、ワタルのメガネ姿がセクシーで好きよ」
「セクシーなの?ますます見たいな~」
3対1でワタルに勝ち目はない。それにここであまり頑なになるのもおかしいのでワタルは折れた。開き直って私達に背を向けてメガネを掛けて、ポーズを付けながら振り返った。
「「キャー!ステキー!」」
私と真奈さんはアイドルに掛けるような声を出した。百合華を見ると、潤んだ瞳で口を両手で押さえて、まるで時間が止まったようにワタルを見ている。
「わ、亘・・・」
そう呟いて、何かに引っ張られるようにゆっくり立ち上がった。予想以上の反応で思わず呆気に取られてしまう。
「立ったついでにハグしてもらえば?」
真奈さんの言葉に、まるで催眠術にでもかかったようにワタルの所に歩み寄る。いや、言われなくてもそうしたかもしれない。意識が無いように見える。開き直っているワタルは百合華に近付いて彼女の目を見つめた。百合華はそこで意識が戻ったように、急激に赤面した。
「は、恥ずかしい・・」
俯いてワタルの視線から逃れた。
「写真撮ってあげるからちゃんとワタルの目を見て」
真奈さんはノリノリだ。以前私にワタルへの想いを指摘された時には今の百合華と同じようになっていたのに、他人事だとすこぶる楽しそうだ。恐る恐る顔をあげる百合華の腰にワタルが手を回した。百合華は自然と目を閉じる。いよいよ百合華のファーストキスか、と思ったがワタルはそれに応えない。美しい百合華に身を委ねられても応えないワタルの精神力は、例え私や真奈さんがこの場に居るとしても大したものだ。待っていても唇が触れない事に気付いた百合華は目を開けて、照れ臭そうに笑ってワタルを見た。
「いや~、参ったな。写真撮ったの?」
「安心して、ちゃんと百合華ちゃんの携帯で撮ったから。ほら見て、見つめ合ってるいい写真よ」
私も覗き込んで見せてもらった。確かにそこには美女とオジサンが見つめ合ってる、羨ましくなるほどの2人が写っていた。生活感丸出しの背景を除いて。
「ね、もっと撮らせて」
「そんなに良いのか?これから百合華の前でもメガネ掛けるからそれでいいだろ?」
「いいじゃない、撮らせてあげれば。オカズ用でしょ?百合華ちゃん」
「はい!あっ、」
つい正直に答えてしまって赤面する百合華が可愛い。私は既に何枚か保存してあるから今更だけど、真奈さんも撮りだしたからついでに私も撮った。
「なんで俺の撮影会になるんだよ!いい加減にしろよ」
そう言いながらも私達の求めるポーズを取ってくれる。3対1じゃ勝ち目が無いと諦めている。百合華がハーレムの正会員になる日も遠くないと思う。