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南海インベーダーズ  作者: あるてみす


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31/61

謀略的実地研究

 忌部島上空、高度二万メートル。

 地球は丸く、宇宙は暗い。緩やかなカーブを描く水平線を透き通った淡青の成層圏が包み込み、遙か彼方に日本列島の南端が見えている。忌部島は米粒よりも小さく、火山から立ち上る噴煙がうっすらと尾を引いている。

 頭上に横たわる天の川は地上から見た時よりも鮮やかで、見覚えのある星座もいくつかある。東側から昇ってきたばかりの太陽の存在感は計り知れず、光条を受けるだけで圧倒される。空と海の間に絶妙な造形の雲が散らばっており、刻一刻と移り変わっていく。何時間見ていても飽きない絶景で、宇宙飛行士の心境が少しだけ理解出来た。

「うおおおおお……」

 紀乃は圧倒されるあまりに唸り、拳を固めて振り向いた。

「すっげぇ! 私ってすっげぇ! さっすがインベーダー!」

「そりゃお前も凄いが、もっと凄いのはゾゾだろうが」

 紀乃の背後に浮かぶフンドシ、忌部が言うと、その隣に浮かぶ甚平も小さく頷いた。その拍子に、丸まりがちな背に載っている大きなリュックサックが揺れた。

「あ、うん、そりゃ紀乃ちゃんも凄いけど、ゾゾの生体改造技術も有り得ないっていうか」

「てかさー、もうちょっとこの絶景に対するリアクションってないの?」

 紀乃は浮かんでいるのをいいことに胡座を掻き、むくれた。だが、二人の言うことも尤もだ。紀乃は地球の絶景と自分達を隔てている膜と、三人の真下にある花弁を見やった。

 直径五メートルの泡を生み出している花弁は同時に適度な酸素を作り出す上、泡を通り抜ける太陽光線の紫外線を遮断し、更には気温を保ってくれていた。何をどうやればそんな植物を作れるのか、紀乃はもちろん忌部も甚平も見当が付かない。普段の様子が所帯染みているので忘れがちだが、やはりゾゾは科学者だ。それも、恐ろしく優秀な。

「んで、忌部さん。どの辺に落とせばいいんだっけ?」

 紀乃は頭上を仰ぎ、地球の重力に囚われている無数のスペースデブリに感覚を集中させた。

「太平洋側に二三散らばらせて落として、日本海側には目標地点の近隣に落とせ。但し、絶対に大陸との国境には落とすなよ。ただでさえ近隣諸国との情勢が不安定なんだから、余計なことをして戦争を起こしたくはない」

 忌部が透明な指で落下地点を示したので、紀乃はその指がどこにあるかを確かめてから、その先を辿った。

「戦争なんて起きちゃうの? この前みたいに、スペースデブリを海に落とすだけだよ?」

「あ、うん、起きちゃうの。ていうか、これから僕らがやろうとしていることは、れっきとしたテロ行為っていうか、まあ、侵略行為には変わりないっていうか。それに、僕らの扱いは人間じゃないけど、国籍はれっきとした日本人だから、日本国内に対する侵略行為なら、問題は大きくならないけど、他の国にちょっかいを出しちゃうと有事が起きるっていうかで。まあ、自国に対する侵略行為も本当は良くないことなんだけど、致し方ないっていうか」

 甚平は少し気まずげに丸い目を伏せ、瞬膜を開閉させた。

「それはそれとして、なんで忌部さんが付いてくるの? 福井県にある八百比丘尼(やおびくに)の洞窟に行きたいって言ったのは甚にいだけど、そういうのは忌部さんには関係なくない?」

 紀乃が訝ると、忌部は言い返した。

「お前らはどっちも未成年だし、ちょっと目を離すと何をしでかすか解らないからな。要するに引率だ。それに、俺がいた方が変異体管理局の動静も掴みやすい。連中の行動範囲も知っているし、山吹と田村が立てる戦略のクセも把握している。だから、役に立つはずだ」

「そうかなぁ」

 ねえ、と紀乃が甚平に向くと、甚平は口籠もりながら答えた。

「あ、うん、その辺は忌部さんの言う通りっていうか。だから、一緒の方がいいっていうか」

「甚にいが言うならそうなのかなぁ……」

 紀乃は今一つ腑に落ちなかったが、スペースデブリを掻き集めて人工の流星を作ることに集中した。抗いがたい星の力、地球の重力に従って衛星軌道上を漂う無数の金属片は、大海に埋もれる砂粒にも似ていた。

 任務に従事して役割を終えた人工衛星が破損したもの、打ち上げられたロケットの残骸、宇宙飛行士が落とした細かな備品が、宇宙空間に拡大していく紀乃の感覚に触れ、運動エネルギーを奪われて制止する。遠い昔に爆破された軍事衛星を中心に据え、空間を円形に湾曲させて重力をレンズ状に歪め、スペースデブリを寄せ集めて一塊の金属塊へと変化させる。

 事を起こしている宇宙空間は遠く、暴風をも防いでいる巨大な花の泡は音も遮ってくれるので金属同士がぶつかる音は聞こえなかったが、紀乃の神経には長年宇宙空間に曝されていた金属片の強烈な冷たさが流れ込んできていた。太陽光に熱されているもの、放射線を帯びているもの、人工衛星としての機能は失っているが回路は生きているもの、など様々で、金属片が一つ一つ重なり合うたびに、アルミホイルを歯で噛んだ時のような尖った冷たさが神経の末端を刺してくる。どちらかと言えば、不快な感覚だった。

「紀乃、もういいぞ。直径は五メートルもない方がいい、着弾と同時に燃え尽きる程度でないと海洋汚染が心配だ」

 自分の目の上に透けた手を重ねてレンズ代わりにし、上空を見上げていた忌部は指示した。

「えーと、この次はどうするんだっけ?」

 直径五メートル程度の金属塊を遙か上空に浮かばせながら紀乃が問うと、甚平が説明した。

「あ、うんと。大気圏再突入させる角度は浅く、でも、高度は高くね。地上から百キロメートル程度が妥当。そこから東京湾をピンポイントで狙うのは視認では難しいし、そこまでしなくてもいい。これは陽動だから」

「うん、大体解った!」

 紀乃はサイコキネシスを強めて金属塊を高度百キロメートル付近にまで上昇させ、力をしならせた。

「せぇーのっ!」

 無数の星々の間に、一つの流星が滑り落ちた。数秒後、それは大気圏摩擦による炎に巻かれながら緩い角度で落下し、一直線に太平洋側へと向かっていった。寄せ集めた金属片は紀乃のサイコキネシスから解放されても尚も固まっており、過熱によって溶接されてしまったらしく、空中分解する危険性はないようだった。

 赤い尾を引きながら海へと吸い込まれていった金属塊は、数十秒後、太平洋に墜落して水柱を立てた。

「茨城の沖合い数十キロ、ってところか。まあ、無難だ」

 忌部は透けた手を丸めてレンズの焦点を調節し、目を凝らした。

「で、次はどこ?」

 高度百キロメートル付近で次なる金属塊を作りながら、紀乃が忌部に問うと、忌部は静岡県沖合いを指した。

「静岡の下辺りにでも落としてやれ。落下地点が多ければ多いほど、現場が混乱する」

「あ、でも、福井県側にスペースデブリを散らばらせるのは忘れないでね。あの辺に避難勧告を出してもらわないと、人払いが出来ないっていうか、ちゃんと目当てのものを見られないっていうか。あ、えと、それで、散らばらせるのは一カ所だけじゃダメっていうか。ていうか、むしろ、目立っちゃう。一つだけ変だと、そこに行くってことを敵に知らせることになっちゃうっていうか。だから、その辺は重々気を付けて」

 甚平が弱腰に忠告すると、紀乃は笑った。 

「解ってるってぇ。そんじゃ、二発目、行ってみよー!」

 調子が出てきた紀乃は、二発目の金属塊を忌部の指示通りの静岡県沖合いに落下させるべく、ほんの少しだけ角度を付けて大気圏に再突入させた。

 なぜ再びが付くのか、と、忌部島を出発する前に甚平に聞いてみたところ、人工衛星やロケットは一度地球上から発射されたものだから再びが付く、のだそうだ。物腰が弱すぎて情けなさが際立つ従兄弟の青年は、紀乃が知らないことを本当によく知っている。他人と接するのが苦手なせいで、知識欲が人一倍強いのだろう。だが、本人はそれをひけらかすことはなく、むしろ恥じ入っているのが不思議だ。

 甚平が言うには、自分の知識など表面を浅く撫でているだけであって本当に理解しているわけではない、だそうだが、紀乃からしてみれば浅く撫でるだけでも充分すぎるほどだ。やっぱり勉強って大事だ、と今更ながら思う。

 二発目の金属塊は、落下中に施した入射角の微調整のおかげで無事に静岡県沖合いに落下し、今度も巨大な水柱を立てた。三発目の金属塊は甚平の指示通り、細かなスペースデブリを作り、それを福井県沖合いに向けて投下した。高度百キロメートルから大気圏再突入の際は金属塊だが、沖合いの数百メートル上空で空中分解させてスペースデブリを散らばらせた。日本海側は地球の丸みがあるので忌部でも目視しづらかったが、紀乃の感覚には手応えがちゃんと返ってきた。

 後は、もう二三発ほど金属塊を落としてから、高度数千メートルにまで降下し、泡を破った花弁を大気圏外に飛び出させて証拠隠滅してから、福井県上空まで高速で移動し、忌部の無線機で変異体管理局の無線を傍受して地元住民の避難完了を確認し、甚平が行きたがっている八百比丘尼の洞窟に向かう。

 インベーダーともなると、フィールドワークも一苦労だ。



 変異体管理局、管制室。

 六発目の落下物が日本海側に着弾した。管制室が予測した着弾地点とは数メートルの誤差はあったが、陸地への被害は一発もない。さながらチャフのようにばらまかれたスペースデブリの金属片も、日本海の浅瀬に一つ二つは落ちただろうが陸地へは掠ってもいない。

 誰の仕業かは考えるまでもない。インベーダーの中でこれほどの能力を持ち合わせているのは、乙型一号・斎子紀乃しかいない。メインモニターを見上げながら、敵ながら感心しつつも山吹は少し違和感を感じた。

 斎子紀乃の単独行動だとしたら、落下地点が正確すぎる。日本海側には合計三つの落下物が投下されているのだが、いずれも日本の領海内であり、隣国の国境を掠ってもいない。それはそれで非常にありがたいのだが、社会の成績が平均点だった中学三年生がそこまで気を遣えるだろうか。

「こりゃ忌部さんもいる感じっすね。演習から二日後で良かったっすよ、ギリで整備点検が完了しているんすから」

 山吹が肩を竦めると、真波は腕を組んだ。

「あれで忌部君は要領が良いわ、インベーダー共と共闘関係を結んでいても不思議じゃない」

「一連の襲撃は、何かの目的があっての上の行動に思えます」

 秋葉が発言すると、真波は各現場からの情報が羅列されている複数のモニターに目を配らせた。

「海上自衛隊と海上保安庁の配備は順調に進んでいるようね。各現場は彼らに任せておくとして、山吹君は伊号と虎鉄と芙蓉を率いて太平洋側に、田村さんは電影とガニガニを率いて日本海側に向かいなさい。どちらかに何かを仕掛けてくるはずよ」

「ですが、変異体管理局の守りはどうするんすか?」

 山吹が問うと、真波は答えた。

「波号がいるし、呂号も辛うじて使えないこともないわ」

「では、やはり呂号の処遇は……」

 秋葉が切なげに目を伏せるが、真波は意に介さなかった。

「どれだけ値が張ろうが、兵器は消耗品よ。資金を投入しただけの成果は上げたのは確かだけど、耐久性がないのは否めないわ。廃棄処分しなければ、何の役にも立たない小娘を国民の血税で養うことになってしまうのよ。あれは生かしておくだけで金が掛かるから、それこそ、世間から非難されてしまうわ。だから、呂号を廃棄処分するのは我々にとって必要な措置なのよ」

 山吹は秋葉を見やると、秋葉は意見したそうだったが、唇を噛んだだけだった。呂号にはこれまでの働きに応じた余生を与えてやるべきでは、と、山吹も言いたかったが、真波の性格からしてそれはないだろう。

 軍艦や戦車なども、退役すれば扱いが大きく変わる。大戦中に英雄的な活躍をした軍艦も演習で爆撃されて海中に沈んでいるし、高性能な戦車も演習では的にされて破壊される。戦闘機は博物館などに展示されるがそれもごく一部の話であり、ほとんどは分解されてスクラップにされる。

 呂号は、その後者にされてしまったらしい。彼女の音楽の才能は能力に由来する部分が多いが、音波操作能力を失ったからといって、生まれ持ったギターの才能が錆び付いてしまうとは思いがたい。だから、廃棄処分などせずに、彼女の才能を存分に発揮出来るような場所で生かしておくべきでは。山吹はそれを意見しかけたが、真波の指示が届いた人型軍用機格納庫からの通信に応答した。

「はい、こちら管制室の山吹っすけど」

『ジョージー! 電影なのさー!』

「そっちの準備は整ったんすか、電影。ガニガニの電圧も大丈夫っすか?」

『電影もガニーも大丈夫なのさー、いつでも出撃出来るんさー。でも、ジョージーは電影と一緒じゃないんさー?』

「今回は俺とむーちゃんは別動なんすよ、別動。俺とイッチーと虎鉄と芙蓉で太平洋側の守りを固めて、むーちゃんと電影とガニガニは日本海側を守るんす。ガニガニは初出動っすから、先輩の電影がしっかりやるんすよ」

『うー! 了解やいびーん!』

 いつも通り明るい調子で、電影は通信を切った。

「乙型一号が忌部君と襲撃に出てきたとなれば、忌部島はがら空きね。忌部君はともかく、乙型一号がいなければ忌部島の守りは隙だらけ。他の連中も面倒だけど、乙型一号がいなければ防御する以前の問題よ。連中が忌部島に帰還する前に攻撃部隊を編成し、上陸させましょう。今度こそ根絶やしにしてやれるわ」

 真波が攻撃部隊に連絡するべく無線機を取ると、秋葉が止めた。

「主任、それはガニガニとの契約違反に当たります」

「契約も何も、相手はヤシガニの化け物よ? 違反したところで、私達は何の罪にも問われないわ。それに、相手はインベーダーなんだから、法律に守られてすらいないわ。そんなものと約束を守ったところでどうなるの」

「ガニガニには人格と知性があります。それについては私が保証します。ガニガニが私達の命令に従順なのは契約を継続しているからに他ならず、忌部島を襲撃しないという約束を守り続ければ、ガニガニは我らの生体兵器として働いてくれます。もしもその契約を破れば、ガニガニは私達ごと海上基地を破壊するでしょう。彼には、それだけの能力が備わっています」

 真波の目を見据えて秋葉が言い切ると、真波は無線機を下げた。

「随分な自信ね、田村さん」

「私は、電影共々ガニガニを一任されました。部下に信用されたければ、部下を信用するのが道理かと」

「あなたらしいわね」

 真波は唇の端を引きつらせたが、無線機を上げた。

「けれど、私はあんな化け物を信用していないわ。単なる消耗品に信用されようだなんて、思ったこともないわ」

 秋葉が手を伸ばしかけたが、真波は躊躇わずに無線機に攻撃部隊へ出動要請を掛けた。冷淡で事務的な言葉が電波に乗って待機中の自衛官達に届いた、かと思われたが、何秒経とうとも応答はなかった。電池切れかと真波が沈黙している無線機を睨み付けると、管制室の自動ドアが開き、やる気の欠片もない伊号が入ってきた。

「おーす」

 寝起きの伊号は赤いチェックのミニスカートの裾が乱れ、黒のブラウスの襟も曲がっていて、赤いメッシュが入っているツインテールも右側しか結ばれておらず、万能車椅子のキャタピラの動作も心なしか鈍い。生欠伸を噛み殺しながら三人の近くに来た伊号は、モニターを一瞥しただけで状況が解ったのか、無線機を持った真波に言った。

「てか、今、無線もだけど通信が遮断されまくってるし。うちじゃねーし、政府の連中だし。携帯のも電話のもネットのも全部死んでるし、てか、サーバーも落とされまくってるし。主任の無線もあれだろ、遠距離通信用に中継局があるやつだし。それはうちの管轄のはずなのに、政府の連中が手ぇ回したみたいだし。仕事超早えー」

「私の許可も取らずに、どこの誰がそんなことを決定したのよ」

 無線機を叩き付けるように置いた真波に、伊号はけらけらと笑った。

「んなの知らねーし! てか、あたしらにはマジ関係ねーし!」

「状況確認のために政府と連絡を取ってくるわ。あなた達は指示通りに」

 真波はそう命じてから、足早に管制室を出ていった。苛立った調子で床に打ち付けられるハイヒールの音が完全に遠ざかってから、伊号はロボットアームで左側のツインテールも結び、山吹と秋葉に目をやった。

「政府が情報統制のために色んな通信網を落としたのはマジだけどさ、主任の無線落としたの、あたしだし」

「そりゃどうもっす。でも、なんでまたそんな親切なことを」

 伊号らしからぬ行動に山吹が不思議がると、伊号は長い睫毛に縁取られた目を丸め、山吹を凝視した。

「ロッキーが廃棄されるって、マジなん?」

「否めない事実」

 躊躇いつつも秋葉が呟くと、伊号は唇を半開きにしてから、大きく歪めた。

「……マジウゼェ」

 伊号の罵倒は、差し当たって思い付く人間全てに向けられていた。真波、山吹、秋葉、変異体管理局上層の幹部局員、そして、自分を含めた生体兵器。語彙が貧弱で短い言葉の中には負の感情が一切合切混ぜ込まれていて、やり場のない感情が迸らせた力が放り出されたままの無線機をショートさせていた。

 サイボーグであるが生体兵器ではない山吹は、伊号の心中を事細かに察することは出来ないが、伊号が少なからず呂号に対して共感に近しい感情を抱いていたのは喜ばしいと場違いな感想が過ぎった。伊号は誰に対しても横柄で不躾な態度を取り、呂号に至ってはライバル意識を通り越した敵対心を抱いているのだと思っていた。けれど、そうではないのかもしれない。だが、呂号が廃棄処分されてしまっては、伊号の感情の行き場は完全に失われてしまう。

 どちらの少女も哀れだ。


 

 福井県小浜市(おばまし)

 日本海は、忌部島で日々目にしている太平洋とはまるで違う。海の色が濃く、なんとなく暗い。高度二万メートルの上空から見て解ったが、海は空の色を吸い込んでいるから青く染まっている。

 忌部島近海のエメラルドグリーンの海も、鮮やかすぎる空の色を吸収している。だが、日本海は青と藍色を混ぜたような色彩で、海岸に打ち寄せる波もどことなく重たいような気がする。

 スニーカーの靴底で踏み締めた砂浜の感触は、珊瑚礁の砂浜に比べると粒子が荒かった。カーブの付いた海岸線沿いに道路が走っているが、車は一台も通っておらず、漁港や民家や商店街も不自然な静けさに支配されている。

 甚平の考えた通りに小浜市一帯に政府から緊急避難勧告が発令されたらしく、紀乃の感覚にも人間の息吹は掴み取れなかった。異様な光景ではあるが、それが正しいことだ。変異体管理局と戦闘になったとしても、人的被害が出ないだろうし、余計な騒ぎを起こさなくて済む。

 だが、良心の呵責と共に生じる物寂しさは否めず、紀乃は少しばかり胸が詰まった。吹き付ける潮風も冷え始めていて、秋の気配がする。半袖のセーラー服では少々肌寒く感じてしまい、紀乃は両腕を抱えてさすった。

「今、何月だっけ?」

「あの島にいると、季節感もへったくれもないからな。えぇとだな」

 紀乃の背後に立つ忌部は指折り数え、答えた。

「紀乃が島に放り込まれたのが七月の上旬だったから、九月の始めだな。……クソ親父の四十九日ももうすぐか」

「うっそぉ! てか、もうそんなになっちゃってんの!? 信じらんないんだけど! 夏休み終了してんじゃん!」

 紀乃が目を剥くと、忌部は透き通った腕を組んだらしく、胸の辺りの屈折率が変わった。

「案ずるな、俺達は万年夏休みだ」

「あ、うん、そういうこと。でも、いざそうなっちゃうと、逆にやりづらいっていうか。だけど、やりたいことが出来るのはいいっていうか。だから、えと、いやでも自律せざるを得ないっていうか、自律しないと堕落の一方っていうか」

 尖った鼻先を上げて潮の匂いを嗅いでいた甚平は、指先で鼻を擦ってから二人に向いた。

「あ、うん。大丈夫みたい。風上に護衛艦が控えているみたいだけど、ここからもっと北だし、護衛艦が南下してくるまでには大分猶与があるっていうか。だから、その間にやることやっちゃうっていうか」

「匂いだけでよく解るもんだ。伊達にサメ人間じゃないな」

 忌部が素直に褒めると、甚平は背中を丸めて鼻先を押さえ、照れた。

「あ、えと、その、まあ、色々と……」

「とにかく行こうよ、じっとしてると寒い!」

 紀乃が砂浜を歩き出すと、甚平は追い掛けてきた。

「あ、待って。迷ったらいけないし、単独行動はまずいっていうか」

「全面的に同意するよ。立ち止まっていると、その分見つけられる確率が高くなるからな」

 二人に続いて忌部も歩き出し、砂浜に足跡が並んでいった。砂浜と市街地を隔てるように設置されたコンクリート壁に付いている階段を昇ってから、紀乃はスニーカーの中に溜まった砂を落とし、もう一度履き直した。鮫肌なので靴を履く必要がない甚平は足の裏の砂を払って落とし、常に全裸なので靴も履くわけがない忌部も同じようにした。

 道路に続いている階段を下って国道を渡り、市街地に入る。海沿いに軒を連ねる民家の庭先には、今朝干したであろう洗濯物が揺れている。手入れの行き届いた庭木や植木鉢が玄関先に並び、思う存分に日光を浴びている。

 こぢんまりとしたスーパーは品出しの途中だったのか、店の前には今日のセール品が中途半端に出されたままだ。調剤薬局と同じ建物に入っているドラッグストアは二階から上が民家で、ベランダには家族の人数分の敷き布団が干されている。年季の入った旅館の軒先に、新鮮な魚貝料理を謳い文句にした看板が設置されている。造船会社の巨大な工場がそびえ立っているが、今は誰一人として働いていない。どの家からも、テレビの音も、家族の話し声も、掃除機の音も、世間話をする住民同士の声すらも聞こえてこない。思わず、紀乃は足を止めた。

「どうした」

 忌部も立ち止まり、紀乃に声を掛けた。紀乃は街並みをぐるりと見回してから、呟いた。

「普通の街に来るのって久し振りだなぁって思って。だけど、人がいないから、凄く寂しい」

「人がいたらいたで、俺達がどう扱われるかは知っているだろうが。だが、気持ちは解らんでもない」

 忌部は腰に手を当てたのか、フンドシが若干反らされた。

「あ、うん。こう言うのはどうかと思うけど、その、僕らはきっと境界を越えちゃったっていうか」

 甚平も水掻きが張った足を止め、背ビレの生えた背を真っ直ぐ伸ばした。

「境界? って、何の?」

 紀乃が聞き返すと、甚平は看板を見て目的地の位置を確認しながら、また歩き出した。

「あ、えと、常世と現世の境界だよ。僕らはその、元々は人間だったけど今は人間じゃないっていうか、人間であった資格を失っているっていうか、奪われたっていうか、普通に生きていては越えられない一線を越えたっていうかでさ。簡単に言えば、あの世とこの世。僕らはこうして生きているけど世間的には抹殺されているから、実質的にあの世の住人なんだよ。人間から線を引かれ、完全に隔てられている。人間の前に姿を見せたら、恐れられ、怯えられ、攻撃される。だから、こうして僕らは人間を遠ざけて身を隠して行動する。死んでいるからだ」

 歩きながら自分の世界に入ってしまったのか、甚平はいつになく饒舌になった。

「僕らは死んでいる。生きてはいない。だから、誰も彼も僕らを傷付けることを厭わない。生きていないから、殺したところで死にはしない。死にはしないから、どれほど傷付けても良心が痛まない。それが、常世と現世との違いだ。僕らは常世からは出られない。現世から乖離されたと同時に常世に浸り切って、生きることから解放されたからだ。でも、それは現世から見た僕らであって、常世の僕らから見たものじゃない。世間的には抹殺されていても、僕らは生きなければならない。常世の住人になってしまっても、僕らの肉体は生命活動を続けているからだ。でも、彼女はそうじゃないだろう。生からも死からも解放されてしまったから、きっと、ニライカナイに行くことを選んだんだ。彼女に関する情報と背景の知識を得た上で、僕らは今後の判断を付けなければならない」

 甚平の口調は険しく、声色も強張りがちだった。紀乃と忌部は口を挟めず、甚平の後に続いて歩いた。

「彼女。ゾゾが言うところの龍ノ御子。過去のミュータントであり、僕の想像では不老不死に等しい自己再生能力を持った女性だ。彼女が龍ノ御子とされる理由は、ゾゾは決して教えてくれない。知ろうとしても、知るための材料が欠けているんだ。けれど、何一つないわけじゃない。紀乃ちゃんが能力増幅に使っていた勾玉、砂浜に埋もれて傷を癒していた生きている銅鏡、僕らを常世へ導いた血筋、慶良間諸島の無人島の地底湖に隠されていた遺跡とその壁に刻まれていた文章、生き物である可能性が高い忌部島、そしてゾゾだ。考えることは、いくらでもある」

 と、そこまで語って我に返り、甚平は赤面して口籠もった。

「あ、え、う、あ、え、その、いや、うん、まぁ、そんなことをずっと考えていただけであって、まだ、その……」

「俺はそんなこと、考えてみたこともなかったぞ」

「甚にい、今日はよく喋るねぇ。半分も意味は解らなかったけど」

 紀乃と忌部は、揃って甚平に感心した。

「あ、う、えと、なんかこう、落ち着かなくて」

 甚平は喋りすぎたことを恥じ入り、尻尾の先を上げながら歩調を早めた。市街地を抜けると、山へと向かう坂道を昇り始めた。三人の他には人間が一人もいないことが相まって静けさが増し、甚平が黙り込んでしまったので紀乃と忌部もなんとなく黙ってしまった。

 甚平が言ったようなことは、二人は考えたこともなかったからだ。常世と現世の境界だの、生きているだの死んでいるだの、と。今を生きることで必死だったので、考え込む余裕もなければ考えをこねくり回せるような頭の柔軟さもなかった。傾斜の付いた道路の先には瓦屋根の載った正門が待ち構えており、その左手には八百比丘尼伝説の地であることを書いた看板が立っていた。

 正門の先には石畳が続き、その奥には瓦屋根の本堂が見えた。本堂に続く道にはアスファルトが敷き詰められており、歩きやすくなっている。枝振りの良い松が両脇で枝を伸ばし、石灯籠が並んでいる。瓦にうっすらと残る朝露は蒸発し始めており、雨上がりよりも湿り気は薄いが粘膜には優しい空気が漂っていた。全体的にこぢんまりとしている寺だが、門の中に一歩踏み込んだだけで仏閣特有の厳かな雰囲気が感じられた。

空印寺(くういんじ)。曹洞宗のお寺だね」

 門をくぐった甚平は左手に向き、八百比丘尼入定の地、と書かれた看板を見つけると早々に歩き出した。紀乃と忌部も後に続いて門を開いて石畳が敷かれた道を進むと、その奥では夏の日差しを存分に浴びて生い茂った雑草に囲まれた洞窟が口を開けて待ち構えていた。苔に覆われた入り口は狭く、奥行きもあまりなさそうである。甚平は己の肩幅と洞窟の入り口を何度も見比べていたが、ぎりぎり入れそうだと判断し、洞窟に鼻先を突っ込んだ。

「あ、えと、紀乃ちゃんと忌部さんはちょっと待っていて。それと、これ、預かっていて」

 甚平はリュックサックを紀乃に渡すと、腰を曲げて、三日月型の尾ビレが付いた尻尾を引き摺って洞窟に入った。甚平という結構な質量が入ったからだろう、洞窟の中から押し出されてきた空気が紀乃と忌部の下を滑り抜けた。外気よりも冷たく、心地良い温度の微風だった。

 しばらく待ってみても、甚平が出てくる様子はない。紀乃が内部を覗き込んでいると、甚平が後ろ歩きで引き返してきた。背ビレを洞窟の入り口に引っ掛けながら出てきた甚平は、外の明るさで目が眩んだのか瞬膜を忙しなく開閉させてから、言った。

「あ、うんと、八百比丘尼のお墓があったんだけど、うん、それが……」

「何か変なのか?」

 周囲を見張るために洞窟を背にして立っている忌部が問うと、甚平は洞窟に振り返った。

「あ、う、その、変なのはお墓じゃなくって、その奥にある岩みたいなものっていうか」

「洞窟にあるんだから、岩なんじゃないの?」

 中途半端に体を浮かばせた紀乃が洞窟を覗き込むと、確かに八百比丘尼の墓の奥に古びた岩があった。

「あ、いや、うん。あれは岩に見えるけど、断じて岩じゃない。ていうか、岩の匂いが……しない」

 甚平は大柄なために元々低めな声を更に低め、目の上に手を翳して光量を調節してから目を凝らした。

「えと、あれと同じ匂いがするものは、僕は凄くよく知っている。だけど、それとこれを直結させるのは安易すぎるし、判断するのも早すぎる。有り得ない、というか、それが有り得たら怖いからだ。色んな意味で」

「怖いって、何がだ?」

 さっぱり状況が把握出来ない忌部が訝ると、甚平は牙の生え揃った顎に手を添えた。

「あ、うん。あの岩からは、忌部島の匂いがする」

「……え?」

 ますます意味が解らず、紀乃はリュックサックを抱えてきょとんとした。甚平は尻尾を揺すり、地面を擦った。

「あ、えと、僕もさっぱり意味が解らない。そうかもしれない、とはちょっと思っていたけど、だとすると、どっちが先か解らなくなってきちゃうっていうか。卵が先か鳥が先か、っていうか。竜が先なのか御子が先なのか、八百比丘尼が先なのかゾゾが先なのか……。僕がこれまで考えてきたことと、ちょっと噛み合ってないっていうか」

「いや、待て待て待て。とりあえず、俺と紀乃にも解るように説明しろ。昼飯でも食いながら」

 若干混乱した忌部が甚平の骨格が太い肩を掴むと、甚平は視線を彷徨わせた後、小さく頷いた。

「あ、まぁ、うん……」

「で、どこで食べる? ゾゾのお弁当」

 紀乃がリュックサックをサイコキネシスで浮かばせると、忌部は本堂を指した。

「あっちで喰おう。誰もいないからといって本堂に入るのはまずいが、縁側を借りるだけなら問題はない」

「へーい」

 紀乃は軽く浮かびながら、本堂を目指した。甚平は余程考えが昏迷してきたのか、ぶつぶつ言っている。それを忌部が引っ張っているが、遠目からではフンドシが先導しているようにしか見えない。洞窟から参道に戻り、本堂に向かうと、ガラスの填った引き戸も雨戸も固く閉ざされていた。

 紀乃はリュックサックを下ろして中身を出していると、二人も遅れてやってきた。本堂の縁側に昇るためのコンクリート製の階段に腰を下ろした忌部と甚平に、それぞれ水筒と竹カゴの弁当箱を渡してから、紀乃も同じものを手にして階段に腰を下ろした。竹製の筒に入れられている濡れ布巾で手を拭いてから、水筒を開けて冷えたドクダミ茶で喉を潤した後、弁当箱を開いた。

「で、甚にいが考えていたことってどんなことなの?」

 粗塩が利いた塩おにぎりを頬張りながら、紀乃は甚平に向いた。甚平はもそもそと食べながら、返した。

「あ、うん。僕はずっと、ゾゾは本当は地球人じゃないかって思っていたんだ。だって、あの人、ちっとも異星人らしくないっていうか、むしろ地球人じゃなきゃおかしいっていうか、僕らと同じような理由で姿形がディノサウロイドみたいになっちゃったんじゃないかっていうか」

「そりゃ確かにな」

 忌部はバナナの葉が内側に敷かれた弁当箱から、甘辛く煮付けられた豚肉に小麦粉をまぶして焼いたピカタに似た料理を抓み出し、囓った。甚平は二個目の塩おにぎりを半分囓り、飲み下してから続けた。

「あ、えと、だから、これまで僕はそういうことなんだと思って物事を考えてきたんだ。ゾゾは人間だけど、自分が人間ではないと思い込むためにそう言っているんだ、とか、人間じゃなくなった時間が長すぎるから異星人だっていう嘘が通用しているんだ、とか。ていうか、まあ、僕は宇宙に異星人がいないとは思っていないけど、ピンポイントで地球に来るのは都合が良すぎるって思っちゃう方で。だから、ゾゾは異星人みたいに凄いけど異星人じゃなくて元々は地球人なんだって思った上で考えてみたんだ。これまでに起きた、色んなことを」

 甚平は塩おにぎりを食べ終えると茹で卵を取り、バナナの葉を千切って階段に敷き、打ち付けて殻を割った。

「まず最初に、忌部さんと翠さんとミーコさんと小松さんも含めての家系のこと。生物学上、人間との異種間交配は不可能っていうか、ゾゾみたいなのと人間が交配したところで何も出来ないっていうかで。出来たとしても着床しないだろうし、成長しないだろうし、万が一色んなことが上手くいって生まれたとしても生命活動が出来るほど完成された個体が生まれないだろうし、一日も生きられないだろうし。だから、あの、その、御三家っていうか、忌部家と滝ノ沢家と……その、竜ヶ崎家、その御三家の先祖が忌部島で繁栄していたとしても、どの家系に生まれても純粋な人間である可能性しかないっていうか。ミュータントとして生まれるにしてもそれ相応の理由があるっていうか、忌部島の土壌が何かしらの物質に汚染されているとか、もしくは汚染された魚介類を長年食べ続けていたからミュータントが生まれるようになったんだとか、そう思っていたんだ。で、生きている島ってのは、それもまた何かしらの汚染のせいで意志を持つように感じられるようになっただけで、とか。生きている銅鏡も、貝が突然変異を起こしてああなったんじゃないか、って。でも、そうじゃないのかもしれない」

 茹で卵を一口で食べた甚平は、ドクダミ茶を呷ってから口元を手の甲で拭った。

「僕と紀乃ちゃんの家系はまだ解らないけど、僕の考えが正しかったとしたら、忌部さん達には確実に異星人の血が混じっている。その異星人がゾゾ本人であるかどうかは解らないけど」

「……はあ?」

 またも混乱した忌部に、甚平は畳み掛けた。

「だって、そうとしか考えられないっていうか。人間は単体繁殖なんて出来ないし、出来たとしても生まれてくるのは自分のコピーでしかないわけで。けれど、忌部島で繁栄していた一族は血は濃いだろうけどそうじゃないし、三つの家系に分岐していることから考えてみても、男女間の交配は行われている。でも、その相手が人間だっていう保証はどこにもないっていうか、地理的に考えると近親相姦しか出来ないっていうか、近親相姦でなかったら……」

「ちょ、ちょ、ちょっと黙れ!」

 忌部はフンドシを浮かせ、甚平の口を塞いで身を乗り出した。

「何をどう考えたら俺と翠とミーコと小松の一族が異星人の末裔になるんだよ! でもって、なんで御三家に竜ヶ崎なんていう名字が出てくるんだ! 御三家ってのは忌部と滝ノ沢と本家を指すんであって、局長は無関係だろう! い、いや、その竜ヶ崎が局長だっていう確証はないし、そんなわけがあるわけないじゃないか!」

「あ、え? 忌部さん、変異体管理局の局長の名字って、竜ヶ崎だったの?」

「あ……ああ。言わなかったか」

 甚平の反応の薄さに拍子抜けした忌部が答えると、甚平は俯いた。

「じゃあ、間違いない。その竜ヶ崎って人が、本家の御前様だ」

「だから、なんでそうなるんだよ! 本家の御前様ってのは、俺達を良いように扱って弄んでいる男だぞ! それが、局長と同一人物なわけがあるか! 俺が知る限りじゃ一番まともな権力者だ! ちったぁ変なところもあるが!」

「でも、別人だっていう確証もない」 

「突拍子がないにも程があるぞ、甚平。自分が何を言っているのか、ちゃんと解って言っているんだろうな?」

「それはもちろん解っている。でも、そうなるんだ」

 甚平は一度瞬膜を閉じてから、開いた。

「ゾゾはあの男に近付くなと言った。変異体管理局に関われば、あの男、すなわち本家の御前様を誘い出すようなものだって。忌部島にある郷土史には、竜ヶ崎って名字は何度も出てくる。それこそ、冒頭の一行目から。忌部島の所有権を持つ忌部家よりも旧いようだし、翠さんの話が正しければ忌部家も滝ノ沢家も分家だから、つまり竜ヶ崎家が本家ってことになる。だとすると、これまでのことに大体納得が行く。なぜ変異体管理局はミュータントを見つけて社会的に抹殺するのか、そうでなければ兵器利用するのか。どっちに転んでも、思うがままに出来るからだからだ。となると、竜ヶ崎って人の目的は、十中八九……」

 最後に残っていたパパイヤの漬け物を食べ終え、甚平は顔を上げると、紀乃も気付き、忌部も気付いた。

 海岸に沿って轟音を発する物体が接近しつつある。それも一つや二つではなく、紀乃が無意識のうちに広げていた感覚の端を凶暴な質量の物体が押し潰していく。三人はそれぞれの弁当を食べ終えると、ゴミも片付け、リュックサックに詰め込んだ。それを甚平に背負わせてから、紀乃は深呼吸した。

 神経の隅々まで尖らせて高ぶらせ、目を閉じると、直接見なくても物事が感じ取れる。潮風を浴びる鋼のクジラ、暴風を纏う機械の巨鳥、そして。

 どうして、と思う暇もなく、紀乃は飛び出した。忌部と甚平から引き留める言葉が聞こえたが、動揺と混乱と安堵が一度に押し寄せた紀乃には無意味だった。

 一息で街並みが通り過ぎ、日本海が視界を満たす。真夏には海水浴客が溢れていたであろう砂浜には揚陸艦が接岸し、戦車を吐き出している。その上には武装ヘリコプターが旋回し、更にその上空には戦闘機が白い雲の尾を引いている。

 紀乃は目を配らせて、彼を捜した。息を弾ませながら、胸を締め付ける苦しさと切なさに涙を薄く滲ませながら、忘れもしないあの色を見つけた。青黒い外骨格を持つ巨体の甲殻類もまた、紀乃を見つけた。だが、彼の傍には人型軍用機と変異体管理局の局員がいた。

 そして、護衛艦の機関砲が紀乃に向いた。


 

 ガニガニが生きている。

 あれは間違いなくガニガニだ。いや、それ以外に有り得ない。溶けて消えたはずのガニガニが元の姿を取り戻し、こうして目の前に存在している。ヒゲを動かしている。顎を開いている。外骨格が擦れて鳴っている。

 青黒い外骨格と巨大な鋏脚、澄んだ光を宿した小さな複眼、馴染み深い磯の匂い。紀乃は様々な思いが込み上がり、涙が滲み、揚陸艦の甲板に収まるガニガニに向かおうとした。

 だが、機関砲が紀乃に正確な照準を据え、ガトリング砲が回転すると同時に太いチェーンを高速で巻き上げるような金属音と共に発砲され、紀乃は瞬時に意識を切り換えて目に見えない障壁を張った。凄まじい衝撃がサイコキネシスを破らんばかりに襲い掛かったが、硝煙が晴れると二十ミリ鉄鋼弾が空中に縫い付けられていた。紀乃は若干呼吸を速めながら、腹の底から叫んだ。

「ガニガニィイイイイイイッ!」

 すると、ガニガニは一歩前に踏み出してヒゲを揺らした。

「どうやって元に戻ったのかは解らないけど、でも、本当に良かったぁあああああっ!」

 続いて放たれた機関砲も全て受け止めた紀乃は、弾丸の雨を漂わせながら、ガニガニに手を差し伸べた。

「ね、一緒に帰ろう!」

「そんなんならんさー!」

 だが、ガニガニは答えず、電影との名前が印された人型軍用機が割り込んできた。

「ガニーは電影とアキハーの同士なんさー! やなインベーダーさー、ガニーはどこへも行きはせんさー!」

「どこの誰が乗ってんだか知らないけど、そんなの勝手に決めないでよね! ガニガニはねぇ、大事な大事な友達で、仲間で、家族なんだから! 忌部島に連れて帰って、今まで通り一緒に暮らすんだから!」

 紀乃は大きく振りかぶり、無数の二十ミリ鉄鋼弾を護衛艦目掛けて撒き散らした。もちろん、ガニガニは避けて。 

「アキハー、危ないんさー!」

 電影は二人の背後に立っていた局員の女性を庇うため、背を向けた。撃ち抜けと言っているようなものだ、と紀乃は弾丸の照準を電影の背に据えたが、電影と自分の間にガニガニが滑り込んできた。その外骨格に電流が走ったかと思うと、外骨格がずれて筋が広がり、足が生えている部分が割れて二本足に変形し、鋏脚も腕のような形状に変わり、ガニガニは二本足で直立した。そして、大きく広げた鋏脚から青白い電流を走らせた。

『ええと、超電磁シールドみたいな何かっ!』

 ガニガニのヒゲの尖端が護衛艦のスピーカーに触れ、聞き覚えがない少年の声が聞こえた。と、同時に、紀乃が放った無数の鉄鋼弾は電流の細かな網によって動きを止められ、電影の背にも女性にも降り注がなかった。

「……ガニガニ?」

 なぜ、敵を庇う。紀乃が目を丸めると、ガニガニは放電する電圧を上げた。

『うぁあああああっ!』

 電流の網が弾け、鉄鋼弾の雨が再び紀乃に向かってきた。紀乃はそれを凌ぐも、ガニガニの行動が信じられず、サイコキネシスの防壁が不完全になってしまい、鉄鋼弾のいくつかは体の間近を飛び抜けた。袖の端が焼け焦げてスカートに穴が空いたが、気付けないほど打ちのめされていた。

「ね、ねえ、ガニガニ、私だよ、解らないの? ねえ、覚えているでしょ? だって、あんなに仲良しだったじゃない、ずっと一緒にいたじゃない、皆で暮らしていたじゃない、ねえ、ガニガニ?」

 紀乃は笑顔を浮かべようとしたが、声が詰まり、頬が奇妙に歪んだだけだった。

『……知らない』

 毟り取ったスピーカーを抱えたガニガニは鋏脚を打ち鳴らして威嚇し、電影と女性を背にして身構えた。

『僕はお前なんか知らない! 僕は乙型生体兵器六号、識別名称ガニガニだ! お前みたいなインベーダーなんかと仲良しなわけがないし、僕の友達は電影と秋葉姉ちゃんだ!』

「違うよ、生体兵器なんかじゃないよ、ガニガニはガニガニだよぉ!」

『僕の名前はガニガニだけど、お前の知っているガニガニなんかじゃない。お前なんか知らないし、嫌いだ!』

 明確な拒絶と断固たる戦意を漲らせた複眼が、紀乃を睨んだ。鉄鋼弾よりもミサイルよりも重たいものが全身を貫き、紀乃はサイコキネシスを保っていられなくなった。ふらりとよろけると高度が下がり、そのまま市街地へと落下した。

 空がぐんぐん遠くなり、日差しの熱を吸い込んだアスファルトが迫るが、何もする気が起きず、紀乃は脱力したまま全身に訪れるであろう衝撃を待ち受けた。が、叩き付けられる寸前に、太い腕に受け止められた。

「……間に合った」

 腕の主は、エラを開閉させて息を切らした甚平だった。

「紀乃、しっかりしろ! 気持ちは解らんでもないが、落ち込むのは帰ってからだ!」

 宙に浮くフンドシ、忌部も息を切らしているのかフンドシの腰紐が動いていた。甚平は手近な民家の影に隠れて、紀乃を降ろしてから、透明なのをいいことに顔を出して周囲を窺っている忌部に尋ねた。

「あ、えと、忌部さん。護衛艦のエンジンって、今、止まっている?」

「それはないな。機関砲を撃っていたから、まず止めちゃいないし、接岸しているだけだから動き続けている」

「あ、それで、その、忌部さんの同僚だった人の戦略のクセって?」

「ガニガニと人型軍用機が言っていた名前からすると、この場にいるのは田村か。あいつは融通が利かないんだ、どんな状況でも。良く言えば手堅いんだが、真っ正面から攻めるか、後ろから攻めるかの二択しかない感じなんだ。だからか、護衛艦なんてデカブツを遠浅の海に接岸させやがったのは。常識で考えれば、ガニガニと人型軍用機を揚陸艦に載せて先発部隊として上陸させるもんじゃないか。それをなんだ、無駄な使い方をしやがって」

「無線は傍受出来る?」

「走りながらチューニングしてみたが、変異体管理局の無線のチャンネルが全封鎖されちまったみたいだ。きっと、連中は俺が来ていることに気付いていたんだな。出ずっぱらなきゃ良かったな」

「そう」

 甚平は口の中でしばらく呟いていたが、顔を上げた。

「あ、えと、じゃあ、何も出来ないわけじゃないっていうか。忌部さん、手伝ってくれる?」

「おいおい。サメ人間のお前はともかく、俺は純然たる非戦闘員だぞ?」

「あ、うん、僕だって戦えないっていうか、戦うことなんて以ての外っていうか。でも、何もしないわけにはいかない」

「そりゃまあ、そうかもしれんが」

「だから、まぁ、その、戦わなきゃいけない。これまでは紀乃ちゃんに任せきりだったし」

 甚平は声を殺して泣いている紀乃の前に膝を付き、その頭をぎこちない手付きで撫でた。

「あ、じゃあ、ちょっと僕らは行ってくるから」

「そういうことなら、ちょっと預かっておいてくれよ。この非常時にごちゃごちゃ言うなよ、お前も紀乃も」

 忌部は立ち上がると、フンドシの紐を解いて股間から布を外し、甚平に押し付けた。

「あ、まぁ、うん。その、忌部さんは地上部隊を攪乱してほしいっていうか、なるべく僕らの戦力を大きく見せてほしいっていうかで。つまり、その、紀乃ちゃんが暴れているみたいな感じで」

 フンドシを丁寧に折り畳んで作業着の懐に入れた甚平は、住宅街を見回した。

「大体解った。なるべく被害を出したくないところだが、こちとら生死が掛かっているんだ。地元住民には、多少の損害を受けても我慢してもらおう。どうせ政府が口封じに金をばらまくんだし、大した被害にならんさ。そういう甚平は」

 正真正銘の全裸となった忌部が意味もなく胸を張ると、甚平は対照的に背を丸めた。

「あ、えと、僕は海から攻める。護衛艦とガニガニと人型軍用機をなんとかしちゃえば、なんとかなるっていうか」

「頑張れよ、俺も頑張る」

 忌部は透き通った手で甚平の肩を叩いてから、紀乃の頭を撫でた。

「ガニガニは連れて帰れないかもしれないが、俺達は一緒に帰ろうな、紀乃」

 忌部と甚平はタイミングを計り、民家の物陰から駆け出した。忌部の素足の足音と甚平の重たげな足音が過ぎ、間を置かずに破壊音が始まった。

 忌部は手当たり次第に物を民家に投げ込んでいるようで、何枚もの窓ガラスが割られていく。自転車が宙を飛んだり、キーが刺さったままの乗用車が暴走してみたり、無人のスクーターが商店街を駆け抜けてみたり、と。

 それが紀乃の仕業に見えるかどうかは定かではなかったが、変異体管理局側の注意を引けるのは間違いない。事実、上空を飛んでいた武装ヘリコプターはぐんと高度を下げたが、紀乃には気付かずに忌部が暴れ回っている方向へと向かっていった。

 紀乃はガニガニから吐き付けられた言葉を抗えず、頭が割れそうなほどの苦痛に苛まれていたが、震える唇を引き締めて立ち上がった。だが、集中力を欠いている状態では却って足手纏いになるので、紀乃は両腕を掻き抱いて深呼吸を繰り返した。

 その頃、甚平は忌部が暴れている場所を迂回するように駆けていた。一機しかない武装ヘリコプターは、忌部の傍若無人な破壊活動にしか注意を向けていないし、砂浜に上陸した戦車もレーダーを回転させるばかりで市街地へは乗り込んでくる気配がない。

 恐らく、なるべく市街地を破壊しないようにと、田村秋葉現場監督官補佐が命じているのだろうが、素人目にも効率が悪い。かといって地上部隊が派遣されるでもなく、海岸線を固めているだけだ。ガニガニと電影という名の生体兵器に頼ろうとするあまりに、足元が疎かになっている。だったら、付け入れる隙はいくらでもある。

 甚平はそんなことを考えながら走り抜け、市街地と海岸の間に横たわる道路の手前で足を止めた。当然の如く戦車の砲塔が回転して甚平に砲口が向いたが、機銃掃射もなく、砲弾が装填されたような物音すらもしなかった。甚平の読みは当たっているらしい。

 だったら簡単だ、と甚平は真っ正面から戦車に向かい、牙を剥いて出来る限り恐ろしげな表情を作った。すると、戦車ではなく護衛艦の機関砲が向いたが、こちらも戦車の操縦士を傷付けかねないので発砲しなかった。甚平はキャタピラ痕が残る砂浜を蹴って跳躍し、戦車のハッチ付近に乗ると砲塔の根本に喰らい付いた。

 苦く、熱した鉄の味が舌に触れる。鋭く尖った牙は難なく鋼鉄製の外装を破って砲身自体を歪め、両足を踏ん張って顎を引くと、ビス止めが弾けて外装が剥がれる。甚平は牙に刺さった外装を砂浜に吐き捨てると、続いて機銃を掴み取り、根本から引き千切った。それを手にした甚平は、ごつん、と銃身をハッチに突き当てると出来る限り恐ろしげな目で護衛艦を睨んだ。

「撃つよ?」

 途端に護衛艦がぐらぐらと左右に揺れ、甲板から電影が飛び出してきた。砂浜に両足を突っ込むように着地し、円形に抉れた砂が瀑布の如く飛び散る。間もなく立ち上がった電影は、戦車に駆けてきた。

「そんなん、電影がさせないんさー!」

「えっ、と」

 甚平はすぐさま機銃を投げ捨て、戦車から飛び降りて砂浜を走った。実を言えば、あの機銃は手動で発射出来る代物ではなかったし、銃器を扱った経験が一切ない甚平には発射する方法すら解らなかった。だから、元より使う気はなかったのだが、充分な挑発にはなったらしい。電影は右腕の外装を開いて飛び出しナイフを出すと、大股に駆けて追ってくる。

 揚陸艦から遠ざけるために砂浜を迂回するように走っていた甚平は、途中で横に逸れて浅瀬に突っ込むと、電影も迷わず海中に踏み込んできた。一応、防水装備はされているらしい。甚平は浅瀬の中程で海に潜ると、尻尾を振って体を滑らせるように海底を歩き出した。泳げはしないが、尻尾を使うと移動速度は格段に上昇する。

 電影の足が着実に背後に近付き、飛び出しナイフの尖端が海面を割る。白く煌めく気泡を纏った右腕が海面を脱した瞬間、甚平は方向転換して電影の片足を掴んだ。

「あっが!?」

 バランスを崩した電影が仰け反ると、甚平はそのまま電影の片足を担いで押し上げた。

「えい、やっとぉ!」

 盛大な水柱を上げ、電影は背中から浅瀬に没した。手足をばたつかせて起き上がろうとするが、電影は顔すらも海面から上げられなかった。甚平はするりと海中を滑って頭部まで周ると、心苦しかったが電影の頭部を思い切り殴り付けた。

 バイザーが砕けて広角カメラに海水が侵入すると、精密な配線と回路が機能を失い、電影は混乱して頭を左右に振った。だが、目が見えないので何が起きたのか解らず、甚平の姿を捉えることも出来なかった。甚平は戦車の塗装がこびり付いた牙を剥いて電影のセンサーに喰らい付こうとすると、ぶべべべ、と鈍い羽音がした。

『僕の友達にぃっ!』

 甚平の頭上に現れたのは、ヒレに似たハネを広げたガニガニだった。彼は鋏脚を振り翳し、電流を迸らせる。

『手を出すなぁあああああああっ!』

 これはまずい、と、甚平は電影の胸部装甲を蹴り、海面を破って跳躍した。直後、ガニガニが振り下ろした鋏脚が青白い閃光を撒き散らし、海面が淡く発光した。その足元で倒れていた電影は過電流を浴びたせいで更に故障したらしく、割れたバイザーから露出している配線から細く煙が昇り、電影はノイズ混じりの声を発した。

「が、ガニー、何をするんさー……」

『わあっ、ごめん! 勢い余って電圧を上げ過ぎちゃったよぉ!』

 ガニガニは慌てて電影を抱き起こし、揺さぶるが、電影はそれで余計に故障が悪化したらしく、とうとう声も出さなくなってしまった。凄い能力に目覚めてもガニガニの本質は変わらないんだな、と、変なことに感心しながら、甚平は護衛艦の船腹にある僅かな出っ張りに手を掛けて安全を確保していた。が、それも長くは持たない。

「い、よっと!」

 甚平は尻尾を船腹に打ち付けて器用に跳ね上がり、甲板を囲む鉄柵を掴むと、即座に銃口が向いた。

「単独で乗り込むとは良い度胸だが、それだけだ」

 銃口の主、田村秋葉現場監督官補佐は表情を崩さずに言い切った。甚平はちょっと臆したが、言った。

「あのさ、一つ、聞いてもいい?」

「インベーダーに答えることなどない。直ちに降伏しろ、でなければ拘束する」

「えと、生体改造を受けた甲型生体兵器って、伊号、呂号、波号の三人だけだよね? 他は全部乙型だよね?」

「それがどうした」

「あ、うん。そっか。それだけ確認出来ればいい、どうもありがとう」

 甚平は一礼しようとしたが、秋葉の指先が引き金を絞りかけていた。咄嗟に甚平は腰を落として尻尾を振るうと、秋葉の足を払って転ばせ、拳銃を奪い取った。その銃身を握り潰してから甲板に投げ捨てると、自動小銃を向ける自衛官達に一瞥をくれた。頭を打って呻く秋葉を心配しつつも、甚平は次はどうするかと考えたが、さすがにこれは分が悪い。

 海に逃げようにも、帯電したガニガニが待ち構えている。かといって、このまま甲板に突っ立っていては捕まってしまう。それでは、事実を再確認するためのフィールドワークが行えなくなってしまう、と甚平が危惧していると、頭上が陰って砂が降ってきた。何事かと目を上げると、甚平の歯形が付いた戦車が浮いていた。

「おんどりゃあああああっ!」

 紀乃だった。その背後の景色が歪んでいるので、ちゃんと忌部も連れてきたらしい。護衛艦の十数メートル上空で操縦士と砲手が入ったままの戦車をサイコキネシスで担ぎ上げている紀乃は、ガニガニを見やった。

「おい紀乃、手加減しろよ。あいつら以外は、全員生身の人間なんだからな」

 空の色と馴染んでいる忌部が紀乃の肩に手を掛けると、紀乃は言い返した。

「それぐらい、解ってるってぇ、のっ!」

 紀乃の両腕が下ろされると、乗員入りの戦車が真っ直ぐ甲板に降ってきた。自衛官達は慌てて逃げ出し、甚平はあまりのことに硬直している秋葉を抱えて海面に身を投じると、ガニガニが抱えている電影の左肩に着地した。

「あの、はい、これ。ごめんね」

 甚平は秋葉をガニガニに渡し、紀乃目掛けて跳躍すると、サイコキネシスに絡め取られて浮かび上がった。紀乃は鋏脚で秋葉を大事そうに抱えているガニガニを見、にわかに嫉妬に駆られたが、ぐっと堪えた。

「ガニガニ!」

 再度彼の名を呼び、紀乃は思いの限りを叫んだ。

「ガニガニに何があったのかは知らないし、そっち側に付いた理由だって知らないけど、私はガニガニのことは何があっても友達だって思ってるよ! 私のことを忘れようが、嫌いになろうが、生体兵器に成り下がろうが、ガニガニはガニガニなんだから! でも、この世の片隅で慎ましく生きている私達に手を出そうってんなら!」

 紀乃は右手の拳を固め、戦車から砲塔を引き剥がすと同時に握り潰して鉄塊に変えた。

「相手になってやろうじゃん!」

『……う、うん』

 ガニガニはちょっと臆し、半歩後退した。その答えに満足した紀乃は、腰に両手を当てて大きく頷いてから、浅瀬の海水にサイコキネシスの強烈な打撃を叩き込んだ。

 全長数十メートルもの砂混じりの水柱が立ち上り、護衛艦と揚陸艦が隠れるほどの飛沫が一帯に広がった隙に、紀乃は忌部と甚平を連れて高度を上げた。武装ヘリコプターが追跡してきたので、それも近くの小学校のグラウンドに強引に不時着させてやると、一息に高度と速度を上げて飛び去っていった。護衛艦のレーダーで捕捉して太平洋側の別動部隊にも連絡を取ったが、対応が間に合わず、紀乃らを再び追い詰めることは出来ずに戦闘は終了した。

 浅瀬に取り残されたガニガニは、負傷している秋葉を甲板の上にいる自衛官に引き渡してから、すっかり故障してしまった電影を担ぎ上げた。

 故障の根本的な原因は甚平による破壊行為だが、止めを刺してしまったのはガニガニに他ならない。最後に甲板に昇ったガニガニは、無惨に破壊された戦車を退かしてから、海水にまみれて横たわる電影を見下ろして小さく顎を鳴らした。

 蓄積させていた生体電流の大半を戦闘に当てたため、変形を保てなくなったガニガニはヤシガニの姿に戻ると、紀乃と忌部と甚平が飛び去った方向に触角を向けた。

 心の底から大好きな紀乃に、あんなことを言うつもりなんてなかった。出来れば、戦わないでくれと言いたかった。紀乃が持つサイコキネシスは万能かつ強力な武器だが、変異体管理局や政府を何度も相手にしていたのでは身が持たないはずだ。だから、大人しくしていてほしかった。

 忌部にしても、体が透き通っていて変な性癖の持ち主だが、至って普通の男だ。甚平だって図書室でじっと本を読んでいるのが好きなだけであって、インベーダーの中でも特に害がない青年だ。海辺の街に来たのだって、彼らに何かしらの理由があったのだろう。

 スペースデブリの流星こそ降ったが、ガニガニらが来るまでは何事も起きなかった。これまでにもインベーダーの皆が言っていたように、人間側から手出しさえしなければ彼らは大人しくしている。事を荒立てているのは、他でもない変異体管理局だ。

 紀乃らと敵対するようになると、改めて物事がよく見えてくる。僕はどうすればいいんだろう、と考えてみたが、経験も知識も不足しているガニガニの頭では良い考えが浮かぶはずもなく、悔しさだけが溜まっていった。

 所詮、ヤシガニはヤシガニだ。



 戦いが終わると、いつも空しくなる。

 紀乃は感覚を広げて忌部島を捉え、衝撃破と暴風の防壁を作った上でマッハ1近くの速度で飛行していた。今となっては慣れた移動方法だ。戦闘中はその場を凌ぐことで精一杯だから、細かいことを考えている余裕もなければ頭の隙間もない。サイコキネシスを上手く使うためには色々なことを考えなければならないし、感覚で捉えてからも力加減を調節しなければならない。だが、騒がしい一時が過ぎ去ってしまい、忌部島に帰る段階になると頭の中が冷えてくる。

 これまでにも、伊号、呂号、波号、と甲型生体兵器と戦った後にはごちゃごちゃと考え込んでしまった。今日はガニガニが相手だったから、尚更だ。フンドシを履き直した忌部と考え事に没頭していた甚平は、黙り込んでいる紀乃を心配げに覗いてきた。紀乃は自分の行動を思い返しながら、二人に向いた。

「私のしたこと、間違ってないよね?」

「俺達に色々あるように、ガニガニにも色々あるんだろうさ」

 フンドシの紐を結んだ忌部が言うと、甚平は大きく裂けた口元の端を緩めた。

「あ、うん。でも、一つだけ確実なのは、ガニガニは元気だってこと。それが解っただけでも、良かったよ」

「うん」

 紀乃は頷き、忌部島への針路を確かめるついでに二人に背を向けた。ガニガニが自分のことを忘れていようとも、以前とは変わってしまっていても、敵対関係になろうとも、ガニガニを好きな気持ちに変わらなかった。

 嫌いだ、と言われた時は驚きすぎて泣いてしまったが、ガニガニが喋れるようになったのだと知ると、今更ながら嬉しくなる。恐らく、ミーコの時と同じように、ゾゾの友人である彼がガニガニを蘇らせてくれたのだろう。その時に、電気を放つ能力や変形能力と共に知能を授けてくれたのだ。

 自分でも言ったし、甚平も言ったようの、敵に回っていたとしてもガニガニがガニガニであることに変わりない。紀乃のことをすっかり忘れていたとしても、また最初からやり直せばいいだけのことだ。また滲んできた涙をセーラー服の袖で拭った紀乃は、機関砲を浴びた際に出来た焼け焦げや穴に気付いて恥じ入った。

 忌部島に帰ったら翠が継ぎを当ててくれるだろうが、セーラー服に合う生地があればいいのだが。何の気なしに頭上を仰ぐと、人工衛星に混じって太陽光線を存分に浴びた花弁が咲き誇っていた。

 少し、元気が出た。

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