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南海インベーダーズ  作者: あるてみす


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42/61

反逆者的生体兵器奪取作戦

 確かに、在る。

 前髪を掻き上げて額を曝し、鏡と向き合いながら、波号は奇妙な感覚に陥っていた。自分の顔が、ちゃんと自分の顔だと認識出来る。見知らぬ誰かの顔だと思う、嫌な瞬間がない。自分が自分であることを思い出すために時間を掛ける必要がなくなっている。

 自分の名前、過去の記憶や経験、感情までもが簡単に思い出せる。それまでは、歯抜けだったものが何かで埋め合わせられている。隙間だらけなのに尖っていた自分という人格が、不安定なのに力ばかりを求めていた自分の根幹が、ようやく見定められた。

 計り知れない解放感と泣き出しそうなほどの安堵と共に、途方もない罪悪感が膨れ上がる。年代物の三面鏡には正面と左右の自分が映っていて、見るからに病弱な少女が波号を見つめ返していた。表情は怯えで強張っていて、母親である一ノ瀬真波の面影が濃く現れていた。

 真波が実の母親であるとを知ったのは、真波の生体情報を摂取して体内に蓄積させた時だ。竜ヶ崎の生体組織を摂取したことによって大幅に拡張した波号の能力を生かすには、波号自身の知識を水増ししなければならなかった。そのために、変異体管理局に勤める局員達からありとあらゆる知識や記憶を摂取し、対インベーダー作戦の主任である真波からも得た。

 その際、真波からは波号に対する嫉妬と憎悪が大量に流れ込んできたので慌てて知識以外を削除したのだが、真波が波号を産んだ際の記憶だけは削除出来なかった。妾の一族である真波にとっては、母親の相手であった竜ヶ崎を寝取って子供を孕んだことが何よりの幸福であり、誇りでもあった。

 だから、波号が腹の中にいる間は愛情深く育てていたが、いざ産んでみると波号が女だったので愛情が全て憎悪に塗り潰された。自分の娘にさえも嫉妬するのだから、余程、竜ヶ崎は真波の母親と真波に差を付けていたのだろう。竜ヶ崎の経験と記憶は読み取れていないが、読み取りたくないと心から思う。

「怖い……」

 波号は三面鏡の前で両腕を抱き、俯いた。竜ヶ崎邸にて波号に宛がわれた部屋は八畳間の客間だったが、私物はほとんどなかった。家財道具である三面鏡とタンスと座卓も備え付けられていたもので、仕立ての良い布団だけは後から運び入れたものだ。

 隣の客間は伊号の部屋なので、彼女の生命維持には欠かせないケーブルが廊下を這い回り、絶え間ない電子音が聞こえる。だが、波号の部屋には何もない。竜ヶ崎が読んで聞かせてくれた絵本や、伊号が好んで読んでいたファッション雑誌や、呂号のエレキギターの音色も聞こえない。秋葉が笑顔を向けてくれることもなければ、山吹が遊んでくれることもなければ、包帯まみれの忌部が相手をしてくれることもない。

「もうやだ、こんなの、元に戻してよ」

 波号は三面鏡を閉じ、頭を抱えて座り込んだ。自分でぶち壊しにしたくせに、なんて虫のいいことを言うのだろう。だが、竜ヶ崎から生体組織を与えられた時は、こんなことになるとは夢にも思わなかった。竜ヶ崎に言われた通りのことをするのが、かつての波号の幸福だったからだ。

 君はいい子だね、偉いね、と言ってくれるから、竜ヶ崎にだけは逆らうまいと心に誓っていた。だから、言われた通りに薬を飲んだ。竜ヶ崎から促されれば、自分から口を開けて銜えに行った。精一杯、竜ヶ崎を悦ばせる技術を覚えた。呂号のように廃棄処分されたくなくて、伊号よりも自分が優れていることを見せつけたくて、言われるがままに戦った。秋葉でさえも傷付けた。

「君は、それを後悔している?」

 波号の口が勝手に動き、波号ではない声で波号以外の誰かが喋った。

「あなた、誰?」

 波号が自分の意志で問い返すと、波号の内にいる誰かは答えた。

「識別名称はヴィ・ジュル。少し前までは電影と呼ばれていた。昨日君が暴走した時、ヴィ・ジュルは友達を守るために君の能力を制御下に置いた。その際、ヴィ・ジュルは君が生まれつき損なっているものを補うため、君と同化する道を選んだ。だから、今、ヴィ・ジュルは君であり、君はヴィ・ジュルでもある。同化した際、ヴィ・ジュルは君について深く深く理解した。君の能力は凄まじいが、それ故に負担が計り知れない。十年間も生存活動が継続出来たことは奇跡にも値する結果であるが、コピーするたびに君は君自身を失っている。記憶障害は能力の副作用である同時に君自身を守るための自己防衛措置でもあるが、それも最早限界だ。ヴィ・ジュルはそう判断する」

「やっぱり、あなたもそう思う? 私もね、自分で自分がよく解らなくなっちゃったの。誰かをコピーすると、私は私じゃなくなるだけじゃなくて、外側の私と内側の私が出来ちゃったんだ。今は内側の方。パパの傍に行ったり、戦ったりすると、私は外側の私だけになっちゃう。でも、それは本当の私じゃない。偽物の私なんだ」

 三面鏡を右側だけ開いた波号は、半分だけ映った自分を見る。口が動き、再びヴィ・ジュルが喋る。

「ヴィ・ジュルはこう分析する。君が外側と称した外部人格と内部人格を統合すべきだ。でなければ、人格の根底を支える脳そのものが致命的な損傷を負う可能性がある。そして、人格統合が完了するまでは、一切能力を使わずにいるべきだ。それまでにコピーした他人の能力も同様だ」

「でも、そんなこと、パパが許してくれないよ」

「それについてはヴィ・ジュルは同意する。ゼン・ゼゼ、通称、竜ヶ崎全司郎は君に対して並々ならぬ執着を抱いている。能力の汎用性の高さだけではない、君自身に対してもだ。それが危険であることは、君は理解している」

「うん。だって、私、パパの子供なんでしょ? 主任もパパの子供なんでしょ? だから、私はパパと一緒になっちゃいけない。私みたいな子供が増えたら嫌だし、また、パパが道具にしちゃったら嫌だから」

「そうだ。だから、ヴィ・ジュルは進言する。今こそ君は戦うべきだ、自分自身と、竜ヶ崎と」

「だけど、私はパパを裏切りたくないよ」

 波号は三面鏡の右側を閉じてから、左側を開いて自分を見据えた。

「私がパパから離れたら、イッチーはどうなるの? 自衛隊や、局員さんや、他の人達はどうなるの? それが怖いから、パパの道具でいるの。パパを一番近くで見ていれば、もしかしたら、パパを止められるかもしれないから」

「しかし、ヴィ・ジュルは判断する。君は竜ヶ崎を攻撃出来ない」

「うん」

「そして、こうも判断する。君を愛してくれるのは竜ヶ崎だけだと思っている」

「うん。主任は私を産んだけどお母さんにはなってくれなかったし、むーちゃんと丈二君だって、国防のお仕事だから私と遊んでくれただけなんだ。むーちゃんと丈二君が本当の家族だったらいいな、って思ったことは一杯あるけど、でも、無理だもん。だから、私にはパパしかいないの」

 三面鏡に映る左半分だけの自分を見、波号は頬を引きつらせた。どれほどいびつであろうと、愛してくれるだけでも充分だ。産み捨てられたも同然の波号が生きていられるのは、竜ヶ崎が目を掛けてくれたからだ。

 ミュータントの中でも特異な能力を引き出してくれて、有効活用してくれた。それ以外に波号が生きる道はないのだと、解り切っているからだ。けれど、そう思えば思うほどに、暴走した際に半ば故意で並列空間に転送した、住宅街やマンションが頭を過ぎる。有り触れた家族が有り触れた人生を送っていた場所が羨ましくて、狂おしくて、壊してしまいたくなったからだ。ごく当たり前の幸せは、自分からは最も縁遠い位置にある。それを得られないのなら、いっそ。

「けれど、君はそれについても後悔している。ヴィ・ジュルはそう理解する」

 波号の口が別人の声を発すると、波号は目の縁に熱い体液が滲み出た。

「……うん」

 妬めば妬むほど、僻めば僻むほど、普通は遠のいていく。一般市民の生活を守るのが甲型生体兵器である波号の仕事なのに、それに嫉妬して破壊しては本末転倒だ。けれど、今も目に焼き付いて離れない。

 波号が並列空間に転送したマンションのベランダで揺れていた洗濯物や、民家の庭に出ていた三輪車や、原色のおもちゃや、窓から垣間見えた子供の下手な絵や、家族の肖像が。ヴィ・ジュルのおかげだろう、波号の記憶はいつになく鮮明で、端々まで思い出せるのが嬉しくもあり、非常に辛かった。膝を抱えた波号は背を丸め、目を閉じた。

 八畳間は変異体管理局で割り当てられていた自室よりも狭かったが、寒々しさは変わらなかった。九月の初めで蒸し暑い気候であっても、波号の肌に汗は滲まない。むしろ、鳥肌が立つほどだ。布団の中に潜り込めば、一時は柔らかな感触に包まれるが、目を覚ませばまた同じことだ。

 秋葉の元に駆け寄って抱き付きたくなったが、秋葉は戦いから遠ざけるために傷付けた。一度目は肩を脱臼させ、二度目は背中の皮を浅く切った。その成果だろうか、近頃、秋葉の姿を見かけない。山吹も姿をくらましたようだし、きっと二人で遠い場所に行ったのだろう。山吹と秋葉が知らない土地に行き、夫婦になって幸せな家庭を築いていく様は容易に想像出来る。山吹の体が体なので子供は望めないだろうが、明るい家族になるのは受け合いだ。その光景を間近で見てみたいものだが、二人に迷惑が掛かるので想像だけで止めよう、と波号は瞼を開いた。すると、廊下が軋み、障子戸に大柄な影が落ちた。

「波号、起きているかい?」

「なあに、パパ?」

 思考を中断し、波号は必要以上に幼い口調で問い掛けた。障子戸が開き、竜ヶ崎が見下ろしてくる。

「電影の本体である赤い勾玉、ヴィ・ジュルを知らないかね? あれがなければ、私の本懐は果たせぬのでね」

「知らないよ?」

 波号は鼓動が跳ねたが、生体電流を調節して脳波を落ち着かせた。竜ヶ崎は一度瞬きする。

「本当かね?」

「私がパパに嘘なんか吐くわけないもん」

 波号が拗ねてみせると、竜ヶ崎は膝を付いて波号と目線を会わせた。

「そうか、それはすまなかったね」

 竜ヶ崎の四本指の手が伸び、波号の髪を撫で付けてきた。人間よりも体温の低い指が丸い頬を包み込み、悠長な仕草でなぞり、顎から首筋まで辿った。ボタンを留めきっていなかったシャツワンピースの襟元に入ると、竜ヶ崎はざらついた手のひらを薄い胸元に滑り込ませ、波号の幼い体を確かめてくる。

「では、確かめさせてくれるね?」

 竜ヶ崎は口調こそ穏やかだが、拒否を許さない威圧感が宿っていた。波号が小さく頷くと、竜ヶ崎は尻尾の尖端で障子戸を閉め、波号を布団の上に横たえた。障子戸を透かして差し込んでくる昼下がりの逆光を浴びて、竜ヶ崎は波号を見下ろしてくる。紫色の巨体の中で赤い単眼が目立ち、竜ヶ崎家の家紋が入っている藍色の着流しの裾が割れて長い尻尾がぬるりと現れた。

 それが竜ヶ崎の手に変わって波号の薄い胸元に滑り込み、シャツワンピースを不気味に膨らませながら、胸から腹、腹から太股に這い回る。細く硬い尖端が下着を持ち上げると、ぐ、と最深部に押し込まれる。異物が体内に侵入してきた痛みと圧迫感で波号が呻くと、竜ヶ崎は厚い瞼を上げた。

「波号。君はヴィ・ジュルを知らない、と言ったね? 言ったはずだね?」

 ぐい、と尻尾の尖端が曲がり、波号の狭すぎる胎内を捻る。

「う、ぐぇ……」

 腹を裂かれるような痛みと本能的な恐怖で、波号は脂汗を滲ませる。竜ヶ崎は波号の震える体を引き寄せると、唇を歪めて呻きを堪える波号の耳元で、ねっとりと囁いた。

「では、これは何だね? 君の体液に混じっている生体反応について、どう説明するつもりかね? 珪素生物回路に他ならないではないか。私に嘘を吐ける立場ではないと重々承知しているはずだろう、波号?」

「う……うそ、じゃ、ないよぉ。そんなの、知らなかっただけだもん。だって、私、あの時、何が何だか解らなくて」

「いや、嘘だね。ヴィ・ジュルの生体反応が馴染み切っている。手に入れるどころか、奴を吸収したのか」

「うぁ、あぁ……」

 嘘を吐いていたことを悟られた。波号が苦痛に喘ぐと、竜ヶ崎は口の端を歪めた。

「並列空間に接続出来るほどの空間跳躍能力を使えたことについては、褒めてやろう。それが立証出来なければ、ワン・ダ・バの生体情報を全てコピーしても、まずニライカナイへは行けん。珪素回路であるヴィ・ジュルがなければ次元乖離空間跳躍航行技術は使用出来んのだよ。そのヴィ・ジュルの重要性について、私は教え込んだはずだ。違うかね? それなのに、ヴィ・ジュルを吸収したことを言わずにいるとは、どういうことかね?」

「ご、ごめんな、さ、いぃぎぇっ!」

 謝る最中に尻尾が深く押し込まれ、波号は痛みのあまりに痙攣した。

「まあ、ヴィ・ジュルの生体情報を操れる状態となったのだから、ひとまずは良しとしようか。私の生体情報とゾゾの生体情報を合成し、復元すればいいだけのことなのだからね。後で食事を運んでこさせよう。あの愚かな男の腕は肉も硬ければ筋が強くてな、食べやすくするだけでも一苦労だったのだよ。だから、存分に味わってくれたまえ」

 波号の中心から尻尾を引き抜いた竜ヶ崎は、尖端に絡む体液と薄い血の筋を、丹念に舐め取った。

「はい、パパ」

 波号が弱々しく答えると、竜ヶ崎は波号の耳元に口を寄せる。

「食事を済ませたら、粛清を始めよう。私がニライカナイに至るために不要なものは、全て処分しなければ」

「はい、パパ」

 波号は涙目で頷くと、竜ヶ崎は満足げに頷き返し、客間を後にした。途端に全身から汗と涙が溢れ出し、波号は外気が暑いのか寒いのか解らないほどの混乱に襲われた。がちがちと顎は震えて肌は粟立つが、汗が止まらず、涙混じりの雫がぱたぱたと畳を叩く。

 下半身には違和感と痛みが残り、まだ尻尾が中に入っているかのようだった。怖くなんかない、ああいうことをされるのはとても幸せなことだ、と自分に言い聞かせようとするが、ヴィ・ジュルの声も同時に頭の中に響いてくる。あれは愛情ではない、ただの欲望だ、とヴィ・ジュルは判断する、と。

 反論したくても、拭いきれない恐怖が思考を掻き乱してくる。立ち上がろうとしても、膝に力が入らない。助けを乞おうとしても、喉が痛んで声が出ない。自分自身が認識出来るようになったことで自分の状況も認識出来るようになっていなければ、こうはならなかっただろう。きっと、竜ヶ崎の寵愛を受けられたことが、途方もない幸福だと信じ込んでいたはずだ。だが、そうではないのだ。竜ヶ崎のねじ込んだ欲望が鋭い痛みを生み、波号の心中をも抉っていた。

 最初から、愛されてなんかいなかったのだ。



 はーちゃん、むーちゃん、じょーじくん。

 クレヨンを塗りたくった拙い絵の下には、不器用な文字が連なっていた。いつ頃描かれた絵なのかは解らないが、波号が楽しんで絵を描いたことは見ただけで解る。

 他の絵の色合いは均等なのに、三人の姿が描かれた絵だけはオレンジや黄色で縁取りが描かれていた。海と空の色は塗り分けていて、雲は白いクレヨンで描かれている。三人は変異体管理局からも見える海沿いのテーマパークで遊んでいるところらしく、白いお城やジェットコースターらしきものが背景に描き込んである。波号は風船を持っていて、山吹と秋葉と手を繋いでいる。

 どこにでもあるはずの、だが、波号の立場では有り得ない光景だった。人型軍用機の並ぶ格納庫の片隅で、山吹は波号の幼い絵を穴が空くほど見つめていた。波号の部屋で秋葉が見つけてきた絵で、手放しておくのが怖いほど惹かれる絵だった。

 波号は秋葉をサイコキネシスで痛め付けた時、作りものの愛情を気持ち悪いと言った。それは真理だろうし、山吹もそう思わないでもない。産まれるはずのない我が子の姿を波号に重ねていたことについては、山吹と秋葉が悪いとしか言いようがない。けれど、様々な出来事を経るうちに、山吹の内側にへばりついた余計なものが刮げ落ちた。秋葉が結婚の申し込みと同時に頼んできたことは、山吹も心の片隅で考えていたことだった。守るべきものと救いたいものが増えると、戦意は嫌でも高ぶる。じっとしていられなくなる。

「おい、山吹。仕上がったぞ」

 人型軍用機のハンガーにいた虎鉄から声を掛けられ、山吹は画用紙を持ったまま振り返った。

「ああ、どうもっす」

「俺は金属のことはちったぁ解るが、機械についてはさっぱりなんだ。だから、期待はするなよ。機体自体の欠陥の廃熱不良は直して、冷却水も補充したが、他は手を付けていないも同然なんだからな」

 虎鉄は機械油にまみれた手を振り、肩を竦めた。山吹は波号の絵を折り畳み、戦闘服の胸元に入れた。

「それだけでも充分っすよ、充分。んで、あれは何すか?」

 山吹は愛機の下半身から胸元にかけて書き殴られた文字を指すと、虎鉄は笑った。

「景気付けだ、気にするな」

 《Save・the・Daughter!》と、虎鉄の手によるワイルドなノーズアートが書き加えられた山吹丈二専用人型軍用機は、格納庫で山吹の搭乗を待ち侘びていた。

 ワン・ダ・バの襲撃時に局員全員が緊急退避した際、人型軍用機はほとんど搬出されなかったのか、電影のハンガーだけは空いていたが、それ以外は人型軍用機が整備途中で放置されていた。部品も備品も床に投げ出されていて、作業台から転げ落ちた缶コーヒーが黒い染みを作っていた。

「こっちもいい感じなのよねぇん」

 芙蓉は下半身を液状化させ、床を滑りながら移動してきた。その背後からは、同じように足元を溶かされた人型多脚重機がゆっくりと滑って移動してきた。仇敵であった小松建造を思い出す外見だが、四の五の言っている暇はない。芙蓉はちゃぽんと跳ねて下半身を元に戻すと、虎鉄と山吹の前に立ち、人型多脚重機に振り返った。

「紀乃が手近な工事現場から拾ってきた機体だけど、本当にこんなので良かったの?」

「それで充分。何の問題もない」

 戦闘服に着替えて長い髪を三つ編みにした秋葉は、人型多脚重機を仰ぎ見た。

「現在、局長側の主戦力は波号に限定されている。この数日、伊号が動いた気配もなければ痕跡もない。戦闘部隊を凌ぎ、本陣である竜ヶ崎邸さえ押さえれば、私達にも勝機はある。しかし、そのためには戦力を拡散させる必要がある。そのためには、あなた方の協力が不可欠。ゾゾの処置のおかげで、完全ではないが右肩の痛みは沈静化し、背中の裂傷も塞がりつつある。長時間の戦闘は難しいが、短時間で畳み掛けることは可能」

「要するに、波号を助けるための陽動に街中で一暴れしてこいってことだね。今のままで敵だった相手を助けるのはちょっと腑に落ちないけど、希代のクソ野郎の竜ヶ崎全司郎から女の子を救い出すって考えれば、やる気は出なくもないね。やりすぎない程度に頑張るよ」

 サイコキネシスで浮遊している紀乃は人型多脚重機の上に乗ると、足を組んだ。

『僕も紀乃姉ちゃんと一緒に戦う! はーちゃんの中には、電影がいるんだもん! はーちゃんを助けるってことは、電影を助けるってことでもあるんだから!』

 格納庫内のスピーカーにヒゲを接触させて喋ったガニガニは、ばちんばちんとハサミを打ち鳴らした。

「でも、無理しちゃダメだよ? ね?」

 紀乃はガニガニの上に乗り移ると、その頭部を撫でた。ガニガニは振り上げた鋏脚を下ろし、巨体を縮める。

『う……うん……』

「よしよし、ガニガニは良い子」

 紀乃は満面の笑みを浮かべ、ガニガニに硬い外骨格に身を寄せた。ガニガニは紀乃の体温を直接感じ、一瞬、巨体が揺らいだ。可愛がってもらえてとても嬉しいのだが、嬉しすぎてちょっと恥ずかしい。紀乃はそれを知ってか知らずか、ガニガニをしきりに可愛い可愛いと褒めてくる。それがむず痒く、ガニガニはこちこちと顎を鳴らした。

「あ、えと、その、僕はパスしてもいいかな」

 格納庫の隅にいた甚平が挙手すると、未だに可視状態が保たれている忌部は返した。

「別に構わんさ。俺と翠も、山吹が考えた無謀極まる作戦に参加するつもりはないしな。従って留守番だ」

「あ、いや、その、うん、そういうことじゃないっていうかで」

 甚平は両手を横に振ってから、もごもごと口の中で言葉をこね回していたが、躊躇いがちに進言した。

「ああ、う、えと、皆が暴れている最中に、僕は調べることを調べておきたいっていうか。竜ヶ崎って人の部屋とか、資料室とか、見て回ったら、確認しなきゃならないことが出来たっていうか。だから、その、車も一台借りていこうかなって。でないと、行けそうにない距離だし」

「意外だな、免許あるのか?」

 忌部が感心すると、甚平は半歩後退った。

「あ、いや、その、まだ半分。っていうか、仮免。これから学科試験を受ける、ってところで、こんな体になっちゃったから、取るに取れなかったっていうかで。でも、うん、オートマなら運転は出来るから」

「目的地はどこだ。僕も付き合う。どうせ基地にいても暇なんだ」

 呂号が問うと、甚平は太い指先で空中に地図を書きながら答えた。

「ああ、うん、その、都内じゃないの。練馬方面っていうか、埼玉に近いかな。そこに忌部の分家があるらしいから、そこに行けば、僕の目当てのものが見つかるんじゃないかなって。で、でも、その、移動時間も食うし、自衛隊やら何やらに見つかる可能性も高いから、皆が派手に暴れていてくれなきゃまず行けないっていうか。だから、その」

「いいっすよそんなん、気にしてくれなくても。俺らは俺らで、やりたいことをやるだけっすから」

 山吹はグローブを填めた拳を固め、手のひらに打ち付けた。

「私達は利害の一致を理由に一時的に共闘関係を組んだに過ぎず、同胞となったわけではない。故に、はーちゃんの奪取作戦が終了してしまえば、私達は即座にあなた方と敵対する」

 秋葉はヘルメットを脇に抱え、人ならざる面々を見渡した。

「それはそれは。残念ですねぇ、私としては山吹さんと秋葉さんとも仲良くなりたかったのですが」

 連絡通路から独特の湿った足音が響き、右腕の切断面に包帯を幾重にも巻き付けているゾゾが格納庫に入ってきた。その姿を見た途端、紀乃はガニガニの上から下りてゾゾに駆け寄った。

「ゾゾ! ここはいいから寝ててって言ったじゃない、ちょっと戦ってくるだけなんだから!」

「紀乃さんの柔肌に傷が付けられるかと思うと、不安で不安で寝てなどいられませんよ。右腕さえあれば、おいしい晩御飯を作ってお待ちしているのですが、そうも行きませんし」

 ゾゾは首を横に振るが、紀乃はサイコキネシスでゾゾを浮かばせ、むくれた。

「ケガしてんだから、じっとしてなきゃダメ! 御飯だったら忌部さんと翠さんがなんとかしてくれるし!」

「今度ばかりは紀乃の言う通りだ。お前ほどのものは作れないが、喰えるものは出してやれるからな」

 ほれほれ、と忌部は宙に浮いたゾゾを押すと、ゾゾはぐんにょりと尻尾を垂らした。

「仕方ありませんねぇ。ですが、皆さん、気を付けて下さいね」

「解ってるってぇ」

 紀乃は軽く指先を振り、ゾゾを格納庫から外に追い出した。忌部は複雑極まる表情の兄夫婦を見、苦笑した。

「気持ちは解るが、諦めろ、兄貴。こうなったらもう、どうにもならん」

「ああ全くだ! 自衛隊だろうが何だろうが、憂さ晴らしにはなってくれるだろうさ!」

 虎鉄が大股に歩き出すと、芙蓉がその後を追った。

「はいはい。てっちゃんは寂しいのよねー。紀乃はゾゾに取られちゃったし、露乃も甚平君がお気に入りだし」

 馬鹿を言うな、そんなんじゃない、と呂号が珍しく声を荒げたが、信憑性はどこにもなかった。それどころか、甚平は困ったような嬉しいような半笑いを浮かべて尻尾を丸めている。紀乃も顔を背けたが、明らかに頬が赤かった。山吹も秋葉も虎鉄の目的を知っているだけに、少しばかり同情してしまった。

 忌部はさっさと格納庫から引き上げ、甚平は否定の言葉を吐き続ける呂号を連れて駐車場に向かい、ガニガニはヒゲを上下に振りながら格納庫から外に出ていった。山吹は秋葉の頬にマスクを付けてから、手を振りつつ、愛機に向かった。秋葉もまた、自分の機体となる人型多脚重機に向かって歩み出した。

 戦いの始まりだ。



 山吹が総指揮を執る、波号奪取作戦の概要はこうである。

 変異体管理局現本部である竜ヶ崎全司郎邸は千代田区南端の永田町にあり、国会議事堂や首相官邸を始めとした主要な官庁が立ち並んでいることもあって警戒は極めて厳重である。先日、ゾゾが竜ヶ崎邸に入ったのは伊号による誘導の結果であり、それがなければ有無を言わさず射殺されていただろう。竜ヶ崎邸を固める戦闘車両は、単純計算でも三十台以上、その全てが伊号の管理下にあるのは間違いない。上空は戦闘機や武装ヘリコプターが飛び交っていて、真上から攻めても良い的になるだけで良策ではない。

 この作戦で肝心なのは、いかにして竜ヶ崎に真意を悟られずに、竜ヶ崎邸に接近するかということだ。竜ヶ崎邸に集結している戦力を分散させ、誰も死なない程度にダメージを加え、それでいて行動不能に陥らせて、他の目的があるかのように思わせなければならない。

 もちろん、それはそう簡単に思い付くものでもなく、竜ヶ崎邸付近の地図と海上基地の残存兵器とインベーダー達の能力を突き合わせ、皆が頭を悩ませて捻り出した作戦だった。率先して提案したのは意外にも呂号で、付き合いが長い波号を、呂号なりに心配していたようだった。夜を徹して話し合った結果、竜ヶ崎側から見ても筋が通るであろう作戦が出来上がった。

 表向きの目的は、都心の高圧線から電力を引っ張ってワン・ダ・バに注入する、というものだ。生体電流と人間が作った高圧電流では性質が違うのでワン・ダ・バはその全てを摂取出来ないのだが、生体エネルギー値が全体的に低下している今、まるきり不要というものではない。

 宇宙に出て暗黒物質に混在している反物質を摂取するまでは生体エネルギー値は最低レベルのままなので、体に馴染まない電気と言えども、多少は腹の足しになる。だから、竜ヶ崎の目から見てもそれほど不自然ではない。

 最初に行動を起こすのは紀乃とガニガニで、竜ヶ崎邸とは掠りもしない場所に移動し、高圧線をサイコキネシスで引き剥がし、ガニガニに電流を操らせて海上基地へと送り込む。行動を起こす場所はワン・ダ・バのジャミングの圏外であり、伊号の衛星ネットワークに早々に感付かせるために、いつも以上に派手なことをする。

 紀乃とガニガニの行動より少し遅れて、竜ヶ崎邸に真正面から向かうルートで虎鉄と芙蓉が地上部隊を蹴散らしていく。戦闘車両や重機を徹底的に破壊させ、撤退するように仕向けるためである。最後に人型軍用機に搭乗した山吹と人型多脚重機に搭乗した秋葉が同時に出撃し、遠回りするルートで竜ヶ崎邸に向かい、戦闘を行いつつ波号を救出するという手筈である。別行動を取る甚平と呂号は、自衛隊の注意を充分に引き付けた頃合いを見計らってワゴン車に乗り、目的地に向かうことになっている。

 作戦の内容を口に出して確認しながら、紀乃はガニガニと共に移動していた。紀乃らが向かう先は横須賀港から程近い京浜急行の駅で、電車の架線を引き剥がし、ガニガニの帯電体質を利用してワン・ダ・バに高圧電流を注ぐ予定である。本当なら、ちゃんと電線を引っ張っていった方がいいのだが、横須賀から海上基地まで届くほど長い電線を調達している暇はない。

 ガニガニを浮かばせて横須賀港上空まで来た紀乃は、ちょっと物足りなさを感じた。広い港には米軍の空母どころかイージス艦の一隻もなく、退役して久しい戦艦三笠が展示されているだけだった。ひとまず、ガニガニを三笠公園に下ろしてから紀乃も着地した。伊号のクローゼットから拝借したゴスパンクの服は、太いストライプのニーソックスが暑苦しかったが、それがなければ締まりがないので我慢した。ブラウスの襟を広げて汗を拭ってから、腰に両手を当てて胸を張った。

「さて、やるか!」

『だけど、局長、本当に騙されてくれるかなぁ?』

 戦艦三笠の傍にあるスピーカーにヒゲを当てたガニガニが不安がると、紀乃は眉を下げた。

「私だって、上手く行くとは思わないよ。でも、頑張るしかないよ」

『うん』

 ガニガニは片方のヒゲと触角をぴんと立て、黒い複眼に紀乃を映した。

『僕だって、電影の命を無駄にしたくないもん。電影は僕の代わりにはーちゃんを助けてくれた。だから、はーちゃんを助けるってことは、電影も助けることになるんだから。僕はもう、余計なことを考えない。紀乃姉ちゃんと一緒に、局長と戦うよ。そう思えるようになるまで、ちょっと遠回りしちゃったけどね』

「しばらく見ない間に、すっかり男らしくなっちゃったね」

 紀乃がガニガニの鋏脚を撫でると、ガニガニは触角をちょっと下げて照れた。

『えへへへ……』

「全部終わったら、また南の島に行こうね。忌部島は元の姿に戻ったからなくなっちゃったけど、代わりの島なんていくらでもあるし。そこで、皆で一緒に暮らそう。浅瀬で遊んだり、アダンの実を集めたり、魚や貝を捕ったり、色んなことをしよう。ガニガニは、インベーダーとか、ミュータントとか、関係ない世界で暮らすのが一番似合うもん」

 紀乃が頬を緩めると、ガニガニはこちこちと顎を小さく鳴らした。笑っているのだ。ガニガニと目が合うと、紀乃は心中のわだかまりが解れる心地良さを味わった。ガニガニが変異体管理局側に付いた事情も、ガニガニ本人から聞かされたが、それを責める気持ちはない。

 自分が同じ立場になったとしたら、同じことをしていただろう。彼なりに、忌部島と住人達を守ろうとした結果なのだから。どれほど巨大になろうとも、特殊能力を得ようとも、ガニガニに出来ることは限られている。それは紀乃も同じだ。だから、今、やるべきことをやるしかない。

「行くよ、ガニガニ!」

 紀乃が身構えると、ガニガニは人型に変形し、ばっちぃいいん、と盛大に鋏脚を打ち鳴らした。紀乃はガニガニを伴って急上昇すると、横須賀港近郊を走る京浜急行の架線にサイコキネシスを放った。一瞬、暴風を受けた電線は激しくしなってヒューズが飛ぶ。架線を支えている鉄塔を根本から引き抜くと、電線を止めていたビスを弾け飛ばし、何本もの電線を宙に浮かび上がらせる。紀乃はそれを絡め合わせてから、ガニガニに向けた。

『よおし、いっくぞー!』

 紀乃が束ねた電線を鋏脚で受け止めたガニガニは、全身が青白く発光するほどの過電流を巨体に蓄積させた。周囲の空気が静電気を帯び、紀乃の毛先が僅かな痒みと共に浮かび上がる。

 ヒゲや触角と言わず、青黒く分厚い外骨格の尖った部分からいくつものヒューズが散り、広げたハネも薄く発光する。ガニガニは限界近くまで蓄積した電流を鋏脚に集中させると、太く大きな両足をアスファルトにめり込ませて踏ん張り、東京湾に横たわるワン・ダ・バ目掛けて発射した。

 落雷に酷似した稲妻が爆音と共に真横に駆け抜けると、一秒と立たずにワン・ダ・バに着弾し、電流が駆け抜けた海上には裂け目のような筋が残る。そして、ぎゅいいいいい、との鈍い声が響いた。

「成功……かな?」

『うん、成功だよ。だって、ワンがそう言っている』

 両の鋏脚を突き出したままの格好で、スピーカーにヒゲを当てたガニガニが答えると、紀乃は首を傾げた。

「どうしてガニガニや忌部さんは、ワンの意志まで解るの? 私はワンの首を地下から引っ張り出す時に、ちょっとだけそれらしいのを感じたけど、それっきりなんだもん。ねえ、どんな感じなの?」

『なんて言えばいいのかなぁ。なんとなく感じているだけだから、具体的に説明するのは難しいんだけどね』

 ガニガニは鋏脚の尖端で頭をごりごりと掻いてから、考えあぐねた。

『ええと、そうだなぁ……。僕は紀乃姉ちゃんとお話しする時、紀乃姉ちゃんに僕の声が聞こえるようにスピーカーを使って脳波の生体電流を音声に変換しているんだよ。でも、ワンはそうじゃないんだ。僕達の体をスピーカー代わりにするっていうか、自分の生体組織に電波みたいに変換した生体電流を飛ばしてきて、僕や忌部さんの脳に意志を受信させるんだ。僕も忌部さんもワンの生体組織をもらっているから、聞こえるんだ』

「音叉みたいなものか」

『オンサが何なのかは解らないけど、紀乃姉ちゃんが納得するんなら、きっとそうだね』

 ガニガニはうんうんと頷いてから、再度発射姿勢に入った。そして、二度、三度、四度とワン・ダ・バに電流を放射したが、ヘリコプターのローター音どころか戦闘車両のエンジン音すらも聞こえてこなかった。いつもであれば、五分と経たずに変異体管理局は出動するはずだ。非常事態宣言発令中であることを踏まえても、動きが遅すぎる。

 紀乃はガニガニの作業を一旦中断させ、感覚を広げた。陽動だと気付かれたのでは、と思ったが、静かなのは横須賀近辺だけではなく、他の面々の戦闘の様子も感じ取れなかった。空気も至って穏やかで、硝煙の匂いすらしない。紀乃はガニガニの上に下りると、息を詰めて感覚を研ぎ澄ませた。ガニガニも放電を中断し、紀乃の見つめる方向に複眼を据えていたが、ぴんとヒゲを立てた。

『……あれ?』

「どうしたの、ガニガニ」

『おかしいよ、これ。え、何、電影の声が聞こえる……? そうか、ワンを経由して僕に……』

 ガニガニはヒゲと触角を交互に動かし、空中を飛び交う生体電流を感じ取っていたが、ぎょっとした。

『まずいよ、紀乃姉ちゃん!』

「陽動に気付かれたの?」

『違う、そうじゃない。もっとまずいことになっている!』

 行こう、とガニガニはハネを広げ、震わせ始めた。

「ちょっと待ってよガニガニ、何がまずいの!?」

 紀乃は浮上し始めたガニガニを追い、サイコキネシスを高めた。ガニガニは手近なスピーカーからヒゲの尖端を離したので、それ以上の言葉は聞こえなかったが、ガニガニはがちがちと顎を強く打ち鳴らしていた。

 横須賀港から内陸部に入ったガニガニは、ある一点を睨んでハネを羽ばたかせている。紀乃は若干高すぎるガニガニの高度を下げさせてから、平行して飛び、進行方向を見定めた。無数の民家が建ち並ぶ住宅街の先には横浜の高層ビル群があり、更にその先には東京の都心が控えている。動揺したガニガニを落ち着かせようにも、紀乃には事の次第がまるで解らない。歯痒くなりながら、紀乃は飛行速度を速めて一直線に進んだ。

 ビル群の背後には、国会議事堂の屋根が見えていた。



 都内某所。虎鉄と芙蓉もまた、異変を感じ取っていた。

 千代田区内の幹線道路の真ん中にアメリカンバイクを止め、周囲の様子を窺う。虎鉄はアイドリングするバイクのイグニッションキーを回してエンジンを止めると、腰に回された腕が解けて妻が降りた。続いて虎鉄も降り、さながらゴーストタウンと化したビジネス街を見渡した。

 放置されたタクシーや乗用車が並ぶ道路は夏の暑さを残した日差しに炙られ、薄い陽炎が揺らいでいる。街路樹では数匹のアブラゼミが命を振り絞って鳴いていたが、人気のなさも相まって物寂しさを掻き立てる。虎鉄は一番最初に目に付いたタクシーのドアを開け、とりあえずエンジンを掛けようとしたが、イグニッションキーは抜かれていた。舌打ちした虎鉄に、芙蓉は右手を絡ませて夫の鋼鉄の手を溶かしてイグニッションキーの穴に滑り込ませた。形が定まると、虎鉄は右手首を捻ってエンジンを作動させた。

「無線でも傍受するつもりなの?」

 芙蓉が尋ねると、虎鉄はカーラジオのチューナーを回した。

「そのつもりだったら、次郎が寄越してくれた無線機を使っているさ。こういう時は、こっちの方が手っ取り早い」

 しばらく雑音が続いていたが、周波数が合った途端に音声が流れ出してきた。

「あ、聞こえた聞こえた」

 芙蓉が身を乗り出すと、虎鉄はカーラジオのボリュームを上げて耳を澄ませた。

『……繰り返し、お伝えします。対インベーダー作戦の主要機関である変異体管理局の局長、竜ヶ崎全司郎邸宅であり、変異体管理局臨時本部である竜ヶ崎邸で発生した爆発事故は、インベーダーによるものと発表され、死傷者数は未だ不明です。非常事態警報発令中につき、今後も危険区域には絶対に近付かないで下さい』

「おかしいな。山吹と秋葉が到着するまでには、まだ時間があるはずだぞ」

 虎鉄が首を捻ると、芙蓉も不思議がった。

「変って言えば、紀乃とガニガニが横須賀で暴れていることにも触れていないのは変よ。あの子達の方が私達より目立つはずだし、あそこは軍港も近いから、すぐに出動が掛かるはずなのよね」

「だとすると、誰がクソ野郎の屋敷で暴れているんだ?」

「いづるちゃんでも波号ちゃんでもないとすると、御本人ってことかしら? でも、まさかねぇ」

 芙蓉は半笑いになったが、虎鉄を指を引き抜き、タクシーから離れた。

「いや、有り得なくもないな。だとすると、さっさと動いた方が良さそうだ」

「でも、自分の陣地で御屋敷よ? そんな場所を壊したって不利になるだけで、有利になんて」

 足早にアメリカンバイクに戻っていく虎鉄を追い、芙蓉は駆け出した。

「不利だろうが有利だろうが、あの野郎には関係ないんだろうよ!」

 虎鉄はアメリカンバイクに跨るとイグニッションキーを回し、エンジンを荒く鳴らした。芙蓉は夫の右手を元の形に戻してから、再び後ろに跨った。雷鳴のような排気音を轟かせたアメリカンバイクは死んだ街の中を駆け抜けると、一直線に永田町を目指した。高層ビルの隙間からは、ニュースが真実だと知らしめるかのように、きな臭い黒煙が噴き上がっている。

 派手な破壊音と同時に戦闘車両らしきものが吹っ飛び、ビルの端を削りながら転げ落ちてくる。ひしゃげた金属を引き摺りながらアスファルトに墜落した装甲車は、ガソリンが漏れていたのか、数秒もせずに爆砕した。金属片とアスファルト片がたっぷり混じった爆風を真正面から浴びた虎鉄は、爆風に煽られかけたアメリカンバイクのバランスを取って走らせながら、真っ直ぐに竜ヶ崎邸を目指した。

 作戦を変更せざるを得ない。



 これは粛清だ。

 燃え盛る屋敷を背にして、一ノ瀬真波は身動き出来ずにいた。御前会合の時と同じく紋付き袴姿の竜ヶ崎全司郎は悠々と歩きながら、目に見えない力で降り注ぐ弾丸を防いでいた。

 弾丸を撃ち尽くした自衛官は慌てて自動小銃を放り出し、背を向けて逃げ出そうとするが、竜ヶ崎が空中に止めていた弾丸を放たれて頭を抉られた。血と脳漿を撒き散らしながら吹っ飛んだ自衛官は門に激突し、筆を押し付けたかのように赤黒い筋をずるりと一本引いた。

 玉砂利には残った弾丸が散らばり、竜ヶ崎はそれを踏み締めながら進む。上空を飛ぶ武装ヘリコプターからも機銃掃射が行われるが、斎子紀乃のサイコキネシスをコピーしている竜ヶ崎には無意味だった。手を振り上げて突風を巻き起こし、武装ヘリコプターを煽った。バランスを崩した機体が墜落しかけると、それを振り回して民放テレビ局の報道ヘリコプターに激突させる。

 どちらも紙屑のように潰れ、外れたローターが回転しながら庭に突っ込んできた。見事な庭木が真っ二つに断ち切られ、樹齢数百年はあろうかという巨木が葉を散らしながら倒れていく。

「さすがは波号だ、私の体に良く馴染む」

 竜ヶ崎は満足げに舌なめずりしてから、煤けたスーツ姿の真波に振り向いた。

「真波。お前には最早興味の欠片もないが、波号を作った腹の良さだけは認めてやろう」

 真波は見開いた目を瞬きすることも出来ず、震える膝を立てておくだけで精一杯だった。右手には今し方まで波号が身に付けていたシャツワンピースを握っていたが、握り締めすぎて、ひどい汗染みが出来ている。

 どこもかしこも強張って、舌も動かず、声すら出せない。それでも、汗が混じった涙が化粧を解かしながら顎を伝っていく。ブラウスの襟もスカーフも汚れているのに、拭う気力すらない。火の粉を浴びたせいで小さな穴が空いたストッキングには、抵抗した波号の爪痕である伝線が走っていて、赤いみみず腫れがひりついていた。

「んぁ……」

 真波の手前で、万能車椅子に座る伊号が瞬きした。周囲の騒がしさには鎮静剤ですらも勝てなかったのか、瞼は重たく開きつつある。真波はハイヒールを引き摺って伊号に近付くと、せめてもの気力で、彼女の顔の上に波号のシャツワンピースを被せて視界を塞いでやった。伊号が戸惑いの声を上げたがそれに答えられる余裕はなく、真波はがちがちと震える顎を噛み締めて万能車椅子に縋った。

 これまで竜ヶ崎に感じていた執着や愛情や情念や執念が隈無く恐怖で塗り潰され、竜ヶ崎に全てを委ねていた記憶が急に生臭くなり、吐き気すら催した。

 竜ヶ崎全司郎は、波号を体内に取り込んだ。波号を連れて竜ヶ崎の自室に来いと命じられた真波は、逆らう理由もなかったのでそれに従った。だが、波号は見るからに嫌そうだった。

 いつになく情緒が落ち着いていて、表情からは薄弱さも取って付けたようなヒステリックさも失せ、十歳児の分別を弁えた顔付きになっていた。竜ヶ崎の自室に向かう道中、波号はしきりに真波を窺っていた。何度か口を開きかけたが、言葉にはならなかった。これから竜ヶ崎から寵愛を受けるであろう波号には嫉妬しか抱かなかったので、真波は関心を示さずに波号を引っ張っていった。

 そして、竜ヶ崎の自室に到着すると、竜ヶ崎は着流しの前を早々に広げて波号を待ち構えていた。真波が一礼して下がろうとすると、竜ヶ崎は真波を引き留めてきた。何事かと顔を上げてみると、波号は及び腰で逃げ出そうとしている。斎子紀乃の時と同じく、押さえ付けておけと言うのだろう。気乗りはしなかったが、そうすることで竜ヶ崎に気に入られたら自分の番も来るかもしれないと思い、真波は波号を布団に押さえ付けた。

 波号はしきりに暴れ、真波のストッキングに爪を立ててくるほどだった。怯えすぎて言葉が出てこないのか、掠れた吐息を口から零していたが、真波はそんなことには構わずに波号を仰向けにして両腕を封じた。波号は首を横に振って、過呼吸気味の呼吸を繰り返していたが、潤んだ目で真波を見上げてようやく言葉を発した。助けて、お母さん、と。

 目と目が合っていたからだろう、真波は奇妙な感情に揺さぶられた。幼い頃の自分に良く似た面差しの波号は、救いを求める目を向けてきた。記憶をコピーした時に真波が母親だと知ったのだろうが、決して呼ばれることはないとばかり思っていた名に、正直、心中はぐらついた。

 思い出してみれば、自分が母親のことをお母さんと呼んだことは数えるほどだ。物心付いた頃には竜ヶ崎の寵愛ばかりを欲していたから、竜ヶ崎の関心を奪い取ろうとする母親を侮蔑しては、あの女、だの、アレ、だのと呼ぶばかりだった。母親が宮本都子の殺戮に巻き込まれて死んだ後も、決してお母さんとは呼ばなかった。

 だが、お母さん、という呼び名に薄い憧れがないわけでなかった。普通の家庭のクラスメイトが無邪気に母親と戯れる様を見ていると、身内に対する嫉妬や憎悪ばかりが渦巻く自分の家庭が嫌で嫌でたまらなくなった。けれど、母親を愛せるわけもなく、持て余した気持ちの捌け口を竜ヶ崎に求めるものだから、悪循環に陥っていた。だから、お母さんと呼ばれた途端、真波は混乱して波号の腕を放してしまった。

 竜ヶ崎は真波を責めもせず、抵抗する波号のシャツワンピースを脱がし、レギンスも靴下も肌着も脱がしてしまうと、二次性徴の兆しもない薄く骨張った波号の体を舐めるように見回した。

 波号のショーツの内側には多量の体液と血の混じった染みが付いていて、その痛みが波号の恐怖を一層煽っているようだった。竜ヶ崎は尻尾をゆらゆらと動かしていたが、何を思ったのか、自分の胸に深く突き立てた。

 分厚く冷たい皮膚が裂けて赤い体液が噴き出し、腐臭に似た強い酸の匂いが立ち込める。ず、ず、ず、と尻尾は胸から腹に下がっていくと、体液の糸を引きながら竜ヶ崎の腹部が裂けた。布団も畳も赤黒い体液でしとどに濡れて、真波は気色悪さで込み上げるものがあったが、無理矢理飲み下して堪えた。波号はあまりのことに気を失う寸前で、顔を覆うことすらしなかった。

 竜ヶ崎は臓物がはみ出しかねないほど前のめりになると、体液を無益に流しながら、波号の細い体を抱え上げた。だらりと手足を投げ出している波号を抱えて腹の裂け目に押し込んだ。めりめり、めちめち、ぬちぬち、と異音を発しながら波号が竜ヶ崎の内に没すると、竜ヶ崎は腹の裂け目を一撫でして何事もなかったかのように塞いでしまった。

 そして、粛清が始まった。波号がこれまでにコピーした能力を全て操っている竜ヶ崎は、能力に死角は一切なく、児戯のように殺戮を繰り返している。竜ヶ崎は重武装した自衛官を鋼鉄と化した尻尾で薙ぎ払い、一瞬で数人の首を刎ねた。ボールのように高く宙を舞った首の一つが飛び、真波の横に飛んでくると、柱に衝突して破裂した。脳漿の一部が顔を掠め、体温が残った脳漿が頬をなぞる。たまらず、真波が吐き戻すと、竜ヶ崎は哄笑する。

「ふははははははははは! ハツよ、もうしばし待っていたまえ! この私が直々に迎えに行こうぞ!」

「主任……だろ? そこに、いんの」

 波号のシャツワンピースの下で伊号が顔を動かし、舌っ足らずな言葉を発した。

「え、ええ」

 真波が引きつった声で返すと、伊号はがくりと首を落とした。

「きょくちょう……どこ、いんの? てか……あたし、なんで、クスリなんか、打たれたん……?」

「鎮静剤を投与したのは私よ。今は眠っていなさい、伊号。それがあなたのためなのよ」

「や、やだ。あたし、戦う」

「今は眠りなさい、伊号。これは命令よ」

 真波は強く命じると、胸ポケットの内側から鎮静剤の入った注射器を取り出した。一度に多量を投与しては伊号の命に関わるが、先程投与した分に加えて少しだけ投与するだけなら。真波は息を詰めて手の震えを押さえながら、伊号の筋肉も脂肪もない腕に針を刺した。

 痛覚が刺激されて条件反射が起きたらしく、伊号の腕はほんの僅かに震えたが、ピストンを押し込んで薬液を血管に注入すると伊号はまた意識を失った。真波は万能車椅子の取っ手を握り、押して歩き出した。すると、竜ヶ崎の前方に見覚えのある人型軍用機が出現し、竜ヶ崎の注意はそちら側に引き付けられた。まだ動かせる車があってくれ、と願いながら、真波が裏口に向かうと、竜ヶ崎邸の自家用車であるメルセデス・ベンツが炎に巻かれつつある車庫で鎮座していた。

 今なら逃げ出せる。この機会を逃せば、死か、束縛のどちらかだ。真波は自分に強く言い聞かせると、運転席の窓ガラスを割ろうと拳銃を振り上げると、がこ、と音を立てて全てのドアのロックが開いた。同時にイモビライザーも解除されてエンジンが作動し、ギアもニュートラルから切り替わった。真波が伊号に振り向くと、伊号は意識を全て失っていたわけではないらしく、万能車椅子の背部に装備されたロボットアームが少しだけ動いている。

「伊号……」

 状況が解っているのか、或いは無意識の行動か。どちらにせよ、ありがたいことには変わりない。真波は伊号を抱き上げて後部座席に寝かせると、トランクに万能車椅子を押し込み、運転席に座った。両手に滲んだ脂汗をタイトスカートで拭ってからハンドルを握り、アクセルを踏み、急発進した。

 都心から脱出し、関東近郊に設置されている避難所に向かい、伊号だけでも保護してもらうのだ。罪滅ぼしにはならないが、それが、せめてもの償いだ。

 真波はコピー能力を制御するために掛けていたメガネを外して伊号を数秒間見て、伊号の機械遠隔操作能力を必要最低限だけコピーしてからまたメガネを掛け、進行方向を見た。意識するだけでカーナビが作動し、地図と共に民間人の避難所である公共施設の場所を示してくれた。

 ここから一番近いのは、練馬区を出た先にある埼玉県のスポーツ施設だ。竜ヶ崎を裏切ってしまった後ろめたさと後悔が胸を締め付けるが、それを遙かに上回る悔恨の念が、真波を突き動かしていた。制限速度も一方通行も信号も何もかも無視して、ひたすらにベンツを走らせる。

 どうして、今の今まで、気付かなかったのだろうか。母親が自分に関心を持ってくれないから、関心を持ってくれる竜ヶ崎に付き従っていた。けれど、それは違う。竜ヶ崎が母親の関心を奪う傍ら、真波からも子供らしさを奪い取り、竜ヶ崎の意のままにされていただけだ。

 子供ではなく一人の女として扱われ、早くから妾の立場を理解させられていた。母親をお母さんと呼べなかったのも、竜ヶ崎が母親を下の名前で呼んでいて、事ある事に侮蔑していたからだ。最も身近な大人であり実の父親でもある竜ヶ崎に、幼い子供だった真波が影響されないわけがない。腹立たしさのあまりに目眩すら感じながら、真波は死に物狂いでハンドルを繰った。

 とにかく、今は逃げなければ。


 

 都心の一等地に、紛れもない戦場が出来上がっていた。

 ひしゃげた人間が内臓と血液を垂れ流し、屈強な自衛官達が炎に巻かれて息絶え、重厚な戦闘車両が横転して潰れている。その下には逃げ遅れた自衛官達が潰され、呻き声がかすかに漏れている。全面モニター越しに見た途端に、山吹の脳内には九年前の出来事が駆け巡る。

 小松建造によって胴体を踏み潰され、血が抜ける喪失感と秋葉の悲痛な泣き声。絶え間ない絶叫、コンクリートが崩落する轟音。肉が焼ける匂い、脂肪が溶けて滴った音、焼け焦げた骨が折れる乾いた音。サイボーグボディでは有り得ないはずの吐き気に襲われた山吹は、条件反射で人型軍用機を止めた。すぐ後ろでは秋葉の操縦する人型多脚重機も制止したが、生身の秋葉は堪えられなかったらしく、入れっぱなしの無線からは水っぽい異音と呻きが流れてきた。

 誰も彼も死に絶えた屋敷の中で唯一立っているのは、主である竜ヶ崎全司郎だった。熱風を孕んだ家紋入りの袖が翻り、尻尾が垂れ下がった袴が広がる。赤い単眼が上がり、山吹機と秋葉機を見定める。

「おやおや、これはこれは。山吹監督官と田村監督官補佐ではないか。しばらく姿を見ないと思っていたが、まさか私を裏切っていたとはね。インベーダーへの憎しみをお互いへの愛にすり替えている君達らしからぬ愚行だな」

 竜ヶ崎は足元に落ちていた自動小銃を蹴り飛ばしてから、にたりと口の端を緩める。

「真波と伊号には未練がない、それ故に目こぼししてやったが、お前達には少しばかり未練があるのでね。今、敵対されては惜しいのだよ。私の正しさを人類に伝えてくれる者がいなければ、私もインベーダー共と同列に扱われてしまうのでね。今からでも遅くはない、私に従属すると誓ってくれれば、お前達二人の謀反は許そう」

『どれだけ賃金が上がったって、そんなのごめんっす! 本当のインベーダーはあんたの方っすよ、局長!』

 山吹機がスタンガンを構えると、竜ヶ崎は顔を背けた。

「やれやれ。私はあの愚かしい男とは違う、この世界を侵略しているわけではないよ」

『うごっ!?』

 途端に山吹機の両足の制御が奪われ、自重を支えられなくなり、真正面から転倒した。

『丈二君、大丈夫、すぐに起こす!』

 秋葉機は多目的作業腕を差し込んで山吹機を起こそうとするが、今度は秋葉機も六本足の制御を失った。

『あぁっ!?』

「貴様らがインベーダー共と共謀した下らん目論見は、既に知り得ているのだよ。私の目を欺こうという腹積もりは気に入ったが、成功しなければ何の意味もないではないか。連絡手段に電波を使った時点で、勝ち目などない」

 竜ヶ崎は炭化した枝葉を踏みながら、二機の元に向かってくる。

『この感じ、演習の時と同じっすね。まさか、イッチーの能力を……?』

 軍事演習の時と同じく、AI直結で制御を取り戻した山吹機が起き上がると、竜ヶ崎は単眼を細めた。

「それだけだと思ってもらっては、困るのだがね」

 突如、竜ヶ崎の足元の地面が溶けた。ぐにゅりと持ち上がった溶解液は門と横転した装甲車を巻き込んで体積を一気に増やし、渦を巻きながら迫ってくる。山吹機は秋葉機の前に立ちはだかって防ごうとするが、溶解液は山吹機に接する寸前で鋼鉄化して尖り、山吹機の胸部を貫通した。

『丈二君!』

 秋葉機から絶叫が迸るが、山吹機は漏電する胸部装甲を押さえ、後退して鋼鉄化した溶解液を引き抜いた。

『へへ、大丈夫っすよ。全面モニターの半分は死んだっすけど、主要機関はやられていないっす』

『虎鉄と芙蓉の複合能力!? はーちゃんでもないのに、なぜ!』

 秋葉機はマニュアル操縦に切り替えて六本足を折り畳み、車輪を出して走行形態に変形した。エンジンを再点火して急発進し、漆喰屏をぶち破りながら溶接機を改造したヒートカッターを振り上げた。高熱を帯びた右腕が唸りを上げて竜ヶ崎に迫るが、竜ヶ崎はサイコキネシスを操り、頭蓋骨を叩き割られる寸前で止めた。

「君達には、私としても感謝しているのだがね」

 竜ヶ崎が手首を返すと、秋葉機の右腕は不可視の力によって軽々と捻られ、根本からねじ切られる。

『うっ!?』

「君と山吹君のおかげで、私の生体組織を摂取させても波号は理性を保っていた。なぜならば、君と山吹君が波号の人格の根幹に関わる情操教育を行ってくれていたからだ。それがなければ、波号は早々に自我を失って暴走し、並列空間を発生させた際に対消滅していた可能性もあったのだ。しかし、波号は君達に未練を残していたのだよ。故に、波号は並列空間から脱して通常空間に戻り、ヴィ・ジュルを体内に吸収してくれたのだよ。変異体管理局の局員に相応しい成果を上げてくれた君達には、最大限の感謝の意を示そうではないか」

 竜ヶ崎は羽織の合わせ目を緩めると、太い爪先で皮膚を引き裂いた。塞がったばかりでまだ馴染みきっていない筋肉が爪の尖端で分けられ、赤黒い体液が爪と手首を濡らしていった。胸部の裂け目を両手で広げると、竜ヶ崎の肋骨の間、心臓の下、肺の間に、一つの臓器のように波号の顔が埋もれていた。山吹は視覚センサーが故障したかと思うほどに動揺し、秋葉は声も出せずに硬直した。

 それはまるで、竜ヶ崎全司郎の人ならざる肉体を器にした奇妙な芸術作品のようだった。竜ヶ崎の体液を隅々まで纏っている波号は目を薄く開いてはいるが、瞳孔は完全に開き切り、どこにも焦点は合っていない。小さな唇も半開きだが、舌先が零れている。

 首筋の頸動脈には竜ヶ崎の体内から伸びた血管が突き刺さり、竜ヶ崎と体液を共有しているのか、竜ヶ崎の心臓が脈を打つたびに波号の胸も僅かに上下している。細い足は膝から下が曲げられて腸の間に収まり、華奢な腕は肝臓らしき臓器を抱えていた。竜ヶ崎が声を発すると、波号の唇も同じように動いた。

「どうだね、山吹君、田村君。これこそが、生体兵器と呼ぶに相応しい姿なのだよ」

『ド腐れ外道トカゲがああああああっ!』

 脳が煮えかねないほどの怒りに駆られて山吹機が吼えると、竜ヶ崎は喉の奥で低く笑う。

「今まで君達が相手にしてきたのは、生体兵器などではない。単なる突然変異体であり、不安定な化け物なのだよ。このためだけに、私はこれまで血を連ねてきたのだ。四世代前の滝ノ沢の当主から妾の女を寝取り、その妾の女に孕ませた娘に子を産ませ、その子の子にまた私の子を産ませ、完成したのが波号なのだよ。変身能力の使い道を見極めてはいたが、そこから先がうんざりするほど長くてね。妾の女が宿していた能力を煮詰めて使い物になるまで、余計な時間を食ってしまったが、それもようやく終わってくれた」

 竜ヶ崎が右腕を掲げると、秋葉機が破損していない左腕を上げてセメントガンを突き付けた。

『あなたはそれでもはーちゃんの父親なのか、竜ヶ崎全司郎!』

「父親だとも。我が子の才能を最大限に引き出すのは、親の役目ではないのかね」

 竜ヶ崎は秋葉機の右腕を弾き飛ばしてから、一閃、衝撃破を放った。秋葉機は右腕の破片を散弾のように浴びて上半身の外装がほとんど剥がれ、メインカメラも吹き飛んだ。煽られて姿勢を崩すが、六本足の後ろ二本を地面に突き立てて辛うじてバランスを保ち、反動を付けて前のめりになった。がくん、と大きく上下した機体からは機械油が流れ出して池を作っていたが、操縦席の秋葉は渾身の力で操縦桿を倒した。

『まだまだぁ!』

 半壊も同然の秋葉機は六本の車輪を思い切り回転させ、ドリフトして猛進した。油まみれの玉砂利と折れた庭木を巻き上げながら、真っ直ぐに竜ヶ崎に突っ込んでいった。先程の反撃で機能の大半を失った左腕を竜ヶ崎の真上に叩き込むと、竜ヶ崎の頭上を覆う半球状の防護壁の形に破損したが、構わずに何度となく叩き付ける。

『私は決めた! あなたを倒してはーちゃんを取り戻し、丈二君と結婚し、はーちゃんを養子にし、家庭を築くと!』

「片腹痛いな。自分の腹から産んでもいない他人の子に、愛情を抱けるものかね」

 降り注ぐ破片を凌ぎながら竜ヶ崎が一笑すると、山吹機は一回転して回し蹴りを叩き込んできた。

『アリアリ大有りっすよ! まずは俺とむーちゃんが結婚して超ラブラブになる! 次にはーちゃんが俺らの子供になって、はーちゃんも含めてスーパーラブラブになるんすよ! その辺にあるドノーマルな小学校に通わせる! 仕事が上がったら寄り道しないで家に帰る! 家計はむーちゃんに一任するから月三万の小遣いで充分! オタク趣味だってはーちゃんとむーちゃんのためなら犠牲に出来る! 酒もタバコも止める! 浮気なんて以ての外! 俺はそういう父親になりたいんす! はーちゃんはちったぁ世間知らずかもしれないっすけど、そこも含めてマジスッゲェ可愛いんすよ! それを知らないから、あんたはド腐れ外道でファッキンなことが出来るんす!』

「知っているとも。波号は私が造り上げた作品なのだからね」

 竜ヶ崎は不意に防護壁を解除すると、山吹機の足を片手で受け止めた。

『ち、が、あぁああうっ!』

 秋葉機が反対側から多目的作業腕を振り下ろすが、それもまた竜ヶ崎は片手で受け止めた。

「何一つ違わんよ。お前達が言うところの母性だの父性だのいう感情は、私もそれなりに持ち合わせているのだよ。それをお前達が勝手に思い違いをして、私に一方的な憎悪を抱いているだけではないか」

『戯れ言を! って一度言ってみたかったんすよ!』

 山吹機は掴まれている足を捻って腰を浮かせ、蹴りを加えようとするが、逆に足を捻られて倒された。

『ぐえあっ!』

「私は、私の血を継ぐ者達に等しく執着を抱いている。少しでも利用価値があるからこそ、私の血を煮詰めるように仕向けてきたではないか。優れた者達をより優れた道へ導くのが、私の情だ。たとえばそう、小松建造だ。珪素生物であるあれの能力を引き出すために、私は小松建造の肉体を滅ぼしてやったのだ。宮本都子にはゾゾの薄汚い手垢が付いてしまったがね。鮫島甚平も因子を刺激して在るべき姿に変え、こちら側に引き込んでやったが、あれは大して役に立たなかった。だが、いずれ、呂号との間に優れた血統の子をもうけてくれることだろう。竜ヶ崎家も、滝ノ沢家も、忌部家も、私なくして今の繁栄は有り得ないのだよ。お前達の与り知らぬところで、私は常に尽力していたのだ。それを愛と言わずして、何と言おうか」

 竜ヶ崎は倒れた山吹機に一瞥をくれてから、秋葉機に向き直った。

『それじゃあ……あなたが、小松建造をメテオに誘導させ、丈二君の体を!』

 秋葉機が最後の力で起き上がろうとするが、竜ヶ崎は伊号の能力を行使し、その機能を全て奪い取った。

「気付くのが遅すぎるのだよ、君達も、他の連中も。小松建造をメテオへと誘ったのは、珪素生物である奴の脳波で竜の首が目覚めてくれまいかと期待したからなのだが、思うような成果を得られなかったのだよ。だが、そのおかげで新鮮な人間の脳が手に入り、副産物である機械式疑似肉体の研究が捗った。山吹君がいなければ、ヴィ・ジュルを核とした人型軍用機の製造は果たせなかっただろう。君達二人は我らの因子を持たなぬが故に生体改造の余地はいくらでもある個体だ、今後の研究に貢献してもらうべく殺さないつもりでいたのだが、私の内から波号を奪おうというのであれば仕方ない。情報統制を崩さぬためにも、処分しなくてな」

『竜ヶ崎全司郎! あなただけは絶対に許さない!』

 破損して音割れしたスピーカーから秋葉は叫ぶが、竜ヶ崎は鬱陶しげに瞬きした。

「許すつもりもないのであれば、許すなどと言わんでくれまいか。お前達も、継成と変わらんな」

『ツグナリ……?』

 壊れかけた発声装置からノイズだらけの声を発した山吹機に、竜ヶ崎は尻尾を立てた。

「そうか。お前達は知らぬのも無理はない、完全なる部外者なのだからな。だが、その意味を知る日は来るまい」

 尻尾が上がると、山吹機と秋葉機は造作もなく浮き上がった。竜ヶ崎は胸部の裂け目を塞いでから、二人の半壊した機体を視界に収めた。紀乃のパワーに勝るとも劣らぬサイコキネシスが人型軍用機と人型多脚重機を押さえ、ほとんど用を成さなくなっていた外装が割れる。

 深海にも似た圧が加えられ、へし折れたシャフトが完全に曲がり、割れたバッテリーから溶液が垂れ落ちる。山吹は操縦席から脱しようとするが、サイボーグの腕力を持ってしても、ハッチを開けなかった。これでは、生身の秋葉では身動きすら出来ないに違いない。焦った山吹は両腕から銃身を出そうとするが、激しい戦闘で変形機構が破損したのか、ギアが噛み合わなかった。最初の攻撃で開けられた穴は小さく、通り抜けられそうにはない。

 仕方ない、と山吹は内装に腕を叩き付けて外装を破損させ、歪んだ部分に指を差し込んで引き剥がした。銃身が曲がっていないかどうかが心配だったが、一本を除けば大丈夫そうだ。その一本から弾丸を抜いて暴発を防いでから、山吹は操縦席の背面に体を押し付け、ハッチの蝶番部分にゼロ距離で発砲した。

 狭い空間なので発砲音は聴覚器官を襲い、自動補正が掛かるまでの間は聴覚が奪われた。破片がバイザーを擦って横一線に傷を付ける。山吹はすぐさまハッチを蹴り開け、外に脱出したが、上半身を出しただけで恐ろしい重圧に脳まで砕けそうになった。

「さ」

 両腕の機能が壊れるのも構わずに出せるだけのパワーを出し、体を外に押し出す。

「な」

 ジャングルブーツで愛機の外装を踏み締め、膝を伸ばし、数百キロはあろうかという重圧を背に受ける。

「みぃいいいいいいいいいっ!」

 山吹は強引に胸を張り、ヒューズが飛び散る両腕を広げる。

「山吹紗波! それがはーちゃんの新しい名だぁあああああああああっ!」

 その言葉が響き渡ってから、少しの間の後、サイコキネシスが突如解除された。山吹機も秋葉機も落下して地面に叩き付けられ、激しい衝撃と金属音が轟く。機体の穴が開いた胴体の上に辛うじて着地した山吹が戦闘態勢に入ろうとすると、竜ヶ崎は己の手を見つめて目を丸めた。

「まさか、波号に意識があるというのか」

 竜ヶ崎は小さく舌打ちしてから、身を引いた。

「仕方ない。生体調整の後、最終段階に移行しよう」

「待てぇこの野郎!」

 山吹は機体から飛び降りようとしたが、直後、竜ヶ崎の姿は消え失せた。周囲を見渡してみるが、どこにも竜ヶ崎らしき姿は見当たらない。もしかすると、紀乃らが言っていた瞬間移動だろうか。だとすれば、この戦いは竜ヶ崎の勝ちだ。インベーダーと手を組み、波号を救うと決めたのに、波号を竜ヶ崎の手中から救い出すどころか、触れることすら出来なかった。

 山吹は戦闘の高揚が徐々に落ち着いてくると、憤りが沸き上がってきたが、今は秋葉を救い出さなければならない。仰向けになった人型多脚重機の操縦席に這い上がると、秋葉は重圧に負けて気を失ったらしく、操縦席と内壁の隙間で倒れていた。乱れた長い髪に顔は覆われていたが、横顔は苦しげで、小さな拳は握り締められていた。山吹は秋葉を抱き上げて操縦席から運び出すと、全壊も同然の自機を仰ぎ見た。

 《Save・the・Daughter!》のノーズアートが、ただただ空しかった。



 事後処理を終えたのは、日が暮れた後だった。

 その後、駆け付けた紀乃とガニガニと虎鉄と芙蓉の協力を得て、波号と融合した竜ヶ崎に命を奪われてしまった哀れな自衛官達の遺体を片付けた。埋葬してやることも考えたが、竜ヶ崎邸の敷地に埋められては彼らの無念は晴れるどころか深まる一方だと判断し、殺されたままの格好だった彼らを横たわらせてやってシートを被せ、認識票と隊員証を胸の上に載せた。そうしておけば、自衛隊と警察が彼らを家族の元に返してくれるだろう。

 皆が皆、言葉少なだった。紀乃は顔を強張らせて竜ヶ崎邸を睨み付け、虎鉄と芙蓉はそんな娘の傍にいてやり、ガニガニは竜ヶ崎に殺された自衛官達を守るように寄り添っていた。意識を取り戻しても頭痛が止まらない秋葉は、手近な装甲車から引き剥がしたシートの上に横たわっていた。山吹は秋葉の傍に座り、項垂れていた。

「ひとまず、海上基地まで帰ろう。またクソ野郎が現れる前に、体勢を立て直すんだ」

 虎鉄が山吹を促すが、山吹は立てなかった。

「……俺を責めるなら、さっさと責めたらどうなんすか」

「馬鹿言え。山吹がしくじったわけじゃない、俺達がクソ野郎の目論見を見誤っただけなんだ」

 虎鉄が山吹の腕を掴み、立ち上がらせる。山吹はそれを振り解こうとするが、腕が故障していて出来なかった。

「俺……こんなことになるなんて思ってもみなかったんすよ。俺とむーちゃんではーちゃんを助け出せるはずだって、なんでか知らないけど、思い込んでいたんす。ロッキーも無事だったから、きっとはーちゃんもそうなるんだろうって、何の根拠もないのに。だけど、そうじゃなかったんす。イッチーだって見つからないし、はーちゃんだって局長のいいようにされて、俺達は手も足も出なかったんす。俺一人で負けるんならまだいいっすけど、むーちゃんまで……」

 肩を怒らせて俯く山吹に、虎鉄は鋼鉄の拳を固めると、何の躊躇もなく殴り付けた。金属同士の衝突音が響き、山吹はよろめいて後退る。虎鉄は山吹を殴った拳を軽く振りながら、山吹に背を向けた。

「一度や二度、失敗した程度で男が泣き言抜かすな。波号を自分の娘だと言い張るってんなら、ちょっとやそっとでへこたれるんじゃない。死んでさえいなければ、どうにでもなる。だが、今はお前も田村も体を休めろ」

「了解、っす」

 脳を揺さぶる衝撃の余韻を味わいながら、山吹は頷いた。

「秋葉さんは、私とガニガニで連れて帰るから心配しないでね」

 紀乃は少しだけ表情を緩めると、秋葉を寝かせている座席ごと浮かび上がらせ、ヤシガニ形態に戻ったガニガニの背に乗せた。紀乃は秋葉の額に浮いた脂汗を拭いてやると、芙蓉の能力による消火活動で鎮火した竜ヶ崎邸を見やり、唇を引き締めた。ガニガニはかちこちと顎を鳴らし、触角を立てている。

「もう二度と負けない。何があったって負けない。私達には、勝利しか許されていない」

 秋葉は目元を覆った濡れタオルを押さえ、喘ぐように決意を述べた。

「うん。だから、一緒に戦おう」

 紀乃は秋葉を落ち着かせてから、ガニガニを浮かび上がらせた。ガニガニは緩やかにハネを動かしながら、西日に染まった都心部に向かって飛んでいった。虎鉄と芙蓉はアメリカンバイクに跨ると、山吹をサイドカーに乗るように言ってきたので、山吹はその言葉に甘えた。両腕が破損していなければ、自力で車を調達しただろうが、ハンドルを握れないのだから仕方ない。

 百名近い自衛官達の遺体が並ぶ竜ヶ崎邸を何度も振り返りながら、山吹は虎鉄の拳による傷が付いたマスクを膝でなぞった。海上基地に到着すれば機体を換装しなければならないが、マスクだけは換えないように忌部に頼んでおこう。体に付いた傷を忘れてしまえば、今の気持ちも忘れてしまいかねない。敗北の悔しさとバッテリー溶液が沸騰しかねないほどの自責を味わいながら、山吹は決意を固めた。

 次こそは、必ず。

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