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南海インベーダーズ  作者: あるてみす


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根の国、底の国

 岩に刻まれた文字を、丹念に指の腹でなぞる。

 愛する女性の首筋の如く、情欲を押さえ切れぬ相手の太股の如く、何度となく。底冷えする湖水に没している岩の冷たさが全身に染み渡った頃、高ぶっていた神経が落ち着いてきた。同時に盛りが付いていた男の部分も収まり、どくどくと脈打つ鼓動も平常時に戻った。

 ごぶり、と肺に残っていた空気を吐き出してから、湖水に溜まっている酸素を気管支を通じて吸収する。エラは付いていないので排水が面倒だが、そのためだけに皮膚を切り裂いてしまうと後が面倒だ。その傷を塞ぐために余計な体力を使ってしまうし、地底湖の澄んだ湖水が自分の血で濁ってしまう。蛋白質と硫黄と鉄分と多数の有機物が入り混じった体液の匂いは我ながら強烈なので、湖水に漂う彼女の残滓が塗り潰されてしまいかねない。今一度、口を開けて湖水を吸い、湖底に淀む過去を味わった。

「ハツよ」

 ぐぶ、と口の端から湖水を噴き出しながら、竜ヶ崎全司郎は石造りの社を見渡した。

「今しばらく、待っていておくれ。やっと、お前を迎えに行けるのだ」

 八百マデ數エルモ、ソノ先ハ數ヘマホカラズ。女の腕力で分厚い石の壁に刻み込まれた文字は薄く、形もいびつなので読み取りづらい。天井近くに刻まれているのは、水中で浮かびながら刻んだからだろう。御丁寧に鳥居まで備わっている石の社の床には、何百年も前に削り取られた石の粉が堆積している。

 社の中にはハツが使っていた物が今も尚手付かずで残されていて、欠けた食器や折れた箸、ゴザを敷いただけの粗末な寝床、水を吸って文字が読み取れなくなった経文が没していた。日差しにも曝されなければ、腐敗もしなかったため、それらは当時の面影を一切損なっていなかった。竜ヶ崎はハツの寝床だったゴザに手を添えると、ふやけきった藁が途端に解れた。

 一ノ瀬真波の生体組織を中和剤として摂取したおかげで、竜ヶ崎の肉体はようやく波号の肉体を己の一部として認識してくれた。波号に融合しているヴィ・ジュルが竜ヶ崎の生体認証情報を削除していたせいで、免疫が拒絶反応を示してしまい、波号の能力はおろか生存活動すら危うい状態だった。だから、真波の居所を突き止めて内股の肉を食い千切った。波号を産み落としたこと以外はこれといって役に立たない子孫だと思っていたが、こんなところで役に立つとは、生かしておいた意味があった。

 ニライカナイに至るためには、波号の生体情報を完全に融和させた上でワン・ダ・バの生体組織を摂取して肉体を水増しし、情報処理能力を上げなければ、膨大な距離を一瞬で超越する次元乖離空間跳躍航行技術は上手く使用出来ない。戦い続けてきた肉体が疲弊していたこともあり、竜ヶ崎は変異体管理局の保養所が建っている慶良間諸島の無人島に瞬間移動した。公安の目もここまで届いていなかったらしく、監視されている様子はないが、見つけられるのは時間の問題だ。二日、いや、一日でも時間を得られれば体を改造出来る。そして、ニライカナイへ。

「ああ……」

 次元と空間を越えた先の、まだ見ぬ母星。その地で長らえているハツが出迎えてくれる様を思い描いただけで、竜ヶ崎は身悶えするほどの愛おしさが溢れ出した。ハツは宇宙だ。ハツこそが命だ。ハツだけが愛だ。

 両腕を曲げてがりがりと上腕を引っ掻き、尻尾をぐねぐねと曲げる。湖水が滲みる単眼を瞬かせ、体の奥底から込み上がってくる性的衝動に息を荒げる。甘き娘の味が舌に蘇り、優しき匂いの錯覚が鼻腔を抜け、柔らかな肉の手応えが腕の間に。反り返る尻尾を岩に突き立てると、洞窟全体を成している石化した竜の肉片、すなわち、ワン・ダ・バの肉塊が赤黒い肉の姿を取り戻した。無造作に食らい付いて貪りながら、竜ヶ崎は肩を揺すって笑った。

 理想郷は、目の前だ。



 地球時間に換算して、二万年前。

 ゼン・ゼゼは、朧な意識を成した。覚醒した瞬間から自分が何なのか理解していた。惑星ニルァ・イ・クァヌアイを主とする宇宙規模の侵略国家ナガームンに属しているイリ・チ人の科学者、ゾゾ・ゼゼの生体分裂体であることを。侵略国家ナガームンの歴史、形態、組織、規模も考えずして理解した。

 ナガームンとは、単眼甲鱗人であるイリ・チ人が構成する国家であり、惑星ニルァ・イ・クァヌアイではそれほど権力も地位も高くはない国だったが、数百年前に自国の領土に墜落した巨大宇宙怪獣を解剖し、研究したことによって歴史は激変した。

 ナガームンは以前から発達していた生体改造技術を目覚ましく発展させ、宇宙怪獣の生体組織を利用した宇宙怪獣戦艦の開発を皮切りに、宇宙航行技術は確立していたが頭打ちだった宇宙進出を遂げたばかりか、理論は出来上がっていたが汎用には程遠かった恒星間跳躍航行技術を完成させ、領土拡大を図るために外宇宙に攻め入っていった。

 その結果、惑星ニルァ・イ・クァヌアイはナガームンの独裁状態となり、生体改造技術に長けたイリ・チ人は他の種族を容易に生体改造して配下に置くようになった。だが、それだけでは飽きたらず、好奇心と欲望のままに宇宙怪獣戦艦で外宇宙に繰り出しては、単細胞生物が増殖するように他の星系を侵略しては国土を拡大する侵略国家となった。

 覚醒したゼンは、粘液がまとわりつく単眼を開いた。柔らかな肉の中からずるりと長い尻尾を引っ張り出し、前に踏み出すと、ゼンの周囲を包んでいた泡が爆ぜて内用液が溢れ出した。鼻腔から吸った空気で肺を膨らませると、硫黄の匂いが立ち込める。足元を這い回る太い管は絶え間ない重低音と共に脈打ち、体液をどこかに送り届けている。脳に酸素と硫黄が回るのを待っていると、剥き出しの鼓膜に足音らしき空気の振動が届いた。

「お目覚めですか?」

 ゼンの傍らに、ゼンと全く同じ姿の男が立っていた。当然だろう、この男を元にしてゼンが産み出されたのだから。紫の肌に長い尻尾と赤い単眼を持つイリ・チ人の男は、尻尾の先で脈打つ管を刺激すると、ゼンの足元に溜まっていた内用液が消え失せ、爆ぜた際に辺りに飛び散った泡の破片も消えた。

 男の背後に単眼の焦点を合わせてみると、足元の管よりも遙かに太い管が森を作っていた。どれもこれも赤黒い色合いで、鈍色の光沢を帯びていたが、何本かは青黒い色合いをしていた。赤黒い森の手前では、硫黄の匂いの根源である湖が浅く波打っていた。湖の周囲には原色の植物が生えていて、イリ・チ人が好んで食する果実が熟れていた。

 居住臓器だ、とゼンは認識した。イリ・チ人は宇宙怪獣戦艦を開発した際に居住区となる内臓を生まれ持つように改造し、果実の種も内臓の内壁に埋め込み、適度な養分を吸収して育つように生体操作されている。内圧も空気も湿度も光量も何もかも、イリ・チ人に適した空間に仕上げられている。

 この居住臓器の役割は食料の生産と空調が主立ったもので、科学者であるゾゾ・ゼゼの研究施設となる居住臓器はまた別にあり、そちらは珪素生物ばかりが生えているのだ、と、ゼンは認識した。ゼンが産まれた生体プラントは植物の群れと併設されていて、ゼンが今し方まで埋もれていたのは肉の花だった。赤黒くも艶めかしい花弁が幾重にも広がり、泡の内用液が滴り落ちる中心には外殻のない卵が収まっていて、ゼンと肉の花を繋げていた管が垂れ下がっていた。

「あなたの名は……そうですね、ゼンです」

「ゼン」

 ゼンがゾゾの言葉をなぞると、ゾゾは頷いた。

「ゼン・ゼゼ。それが、私の生体分裂体たるあなたの名です」

 ではこちらに、と、ゾゾは目覚めたばかりのゼンを隣接した居住臓器に促した。内臓同士を接続している太い管を通ると、かすかに波打っている内壁がざわめき、ゾゾとゼンは自動的に進行方向に運ばれた。小川のように一筋の体液が端を流れ、小さく水音を立てている。光源はなかったが、双方の居住臓器から発せられる赤っぽい光が充分な視界をもたらしてくれていた。

 二人を運んでいた管の繊毛運動が収まると、もう一つの居住臓器に到着した。ゾゾが先に踏み込んだので、ゼンも続く。先程の居住臓器にはなかった硬さが足元に伝わり、空気も全体的に冷たく、光の色合いも青味掛かっている。居住臓器の至るところから六角柱が生えていて、赤、青、緑、と透き通った原色が重なり合っていた。ゾゾの研究施設らしき珪素の小屋は、六角柱を円形に並べて組み立てたもので、居住臓器の中心に建っていた。ゾゾは一足先に小屋に入ると、六角柱を切断した椅子に腰掛け、ゼンも座らせた。

「この五十ミグイほど、私は一人でしてねぇ」

 ゾゾは雫型の果実の殻の器に水差しを傾けて塩酸溶液を注ぎ、ゼンに渡してきた。

「五十ミグイは長い」

 そう呟きながら、ゼンは塩酸溶液を口にした。強い刺激が舌と喉を焼き、内用液が残る胃に入るとじんわりと熱を帯びた。胃の形状が解るほどの熱量に若干不安になったが、内用液と胃液に混じり、馴染むとおのずと熱も消えていった。

 ミグイとは惑星ニルァ・イ・クァヌアイが一公転した周期の単位で、地球時間に換算して一千年に相当する。つまり、ゾゾは五万年も一人で過ごしていた計算になる。膨大な年月を怠惰に過ごすのは長命のイリ・チ人の習性としては珍しいものでもないが、五十ミグイはさすがに長すぎる。余程孤独を愛しているか、もしくは長期の侵略作戦を行っているか、のどちらかである。

 だが、ゾゾは軍人ではなく、生粋の科学者だ。紫の肌はイリ・チ人の知的階級であることを示す証で、赤い単眼は文官の証だ。研究に没頭していたにしても、宇宙怪獣戦艦の駆動に欠かせない反物質の調達や母星への定期報告を行うはずだが、至近距離で感じるゾゾの脳波にはそれらの記憶はなかった。そして、記憶には蓋がされていた。記憶中枢に触れようとすると、生体電流が乱れて読み取れなくなる。

「生憎ですが、それは軍事機密なのです」

 ゼンが記憶を読み取ろうとしたことを感知したのか、ゾゾは少し笑い、塩酸溶液を啜った。

「私にはその記憶は搭載されていないのか?」

 ゼンが問うと、ゾゾは指先で側頭部を小突いた。

「残念ながら。私はナガームン軍総督閣下であるジジ・ズズより密命を受けておりまして、恒星間航行技術に代わる新たな技術を開発する任務にあるのです。ですので、生体分裂体と言えども、教えるわけにはまいりません」

「それを完成させれば、どうなるんだ」

「我らが祖国、ナガームンの侵略する速度も規模も飛躍的に向上するでしょう。さすれば、私の科学者としての地位も安泰です。この先何百ミグイが過ぎようとも、私の生体情報は処分されずに優れた科学者を産み出すための基礎情報として活用されることでしょう。ああ、ぞくぞくします」

 ゾゾは単眼を細めながら、塩酸溶液を揺らす。ゼンは塩酸溶液をもう一口啜り、尋ねた。

「では、その技術はどこまで開発出来たんだ?」

「そう、それなんですよ。理論は完璧なんですよ、理論は」

 ゾゾは尻尾の先を上げ、ぱしんと神経質な仕草で珪素の壁を叩いた。ゼンが何の気なしに音源を辿ると、ゾゾの叩いた珪素の壁には隙間なく計算式が書き込まれていた。ゼンの脳にはゾゾの知識もたっぷりと詰まっていたので難なく解読出来たし、ゾゾの理論の正しさも理解し、足りていないものもすぐに見当が付いた。

「乖離可能空間を発見出来ていないのか」

 ゼンが答えると、ゾゾは頷いた。

「ええ、そうです。この技術は空間そのものを使用しますから、乖離可能空間がなければ実験しようがありませんし、一定の条件を満たしていなければ、どれほど実験したところで反物質の無駄遣いで終わってしまいます。ですので、ゼンには乖離可能空間を見つけ出して欲しいんです」

「と、言うと」

「ゼンはワン・ダ・バのゴ・ゼンとして作りましたので、ワンと合体した状態で空間を調べて頂ければ、それほど時間を掛けずに見つけられるかと。そうですね、十スットゥミグイ程度で」

「十スットゥミグイは短くはないか」

 スットゥミグイは惑星ニルァ・イ・クァヌアイにおける一日であり、地球時間に換算すると四十年に相当する。

「というか、総督閣下から言い渡された研究の期限が十スットゥミグイなんですよ。だから、ワンにもゼンにも出来る限り急いでもらいたいのですよ。あなたを作った理由も、そこにありましてね。私が生体接続しても良いのですが、私はゴ・ゼンではありませんから、作業効率は上がるどころかワンに異物反応が出てしまうんです。ですから、ゼンはゴ・ゼンとして作ったんです」

「そうか。ヴィ・ジュルは何機が使用可能だ?」

「現時点で運用可能なのは、この十機です」

 ゾゾは珪素の柱に触れて板をずらし、その中から赤い球体を十個取り出した。

「その間、私もカ・ガンを使ってあなた方の観測を補助しますし、それだけあれば充分だと思いますよ」

 ゾゾはゼンの手の上に十個の赤い球体を載せると、別の柱から平たい円盤を取り出し、鏡面に触れた。

「ゼンと生体同調率の高いヴィ・ジュルは、取り込んでおいて下さい。その方が生体接続率も演算効率も上がりますから、乖離可能空間を発見するのが容易になるはずです。では、よろしくお願いしますよ、ゼン」

「今からか」

「ええ、もちろん。あなたの出来は保証しますとも、この私がね」

 ゾゾはにたりと単眼を細めると、塩酸溶液の入った器をくるりと回した。ゼンの腰掛けている六角柱の側面から、きしきしと軋みながら珪素生物の触手が伸びてきた。ゼンは塩酸溶液の残る器を珪素のテーブルに置くと、珪素の触手が頸椎に突き立てられ、ゼンの神経に直接珪素回路が接触した。それはワン・ダ・バが内部操作用に使用している触手で、ゼンの脳内に、ワン・ダ・バが見ている景色や肌で触れている宇宙空間の様子が流し込まれてきた。産み出された時点でゾゾの知識があらかじめ与えられているとはいえ、脳を行使した時間は皆無なゼンにとっては過剰な刺激だった。胃を焼き付かせる塩酸溶液の刺激も相まり、全身の神経と細胞が隈無くざわめくような感覚に陥ったゼンは体を折り曲げた。ゾゾは器をテーブルに置くと、立ち上がり、悠長に尻尾を振った。

「では、頼みましたよ」

 そう言い残し、ゾゾは珪素の小屋を後にした。その間にもゼンはワン・ダ・バに浸食され、完成して間もない肉体に珪素の楔が突き立てられる。最も敏感な尻尾の尖端には針の如く尖った触手がねじ込まれ、単眼の裏の視神経も珪素の触手に断ち切られてワン・ダ・バの視神経と直結させられる。

 痛みを感じている暇もなく、ゼンは珪素の触手によって引き摺られていった。研究施設である居住臓器と他の臓器を接続している管の中を運ばれ、体液と血液と粘液にまみれながら進み、ワン・ダ・バの内へ内へと向かっていく。

 大動脈を泳ぎ、肺の間に収まる脳を一巡し、肋骨の内側を抜け、脊椎を辿り、頸椎に沿って上昇し、感覚器官が集中している頭部に到達する。ゼンを運んでいた珪素の触手が断ち切られると、ゼンは頭部に集中している神経の束にめりこみ、手足も尻尾も自由を奪われた。触手よりも一回り太い肉の筋がうねると、細分化し、ゼンを隙間なく包んで分厚い肉の中に引き摺り込む。

 出来上がって間もない肉体を溶解されると、今度は同じように血流に乗って運ばれてきた珪素回路が次々にゼンの溶けた肉体に突っ込まれ、馴染まされる。十個のヴィ・ジュルを得たことで演算能力も思考能力も数万倍に拡張したゼンは、ワン・ダ・バと意識を同調させると、宇宙怪獣戦艦の巨大な単眼を開かせた。銀河系の端なのだろう、視界に入ってきた暗黒空間には目映い光の川が横たわっていた。

 近くの恒星から発せられる放射線が、プラズマを帯びて輝く。暗黒物質に入り混じる微細な反物質は数百万光年も先で発生した超新星がもたらしたものだ。真空の世界は冷たいが絶え間なく飛び交うエネルギーは熱く、この星系を律している恒星が作る重力は神経をひりつかせる。デタラメな電波を感じ取るたびにワン・ダ・バの脳波が小さく跳ね、刺激に喜んでいる。ワン・ダ・バも、長きに渡る旅に退屈しているのだ。

 ゼンはゾゾの生体分裂体ではあるものの、ワン・ダ・バの生体部品として産み出されたものだ。生体部品は一定の思考能力と自我は持つが、個性は持たぬように設定されている。

 本来、生体分裂体は生体情報の持ち主の予備の肉体として作られるものであり、脳を収めるためのスペースを確保するために脳も備わっているが、大抵はすぐに切除されるので知能も自我も持たないように設計されて、脳内伝達物質も少なく、神経も必要最低限で、脳細胞自体も脆弱だ。

 今回はゾゾの目的が目的なので、脳の強度も上げられてそれ相応の知識と知能を与えられたが、役割を終えたらワン・ダ・バの内に戻される。ワン・ダ・バと一体化しているゼンは、ワン・ダ・バの脳から生体分裂体の製造履歴を照会してみると、これまでにも何度か生体分裂体が産み出されてはワン・ダ・バの中に戻されている。それは失敗作であったり、ゾゾが与えた役割を満足に終えたからであったり、事故で致命的な損傷を受けたり、と様々だったが、どの生体分裂体も例外なく死んでいた。だが、それについてゾゾは何も感じない、と、ワン・ダ・バを通じて知った。

 それは当然だ、イリ・チ人は生体分裂体に死を与えることで己の死を回避し、怠惰な生を満喫する種族なのだから。生殖能力を持たないのも、単純に進化の過程で失われたからではない。生殖活動を行って子孫を成すよりも、優れた遺伝子を選り分けて生体分裂体を造る方が、余程効率的だと理解しているからだ。手間も暇も掛かるが、それを何百ミグイも繰り返してきたので本当の優良種だけがイリ・チ人という種族を構成している。

 ワン・ダ・バが蓄積しているナガームンの歴史と、己の生体情報を重ね合わせたゼンは、己が大した優良種ではないことを認識した。だから、乖離可能空間を発見次第、ワン・ダ・バとの合体は解除されずにそのまま吸収されてしまうのだろう。痛みもなければ苦悩もなく、悔恨もなければ哀切もない。単なる部品に自我は不要だからだ。

 それから、五スットゥミグイが経過した。ゼンはただひたすらに、ワン・ダ・バに至る無数の情報を計算し、空間の密度、空間に含有する物質の量、空間に集積する重力を解析し、乖離可能空間を発見しようとした。だが、思ったように効率が上がらない。調査宙域を変えてみても結果は変わらず、八スットゥミグイを過ぎた頃からゾゾが焦れてきた。それまでは不干渉だったゼンに対して直接命令を下すようになり、カ・ガンによる遠隔操作でゼンの生体電流が調節されたが、やはり変わらない。

 時間ばかりが無益に過ぎ、十スットゥミグイを越えた頃、ワン・ダ・バは恒星間跳躍航行技術を少々失敗して通常空間に出た際に水素融合式推進孔を負傷した。対重力制御を損なった状態で近隣の惑星の重力に引かれたワン・ダ・バは、大気圏摩擦で頭部を欠損しつつ落下した。

 それが、地球だった。


 

 墜落してから、幾多の年月が過ぎた。

 ゼンが意識を取り戻すと、ワン・ダ・バは姿を変えていた。酸素と水素と窒素が豊富な空気は物足りなく、脳内に硫黄が回らない。見慣れぬ色合いの植物が蔓延り、宇宙怪獣戦艦の巨体を覆い尽くしている。有機と無機の混じる堆積物がうずたかく積もり、ワン・ダ・バの胴体は火山に貫かれていた。生体活性が万全ではない肉体は重く、意識もまだ定まっていなかったが、ゼンは己の機能を理解していた。ワン・ダ・バを再起動させなければ。

 茶色の土には硫黄は乏しく、緑色の植物は柔らかく、ゼンの記憶に中にある故郷とは異なっていた。実体験ではないので、厳密には故郷とは言えないかもしれないが。

 太く硬い幹は土に近い色合いで、広葉の隙間から注ぐ恒星の光は紫外線がかなり弱まっていた。可視光線が青に限定されるほど大気圏が分厚いために、宇宙線がほとんど弾かれているようだ。足元には湿った落ち葉が積み重なり、踏み締めるたびに泥水がぐじゅりと滲み出す。

 重力は軽く、自重も本来のものと大差はない。だが、致命的に硫黄が足りない。そのせいで数分歩いただけで息が切れ、ゼンは尻尾を垂らして座り込んだ。腰を下ろした倒木からは小さな現住生物が飛び出し、素早く逃げ出していった。

 硫黄さえあれば、呼吸も楽になるのだが。ゼンは生体情報を改造しようと尻尾を上げたが、ゾゾの記憶の中にあるはずの生体改造技術が欠けており、掲げた尻尾をどこに突き立ててどうすればいいのか解らず終いだった。ゾゾは記憶を与えてくれたと言っても、必要最低限に過ぎなかったのだ。

 生体部品は科学者ではない。だから、技術など持っている意味がない。程なくしてゼンはそう理解したが、息苦しさだけは耐えられない。懸命に空気を吸って肺を膨らませても、硫黄が足りない。だが、動かなければ。

 ゼンは這い蹲り、水を含んだ枯れ葉が溜まった地面の腹を擦り付けながら、かなりの時間を掛けて木々の間を抜けた。枝葉が途切れると頭上から鮮烈な日差しが降り注ぎ、塩の匂いが鼻腔に滑り込んできた。

 ざあざあと波音が聞こえ、驚くほど青ざめた海が眼下に広がっていた。宇宙の暗黒とも、居住臓器の赤黒さとも、珪素の色とも異なる、鮮やかな色彩だった。赤い単眼を見開いて凝視していると、有機的な潮風に混じって慣れた匂いが届いた。それは、ゾゾの匂いだった。

 日差しの下で体を温めたゼンは、長い時間を掛け、生体改造は出来ずとも硫黄が極端に少ない空気を吸気して脳内硫黄を僅かばかり得られた。起き上がれるほどに回復した頃には、高い位置に浮かんでいた恒星が水平線に没して辺りは暗くなっていた。

 原始的な虫の鳴き声が草むらの至るところから聞こえ、小さな虫が羽ばたいて視界を遮る。中にはゼンの血液を吸おうとした虫もいたが、分厚い肌に口を突き立てられずに退いていった。この惑星の衛星に反射した陽光は青白く、昼間のような暑さはない。だが、光量としては充分だ。

 単眼の瞳孔を拡張させたゼンは森に沿って海岸沿いを歩き、ゾゾの匂いの発信源を目指した。足の裏に触れる砂は硬いが珪素の硬さではなく、カルシウムの凝結物に似ていた。衛星の反射光を帯びてほの白く光る砂浜に、同じ顔の男が立っていた。

「おや、ゼン。御無事でしたか」

 ゾゾはゆらりと尻尾を振って振り向き、携えていたカ・ガンを操作した。

「ここはどこなんだ」

 ゼンが問うと、ゾゾはカ・ガンを擦って滑らかな平面に表示される計算式を見た。

「それがですねぇ……。乖離可能空間には打って付けの宙域なのですが、何分、母星からは遠すぎまして、連絡の付けようがないんです。近くの宇宙には恒星間航行技術を使用した痕跡もないですし、どうやら、我らナガームンの手が及んでいない星系だったようです。少々硫黄の量は少ないですが、私の生存活動には問題はない環境ですし、救難信号を発信し続ければ、いずれ他の宇宙怪獣戦艦が感知するでしょうが、いつになることやら」

「墜落してから、どれほどの時間が経過したんだ」

「ワンの頭部も欠損していますし、脳も休眠状態にありますので、正確な時間までは割り出せませんが」

 ゾゾはカ・ガンをなぞって新たな計算式を表示させ、考え、答えた。

「単純計算で、十ミグイは経過していますね。この星の公転周期も自転周期も恐ろしく早いので、ワンの体内時計がすっかり狂っているので計算は完璧とは言い難いですが、ワンの体の上に蓄積した有機物と植物の成長の度合いから見て、スットゥミグイ程度の時間ではありませんね。となると……任務は失敗なのでしょうか」

「そうなのか」

「そりゃそうですよ、総督閣下が命じた研究の期限は十スットゥミグイなんですからね。ですが、このまま任務を放棄するのは気分も良くありませんし、総督閣下がどう思われるやら。期限は当の昔に過ぎてしまいましたが、やるべきことはやらなければなりませんね。しかし、ワンの欠損部分が多いですね。自己再生能力を使うにしても、ワン自体のエネルギーが欠けていますし、頭部は換えが利きませんし、縫合手術をするにしても時間が掛かります。となると、ワンの肉片を探してきて頂いた方が手っ取り早いかもしれませんね。ですので、ゼン」

 ゾゾはおもむろに尻尾をゼンに突き立てると、その腹部を切り裂き、ヴィ・ジュルをごろごろと摘出した。

「近隣の陸地や海底に沈んでいるであろう、ワンの肉片を回収してきて頂けませんか」

「ヴィ・ジュルで何をする気だ」

 ゼンは痛みを感じていたが顔には出さず、淡々と切り裂かれた腹部を押さえて傷口を塞いだ。

「ワンの生体電流を増幅させて、どうにか連絡するんですよ。よろしくお願いしますね」

 ゾゾはゼンの体液が絡み付いた十個のヴィ・ジュルを両手と尻尾で抱えると、足早に立ち去った。ゼンは両手に付いた血液混じりの体液を弄んでいたが、迷わずに海中へと進んだ。波を掻き分けながら浅瀬に入ると、両足から尻尾、背中から肩、ついには頭部まで海に浸ったが、呼吸は妨げられなかった。

 水中でも活動が可能な生体機能は元々備え付けられていたし、大抵の状況に適応出来るようになっている。砂浜と同じ材質のものが堆積している浅瀬を歩きながら、ゼンは分厚い闇に浸る海中を凝視した。多数の現住生物が泳ぎ回っていたが、浅瀬の一角で森のように栄えている生物の一団が目に付いた。

 一見すれば植物に似ているが、れっきとした生物だった。石灰質の刺胞生物で、光合成して生み出した酸素を海中に広げていた。淡い朱色の植物に似た生物を横目に見、ゼンはワン・ダ・バの生体反応がある方向を目指した。深い海溝を泳いで渡り、海流に逆らい、何も考えず、何も感じず、ただひたすらに前に進み続けた。疑問もなければ躊躇もなく、目的を果たすことしか頭になかった。

 生体部品だからだ。



 ワン・ダ・バの元を出発してから、地球時間にして数週間後。

 ゼンは、小さな島に上陸した。ワン・ダ・バの肉片と思しき生体反応は、脳神経が痺れそうなほど鮮烈で、ゼンが求めるものは間違いなくすぐ傍にある。刺胞生物の骨格が砕けて堆積した砂浜には海水の筋が付き、太い尻尾を引き摺りながら歩く。

 島自体はとても狭く、居住臓器の半分もない。白い砂浜に囲まれていた岩山が目に付いたが、それ以外には何もなく、現住生物の気配もない。ワン・ダ・バの生体反応が最も強いのは岩山の内部だった。ゼンは辺りをぐるりと見渡し、岩山の入り口らしき穴を見つけた。穴に通じる傾斜の付いた斜面にいくつかの岩が転がっていて、それ自体からもワン・ダ・バの生体反応は感じ取れたがかなり劣化していた。風雨に曝されていたためと、落下した際の過熱が原因だろうが、これは持って帰ったところで意味はない。

 程なくして岩山の入り口に至ったゼンは、裂け目のような狭い入り口に大柄な体をねじ込んだ。苦労したのは最初だけで、中に入ってしまえば思いの外楽に進むことが出来た。一本道で分かれ道もなく、進むに連れて水と思しき匂いが鼻を掠めた。今し方まで浸っていた海水とは違い、有機物の少ない淡水の匂いだった。

 背後から僅かに差し込んでくる陽光を光源にして、最深部に至ったゼンが目にしたのは地底湖だった。一見すると狭い水溜まりにも思えるが、狭いのは露出している水面だけで、水に顔を浸して覗いてみるとかなり深いようだ。ゼンの身長を容易に越える水深で湖底も広く、出口を確かめて潜らなければ適応能力の高いイリ・チ人と言えども溺れてしまかねない。ゼンは瞳孔を拡張して光量を調節してから、水面に身を投じた。

 肺の中に新しく満たしたばかりの空気を吐き出しながら泳ぎ、ワン・ダ・バの生体反応が濃厚な岩に囲まれている地底湖を進む。岩の合わせ目を観察したゼンは、この島自体がワン・ダ・バの肉片で出来ていることを察した。

 どの岩に触れてみても生体反応がある上、地底湖を成している水にもワン・ダ・バの生体反応がたっぷりと溶けている。岩山に見えたのは、この惑星に墜落したワン・ダ・バが本能的に発動した生体保護機能が、一時的に全ての生体組織を石化させたからだと判明した。この分だと、ゾゾが止まっているワン・ダ・バの本体も同様だろう。火山が胴体を貫通しても生命活動は継続しているが、生体保護機能が発動しているとなると万全とは言い難い。

 彼と長年合体していたため、ゼンにはワン・ダ・バの状態は手に取るように解るようになっていた。岩の欠片を口に含んで入念に生体情報を確認してみると、大気圏摩擦で負傷した際にワン・ダ・バは頭部に収めていた重要な生体情報をいくつか欠損していることが判明した。これでは、ワン・ダ・バの肉片を回収しても元には戻せない。かといって、手ぶらで帰るのは命令に反する。今後の行動についてゼンは思考しながら、小さな肉片を嚥下し、更に深く潜った。

 光の差さない湖底が視界に入ると、人工物が現れた。直線的な屋根、均等な厚さの壁、赤い塗料を塗られた柱、ゼンの体格の半分以下しかない小さな入り口。

 鍾乳石のように尖った岩の間を擦り抜けたゼンは、出来る限り目を見開いて人工物の中を凝視した。大きさに見合った規模の空間には、現住生物の死体が横たわっていた。

 枯れた草の茎を編んで作った薄い敷物の上に、白い布を頭部に巻き付け、黒い布地の袖の長い服を身に付け、五本の指が生えている手を胸の上で合わせ、小さな玉を繋ぎ合わせた装飾品を携えて二つの目を閉じていた。低温の水中で保存されていたからか、腐敗している様子はない。皮膚は青ざめて血管が透けており、瞼は眼球に貼り付くほどの薄さだった。

 装飾品を持つ手も骨の形状が解るほどに痩せていて、白い布の下に隠されている首筋も同様だが、ゼンは訝った。湖水にかすかな揺らぎがある。ゼンの鼓動とは違うもので、現住生物の死体の周囲だけは水温が微妙に高かった。だが、生きているとは到底思いがたい。ゼンは好奇心に駆られて尻尾を入り口から滑り込ませ、現住生物の死体の皮膚に触れさせると、弛んだ肌が僅かに引きつった。石の小屋の壁には現住生物の言語らしき文字が刻まれていたが、ゼンには読み取れなかった。

 薄っぺらい瞼が音もなく動き、眼球が現れた。現住生物の死体は布を揺らしながら首を上げると、ゼンを見咎め、痩せた頬を少しだけ動かした。声もなければ生体電流も感じ取れなかったが、それが諦観したのは理解した。現住生物の死体は再び首を下げて横たわると、また手を合わせて胸の上に置いた。

 起き上がったからにはこれは生きているのだろうか。だが、死んでいるとしか思えない外見だ。判断を付けかねたゼンは、尻尾を再び差し込んで死体の腕に絡めると強引に引き摺り出した。

 寝床から引き剥がされた死体は湖底に投げ出されると、戸惑いを顔に貼り付けてゼンを見上げてきた。ゼンは現住生物の死体だと思われる者の衣服を掴むと、有無を言わせずに地底湖から出して外に向かった。薄暗く狭い場所だから、判断が付けかねたのかもしれない。ならば、日差しの下で改めて判断すればいい。

 死体なのか生体なのか定かではない者はゼンの腕を振り解こうとするも、腕力が違いすぎた。細長い穴を通り抜けて外界に出、鮮烈な陽光を受けると、現住生物の死体なのか生体なのか定まらない者は黒い袖で顔を覆って身を縮めた。

「お前は生きているのか、死んでいるのか?」

 ゼンは問い掛けるが、死体か生体か解りかねる者は答えなかった。言葉が通じていないのか、と判断したゼンは尻尾を上げてその者の頸椎に突き立て、神経を通じて脳内の情報を採取し、改めて問い掛けた。

「お前は生きているのか、死んでいるのか?」

「うらは生きてはおらん。ただ、死ねぬだけ」

 袖に隠した口元から水を吐き出してから、それは言った。声色は弱々しいが高く、若い女だと解った。

「ならば、なぜ水の中にいた」

 ゼンが問うと、死体のような若い女はゼンを正視せずに答えた。

「水にあらず」

「だが、あれは水だ。液体だ。生存活動に適した場所ではない」

「何事も求めんがため」

「答えになっていない」

「今生に答えなどあらず」

 死体のような若い女はゼンに背を向け、洞窟に戻ろうしたので、ゼンはその袖を掴んだ。

「待て。お前が死ねぬというのなら、なぜ水に浸り続ける」

「悟らんがために」

「何をだ」

「何も悟れぬということを」

「意味が解らない」

 ゼンが困惑すると、死体のような若い女は目を伏せた。

「ほれを解らねば、悟りには通じぬ」

「言っていることには全く意味が解らないが、なぜ死ねぬのか」

「ほれは、御仏が下した罰ね」

「何の罰だ」

「人の身でありながら人に近しいモノの肉を喰らうた罰だ。故に、この身は朽ちぬ定めにある」

 彼女の答えにゼンは更なる混乱に陥ったが、採取した生体情報からワン・ダ・バの生体情報を検出した。恐らく、何らかの方法で彼女はワン・ダ・バの肉片を体内に取り込んでしまった。普通は免疫で弾かれるところだが、不幸なことに生体情報の相性が恐ろしく高かったために吸収された結果、不老不死が与えられてしまったようだった。

「それは罰ではない。超自然的な生体改造による結果だ」

 ゼンが言うと、死体のような若い女は不可解そうに眉根を曲げた。

「罰ではないのか?」

「違う。事故と言うべき出来事だ」

「事故……?」

 死体のような若い女は恐る恐るゼンに向き直り、凝視してきた。

「ならば、うらはなぜ死ねぬ? なぜ、他の者達のように極楽へ行けぬ? 御仏が罰を下したからではないのか?」

「私はミホトケが何なのかは知らないが、それによる結果ではない。ワン・ダ・バが墜落した際に飛散させた肉片を摂取したことにより、生体情報が変化してテロメア細胞が突然変異した結果、不老不死に酷似した状態に陥った。よって、罰という表現には当てはまらない」

「ならば、お前は何なのだ? 御仏の使いでもなければ、魔性の者でもないのか?」

「どちらでもない。私はナガームンの科学者であるゾゾ・ゼゼの生体分裂体であるゼン・ゼゼであり、ワン・ダ・バの生体組織の回収を命じられているだけだ。この島は、ワン・ダ・バの生体組織で構成されている。だから、この島の地底湖にいたお前を取り出したまでのこと。お前を死に至らしめることもなければ、その権限もない」

「ほうか。ならば、ゾゾという名の者は私を極楽に導いてくれるんね?」

「解らない。ゾゾは科学者だが」

「ほんなら、一度、会ってみるのも良いかもしれんね。ゼン、と申したな、うらをそこまで案内してくれねっか?」

「なぜだ」

「カガクシャというのは何をする者かは知らぬが、どうせ、うらにはいくらでも時間がある。頼めるか?」

「私は海中を徒歩で進めるのでワン・ダ・バまで自力で戻れるが、お前はそうではないだろう」

「水をどれほど飲んでも死なぬが、ほれとこれとはちゃうからな。ほうさな、本土に渡って船を調達すればどうね」

「船か。それについては構わないが、道中で私の目的も果たさなければならない」

「決まりだの。うらは一人で諸国を行脚していたが、連れ合いが欲しかったところでの。共に来てくれるか」

 死体のような若い女は、表情を和らげた。ゼンは彼女が喜んだ意味は解らなかったが、彼女の文化における同意を示す仕草、頷きを返した。彼女は余程嬉しいのか袖で顔を覆って笑みを零したが、水を含んだ服の重たさが気になったらしく、頭部に被っていた布を外して近くの岩場に掛けた。続いて黒い服もその上に着ていた布も外して肌着一枚になると、痩せた体を曝け出した。

 頭部には一切体毛はなく、青ざめた剃り跡が残るだけだった。生体情報を採取した際に、現住生物、すなわち、人類がどういった生態系の種族なのかも理解していた。体毛が生える生物は珍しくもなんともないが、局地的に生えるのは奇妙極まりなかった。他の部分にはほとんど生えないのに頭部だけに体毛が生えて邪魔だから彼女は剃り上げているのだろう、とゼンは判断した。

 彼女は竜ヶ崎ハツと名乗った。僧名は別にあり、八百比丘尼とも呼ばれているのだそうだが、やはり慣れ親しんだ本名が良いからとそちらを教えてくれた。

 法衣が乾くまでの間に、ハツはゼンに蕩々と話を聞かせてくれた。ゼンの姿形を恐れてはおらず、人間の姿形でありながら人間ではなくなった自分に近しい者であると認識していた。

 海辺の漁村で生まれ育ったこと、その村で奇妙な肉を食べてからは成長も止まって死ねなくなったこと、何度結婚しても次々に夫に先立たれるばかりか子供の一人も産めなかったこと、生まれ育った故郷で入定しようとしたがどれほど食事を絶っても命は絶えなかったこと、絶望した末に流れ流れて琉球に行き着き、死に場所を求めてこの島に来て地底湖に沈んでみたが遂に死ねなかったこと、など。ハツは話すだけ話して満足したのか、ゼンが海中で捕獲してきた魚を口にせずに、乾いた法衣を着直して身を丸めて寝入った。

 その寝顔は、やはり死体だった。


 

 それから二百年余り、ゼンはハツと行動を共にした。

 在り合わせの資材で造った船で琉球に渡った二人は、貿易船に乗せてもらって九州から本土に渡り、諸国行脚を始めた。尼僧であるハツに合わせる形で、ゼンは虚無僧の僧衣を身に付けることにした。

 虚無僧は天蓋を被って顔を隠せる上に長い袴を履いているので、現住生物とは懸け離れた外見であるゼンの姿を隠すことが出来たからだ。といっても、ゼンの体格は当時の成人よりも一メートル近く高いため、どれほど顔形を隠そうとも巨躯ばかりは隠すことが出来ず、行く先々で大入道呼ばわりされていた。

 ゼンと同じ格好をしている虚無僧から習った尺八の腕前はそれなりに上達したものの、見た目が仰々しすぎるせいで首から提げた箱に御布施を入れられることは滅多になく、食うや食わずの日々が続いていた。仕方ないので山中で野生動物を捕獲して動物性蛋白質を摂取するが、ハツはそれを拒み、農家から御布施としてもらった僅かばかりの穀物を口にするだけだった。

 生物学的に考えて、雑食である人間は動物性蛋白質を摂取した方がエネルギーを得られる。栄養素としては充分だが熱量が足りない穀物だけでは生命活動に支障を来す、と、ゼンは訝るが、ハツは白湯も同然の粟粥を啜るばかりだった。

 その日、二人は寂れた辻堂で雨を凌いでいた。瓦屋根に叩き付ける雨粒は大きく、山を越えられないだろうが、急ぎの旅ではないのだから焦る必要はない。ゼンは雨に濡れた天蓋を外して板張りの床に置き、水を吸った袈裟を外し、四本指の手に填めた手甲を緩めた。紫色の肌と爪を隠すために巻いている布も外してから、振り返ると、薄暗い辻堂の奥ではハツが法衣を緩めていた。

 剃り上げた頭に被せた白い布を外すと、薄く汗が混じった雨粒がすいっと滑って首筋に落ちた。藍色の袈裟を外したハツは必要最低限の荷物を置いてから、手のひらで剃髪した頭を撫で上げた。

 その仕草は、街中で見かける髪を結い上げた娘達に似ていた。雨雲越しの淡い光を帯びたハツの横顔は、清廉でありながらも憂いを宿していた。彼女は人間の中でも突出した美貌であると、ゼンはこの二百年の間に理解し尽くしていた。

 廓で操を売る娘達のように着飾りもせず、白粉を塗って紅を差す街の娘達のように彩りもしないが、それ故に際立っていた。見慣れているはずなのに目を外せず、ゼンはハツに見入っていた。

「何ね」

 ハツは気恥ずかしげに頬を染め、顔を背けた。

「いや」

 ゼンは歩き疲れた足を投げ出し、袴の中で縮めていた尻尾を伸ばした。

「雨、止むかね」

 ハツは竹筒に入れていた水を少しだけ口に含み、木枠が填っているだけの窓から外を窺った。

「一時的なものだが、雨量が多い。明日、日が昇るまでは動かないべきだ」

 ゼンは刀袋に入れた尺八を取り出し、手頃な布で水気を拭き取った。大した成果は出せないが、商売道具である以上は丁重に扱う義務がある。ハツは膝を崩すと、間口に座ったままのゼンを手招いた。

「ゼンもこっちに来なっさ。雨が吹き込んでくるね」

「多少濡れた程度では、私の生体活動に支障は来さない」

「寒くねの?」

「体温調節は可能だ」

「ほうな、ゼンはうららとはちゃうからの」

 ハツは少し不満げに呟き、ふうっと息を緩めた。寂しいのだろう、とゼンは察知したが、ハツの要求を呑むべきか否か迷った。傍に行ったところで、何がどうなるというものでもない。火を焚いたほどの暖かさも得られないだろうし、ハツの体も休まらないだろう。

 テロメア細胞の突然変異によって不老不死と化していると言えど、人間であることには変わりない。増して、肉を一切口にしない。地底湖にいた頃に比べればいくらか健康的な外見にはなったものの、ハツの肉の薄さと線の細さに変化はなかった。だから、体力も少なく些細なことで弱りがちだ。そうなってしまえば、諸国行脚が滞る。ゼンは少々迷ったが草履を脱いで脚絆を外し、床に上がった。

「ゼンはええ男ね」

 ハツは嬉しそうな笑みを見せ、ゼンを促した。ゼンはハツの傍に胡座を掻き、尻尾を床に横たえた。

「ハツの要求が正当なものかは判断しかねたが、無益ではないと判断した」

「ほうか、ほうか」

 ハツが可笑しげにしたので、ゼンは瞬きした。

「また、ずれたことでも言ってしまったか」

「いんや。ただ、ゼンは優しいのなあと思うただけね」

 ハツはゼンに近付くと、栄養状態が芳しくないためにかさついた手で太い尻尾を撫でた。

「ゼンは竜の肉片を探すっちゅう大事な仕事があるんに、私なんぞに付き合ってくれるんやから。ゼンがいてくれたから、この二百年、ずうっとずうっと退屈せんかったね。一人でおったら、どこぞの崖から飛び降りて頭をかち割って死んでおったかもしれんね。でも、ゼンがいてくれたから、私は寂しいことも辛いこともなくなったんの。御仏はホンマにおるんね。一千年も御経を上げていたから、聞き届けてくれたんやね」

「では、ハツは極楽に行けるのか」

「さあ。ほればっかりは、死んでみんとなんとも言えんね。でも、もうしばらくは生きとってもええかもしれん」

 ハツの軽い体が、ゼンに寄り掛かる。

「ゼン。私はあんたのことはよう解らんし、あんたがたまに話してくれる空の上の世界んこともさっぱりやけど、ゼンがおってくれると嬉しいんね。少なくとも、私は一人きりではおらんで済むからの。誰も彼もがあんたみたいに長生きしてくれるんなら、私もこうはならんかったのになぁ」

「人類のテロメア細胞の限界は百年弱であり、生体改造を施しても二百年弱程度に過ぎない。よって、他の個体がワン・ダ・バの肉片を摂取したところで、ハツと同等の効果は得られない」

「何言うてんのかさっぱりやね。ほやけど、うらみたいなんが行けそうな場所が琉球にはあるんやて。琉球に長逗留しとった時に聞いた話ね。なんでも、海の底には、ニライカナイっちゅう異界があるんやて。琉球の神様がおられる場所でな、ほの神様は年の初めにやってきて豊穣をもたらして、年の終わりにはまたニライカナイに帰るんやって。ほんで、そのニライカナイはほんにええ場所やそうよ。なんや、ゼンの故郷とよう似た名前やけど」

「そうだな。偶然の一致だ」

「ほんなら、ニライカナイはゼンの故郷っちゅうことになるんかな」

「有り得ない。人類は恒星間航行技術すら開発していない、惑星ニルァ・イ・クァヌアイに到達出来るわけがない」

「ほんでも、そうやったらええってうらは思うんね。きっと、そうなんよ」

 ハツはゼンを見上げ、目を細めた。

「遠い遠い場所に、うらが生きられる場所がある。ほう思わせてくれはったら、ちっとは気が楽ね」

「それはなぜだ」

「ほんなん、説明せんでもええやね」

 ハツはゼンの太い腕に顔を押し当て、それきり黙り込んだ。ゼンはハツに触れるか触れまいか散々迷い、尻尾を上げてハツの体を支えてやることにした。ハツはゼンに触れているだけで落ち着くのか、いつになく緩んだ顔をしてしがみついていた。

 一千年以上生き長らえていても、ハツの精神面は老化が止まってしまった十七歳から動いてはいないのだと今一度思い知る。何人もの夫に先立たれ、出家し、何度となく入定を試みるも、ワン・ダ・バの肉片が与えた状況適応能力によって死ぬことが出来ずにいる。それがどれほど空しいものかは、ハツに寄り添って生きた二百年余りでゼンも身に染みて理解していた。

 旅の最中で出会った者達とは、二度目に出会う時は墓場だ。そうでなければ、良く似た顔に子孫だ。絶え間なく戦乱が起き、時代が推移し、世の支配者が変わっても、ハツとゼンだけは変わらずに同じ場所に止まり続けている。さながら、時間の流れから忘れ去られたかのように。

 ワン・ダ・バの肉片を発見し、一つ残らず回収し終えたら、ハツに生体洗浄を受けさせよう。それが出来なければ、ゾゾに頼んでハツの生体情報を調節してもらって、老化による死をもたらしてもらおう。ゼンはハツの低めの体温を感じながら、屋根を打ち付ける雨音に合わせて尻尾の先で床を叩いていた。

 火が灯るように、胸の内が暖かくなった。



 緩やかな時の中、ゼンは変化し始めていた。

 ハツはあまり変わらなかったが、ゼンはハツや旅先で出会った人々との経験を重ねるに連れて情緒面が大きく発達して人並みの感情を得るようになった。それは生体部品らしからぬことではあったが、ハツはゼンの変化を素直に喜んでくれたので、ゼンもこれは喜ばしいなのことだと理解した。

 その他の変化らしい変化と言えば、経年劣化した衣服に継ぎを当てたり、一から仕立て直したり、使い古した尺八を新調した程度だった。ワン・ダ・バの肉片は日本列島に四散していて、ハツが食した肉片の本体も越前国の海岸で発見した。

 それは保存状態が良く、ワン・ダ・バ本体と合体が可能であるとゼンは判断したが、ハツの意志で入定しようとした洞窟に封じ込めた。ワン・ダ・バの生体保護機能が緩んだものはほとんどが腐敗していたので、見つけ次第焼却処分し、それを口にしてしまった人間にはゼンが生体接触を行って生体汚染を阻止しながら、諸国を巡り続けたが、ワン・ダ・バの首だけは見つけられなかった。

 ゼンに与えられた命令の中心はそれであり、どれほど肉片を発見して回収しようと首を見つけられなければ意味はない。もしやと思い、全国各地で物の怪の伝承を聞いては確かめてみたが、全て外れだった。海中に落ちたのだろうか、と、ゼンは考えたが、そうだとすれば海に潜った際に生体反応を感知するはずだ。

 恒星間航行技術を応用して瞬間移動を行い、ゾゾの元にワン・ダ・バの肉片を大量に転送したが、肝心の首を持ち帰らなければ用を成さない生体部品と判断されて処分されかねない。かといって、ゾゾに黙っているのも良くない。判断を付けかねたまま、無益に時間ばかりが過ぎていった。

 そんなある日、二人の旅路に転機が訪れた。阿波国に立ち寄った際、岩場に流れ着いた若者を発見してハツとゼンで介抱した。服装と手足を縛る縄からして、島流しされた罪人のようだった。助けるに値する人間なのか否か、と、ゼンはハツに問うたが、ハツは助かる命を見捨てるわけにはいかないと言い張ってその若者を匿った。

 近隣の住民に見つかってしまっては、ハツとゼンも罪人を助けたかどで罪に問われかねないので、若者が流れ着いた場所から離れた洞窟に身を隠した。ハツの献身的な介抱とゼンの適切な処置により、若者は程なくして体力を取り戻し、生まれと名を述べた。阿波国の忌部一族の直系、忌部継成であると。

 ゼンが海中で掴み取ってきた魚を焼いたものと少しの米を煮た薄い粥という飯を食べつつ、継成は流罪になった経緯を話してくれた。なんでも、継成は千里眼を持っているらしく、ありとあらゆる物事を見通せるのだそうだ。壁や障子など朝飯前で、山も海も越えた先の国の出来事や戦の行方も目視出来るばかりか、人の頭の中すらも透かして見えてしまうらしい。

 幼い頃からその能力を使って一族の繁栄や大名に貢献してきたが、あまりにも見通せすぎたせいで却って気味悪がられ、無実の罪を着せられて流罪に科せられたが、嵐に遭って海中に投げ出されたそうだ。ゼンが継成の生体情報を採取すると、案の定、ワン・ダ・バの肉片の反応が出た。

 妙な肉を口にしなかったか、と、ゼンが問うてみると継成はしばらく考え込み、子供の頃に一族の祭事で鬼の肉を振る舞われ、それを口にした、と言った。他の一族は誰も食べなかったそうだが、継成だけが食べたそうだ。その結果、継成にもワン・ダ・バの生体組織が癒着して生体情報を改変され、人間の器に収まりきらぬ能力が授かってしまったらしい。

「ほんなら、尼さんとそこの坊主も儂と同じっちゅうことか?」

 継成は薄い粥を食べ終え、椀を置いた。ハツは粥だけを啜り、頷いた。

「ほう、うらは死ねぬ女での。ゼンは人ではないんやけど、うらと同じ時間を過ごしてくれる御人ね」

「そらごつい話じゃのう」

 継成は胡座を掻き、洞窟の外で燻る焚き火の明かりを受けたゼンを見上げた。

「ほんに、おまさんは人じゃなけん。そんツラ、見とったら解る。どこから来おったんじゃ?」

「この惑星より十五億二千三百十二光年先の宙域に存在する、惑星ニルァ・イ・クァヌアイより出航した多次元宇宙跳躍能力宇宙怪獣戦艦ワン・ダ・バの管理者である、イリ・チ人の科学者、ゾゾ・ゼゼの生体分裂体だ」

 ゼンが一息に説明すると、継成は首を捻ってからハツに向いた。

「おまさん、こいつの言っとることの意味が解るん?」

「全部っちゅうわけやないけど、ゼンが遠い場所から来なったんっちゅうことは解るね」

 ハツがにこにこすると、継成はゼンに向いた。

「ほんま、なんでおまさんらは一緒におるん?」

「私に下された命令の内容と、ハツの行動が沿ったからだ。故に、五スットゥミグイは行動を共にしている」

 ゼンが返すと、ハツは粥を炊いた鍋に水を入れて掻き回した。

「つまりは二百年近くやね。もう、数える気もありゃせんけど」

「にひゃくねん!?」

 継成が目を剥いたので、ゼンはハツが椀に注いでくれた粘り気のある水を傾けた。

「私達の話を信じていなかったのか?」

「おまさんのツラは普通じゃあらへんとは思うとったし、そこの尼さんもなんや……常人やないなって思うとったけど、天女みたいやし。でも、いくらなんでもそりゃ嘘っぱちじゃろ?」

「うらは嘘は言わんね。御仏に罰せられてしまうんね」

「私もみだりに他人を謀るようなことはしない。それが、ワン・ダ・バで突然変異した者が相手であれば尚更だ。それほど信じられぬのであれば、お前の能力とやらで私とハツの脳内を透視するがいい」

 ゼンはハツの手から鍋を取ると、継成の椀にも水を入れた。継成はその水を一口飲むと、訝しげに眉根を寄せた継成は目を上げ、岩肌を背にしているゼンとハツを一瞥した。その目線が到達した瞬間、ゼンの生体電流が大きく波打った。ハツも違和感を感じ取ったらしく、ん、と小さく声を零した。

 継成の二つの眼球から注がれる視線は、角膜に届いた光を網膜で収束させて視神経を経由した情報を脳に伝えるものと大差はなかったが、問題は視線に伴う指向性の思念波だった。並大抵の出力ではなく、ゼンの生体組織が不安でざわめいた。

 本人はただ見ているだけのつもりだろうが、実際は放射線を当てられた物体が透き通るのと同じ効果であり、つまりは生体電流を用いたX線撮影だ。相手の思考が読み取れるのは、思念波を照射した瞬間に、相手の脳内の生体電流と継成の生体電流を無意識に同調させているからだろう。継成は能力を引っ込めたのか、ゼンとハツの違和感が失せた。

「……ほんまじゃった」

 継成は目元を押さえ、頭痛を堪えるように項垂れた。

「継成さん。よろしかったら、うららと一緒に来なっさいね。どうせ、死んだも同然の身の上やろ?」

 ハツが笑みを向けると、継成はあからさまに戸惑い、意味もなく胡座を組み直した。

「そらまあ、儂は流刑になったわけやし、実家にも帰れんし、頼る相手もおらんし、そやけど迷惑じゃあれへん?」

「迷惑だなんて、ほんなことねぇって。な、ゼン?」

 ハツがゼンにも笑みを向けてきたので、ゼンは少し迷った後に答えた。

「ワン・ダ・バの生体組織を摂取して突然変異したのだから、いずれ生体洗浄を受けなければならない。そのためにはゾゾの待つワン・ダ・バの本体に行く必要があり、同行する意味はないわけではない」

「一緒に来たらええ、ってほれだけでええのね。相変わらず、回りくどいの」

 ハツは苦笑してから、継成に向き直った。

「ほんなら、明日から継成さんもうららと諸国行脚に付き合おうてくれるね?」

「儂の家は代々氏子やったから、仏のモンとは縁はなかと思うとったけど、それもまたアリかもしれん。どうせ、一度は捨てた命よ。きちんと最後まで使い切ってこそ、生きたっちゅうことになる。おまさんらと行かしてつかぁさい」

 継成が頷くと、ハツは満足げに笑んだ。

「ほんなら、明日は早いね。さっさと寝てしもうて、日が昇る前に出発せんと」

 そう言うと、ハツはすぐに三人の食器を片付け始めた。洞窟の外で薄く煙を上げていた焚き火にも海水を掛けて消し、椀と箸を洗って荷物に入れると、袈裟を被って寝入った。そうなるとゼンと継成も休まないわけにはいかず、ゼンは継成に掛布として袈裟を貸してやり、自分はそのまま横になった。ハツも継成も余程疲れていたらしく、すぐに二人の寝息が聞こえ始めたが、ゼンは眠気が起きなかった。

 この星の自転周期に合わせて体内時計も調節したので夜に眠る習慣も身に付いていたし、継成を助け出してから世話をしていたのでその疲れもあったのだが、妙に神経が立って落ち着かなかった。理由は他でもない、ハツの傍らに自分以外の男がいるからだ。

 仏門に入っているハツが男にうつつを抜かすとは思いがたいが、継成は精悍な青年だ。千里眼で様々なことを見通してきたからか、状況判断能力も高く、ゼンとハツに同行することが安全だと踏んできた。厄介な透視能力さえなければ、忌部一族を継いでいたことだろう。

 だが、物静かなハツと快活そうな継成では性格が合うとは思えないし、むしろハツは継成を鬱陶しがるかもしれない。そうだ、きっとそうなるに違いない。ゼンは生まれて初めて感じた嫉妬心を持て余して、暗闇の中、継成の険しい寝顔を睨み付けていた。

 その日を境に、諸国行脚の道連れは増えた。継成は神道の人間であったが、一族と縁が切れていることもあって躊躇いもなく虚無僧の格好をし、ゼンと共に尺八を吹くようになった。

 御世辞にも腕前は良いとは言い難かったが、大入道のゼンよりも警戒心を抱かれづらいらしく、継成の偈箱の方が実入りは良かった。また、先祖代々、神事に使う祭具を作ってきた一族の生まれである継成は手先が器用で、翡翠や瑪瑙の原石を拾っては細々とした飾りを作ってハツに贈った。

 ハツは最初は困っていたものの、継成の純粋な好意を受け止めるようになり、法衣の下には継成の作った首飾りが増えていった。継成は口も上手く、喋りも滑らかで、ゼンの頭では到底思い付かなかったことを語ってはハツを笑わせていた。その様を見るたびに、ゼンの内に溜まった嫉妬心は煮詰まる一方だった。

 継成の偈箱に集まった御布施は随分と大きな額になり、ワン・ダ・バの元に向かうための船が手に入るまではもう一息という頃合いだった。街中から離れた三人は夜を明かすために廃れた寺に入り、質素な食事を終えた。

 ハツは寝入る前に経を上げると言い、御堂で座禅を組んだ。その邪魔をしてはならないとゼンが外に出ると、重たい偈箱を抱えた継成も追ってきた。諸国行脚を始めた頃は青臭かった顔立ちも今や凛々しい男の顔になり、体格も一回りは成長していた。雑草が伸び放題の庭に面した縁側にゼンが腰を下ろすと、継成もそれに倣った。

「のう、ゼン」

 偈箱から取り出した寛永通宝を数えながら、継成は照れ笑いした。

「ハツん体が普通の女と変わらんようになったら、仏に祈らんでもようなるん?」

「それは私には判断しかねる」

 ハツの唱える淀みない経を聞きながら、ゼンは胡座を掻いて尻尾を伸ばした。

「儂はのう、ハツが普通の女になりよったら、嫁にしとうと思うておるんじゃ」

 ああ言ってしもた、と、継成は気恥ずかしげに付け加えた。ゼンは鼓動が跳ねたが、平静を装った。

「だが、ハツは仏門の戒を破らんぞ」

「それならそれで、ええんじゃ」

 継成は小銭に紐を通して束にしながら、ハツの読経に耳を澄ませた。

「儂は、ハツの傍におりたいんじゃ。ゼンに比べれば遙かに短い時間じゃろうが、ハツを少しでもいいから喜ばせてやりとうてならん。儂はハツより先に死んでしまうじゃろうが、ハツを好いとう人間が一人でもおったことを知っていてほしゅうてな。だから、いずれ、伝えるつもりじゃ」

「だが、ハツはお前を好いているとは限らん」

「そうやな。けどな、もう、抑えが効かん」

 じゃり、と小銭の束を握り締めた継成は、口元を奇妙に歪ませた。

「おまさんがいずれハツを連れ去ってしまうと思うと、儂はおまさんをどうにかしとうてたまらんのじゃ。仏の道からも引き摺り下ろして、儂の傍にだけ置きとうなる。あんなに綺麗な顔をした女や、仏さんに捧げとくのは勿体のうてならんとう。ゼン、おまさんだってそう思うたじゃろ? ごっつい不幸を背負ったんや、人並みの幸せをもろたってもええはずや。儂も目ん玉が普通やない、ハツの傍におれるんは儂しかおらんのじゃ」

 いや、違う。自分こそがハツの傍にいてやれる。ゼンはそう言いかけたが、歯を食い縛って堪えた。この数年で、ハツと継成は近しくなっていた。

 ゼンが二百年以上を掛けても近付けなかった距離を、継成はほんの少しの時間で狭めたばかりか、ハツの心を開くようになった。ハツが喜ぶ顔など見たこともなかった。声を上げて笑う様など想像もしたことがなかった。着飾っている町娘達を羨んでいると知っていても、美しい姿を彩る飾りを作ってやることなど思い付きもしなかった。ゼンが先にそれをしていれば、ハツは継成ではなく自分に惹かれたのではないか。

「もしも、もしもやぞ。儂とハツが祝言を挙げるなんちゅうことになったら、ゼンは祝うてくれるん?」

 継成は声色をやや上擦らせながら、身を乗り出してきた。ゼンは躊躇った後、答えた。

「……ああ」

「ハツの気持ちがどうかは知らんけど、ゼンにそう言うてもろて嬉しいわ。おまはんに出会えてほんに良かったわ」

「ならば、約束してはくれまいか。もしもハツが契りを結んでくれたらば、ハツを人並みの幸せで満たしてやると」

「そんなん、当たり前や」

 継成は金勘定を中断し、笑った。ゼンはその笑顔が心底憎らしくなったが、尻尾でざらりと縁側の床板を擦るだけに止めておいた。もしも自分が人間であったなら、継成を押し退けてでもハツの傍にいたものを。人並みと言わず、至上の幸せを与えてやる。共に生き、共に暮らし、笑い合い、共に死んでやろう。ハツさえ自分を選んでくれれば、継成とは縁を切る。ゾゾとも、ワン・ダ・バともだ。この時ばかりは、普段は信じていない仏にも神にも祈った。

 だが、ハツはゼンを選ばなかった。ようやく手に入れた船に乗ってワン・ダ・バに向かう最中、継成はハツに思いを告げた。ハツも顔には出さずとも継成を思っていたらしく、涙を浮かべて喜んだ。ワン・ダ・バへと進路を定めるために帆を張りながら、ゼンは通じ合ったばかりの愛を交わす二人を見、臓物に嫌な熱が広がった。

 明確な憎悪だった。



 十数日間の航海を経て、三人はワン・ダ・バの本体へと無事に辿り着いた。

 二百年余りも留守をしていたゼンが帰ってきた時、ゾゾは、意外とお早いお帰りでしたね、とだけ言って出迎えた。ゼンがいない間にワン・ダ・バの表面は大きく変化していて、暇を持て余したゾゾが切り開いた田畑や建築物などが集落のようなものを築いていた。

 どうやら、ゾゾは人間社会の知識や技術を調べていたらしく、彼が作り上げた集落はそれらしい形になっていた。どうやって本土まで移動したのか、と、ゼンが問うと、ゾゾは生体改造して翼を生やして空を飛んで渡ったのだと答えた。ゾゾが移動した先の地名や地形を聞かされると、ゼンは納得すると同時に呆れもした。

 日本各地に伝わっている妖怪伝説のいくつかは、不用意に現れたゾゾを地元の者が妖怪変化と見間違えたのが原因だと解り、それが原因なのであればワン・ダ・バの肉片なんかあるわけがない。それなのに、妖怪のことをワン・ダ・バの肉片ではないかと勘繰って探し回ったところで、何も見つからなくて当然だ。積年の疲れに任せてゼンが愚痴を零してしまうと、ゾゾは笑った。あなたも変わったのですね、と。

 ゾゾは、ハツと継成の二人を快く受け入れてくれた。ゾゾが見よう見まねで作った掘っ立て小屋も同然の家屋は、継成がかなり手を加えたおかげでまともに住めるようになり、田畑にはゾゾが本土や琉球から持ち帰った種子から育った作物がたわわに実り、米も貯蓄されていた。二人はゾゾに何度も礼を言い、慎ましく暮らし始めた。

 生まれも育ちも違う両者は、平穏な日々の中で互いの知識や経験を交換するようになった。ゾゾは宇宙の彼方の惑星の科学技術を教え、継成はゾゾに日本の創世神話を事細かに教え、ハツは仏門の教えを蕩々と説いた。

 ゼンからしてみれば無駄な行為に思えたが、継成とハツは人間の技術力では到底操れない生体科学技術をひたすらに感心し、ゾゾは神道と仏門の教えに深く感じ入った。それが両者の距離を狭めたのは言うまでもなく、彼らは互いを慕い合い、敬い合うようになっていった。

 ゼンは敢えてその間に入らず、一歩身を引いていた。生体分裂体の分を越える行動を取るのは良くないと思っていたのと、ハツはともかく、継成と仲を深めても面白くもなんともないと判断したからだった。ゾゾはゼンの思いを薄々感じ取っていたようだったが、ゼンの内に芽生え始めた自我を尊重するという名目で注意も進言もしてこなかった。その結果、ゼンは内に籠もるようになり、十数年が過ぎた。

 ある日、ゼンは継成から呼び付けられた。日に日にハツとの愛情を深めていく継成には近付きたくもなかったが、ハツが悲しむといけないので渋々それに応じた。火山灰が降り積もって出来た柔らかな斜面を登っていくと、凝灰岩が剥き出しになっている崖の手前で継成が待っていた。青年から中年に差し掛かってきた継成は、日に焼けた顔を綻ばせてゼンを出迎えた。ゼンは継成と同じ高さにまで昇り、尋ねた。

「何か用か」

「ゼン、ちっと手伝うてほしいんじゃ」

 継成は灰色の岩で出来ている崖を平手で叩き、にっと白い歯を剥いた。

「この岩、削り出せへん?」

「ワンから摘出した珪素を使用すれば可能だが、何に使う気だ」

「儂はな、ハツに墓ぁ建ててやりゃあ思うとるんじゃ」

「……墓?」

 意味が解らない。ゼンが瞬きして訝ると、継成は島の西側に見える小さな家屋を見下ろした。

「実はの、ハツの腹ん中にゃあ儂の子がおるんよ」

「なぜだ。ハツに生殖能力はない。それに、ハツは仏門に」

「そろそろ仏さんも許してくれはったじゃろ、っちゅうって、ハツはもう髪も剃らんようになったんじゃ。毎朝毎晩念仏を挙げちょるのは変わらへんし、獣の肉は欠片も喰わへんけど、ハツは尼さんとちゃうようになったんじゃ」

「私はそんなことは知らん!」

 目を剥いたゼンが声を張ると、継成も目を丸めた。

「おまさんがそんな声出すんの、初めて聞いたわ」

「では、あのハツが、お前と祝言を挙げたというのか」

 信じられず、信じたくもない。ゼンは軽い目眩を感じ、目元を押さえる。

「ほんで、儂はゾゾに色々と聞いたんじゃ。なんでも、儂の体にはワンとかゆう化け物の血がちっと混じっておって、それがハツの体に混じっているワンの血ともぴったり合うんやて。そやから、ハツはこれまで色んな男と結婚しても、相手の男の血と合わへんかったから、子が出来へんやったんやって。ほやけど、儂はそうやあらへん。ハツと同じ血が体ん中にある。セイタイセンジョウっちゅうんを受けても、儂もハツも元の体には戻られへんかったしな。そんくらいのええことがあったってええんや。ハツもごっつ喜んでくれてな、ほんでな、こう思うたんや。八百比丘尼やったハツは、儂と祝言を挙げた日に死んだことにしてまえ、ってな」

 ええ考えじゃろ、と、継成は同意を求めてきたが、ゼンは何も答えられなかった。高潔で清廉だったハツが、俗世の穢れから隔絶していたハツが、苦悩の憂いを帯びていたハツが、ただの女に成り下がった。継成に組み敷かれ、貫かれたからこそ、ハツは子を孕んだ。その様を思い描くまいとするが、瞼の裏に浮かんでくる。

 あの粗末な自宅で枕を並べて暮らす二人が身を寄せ合い、体を開き、重なり合った様が。清潔なほどに青ざめた剃り跡が美しかったハツは黒々と髪を伸ばし、白く透き通るようだった肌は南海の日差しで浅黒くなり、妻となり、母となる。

 珪素生物を採取してくる、と、継成に言い残し、ゼンはふらつきながら斜面を下りた。畑を横切り、森を抜けても、ゼンの足取りは定まらなかった。垂れ下がった尻尾は草木や倒木に擦れて皮膚が薄く裂け、血が滲んでいたが、そんなものは痛みでも何でもなかった。全身の血の気が引いて視界も暗くなり、真昼の太陽すら遠く感じる。

 ハツと二人で諸国行脚を続けていた日々が、虚無僧の格好をして下手な尺八を吹いては御布施を催促していた日々が、継成がもたらした穢れに塗り潰されていく。珊瑚礁の死骸が堆積した白い砂浜に出たゼンは、膝を折り、翡翠色の海の前で崩れ落ちた。顔を覆って熱砂に突っ伏した瞬間、声にならない声が迸った。

「どうかしましたか、ゼン」

 聞き慣れた声に、ゼンは震える手を外して顔を上げた。赤い勾玉と青い銅鏡を携えた、ゾゾだった。

「ゾゾ……。なぜ、ハツと継成の祝言を止めなかったんだ。ハツは、そんな俗な女ではない」

 ゼンが苦悩に任せて言葉を絞り出すと、ゾゾはゼンの傍に立ち、海を見渡した。

「そうですかねぇ。ハツさんは、私が本土で出会った方々とはなんら変わりのない女性ですよ」

「そんなのは嘘だ。大体、ゾゾが出会った女性など、山道に迷った村娘や海に流されかけた海女ではないか」

「放っておけなかったので助けましたら、鬼やら一つ目入道やら何やら言われてしまいましたが、別に悪いことではありませんよ。それに、彼女達とハツさんの違いなど、命が長いか短いかというだけです。それを責めてはハツさんが可哀想ですし、止める謂われもありません」

「では、なぜ私には、祝言を挙げることも継成の子を身籠もっていることも伝えなかったのだ」

「なぜって、そりゃあ」

 あなたは生体部品だからですよ、と、ゾゾは付け加えた。ざあ、と吹き付けてきた風が乾いた砂を巻き上げ、ゼンの見開かれた瞳を掠めた。

 あの二百年余りの時の中で、ゼンはハツの何だったのか。祝言の場にすら呼ばれないほど、薄い関係だったのか。ハツと寝食を共にした日々が全否定され、引き潮のように下がりきっていた血の気が凍り付き、尻尾の先すら動かせなくなった。

 ゾゾは日本の創世神話に登場する神具に似せて加工した珪素生物を自慢げにゼンに見せてきたが、一切目に入らなかった。出来ることならば、ゾゾを叩きのめして海に沈めて黙らせてやりたかったが、あらゆる生体電流が停止したかのような感覚に陥っていた。

 ゾゾの地下研究室にも二人の暮らす西側の平地にも帰らず、ゼンは一昼夜を砂浜で過ごした。ぼんやりと日差しを浴び続け、細胞が一つ残らず煮えてしまえばいいと思いながら、自分とゾゾの違いを考えた。自分と継成の違いについても考えた。

 この身は確かに鼓動を打ち、体温を持っている。生まれ方こそ自然ではないが、生きていることには変わりない。意志も持ち、自我も育ち、肉体も成熟し、知識も知性も兼ね備えている。だから、生体部品の域を超えた生物に成り上がれた、と、心の奥底で思い込んでいた。けれど、そんなことはなかった。ゾゾが生体部品だと言う以上はゼンは生体部品以外の何者でもなく、生き物でもなければ身内でもなければ仲間でもない。

 だから、他人を愛する資格すら持てないのか。



 更に百二十年近くの年月が経過し、継成が死んだ。

 ゾゾによる生体改造を受けていた継成は、三十代後半の姿を止めて生き長らえていたが、ハツとは違って老化を防ぎ切れなかった。外側は若くとも内側は衰えていた継成は、ハツとゾゾに見守られて静かに息を引き取った。ゼンはその様を遠巻きに眺め、安堵と共に清涼感が吹き抜けた。

 ハツの細く切ない泣き声は聞くに耐えなかったので、足早に集落を立ち去った。ハツが産み落とした子供達が建てた家屋が立ち並んでいる集落には、ワン・ダ・バの脳から直接知識を得るために建てた学校が高台に建っていた。港には灯台が、浜には漁船があり、家屋の数も多く、傍目からでは一家族だけが住んでいるとは思えないだろう。だが、今やその家族はいない。

 ハツと継成の意志で、二人の間に産まれた子供達はある程度成長すると本土へと送られた。ゼンが帆掛け船を繰り、ワン・ダ・バから採取した翡翠や金銀に匹敵する原子構造の鉱石をいくつか持たせ、ゼンらが諸国行脚時代に知り合った名のある家に置いてもらえるように手紙も持たせて送り出す決まりになっていた。

 ハツと継成の最初の子である司郎は、ワン・ダ・バから得た知識を上手く活用して江戸で大きな財を成して、忌部家を起こした。司郎が建てた邸宅は、偶然にも継成が遠隔透視で発見した地中に埋没しているワン・ダ・バの首の真上だったが、それは司郎には伏せておいた。その後、数十年の内に忌部家から滝ノ沢家が分家し、忌部家は江戸でも名だたる家系として名を馳せるようになった。それは明治維新を経ても変わらず、政治にも経済にも通じる地位を得た。その結果、ワン・ダ・バの本体は忌部島と名付けられ、忌部家の所有物となった。

 月日が流れると、最初に産まれた子供達は死んでしまった。戦争に出て父親よりも早く死んだ者もいれば、母親を恋しがって海に出て難破した者もいれば、財に溺れて謀殺された者もいれば、異星の技術を活用しすぎたために世間から追放された者もいれば、要領よく世間を渡り歩いた者もいた。だが、彼らは両親とは違ってごく普通の人間でしかなく、百年もしないうちに死に絶えた。よって、継成が死んだことにより、ハツはまた一人きりになった。

 継成の通夜を終えた翌朝、ゼンは遺体を処理するべく、家屋を訪れた。引き戸を開けると、かすかな死臭が漂う板張りの居間にゾゾが正座していた。ハツの姿はなく、食事の支度をしている様子もない。外に出たのだろう。

「ゼン」

 ゾゾに手招きされたので、ゼンが居間に上がると、布団に寝かされている継成の傍に座るように促された。ゼンがそれに従うと、ゾゾは継成の顔を隠している布をゆっくりと剥がした。

「継成さんから、遺言を与っています」

 ゾゾは継成の穏やかな死に顔を見つめながら述べた。

「ハツさんをよろしく頼む、約束を守り通せずに済まなかった、と。それと、祝言の件についても」

「今更、何を」

 ゼンが毒突くと、ゾゾは指先で継成の顔にそっと触れた。

「祝言を挙げることをゼンに伝えるな、と申し出てきたのは、継成さんだったのです」

 思わずゼンが目を見張ると、ゾゾは物言わぬ男を見つめた。

「継成さんは、ゼンがハツさんに並々ならぬ思いを抱いていることに気付いていたのですよ。私も、ですけどね。ハツさんもまた、ゼンに対しては特別な思い入れを抱かれています。ですから、継成さんは不安になったのですよ。祝言を挙げるという段階になってハツさんがゼンに心変わりしたら自分には勝ち目がない、と、継成さんは仰っていたのです。ですから、継成さんはゼンを遠ざけたのです。最期はずっとそれを気に病んでおられ、許してくれるのならば許してほしい、と……」

「誰が許すか、そんなもの。継成は私が許さないことを前提しているのだ、許す気など起きるはずもない」

「でしょうね」

 ゾゾは継成の顔に布を掛け直し、嘆息した。

「あと、もう一つ、遺言がありましてね」

「くどい男だな」

「まあ、そう言わずに。継成さんは、ワンが不時着した際に破損したチナ・ジュンを再生するために生体組織を譲渡して下さるそうです。ワンが不幸にも失ってしまった生体情報はハツさんで補填出来ますが、チナ・ジュンには上手く合わなかった上に破損状況が甚大だったので、チナ・ジュンだけは手付かずだったのです。ですが、継成さんは実に素晴らしい相性をお持ちでして、生体情報がチナ・ジュンに見事に一致するのです。恐らく、継成さんが摂取したというワンの肉片はチナ・ジュンに近いものだったのでしょう。ですので、継成さんの御遺体は私が処理します。遺骨は出来る限り残せるようにしますが、内臓や筋繊維はまず残らないでしょう」

「だから、ハツはここにいないのか」

「ええ。無理からぬことです」

 ゾゾは継成の骸を掛布で包むと、尻尾を使って担ぎ上げた。

「手伝って下さい、ゼン」

「……ああ」

 出来ることならば、そんな男は骨も残さずに消してしまいたいのだが。ゼンはその言葉が喉元まで出かかったが、口には出さずにゾゾに続いた。哀切な泣き声が潮騒に混じって流れてきたので、ゼンが音源に目を向けると、海を見下ろす崖の上でハツが体を縮めて泣いていた。

 薄い着物を着た背中はとても小さく、一括りに結った長い黒髪は乱れ、毛先がほつれていた。ゼンは今すぐ駆け寄って抱き締めてやりたい衝動に駆られたが、継成の遺体が珪素の固まりになるまでは堪えようと思った。チナ・ジュンがなければゼンとワン・ダ・バの合体は不完全で、恒星間跳躍航行技術どころか宇宙空間に出ることすら怪しいからだ。だが、逆に言えば、チナ・ジュンがなければワン・ダ・バはいつまでも留まることになる。そうすれば、ハツとも離れずに済む。ゼンが立ち止まると、ゾゾも足を止めた。

「ゼン?」

「いや……なんでもない」

 馬鹿なことを考えるな。ゼンは内心で自嘲しながら、ゾゾに従って地下研究室に入った。学校の地下へと移設した地下室は広く、木の根を張り巡らした空間は平屋建ての校舎よりも広かった。生体改造を加えたために奇怪な様相と化した地球の植物に囲まれた作業台に、ゾゾは継成の骸を横たえた。ゼンは継成を包んでいた掛布を剥がすと、ゾゾはヴィ・ジュルを継成の胸元に置いた。

 微弱な電流が発せられ、継成の生体組織が溶解する。それからほんの数十秒で継成の死した生体組織は骨から分離し、どろりとした生臭い液体と化して作業台に溜まった。今度はその液体にチナ・ジュンの破片を載せ、再度ヴィ・ジュルから生体電流を流すと、継成の液体はチナ・ジュンに集まった。翡翠色の破片が接触した部分から赤黒い液体は変色すると、さながら凍り付いていくかのように珪素化し、液体は一滴も残さず翡翠色の結晶となった。ゾゾは縦長の珪素生物にヴィ・ジュルを一つ填め込むと、チナ・ジュンはヴィ・ジュルを吸収し、翡翠色の剣に姿を変えた。ゾゾはチナ・ジュンを取り、出来に満足して頷いた。

「これでしたら、ワンも動きますでしょう。残すは、首の回収だけですが」

 首を取り戻してワン・ダ・バが目覚めれば、誰がハツを慰めてやるのだろう。一人、孤独に生き長らえる女を癒してやれるのだろう。生体洗浄を受けても元の体に戻るどころか、またも伴侶となった夫と死に別れる苦痛に苛まれただけだった。その男は出来もしない約束をしたばかりか、ハツを残して勝手に死んだ。挙げ句、ゾゾもハツを残して勝手に旅立つ準備を始めている。誰も彼も、ハツをなんだと思っているのだろうか。

「ゾゾ」

 拳を固めたゼンが呟くと、ゾゾはチナ・ジュンを継成の遺骨の傍らに置いた。

「これはハツさんのお墓に収めておきましょう。そうすれば、ハツさんも寂しくは」

「お前はハツを一人にする気か?」

「御冗談でしょう。ハツさんを宇宙に連れ出すおつもりですか? 現住生物であるハツさんは、私達とは」

「私が言いたいのは、そんな下らん話ではない!」

 激昂したゼンは作業台を放り投げ、植物の群れに突っ込ませた。激突した瞬間に継成の遺骨が砕けて飛び散り、チナ・ジュンは回転して土壁に突き刺さる。ゾゾは面食らったのか、後退りながらゼンとの距離を測った。

「ゼン……?」

「お前も継成も、ハツをどうして幸せにしてやろうと思わん! 継成も継成だ、勝手に死んでしまいやがって!」

「いかなる生体改造を与えようとも、死だけは抗えませんよ。それに、ハツさんは充分幸せな時間を」

「ハツが幸せに生きたことなどあるか! 皆、ハツを残して去るばかりではないか! 私も去れと言うのか!」

「私達はこの惑星にはいてはいけないのですよ、ゼン。あなたもそれは解りますでしょう。この惑星にとっては、私達の能力は生体情報は生態系を大きく乱す異物なのです。ワンが治り次第、ニルァ・イ・クァヌアイの星系に帰還し、本来の任務に戻るべきなのです。それが道理なのですよ、ゼン」

「いや、解らん! 解りたくもない!」

 大股に踏み込んだゼンは、ゾゾの首を掴んで壁に押し付ける。ゾゾの尻尾がぐにゃりと下がり、鈍く呻く。

「な、何を」

「これから私は、ハツを幸せにするのだよ! 未来永劫に! だが、その場にはお前は邪魔だ! 私がどう変わろうとも生体部品扱いし続けた罰だ! 私はお前の分身ではない、確立した人格を得た知的生命体だ!」

 ゾゾが抵抗の言葉を吐き出したが、ゼンはそれを聞き取らず、尻尾を曲げてゾゾの首に突き刺した。ゾゾはぐっと唸ったが、ゼンが尻尾の尖端を神経に接触させるとゾゾはすぐに意識を失った。

 ゾゾの記憶から生体改造技術を全てコピーして脳内に収めると、生体凍結処理を行ってゾゾの生体機能を完全に沈黙させた。殺そうと思ったが、生体部品として生み出された時に埋め込まれた生体制御機能が働いてしまったせいだった。けれど、これで当分はゾゾから余計な口を挟まれずに済む。

 ゼンは顔全体に笑みを広げながら尻尾を曲げ、チナ・ジュンに触れさせた。チナ・ジュンが吸収したばかりの継成の生体情報を採取したゼンは、身を割くような激痛に襲われながら生体構造を変換させ、長い時間を掛けて改造した。体積も骨格も内臓も部品も組み替えた末に、ゼンは継成と全く同じ容姿と記憶を得た。眼球が二つに増えた違和感は拭えなかったが、高揚せずにはいられなかった。これでようやく、ハツはゼンを見てくれるのだから。

 ゼンは地下研究室の入り口を埋めて封鎖してから校舎を出ると、今し方まで継成の遺体が横たわっていた家屋に戻り、継成の服を着た。日が落ちて闇に沈んでも、尚、ハツの姿は崖の上にあった。ゼンはなるべく平静を装いながら崖に向かい、ハツの背後から継成と同じ声で言葉を掛けた。

「ハツ」

 名を呼ばれた途端、ハツはひくっと小さく息を飲んだ。肩を縮め、涙に濡れた頬をそのままに振り返った。

「お前様……?」

「よう泣いとったようじゃのう、ハツ。ほんでも、もう、ええんやぞ。ゾゾが儂を生き返らせてくれよったんじゃ」

 ゼンが膝を付いてハツを背中から抱き締めると、ハツはゼンの腕に縋り付いた。

「ああ、ホンマに継成やね。ホンマにホンマね」

 泣き疲れて嗄れた声ではあったが、ハツは喜びに打ち震えていた。彼女の体温はひどく熱く、ゼンの腕に落ちる涙の粒も同様だった。何度となく夫の名を呼びながら、ハツはゼンを求めてきた。何の疑問も躊躇いも抱かず、これまで通りの愛情を欲してきた。その思いをこれまでずっと継成だけが受けてきたかと思うと、憎悪が湧いたが、継成はもう死んだのだ。だから、これからはゼンが継成としてハツを支えてやればいい。ハツはゼンの手を導いて体の至るところに触れさせてきた。その意味を理解したゼンはハツを愛し、三百年以上に渡る思いの丈を注いだ。

 ハツは継成に穢れされたせいで、俗世に引き摺り下ろされてしまっただけだ。だから、ゼンの手で、ゼンの体で、ゼンの思いで、ハツを今一度浄化してしまおう。細胞を一つも余さず清め、継成が反故にした約束を果たしてやる。最早、惑星ニルァ・イ・クァヌアイもナガームンもゾゾもどうでも良くなった。ハツさえいればそれだけでいい。戒律にも生体制御機能にも阻まれずに、心行くまで共に生き、愛し合おう。

 自分だけは、ハツを裏切らないのだから。


 

 以後、六十年余り。

 明治時代から昭和初期に掛け、継成の姿のゼンとハツは共に暮らした。ゾゾとゼンが顔を見せないことを訝られもしたが、ゼンは二人は自分を生き返らせるために消耗したので休眠した、と説明した。ハツはそれに対して疑問を持った様子もなく、息を吹き返した夫との暮らしに満足しているようだった。それもそのはず、ゼンは継成本人よりも全てに置いて上回っていたからだ。

 ハツの笑顔は絶えず、継成の姿のゼンも心底から笑い、嘘に塗り固められた生活であると解っていながらも止められなかった。いずれハツには真実が露見するかもしれない、との懸念が胸を掠めることは一度や二度ではなかったが、きっとゼンが元の姿に戻ってもハツは愛し続けてくれるだろう、と、根拠のない確信がゼンを慢心させた。そして、今は亡き継成への際限ない嫉妬心がゼンを駆り立て、禁忌を犯した。

 ゼンとハツの間には、何人もの子供が産まれていた。皆、ハツの血を濃く引き継いでいて、人間の姿はしていたが人ならざる面を持って生まれていた。彼らはゼンを父と呼んで慕ってくれ、ゼンに自尊心や親心らしきものを与えてくれた。何十年経とうとも、何人の子を産もうとも、ハツは衰えずに若いままだった。子が増えるたびにハツの笑みは増し、子育てに追われていようとも面差しは翳りはしなかった。

 継成との子は全て出払っていた忌部島には、ハツとゼンの子が東側に集落も築き、竜ヶ崎家と名乗るようになった。ある程度成長したら、子供達はそれまでと同じように本土に送り届けてやった。ゼンが本土に渡った際に我が子の元を訪ねてみると、竜ヶ崎家は忌部家と滝ノ沢家に継いで名のある家となって栄えていた。そのことをハツに伝えると、ハツは涙を浮かべて喜んでくれた。

 今度こそ、ハツの幸せな時間は終わらないものだと信じていた。永遠は存在しているのだと、それはこの自分が作るものなのだと教えてやれたと思っていた。ハツさえ望むのならば、共に宇宙に出るつもりですらいた。

 けれど、昭和を迎えてから数年後のある日、ワン・ダ・バの胴体を貫いている火山が突如噴火した。火山灰が噴き上がり、噴石が家屋や畑を荒らし、大きな地震が島全体を揺さぶった。ハツもゼンも命に関わる傷は負わなかったが、島の復興にはしばらく時間が掛かりそうだった。

 産まれて間もない幼子を抱いたハツは不安げだったが、ゼンが慰めてやると弱く笑みを取り戻した。倒壊しそうな自宅ではなく比較的造りが丈夫な校舎で暮らすべきだ、とゼンがハツと我が子を向かわせると、校舎の板張りの床が派手に割れ、その下から地下研究室の扉が覗いていた。

 ハツに見つかる前に隠さなければ。そう考えたゼンはハツと我が子を別の教室に行かせてから、職員室に入り、ゾゾが眠る地下研究室の扉を見下ろした。地震の衝撃でヒビが走っていたが、塞げないこともない。ゼンは割れた床板を剥がしてから剥き出しの土の上に飛び降りると、扉に手を掛けた。すると、扉が下から押し上げられ、紫色の四本指の手がはみ出し、隙間から赤い単眼が外を窺い、ゼンを捉えた。途端に扉が吹き飛ばされるように外され、生体凍結したはずのゾゾが這い出してきた。

「継成さん……? いや、違う!」

 ゾゾはゼンの尻尾が負わせた傷が残る首筋を押さえ、苦々しげに吐き捨てた。

「ゼン! あなたは一体何をしているのですか!?」

「ゾゾ、なぜだ、生体凍結したはずなのに」

 ゾゾが目覚めては、これまで積み重ねてきた日々が崩れ去る。ゼンが後退ると、ゾゾは叫んだ。

「あなたの生体凍結は不完全だったのですよ! だから、噴火に驚いたワンの生体電流を浴びたぐらいで私の生体活性が戻ったのです! その際に、ワンから全てを聞きました!」

 ゾゾは継成の姿をしたゼンに歩み寄り、着物の襟首を掴んで割れた床板に叩き付けた。

「元の姿に戻りなさい! さあ、今すぐに!」

「ハツは幸せに暮らしているのだぞ、それを止めろと言うのか! 勝手な奴めが!」

 ゼンが負けじと声を荒げると、ゾゾは目元を歪めて尻尾を挙げた。

「勝手なのはあなたでしょうが! では、実力行使しかないようですね!」

 首筋の皮膚が破られ、頸椎と神経の束にゾゾの尻尾が接触する。直後、ゾゾから流し込まれた生体電流がゼンの自由を奪い、ゾゾの尻尾を掴もうとした手から力が抜けていった。

 両膝が折れて湿った土に埋まると、久しく生えていなかった尻尾がずるりと伸び、土を擦る。二つに分かれていた視野が一つに戻り、手足が伸び、骨格が増し、頭蓋骨が変形し、ありとあらゆる骨が、筋が、肌が、感覚が、本来あるべき姿に戻されていく。トカゲに戻れば、またハツは自分をなんとも思わなくなってしまう。

 心身の耐え難い苦痛に負けたゼンが咆哮を上げていると、割れた床板が軋む音がした。その音にゾゾが弾かれるように振り返ると、幼子を抱いたハツが職員室を覗き込んでいた。

「ハツさん」

 ゾゾはぎくりとし、ゼンに突き刺していた尻尾を抜いた。ハツは零れ落ちそうなほど見開いた両目を動かし、ゾゾと元の姿に戻されたゼンを見比べていたが、我が子を床に落として後退った。

「ゾゾ……? お……お前様……?」

「ハツ」

 ゼンは愛する妻を落ち着かせようと笑みを見せるが、喉から出た声は低く濁ったトカゲの声だった。

「ほ、ほんなら、この子は? これまでうらが産み育てた子らは? 全部、全部、継成の種と違うておるんね?」

 ハツは血の気が引きすぎて目眩を起こし、引き戸にもたれかかる。

「ハツよ、だがこれには訳が」

 ゼンが床に昇ろうとすると、ハツは顔を覆った。

「言い訳など聞きとうない! ああ、なんで継成やないね、なんでうらは気付かなかったんね!」

「私はただ、お前を幸せにしようと」

「黙らぬか、化け物が! うらは充分幸せやったわ、本物の継成が生きておった頃は!」

 涙に上擦った怒声を張り上げ、ハツはゼンをきつく睨んだ。敵意と嫌悪が滾る目に畏怖し、ゼンは硬直する。

「ハツ……」

「ゼン、お前など死んでしまえ! 二度とうらに近付くでない!」

 ハツは髪を振り乱して叫び散らし、泣き喚く我が子を置いて駆け出した。ゾゾは呆然としているゼンを一瞥すると、床に置き去りにされた乳飲み子を抱き上げ、尻尾を伸ばして生体接触した。

「やはり、そうでしたか。ゼン、あなたはハツさんとの間に何人の子を設けたのですか」

「両手でも、足りん」

 ふらつきながらも答えたゼンに、ゾゾは首を横に振って嘆いた。がくがくと震えながら、ゼンは床板に這い上がったが座り込んだまま動けなくなった。ハツから罵られたのは初めてであり、ハツがあれほど汚い言葉を使うのを聞いたのも初めてであり、明確に拒絶されたのも初めてだった。しかし、何もかもハツのためだった。ハツが喜んでくれると思ったからこそ、ゼンは己の姿を偽ってハツを慰め、ハツが幸せだと言ってくれるからこそ何人もの子供を設けた。なのに、ハツはゼンを化け物だと罵った。死んでしまえと、二度と近付くなとも。あれほど愛してやったのに。

 三百八十年と少々の時間を経て、ゼンは単なる生体部品から知的生命体へ進化した。それは全て、ハツがゼンの傍にいてくれたからだ。知識だけでは得られなかった経験を地に足を付けて積み重ね、他愛もないことを喜び、悲しむことが出来るようになったから、感情の機微を得られるようになった。ハツを愛するようになったことで、家族を成す幸せを知ることも出来た。だが、それはゼンの独り善がりな幸福だったのか。深く暗い絶望の渦に没し、ゼンはよろけながら立ち上がった。ハツを探し、伝えなければ。君を幸せにしたかっただけなのだと。

 ハツの生体反応は、火山の火口付近にあった。ゼンはそれを辿って無我夢中で駆け回り、火山灰と噴石の散る斜面を登っていくと、溶岩の熱と火山性ガスが立ち上る火口付近にはゾゾだけが立っていた。その腕の中では幼子がぎゃあぎゃあと泣き喚き、産着の端が熱風に翻っている。

「ハツは、どこに」

 ゼンがゾゾの背に問うと、ゾゾは幼子から目を離さずに答えた。

「ニライカナイへ、旅立たれましたよ」

「ニライカナイ……」

 母星と良く似た名の故郷。まだ見ぬ惑星だ。ゼンはそう呟き、青く冴えた空を仰いだ。ニライカナイという理想郷の話は、ハツからよく聞かされていた。ハツが琉球にいた頃に住民から教えられた民間伝承で、海の先にある異なる世界だ。ハツは琉球の理想郷であるニライカナイに、それに似た名のニルァ・イ・クァヌアイにも行きたがっていた。だから、ハツはついに理想郷へと旅立ったのだ。穢らわしい現世に絶望したからだ。

 だが、ワン・ダ・バの欠損した生体情報を補填出来るハツの生体情報がなければワン・ダ・バはまともに動かない。では、ワン・ダ・バを動かすに足る生体情報の持ち主を、ハツの言うところの龍ノ御子を血族から見つけよう。見つけ出せなければ生み出そう。生まれなければ造り出そう。もう一度ハツに会って愛を育むために。

 そう胸に誓ったゼンは、ゾゾからワン・ダ・バの操縦に不可欠な生体情報を奪い取って、再び生体凍結させると、ゾゾの腕から我が子を取り戻して本土に渡った。戦前の混乱に乗じて竜ヶ崎家の当主の座に収まったゼンは、ハツと継成の長男の名と自分の名を合わせた名前、全司郎と名乗った。忌部島から持ち出してきた大量の文献を行使して忌部家と滝ノ沢家を分家に認定し、竜ヶ崎家の血族を利用して両家を押さえ込んだ。同時に政治や経済の有力者との関係も深め、膨大な金と権力を得るようになった。

 戦後、盤石の地位を得たゼンは、御三家の血縁者を掌握するために突然変異的な能力を得た血族をミュータントと名付けると、インベーダーという架空の敵も作り出して政府に掛け合って変異体管理局を立ち上げた。好き勝手に結婚して繁栄していた血族の中から出来の良い雑種を見つけ出すのが目的であると同時に、その雑種にゼンの血を混ぜてより良い突然変異体を交配するためでもあった。生体改造技術はゾゾから得ていたが、どうやっても上手くいかなかったからだ。その結果、幾度となく近親交配を繰り返すことになり、思い通りの個体を造り出すまでに時間を喰ってしまった。

 それが一段落したのはごく最近で、ハツに匹敵する生体情報の持ち主、すなわち龍ノ御子が曾孫として産まれ、ワン・ダ・バが動かなかった場合の保険として造ったコピー能力を持った個体も完成し、次元乖離空間跳躍航行技術の理論も自分なりに煮詰めて確立させた。だから、もう一息で会える。

 ニライカナイに旅立った、愛しい女に。



 長い長い話を終えて、ゾゾは緩く息を吐いた。

 話し始めた頃は高かった太陽もすっかり傾いていて、水平線に沈みかけている。昼食後のお茶として入れた紅茶はポットの中で冷め切っていて、誰のカップからも湯気は昇っていなかった。西日の差し込む食堂には、ゾゾが自分のティーカップをスプーンで掻き回す音しか響かなかった。底に沈殿した溶けた砂糖を馴染ませてから、ゾゾは紅茶を口にして喉を潤した。紀乃は両手に包んだティーカップを握り潰しかねないほど、手に力を込めていた。

「……それで、ハツさんはどうなったの?」

「自害されたんですよ。火山の火口に身を投げられて、溶岩の中へと。止める間もありませんでした」

 ゾゾは遠い目をして、東京湾に横たわる宇宙怪獣戦艦を見つめた。

「その直後にゼンに生体凍結されましたが、私の生体には耐性が付いていたので、ゼンの目を盗んで元の状態に戻り、忌部島に身を潜めたのです。ですが、二度に渡る強引な生体凍結で私の生体組織は損傷してしまい、忌部島を出るに出られない状態が数十年続いたのです。その間にゼンは本土に渡り、今に至るというわけです」

「それが、俺達のルーツってわけか」

 再び透明化した忌部は、頭部に巻いた包帯の隙間から紅茶を啜った。

「ゾゾさんがお助けになられたお子さんは、どうなられましたの?」

 翠が問うと、ゾゾは答えた。

「彼は東京の竜ヶ崎邸で暮らしていたのですが、やりたい放題のゼンに愛想を尽かして実家を出ましてね。奥方の姓を名乗り、竜ヶ崎家とは縁を切って人生を全うしたのですよ。その姓が斎子であり、その分家が斎部家なのです。ハツさんのお墓を本土に移してくれたのも彼でしてね。ゼンが父親とは思いがたいほどに人が出来ていた御方で、私にもよく気を掛けて下さいました。彼自身は、これといった特殊能力は持ち合わせていませんでしたが、それ故に思うところがあったのでしょうね」

「誰の気持ちも解って仕方ねぇ。解りたくもねぇと思っていたクソ野郎の気持ちも解るのが嫌だ」

 虎鉄は忌々しげにヘルメットの下で顔を歪め、拳をテーブルに叩き付けた。

「誰も彼も幸せになろうとした。だからこそ噛み合わなかったんだ」

 隣の席に座っている甚平に寄り掛かった呂号が、重苦しく呟いた。

「なんてーか……しんどいな。つか、ゾゾ、お前がどうにか出来なかったん?」

 伊号が率直な感想を述べると、ゾゾは首を横に振った。

「あの頃の私は、今以上に了見の狭い男でしてねぇ。ゼンの変化を受け入れようとしませんでしたし、受け入れては主従関係が破綻すると信じ込んでいたんですよ。だから、決して言うべきではない言葉を吐いてしまったのです」

「難しいのよね、幸せになるのって。自分の意志とは無関係に、誰かを踏み躙ることもあるんだから」

 芙蓉はティーカップの縁を指先で擦り、飲み残しの紅茶に波紋を作った。

「だけど、これではっきりした。竜ヶ崎全司郎はとんでもない臆病者だってことが」

 甚平は呂号を支えてやりながら、いつになく明瞭な口調で言い切った。

「そんなにハツさんのことが好きなら、最初から自分の口で言えばいい。自分の意志が尊重されていないのを不満に思うんだったら、ゾゾに直談判すればいい。継成さんと上手くいかないんだったら、話し合えばいい。なのに、それを一つもしないで他人の気持ちをこうだと決め付けて、勝手なことをしてばかりいたんだ。自分の意志を否定されるが怖いから、過ちを指摘されるのが嫌だから、現実を見たくないから、自分より立場の弱い相手を蹂躙して、手前勝手なプライドを満たしているだけに過ぎない。そんなつまらない男に、僕らは良いようにされていたんだ」

「けれど、どうしてその話を私達に聞かせた?」

 それまで押し黙っていた秋葉が口を開くと、ゾゾは空になったティーカップを持って立ち上がった。

「潮時かと思いましてね」

 不意に、海上基地が突き上げられたかのように震えた。厨房では大量の調理器具が落ちてけたたましい騒音を立て、窓ガラスにはヒビが走り、天井からは埃が舞い落ちた。それが落ち着くと、ゾゾはワン・ダ・バに向いた。

「ワンが震えています。どうやら、ゼンが力を取り戻したようです。奴が腹の中に取り込んだ波号さんの生体情報が落ち着き、波号さんがコピーした能力を余さず行使出来るようになるまでは、あと一日といったところでしょう。私達に残された猶与はそれだけです。ですので、皆さん。明日は心置きなく過ごして下さい」

「んなこと言われたって、死ぬつもりなんてないっすからね? 俺は輝かしい人生設計に忙しいんすから」

 床に落ちて割れたティーカップを拾い集めながら山吹が言い返すと、ゾゾは少し笑んだ。

「そのつもりでどうぞ」

「ねえ、ゾゾ」

 紀乃はティーカップを置き、立ち上がってゾゾに向いた。ゾゾは振り返り、紀乃と目を合わせる。

「はい、なんでしょう?」

「ハツさんは、幸せだったと思う?」

「ええ。彼女はとても幸せだったんですよ。継成さんが亡くなられた時も、寂しがってはおりましたが死を受け入れるおつもりでした。それを、あの無神経で無遠慮な男はぶち壊しにしたのです」

「だったら、ゾゾは幸せだった? あんなのの末裔の、私達と一緒に暮らしていて」

 紀乃の不安げな瞳に見上げられ、ゾゾは緩やかに口元を広げた。

「ええ、心の底からね。ですから、私は忌部島をワンに戻してしまうのが本当に惜しかったのですよ。けれど、ゼンと戦わなければ紀乃さんや皆さんはゼンの呪縛から逃れられません。全く、腹立たしいことですよ」

 では失礼いたします、と一礼してゾゾは食堂から去った。紀乃は尻尾が垂れ下がった後ろ姿を見つめていたが、訳もなく目頭が熱くなった。ハツの生き様が心苦しかったのも一因だが、それ以上にゾゾの好意が純粋なものだと知ったことが嬉しかったからだ。

 竜ヶ崎全司郎に報いるために紀乃や皆に取り入ったのでもなく、同情からでも贖罪からでもなく、同じ島に暮らす仲間としての気持ちがあったのだと。本土から追放された時に感じた絶望に屈せずに済んだのは、ゾゾがいてくれたからだ。

 報いたい、との思いが自然と淡い恋心と重なり、紀乃は火照りかけた頬に手を添えた。尋常ならざる事態が続いているから、精神的な支えを求めてゾゾを慕っていた節もあった。事細かに世話をしてくれるゾゾに、家族に近い親しみを抱いていたのも本当だ。辛い時、悲しい時、寂しい時、紀乃の傍にいてくれたから好意を越えた感情が芽生えたのはごく自然なことだ。一晩掛けてじっくりと悩み抜いたが、やはり、ゾゾが好きだ。紀乃は目元を拭ってから振り返り、父親に向いた。

「ねえ、お父さん」

「なんだ、紀乃」

 虎鉄はヘルメットのバイザーに光を撥ねながら、長女に向き直る。紀乃は逆光の中、真摯に語る。

「私も、ゾゾと暮らしていて幸せだったんだ。心の底から、そう思うの」

「そんなにいいのか、あのトカゲが?」

 虎鉄は困り果てたように肩を竦めると、紀乃はちょっと照れた。

「うん。自分でも趣味はアレだなぁって思うけど」

「そこまで言うんだったら、もう止めやしない。ちょっと離れている間に、すっかり大人になっちまって」

 虎鉄は立ち上がると、紀乃に近付いてぐしゃりとその髪を乱した。

「……うん」

 紀乃は小さく頷き、俯いた。虎鉄は硬く厚い手で紀乃を撫でてから、手を引いて一歩下がった。

「だが、責任を持って行動しろ。自分に対しても、俺達や世間の連中に対してもだ」

 ぎゅいいいいい、ぎゅえええええ、ぎゅううううう、と、ワン・ダ・バは騒ぎ立てる。竜ヶ崎全司郎が力を得たことは、ワン・ダ・バにとっても恐怖なのだろう。その感情を感じ取ったガニガニは、ばちんばちんと鋏脚を強く打ち鳴らしてワン・ダ・バを落ち着かせようとしている。

 刃のように真っ直ぐな光条が無人の都市を茜色に染め上げ、ミラーガラスには宇宙怪獣戦艦が映り込んでいる。紀乃は度重なる戦闘で破壊された都市部を見据え、一つ、深呼吸した。

 心臓が絞られるように痛かった。

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