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南海インベーダーズ  作者: あるてみす


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13/61

懲罰的着衣週間

「あの人の名前ってさぁ」

 報道を繰り返すテレビを眺めながら、紀乃は気怠げに頬杖を付いた。

「忌部さんって言うんだね。島と同じだね」

「なぜそれを御存知なのですか、紀乃さん?」

 朝食の後片付けを終えたゾゾは紀乃の向かい側に座り、湯飲みに熱いドクダミ茶を注いだ。

「ほら、昨日さ、帰ってくる途中で爆睡しちゃったじゃない? 超能力疲れで。だから、真夜中に目が覚めちゃって、ガニガニと一緒に散歩に出掛けたの。そしたら、海岸にヘリコプターが下りて武装した人が一杯出てきて、あの目に見えない人を捕まえていっちゃったの。その時に、インベジロウ、って呼んでいたから。字も島のと同じなんでしょ? 忌まわしい部、で、ジロウは次、それとも二?」

「次、の次郎ですよ。そうですか。知ってはいけないことを知っていることを知っていてはいけない方でしたが、知ってしまったのであれば仕方ありませんね。知っていることを知っているのですから」

 ゾゾはドクダミ茶を啜り、ほうっと肩の力を抜いた。昨日の激闘とは打って変わって、紀乃はいつものような態度に戻っていた。表情は少しぼんやりしていて欠伸混じりなので疲れは抜けきっていないようだったが、頭痛も訴えず、倦怠感もないようなので大丈夫だろう。彼女の丈夫さに感心しながら、ゾゾは紀乃の湯飲みにお代わりを注いだ。朝になったばかりなのに、開け放った窓から吹き込んでくる潮風は濃密な暑さだった。冷えたお茶ばかりでは胃腸が弱ってしまうだろう、と熱い茶を入れたが、文句を言わずに飲んでくれて何よりだ。四本指で湯飲みを包み込んだゾゾは、東京湾近海の中継映像に単眼を向けた。

 無茶苦茶な戦いではあったが、結果は五分五分だった。変異体管理局は小松の作ったミサイルを破壊するべく、パトリオットミサイルを放ったが、光学衛星を落としていたためか失敗した。すると、すぐに作戦を転回してF‐15の編隊で船ごとゾゾらを殺そうとしてきた。今度はそのF‐15を紀乃が落とし、仕返しに小松のミサイルをねじ込んで撃ち返したが、五機の戦闘機型ミサイルは全て破壊された。双方、人的被害が出なかったのは幸いだ。

「なんか、凄い騒ぎになっちゃったね」

 紀乃は自分の湯飲みを軽く浮かばせながら、神妙な顔をした。

「あのままじゃ皆がやられちゃうって思ったから頑張ったけど、何がなんだかよく覚えてないや」

「最初の戦いはそんなものですよ、紀乃さん。死なないためには、戦うしかないのですから」

「うん。そうだよね。だから、あれは悪いことじゃないんだよね」

 紀乃は二杯目の熱いドクダミ茶を飲み干してから、腰を上げた。

「ヤギを追いかけ回して乳を搾って、ニワトリの卵を拾い集めて、ガニガニの餌も集めて、薪拾いだったよね」

「米の脱穀と野菜の収穫と畑の草むしりは私の仕事ですので、どうぞお構いなく」

「じゃ、行ってくるね」

 ごちそうさま、と紀乃は湯飲みを洗い場に運んでから、居間兼食堂の教室を後にした。青いセーラーをなびかせる後ろ姿に手を振りつつ見送ってから、ゾゾは程良い苦みのドクダミ茶を啜った。ガニガニー、と巨大ヤシガニの名を呼ぶ紀乃の声が遠ざかり、廃校に響くのはテレビの音声だけになった。

 直接的な攻撃を受けたからか報道は過熱していて、インベーダーに詳しい評論家とやらが当てずっぽうの論評を行っていた。紀乃は最初から人間じゃない、だの、軍事力はどこぞの国に匹敵する、だの、いっそのこと忌部島を空爆すべき、だの、自分達に直接的な被害が及ばないのをいいことに言いたい放題だ。

 特にゾゾに対する評価はとんでもないもので、特撮番組に出てくる宇宙怪獣のように考えられているのか、画面に映し出されたゾゾの想像図は恐ろしげだった。ゾゾはくすぐったい気持ちになり、笑いを噛み殺した。人間には、好き勝手に言わせておけばいい。

 どうせ、何も変えられやしないのだから。



 凄まじい閉塞感で、息どころか血管も詰まりそうだ。

 全身にくまなく巻いた包帯のざらつき、腰を締めるベルトの硬さ、首周りを固めるカーラーのきつさ、そして何よりも衣服の重たさが煩わしかった。今すぐにでも脱ぎ捨ててしまいたかったが、そうもいかない。忌部は包帯の隙間から喘ぐように呼吸しながら、長い通路を歩いていた。海上基地の地下階は、明かりが付いていても隅に暗さが淀み、心なしか空気も重たく濁っている。忌部の革靴の足音に重なるのは、山吹のジャングルブーツの足音だった。

「まー、なんつーか、御愁傷様っす」

 山吹は自衛隊の迷彩服に身を固めていて、自動小銃を携えていた。

「乙型一号こと斎子紀乃の謀反と暴走、インベーダーらの脱走、首都圏への攻撃、そのいずれも阻止出来なかったってーことで、一週間の停職処分と謹慎、っつーか監禁っすね。俺もなんとかしようとしたんすけど、いやはや」

「で、お前はどうなったんだ。伊号の暴走を許してレーダー衛星をダメにしちまったんだろう?」

 忌部が年下の上司を見上げると、山吹は大きな肩を竦めた。

「俺っすか? 見ての通り、管理職から現場の人間に格下げっすよ。まあ、これも一週間ぐらいで終わらせるっつー話っすから、大丈夫だと思うっすけどね。自動小銃なんて握るのマジ久々っすけど、この体だと結構軽いっすね」

「そういえば、お前は自衛隊上がりだったな」

「むーちゃんを守れるんだったら、俺は変異体管理局だろうが自衛隊だろうがどっちでもいいんすけどね。今は体が体だから、そう簡単には死なないっすし」

「国防に従事する人間らしく、解りやすい動機で結構じゃないか」

「そういう忌部さんはどうなんすか、こっちの方面は」

 山吹が小指を立ててみせると、忌部はその仕草の古めかしさに脱力した。

「お前、本当に俺より年下なのか? ていうか、今の時代、それが通じると思ってんのか?」

「いいじゃないっすか、忌部さんにゃ通じるんすから。んで、どうなんすか?」

 山吹に詰め寄られ、忌部は半歩身を引いた。

「離島暮らしの俺に、浮いた話があるとでも思うのか? 大体、あの島の女っ気なんてのはガキ臭い女子中学生と寄生虫女ぐらいであってだな……」

 そうこう言っている間に、二人は分厚い扉に行き着いた。天井とその周囲も金属板に固められ、銀行の地下金庫のような錠前に閉ざされている、扉と言うよりも隔壁と言うべき代物だった。山吹は扉に備え付けられたテンキーを押してパスワードを入力し、カードキーを滑らせると、扉の内側で錠が外れた。モーターが唸り、自動的に扉が開くと、地下室らしからぬ植物と土の匂いが通路に流れ出してきた。

「じゃ、俺はこれで失礼するっす! 服、脱いじゃダメっすからね! それも懲罰の一部なんすからね!」

 山吹はくるりと身を反転させると通路に戻り、分厚い扉を閉めてしまった。そして、外から施錠された。

「……マジで監禁しやがった」

 忌部は血の気が引き、頬を引きつらせた。扉の内側には開閉装置は見当たらず、カードキーのスロットはおろかテンキーすらも見当たらない。監禁するなんて言葉のあやだろう、と頭の片隅で思っていたが、まさか本当にそんなことをされるとは。余程信用されていないのか、或いは研究対象としていじくり回す気なのか。だが、変異体管理局には現時点で多数の変異体が管理されているので、研究対象に事欠かないはずだ。今更、透明人間であるだけで大した能力もない忌部に興味を抱かれたとは思いがたい。となれば、やはり、古典的かつ効率的な懲罰だろう。

「いらっしゃいまし」

 聞き慣れぬ女の声に振り向くと、ストールを羽織った着物姿の女性が立っていた。だが、その素肌は忌部と同じく黒い包帯に覆われていて、隙間から覗く眼球の瞳孔は縦長で、人間らしさは皆無だった。四角い箱のような地下室を満たす出来の良い日本庭園に馴染みすぎていて、庭木のように存在感が薄い。忌部は向き直り、一礼した。

「どうも。一週間厄介になります、現場調査官の忌部次郎です」

「乙型二号、滝ノ沢翠と申します。以後、お見知りおきを」

 翠は腰を曲げて丁寧に礼をしてから、日本家屋に忌部を促した。

「どうぞ、こちらへ。局長さんから事情は窺っておりますので、お部屋の支度も出来ております」

「それはどうも、お気遣いありがとうございます」

「いえいえ。御客様が逗留して下さるなんて、滅多にないことですもの。張り切ってしまいますわ」

 翠は紺色の着物の袖で、黒い包帯に隠れている口元を覆った。その仕草はたおやかで、品の良さを窺わせた。会話だけ見れば良家に泊まりに来た来客と家人のようだが、忌部は懲罰の一環で地下室に監禁されるのであり、翠は元から隔離されている身だ。だから、焦ったり混乱してもどうしようもない。自業自得なのだし、甘んじて処分を受ける他はない。翠に案内されて敷石が連ねられた前庭を通った忌部は、整えられた庭木を見回した。

「剪定は御自分で?」

「ええ。どうせ、私しかおりませんゆえ」

 翠はからころと下駄を鳴らしながら、玄関の引き戸を開けた。立て付けが悪くなっているらしく、がたがたと揺れるばかりで上手く滑らなかった。見かねた忌部が引き戸を開けてやると、翠は深く頭を下げた。

「これはどうも」

「いえ、お気になさらず」

 翠に続いて、忌部も家に入った。土が剥き出しになった土間に段差の高いあがりまちのある薄暗い玄関に入った翠は下駄を脱いで揃えてから、ほとんど足音を立てずに艶のある廊下を歩いていった。忌部は革靴を脱いで揃えてから、靴下越しに床板の滑りの良さを感じ取った。地下室で光源が少ないせいでもあるのだろうが、家の中はいやに暗かった。

 太い梁に丈夫そうな柱、年季の入った雨戸、僅かにカビ臭い空気。忌部の記憶の底にうっすらと残る、本家の思い出が過ぎった。物心付く前だっただろうか、両親に兄弟共々連れて行かれた古い家の床の間に、両親を含めた親戚が、簾の奥に座っている相手と剣呑な話し合いをしていたような気がする。けれど、何を話していたかまでは覚えていない。大人達の剣幕を恐れて泣き出したことだけは、うっすらと覚えているのだが。

「こちらですわ」

 翠は障子戸を開き、床の間に面した居間に忌部を通した。コイの滝昇りの掛け軸が下げられている床の間には仏壇はなく、一瞬違和感を覚えたが、ないのが当たり前なのだとすぐに思い直した。翠しか住んでいない家に仏壇がある方がおかしい。家に見合った古さのちゃぶ台に付いた忌部の前に、翠は緑茶を出してきた。

「どうも」

「どうぞ、お上がり下さいまし」

 翠は裾に手を添えて正座し、自分の分の湯飲みに手を付けた。ちゃぶ台の上にある漆器の菓子鉢には翠の手製と思しき和菓子が盛られていて、忌部はそれに手を伸ばすか否か迷った末に一つ取った。柔らかな皮に粒あんが包み込まれた饅頭で、甘すぎずおいしかった。だが、饅頭の皮の白さとは裏腹に居間もまた薄暗いので、味がなければ何を食べているのかまるで解らない。こんな生活で、翠はやりづらくないのだろうか。

「私、局長さんから連絡を受けた時に御命令も頂きましたの」

 忌部が包帯の隙間から食べる様を観察していた翠は、膝の上で手を重ねた。

「忌部さんが局長さんのお言い付けを守られるかどうか、ちゃんと見張っておいてくれと」

「でしょうね」

 忌部は緑茶で喉を潤し、苦笑いした。翠は僅かに目線を彷徨わせてから、恥じらい混じりに呟いた。

「ですので、これから一週間、ずっと御側にいさせて頂きますわ。床も……湯浴みも」

「……え」

 なんでそんなに古い言い回しなんだよ、と忌部は本題から外れたことが気になったが、突っ込むべき部分はそれではない。翠が了承したことも不可解だが、そんなことを翠に命じた局長の考えが一番不可解だった。

「お嫌でしょうが、これは私に命じられた任務ですわ。ですので、忌部さん。どうかご容赦下さいまし」

「ちょっと待って下さい」

「はい、なんなりと」

「傍にいろ、ってのは解ります。俺は処分を受けている身ですし、監視されるべき対象でしょう。でも、なんでそれが翠さんなんですか? 他の職員でも自衛官でも何でも良さそうなものを」

「私には、局長さんのお考えは解りかねますわ。ですけど、私、嬉しいと思ってしまいましたの」

 翠は袖を下げると、顔を下向きに傾けつつも忌部に視線を向けてきた。

「私に会いに来る方なんて、ほとんどおられませんもの。たまに誰かがいらしても、私の体を調べるお医者様ぐらいなものでして、一時間もせずに帰られてしまいますの。御茶をお出ししても頂いてもらえないし、御菓子なんて以ての外でしたの。ですから、一週間も逗留なさるなんてとても嬉しゅうございましてよ」

「あなたは、本当にそれでいいんですか?」

 翠の素直さに畏怖を覚えた忌部が腰を浮かせると、翠は年相応に明るく笑んだ。

「ええ」

「俺は多少常人離れしているところはありますが、男は男ですよ。その、何かされるとか思わないんですか」

「されたとしても、後悔することなどありませんわ。だって、私の体に触ってくれる方なんておりませんもの。お医者様だって、私に触れる時は防護服越しですもの。日差しを浴びてはいけないからいつもこの格好ですし、自分でも自分の体を見たくありませんから、宅の鏡は全て取り外してしまいましたの。ですから、私の体に興味を持って頂けるなんて、恥ずかしいけれど喜ばしいと思いますの」

「それは、解らないでもありませんけど」

 座り直した忌部は制服の袖を捲り、包帯の隙間から垣間見える透き通った腕を見下ろした。忌部の肉体に興味を持つのは、翠の言う通り変異体管理局の研究者しかおらず、山吹や秋葉を除いては忌部に進んで触れてくる人間はいない。目視しづらいのに存在している肉体なんて、普通の感覚では気持ち悪いだけだ。

「ですので、忌部さん」

 半身をずらした翠は、三つ指を突いて頭を下げてきた。

「何卒、よろしくお願いいたしますわ」

「……何をですか」

 よろしくと言われても、何をよろしくやればいいのだ。忌部も三十路を過ぎた男なので、察しが付かないこともないのだが、今日が初対面の相手にそんな感情を抱くわけがない。増して、忌部も翠もミュータントであって、そういった方面に向かうべきではない生き物だ。突然変異の原理すら解明されていないのに、無闇に交配を行ってしまえば、素人考えでも良くない結果が出ると解っている。翠もそれを解っているはずだ。だから、そういう意味だと思った自分がおかしいのであって、と忌部が納得しかけていると、翠は着物の合わせ目に指を入れた。

「どうか、優しくして下さいまし」

「やっぱりそういう意味だったんですか、ていうか安直すぎやしませんか!」

 忌部が腰を浮かせると、翠は頬に手を添えて恥じらった。

「こんな機会は二度とありませんでしょうし、殿方が長逗留されるのですから、そういうことでございましょう?」

「すみません、俺、帰ります」

「ああ、お待ちになって」

 地下五十メートルの隔離施設からでは帰れるわけもないのだが。忌部は翠を振り解くべく居間を飛び出したが、翠は忌部に追い縋ってきた。出会ったばかりの女性に迫られるのは男冥利には尽きるが、忌部の性癖は露出趣味以外は至って普通だ。普通に性格が良くて普通に魅力的で普通に家庭的な女性が好きなのだ。だから、間違っても黒い包帯で全身を覆い隠しているミュータントではない。

 忌部も翠も同じ立場なのだから、こんな態度が失礼だとは解っているが、あのままでは貞操が危ういと思ってしまった。三十過ぎになって今更守るような操などないのだが、気持ちの問題である。玄関まで革靴を取りに戻る時間がなかったので、庭履きの雪駄を引っ掛けた忌部は、当てもなく逃げ回った。だが、二百メートル四方の箱庭から出る術はなく、数分後には翠に捕まえられた。

 せめて、服を脱ぎ捨てる時間が欲しかった。


 

 肉体的にも、精神的にも、息苦しい。

 監視役の域を超えた近さで忌部を見張ってくる翠の視線が、体のあらゆる部分に突き刺さっている。制服も包帯も透き通っているかのように感じ取ってしまい、神経がひりひりする。包帯で戒めていたせいでうっすらと汗ばんだ肌を湯に浸すと、少しだけ緊張が解れた。一日目でこれでは先が思い遣られる、と思いつつ、忌部はほとんど明かりのない風呂場にため息を吐き出した。古めかしい内装に似合わない電気給湯器の操作パネルだけが眩しく光っていて、他が暗すぎるせいで目に痛いほど明るく感じた。凝りに凝った肩を回し、だだっ広い湯船に手足を伸ばした。

「ああ、もう……」

 翠のことを思い浮かべるだけで、心底うんざりする。だから、着衣を全て脱ぎ捨てて風呂に入れば気分も晴れると思っていたのだが、あんなにまとわりつかれると忘れようにも忘れられない。忌部が少しでも身動きすれば反応し、便所にまでくっついてくる始末で、追い払おうにも相手の物腰が柔らかすぎるので強い言葉が使いづらく、逃げようにも逃げ切れないことは解り切っている。いっそのこと翠さんに流されちまおうか、との考えが頭を掠めたが、それではあまりにも情けない。そんなことのために、閉じ込められたわけではないのだから。

「要するに、己を顧みて反省しろってことだろ?」

 暗がりの中では自分でも目視しづらい腕を組み、忌部は自嘲した。

「甘っちょろいんだよ、俺は」

 インベーダー達を監視し、行動を抑制しつつ、情報収集に努める。それが現場調査官たる忌部次郎に与えられた任務であり、変異体管理局が求めている成果だ。それなのに忌部という男は、忌部島に配備されてすぐに元の姿に戻りたいという私利に負けてゾゾに接触し、インベーダー達に存在を認識されたばかりか良いように扱われている。敵対組織のスパイに住居の留守番を任せるぐらいなのだから、相当に舐められている。実際、忌部には四人のうちの誰一人して倒せないだろう。斎子紀乃に至っても、能力が覚醒した今では伊号に匹敵する大量破壊兵器だ。

 だったら、紀乃が裏切った段階で処分すれば良かったのだろうか。廃校の自室で無防備に眠る紀乃に手を下す機会ならいくらでもあったし、ただの少女に過ぎなかった頃の紀乃なら忌部の腕力には敵わなかっただろう。忌部の役割は監視であって暗殺ではないが、水際で最悪の事態を防ぐのが仕事であって。

「だったら、どうすりゃいいんだよ」

 裏切りは罰するべきだ。しかし、紀乃を裏切りに駆り立てているのは、他でもない人類が紀乃を裏切ったからだ。ごく普通の中学生として生きていた彼女から何もかも奪い去り、爆弾も同然に化け物だらけの島に放り込んだのは、他でもない変異体管理局であり日本国政府だ。反旗を翻されて文句を言えない、とは思うが、政府側の人間としての判断をするなら、役に立たない兵器は処分するべきだ、となる。

 忌部が甘ったるい部分を切り捨てて、職務に忠実な局員になれたとしたら、躊躇わずに殺処分許可を得ていただろう。けれど、忌部には無理だ。人間どころか世界に絶望して泣きじゃくる少女に銃を向けられるわけがない。

「いっそのこと、俺も変異体管理局を裏切れれば話は早いんだろうが」

 生憎、忌部は悪い意味で大人になってしまった。打算と利潤に保身を忘れずに立ち回れる、薄汚くて薄っぺらくてつまらない人間だ。変異体管理局に入ったのも、実験台でもいいから生き延びたかったからだ。調査官に志願したのも、少しでも良い給料をもらうためだ。

 思い切り働いてたっぷりと金を貯めて、いつの日かまともな体に戻るための資金にする。それが出来なければ、忌部島のように人界から遠く離れた場所でひっそりと暮らすために使う。それすらも出来なければ、金に物を言わせて空しい自分を満たすために使う。

「だが、それでいいのか?」

 闇が溶けた湯を掴む手は、指の間から滴る水よりも透明度が高かった。なのに、己の本心は上手く見通せない。骨も肉も透き通っているのに、心の中は淀んでいるからだ。

「くそぉっ!」

 自分への苛立ちとインベーダー達への思い入れが振り払えない甘さが相まって、忌部は拳で水面を殴り付けた。高く水柱が上がって髪も顔も濡らしたが、その髪すらもよく見えない。湯船よりも余程熱く煮え滾った頭を持て余した忌部は、一旦頭を冷やそうと風呂から上がった。

「忌部さん、どうなさいました?」

 引き戸が開き、たすき掛けをした翠が現れた。

「なんでもありません。それより、何をしに来たんですか」

 苛立ち紛れに忌部が語気を強めると、翠は黒い包帯の下で僅かに目を彷徨わせた。

「湯浴みを共になさらないのでしたら、せめてお背中でもと思いまして」

「結構です。もう上がりますから」

 忌部はすのこを引いた床を歩き、翠の横を擦り抜けて脱衣カゴからタオルを取って乱暴に体を拭った。

「でしたら、お召し替えのお手伝いだけでも」

「いらないって言ってるだろうが!」

 忌部は手を伸ばしてきた翠を振り払い、頭に血が上った勢いで喚いた。

「あなたは俺を見張っていればいいだけだ! 俺が何をしようと勝手じゃないか!」

「ですけれど」

「どうせあなたも俺と同じだ、人間に害を成すかもしれないから、訳が解らないから、気持ち悪いから、こんな場所に閉じ込められている! ただ生きているだけでだ!」

 忌部は壁まで後退った翠に詰め寄り、数センチほど開いた雨戸の隙間から差し込む光の中で声を荒げた。

「だが、俺は人殺しも出来なければ兵器にもなれない、自分でも訳が解らないモノだ!」

「忌部さん……」

 翠は怯えたように肩を縮め、包帯の下で目を伏せている。その態度の弱々しさがやけに癪に障り、忌部は彼女の肌を覆い隠す黒い包帯に手を掛けた。

「どうせ俺以外は誰も見ない、あなたにも俺は見えていない、だったら見えていない相手に隠すものなんてあるか! 体がまともに見えているだけでも、充分じゃないか! それなのに、なぜ隠す!」

 忌部の濡れた指は黒い包帯を歪ませ、緩ませ、押し広げた。自分の体を隠しているのは隠したいからではない、見えていないから見えるようにしたいだけだ。翠は見えているのに隠している。だから、腹立たしい。

 か細く頼りない光の筋が、翠の素顔を淡く照らした。日光よりも弱く、紫外線を除去しているせいで暖かみすらない白い人工光が、ひび割れた緑の肌を浮かび上がらせた。金に似た色の目にはほとんど白目はなく、瞳孔は縦長で、鼻筋は上顎と一体で、耳朶はなく、口は鼓膜の下まで裂けていた。頭部の包帯を剥ぎ取ると一対のツノも現れ、翠の正体はトカゲでも人間でもない生き物、竜人なのだと忌部は思い知った。

「仰る通りですわ」

 忌部の体の下で、素顔を曝された翠は厚いウロコに包まれた喉を上下させた。

「私はまともではありませんし、誰かを傷付けてしまうかもしれませんし、自分でも気色悪い生き物ですから、こんな場所でしか生きることが許されておりません。けれど、それで終わりたくはありませんし、やりたいことも、見たいものも、行きたいところも、いくらでもございますの。けれど」

「どこにも行けやしない。俺もあなたも、同じだからだ」

 我に返った忌部は翠の上から身を引き、包帯を元に戻そうとしたが、翠が忌部の手首を押さえた。

「構いませんわ。自分で直せますもの」

「すみません」

 居たたまれなくなった忌部が翠に背を向けると、翠は壁から背を離し、立ち上がった。

「お気になさらず。私も気にしませんわ。だって、いつも思っていることですもの」

 しゅるりと衣擦れの音がし、翠は包帯を巻き直していた。ずらりと牙が並ぶ口元、穴だけの鼻、硬そうな頬、首筋が布に隠されていく。罪悪感と好奇心が混ざった忌部が目を向けるか否か迷っていると、翠は手を止めた。

「どうかなさいまして?」

「いえ……」

 忌部が言葉を濁すと、翠はくすりと笑んだ。

「見たいのでしたら、そう仰ればよろしいのに。どうせ、忌部さん以外に見て下さる方はいらっしゃいませんもの」

 巻き直したばかりの包帯の締め付けを緩めた翠は、しゅるしゅると解いて足元に落としていった。忌部の脱衣カゴから零れ落ちている白い包帯に翠の黒い包帯が積み重なっていく様は、奇妙に淫靡だった。翠の黒が忌部の白を塗り潰し、その上に解いた帯と着物が投げ出されると、翠の肌を覆うものは白い肌襦袢だけになった。なだらかな肩と丸みのある体型は、資料にあった通りの二十歳の女性には違いない。だが、肌襦袢の背中からは一対の翼が飛び出し、裾からは太い尻尾が垂れ下がり、両手足の五本指の間には薄い膜が張っていた。

「どうぞ」

 翠から手を差し伸べられ、忌部は躊躇いつつもその手を取った。最初に感じたのは肌の硬さと爪の鋭さで、次に人間らしからぬ体温の低さだった。翠はその両手で忌部の手を包み込むと、面差しを和らげた。

「忌部さんの手は、温かいのですわね」

「風呂に入っていたせいだと思いますけど」

 忌部は急に恥ずかしくなり、薄着の翠から目を逸らした。体が透き通っているせいか、忌部は暗がりでもやたらと目が利く。光源があれば尚のことで、常人には豆電球よりも弱く薄い窓明かりだけで翠のあられもない姿もはっきりと見えている。翠の姿形がトカゲだったことが幸いして、欲情せずに済んでいるが。

「他の方に触れるのなんて、何年振りになりますかしら」

 翠は忌部の手を自身の頬に寄せ、切なげに厚い瞼を伏せた。

「もう少しだけ、私に触っていて頂けませんこと。そうすれば、余計なことはいたしませんわ。御布団だって別の部屋にお引きいたしますし、みだりに近寄ったりはしないと約束いたしますわ」

「それだけで、いいのなら」

 忌部は手のひらに重なる翠の頬に指を添え、形をなぞった。翠はため息とも喘ぎとも取れる声を細く漏らし、忌部の手が頬をなぞる感触を味わっていた。ざらざらとした肌触りに硬い手応えは爬虫類であり、体毛が一本も生えていない代わりにツノが生え、牙も備えた翠は忌部以上の異形だ。乳房の膨らみと腰の華奢さを見逃せば、女性だということも解らないだろう。

 感極まったのか、翠は膝を折ってよろめいた。忌部が戸惑いながら受け止めると、頑丈そうな見かけとは裏腹に驚くほど体重が軽かった。ウロコの下の肉は薄く、骨張っている。忌部の手が支えた肩は小刻みに震え、嗚咽を堪えて喉を引きつらせている。強烈な同情に襲われ、忌部は翠を抱き締めた。

 腕の中で泣いたのは、ただの痩せた女だった。



 滑りが良くなった引き戸を、何度も開け閉めする。

 忌部は昨夜の自分の行動を何度となく後悔しながら、滑車の動きを確かめた。玄関の枠の歪みが原因だったら、忌部ではどうにも出来なかっただろうが、幸いなことに滑車が錆び付いていただけだったので注油するだけで充分だった。

 からからと気持ち良く前後する引き戸を止め、忌部はその場に座り込んだ。翠を抱き締めた手応えが未だに抜け切らず、細い骨格の頼りなさと硬い肌の滑らかさが染み付いている。手を出さないつもりでいたんだけどな、いやあれは手を出したわけじゃない、と忌部は自分に言い訳するかどうかを悩みながら、引き戸を開けた。

「直りまして?」

 すると、翠が現れたので、忌部はちょっと驚いた。

「え、ええ、まあ」

「良かったですわ。滑りが悪くて、ずっと不便でしたの」

 翠は黒い包帯の下から微笑みかけてから、家の中を示した。

「それと、忌部さんに御電話ですわ。山吹さんからですの」

「電話?」

 基地内との連絡手段があってもおかしくはないが。忌部は革靴を脱いで玄関から上がり、居間に入った。壁際の茶箪笥にはこれまた古めかしい黒電話があり、受話器が横たえられていた。

「忌部だが」

 忌部が受話器を耳に当てると、山吹の能天気な声が届いた。

『おはようっす忌部さん、元気してたっすかー? てか、ぶっちゃけ翠さんとどうなったんすかー?』

「最初に聞く用件がそれか、監督官どの」

 山吹の気楽さに忌部が軽く苛立つと、山吹はへらへらと笑った。

『いいじゃないっすかいいじゃないっすか、定期連絡なんて普通にしたってつまんないんすから』

「俺はその普通を追求する男であってだな。んで、そっちはどうなんだ」

『外の方は相変わらずっす、相変わらずー。だから、忌部さんが心配することないっすよ』

「いや、心配するべきだろうが、俺の立場上。もっとこう、建設的な言葉を掛けてくれよ、管理職なんだから」

『いやいや、しがない中間管理職っすよ、中間管理職。だから、こんなことは二度はごめんっすからね? 上と下との板挟みー、ってほどひどくはないっすけど、俺だって色々と苦労してるんすから』

「ああ、もちろんだ。以後気を付ける。お前も田村に心配を掛けないよう、ちゃんとやれよ」

『そんなん、言われるまでもないっすよ。んで、忌部さんは翠さんとはフラグがビンビンに立ったはずじゃ』

「交信終了!」

 がちゃんと受話器を下ろし、忌部は通話を切った。障子戸の隙間からは翠が忌部を窺っていたので、忌部は顔に巻き付けた白い包帯の下から笑い返した。

「なんでもありませんよ。次は何をすればいいんでしょうか?」

「そうですわね、あの木の枝なんですけれども」

 翠は枝振りが良くなりすぎた庭木を指したので、忌部は再び玄関から外に出た。包帯のざらりとした違和感が肌を擦って背筋に寒気を呼ぶが、翠の前では服を着ていなければならないような気がした。理由は異なるが、同じように包帯で素肌を隠している彼女と並ぶと、ほんの少しだけだが引け目が失せる。包帯に隠れて見えないが、翠の声色も柔らかくなるような気がする。いずれも気がするだけであり、根拠はどこにもないが。翠を支えられるようになれば、忌部自身にも芯が出来るかもしれない。もっとも、翠にとっては迷惑なだけかもしれないが。

 残りの六日間も、命令通りに服を着て過ごそう。素肌を外気に曝せないせいで鬱積するものはいくらでもあるが、それは忌部島で発散してしまえばいい。今は、自分を律し、罰し、見つめ直すために必要な時間なのだ。

 内なる世界ほど、目に見えないものだ。

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