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南海インベーダーズ  作者: あるてみす


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20/61

重機男的復讐譚

 ひび割れた世界は、白に染まっていた。

 天井と床から伸びた恐ろしく太いワイヤーが両腕と六本足を縛り付け、タンクからガソリンは一滴残らず抜かれ、イグニッションキーは奪われ、バッテリーの電圧も低下しつつある。辛うじて生命維持が出来ているのは、人工体液の血糖値が下がりきっていないからだろう。ぎぢり、とワイヤーと歪んだ外装を擦り合わせながら、小松は破損した頭部をゆっくりと回転させて現状把握に努めた。

 白い箱の中にはスポットライトが注がれ、巨大な昆虫標本のような小松の姿を浮かび上がらせていた。鉄格子はなく、小松を搬入したハッチとその左隅のドアがあるが、どちらも電子ロックで施錠されている。白以外の色のない壁一面に分厚い緩衝剤が敷き詰められているが、単純に対ショック用に作ったわけではないだろう。恐らく、ミュータントの自殺防止のための設備だ。箱の奥にはカーテンで仕切られた空間があり、お粗末な水洗トイレと洗面所が据え付けられていた。

 ドアが開いたのでメインカメラを向けると、紀乃が入ってきた。険しい面差しの彼女は、それまで着ていたスポーツキャップと半袖ジャージとハーフパンツとスニーカーを全て脱がされていて、入院着のような薄っぺらい衣服を一枚だけ着せられており、手錠を掛けられていた。ドアが施錠されると手錠の鎖が外れたが、手錠の本体は細い手首を戒め続けていた。紀乃はぺたぺたと裸足で歩いてくると、小松を見上げ、少しばかり表情を緩めた。

「小松さん、大丈夫?」

「なんとか。だが、血糖値が足りない」

 小松が切れ切れの音声を出すと、紀乃は小松の足に手を掛けた。

「それなら大丈夫だよ。もう少ししたら食事が支給されるって話だから、ちゃんと食べさせてあげるね」

「すまんな」

「お互い様だよ。捕まっちゃったのは、私がドジったからだもん」

 服の裾からはみ出す太股を気にしながら、紀乃は小松の破損が少ない足を伝って上ってきた。山吹機の攻撃で外装が派手に裂けている箇所もあったが、紀乃はそれを上手く避けて、ガラスが全て割れてしまった小松の操縦席まで辿り着いた。紀乃はこれまで通り操縦席に入ろうとしたが、シートにガラスの破片が突き刺さっているのを見て中に入るのを諦め、その代わりに小松の腹部の土台の部分に腰掛けた。

「お前の方はどうだった」

 小松が話し掛けると、紀乃は水気の残る前髪をいじった。

「そりゃもう大変だったよ。捕まった後、自衛官のお姉さんに見張られながらトイレしなきゃならなかったし、この基地に連行されたらされたで検査検査だし。脳波でしょ、レントゲンでしょ、CRTでしょ、採血されたでしょ、汚染除去だとか何とか言われて薬臭いシャワーを浴びせられたでしょ、あと、なんでか解らないけどお腹のエコーも取られたし。身ぐるみ剥がされちゃったから、勾玉のペンダントも取られちゃった。あれ、可愛いから気に入っていたのになぁ。で、代わりにこんなのもらっちゃった」

 紀乃はいかついブレスレットのような手錠が付いた両手首を上げ、肩を竦めた。

「ただの手錠じゃないんだって。特殊な電磁波が出ているから、生体電流を混乱させて超能力が使えないようにしてあるんだって。変なモノ作っちゃって、税金の無駄だよね」

「効果は」

「すっごい覿面。そんなの嘘だろって思ってやってみたけど、何も動かせなかった。科学って凄いね。で、この部屋は海底百五十メートルに造られた隔離施設で、階層ごとに厚さ五メートルの鉄筋コンクリート製の隔壁があって、どの階にも精鋭部隊から選抜した戦闘員が配備されているんだって。なんか、待遇良くない?」

「さしずめ、ロイヤルスイートだな」

 小松は半笑いになった。紀乃の超能力が使えれば脱出のチャンスがあるのでは、とは思ったが、変異体管理局が紀乃の超能力を放っておくわけがない。紀乃は小松に寄り掛かり、手錠の付いた手首を足の間に下げた。

「ねえ、小松さん」

「なんだ」

「どうせ暇なんだから、あの話、してよ」

「俺の話か」

「そう。小松さんがなんでそんな体になっちゃったのか、どうして山吹って人を恨んでいるのかって話」

「面白くはないぞ」

「でも、退屈じゃん?」

「道理だ」

 紀乃の重みを感じながら、小松はバッテリーの電圧を緩めに脳に回した。基盤の回路と癒着しているおかげか、電流でも多少はエネルギーを摂取出来るようになっていた。強すぎると脳細胞が損傷するので力加減が難しいが、血糖値が下がりつつある今は仕方ない。この部屋から脱出する術を思い付くまでは、多少なりとも時間が必要だ。気持ちを整理するためにも、紀乃を相手に昔話をしてみるのも悪くない。

 宮本都子との思い出を。



 小松建造は、あきる野市内の建設会社社長の長男として生まれた。

 だから、名前も安直だった。土建屋の息子らしすぎて、字面を見ただけで親の職業が解ってしまうので、子供の頃はそれが鬱陶しかった。けれど、いちいち言い返さなければ相手にする煩わしさが半減するのだと気付いてから、何を言われても無視することに決めた。その結果、小松は寡黙な子供として育ち、感情表現が下手になっていた。

 両親は会社経営に忙しく、大人しくて聞き分けがよい小松のことを放っておくようになった。おかげで、小松は一人遊びが上手くなり、廃材や木切れを組み合わせて家のような物体を作るようになった。両親に代わって相手をしてくれた社員達の影響で建築に興味を持つようになると、図面を引く真似事も始めた。だから、小松は会社の跡取りになってくれると両親は手放しで喜び、小松も自分は家を継ぐのだと漠然とした思いを抱いていた。

 その日も、小松は一人で遊んでいた。木切れを釘で打ち付けて繋ぎ合わせ、四角形の骨組みを組み立てていた。友達も少なかったので遊びに誘われることもなく、一人でテレビゲームをするのも性に合わなかったので、作業場で黙々と釘を打ち付けていた。これが終われば、次は板を張り、壁を作ろうと考えていた。

「それ、イヌ小屋?」

 唐突に声を掛けられ、小松は釘を打ち付ける手を止めた。作業場の開け放ったシャッターの向こうには、近所に住む従姉が立っていた。小松は相手にするのが煩わしかったので答えずにいようとしたが、従姉は作業場に入り、小松の手元を覗き込んできた。小松はやりづらくなって顔を背けるが、従姉はじっと見つめてくる。

「ねえ、建ちゃん。イヌ小屋でしょ?」

「……違う」

 小松は絞り出すように声を出し、やり過ごそうとした。だが、従姉は小松から目を離そうとしなかった。

「じゃあ、何?

 まさか人形の家ってことはないよね、男の子なんだし」

「違う」

「じゃ、何のために作っているの?

 教えてくれたっていいじゃない」

「別に、なんでもない」

「そんなの、答えになってないよ」

 従姉は積み上げられている材木に腰を下ろし、スカートから伸びた足を組んだ。

「建ちゃんっていつもそう。何考えてんだか、さっぱり解らない」

 従姉は快活な瞳で、作業場の薄暗い影を背負う小松を見据えた。母親の妹の長女である宮本都子は、小松よりも一つ年上の小学六年生だった。利発そうな整った顔付きに良く通る声を持ち、丸みがつき始めた体は女の気配が垣間見えていた。だが、小松にとってはそれが異様だった。薄黄の肌に黒髪に焦げ茶色の瞳がある、瑞々しい生き物としか映らなかった。宮本都子は、小松の知る人間とは大きく懸け離れていた。

 小松の目に映る人間は、皆、機械だった。金属製の冷たい外装を被り、エンジンと歯車で動き回るのが人間だと認識していた。だから、道路を走る車も工事をする車両も空を飛ぶ飛行機も、皆、生き物なのだと認識していたし、イヌやネコや鳥や虫も機械仕掛けだった。自分自身もそう見えていたし、食卓に並ぶものは味は違えども全部材料は石油や石炭なのだと思っていた。車が食べるものだから、自分が食べるものも同じだと信じていたからだ。それがおかしいと感じたことなどなかったし、世界は機械で出来ているのが常識だった。だから、宮本都子だけが、小松の世界の中では異常極まる存在だった。

「ねえ、建ちゃん」

 馴れ馴れしく話し掛けた都子は、小松に近付いてきた。

「お願いがあるんだけど」

「……何」

 小松は気持ち悪い生き物の都子から懸命に目を逸らしながら、板を置いて角を合わせた。

「夏休みの工作、手伝ってくれないかな。建ちゃん、器用だから得意でしょ?」

「器用じゃない。作れる範囲で作っているだけだから」

「このままだと全然間に合わないんだもん。その代わり、建ちゃんの宿題見てあげるからさぁ」

「その必要はない。とっくに全部終わっている」

「えぇー、そんなの有り得なくない?」

「有り得ている。証拠なら、俺の部屋にある」

「じゃ、何したらいい?」

「手伝わない。だから、何もしなくてもいい」

 これ以上都子に付きまとわれたら迷惑だし、何より気持ち悪い。小松は今日中に板を打ち付けるのを諦め、工具を片付けて家に戻る支度を始めた。視界の端に映る都子は余程残念なのか、項垂れていた。

「……じゃあ、とっておき」

 都子はスカートの裾を掴み、少し引き上げた。

「パンツ見せてあげる」

「いらない」

「えぇ、即答!? 男子なのに、その方が有り得なくない!」

 都子は子供なりに女のプライドが傷付いたのか、スカートの裾を押さえてむくれた。

「でも、本当に困ってるの。だから、建ちゃん、お願いだから手伝って」

「俺に頼んでいる暇があったら、その時間で工作をすればいい。それだけのことだ」

「意地悪」

「俺は正しいことを言っているだけだ」

「それが意地悪だっての」

 都子は木材の上から降りると、小松の後ろを歩いて作業場から出ていった。

「じゃあね、建ちゃん! また来るからね!」

「来なくていい。手伝わないからだ」

「そこまで言うんだったら、絶対手伝わせてやる!」

 都子は捨てゼリフを残し、走り去っていった。小松はその背を見送ることもせず、片付けかけた工具を取り出して板を打ち付けた。都子が何を作ろうとしているのかは知らないが、手伝ったら最後、次も手伝えと言われてしまう。それが嫌だから、頑なに断っているのだ。一度でも馴れ合ってしまえば、水っぽい生き物はべたべたと付きまとってくる。そんなことをしては小松の外装が錆びてしまうかもしれないし、故障の原因にもなりかねない。

 十数分後、都子が戻ってきた。自転車のカゴに詰め込んだ木材をがしゃがしゃ言わせながら作業場に突っ込んでくると、小松の真横でブレーキを掛けて止まった。荒い息を繰り返しながら汗を拭った都子は、細い木材を小松の前にぞんざいに放り出してから、画用紙を広げて突き付けてきた。

「これ! 作りたいの!」

「無理」

「だから即答しないでよ、ろくに見もしないくせに」

「見ているから、無理だと判断した。これだけじゃ、ただの骨組みしか出来ない」

 小松は都子が放り出した細い木材と、都子が描いたスケッチを見比べた。絵はそれなりに上手く描かれていて、海を見下ろす崖の上に立っているログハウスだった。だが、それに近い模型を作るにしても、根本的な部分が成り立っていない。都子が小松の前に放り出した木材は長さも半端で、スケッチのようなログハウスに欠かせない丸い木材は一本も含まれていなかった。都子はスケッチを折り畳んでポケットに入れ、小松の前に屈んだ。

「そうなの?」

「そうだ。材料があれば、出来ないこともない」

「じゃ、何があればいいの?」

「丸い木材、屋根と床板、塗料、接着剤」

「それ、お小遣いで買えるかな」

「知らない」

「だったら、教えてくれたらいいじゃない!」

 都子はぐいっと小松の腕を引っ張ると、駆け出した。自転車を使わないのかな、と小松は言いかけたが、都子は思いの外足が速く、力も強かった。四角い箱のような作業場から夏の日差しの下に引っ張り出されると、都子の汗の粒が輝いた。それが鬱陶しさを掻き立て、小松の腕を掴む手のぬるつきに嫌悪感が込み上がってきたが、逆らうのが面倒になってきたし、これ以上邪険にして泣かれたら困るから、そのままにしておいた。

 都子に連れられてホームセンターに行った小松は、都子の要求と資金に見合った材料を調達した。ログハウスではないが、以前に家の模型を作ったことがあったので、大体のことは解っていた。都子は園芸用のレンガを手にして、本当は暖炉も作りたいのだと言った。大人になってお金を貯めて、海の見える土地を買って本物のログハウスを作るから、暖炉を設置する夢はその時まで持ち越すのだ、とも。

 機械だらけの世界に住む小松には塩気と水気は大敵だが、都子のような水っぽい生き物が住むには丁度良いと思ったので、いいんじゃないの、といい加減に肯定した。都子はそれを同意だと取ったらしく、その時はよろしくね、と笑顔を向けてきた。

 訳もなく恥ずかしくなった。


 

 その日から、都子との距離が急速に縮まった。

 それまでは、都子は幼馴染みの延長でしかなかった。親同士の仲が良いのでクラスメイトよりはほんの少し親しみはあるが、外見の気持ち悪さもあってなんとなく近寄りがたかったし、都子も小松とは距離を置いているようだった。それが、買い出しまで付き合ったからには手助けしてやらなければならない、と妙な義務感に駆られた小松が都子の夏休みの工作を手伝ってやったことで溝が埋まったと認識されたらしく、夏休み明けから登校時に小松の迎えに来るようになった。もちろん、最初は小松も嫌だったし、クラスメイトにからかわれもしたが、一週間も過ぎると都子に対してそれなりの親しみを覚えるようになった。気持ち悪さは相変わらずだったが。

 小松の両親の忙しさは相変わらずで、出張も多かった。その間、小松は祖父母の家に預けられていたが、祖母の体調が悪化したため、近所の宮本家に預けられるようになった。移動距離も減るし、小学校への通学も楽なので、小松にとってもいいことだった。都子と一緒に過ごせるのが単純に嬉しいとも思っていた。

 機械油臭い食事を終えて風呂に入ると、小松の布団は都子の部屋に敷かれていた。子供部屋には都子の弟もいるので特に疑問は持たなかったが、場所が少し問題だった。小松の布団は都子の傍にぴったりと寄せられていて、隙間を埋めてあったからだ。部屋の広さのせいか、とも思ったが、都子の弟の布団と都子の布団の間は数センチの隙間があった。小松は首を傾げつつ、都子と自分の布団を離そうとした。

「建ちゃん、何してんの?」

 子供部屋のドアが開き、タオルを被った都子が入ってきた。

「近い」

 小松は自分の布団を壁際まで押しやると、都子はむっとして自分の布団を小松の布団に押してきた。

「そんなことないよ!」

「だったら、あっちはどうなんだ」

 小松がどちらの布団からもかなり離れてしまった弟の布団を指すと、都子は布団を叩いた。

「あっちはいいの! こっちが問題なんだから!」

「どういう問題なんだ」

「ど、どうって……」

 都子は湿り気を帯びたタオルで髪を乱してから、風呂で薄く上気した頬を隠した。

「どうでもいいじゃない、そんなこと」

「よく解らない」

 小松は都子の反応に戸惑い、目線の置き場に迷った。普段着姿の都子なら見慣れているのだが、パジャマ姿の都子を見るのは初めてだった。いつもスカートを履いているが、慣れ親しみすぎたせいで女の子らしさを感じる機会はなかった。従姉なので兄弟の延長のような感覚のせいもあったが、生温くて気持ち悪い生き物に異性を意識するわけがない、との先入観もあったからだ。湯上がりの都子は可愛らしいピンクのパジャマを着ていて、開いた襟元から覗く首筋には汗が浮いていた。それは、あの夏の日、作業場から引っ張り出された時に見た汗とは似て非なるもので、産毛が光っていた。リンスの匂いに混じって、メインエンジンの辺りを握り潰す匂いが漂ってきた。

「建ちゃん」

 都子はタオルを頭から外し、首筋の汗を拭ってから、小松に近付いてきた。

「何」

 小松は反射的に腰を浮かせて身を引くと、都子は残念そうに眉を下げた。

「なんでもない」

 都子はタオルを掴んで立ち上がり、髪を乾かしてくる、と言って子供部屋から出ていった。小松は浮かせかけた腰を下ろして、いつになく長く排気を行った。都子が出ていっても、都子の肌から立ち上った生温い温度と変な甘みがある匂いは消えずに残っていて、また訳もなく恥ずかしくなった。エンジンの回転数が上がっただけではなく、下半身がむず痒くなり、意味もなく座り直して原因不明の異変を誤魔化そうとした。

 そのせいで、その夜は寝付きが悪かった。



 中学校に進学してからは、都子との関係は少し変わった。

 制服姿の都子はやけに眩しく、金属的な光沢を持たない肌なのに艶々していた。髪も伸ばし始めていて、手入れをしているからか胸の奥をざわめかせる匂いがした。登校する時も一緒で、部活は違ったが一緒に下校出来る時は連れ立って帰った。離れているのは互いの家に帰った時と授業中ぐらいなもので、都子は少しでも暇があれば何がなんでも小松の傍にいようとした。それが煩わしい瞬間もないわけではなかったが、素直に嬉しい気持ちの方が大きく、都子の姿が視界に入っていないと落ち着かないようになっていた。

 小松が二年生になり、都子が三年生になると、都子はただの幼馴染みではなくなっていた。気持ち悪い生き物である事実に変わりはなかったが、その気持ち悪さとぐにゃぐにゃしている感じも含めて都子だと思えるようになって、都子から触れられることも、都子に触れることにも躊躇いを持たないようになっていた。世の中は機械だけで出来ているが、機械でないものがあっても悪いわけではない。ただ、それだけのことなのだと。

 十五歳の誕生日を過ぎて、都子はぐっと女らしくなった。小松が知る女という生き物は都子以外にはいないので、その表現は不確かだが、十四歳の頃の小松はそういうふうに認識していた。伸ばしていた髪を結ばずに広げるようになり、薄かった胸元の膨らみは制服の布地を丸く押し上げるようになり、プリーツスカートに隠されている太股は脂肪の厚みを持つようになった。健康的に筋肉が付いた脹ら脛を覆うハイソックスの白さが、今も尚、小松の目に焼き付いている。西日を浴びて歩く都子は映画のワンシーンのように出来すぎていて、美しすぎた。

 その日、小松は技術家庭で作ったものを袋に入れて下校していた。鉄板を加工する授業でなんとなく作ってみた風見鶏だが、飾る当てなどなかった。どうせ、部屋の押し入れの肥やしになるだけだが、中学校のロッカーに置いておいても邪魔になるだけだったので持ち帰ることにした。都子は少し前を歩いていて、真っ直ぐなロングヘアが歩調に合わせて靡いていた。車道を通る車が巻き上げる風で髪が乱されると、都子は慣れた仕草で髪を掻き上げ、耳に乗せた。小松は彼女の細い指先から目を離せなかったが、妙に気まずくなってしまった。悪いことをしているわけではないのだが、腹の内がざわめいた。横断歩道に差し掛かり、都子は足を止めた。

「建ちゃん」

 このまま真っ直ぐ行けば小松と都子の自宅があるのだが、都子は横断歩道には足を向けなかった。

「今日は、こっちに行こう」

「どうしてだ」

 小松は問うが、都子は小松の手を取って歩き出した。

「何も言わないで。一緒に来てほしいの」

 秋風で少し冷えた指先が、小松の硬い手首を掴んだ。その感触に小松は背筋が逆立つような感覚に襲われて、されるがままになった。歩調を早めた都子は横断歩道を渡らずに歩道を真っ直ぐ歩き、住宅地から外れていった。市街地からも遠のき、そのうちに道に勾配が付くようになった。日常的に目にしてはいるが滅多に近付くことのない山道に入り、いくつかのカーブを越えた頃には、二人の影は長く濃くなっていた。

 一方通行の山道は車の一台も通らず、時折吹き付ける冷たい風が植林された杉をざわめかせていた。鳥の声がぎいぎいと聞こえ、俯いた都子の横顔は影が厚すぎて表情が読み取れなかった。小松の手首を握り締める手にはかなり力が込められていたのか、小松の手首には鈍い痛みが残った。手汗が滲んでべとつく手を小松の手首から外した都子は、小松に背を向けたまま、通学カバンの取っ手を両手で握り締めた。

「建ちゃん」

 都子の声は上擦り、切なげに震えていた。

「私、私ね……」

 かち、と通学カバンの金具が小さく鳴り、キーホルダーが揺れた。

「もう、どうしたらいいのか解らないの。自分じゃどうにも出来ないの。だけど、どうにかしなきゃいけないって思うし、頭の中じゃもう一人の私がどうにかしろって言うの。でも、でも、でも……」

 都子は誰かに縋るように通学カバンを抱き寄せ、肩を怒らせた。

「何があったんだ」

 小松が都子の背に近付くと、都子は片手で顔を覆った。

「言いたいけど、全部は言えない。だって、私、建ちゃんじゃなきゃ嫌だもん。だけど、そうしろって……」

「だから、何がだ」

 小松が都子の肩に手を置こうとすると、都子は小松に触れられるのを避けるように身を反転させた。

「触らないで! 私には建ちゃんに触ってもらう資格なんてない!」

「だから、どうしたんだ、都子」

 何が何だか解らないが、良くないことが起きているのだろう。小松が戸惑うと、都子は膝を笑わせた。

「誰にも言わないって約束してくれる? お父さんにお母さんにも、伯父さんにも伯母さんにも、うちの弟にも、友達にも、他の誰にも言わないって約束して? でないと、私、二度と建ちゃんに会えなくなるかもしれない」

「する」

「本当だよ? 本当に本当の本当で本当が本当なんだからね?」

 錯乱気味の都子は同じ言葉を何度も繰り返し、潤んだ目を見開き、よろけるように小松に近付いてきた。

「する」

 小松が頷くと、都子は小松の腕を痛むほど掴んできた。

「私ね、し、知らない人の、子供、産まなきゃならないの」

「……誰のだ」

「だ、だから、知らない人! 全っ然知らない人! お、お母さんが、ホンケのゴゼンサマだって言ってたけど、私、そんな人なんて知らない! 知っていたって、嫌! 建ちゃんじゃなきゃ嫌! 嫌、嫌、嫌ぁあああっ!」

 都子は崩れ落ち、小松の胸にもたれかかってきた。

「こ、子供さえ産めば、後はどうだっていいって、お、お母さんが言ってた。だ、だ、だけど、そんなの変だよ、変だよ、変すぎるよ。だって、私、十五歳になったばっかりだよ、学校だって出てないよ、それなのに、子供なんて……」

「無理だ。体が出来上がっていない」

「そうだよ、建ちゃんだってそう思うでしょ!?」

 都子はぼたぼたと涙を落としながら、震える唇を歪めて笑顔のような表情を強引に作った。

「建ちゃんは、私のこと、好き?」

 好きだ、と言えれば良かったのだろうが、小松は都子が並べ立てた言葉に気圧されて頭が働かなかった。子供を作る、ということは、都子のぐにゃぐにゃした体が見ず知らずの誰かに開かれると言うことだ。

 ホンケのゴゼンサマがどんな輩かは知らないが、大人になりかけの中学生に手を付けるのだから、ろくな人間ではないだろう。しかも、こんなに怯えている都子を手込めにするつもりでいる。だが、都子に味方はいない。一番頼るべき母親がその無茶苦茶な話を推し進めているようだし、父親の名が出てこないのも暗黙の了解があるからだろう。かといって、小松に都子を守れる力はない。守れるものなら守ってやりたいが、ただの中学生に出来ることはない。

「……嫌い?」

 小松が長らく黙り込んでいたため、都子は否定と受け取ったようだった。

「そっか、うん、そうだよね、私なんて建ちゃんには似合わないもんね」

 小松の制服に食い込ませていた爪を緩めた都子は、袖で涙を拭い、笑顔を作ろうとしたが情けなく崩れた。

「ごめんね、変なこと、言っちゃって。こんなところまで連れてきちゃったけど、気を付けて帰ってね」

 決壊しかけている感情を押さえながら身を起こした都子は、踵を返し、歩き出した。

「また、明日ね」

 嗚咽を押し殺しながら、都子は林に挟まれた山道を下っていった。ローファーの靴底が力なくアスファルトに擦れ、彼女が歩いた後には涙の小さな雫がいくつも落ちていた。小松は何か言うべきだと解っていたのだが、どんな言葉を掛ければ都子が泣き止むのか解らなかった。これまで、都子はケガをして泣いたことはあっても、小松の前ではいつでも明るく振る舞っていた。その都子が苦しんでいるのに、手を差し伸べるどころか突き放してしまった。今、何もせずに帰してしまえば一生後悔する。だが、何が出来るというのだろう。いつのまにか手の力が抜けていたのか、小松の手から紙袋が滑り落ちて転がった。がらぁん、と硬い金属音が鳴り響くと、都子は反射的に振り返った。

「都子」

 小松は紙袋からはみ出したいびつな風見鶏を拾い、差し出した。

「なあに、建ちゃん」

 少しだけ落ち着きを取り戻したのか、都子は袖ではなくハンカチで目元を拭った。

「これ」

 小松は都子に近付き、改めて風見鶏を差し出した。

「くれるの?」

 都子は風見鶏に手を差し伸べかけたが、躊躇い、引っ込めた。

「でも、私は……」

「今、受け取れないなら、後で受け取ればいい。埋めてくる」

「どこに?」

「この山の上だ」

「だけど、埋めちゃったら、どこにあるのか解らなくなっちゃうじゃない」

「平気だ。目印を立てておけばいい。都子が必要になったら、掘り出して使う」

 好きだとは言えないが、その代わりの言葉なら。小松は都子を正視するまいか迷いつつ、言った。

「俺は家と会社を継ぐ。だから、いつか必ず、お前が住みたがっていた家を建てる。その時に使う」

「うん。約束ね」

 都子は嬉しさと切なさが混じった笑みを見せ、小指を立てた。小松は腹の底から照れ臭くて頭がどうにかなりそうだったが、都子の笑みを陰らせたくなかったので、自分の小指を都子の小指に絡め合わせた。都子の小指は先程より温かく、細い骨を包む肉と皮は柔らかかった。繋いでいたのはほんの数秒で、恥ずかしすぎて都子の顔なんて見られなかったが、都子が喜んでいる気配は伝わってきた。

「じゃあ、また明日ね」

 するりと小指を引き抜いた都子は、頬を赤らめながら手を振った。小松は条件反射で手を振り返し、都子の足音が聞こえなくなるまでその場に突っ立っていたが、山頂に向かって駆け出した。都子が泣き止んだ、自分が作ったもののおかげで、将来の約束もした。それは純度の高い燃料よりも余程良く効き、小松はほとんど休まずに山頂まで駆け上がり、その辺に転がっていた板と細い木材を手持ちの釘で打ち付けて立て札にし、錆びたスコップで地面を掘り起こし、風見鶏を破れたブルーシートでくるんで埋めて立て札を立てた。そして、帰路も全速力で走った。

 一秒たりとて、立ち止まっていられなかった。


 

 だが、その日を最後に、都子は小松に近寄らなくなった。

 あれほど仲良くしてくれたのに、好きだとまで言ってくれたのに、登下校はおろか校内で見かけても都子の方から小松を無視してきた。話し掛けようとしても露骨に嫌な顔をされて避けられ、電話をしても切られ、メールを送っても返事はなく、自宅に尋ねても追い返された。都子を追い掛けて同じ高校に進学しても同じことで、通学する時間帯を変えられたり、電車の乗り換えも変えられた。それでも、小松は都子を追い掛けた。目にしていなければ不安になるからだ。いつのまにか、都子がいなければ、小松の世界は成立しないとすら思うようになっていた。

 高校三年生に進学した都子は、自分自身の言葉を裏切った。クラスメイトの男子、山吹丈二と付き合い始めた。付きまとってばかりで好きだとも言わない小松を見限ったのか、ホンケのゴゼンサマに身を捧げる前に一通りのことを体験しておきたいのか、そのどちらかだろうが、猛烈に悔しくなった。あれほど好きだと言っておきながら、なぜ、自分ではない男を選ぶのか。山吹丈二の評判は決して悪くはなかったが、山吹は山吹で幼馴染みの女子中学生と恋仲になっている、との噂がちらほらと出ていた。それが本当だとしたら、都子は山吹に弄ばれているだけであり、このままでは良いように遊ばれるだけで終わってしまう。だから、なんとしても二人の関係を裂きたかったが、都子はここぞとばかりに山吹とべたべたしていた。かつて、小松とそうしていたように、暇さえあれば連れ立って行動しては仲の良さを見せつけていた。山吹もまんざらではないらしく、都子と声を合わせて笑っていた。

 その頃の小松は、嫉妬と憎悪だけだった。都子の一挙手一投足を目に焼き付けておきたくて、都子が登校する時間には自宅の窓から都子を見ていた。通学するルートを変えたふりをして都子の後を追い掛け、都子が乗った電車の一つ後ろの車両に乗り、少し離れた場所から都子を捉えていた。乗り換えた駅で山吹と合流した後も同じように見、下校時も感付かれない距離を保って都子を追った。

 いつ、山吹が都子に手を出すかと思うだけで、全身が煮え滾るかのようだった。下校時に並んで歩く二人の手が触れそうになるたびに、呻きを殺した。都子の大人びた笑顔を向けられる山吹を殴り殺したい衝動に駆られたのは一度や二度ではなかったが、辛うじて我慢した。都子が幸せならなんだっていい、都子が笑うならそれでいい、と恨み言の代わりに自分に言い聞かせ続けた。

 山吹が都子と付き合い始めて二ヶ月と十九日が経過した朝、何の前触れもなく都子は失踪した。またしても都子は小松を裏切り、山吹さえ裏切った。都子が全ての中心と化していた小松は軸を失ったコマのように揺らぎ、倒れ、高校に通う意味どころか生きている意味すらなくなった。茫然自失のまま、高校を中退して、資格は取っていたので実家の建設会社に就職し、ぼんやりしながらもあの日の約束を果たすために仕事を始めた。いつか、都子が帰ってきたら、住みたがっていたログハウスを建ててやろうと。海を見下ろす岬の土地を買い取り、資材を買う金も貯め、屋根の上に風見鶏も立てて、レンガで暖炉も作ろう。一緒に暮らせなくても、喜んでもらえばいい。

 働きに働いて、気付けば丸一年過ぎていた。人型多脚重機の免許も資格も取った小松は、従業員が帰った後も現場で練習に勤しんでいた。従業員は、皆、親のような歳ばかりなので良いように使われていたが、それに対する不満を抱く心の隙間もなく、都子の存在を一時も忘れたことはなかった。休みの日ともなれば、遊びにも出掛けずに都子を探して回ったが、成果は上がらなかった。それでも、探さずにはいられなかった。じっとしていると、都子への思いで押し潰されそうになるからだ。小松は汚れた革手袋を外し、操縦桿から手を引いた。

「これはこれは。随分とお困りのようですねぇ」

 ぎしり、と機体の足の一本が軋み、翼の生えた影が立った。強烈な白い明かりを吐き出す投光器の逆光で、その者の姿は捉えられなかったが、人間でないことは確かだった。体格が常人よりも遙かに大きい上に、足の間からは尻尾がだらりと伸びていた。青紫のウロコに包まれた顔の中心で瞬いた目は一つだけで、眼球の大きさも半端ではなかった。政府公報で何度か見たことがあるが、実際に目にしたのは初めてだ。小松が視覚センサーの採光量を調節しながら巨大なトカゲを注視していると、巨大なトカゲは一礼した。

「お初にお目に掛かります、私の名はゾゾ・ゼゼ。しがない異星人です」

「異星人……?」

 そんなものが何の用だ、と小松が操縦席で身構えると、ゾゾと名乗ったトカゲは体格に見合わない軽快な動作で人型多脚重機の足を踏み切って跳躍し、小松が収まる操縦席の屋根に飛び乗った。

「少し、あなたのことを調べさせて頂きますね」

 操縦席のドアが外側から開かれ、太い尻尾がぬるりと入り込んできた。その細く尖った先端が頸部に触れ、奇妙に冷たい感触が訪れた。それがぐるりと小松の首を抱え、操縦席から一息で引き摺り出した。

「そうですか、これはこれは……」

 ゾゾは小松を単眼の前まで尻尾だけで持ち上げると、興味深げに目を細めた。

「生体電流、生体反応、生体組織から判断して、あなたは少しばかり他の個体とは違っているようですねぇ。これは実に面白そうですねぇ。ふふふふふ」

 押し殺した笑みを零したゾゾは、小松の首を四本指の手で握り締めた。

「あなたの脳は、この星に氾濫している二足歩行型知的生命体とは作りそのものが異なっています。神経を流れる生体電流の電圧から判断して、細胞を成す蛋白質が珪素に変化していると見て間違いないでしょう。つまり、あなたは産まれながらにして珪素生物の一種なのです。ですが、あなたは蛋白質とカルシウムと水分とその他諸々の物質によって形作られた器に閉じ込められ、在るべき姿を捉えられずにいます」

 ゾゾの分厚い皮膚に覆われた太い指が小松の喉に食い込み、爪が薄く外装を裂いた。

「少し、手助けして差し上げましょう」

「なぜ、俺なんだ」

 非常識すぎて恐怖も何も突き抜けてしまった小松が冷淡にゾゾを見やると、ゾゾはにんまりした。

「なぜってそれは、あなたが特別だからですよ。そして、あなたが求めている女性もまた特別なのです」

「都子のことを知っているのか」

「ええ、もちろん。知っていなければ、知っているわけがないではありませんか」

 ゾゾは小松が乗っていた人型多脚重機に目を向け、一度瞬きした。

「自由におなりなさい。そして、思うがままに生きるのです」

「自由?」

 小松はフロントガラスに映る自分とゾゾの姿をぼんやりと見ていたが、腹の底で濁った泥が泡立った。

「だったら、俺は山吹丈二を殺していいのか」

「ええ、もちろんですとも。彼の居場所を知りたいのでしたら、教えて差し上げますが?」

「教えてくれ。殺しに行く」

 小松が平坦に懇願すると、ぐぶ、と喉にめり込む指の深さが増し、ゾゾの笑みも増した。

「その前に、すべきことがありますね」

 次の瞬間、小松の首は胴体から切り離されていた。薄っぺらい外装が容易く破られ、生温く鉄臭い循環液が高く飛沫を上げ、白く硬いジョイントが赤いケーブルの束の間から覗いていた。繊細なケーブルが一本残らず千切れ、小松の首から下の感覚が永遠に消失した。ぼやけた視界でおぞましい笑みを浮かべるゾゾは、小松の頭頂部にも手を掛け、一息で頭部の外装を切り裂いて視覚センサーごと真っ二つに断ち切った。

「うふふふふふふふ」

 ゾゾは小松の潤滑液で両手を赤黒く汚しながら、肩を揺すった。

「さあ、楽しい楽しい実験の始まりですよ」

 メインコンピューターだけを引き摺り出された小松は視覚も聴覚も触覚も失っていたが、べちょ、と平べったいものに押し当てられると、感覚が蘇ってきた。ぴりぴりした刺激が走る少し暖かな板に神経が繋がると、頭の中に自然と相手の情報が流れ込んできた。

 二十八年式人型多脚重機のスペックと操縦法が手に取るように理解出来、視界も上がり、先程まで見上げるほど大きいと思っていたゾゾが楽に見下ろせた。投光器の眩しさは変わらなかったが、小松の世界は大きく変わっていた。本物のエンジンが鼓動を刻み、本物の外装が皮膚となり、本物のシリンダーが関節となり、本物のカメラが目になった。人型多脚重機と一体になったのだ、と驚きの最中で小松は自覚した。

「これで、あなたの死因は完璧です」

 首を断ち切られて頭部を割られた小松のスクラップの上に、ゾゾは二枚の鉄板を落として傷口を派手に壊した。

「さあ、お行きなさい。あなたが復讐すべき相手はメテオにおります。存分に暴れておやりなさい」

「言われるまでもない」

 小松はぐるぐると頭部を回転させ、機械油の馴染み具合を確かめた。がしゃり、とメインカメラのシャッターを開閉させてから再びゾゾを見やると、青紫の巨体が視界から消えていた。各種センサーを起動させて周囲を探ってみるが、気配らしきものはない。だが、ゾゾに対して興味を持ったのはその一瞬だけで、機体に搭載されたGPSを利用した位置認識装置と周囲の地図を重ね合わせ、現在位置とメテオの距離を測った。

 メテオのことは知っている。あきる野市と憎むべき山吹丈二の住む街の中間地点に建っているショッピングモールで、都子との仲が悪くなる前は二人で頻繁に利用していたからだ。小松は操縦桿では上手く動かせなかった六本足を滑らかに前後させて作業現場から移動し、車道に出た。時折乗用車が通り掛かったが、邪魔になるので多目的作業腕で掴んで崖下に放り投げた。市街地に入っても小松の行動は変わらず、直進するのに邪魔な民家や電柱や電線や人間は放り捨てた。背後がサイレンや怒号で騒がしかった気がするが、山吹丈二を殺せる爽快感が勝って記憶が朧気だ。一心不乱に歩き通してメテオに辿り着いた小松は、迷うことなく行動した。まるで高性能なレーダーが備わっているかのように正確に山吹丈二の居所を突き止め、一階の天井を破壊して二階のホールによじ登り、セーラー服姿の髪の長い少女を庇おうとした山吹丈二を右前足で踏み潰した。

 都子に愛されていたのに都子を愛そうとせず、他の女に手を出した罰だ。小松に向けられない愛を一心に受けていた幸福に気付きもせずに驕り高ぶり、都子を蔑ろにした罰だ。都子が姿を消しても、都子を捜し出そうともせずにのうのうと生きている罰だ。都子は悪くない。都子が悪いわけがない。悪いのは、山吹丈二だ。

 だから、小松が殺してやっただけに過ぎない。



 ぎい、とワイヤーの一本が軋んだ。

 小松は動ける状態ではないので、紀乃が身動きしたからだろう。ひび割れた視界の中で座り込んでいる少女の背は、かつての都子のように見えていた。不思議なことに紀乃もまた生温くて水っぽい生き物の姿に見える。ゾゾも、忌部も、ガニガニも、そして忌むべきミーコも、小松の目には生温くて水っぽい生き物でしかない。それが本来あるべき人間の姿なのだと、小松がそれまで見てきた機械だらけの世界が異常なのだと、頭の片隅では理解していたが、馴染みが薄いので今一つしっくり来ない。紀乃は襟首に掛かった髪を掻き上げ、汗ばんだ肌を曝した。

「……それで?」

「それで、とは」

「その後、小松さんはどうしたの?」

 紀乃は寒気を堪えるように、二の腕に爪を立てた。

「ああ、そうだったな」

 小松は紀乃の反応を訝りながらも、淡々と話した。

「それから、俺は自分がやるべきことを理解して、決めた。まず最初に、都子を見つけ出して俺の手で幸せにする。次に、ホンケのゴゼンサマとやらを見つけ出して殺す。最後に、その二つのために必要な機械を作る。そのために部品が山ほど必要だったから、メテオにいた人間をばらしてくっつけて使えるようにしようとした。だが、あいつらはダメだった。役立たずだった。そうこうしているうちに変異体管理局の連中がやってきて、俺を捕まえた。その後は大型ヘリに今みたいな状態で吊されて忌部島に運ばれて、放り出された。それが、九年前の話だ」

「なんっていうか」

 紀乃は粟立った二の腕の肌を手のひらで擦り、頬を引きつらせた。

「凄い世界もあったもんだなぁ、って思っちゃった」

「凄いのか?」

「うん。私なんかじゃ理解出来ない場所が一杯あって、どうしてそうなるんだろうって考えるとキリがないや」

「都子もそうだったんだろうか」

「かもしれないね。だから、都子さんは小松さんから離れたのかも」

「俺を見限っただけじゃないのか?」

「だって、あれだけ小松さんを好きだって言っていたのに、いきなり山吹って人に鞍替えするのは変すぎるよ。何か理由がなきゃ、そんなことはしないって。それはそれとして、ホンケのゴゼンサマって結局誰だったの?」

「解らん。俺なりに調べ回ったんだが、何も解らなかった。島に放り込まれてからは、調べようがなかったしな」

「で、都子さんがミーコさんになっちゃって忌部島に来たのはいつ頃?」

「俺が来てから一年も経たないうちに、死体袋に入れられて放り込まれた。あいつも派手にやらかしたらしい」

「ふうん」

 紀乃はまだ二の腕をさすっていたが、深呼吸し、頬を歪めた。

「小松さんが暴れる辺りもキツかったけど、ゾゾのくだりが一番ヤバいかも。本性はああなんだ」

「だと思う。だが、それも含めてあいつだと思っている」

「私はすぐには無理かな。納得するには、ちょっと時間が掛かりそう」

 紀乃は膝を抱えようとしたが、薄っぺらい服の下には何も付けていないことを思い出して裾を押さえた。誰しもが第一印象通りの性格ではないことは、小松でも知っている。淡泊に生きていたつもりが、都子に関することとなると執着せずにはいられなくなったのだから、他の人間にもそういった面はあるだろう。異星人であるゾゾも一個の人格を持っているのだから、その内は複雑だろう。

 あの夜、小松の首を躊躇いなく断ち切って部品を引き摺り出したゾゾと、紀乃を娘のように可愛がって人ならざる島民達に気を配るゾゾの姿が一致しないわけではなかったが、それはそれだ。九年も付き合っていれば、おのずと慣れてしまう。

「あれ?」

 がしゃり、と鈍い金属音がしたので紀乃が手元を見下ろすと、外れたはずの手錠の鎖が独りでに浮き上がり、硬く繋がった。一度外れたものがくっついたのが納得いかない紀乃は両手首を引っ張って手錠の鎖を外そうとするが、鎖は頑として緩まなかった。腹に据えかねた紀乃は手錠を小松の外装に叩き付けていると、ドアが開いた。

「んーなことしたって無駄っすよ、無駄」

 軽い足取りで入ってきたのは、件のフルサイボーグ、山吹丈二現場監督官だった。

「その手錠は電磁石が入っていて、必要に応じて鎖を付けたり外したり出来るようになっているんす。だけど、機械だからって水に弱いってわけじゃないんすからね? 防水性もバッチリで、そこの洗面所で全力で洗おうがトイレに手を突っ込もうが絶対に壊れないんすから。捕まっちゃったもんはマジでどうしようもないっすから、潔く諦めて国の所有物に成り下がった方が幸せってもんっすよ」

 防護服から迷彩柄の戦闘服に着替えている山吹は、両手に食事の盆を載せていた。

「二股男!」

 悔し紛れに紀乃が叫ぶと、山吹はつんのめって両手から盆を落としかけた。

「な、な、なんてこと言うんすか、乙型一号! てか、ソースはどこっすか!」

「小松さんが色々と話してくれたんだよ。山吹丈二ってあんたでしょ? ひどすぎじゃない?」

 紀乃が思い切り蔑んだ目を向けると、山吹は取り落としかけた盆を床に置いてから、紀乃を見上げた。

「寄生体一号から何を吹き込まれたのかは知らないっすけどね、事と次第によっちゃ、ただじゃおかないっすよ? てか、自分の立場を弁えて物を言ってほしいっすね。普通だったら国家反逆罪に問われるところを、能力の汎用性の高さから身柄の拘束だけに止めておいてやっているんす。心証は良くしておいた方が身のためっすよ?」

「ただの道具にされるぐらいだったら、インベーダーの方がまだマシだもん」

 紀乃が拗ねると、小松がびいびいと盗難防止用アラームを鳴らした。

「そうだ。俺達は自分の判断で行動している、外からとやかく言われる筋合いはない。特に、お前には」

「判断って、その判断がまずいから捕まえたんじゃないっすか。寄生体一号は大量殺人と都心に対する破壊活動、乙型一号は破壊活動の幇助と政府と国家に対する裏切り、どっちもろくなもんじゃないっすよ」

 山吹は二人との距離を測りながら後退し、開け放ったままのドアまで戻った。

「いいっすか、そこでよぉーっく状況を考えてみるんすよ。あんな辺鄙な島で腐っちまうよりも、生体兵器になった方が余程マシな人生を送れるってもんすよ。今までどれだけ馬鹿なことをしていたか、じっくり考えることっすね!」

 山吹は盛大にドアを閉めたため、その震動が四角い部屋全体を揺さぶった。紀乃はその音に肩を竦めてから、べっと舌を出した。小松もそんな気分だったが、生憎、出せる舌もなければ瞬きするためのシャッターも動かない。だから、点滅するようにアラームを短く鳴らしてやった。紀乃は山吹に対する文句を零しながら、小松の上から床に降りると、床に直接置かれた盆を運んできてくれた。中身は見るからに味気ないスープと薄っぺらいサンドイッチで、水差しだけは中身がたっぷり入っていた。二人分を持ってまた小松の上によじ登ってきた紀乃は、小松の操縦席の人工臓器の箱を開けて量の少ない食事を放り込んでから、自分の分を食べ始めた。案の定味が薄いらしく、紀乃はゾゾの料理を恋しがりながらも綺麗に平らげ、胃袋を膨らますために何杯も水を飲んだ。

 小松は紀乃の子供っぽい愚痴を聞き流しながら、血糖値が上がった脳内で脱出するための策を練ることにした。頼みの綱である紀乃の超能力は忌々しい電磁手錠に封じられているが、なんとか出来るかもしれない。だが、事を起こすにはエネルギーも足りなければ気力も足りない。それらを回復させるためにも、今は大人しくしておこう。

 今は、だが。

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