表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
南海インベーダーズ  作者: あるてみす


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

21/61

侵略者的脱出劇

 ひどいものだった。

 台所の洗い場には焦げた鍋と釜が重なり、食卓に並ぶ料理は生焼けか黒焦げのどちらかで、それを作った主は四肢と尻尾を投げ出して呆然としていた。出されたものに文句を言えない立場の忌部と甚平は、火が通っていない干物の食べられそうな部分をほじくり、ほとんど炭化しているために白飯とは言い難い状態の御飯の中から、まだ食べられそうな白い部分を取り出しては食べていたが、おいしいわけがない。

「……なあ、ゾゾ」

 忌部はほとんど味が付いてない上に具が煮崩れている味噌汁を啜り、ゾゾに話し掛けた。

「なんでございましょ」

 ゾゾは単眼を天井に据えたまま、平べったく発音した。

「紀乃が捕まったのがショックなのは解るが、ちったぁ味見をしてから出してくれないか?」

 喰えたもんじゃない、と忌部が透明な舌を出すと、ゾゾはばたんと尻尾で床を叩いた。

「だったら御自分で作ればいいじゃないですか」

「あ、う、え、で、でも……」

 甚平は意見しようとしたが、ゾゾの態度の険悪さに臆し、不味い味噌汁を啜って言葉を飲み込んだ。

「大体ですね、張り合いがないんですよ、張り合いが」

 ばったぁん、と再び尻尾で床を叩き、ゾゾは顔を背けた。

「野郎を相手においしい御飯を作ったところで、何の意味があるってんですか。そりゃあね、私はあなた方みたいなミュータントに対しては並々ならぬ興味がありますし、こっそり生体組織を採取して実験実験実験の日々ですから、いずれはサンプルではなく本体で生体実験を行うつもりでいますし、そのためには健康体であってほしいと思って、おさんどんをする毎日ですけど、そりゃやっぱり遣り甲斐のある相手に尽くしたいって思うんですよ。思いませんか、思いますでしょう、あなた方も生物学的には男なんですから」

「まあ……うん……」

 忌部も少しは共感出来たので曖昧に頷くと、ゾゾは怠慢に尻尾を振った。

「ですから、私は紀乃さんが可愛らしい声で料理を褒めて下さったり、あの小さな口で一生懸命食べて下さったり、デザートで一喜一憂なさったり、お風呂上がりのアイスクリームにきゃっきゃとはしゃいで下さったり、温泉卵一個でとろけるような笑顔を浮かべて下さったりすることが、楽しみで楽しみで楽しみで楽しみで楽しみで楽しみで楽しみでどうしようもないんですよこれが。それなのに、ああそれなのに、ああんそれなのにぃっ!」

 突然ゾゾは立ち上がり、両手を上向けて虚空を掴んだ。

「野郎共に褒められたところでちぃっとも嬉しくないんですよぅっ! それも、こんなスッケスケで露出狂なフンドシ男と根暗でヒキオタ気質な鮫肌男なんて、人生の袋小路に五十メートルの高さから飛び込み自殺をした気分です!」

「……う、あ、う」

 容赦のない罵倒を浴びせられ、甚平は瞬膜を開閉させた。うっすら涙目である。ゾゾは紀乃がいない不満をここぞとばかりにぶちまけながら、尻尾でばんばんと床を叩き続けていた。忌部は甚平の丸まった背を軽く叩いて励ましてやってから、腹を膨らますためだけに食事を詰め込んだ。

 南風が吹き込んでくる窓からガニガニの巣に目を向けると、巣の中に閉じこもっている巨大ヤシガニはぼんやりしていた。アダンの実や出来損ないの野菜などがガニガニの前に並んでいるが、ほとんど口を付けていない。鋏脚の先でアダンの実をいじくり回しているが、それを口元へは運ぼうとしなかった。涙が出ていれば潤んでいるであろう複眼は虚ろで、触角もヒゲも大人しい。紀乃が小松と一緒に行ってしまった後から、すっかりしょげてしまった。このまま紀乃が帰ってこなければ、どうなってしまうことか。

 助けてやりたい、とは思う。だが、それが変異体管理局の仕事であり心を痛める理由はない。上手く行けば、紀乃は乙型生体兵器一号として本来の位置に配備され、対インベーダー戦が楽になるだろう。オーバースペックだが、それ故に扱いづらい伊号、呂号、波号と違い、紀乃は汎用性が高い。殺しはしないだろうが、そう簡単に手放すとは思いがたい。忌部は食卓の平穏を望むあまり、紀乃には無事で帰ってきてほしいと願ってしまった。

 ガニガニは、切なげに顎を鳴らしていた。



 身体検査、取り調べ、情操教育、取り調べ、その合間に食事と休憩。

 捕らえられてから三日が経過したが、同じことを繰り返すだけだった。そして、今日もまた、紀乃は解剖されるのではないかと思うほど徹底的に体を調べ尽くされ、強化ガラスで区切られた面会室に入れられた。右腕には注射針を刺された傷がガーゼに塞がれ、昨日一昨日の傷と共にちくちくと痛んでいた。

 地下牢と同じように白い壁で作られた部屋は狭く、電磁手錠の鎖も繋がれ、背後のドアの外には自動小銃を持った女性自衛官が待機している。逃げることなど出来るわけもなく、ただ、無益な時間が費やされるばかりだ。手首に重たくぶら下がる電磁手錠をガラスにぶつけようと振り上げた時、ガラスに区切られた向かい側の部屋のドアが開いた。

「まーた何しようとしてんすか、乙型一号」

 ファイルを肩にぶつけながら入ってきたのは、現場管理官の山吹丈二と現場管理官補佐の田村秋葉だった。

「無意味」

「で、今日はちゃんとした話を聞かせてくれるっすよね?」

 紀乃の向かい側に座った山吹は制服の胸ポケットからボールペンを抜き、金属の指の上で回転させた。

「我々への有益な情報の譲渡は、乙型一号にとっても利益となる。よって、情報を口外すべき」

 山吹の隣に座った秋葉はボールペンを手元に横たえ、無表情な瞳で紀乃を見据えてきた。

「ジュースを一度に二本飲んじゃいけない。人生の教訓だね」

 紀乃が苦笑すると、山吹はかちんとボールペンを止めた。

「そりゃ正論っすけど、今はどうでもいいことっす」

「だって、話すようなことなんて何もないんだもん。てか、そっちは何を知りたいの?」

 紀乃は両足を投げ出し、二つの空間を区切っている台の上に置いた。

「行儀が悪いっすねぇ」

 山吹が辟易すると、紀乃はぎしぎしとパイプ椅子を軋ませた。

「だあって、暇なんだもん。テレビも見られないし、話すにしたって小松さんとじゃ話題も限られちゃうしさぁ」

「我々は国防に不可欠な情報を得るために仕事を行っている。断じて暇ではない」

 秋葉は冷淡に述べ、薄い服の裾から伸びた紀乃の細い足を一瞥し、山吹を見やった。

「……丈二君」

「あ、え、何すか、むーちゃん」

 一瞬の間の後、山吹は紀乃の足から目を外した。秋葉は表情を一切変えずに、タイトスカートの裾を掴んだ。

「丈二君が見るべきなのは私の足。存分に見せる。ストッキングも破いていい。ともすれば、下着も」

「うわぁあおうっ!」

 山吹は慌てて秋葉を押さえ、取調室の中を見回した。

「御立派なことを言うわりに、公私混同してんじゃん」

 紀乃が毒突くと、山吹は不満げに頬を張る秋葉と紀乃を見比べた。

「違うっすよ違うっすよ、これはそういうんじゃなくて、ええとなんていうのかな、ああそう、そう、アレだ! 作戦!」

「何の?」

「えと、ハニートラップ的な?」

「でも、あれって男に対してやることじゃん? 私には通用しないと思うんだけど」

 紀乃が冷め切った目を向けると、山吹は秋葉を撫でて宥めた。

「ええ、まぁ、そりゃそうなんすけどね。むーちゃん、ジェラシースイッチを入れるにしても、せめて退勤して俺の部屋に引っ込んでからにしてくれないっすか? でないと、俺のデスクに始末書が来ちゃうんすから」

「やらしいの」

 紀乃が顔を背けると、山吹はすっかり機嫌を損ねた秋葉を見下ろした。

「それについては弁解も出来ないっすね」

「毎日三回」

 秋葉が山吹にしがみつくと、山吹は全力で否定した。

「ああいや、それはさすがに無理ってもんすよ、マジ無理! いくら俺がサイボーグだからって、三回はちょっと!」

「仕事しろよ公務員」

 紀乃が呆れ果てると、山吹は泣きそうな声を出した。

「してるっす、してるっす、普段は大いにしてるっす! だからそんな蔑んだ目で見ないでほしいっす!」

 山吹は秋葉を諭して仕事モードに切り替えさせようとするが、秋葉は山吹から一時も離れたくないらしく、彼の制服を掴む手には力が込められている。先程までの無表情はクールな態度は消え去り、秋葉は少女のように甘えた顔で山吹に縋っている。山吹もまんざらではないらしく、秋葉を本気で引き剥がそうとはしていないが、国防の最前線を担う人間がこれでいいのかと、紀乃は敵ながら思ってしまった。いや違う、これはきっと作戦だ、紀乃を油断させて口を割らせるための作戦だ、だから気を抜いてはいけない、とも思ったが、そうだとしても馬鹿馬鹿しすぎる。

「あなた達、何をやっているの?」

 向かい側の部屋のドアが開き、メガネに引っ詰め髪の長身の女性が入ってきた。

「うおわっ、主任」

 山吹はすぐに秋葉を引き離し、秋葉も我に返って山吹から離れた。彼女は二人の相手をするのも面倒だったのか、目も合わせずに歩いてきた。ガラス越しに紀乃を見下ろした眼差しは冷徹で、忌部とも山吹とも秋葉とも違っていた。完全に紀乃を兵器として見ており、人間扱いする気など欠片も感じられなかった。厚いガラスを隔てていても流れ込んでくる痛烈な敵対心に、紀乃は警戒した。胸元の職員証には、一ノ瀬真波、とあった。

「乙型一号。あなたは自分の立場を弁えていないばかりか、自分のことをまだ人間だとでも思っているようね」

 真波は制服の内ポケットから拳銃を抜き、強化ガラス越しに紀乃の額に照準を据えた。

「我々は口答えする生意気な小娘なんて、これ以上必要ないのよ。必要なのは、実用性の高い兵器だけ。あなたを生かしておくのは、情報を引き出すためなんかじゃないわ。あなたの能力を国防に使うためだけよ。だから、あなたの力さえ使えれば、本当は首から下なんてどうでもいいの。人格も性格も何もかも、どうでもいいのよ」

「その小娘一人倒すために、どれだけ税金使ったの?」

 紀乃が臆さずに言い返すと、真波は発砲して分厚い強化ガラスに弾丸を埋め、ひび割れで白く濁らせた。

「一千億は軽いわね。だけど、あなたはその一千億を埋めるだけの力がある。だから、実際に撃ち殺せないのよ」

「具体的には?」

 紀乃が山吹と秋葉に説明を求めると、山吹は真波に気圧されながらも言った。

「ええと、まず、国防費が浮くんすよ。乙型一号のパワーは半端ないっすし、その脳の構造を解析すれば、今後開発予定の甲型生体兵器の研究が進展するし、乙型一号一人だけで戦闘機何十機分もの戦闘能力があるっすから、それだけの経費が浮いて他に回せるようになるっすし、まあとにかく、色々と金が動くんすよ」

「利益が出なければ、誰もあなたに目を付けたりしないわ」

 硝煙がうっすらと糸を引く拳銃を下げた真波は、片付けておきなさい、と二人に命じ、取調室から出ていった。山吹と秋葉は真波に敬礼してから、その通りに動いた。

 紀乃は足を組んだまま、天井を仰ぎ見て目を閉じた。真波に発砲されたのには少し驚いたが、超能力が暴発するほどではない。程良い刺激を受けたことで神経が高ぶり、すぐに感覚を広げられた。サイコキネシスとして発現出来なくとも、何も出来ないわけではない。海上基地の構造を精神の触手でなぞるように、透き通った肌で触れるように、感覚的に内部構造を把握していった。

 まだ負けたわけじゃない。


 

 三日間で掻き集められた情報には、限りがあった。

 紀乃の感覚も、勾玉を奪われてからは明らかに出力が下がっていた。捉えられるものの大きさ、擦り抜けられる壁の厚さも鈍っていて、余程集中しなければ細かな部分までは解らなかった。配管や海底ケーブルの位置まで解るようになれば、もっと簡単に事が運べていただろうが、紀乃が掴み取れたのは地下施設の規模と海上基地を繋ぐ円筒形の連絡通路の幅と壁の厚さぐらいなもので、隔壁の厚みの違いまでは上手く感じ取れなかった。

 取り調べを終えて地下牢に戻された紀乃は、冴えない味付けのハンバーガーを頬張った。初日のサンドイッチといい、今回といい、全体的に味がぼやけている。政府が出すメニューなのに洋食なのがなんとなく意外だ。刑務所の食事っていえば和食の定食だよなぁ、と頭の片隅で考えながら、紀乃は綺麗に平らげて皿を重ねた。

「隔壁の厚さまで解らないのか」

 人工臓器に食事を流し込まれて早々に血糖値が上がった小松は、壊れたメインカメラに紀乃を映した。

「そうなんだよねー。結構頑張ってみてんだけど、力が上手く出せなくて」

 紀乃は口元を拭ってから、小松の足をよじ登って操縦席まで辿り着いた。

「でも、何の情報がないよりはマシでしょ?」

「まぁな。俺は動けんが、お前がどう動けばいいかの指針は出せる」

「なんかさぁ、楽しくなってこない? 脱獄を企てるなんて、悪役って感じがする!」

 紀乃が意味もなく拳を突き上げると、小松はちょっと笑った。

「そうだな」

 この三日で、小松との付き合い方もようやく解ってきた気がする。小松は言葉が少ないわりに主語を抜かして喋りがちなので真意が捉えづらいが、決して人当たりが悪いわけではない。偏屈で意固地な部分もあるが、基本的には生真面目で頭の回転も良い青年だ。そして、小松は実家の建築会社に勤めていたこともあり、紀乃より遙かに建物に通じている。何の準備もなしに暴れ回っても、また捕まるだけだ。だから、綿密な作戦を練る必要がある。

『お前の話を総括すると、この地下牢がある施設は独立しているようだ』

 小松はガラスの破片まみれのモニターを光らせ、紀乃の話を元に書いた図面の下に文字を打ち出した。

『海上基地は本来は別の用途で作られた建造物で、地下施設は建て増しされたようだな。海底とこの空間を隔てているのは円筒形の構造物で、その壁はトンネルと同じ技法で造られていると見て間違いないだろう。だから、それを壊して脱出するのは今の俺達ではまず無理だ。俺は動けんし、お前に至っても出力不足だ。だから、最低限の力で最大限の効果を発揮する行動を取り、外界への脱出を測らなければならない。エレベーターの中を通じて海上まで出る、それがもっとも単純であり有効な作戦だ。その前にやるべきことは、お前の力を戒めている電磁手錠を破壊することだが』

「散々水に浸けてみたけど壊れなかったし、小松さんの外装に叩き付けても同じだったんだよね」

 紀乃は声を落とし、小松だけ聞こえるように言った。すると、図面の下に新たな文字列が並んだ。

『だから、機械的に破壊するしかない』

「どうやって?」

『俺のバッテリーとケーブルで繋ぎ、感電させて破壊する。そのためには、絶縁体を手首と手錠の間に挟む必要がある。そうしなければ、お前が死ぬからだ』

「絶縁体って?」

『お前が着ている下着だ。上と下、二つあれば足りるだろう』

「……えっち」

『この非常事態に、つまらないことを気にするな。それが終わったら、俺のケーブルをどれでもいいから電磁手錠に繋げ。通電させ、破壊する。電磁手錠からは電波が出ているから、破損したと同時に敵が雪崩れ込んでくる可能性が大いにある。だから、外に出られる隙があるとすれば、その一瞬だ。後は、お前一人で戦ってもらうしかない』

「でも、小松さんを引き摺って外に出るのは、今の私じゃ難しいかも」

『事を起こしたら、俺の脳が入っているクーラーボックスだけ外してくれ。保存液が入っているから、総重量は十キロにも満たない。しかし、バッテリーとも人工臓器とも離れてしまうと、俺の生命維持はせいぜい十二時間が限界だ。だから、その間に手近な工事現場から同じ機体を見繕って忌部島に帰ってくれ。そうすれば、ゾゾが俺の脳と新しい体を繋ぎ合わせてくれるはずだ』

「随分と無茶苦茶言ってくれるじゃない」

『これでも譲歩しているんだが』

「だったら、あんまり贅沢言わないでよね?」

 小松との会話を終えた紀乃は、モニターから目を外して機体からはみ出している血管じみたケーブルを見やった。そのどれかを繋げばいいと言ったが、どれもこれもカバーが剥がれて銅線が露出しているので危なっかしい。

 小松は捕獲された時にガソリンを抜かれ、バッテリーも一度も充電していないので電圧が弱っているが、きちんと食事を摂っていたおかげで僅かながら自家発電出来たらしく、モニターに点る光も少しずつ強くなっていた。だから、電磁手錠を過電流で破壊するのは可能だろうが、その後はバッテリーが空っぽになる上に脳の入ったクーラーボックスを機体から外して抱えた状態で戦闘に突入することになるだろう。行動は、迅速かつ的確に取らなければ。

 地下牢での会話は、部屋の四隅に設置された監視カメラと集音装置で残らず記録が取られている。だが、だからといって相談せずに物事を進められるわけがないので、脱出計画がばれるのを承知で話し合っていた。そのことについて山吹と秋葉から毒突かれもしたが、諦めるわけにはいかない。早く帰らなければ、ガニガニが心配で心配でたまらないからだ。

 紀乃は小松の機体の陰に入ると、薄い衣服の裾を上げて慎重に薄っぺらいパンツを下ろした。支給されている衣服には限りがあり、この入院着もどき以外はお情けのようなスポーツブラと嫌になるほど真っ白なパンツが一枚ずつで、どちらも外したので体がすかすかしていた。だが、そのどちらも外さなければ、脱出に必要な条件が揃わない。薄布一枚しか体を守るものがなくなってしまい、紀乃は居たたまれなくなって身を縮めた。

「お嫁に行けなくなっちゃう」

 紀乃は薄布を出来る限り引っ張って太股を隠そうとしたが、無駄な努力だった。電磁手錠と手首の間の空間に布を詰め込み、右手首にブラジャーを、左手首にパンツを挟み、両手首の手錠に小松のケーブルを繋ぎ合わせた。一瞬、銅線が煌めいたかと思うとばちんと空気が爆ぜて焦げ臭い匂いが漂った。紀乃は半信半疑で自分の服の裾を見下ろすと、風もないのにぶわりとめくれ上がって素肌が丸見えになった。慌てて裾を押さえ、頷いた。

「……イケちゃう、かも?」

「だったら、早くしろ」

 小松に急かされ、紀乃はサイコキネシスを放出した。

「言われなくたって!」

 空気が張り、壁に埋め込まれたワイヤーの根本が軋み、それらが全て弾け飛んだ。鋼鉄のムチが反動でしなってクッション材が貼られた壁を叩き、中身が溢れて零れ出た。出力が出せない分、精度が求められるが、集中力さえ切らさなければどうとでもなるはずだ。

 紀乃は浮かび上がると、小松の操縦席のフレームを引き剥がして彼の脳が入ったクーラーボックスを取り出し、両手で抱えた。数秒前から鳴り響き始めたサイレンのうるささに顔をしかめると、小松を搬入した隔壁が開いてフル装備の自衛官達が駆け込んできた。紀乃は並々ならぬ興奮を感じ、にいっと口元を広げて笑みを浮かべ、抜け殻と化した小松の機体を投げ飛ばした。半分上がり掛けた隔壁に激突した小松の抜け殻は金属片をばらまきながら転倒し、隊員達は逃げ惑った。そんな中でも勇敢に発砲してくる者がいたが、紀乃はそのゴム弾を一つ残らず空中に縫い付け、撃ち返した。

「悪いけど、遊んでいる暇はないんだよね」

 紀乃は空中に浮かんだことでひらひらする裾を気にしながら小松の脳の入ったクーラーボックスを抱え、戦闘部隊の真上を横切って飛び出した。追撃の銃撃もサイコキネシスを固めた盾で弾きながら、位置の見当を付けておいたエレベーターまで向かった。だが、当然ながら戦闘部隊が待ち構えており、的確な機銃掃射が襲い掛かった。硝煙とマズルフラッシュの嵐を堪えながら紀乃は跳弾させてスプリンクラーに命中させ、消火剤の白い雨を降らせた。

「これで終わると思わないでよね!」

 紀乃は泡で出来た雨粒を全て空中で凝結させ、一斉に放った。弾丸に比べれば貫通力が劣るが、速度を付けてしまえば、水滴は一粒でも強烈な威力を生み出す。最初に突入してきた部隊とエレベーターホールの部隊の全員のゴーグルを雨粒で打ち砕き、ついでに弾丸の火薬に水気を与えてから、紀乃は素早くエレベーターのドアを破壊してワイヤーがぶら下がる空間を上昇していった。

 地下百五十メートルに設置された施設に通じるエレベーターらしく、どれだけ昇っても出口が見えない。もしかして閉じ込められたんじゃないか、と不安に思いながら上昇を続けていると、ある階層を越えた瞬間に感覚に届いていた圧迫感が失せた。紀乃は直後に現れたドアを破壊して外に出ると、エレベーターホールに転げ落ちた。長方形の窓には東京湾があり、その奥では臨海副都心が煌めいていた。

「や……やったぁ」

 紀乃は安堵の笑みを浮かべかけたが、多方向から迫り来る重たい足音に気付いて表情を固めた。エレベーターホールに通じる通路から駆け込んできたのは、先程よりも人数が多く重装備の戦闘部隊だった。その先頭に立つのは、フル装備に身を固めた山吹丈二だった。紀乃に銃口を据え、山吹丈二は声を張った。

「乙型一号、寄生体一号! 速やかに投降せよ!」

「二股! 下半身直結! 公私混同サイボーグ!」

 紀乃が思い付くままに罵倒すると、山吹はぐえっと声を潰したが踏み止まった。

「そっ、それがどうしたってんすか!」

「あのお姉さんのストッキング破いて、一発ヤらかしたんでしょ? 仕事しやがれ国家公務員」

 紀乃が蛇蝎の如く蔑むと、山吹は隊員達からの視線に戸惑って取り繕った。

「違う違う違うっ、これは大いなる誤解っすよ諸君! 相手は見た目はちょっと可愛いけど悪逆非道のインベーダーなのであって、これは善良なる国家公務員である俺らの指揮系統を崩そうというベタな精神攻撃であって!」

 山吹は必死に弁解しようとするが、必死になればなるほど嘘臭い。紀乃はそれをにやにやしながら眺めていたが、別の気配を感じ、エレベーターのドアを盾代わりに構えた。直後、窓をぶち抜いて突っ込んできた人型軍用機が紀乃を鷲掴みにして床に押さえ付け、少女の声で高笑いした。

『まどろっこしいことしてんじゃねーし! てか、あたしが出ればすぐに終わるし!』

「イッチー! マジグッジョブっす、これで話題が逸れるっす!」

 山吹は素早く自動小銃を構えると、他の隊員達も人型軍用機の手のひらに押し潰され掛けている紀乃に銃口を向けてきた。突然の衝撃と震動で紀乃は一瞬目が眩んだが、超能力までも封じられたわけではない。呂号がライブを始める前に事態を打開しなければ、前回の二の舞だ。紀乃は山吹の自動小銃を動かして銃口を人型軍用機に向けさせ、発砲させた。だだだだだだだっ、と一息に吐き出されたゴム弾が人型軍用機の頭部に無数の穴を開け、ヒューズが飛んだ。センサーの大半を失った人型軍用機がよろけたので、紀乃は小松の脳入りクーラーボックスを抱えて素早く脱し、窓の大穴から外界に飛び出した。

「いやっほう!」

 なぜかテンションが上がってきた紀乃は、海上基地の滑走路目掛けて飛行した。背後からは山吹と人型軍用機を遠隔操作していた少女、伊号の罵声が聞こえたが、久々に感じる海風の心地良さでどうでもよくなっていた。

 紀乃は潮の匂いを胸一杯に深呼吸しながら落下していたが、不意に風を孕んだ服が捲れ上がり、全てが丸出しになった。肌を焼く夏の日差しの暑さと湿っぽい空気の粘り気が素肌に絡み付いて、一瞬にして噴き出した汗が滴り落ちた。このままでは、脱出どころではない。適当な部屋に飛び込んで服を見つけなければ、素っ裸も同然で忌部島に帰る羽目になる。紀乃は全身が火照るほど赤面しながら落下を止め、背後の窓をぶち破って飛び込んだ。

 冷房の乾いた冷気が汗を引っ込めさせ、現在の状況とは懸け離れた安堵感が訪れた。紀乃は小松の脳を抱えたまま、部屋を見渡した。誰かの私室のようで、内装は基地の名に相応しくなかった。

 レザー張りのソファー、黒一色のベッド、数百枚はありそうなCDの山、ドラム一式、マイクスタンド、ベース、シンセサイザー、ギター、ギター。考えるまでもなく、呂号の部屋だった。紀乃は嫌悪感から舌を出したが、四の五の言っている場合ではない。

「ちょっと借りるね、返す当てはないけど」

 紀乃はクローゼットを開くと、案の定、メタルファッションしか入っていなかった。通気性の悪そうなレザーのブーツにレザーのジャケットにレザーのホットパンツ、じゃらじゃらしたチェーンベルト、ドクロが大きくプリントされたシャツ、棘が付いたリストバンド、ごついアクセサリーの数々。これを着るのは嫌だが全裸を曝して戦う方がもっと嫌なので、紀乃は我慢しながら適当に引っ張り出して着込んだ。不思議なことにブラジャーは見当たらず、下着もホットパンツに合わせてTバックしかなく、改めて呂号の正気を疑った。同年代なのに、こんな下着を履いているのか。

「うっわ、すっげー……」

 紀乃は唖然としながら、紐も同然のTバックを見つめた。仕方なくそれを履いたが、物凄く落ち着かなかった。尻と股間に紐が食い込むばかりか、後ろが大いに心許ない。その上に布地に余裕がないレザーのホットパンツを履くと、更に食い込んで居心地が悪い。上半身には差し当たってまともそうなタンクトップを着るが、ノーブラなので出るものが出てしまうのでレザーのベストを着てファスナーを上げ、夏場には蒸し暑いピンヒールのロングブーツを履き、格好を付けるために太いネックレスとビスが付いたリストバンドを巻くと、それっぽくなった。

「おい」

 背後から声を掛けられ、紀乃が振り向くと、部屋の主である呂号が早速エレキギターを構えていた。

「僕の部屋で僕のものを漁るとは良い度胸だ。だが許さない。死んでも許さない。だから殺す」

「子供のくせして、Tバックなんて履いてんの? 趣味、最悪すぎだし」

「インベーダーに僕の趣味をとやかく言われる筋合いはどこにもない」

 呂号は淡々と返しながら、エレキギターを高く振り上げた。紀乃はクーラーボックスを抱えて後退し、言い捨てた。

「だったら、あんたも私のやることにとやかく言わないでよね!」

「だったらお前こそ侵略行為を止めろ!」

 呂号はエレキギターを横たえて駆け出し、振り回した。ヒールでよろけつつも飛び退いた紀乃は、ぶち抜いた窓から再び身を躍らせた。呂号が山吹らを呼んだのか、大勢の足音が呂号の部屋に雪崩れ込んできた気配がしたが、紀乃は振り返らずに重力に身を任せた。落下する最中履き慣れないTバックを手直ししたが、サイズが恐ろしく丁度良かった。呂号とは体格が似ているからだろうが、それにしては都合が良すぎる。ヒールを引き摺りながら滑走路に着地した紀乃は東京湾の南側に目を向けて帰り道を見定めてから、海岸沿いの工事現場を探すことにした。

「建造物破壊、盗難、公務執行妨害、そして、国家反逆罪。実にインベーダーらしいわね」

 紀乃のものとは違うヒールがアスファルトを叩き、硬質な声が潮騒を破った。振り返ると、一ノ瀬真波が戦闘部隊を従えて立っていた。その足元にはヘッドギアとゴーグルを被せられた少女がいたが、怯えた様子で俯いていた。真波は小さな鍵を取り出して少女のヘッドギアに差し込むと、錠を外し、ゴーグルごと外して奪い取った。

「生き延びたければ、命乞いなさい。それが出来なければ」

 真波は少女の口をこじ開けて錠剤を突っ込み、飲み下させてから、紀乃に向けて突き飛ばした。

「波号に殺されなさい」

 波号と呼ばれた少女は苦しげな呻きを漏らしながら、よろけ、倒れ込んだ。紀乃が駆け寄るべきか迷っていると、波号の足元のコンクリートが抉れて球状に消失し、その質量を吸収した波号の体格が急激に膨れ上がった。

 手足が伸びて袖を破り、襟が千切れ、ボタンが弾け飛ぶ。色白の肌に血の気が巡り、既視感がありすぎる体型の少女が出来上がった。虚ろな目で顔を上げた波号は、顔も体格も紀乃と化していた。サイズが合わなくなった靴を脱ぎ捨てた波号は、同じ顔に埋まる同じ目で紀乃を見据えて同じ表情を浮かべた。鏡から抜け出してきた自分と現実に向き合うと、途方もなく気色悪い。紀乃は小松の脳が入ったクーラーボックスを抱え直し、超能力を高めた。

 気合いを入れて戦わなければ。


 

 先制攻撃を仕掛けてきたのは、波号だった。

 体格が急激に成長したせいで無惨に破けた服の上から戦闘員から借りた迷彩服を羽織った、紀乃と全く同じ顔をした少女は慣れた動作でサイコキネシスを放った。逃げ水が煌めくほど熱したアスファルトが目に見えない凶器に断ち切られ、破片が散る。波号は呆気なく厚いアスファルトを引き剥がすと、紀乃に向けて放り投げてきた。

 紀乃はそれを受け止めては余計な力を使うと判断して飛び退き、海上に浮かんだ。波号も躊躇いなく空中に飛び出すと、今度は滑走路の構造物だった鉄骨を引き抜いて強烈な速度で投擲してきた。まともに喰らっていては切りがない、と紀乃はサイコキネシスの盾を生み、出力を弱めにして弾力性を作り、鉄骨の洗礼を受け流した。受けてばかりでは戦いにならないので攻撃に転じようとするが、自分と同じ顔となるとやりづらくて敵わず、紀乃はほんの少し動きが鈍った。その僅かな躊躇いの間を逃さず、波号は追撃に掛かった。

「せっかく東京に来たのに、なんにもしないで帰るなんてつまんない!」

 波号は紀乃と同じ声を発し、ガードレールを破壊して先端を凹ませ、巨大な槍を作り上げた。

「渋谷、新宿、原宿、どうせならディズニーランドにも行きたい!」

 波号はぎしぎしと軋むガードレールを一息に引き抜き、ヘビのようにうねらせながら紀乃に突っ込ませた。

「なのに、世の中全部が私の敵!」

「やかましいっ!」

 紀乃はガードレールのヘビを弾いて海に投げ落としてから、工事現場のありそうな埋め立て地に向かった。

「だから、誰がどうなろうがどうでもいい! 皆が私を嫌いになるなら、私も皆を嫌いになってやる!」

 すかさず波号は追い、海面が波打つほど加速した。

「黙れパチモン!」

 ほぼ平行して飛ぶ波号に叫び返した紀乃は、小松の脳入りクーラーボックスを落とさないように持ち直した。

「お父さんだってお母さんだって、私のことを放っておいた! 政府の連中に捕まったのに助けようともしなかった! 学校の友達だって、私のことを化け物だと思っているはずだ! 仲が良かったあの子も、部活の皆も、塾の友達も、誰も彼もが私を怖がっている! 会いたいのに、帰りたいのに、私は化け物じゃないのに!」

 海水の弾幕を撒き散らしながら叫ぶ波号に、紀乃は凝固した水の弾丸を避けながら言い返した。

「そんなこと、今更言われなくても知ってんだから!」

「キモいのだらけの島で暮らすのは退屈すぎ! だけど、東京に来たら来たで攻撃される!」

「……うん、それは尤もだけど」

 前半は大いに同意する。紀乃は若干速度を落としかけたが、踏み止まった。波号に海に叩き込まれてしまっては、呂号から奪い取ったメタルファッションがびしょ濡れになってしまう。レザージャケットの下はノーブラなので心許ないし、服が濡れては集中力が減退してしまうし、クーラーボックスが壊れてしまっては小松の脳が東京湾の藻屑と化してしまう。

 紀乃は急激に高度を下げて海面すれすれを飛行し、上下を反転させて波号が無節操に解放しているサイコキネシスの感覚を自分の感覚に絡め取った。波号は紀乃をまるっきりコピーしているので、感覚の出し方も紀乃と全く同じだ。誰にも教えていないが、感覚を広げても捉え方が少しだけ甘いウィークポイントがある。それは、視界が及ばない後頭部の中心だ。そこに精神の触手を突っ込むと、波号の速度が緩んだ。

「ふぁっ!?」

「お喋りはこれにて終了!」

 目を見開いて硬直した波号の目の前に急上昇した紀乃は、波号を思い切り海面に叩き込んだ。

「それと、あんたがコピーした情報はちょっと古いよ。私はゾゾや皆のことがキモいとは思うけど、あの島での暮らしは退屈じゃないよ。毎日毎日やることは尽きないし、いくらでも遊べるし、ガニガニだっているもの。だから、あんたが言ったのは私の本音じゃない。あんたが私の真似をして言った、あんた自身の本音だよ」

 高く上がった水柱が崩れると、迷彩服姿の少女が海面に浮いてきた。波号はサイコキネシスで体を引き上げるが、衝撃を受けたせいで集中力が途切れたらしく、紀乃の元まで浮上出来なかった。

「私の……本音?」

 海水を吐き出して咳き込んだ波号は、涙目になりながら紀乃を見上げてきた。

「そう、本音。言いたいことがあるんなら、変身していない時に自分の口でちゃんと言ったら?」

 紀乃はひょいと肩を竦めてから、波号に背を向けて飛び出した。

「待って、ねえ待って! 私を置いていかないで!」

 波号の切実な声が背に掛けられ、紀乃は一瞬良心の呵責に駆られたが、相手は政府が飼っている大事な大事な甲型生体兵器だ。どうせ、すぐに変異体管理局から助けも来るし、サイコキネシスが使えるのだから溺れ死ぬ心配はない。今、大事なのは、小松の新しい機体を見つけて奪うことだ。波号の哀れっぽい言葉に同情して引き返したりしてしまっては、またあの白い地下牢に逆戻りだ。それに、早く事を進めなければ、小松の生命維持の制限時間が迫ってくる。

 十二時間と言えば長いようにも思えるが、今の紀乃ではマッハに近い速度で空を飛ぶのは不可能だ。勾玉を奪われてからというもの、力の底上げが出来なくなっている。物も動かせるし、空も飛べるし、戦えるのだが、あまりパワーを出しては息切れしてしまう。

 実際、波号とほんの少し交戦しただけで頭の奥に疲労の固まりを感じ、感覚を広げられる範囲も狭まっているような感じがする。思い出してみれば、紀乃の超能力がまともになったのは、あの勾玉を身に付けるようになってからだ。きっと、あれはミュータントに何かしらの効果を与える物体だったのだ。

 そうだと解っていれば捜し出して取り戻しておくべきだった、と後悔したが、もう手遅れだった。脱獄してから時間が経過したことで変異体管理局側の戦闘配備も整い、武装ヘリコプターが何機も発進していた。波号を回収するために海面でホバリングしている機体もあり、山吹丈二らしき声が指示を飛ばしているのが聞こえる。

「急がなきゃ」

 紀乃は東京湾に面した臨海副都心に目線を走らせ、羽田空港の滑走路拡張工事現場を見つけた。注視すると、小松が使っていたものと似たようなタイプの人型多脚重機も作業している。変異体管理局から避難命令が出されたらしく、作業員達が急いで引き上げているのが見えた。

 また邪魔されては困るので武装ヘリコプターの銃器を狙って海水をぶちまけてから、紀乃は最加速して工事現場に突っ込んだ。減速する余裕がなかったのでピンヒールが地面を噛みすぎて塗装が剥げ、砂埃を大量に含んだ風が吹き抜けた。紀乃が砂埃を払いながら顔を上げると、作業員達は悲鳴を上げて我先にと逃げ出していった。皆、日に焼けた屈強な男達なのに、自分達の子供のような年齢の少女に怯えて逃げ惑う様は滑稽でもあり、どこか微笑ましい光景だった。

「そんなに怖がらなくても、取って食いやしないのになぁ」

 ねえ小松さん、と箱の中の小松に話し掛けながら、紀乃は手近な人型多脚重機の操縦席に乗り込んだ。

「うぐぅっ!?」

 途端に機械油臭さと泥臭さと男臭さが襲い掛かり、紀乃は噎せ返った。今し方まで作業員が閉じこもって汗水垂らして働いていたわけだから、当然ながら汗やら何やらが分泌される。多少は換気装置は付いているだろうが、機械熱が籠もり、ほとんど遮蔽物のない埋め立て地での直射日光を浴びていたわけで、鼻につんと来る男臭さは程良く過熱されて立ち込めている。

 サウナも同然の操縦席に小松の脳入りクーラーボックスを入れては、小松の脳はとろとろのシチューになりそうな気がしたが、機体を選んでいる余裕はない。紀乃は操縦席のドアを閉めると、その上に仁王立ちして人型多脚重機を浮かび上がらせ、武装ヘリコプターの一団と向き合った。

「ふはははははははっ、さらばだ!」

 紀乃はテンションが上がりすぎた末に特撮番組の悪役臭いセリフを吐いてから、武装ヘリコプター部隊を空中に硬直させた。いちいちドッグファイトをしていては、たとえ勾玉があっても精神力が足りなくなる。それに、今はマッハに近い速度が出せないのだから、ミサイルで狙い撃ちされては叩き落とす手間が出来てしまう。小松の新しい体となる人型多脚重機を浮かび上がらせた紀乃は、その重量と質量に負けないように気を張り、忌部島を目指した。

 無性に、ゾゾの料理が懐かしかった。



 ひどいなんてものではなかった。

 山吹はデスクに山積みになった始末書と各方面への報告書を見るのも嫌になり、顔を覆ってため息を吐くようなつもりで吸排気口から強めに排気した。引き出しを開けると、三日前の戦闘後に秋葉に渡すつもりで買っておいたが形が崩れてしまった指輪が入った箱が押し込まれていた。領収書は乱雑な自室の奥から出てきたので、買った店に持っていけば交換してもらえるのだろうが、この三日間は紀乃への取り調べなどで忙しく、海上基地から出る暇もなかった。そして、今後一ヶ月もそんな暇はないだろう。山吹は錯覚ではあるが頭痛を感じ、崩れ落ちた。

「うぼぁー……」

「丈二君」

 山吹の隣のデスクに座る秋葉は、淡々と書類を捌いていた。

「なんすか、むーちゃん」

 山吹が恐る恐る顔を上げると、秋葉は選り分けた書類の束を山吹のデスクに置いた。

「これは丈二君の署名が必要」

「了解っすー」

 山吹は秋葉から書類を受け取ってから、しょげた。

「それと、悪いんすけど、あの大事な話をするのは延期してもいいっすか? なんかもう、ダメダメ過ぎて……」

「予想の範疇。だから、問題はない」

「ああ、そうっすか」

 心底情けなくなりながら、山吹は秋葉の時が並ぶ書類に署名していった。

「てか、俺らは万全の態勢で乙型一号と寄生体一号を隔離したはずなんすけどねー」

「原因は電磁手錠の設計ミスね。耐水性能を上げることに気を向けすぎて、耐電性能を上げるのを怠ったのよ」

 二人から少し離れたデスクで、同じように書類の山と向き合っている真波が言った。

「寄生体一号のバッテリーの電圧を下げなかったのも手落ちね。寄生体一号の生命維持に不可欠だから、ということでガソリンを抜くだけに止めておいたけど、今度からはバッテリーも外さないとダメね。それと、乙型一号に自殺の危険性がないからとの判断で与えた下着も、結局は脱獄の手助けになってしまった。だけど、収穫はあったわ」

 真波は椅子を回して二人に向き、コピー用紙にプリントされた写真を見せた。

「これよ」

「それって、乙型一号から押収した勾玉っすか?」

 山吹が赤い勾玉のペンダントが映る写真を指すと、秋葉は一度瞬きをした。

「単なる宝飾品ではないのですか?」

「情報が正しければ、これもミュータントの一種なのよ。SFなんかでお馴染みの珪素生物といったところね。それが本当なら、こちらの味方に付けられるかもしれないわ。山吹君が搭乗した人型軍用機も、その珪素生物を内蔵して自立稼働させることを前提として設計されていたのよ。だから、今後はその珪素生物を組み込んだ人型軍用機と、私の直属の部下を中心とした部隊編成で対インベーダー作戦を展開する予定よ」

 勾玉の写真を自分の手元に戻し、真波は書類を捌く作業に戻った。

「……え? それじゃ、イッチー達はどうなるんすかってどぅわっ!?」

 山吹が身を乗り出しすぎて椅子から転げ落ちると、秋葉も腰を浮かせた。

「あの子達は、まだ活動限界を迎えていません。その判断は早急ではありませんか、主任」

「決めたのは私じゃなくて、局長よ」

 真波は冷めたコーヒーを啜ったが、顔をしかめてマグカップを押しやった。

「今日の戦いを見たでしょう? 伊号も呂号も波号も、防衛戦には向いているけど実戦はまるでダメなの。だから、今度は近接戦闘に長けた生体兵器を配備するのよ。山吹君だって管理職なんだし、この前みたいな大立ち回りは何度も許可するわけにはいかないわ。再訓練しようにも、あの子達はろくに言うことを効かないし」

「でも、それじゃ、あの子達が可哀想じゃないっすか? 局長だって冷たいっすよ、あんなに可愛がってんのに」

 床から起き上がった山吹が真波に詰め寄るが、真波は山吹に目もくれずに書類にボールペンを走らせた。

「可愛がっているから、手元に置いておきたいんでしょう。で、危ないことは私とその部下に任せて、自分は可愛い女の子と安全な場所で悠々と過ごす。なかなか素敵なお考えじゃない」

「あの人、何を考えてんだか解らないっすね」

 頭部の外装をがりがりと引っ掻きながら、山吹は倒れた椅子を起こして自分のデスクに戻った。

「全くね」

 真波は短く言い捨ててから、冷め切ったコーヒーを入れ替えるために給湯室へと向かった。オフィスに残っているのは山吹ら三人だけで、真波のヒールの足音が響き渡った。秋葉も立ち上がると、西日が差し込まなくなったのでロールカーテンを引き上げた。紀乃の脱出劇は未だに尾を引いており、海上基地は視界が白むほどの光量でライトが灯っていた。

 特に明るく照らされているのは、紀乃の能力をコピーした波号が破壊した滑走路で、当然だが使用禁止になっていた。行政、民間、マスコミ、市民などから掛かってきた電話が鳴りっぱなしだったが、夜になると少しは落ち着いた。紀乃が人型多脚重機を奪取した羽田空港の工事現場にはテレビクルーが入っているらしく、撮影用の照明が目立ち、ヘリコプターの羽音が鳴りやまなかった。臨海副都心は薄い闇に包まれ、仮初めの静けさを得ている。

 伊号は一撃で倒された悔しさで荒れ、呂号は私服を奪い取られた腹立たしさをエレキギターにぶつけ、波号は海中に叩き落とされたショックで寝込んでしまった。体勢を立て直すためにかなり時間が掛かりそうなので、真波の直属部隊が配備されれば防衛に隙間を作らずに済むだろうし、これまで酷使されてきた三人の少女達にも余暇を与えてやれるだろうが、三人の少女達から御株を奪うようで気が引けてしまった。

 だが、山吹は所詮は中間管理職だ。上がそうだと決めたら下との折り合いを測るしかない。秋葉が淹れてくれた二杯目のコーヒーを眠気覚ましに呷った山吹は、目の前の現実と立ち向かうために書類と戦った。

 今夜は長くなりそうだ。



 柔らかく炊けた白飯、魚の味が出ている味噌汁、程良い塩気の漬け物、南国らしい料理の数々。

 それらを全て食べ終えた紀乃はドクダミ茶を啜り、全身の力を抜くように息を吐いた。椅子の背もたれからずるりと背中を落とし、足を投げ出した。安堵のあまりに涙が出てきそうになってしまったが、今はそれすらも嬉しかった。向かい側には忌部らしきフンドシと甚平が座っていたが、二人は箸を止めていた。それもそのはず、皿に山盛りになっていたゾゾの手料理は粗方食べ尽くされていたからだ。残っているのは野菜ばかりで、食べづらい硬い部分が皿の端に選り分けられていた。甚平は紀乃に意見するべきかどうか迷ってから、残った野菜を食べた。

「そこは文句を言えよ、甚平。年上なんだから」

 彼のあまりの気の弱さに忌部が呆れると、甚平は尖った歯でがりぼりとパパイヤを噛み砕いた。

「あ、う、いえ、でも、僕は普通に食べられるっていうかで……」

「脱獄して暴れ回ったから腹が減っているのは解るが、普通はここまで喰わんだろ。それと、いい加減に着替えろ。呂号がいるみたいで落ち着かないんだ」

 仕方なく、忌部は皿の端に残った野菜に箸を付けた。

「だって、まだお風呂が沸いてないんだもーん」

 紀乃はレザージャケットのファスナーを下ろし、ノーブラの胸が露出しない程度に広げた。単純に暑苦しいからだ。忌部と甚平は少し気まずげに視線を逸らして、夕食に集中することで紀乃から意識を外した。紀乃は手首に巻いたごついビスのブレスレットを外してテーブルに置き、物凄く暑苦しかったピンヒールのブーツのファスナーも下ろし、汗ばんだ素足を引っこ抜いた。メタルファッションは通気性もなければ吸汗性もなく、日常生活を送るには最悪だ。見た目がどれほど良くとも、機能性がなければ意味がない。

 一暴れして小松の新しい機体を引き摺って帰ってくるのは大変だった。何せ、直線距離でも一千五百キロ以上も離れているのだから、マッハ単位まで加速出来ないとその分時間が掛かり、サイコキネシスを放出している時間も長引いてしまう。ガス欠に陥りかけた瞬間も一度や二度ではなかったが、ゾゾのおいしい御飯が待っていると思うと気合いが入った。不純かつ単純な動機だが、その方が却って効果が出たりするものだ。あの後、変異体管理局がどうなったかは、ニュースが教えてくれるだろう。報道規制が掛けられているだろうが、概要さえ解ってしまえば後は特に気にならない。すると、こつん、と窓にヒゲの先端が当たり、ガニガニが覗き込んできた。

「そんなに心配しなくても、もうどこにも行ったりしないって」

 紀乃はテーブルから離れ、窓を開けてガニガニに身を乗り出し、その外骨格を撫でた。

「よしよし、良い子良い子」

 こち、とガニガニは一際小さく顎を鳴らし、複眼に紀乃を映した。巨大な体格を縮められるだけ縮め、首を傾げるかのように体を捻っている。大きさこそ大違いだが、その様は足元から人間を見上げてくる仔ネコのようで、紀乃は思わず頬を緩め、軽く体を浮かばせて窓から出るとガニガニの頭部にしがみついた。

「あーもうっ、可愛いんだからぁん」

 かちこちこち、とガニガニは嬉しそうにまた顎を鳴らし、紀乃を抱えるかのように鋏脚を持ち上げた。

「楽しそうですねぇ、紀乃さん」

 校庭の奥から恨みがましく呟いたのは、機械油まみれになったゾゾだった。紀乃はガニガニから離れずにゾゾに目をやると、ガニガニは紀乃を離してなるものかと言わんばかりに後退した。

「私は小松さんの脳と基盤の接続と機体のセッティングとその他諸々で忙しいというのに、そちらはなんてラブラブでイッチャイチャなんでしょうねぇ……」

 機械油に汚れた両手を見、ゾゾはほうっとため息を吐いた。

「で、小松さんは大丈夫なの?」

 ガニガニの甲羅に座った紀乃が尋ねると、ゾゾは農作業用のエプロンで手を拭った。

「ええ、それはもう。私の作った培養液ですから、そう簡単には死にませんよ。あの方も大切な実験台ですしね」

「きゃひほはははははははははっ!」

 唐突にあの奇声が響き渡って、どこからともなく出現したミーコが復活途中の小松の回りをぐるぐると走り回った。相変わらず突拍子もない行動だったが、嬉しそうなのは伝わった。ミーコの内側には、小松の従姉である宮本都子なる女性の残滓が残っているのかもしれない。だが、ミーコは寄生虫がみっちりと詰まっているし、脳もまた同様で、宮本都子の顔をした別人だ。彼女が宮本都子であった頃を知る小松からしてみれば、さぞかし複雑な心境だろうが、二人はある意味では幸せなのかもしれない。紀乃はガニガニの甲羅に寝そべり、満天の星空を仰いだ。

 少なくとも、今、紀乃は幸せだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
web拍手 by FC2
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ