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南海インベーダーズ  作者: あるてみす


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侵略的主夫活動

 何事もなく、朝が来た。

 識別名称・乙型生体兵器一号。その名前には絶対に馴染みたくないし、心の底から嫌だと思っているのにどうしても頭から離れなかった。汗と埃にまみれて目を覚ました紀乃は、鮮やかすぎて気が引けるほどの朝日に照らされた天井をぼんやりと見上げていた。日焼けしすぎて布が風化しているカーテンは本来の用途を成してくれず、光量はほとんど変わっていない。そろそろ起きなきゃな、と紀乃は腫れぼったい瞼を擦って身を起こすと、不意に違和感を感じた。下腹部の内側から熱い固まりがどろりと溶け落ちる、あの嫌な感覚。────生理が来た。

「え、嘘っ」

 そんなこと、予想すらしていなかった。紀乃は腰の怠さで確信を得たが、動揺は収まらなかった。スポーツバッグをひっくり返して一枚でも予備のナプキンがないものかと捜したが、生憎、紀乃は生理周期が一定だったので予備を持ち歩く習慣は付いていなかった。

 今はただでさえ不安なのに、こんなことは最悪だ。紀乃は泣きかけたが、泣いていても始まらないと唇を噛み締めた。とりあえず、ゾゾに予備の布か何かないか聞いてみよう。手持ちのタオルを血染めにするのは勿体ないし、布を当てておくだけでも大分違うはずだ。ジャージからセーラー服に着替えるだけでも不安になるので、靴下も履かずにテニスシューズを引っ掛け、下半身の重たさに気を遣いながら衛生室を出た。

 いつもよりかなり慎重な足取りで進んだ紀乃は、居間兼食堂の教室を覗くと、ゾゾの姿はなく、勝手口の外から物音がしていた。紀乃が窓から外を見やると、ゾゾは金属製の丸い物体を回していた。随分前に昭和初期の道具が展示されていた博物館で見たものと良く似ているので、たぶん手回し洗濯機だろう。

「あのぉ」

 紀乃が勝手口を開けると、ゾゾは手回し洗濯機を動かすハンドルを止めて振り向いた。

「おはようございます、紀乃さん」

「えっと、その……」

 涙声ですらある紀乃は、忌部島に送り込まれた時とは違った意味で悲劇的な顔をしていた。訝ったゾゾが近付こうとすると、紀乃は身を引きかけてハーフパンツを履いた足を内側に狭めた。ゾゾの鋭敏な嗅覚に、鉄分と蛋白質が発する匂いが僅かに届いた。そのおかげでゾゾはすぐに事態を察し、穏やかに述べた。

「生殖活動可能周期の変動は急な環境の変化と過剰なストレスで起きる現象ですので、それほど気にしなくてもよろしいですよ、紀乃さん。少し待っていて下さい」

 ゾゾはマットで足の裏を拭いてから、紀乃の隣を擦り抜けて校舎に戻った。紀乃はゾゾがいなくなることすらも不安になってしまい、追い縋りかけてしまった。足早に歩いたゾゾは自室にしている職員室に入ると、以前ミーコに作ってやった布製の生理用品の予備を取り出して紀乃の元に戻り、彼女に手渡した。

「どうぞ、これを。使い方は紙製のものと同じですが、洗えば繰り返し使えるので捨てないで下さいね」

「どうしてこれが、あ、そうか」

 ミーコさんのか、と紀乃が納得すると、ゾゾは頷いた。

「ええ。ミーコさんは人間ではありませんが、体は立派な成人女性ですので、清潔な布が余っていた時にかなりの数を作っておいたんです。お役に立てて何よりです」

「ありがとう、ゾゾ」

 紀乃は泣きそうな笑みを見せると、足早に居間兼食堂の教室から出ていった。紀乃が戻ってくる前に朝食の支度を調えよう、と、ゾゾは壁をぶち抜いて作った台所に向かい、洗濯の汚れが残る手を洗ってからテーブルに彼女の食器を並べた。小松とミーコは早々に食べ終え、それぞれの仕事を始めている。海水を煮出して作った塩と魚のアラを煮込んだだけだが充分に味が出ている潮汁をかまどで温め直し、おひつに残っていた一人分の白飯を茶碗に盛っていると、汚れた下着を持った紀乃が戻ってきた。ゾゾは、それは後で御自分で洗って下さいね、と紀乃に言うと、紀乃の表情から羞恥心が消えた。紀乃は勝手口から外に出ると、居間兼食堂に併設する水場のたらいに下着を浸してから居間兼食堂に戻り、手を洗ってから食卓に着いた。

「さあ、どうぞ」

 ゾゾが朝食を勧めると、元気が戻ってきた紀乃は手を合わせた。

「いただきまーす!」

 魚の干物だけでなく、新鮮なトマトやキュウリはどれもおいしかった。下着を替えたついでにトイレの洗面所で顔を洗って髪も撫で付けてきた紀乃は、アラの出汁が効いた潮汁を飲んだ。一週間も白い部屋に閉じ込められていた時の食事とは比べ物にならず、考えようによっては自宅よりもおいしいかもしれなかった。

 ニガウリの漬け物を囓りながら、本来はコンピューターか何かのモニターだったであろう液晶テレビに目を向けると、東京でも見慣れた朝のニュース番組が映っていた。普段通りにアナウンサーがニュースを伝え、リポーターが地方のイベントを伝えていて、何事もない日常が続いていた。一週間前まで、これを見た後に家を出てバスに乗って中学校に行っていた。

「テレビ、映るんだ」

 紀乃が意外に思うと、ゾゾはパラボラアンテナの建つ鉄塔の方向を指した。

「電波はいくらでも飛んでいますからね、捉えてしまえばこちらのものです」

「これ、飲めるには飲めるけど、結構苦い」

 朝食を食べ終えた紀乃はゾゾが出してくれたドクダミ茶を一口啜ったが、その苦さに顔をしかめた。

「すぐに慣れますよ」

 テーブルの向かい側に座るゾゾは、手の大きさに見合ったサイズの湯飲みからドクダミ茶を啜った。二人の使っている食器は土色で、成形は見事だが彩色もされていない実用重視の焼き物だった。汁椀は木を削って作ったもので、箸も同様だ。食材だけでなく、食器もまたゾゾの手で作り上げられている。

 徹底した手作りぶりに紀乃は素直に感心したが、不思議にも思った。どうしてそこまで拘るのだろうか。異星人であるゾゾは生活習慣も違うはずであり、食事に食器を使うとは限らないのに、手作りの食器においしい料理が盛り付けられているし、洗濯もするし、風呂も沸かすし、野菜も栽培するし、干物も作るし、準備も良すぎるぐらい良い。紀乃が抱いていた異星人の概念とは懸け離れていた。

「ゾゾって、なんだかお母さんみたい」

 紀乃がちょっと笑うと、ゾゾは湯飲みを両手で包み込んだ。

「私はこの状況で成すべきことを成しているだけですよ、紀乃さん。何もせずにいれば、この島の豊かな資源が無駄になりますし、じっとしているのは性に合わないんです。それに、あのお二人を放っておくのは居たたまれません」

「ミーコさんだけじゃなくて、小松さんも?」

「ええ。小松さんはガソリンをエネルギー源とする人型多脚重機に脳が癒着していますが、その脳を動かすためには栄養が不可欠です。ですが、小松さんの多目的工作腕は大きすぎて精密作業は出来ませんし、マニュピレーターで作物を採っても潰してしまいますし、箸もお茶碗も持てませんから、お一人では食事を摂れないんです。なので、食事時はミーコさんに手伝ってもらっているんですよ」

「じゃ、小松さんとミーコさんは友達なの?」

「いえいえ。私も小松さんもミーコさんも友達ではありませんよ。ただ、同じ状況下にいる、というだけであって、本来の目的に戻れば敵対することも辞しません。紀乃さんが我々と敵対することを決断なさっても、そうなりますが」

 ゾゾは湯飲みを置き、急須を傾けて少しぬるくなったドクダミ茶を注いだ。紀乃は自分の湯飲みに残っていたドクダミ茶を啜ったが、先程よりは苦みが舌にまとわりつかなかった。それだけ、このお茶にも慣れたのだろう。

 素朴な土色の湯飲みを見つめる紀乃を見、ゾゾは言い過ぎたかと懸念した。だが、きちんと事実を示しておかなければ、後で困るのは彼女自身だ。人間側の立場を貫くのなら、幼い身の上で見定めた人生と向き合おう。ゾゾらインベーダー側に付いて人類に反旗を翻すのなら、喜んで受け入れよう。目を伏せている紀乃は、昨日一日で日焼けした頬や鼻先が赤らんでいた。ジャージの半袖から出ている腕も、袖口を境目に肌の色が変わっていた。紀乃は答えが見つからなかったらしく、ドクダミ茶を時間を掛けて飲んでいた。

 それきり、会話は続かなかった。



 朝食の後、二人は掃除に取り掛かった。

 紀乃の部屋になった衛生室は、これまでゾゾも手出しをしていない部屋だった。だが、このままでは紀乃の体にも良くないと言うことで、ゾゾは徹底的に掃除をしようと提案してくれた。環境の変化によるストレスの影響で急に生理が来た紀乃は、体調は今一つだったが動けないほどひどくはないので、ゾゾを手伝うことにした。

 掃除道具一式を抱えて尻尾の先に水が詰まったバケツを下げたゾゾは、ミーコの泥まみれの足跡が連なる廊下を歩いて衛生室に向かった。磨りガラスの填った引き戸を開けると、紀乃は窓を開けていた。遠浅の海から届いた爽やかな風が吹き抜け、紀乃は気持ちよさそうに深呼吸していたが、ゾゾが入ってきたので振り向いた。

「準備、早かったね」

「他にやることもありませんのでね」

 ゾゾは尻尾を曲げてブリキのバケツを下ろし、雑巾とホウキとチリトリも床に置いた。ゾゾは紀乃にホウキとチリトリを渡し、自分はバケツの水に雑巾を浸して固く絞った。

「布団とシーツも、後で洗ってあるものに取り替えましょう」

 ゾゾは濡れた雑巾を広げながら、木製のベッドを見やった。年月と共に埃を吸い込んでいた布団を包むシーツには、紀乃の汗に縁取られた体の形がくっきりと付いていた。紀乃はベッドを見、少し恥じ入った。

「夜は結構涼しかったんだけど、やっぱり……」

「そればかりは仕方ありませんよ。生理現象なのですから」

 ゾゾは紀乃を促し、掃除を始めた。

「そういうゾゾは汗は掻かないの? 爬虫類だから?」

 紀乃が埃を掃き集めながら言うと、ゾゾは木枠の窓を丁寧に拭いて水の筋も綺麗に拭き取った。

「ええ、そうなんですよ。元々、私の種族はそれほど体液の量が多くもありませんし、この星の現住生物に比べれば新陳代謝が鈍いんです。私の生まれ育った星は太陽との距離が近かったので、太陽から遠ざかる冬が訪れるまでは雨の一滴すらも降らない環境だったのです。なので、夏の間は水はおろか体液も貴重なので、自然とそういった構造に進化していったのです。なので、一日に何度も排泄すること自体がまず信じられませんでしたね。ですから、ミーコさんが島にいらしたばかりの頃なんて」

「わーわーわー!」

 他人事ながら赤面した紀乃が慌てると、ゾゾは単眼を丸めた。

「そんなに恥じらうことですか? 排泄することは食事を摂ることと同じく自然の摂理なのですが」

「恥じらわなきゃ人としてダメだと思ったから」

「私は人間ではありませんし、ミーコさんだって生物学的に言えば人間ではありませんよ。寄生体です。そう、喩えるならば、レウコクロコディリウムに寄生されたカタツムリのようなものですよ」

「それ、ちょっと知ってる。カタツムリに寄生して目玉に移動して、気持ち悪ぅい色になってぎゅいんぎゅいんしながらカタツムリを操って鳥に食べられるように目立つ場所に……」

 理科の授業で見た映像を思い出した紀乃は生理的な嫌悪感で身震いし、ホウキの柄を握り締めた。

「そ、それが、ミーコさんと同じなの?」

「ええ」

 ゾゾはこっくりと頷き、汚れた雑巾をバケツで洗い流してからまた別の窓を拭いた。

「ミーコさんの体内には、それはもうびっちりと寄生虫が詰まっているんですよ。寄生虫がミーコさんに寄生した経緯までは存じ上げておりませんが、ミーコさんが詰め込まれていた死体袋に同梱されていた書類によれば、ミーコさんはまず最初に脳を食い荒らされて中枢神経から何から寄生虫に成り代わられ、その次に臓器の中でミーコさんの体内に蓄積された栄養分を使って卵を産んで無数に繁殖し……」

「ひいいいいいいいっ!」

 考えただけで寒気がした紀乃が後退ると、ゾゾはにやりと口の端を持ち上げた。

「ですので、紀乃さん。人間を見限った際には、私の側に付けばよろしいですよ? ミーコさんは見た目だけはまだ人間らしいですが、中身はただの虫なのですよ。かといって、小松さんには私のような秀でた知能はありませんので、人類をよりよい方向に導けるのはこの私だけなのです」

「ぜ、前言撤回」

 紀乃は壁際まで逃げると、へっぴり腰ながらホウキを構えた。

「やっぱり、私、あなた達と戦うべきだと思う!」

「それはそれは。どうしてですか?」

 戸惑いもせずにゾゾが紀乃を見据えると、紀乃は肩で息をした。

「だ、だって、物騒だから! 物凄く!」

「奇妙に見えるものでも、一巡りしてしまえばそれが一番まともだということも往々にしてありますよ」

「それはそうかもしれないけど、でも」

 紀乃は唾を飲み下してから、涙目になった。

「寄生虫なんて、やだ。気持ち悪い。すっごいキモい。考えただけでキモすぎて朝御飯が戻ってきそう……」

「では、朝御飯が戻らないようなお話に切り替えましょう」

 ゾゾは紀乃に歩み寄り、紀乃が構えたホウキを指先だけで軽く押しやった。

「や、やだぁ、聞きたくないぃ」

 心底気持ち悪くなった紀乃は、青ざめていた。ゾゾが近付くことすらおぞましくなってしまい、朝食の席では笑顔を浮かべていた顔が引きつった。その様が面白くなったのか、ゾゾは紀乃との距離を狭めてきた。紀乃の小さな体はゾゾの影にすっぽりと隠れ、紀乃は唇が白くなるほど噛んでいた。埃の残る床に尻尾を引き摺って筋を付けながら、ゾゾは身を屈めて紀乃の頭上に顔を近寄せ、囁いた。

「この島には野生のヤギが生息していまして、その乳を使ったプリンを作ってみたんです」

「た……卵は?」

 プリンに反応した紀乃がゾゾを上目に見上げると、ゾゾは目を細めた。

「もちろん、野生のニワトリの卵です。砂糖はかつての島民が栽培していたサトウキビが野生化したものから」

「いつ食べられるの、それ!」

「昨日の夜に仕込みましたので、今日の午後には存分に冷えておりますことでしょう」

「じゃ、じゃあ三時のおやつってことだね!」

「そうなりますね」

「寄生虫は嫌だけど、プリンのためなら頑張れる気がしてきた」

 紀乃はホウキを握り直すと、ゾゾの下から脱した。

「さあて、御掃除だ! もう二度とプリンなんて食べられないと思ってたから!」

 一転して上機嫌になった紀乃は、先程よりも力を込めて床を掃き始めた。その様子を微笑ましく思いながら、ゾゾは窓と窓枠を拭き、次に机とベッドも拭いた。紀乃はアイドルグループの歌を明るい調子で歌いながら、床を掃き、その後は床全体に雑巾掛けをした。ゾゾは紀乃の歌詞が途切れ途切れで音程がいい加減な歌に合わせて尻尾を振りながら、冷蔵庫で冷えつつあるヤギ乳のプリンに思いを馳せた。

 おいしく出来ているといいのだが。



 午前中一杯を使った掃除を終え、昼食の後にプリンが出てきた。

 紀乃は素焼きの器に入ったプリンに木製のスプーンを差して掬ったが、少々不満に思った。その理由は下らないもので、プリンが円錐台でなかったからだ。食べられるだけでも御の字じゃないか、と自分で自分に呆れてしまうが、プリンと聞いてからずっと頭に思い描いていたのは黄色くてぷるぷるした円錐形だった。ゾゾが次にプリンを作ってくれる時があるとしたら、その時には円錐形にしてくれるように注文してみよう。無理かもしれないが。

 ヤギ乳のプリンは、大きいボウルに満たして冷やしたプリンを大きなスプーンで掬って皿に載せたものだ。ゾゾはそれだけでも充分だと言ったのだが、紀乃の注文で新たに作ったほろ苦いカラメルソースを掛けた。紀乃はカラメルソースの絡んだ硬めのプリンを信じられない気分で見つめていたが、ゾゾから促され、紀乃はプリンを味わった。バニラの香りこそしなかったが、卵のまろやかさと動物性生乳のコクが凝結した甘い洋菓子に違いない。

「プリンだぁ……」

「ええ、プリンですとも」

「でも、どうしてゾゾはプリンなんて作れるの?」

 市販品よりも濃厚で味わい深いヤギ乳のプリンが一発で気に入った紀乃は、嬉々として二口目を食べた。

「これもまた、人間を理解するために不可欠なことだからですよ、紀乃さん」

 ゾゾは自分の皿に盛ったプリンを掬い取り、口を開いて舌先で絡め取った。

「誰かを喜ばせるためとかじゃなくて?」

 紀乃は不思議がったが、ゾゾはそれを不思議がった。

「私がプリンを作ることで誰が喜ぶというのですか?」

「だって、これ、おいしいし」

 甘いものに飢えていた紀乃は、あっという間にプリンを食べ終えてしまった。

「私は、誰かを喜ばせるために行動に出ることはありません。私がこの島での生活環境を整えているのは、自分のために他ならないからですよ。いかに生体操作能力を持ってしても、栄養分を摂取したり、休息を取らなければ、私の生命活動に支障を来します。あの二人に食事や生活環境を与えているのも、お二人の特異性を間近で研究するために必要だと判断したからです。そして、あなたも」

 ゾゾはプリンを大きく掬い、皿に載った分の半分以上を口に入れた。

「あなた方を知ることは、私の願望を果たすための近道となるのです。だから、何もおかしいことはありません」

「そうなんだ」

 紀乃はちょっと残念に思い、皿に残ったカラメルソースをスプーンの端でこね回した。

「ええ、そうなのです」

「じゃ、私もゾゾのこと、知った方がいいのかな」

「それはなぜですか、紀乃さん」

「研究とかそういうことは出来ないけど、ゾゾのことが解れば、どうやって戦えばいいのかも解りそうだし」

「あなたでは私の全ては理解出来ませんよ」

「ゾゾだって、私のことなんてほとんど知らないくせに」

 少しむっとして、紀乃は唇を尖らせた。ゾゾは反論しようとしたが、それもそうだと納得した。では紀乃の精神構造を把握するにはどうするべきか、とゾゾが思案すると、貴重な電力の無駄遣いではあるが娯楽としては欠かせないテレビから、安っぽい恋愛を描いたドラマの再放送が流れていた。

「ふむ」

 ゾゾは一度瞬きしてから、紀乃を見下ろした。

「では、紀乃さん」

「それだけは嫌」

 紀乃はテレビを見てゾゾの言いたいことを察し、すぐさま否定した。

「なぜですか、紀乃さん。著しい感情の変動が発生する恋愛は、精神構造を把握するに最適ではありませんか」

 ゾゾが尻尾の先を横に振ると、紀乃はがたっと椅子を引いた。

「だって、トカゲだし! ていうか、そもそもそういう対象に見られるわけないし!」

「トカゲではありませんよ。そうですね、言うならばディノサウロイドに近しい進化を遂げた、れっきとした知的生命体ですよ。知的水準も科学技術も生物としても、人間よりも遙かに進化した位置に存在しています」

「そんなに進化しているなら、どうして地球に来たの?」

「それもまた、私のためです」

 ゾゾが空になった皿にスプーンを横たえると、紀乃は椅子の背もたれを握り締めた。

「そんなことのために、地球をどうこうしようとしているの?」

「ええ。ですが、人類も同じではありませんか。ただ、その方向性がほんの少しだけ違うだけなんですよ」

 もうよろしいですね、とゾゾは紀乃の前から皿を回収し、自分の皿と重ねて洗い場に運んだ。紀乃はすっかり機嫌を損ね、むっつりとテレビを睨んでいる。ゾゾとしては当たり前のことを言っただけのつもりなのだが、そこで紀乃が不機嫌になる理由も必然性も解らない。水を溜めた桶に皿とスプーンを浸し、冷蔵庫の中で冷え切っている残りのプリンとカラメルソースを確認してから、ゾゾは面倒臭くなる前にと二人分の皿とスプーンを洗った。

 テレビからは、女優の下手くそな演技が流れていた。



 紀乃が寝付いた頃、ゾゾは裏庭に出た。

 その手には、三人分のヤギ乳プリンの皿があり、カラメルソースもたっぷり掛かっていた。夜中は発電機の電力を別の場所に回しているので、古びた校舎には光はない。光源は澄んだ夜空から注ぐ月光だけであったが、ゾゾは瞳孔を最大限に開いているので光量に不足はなかった。虫がちりちりと鳴く草むらを掻き分けながら歩くと、暗がりの中でじっと巨体を縮めている機械の男、小松建造が半球状の頭部を回転させて赤いランプを点灯させた。その毒々しい明かりでゾゾの視界は一瞬眩んだが、すぐに慣れた。小松の操縦席では、ミーコが胡座を掻いていた。

「ゾゾ。何の用だ」

 ぎゅいんとモーターを唸らせた小松は、六本足を折り曲げてゾゾに顔を寄せた。

「ナニ、なあーにぃ、ナニナニナニ?」

 ミーコは操縦席から身を乗り出し、ずり落ちたが、何事もなく着地してゾゾに駆け寄ってきた。

「御菓子オカシおかしオカシカシカシカシカシ、どうしてどしてどおしてシテシテシテシテ?」

「紀乃さんの御機嫌を伺おうと思ったのですが、失敗してしまいまして」

 どうぞ、とゾゾが二人分の皿をミーコに渡すと、ミーコは駆け足で小松の足を駆け上って操縦席のタラップに飛び乗り、両手が塞がっているのでばんばんと乱暴にフロントガラスを蹴り付けた。小松はミーコに蹴破られる前にドアを開けると、ミーコは小松の操縦席に転がり込んできた。その勢いで傾いた皿から数滴のカラメルソースが落ちてシートを汚したが、ミーコはそれを気にせずに座り、小松の脳と脊髄の一部が詰まった生体維持装置を開けてゾゾが後から備え付けた人工臓器にプリンをそっくり流し込んで蓋をした。クーラーボックスよりも一回り大きい生体維持装置の上に両足を投げ出したミーコは、にこにこ笑いながらプリンを食べ始めた。

「そうか」

 ゾゾが合成した消化液でプリンとカラメルソースを消化して栄養分だけを吸収した小松は、ランプを点滅させた。

「ええ。そうなんですよ」

 ゾゾは軽く跳躍して小松の足の一本の上に着地すると、油まみれのシリンダーが数センチ上下した。

「なぜ、ナゼナゼナゼ? ゾゾはゾゾゾゾゾゾ、失敗シッパイしっぱい失敗失敗失敗?」

 口の周りをべたべたに汚しながら、ミーコはスプーンを囓った。

「ええ、残念ながら」

 ゾゾは小松の足の上に腰を下ろし、本日二度目となるプリンを口にした。

「私としては、紀乃さんのお気に障ることはしていなかったつもりでしたが。何がいけなかったのでしょう?」

「知らん」

 小松が突っぱねると、ミーコがけらけらと笑った。

「知らんシランしーらん! シランからシランランラン! ミーコは知ってても教えないオシエナイナイナイナァーイ!」

「おや、それはそれは」

 ゾゾは引き締まった筋肉がウロコに覆われた足を組み、その上に皿を置いた。

「紀乃さんの情報を共有することは、私達に非常に有益だと思うのですが」

「ない」

「ないないないないなぁあああああいっ!」

 小松が一蹴すると、ミーコがだんだんと内側からフロントガラスを蹴り付けた。

「その根拠はいかほど?」

 ゾゾが口元に付いたカラメルソースを舌先で舐めると、小松は首を横に振った。

「あれはただの人間だ。何の役にも立たない」

「たったなぁーい立たない立たないタタナイナイナイナイナイナイ!」

 ミーコは空になった皿をスプーンで叩き、耳障りな騒音を作った。

「それはどうでしょうね。私のお入れしたドクダミ茶をお飲みして苦いと仰っていましたから、紀乃さんは確実にこちら側ですよ。野生のドクダミに生体改造を施して薬効成分を引き上げたドクダミには、特定の因子に反応する成分が多量に含まれておりますからね。強い苦味を感じるのは、その作用の一部なのですよ。言わば試金石ですね」

 ゾゾは残り少なくなったプリンの欠片を丁寧に掻き集め、ぺろりと舐め取った。

「紀乃さんが眠っておられる間に色々と調べさせて頂きましたが、なかなか面白い変異を遂げていました。もっとも、あなた方が超能力と仰る能力は上手く発現しておりませんし、紀乃さん自身に能力を操った経験がまるでないので実用化には至らないでしょうが、まるきり無益な存在というわけではありません。生殖能力も充分ですし」

「もしかして、調べたのか?」

 あの子のアレを、と小松がやや声を低めると、ゾゾはにんまりした。

「ええ、もちろんですとも」

「変態」

「変態へんたいヘンタイへんたぁあああい!」

 侮蔑を込めて言い放った小松とは逆に、ミーコははしゃいでいた。

「生殖能力の有無を調べるのは大切ではありませんか。ミーコさんは肉体的な習慣として月経が訪れますが、長らく寄生されているせいで生殖能力は失われています。ですので、紀乃さんの生殖能力は貴重ではありませんか」

 ゾゾは立ち上がり、ミーコの手から二人分の皿とスプーンを回収した。が、小松は急に体を揺すった。

「黙れ」

「おうっ!?」

 当然、小松の足の上にいたゾゾは転げ、ミーコも操縦席から投げされた。

「きゃふひゃふぎゃふぅ!」

 頭から地面に突っ込んだミーコは奇声を上げながらのたうち回り、ゾゾも背中から落ちたが三枚の皿を死守した。二人を振り落とした小松は上体を起こし、どしゅうと背中の排気筒から高熱の排気を噴出しながら吐き捨てた。

「変態が。これだから生身のある奴は嫌なんだ」

「あなたもその生身ではありませんか、小松さん」

 皿の無事を確かめてから、ゾゾは立ち上がった。ミーコはおかしな方向に折れた首を曲げ、元に戻した。

「そうだよダヨソウダヨソウソウダヨヨダダ」

「俺は寝る。お前の話に付き合った俺が馬鹿だった」

 小松はぎっちらぎっちらと六本足を動かし、寝床にしている体育館に向かった。その場に取り残されたゾゾは、プリンのお代わりを欲しいのか物欲しげな顔のミーコを振り切り、台所に向かった。ミーコは追い縋ってきたが、ゾゾがプリンのお代わりをくれないのだと解ると、ミーコは不愉快げに舌を出してから闇の中に駆けていった。その足音を背で感じ取りながらゾゾが居間兼食堂に戻ると、テレビの前に紀乃が陣取っていた。

「おやおや、紀乃さん。眠ったのではなかったのですか?」

 ゾゾは皿を洗い場の桶に浸しながら言うと、紀乃はばつが悪そうに肩を竦めた。

「そのつもりだったんだけど、なんだか目が冴えちゃったの」

「御一緒してもよろしいですか」

 皿とスプーンを洗いながらゾゾが言うと、紀乃はちょっと躊躇ってから返した。

「別にいいけど」

 その答えが少し意外だったが、好都合ではある。ゾゾは洗い終えた皿とスプーンを洗いカゴに置き、冷蔵庫を開けて良く冷えたドクダミ茶を出した。紀乃が見ている番組は、中身もなければ深みもない芸能人のトーク番組だった。他の番組で既に披露していた話を繰り返していて、他の芸能人達はさも初めて聞いたかのような派手なリアクションを取っていた。ドクダミ茶を二つの湯飲みに注いだゾゾは、それを運びながら紀乃の背に問い掛けた。

「それ、面白いのですか?」

「どちらかって言えばつまらないけど、外にはちゃんと人間がいるって解ると安心出来るから」

 紀乃はゾゾからドクダミ茶を受け取り、その冷たさに感じ入った。半袖ジャージの襟元から覗く首筋はうっすらと汗ばんでいて、一度寝ようとしたからか顔付きは気怠げだ。ゾゾは紀乃の隣に椅子を運び、同じように並んでテレビを見ることにした。芸能人達はどうでもいい私生活の出来事を大袈裟に話しては、下らないことで騒ぎ立てていた。

「紀乃さん。何か、聞いていましたか?」

 ゾゾが尋ねると、紀乃はゾゾを見上げてきた。

「何を?」

「いえ。存じ上げておられないのでしたら、それでよろしいのですが」

 知られて困ることでもないが、知られない方が楽ではある。ゾゾはテレビに目を向け、冷たいドクダミ茶を啜った。トーク番組が途切れてCMに入ると、各企業の新商品のCMに混じって政府公報が放送された。変異体管理局からのお知らせ。突然変異体を見つけたり、身の回りでおかしなことが起きていたら、速やかに警察や行政に通報して下さい。直ちに適切な処理をいたします。

 紀乃が見慣れている政府公報のCMはそれだけで終わるのだが、今回は違っていた。紀乃の子供の頃から中学三年生までの写真がスライドショーのように流され、冷淡な女性のナレーションが重なっていた。旧名・斎子紀乃、識別名称・乙型生体兵器一号はサイコキネシス能力を持つミュータントです。変異体管理局により、変異体隔離特区へ隔離措置を行いましたが、万が一、街中で見かけたら速やかに警察や行政に通報して下さい。ただちに出動し、迅速に処理いたします。市民の安全と平和のため、ご協力、よろしくお願いいたします。

「私さぁ」

 政府公報が終わると、紀乃はぽつりと言った。

「これって、ずっと嘘だと思ってたんだ。そんな人間はいるわけないし、いるとしても全然関係ない人だって。だけど、そうじゃなかったんだ。嘘でもないし、関係ないわけでもなかったんだ」

 私は人間なのに、と切なく漏らし、紀乃はそれきり黙り込んだ。ゾゾは紀乃に掛ける言葉を考えたが、無難な言葉では却って気に障るだろうと判断して何も言わないことにした。目まぐるしく切り替わる映像を表情の失せた瞳孔に映し、洪水のように垂れ流される音声に鼓膜を震わされている紀乃は、素焼きの湯飲みを両手できつく握り締めていたが今にも割ってしまいそうなほどに力が籠もっていた。見開かれた目の端には、うっすらと体液が溜まったが、紀乃はそれを流すまいと拭い取った。

「ねぇ、ゾゾ」

 紀乃は目を瞬かせてから、ゾゾに向いた。

「私、そっち側に行ってもいいかな?」

「ええ、もちろん。拒むことなどありません」

「それってやっぱり、私が人間じゃないから?」

「いえいえ。紀乃さんだから、ですよ」

 ゾゾが頷くと、紀乃はドクダミ茶を傾けた。

「やっぱり苦いよ、これ」

「慣れますよ、じきに」

 ゾゾはドクダミ茶を傾けると、紀乃が飽きるまでテレビ鑑賞に付き合い、更に夜食にも付き合ったので本日三度目のプリンを食べた。二度目のプリンを先程食べたばかりなので三度目は鉛のように重たく感じ、ゾゾの消化機能を持ってしても胸焼けを起こしてしまいそうだった。明日の朝の腹具合を気に掛けながら、口中の甘みを流そうとドクダミ茶を啜った。草むらではりいりいと虫が鳴いていて、時折吹き付ける潮風が窓を鳴らした。

 テレビからは、二度三度と紀乃を蔑視する政府公報が流れていた。

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