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南海インベーダーズ  作者: あるてみす


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突発的鉄屑流星群

 破壊行為は、迷惑を掛けない場所でするに限る。

 肩どころか全身で荒く呼吸しながら、紀乃は額から垂れ落ちてくる汗をハンドタオルで拭った。背後に控えているガニガニは鋏脚で目を覆っていたが、そろりと目を出した。その怯えように紀乃は少し心が痛んだが、訓練のためには仕方ないことだと開き直った。紀乃の数メートル前には風化して今にも崩れ落ちそうな家屋があり、板張りの壁は石の雨を浴びせられたかのように細かな傷が付いていた。

「えーと、次はなんだっけ」

 紀乃は思い出せるだけ嫌なことを思い出しながら、海岸で拾い集めた小石を手にした。

「学校、部活、通学、家のこと……」

 ごく普通の日常生活だからこそ、嫌なことは尽きない。家族や友人の前では言いたくても言えないこともあったし、明るく振る舞っているからこそ溜め込んできた。それをここぞとばかりに吐き出すついでにエネルギーに変換して、不安定な超能力の底上げに、と思っていたのだが、世の中そうも上手くいかない。

 手の中で小石を弄びながら、紀乃はむくれた。先日、火山の蒸気で温泉卵を作るために小松に手伝ってもらって山登りをして見つけた東側の集落は、ガニガニと一緒に探検し尽くしてしまった。廃屋に残っていた古めかしい家財道具は、最初に見た時は面白かったがすぐに飽きてしまった。木造平屋建ての家屋は風化しているか草木に浸食されているかのどちらかで、遊ぼうにも危なくて遊べない。伸び放題の雑草に埋め尽くされている田畑は、ガニガニが歩き回ったおかげで均されてきたが、地面が緩くて走り回れない。そこで紀乃が見つけた遊びは、超能力の訓練を兼ねたストレス発散だった。だが、その成果もあまり芳しくなかった。

「すっごい嫌なことばっかり思い出してんのにっ!」

 紀乃は振りかぶって小石を投げたが、腕力で飛んだだけだった。

「どうして超能力が出ないかなーもうー!」

 集落全体を揺らがす紀乃の罵声に、ガニガニは精一杯巨体を丸めた。

「私の人生台無しにしたくせに、役に立たないってぇのかあーっ!」

 二個目の小石を掴んだ紀乃は叫びながら投げたが、やはり腕力で飛んだだけで、壁を貫通せずに跳ね返った。超能力が出さえすれば、小石はもっと速く飛んで壁どころか建物自体を貫くはずなのだが、上手くいかない。苛々した紀乃は小石の山を蹴り飛ばすと、ガニガニが頭を抱えて縮こまった。

「あ、ああ。別にガニガニに怒っているわけじゃなくて、自分に対して苛々してるだけだから」

 紀乃は取り繕うが、ガニガニは複眼を覆っている鋏脚をますます縮めた。すっかり怖がられてしまった。

「そんなつもりじゃなかったんだけど……」

 紀乃は気まずくなり、散らばった小石と傷だらけの廃屋を見やった。元の暮らしに戻りたい、という具体的な目標が出来たから張り切っただけだ。そのためにも中途半端な超能力を自在に使えるようにしなければ、と思って毎日訓練に勤しんでいるが、この様だ。前に進むどころか同じところで足踏みしているだけで、本当は自分には超能力なんてないんじゃないかとすら思ってしまう。ゾゾの助力を受けるのは癪だし、ミーコと小松は論外だ。だから、一人でどうにかしようと頑張ってみているのだが。

「でも、矛盾も感じるんだよね」

 紀乃はガニガニを撫でて慰めてから、その足に寄り掛かった。

「私が超能力を鍛えると、それだけ人間離れするってことになるわけで、元の暮らしに戻れる可能性が遠のいていくんだよねぇ。でも、せっかく超能力があるのに持て余すのは勿体ないし、何かあった時に自分の身ぐらいは守れなきゃ情けない。だけど、やりすぎると、私は正真正銘の生体兵器になっちゃうわけでー……」

 紀乃は仰け反り、ガニガニの外骨格に後頭部をぶつけた。

「私は悪役にはなりきれないよ。でも、このままやられっぱなしってのも悔しいんだよね」

 ミーコが次々に巨大生物を作って本土に送り込んでいるのを見ると心が痛む。ゾゾが良からぬことを企てている気配を感じるとぞっとする。小松が造っては壊している奇妙な機械の山を見ると薄ら寒くなる。だが、紀乃は彼らの側に付いた。一時の感情で下した決断ではないし、覚悟も決めたつもりだ。だから、力がなければ。

「強くならなきゃ」

 ガニガニの足から背を外した紀乃は、小石をまた拾おうとしたが、ガニガニに一度振り返った。複眼を隠していた鋏脚を外したガニガニは、垂らしていたヒゲをぴんと立てた。その奥で触角を細かく動かし、言葉を出すかのようにかちかちと顎を小刻みに鳴らしていた。その様子に、紀乃はふと表情を緩めた。

「でも、今日はこの辺にしておいて一緒に遊ぼうか、ガニガニ」

 かちん、と一際高い音を発したガニガニは両の鋏脚を振り上げた。その喜びように、寂しがらせちゃったんだな、と察した紀乃はガニガニの頭を下げさせ、飛び出した目と触角の間に体を入れた。青黒い外骨格を撫でてやりながら、どうやって強くなるべきか、どんなふうに強くなるべきかを考え込んだ。強くなるにしても、方向性を間違えては何の意味もない。すると、ガニガニが上体を持ち上げたので紀乃は足が浮き上がった。

「うわっ」

 滑り落ちかけた紀乃がガニガニの頭を掴むと、ガニガニはそのまま体を起こして歩き出した。

「ちょっとぼんやりしちゃってて、ごめんね」

 がちん。否定、或いは負の感情を示す音。少し怒らせてしまったらしい。

「ごめんってばー、ガニガニ」

 紀乃は落とされないようにするために甲羅まで這い上がるが、ガニガニの歩調は緩まなかった。寂しがらせた上に遊ぶと言ったのに何もしなかったのでは怒らせて当然なので、紀乃は言い訳も出来なかった。ただでさえ自分の情けなさに打ちのめされているのに、ガニガニにまで嫌われたら立ち直れない。

 急にガニガニが立ち止まったので、甲羅に乗っていた紀乃はつんのめった。何事かと顔を上げると、ガニガニの正面に小さな社があった。かつては赤かったであろう鳥居が苔とツタで緑色に染まり、古ぼけた社は敷地と草むらの境目がなくなっていた。ガニガニは鋏脚を高く振り上げ、鳥居を叩きのめして真っ二つにへし折った。続いて社に振り下ろして容易く粉砕し、木屑まみれの鋏脚を掲げたガニガニは勝ち誇っているかのようだった。

「え、何?」

 紀乃がきょとんとしていると、ガニガニは真ん中から折れた鳥居をべちべちと殴り付けた。

「もしかして、自分が強いから強くならなくていいって言いたいの?」

 紀乃が尋ねると、ガニガニはかちかちかちと素早く顎を打ち合わせた。

「ありがとう、ガニガニ」

 その気持ちが嬉しくて紀乃は気持ちを緩め、仕切り直すために立ち上がった。

「そんじゃあ、今日は思いっ切り暴れちゃおうか! 行けぇ、機動甲殻類ガニガニー!」

 紀乃は手始めに手近な民家を指すと、ガニガニは紀乃の指した方向に突っ込んだ。全長八メートルもの巨大ヤシガニの体当たりを受けた民家は簡単に壁が壊れ、屋根が崩れた。かつての住人達の営みの名残があったような気がしたが、どうせ誰も住んでいないので紀乃もガニガニも構わなかった。壁を潰し、床を割り、屋根を吹き飛ばすと、なんだか気分も晴れてきたので調子付いた紀乃は、また別の民家を指した。すると、ガニガニは迷わず突っ込んで景気良く破壊し、鋏脚を上下させて勝ち誇った。やっていることはちょっと規模の大きいイタズラレベルだが、一気に自分が悪役らしくなれた気がして、紀乃は更にそれっぽくするために高笑いしてみた。

 面白いようにストレスが消えた。



 散々破壊行為を行って遊び終えた紀乃とガニガニは、西側の集落に戻った。

 鳥居と社を壊したおかげか、小さな発見もあった。瓦礫の下で光るものがあったので掘り返してみると、割れた銅鏡と一緒に赤い勾玉が落ちていた。素材は珊瑚か瑪瑙(めのう)かは解らなかったが、艶々して綺麗だった。紐を通せそうな穴も開いていたので、せっかくだからとその勾玉を拾ってきた。どうせ他の誰も住んでいないのだから、咎められることもないだろうし、バチも当たるまい。私物の中に丁度良い紐があったかなぁ、と考えながら、紀乃はガニガニの背に揺られて帰ってきた。丁度、畑ではゾゾがたわわに実った野菜を収穫していた。

「ただいまー」

 紀乃が声を掛けると、カゴを抱えたゾゾは振り向いた。

「お帰りなさい、紀乃さん、ガニガニさん」

「ガニガニ、下ろして」

 紀乃がこんこんと甲羅を叩くと、ガニガニは這い蹲った。紀乃は鋏脚を伝って地面に降り、ゾゾに駆け寄った。

「ゾゾ、いいもの見つけちゃった」

「おやおや、それはなんですか?」

 ゾゾはキュウリとトマトが詰まったカゴを脇に抱えて紀乃に向くと、紀乃は赤い勾玉をポケットから出した。

「ほら、これ! あっちの集落であば、じゃなくて、ガニガニと遊んでたら見つけたの」

「御社に近付いたのですか?」

 ゾゾはやや瞼を細め、首をぐいと伸ばしてきた。紀乃はまずいことをしたのかと直感し、誤魔化した。

「あー、うん。ちょっとね。で、中に入ったら、あったから……。まずかった?」

「いえ。まずいということはありませんが、それをどうするおつもりで?」

「綺麗だから、紐でも通してペンダントにでもしようかと思って」

「そうですか」

 ゾゾは少し考えるように瞼を閉じていたが、廃校に向いた。

「でしたら、お気を付けて下さいね」

「何に?」

 紀乃はゾゾの背に問うたが、答えは返ってこなかった。首を傾げながらガニガニを見上げるが、ガニガニから答えが返ってくるはずもなく、ゾゾの態度に違和感を感じずにはいられなかった。しかし、これといって思い当たることもなかったので、勾玉をポケットに戻した紀乃は廃校に続く坂道を昇ろうとすると、あの声が飛んできた。

「ミーコがミーコのミヤモトミヤコー!」

「うわぁっ!?」

 直後、紀乃の背中にミーコが覆い被さって正面から転んでしまった。紀乃が辟易しながら顔を上げると、得意満面のミーコは大きめの乳房が上下するほど勢い良く胸を張った。

「乾いたイタイタイタ! 治ったッタッタッタ! 元に戻った戻る元通りドオリドオリドオリリリリ!」

「うそーん」

 紀乃は本当に信じられず、古臭いリアクションを返した。水気を吸って膨張していた顔も、青紫に変色していた肌も、腐敗ガスと汚物で膨らんでいた腹部も、今にも腐り落ちそうだった目玉も、何もかもが以前のミーコに戻っていた。それどころか、健康そのものだ。日に焼けた肌の張りも、ざんばらに切った髪の色艶も、快活な表情も、水死体だったとは思いがたい。というより、あの水死体から、ミーコに良く似た別の人間に寄生虫を移し替えたのでは。

「ちょっとごめんね」

 紀乃はミーコを押し退けて上体を起こすと、彼女のTシャツを捲り上げた。女の目から見ても形の良い張りのある乳房と引き締まった腹部に掛けて、一直線の切り傷とジグザグのいい加減な縫い目が出来ていた。糸に触ってみると、これもまた信じられないことにワイヤーだった。となればやはり、ゾゾが海から拾ってきて、小松が開腹して天日干しして塩抜きした、あのミーコに間違いない。

「ヤンヤンヤーン」

 ミーコは男物のTシャツを下ろしてジーンズの裾に押し込み、頬を膨らませた。

「今更恥ずかしがることでもないだろうに。何度も一緒にお風呂に入ってんだからさぁ」

 紀乃は立ち上がり、セーラー服に付いた砂や泥を払った。

「紀乃紀乃ノノノ、エッチヘンタイヘンタイタイタイタイ!」

 ミーコは体の前を隠して身を捩ったので、紀乃は頬を引きつらせた。

「本体が寄生虫だって解っていると、どうリアクションすればいいやら……」

「お返し返しエシエシエシー!」

 にたにた笑いに戻ったミーコは紀乃に飛び掛かり、セーラー服とスカートを一度に捲り上げた。

「ひぇああああああっ!?」

 紀乃は反射的に胸の前を押さえたが、防ぎきれずに背中と太股と尻が丸出しになった。暑さとは違った意味で熱が頭に昇ると、何かが頭の中で噛み合う感触がした。それが何なのかを掴みきる前に、突然足元から突風が発生した。あ、スカートが全部アウトだ、と紀乃は羞恥心の一方で冷静に捉えていると、突風が鞭のようにしなってミーコが吹っ飛ばされた。訳の解らない悲鳴を上げながら坂道を転げ落ちていくミーコを見、紀乃は目を丸めた。

「あれ」

 手応えがあったはずだが、両腕はセーラー服を押さえている。ガニガニを見上げると、彼は触角を立てている。

「ガニガニ、じゃないよね」

 紀乃が呟くと、ガニガニはがちんと否定の音を出した。

「じゃあ、私?」

 半信半疑で、紀乃は自分の両手を見下ろした。だが、超能力だとしても、今の今までまともに扱えもしなかったではないか。それが急に使えるようになるなんて、どう考えてもおかしい。だったら、なんでもいいから動かしてみよう。紀乃は足元にあった石を見つめると、触れてもいないのに浮き上がって手元まで近付いてきた。

「……えぇ」

 泥の付いた石を両手に収めた紀乃は、急に怖くなった。あんなに超能力を使いたいと思っていたのに、いざ使えるようになると畏怖してしまう。慌てて石を放り投げた紀乃は、ガニガニを急かして廃校に駆け戻った。ゾゾが昼食の支度を手伝って下さいと呼んできたが、答えずに衛生室に飛び込んだ。引き戸を乱暴に閉めてスニーカーを脱ぎ捨てると、ベッドに昇って頭を押さえた。暑さとは異なる熱が脳に広がる感触と、思った通りに物体を動かせた爽快感と、それを塗り潰すほどの戦慄に負けそうだった。どくどくと心臓が暴れ、呼吸が上手く出来ない。

「動け」

 紀乃が念じると、その通りに戸棚のガラス戸が開いた。カーテンがめくれ上がった。電球に笠を被せた電灯が風もないのに揺れ、ぎいぎいと付け根が軋んだ。傘に積もっていた埃が舞い降りると、床に小さな影を落とした。

「私、やっぱりそうなんだ」

 嬉しいようでいて、物凄く辛い。紀乃は汗まみれの体をベッドに横たえると、カーテンが波打ち、生温く湿った風を送ってきた。この力があれば戦える、きっと元の暮らしに戻れるはずだ、と思う一方で生体兵器として扱われた理由を確信せざるを得なかった。もしかしたら、ゾゾ達とも対等に戦えるかもしれない。けれど、それだけは出来ないし、してはならない。ガニガニを大事に思うくせにゾゾ達を蔑ろにするのは、紀乃が変異体管理局から受けた仕打ちと同じだからだ。紀乃はぐっとセーラー服の袖を握り締めてから、汗と共に滲んだ涙の端を拭って身を起こした。

 ゾゾの手伝いをしなければ。


 

 翌日。携帯電話のストラップの革紐を通し、勾玉はペンダントにした。

 それを首に提げた紀乃は、ガニガニの散歩の名目で海辺に向かった。集落の中では、うっかり超能力が暴発してゾゾの田畑や廃校が壊れてしまうかもしれない。だったら、最初からモノがない場所で練習すればいい。珊瑚礁の砂浜にやってきた紀乃とガニガニは、超能力の練習をしても大丈夫そうな、浅瀬に面した岩場を見つけた。カニはカニでも泳げないガニガニは、海に入れないので木陰から見守ってくれていた。

「さあて!」

 紀乃は岩場に仁王立ちすると、一際強い潮風がセーラーと髪を揺らして通り過ぎた。

「まずは物を浮かせる練習からしなきゃ」

 紀乃は少し考えてから、海面を見下ろした。海水は見るからに扱いづらそうだが、いい練習になりそうだ。昨日、物を動かした感覚を懸命に思い出しながら、紀乃は両手を差し出した。目に見えない手を伸ばすかのような気持ちで、力を外に出す。本当は触っていないのに手応えがあり、海水の粘り気と重みが見えない手に絡む。ぐっと掴む、はずだったが、ごぼりと崩れて大きな気泡が立った。途端に手応えも失せ、紀乃は詰めていた息を緩めた。

「難しい……」

 屈んで波間に手を入れ、掬い取ってみるが、指の間から生温い海水が滴り落ちた。手で触れても上手く掴めない物体を、果たして超能力で持ち上げられるのだろうか。いきなりレベルを上げすぎたかな、と早くも挫折しかけたが、ここで踏ん張らなければいつまでたっても中途半端なままだ。紀乃はばしゃりと海水を握り潰し、立ち上がった。

「努力と根性だ! それさえあれば宇宙だって救えるってどこぞの誰かが言っていた!」

 紀乃は海水に濡れた手に拳を当て、声を張った。木陰からは、ガニガニが鋏脚を上げて応援してくれていた。

「見ててよね、ガニガニ! 頑張っちゃうんだから!」

 親指を立てて応えてから、紀乃は遙かなる海原に向き直った。頭の中に凝る力を広げられるだけ広げ、掴めそうで掴めない海水に届かせた。すると、肌を舐めるように波の揺らぎが伝わってきた。潮の匂いよりも濃い体液じみた液体の気配が直接鼻腔を突き、濡れてもいないのに泡立った飛沫の冷たさが至る。自分の手が、体が、あらゆるものが拡大していく。背後の枝葉の硬さや風の優しさや日差しの鋭さや、紀乃を包む全てのものが感じ取れた。

 とぷん、と大きめの波が、岩場にぶつかって持ち上がった。それを見定めた紀乃が腕を振るうと、波が断ち切れ、波の形のまま空中に掬い上げられた。数秒と立たずに崩れて流れ落ちたが、確かに波を切り取れた。

「うお」

 自分のことながら感心した紀乃は、間を置いてから嬉しくなった。

「じゃあ、もっと凄いことが出来るかも!」

 感覚さえ捉えられれば、目標物に触れられる。そして、動かせる。目に見えない刃を放つように、紀乃は次々に波を切り取っては崩れさせた。上手くいくと二三の波が一度に切り取れ、飛沫の粒を空中に縫い付けられた。海水を切る感覚に慣れてくると、次はその下に感覚を伸ばした。硬く細かな砂粒と珊瑚の欠片に手を突っ込んだかのような感触が、肌ではなく神経に直接入り込んでくる。神経から脳に、脳から外側に、目に見えない感覚に。

「どぁあああっ!」

 気合いと共に紀乃が両腕を突き上げると、海水が裂けて浅瀬の底から砂が噴出した。

「すっげーマジ自分すっげー! 凄いよね、ね!」

 紀乃がガニガニに同意を求めると、ガニガニは拍手するように鋏脚を打ち鳴らした。

「よおし、んじゃ次は」

 自信が付いてきた紀乃が海面を見据えるが、その波間が歪んだ。あれ、と違和感を感じた時には手遅れで、体が傾いて海面に打ち付けられた。その衝撃と口と鼻に滑り込んできた海水の塩辛さで意識を戻し、立ち上がったが、またも目眩に襲われて岩場に手を付いた。せめて海から離れなければ、と歩き出すが、波と砂に足を取られた上に服が濡れて重たい。苦労して砂浜に這い上がったが最早限界で、紀乃は捻れて回転する世界と戦っていた。

「おい、大丈夫か」

 頭上から、小松ともゾゾとも違う声が掛けられた。

「う、うげぇ」

 紀乃は言葉を返そうとしたが、頭痛と目眩に伴う気持ち悪さでえづいた。

「いきなり調子に乗るからだ。ほら、立て」

 誰かの手らしきものが紀乃の両脇を支えて持ち上げてくれたが、やはり姿は見えない。混乱しながらも、その誰かに引き摺られて日陰に連れ込まれると、ガニガニが心配そうに近付いてきた。

「能力の扱いに慣れていないミュータントにありがちな症状だ、少し休めば治る」

 目に見えない誰かは紀乃を横たわらせると、傍に座ったらしく、砂が擦れてへこんだ。

「あー、そう、なの?」

 疲れ切った紀乃が力なく呟くと、目に見えない誰かはガニガニから距離を置くように体をずらした。

「そうだ。ろくに訓練も積んでいないのに、大物に手を出す奴があるか。物事には手順というものがある」

「うー……。気持ち悪いぃ……」

 乗り物酔いと貧血と風邪が一度に来たような具合の悪さに、紀乃は低く呻いた。調子に乗っていたなんて思っていなかったし、まだまだやれると踏んでいた。だが、予想以上にエネルギーの消耗は激しかったらしく、頭痛と同時にひどい空腹も訪れた。しかし、こんな状態で物を食べたら絶対に吐いてしまうので当分は我慢しなければ。

 そういえば、この人はなぜ姿が見えないのだろう。けれど、声も聞こえるし、紀乃を支えてくれたし、あの夜はゾゾが作った夕食を食べていた。となれば、幽霊ではないのだろうが、姿形見えないのは妙だ。思考回路が上手く噛み合わないながらも考えた紀乃は、ようやく察した。

「透明人間、とか?」

「なぜ解った?」

 目に見えない誰かは動揺したらしく、語気が上擦った。紀乃は濡れたスカーフを抜き、額に乗せた。

「だって、目に見えないのに触れたりするのってそういうことじゃん?」

「まあ、そうだな」

「消去法するまでもないって感じ?」

 紀乃はスカーフで目元を覆うと海水が目に染みたが、心地良さには変えられなかった。

「管理局の人なんだよね? それじゃあ、私みたいな力があったりするの?」

「生憎だが、俺はアメコミのヒーローじゃない。多少目に見えづらいだけで、スーパーパワーなんて持っちゃいない」

「それって楽? それとも残念?」

「どっちもだ」

 目に見えない男の声色は平坦で、簡潔だった。紀乃が超能力をまともに扱えるようになる前に抱いていた感情と同じで、立場は違えども通じるものがあるようだ。けれど、この男は味方ではない。紀乃を乙型生体兵器にした連中の一員だし、最初に助けてくれなかった。だから、信じるつもりはない。

「一応、忠告しておく。力が扱えるようになったからといって、派手なことはするな。今度こそ目を付けられる」

「そりゃどうも。でも、こんなんじゃ、派手なことなんて出来ないよ」

 紀乃がひらひらと手を振ると、目に見えない男は一笑した。

「それもそうかもしれないな。だが、俺はお前らの行動を監視し、阻止するのが仕事だ」

「その割に、ミーコさんが暴走しまくってんだけど。職務怠慢もいいとこじゃん」

「ただ透明なだけの人間が、体長数十メートルの巨大生物をどうこう出来ると思うのか」

「あ、ごめん」

 紀乃が平謝りすると、目に見えない男は腰を上げて砂を払った。

「熱中症にならないうちに帰ることだな。お前の身に何かあったんじゃ、俺がゾゾに殺される」

「だね。そうするよ」

 紀乃が頷くと、目に見えない男の足音が遠ざかっていった。代わりにガニガニの顎の音が近付いたので、紀乃はスカーフを目元から上げて手を差し出し、不安げに触角とヒゲを下げたガニガニの顎を撫でてやった。そのお返しと言わんばかりに触角の先で頬を撫でられ、紀乃は少し笑った。気分の悪さはまだ抜けていなかったが、ガニガニと一緒なら廃校まで帰れる。そのためには、ひとまず起き上がれるようにならなければ。

 超能力の余韻は、頭どころか全身に倦怠感を生んでいた。



 頭痛が治っても、上手く寝付けなかった。

 何十回目か解らない寝返りを打ち、強引に閉じていた瞼を開けた。暗がりに目が慣れ切っていたので、月明かりだけで部屋の様子を捉えられた。窓の外からは涼やかな虫の音色が聞こえるが、今は耳障りでしかない。体温と汗が染み付いたベッドに横たわっているのが耐えきれず、紀乃はタオルケットを跳ね上げて起きた。カーテンを開けて青白い光に照らされた外の景色を窺うと、ガニガニの巣は空っぽだった。夜行性なので、夜中に一人で散歩に出たようだった。ガニガニまでいないとなると、後はラジオで暇潰しでも、と思ったが、遠くから聞こえてくる声を聞くだけでは物寂しい。カーテンを締め、紀乃は意を決した。

「ゾゾのところに行こう」

 こんな夜中に起きていそうなのは、ゾゾぐらいなものだ。いくら寂しくても、小松やミーコは当てにならない。紀乃は電灯を付け、顔を軽く洗ってから寝癖の付いた髪を梳かし、一応の体裁を整えてから、衛生室を出た。

 昼間は暑苦しい廊下も、夜中は程良く涼しい。かかとを潰して突っかけたスニーカーをぱたぱたと鳴らしながら、今までは近付いたこともない職員室に向かった。衛生室や他の教室と同じく達筆すぎて読みづらい表札が掛かっており、引き戸の磨りガラスからは長方形の明かりが伸びていた。

 若干緊張しながら、紀乃は引き戸を開けた。教室より一回りほど狭い部屋には木製の事務机が並び、天井にまで届く本棚には使途不明の本が詰め込まれていた。だが、机の回りにゾゾの姿はなく、明かりが付いているのは黒板がある側だった。しかし、そちらにもいない。

「ゾゾ、いる?」

 紀乃が中を見渡していると、黒板の左隣にあるドアが開いてゾゾが顔を出した。

「おやおや、紀乃さん。いかがなさいましたか」

「あれ、そっちにも部屋があるの?」

 紀乃が不思議がると、ゾゾは彼の体格には狭すぎる枠から巨体を引き摺り出した。

「ええ。職員室は知的好奇心を満たす場として使用しているので、校長室で寝起きしているのです」

「そういえばそうだよね。校長室って職員室に繋がっているもんね」

「それで、今夜はどうなさいましたか。夜這うおつもりですか」

「んなわけないじゃん」

「では、いかなる御用で」

「寝付けないだけだよ。でも、一人でいるのはつまんないから」

 手近な机の椅子を引いて紀乃が腰掛けると、ゾゾはその隣に座った。

「それで私のところへと。とてもよろしい判断です」

 太い尻尾の先が床を擦り、横に揺れていた。オレンジ色の電球の光を背中から浴びたゾゾは、逆光ながらも表情はよく解った。至近距離だからというのもあるが、単眼は大きく見開かれ、耳元まで裂けた口元が緩んでいたからだ。そんなに喜ばれると却って気恥ずかしくなったが、今更引き下がれまい。

「昼間に超能力使ってぶっ倒れたから、そのせいだと思うんだけど」

 紀乃が額を押さえると、ゾゾは頬杖を付いた。

「それはそれは。さぞお困りでしょう」

「でも、ガニガニも巣にいないし、まさかあの二人と話して暇潰しするわけにもいかないしで、だからゾゾのところに来ただけ。ガニガニがいたら、そっちに行ってたもん」

「承知しておりますとも」

 ゾゾは頷いたが、落胆を隠し切れていなかった。だが、二人きりで同じ部屋にいるというのも落ち着かない。また変なことをされては困るし、疲れが抜け切っていないのに超能力が暴発したら頭痛どころではなくなりそうだ。となれば、体を疲れさせて眠るに限る。紀乃はじっとこちらを見つめてくるゾゾの様子を気にしながら、話を切り出した。

「あの、さぁ」

「はい、なんでしょう?」

「外、行かない? じっとしてても眠くならないだろうから、その辺歩き回った方がいいような気がして」

「異論はありません。では、参りましょう」

 ゾゾは椅子から腰を上げると、四本指の手を差し伸べてきた。紀乃は目線を彷徨わせて躊躇ったが、ゾゾの手に自分の手を重ねた。ゾゾの肌にまともに触れたのはこれが初めてだったが、思っていたよりも冷たく感じなかった。ガニガニの冷たい外骨格で慣れているせいかもしれない。肌は見た目通り分厚いがざらつきはなく、家事をこなす手に相応しい硬さがあった。

 無理矢理引っ張られるんじゃないかと危惧したが、ゾゾは紀乃を立ち上がらせただけで手を離し、戸棚を開けて懐中電灯を取り出して紀乃に渡してきた。それを受け取った紀乃は、ゾゾに先導されて職員室を後にすると、揃って昇降口から外に出た。

 無数の虫の声が、二人を出迎えてくれた。


 

 降るような星空だった。

 無数の恒星が放つ細かな光が、藍色の夜空に散らばっていた。潮騒も心なしか静まり、圧倒的な宇宙の迫力を思い知らされる。紀乃は光を消した懐中電灯を握り、息を飲んだ。廃校の窓から見上げるだけでは感じきれない、無音の重みと広大な世界の実感に背筋が逆立った。じっと見ていると吸い込まれてしまいそうな畏怖さえも起きて、紀乃は後退りかけた。紀乃の傍に立つゾゾも頭を反らして夜空を仰ぎ、見入っているようだった。

 地球は、天の川銀河の端に位置しているのだという。天の川と言われている星の帯は、銀河を側面から見たものだそうだ。理科の授業で教えられただけではそんな実感は湧かなかったが、藍色の闇を溶かしてしまいそうな星々の輝きを見ていると肌で理解してしまう。宇宙の広さに比例して、自分の矮小さも痛感した。

「ねえ、ゾゾの生まれた星ってどこにあるの?」

 紀乃は痛くなった首を引き、暗がりに馴染む肌色のゾゾに向いた。

「この星系からでは見えませんよ、紀乃さん。何億光年も離れておりますし、別の銀河にあるのですから」

 ゾゾも頭を下げ、単眼を紀乃に向けた。

「それに、見えたとしてもどうするのです? まさか、行くわけでもないでしょうに」

「そりゃあね。宇宙は面白そうだけど、怖いから。でも、他の星がどんな場所なのかはちょっと興味があるかな」

 紀乃は手近な流木を見つけ、腰掛けた。

「黄金色の硫黄の大地に赤茶けた酸の海が広がり、虹色のプラズマが空を彩る、それはそれは美しい星ですとも」

 ゾゾは紀乃の隣に腰を下ろすと、尻尾をだらりと垂らして砂に付けた。

「そして、私はその星から派遣された科学者なのですよ。目的までは申し上げられませんがね」

「それはマジっぽいかも」

「信じて頂けて嬉しいです、紀乃さん」

 表情が読み取れそうなほど、ゾゾの声色は弾んでいた。本人の言葉を信じるならば、ゾゾは人類の叡智など超越した科学力を持った種族であり技術者なのだ。そんな輩が、なぜ自分なんかに執着するのだろうか。頭が良いなら尚更で、計算尽くで紀乃に近付いたのでは。もしかしたら、普段の妙な言動も紀乃を油断させるために演技しているのでは。などと考え出してしまうと、ゾゾに対して少しだけ開きそうになっていた紀乃の心が引っ込んだ。怪しすぎるから、一巡りして怪しくないと言うことはない。何に付けても怪しいから、何をやっても怪しいのだ。

「超能力の具合はどうですか、紀乃さん?」

 ゾゾに問われ、紀乃は額を押さえた。

「イマイチ。物を動かせるようにはなったけど、まだ加減が出来なくて」

「紀乃さんは、その力を何にお使いになるつもりですか?」

「自由になるために」

「人間的な感覚では、現状は自由極まる状況ではありませんか」

「そりゃそうかもしれないけど、実際は島流しじゃん。だから、この島から逃げ出して元の暮らしに戻るの」

「どこへ行こうと同じだと思いますけどね。この星は広いようでいて狭いですから」

「身も蓋もないこと言わないでよ」

 紀乃がむっとすると、ゾゾは紀乃に単眼の顔を近付けてきた。

「力を持ったというだけで、自由を勝ち得る手段になるわけではありませんよ?」

「でも、力がなきゃどうにもならないよ。だから、ミーコさんは生き物を巨大化させて本土を襲うんでしょ?」

 紀乃が負けじと腰を浮かせると、ゾゾは切れ上がった口元を歪めて牙を覗かせた。

「では、紀乃さんはミーコさんのように人を襲いたいのですか? 都市を壊したいのですか?」

「違う、そんなんじゃない! 兵器なんかじゃなくて人間だってことを思い知らせてやりたいの!」

「誰に、ですか?」

 ゾゾの顔が更に近付き、酸素の濃い吐息が紀乃の鼻先を掠めた。紀乃は言い返そうとしたが、詰まった。

「誰に、なんだろう……」

 変異体管理局に仕返しをしたいのだろうか。それとも、紀乃を敵視しているであろう人間達に超能力の恐ろしさを味わわせたいのだろうか。人間扱いしなくなった世間を揺さぶって、人間としての立場を奪い返したいのだろうか。だが、そのどれもが暴力だ。力に物を言わせて暴れては、もっと事態は悪化する。今度こそ紀乃は殺されるだろう。けれど、事態を打開する手段がないのだから、実力行使に出なければ。だが、そうすると家族や友人達も。

「あなたは、誰も傷付けたくないのでしょう。それでよろしいのですよ、紀乃さん」

 ゾゾは恐ろしく慎重な手付きで、紀乃の髪を撫で付けた。

「人類を信じられなくても良いのです。私達を信じられなくても良いのです。その気持ちが一番大事なのです」

「そんなの、綺麗事だよ」

 ゾゾの手の優しさに感じ入りそうになりながら、紀乃は汗ばんだ手でジャージの裾を握り締めた。大抵の人間は、誰かを蔑ろにしなければ自分の価値を上げられない。学校の中でもそうだった。クラスでも、部活でも、貶められる子がいて、底辺を作っているから基準が生まれていた。今だってそうだ。紀乃は世間から弾き出されたから、世間には普通の人間の基準が出来上がっている。元いた立場に戻るためには、政府の思惑通りにゾゾらを倒して力を見せつけるのが最も有効であり確実だ。だが、それもまた出来ない。信頼出来ないが嫌いではないからだ。

「ええ、綺麗事ですとも。ですが、綺麗だからこそ大事なのではありませんか」

 ゾゾは紀乃の頭から手を外し、顎をさすった。

「超能力中枢を走る脳波が安定していませんね。ニューロンと神経系統の配置に不備はありませんが、こんな状態では出力が安定しないわけです。少し手直しして差し上げましょうか」

「……遠慮しとく」

 紀乃が腰を引くと、ゾゾは間を詰めてきた。

「では、私が能力の補助をいたしましょう。私の脳と紀乃さんの脳波を連動させて処理能力を上げて差し上げれば、紀乃さんの超能力は底上げ出来ますし、制御力も格段に向上しますし、慣らしにもなりますよ?」

 補助だけなら、との考えが紀乃の胸中に過ぎったが、自力ではないのは不本意だ。ゾゾの助けがどんなものかは解らないが、変なことをされては困る。だが、立場も超能力も中途半端なままでいるのは嫌だ。綺麗事ばかり考えて身動き出来ないでいるよりも、迷いなんか簡単に吹き飛ぶぐらいの勢いが欲しかった。そう、星を動かすほどの。

「そうだ! ゾゾ、星って降らせられるかな!」

 急に立ち上がった紀乃は、夜空を指した。

「いきなりなんですか」

 ゾゾはちょっと驚いたが、紀乃に倣って立ち上がり、夜空を仰いだ。

「星を降らせる、とは仰いますが、惑星そのものを動かすほどの出力を出すのは私の補助でも無理でしょう。相応の出力を備えた増幅器がありませんと。ですが、流星と呼ばれるものでしたら、なんとかなるかもしれませんね。地球の衛星軌道上には無数のスペースデブリが浮遊していますので、それを引き付けて大気圏に突入させ、大気摩擦で燃え尽きさせてしまえば星は降りますよ」

「じゃ、出来るんだね! だったらやろう!」

「出来ないことはないでしょうし、人的被害をもたらしませんが、私達の利益にはなりませんよ? むしろ、人類側の紀乃さんに対する危機的意識が跳ね上がってしまいます。ともすれば、この島に奇襲を仕掛けられる可能性も」

「いいの。後戻りなんて、とっくに出来なくなってるもん。だから、開き直らせてよ」

 紀乃が手を伸ばすと、ゾゾは了承した。

「承知しました」

 星空は広く、遠い。昼間に波を断ち切った時のように感覚に掴んでから操っていては、感覚に掴むだけで神経が疲れ果ててしまいそうだ。だから、今度は当てずっぽうで掴むしかない。範囲も広ければ対象物も目視出来ないが、ゾゾがいれば大丈夫だという訳の解らない確信があった。

一度深呼吸してから、紀乃が集中して感覚を高ぶらせていると、ゾゾが紀乃の手を取った。すると、途端に感覚の領域が拡大し、一気に地上から空まで突き抜けていった。海の冷たさと感じると同時に空気の厚みと宇宙の強張りが接し、皮膚がひりひりする。本当にこれは自分がしていることなのかと疑問を抱きつつ、紀乃は張り詰めた宇宙と柔らかな大気圏の狭間で巡る、無数の物体を捉えた。

「これがスペースデブリ?」

 手応えを得た紀乃が呟くと、ゾゾの手に力が込められた。

「ええ、そうです。それをどうなさるかは、紀乃さんの匙加減一つなのです」

 これを掴み、地上に向かわせるだけだ。僅かな躊躇いの後、紀乃はゾゾと握り合わせた手とは反対の手を握り、目に見えない糸を引くかのように下げた。肌に伝わる大気と宇宙の感覚がぐにゃりと湾曲し、レンズ状に抉れると、忌部島の上空に数百個の金属片が引き寄せられて落下した。大気摩擦によって赤く燃え尽きた金属片は局地的な流星群を発生させ、夜空を白く輝かせた。

「出来た……」

 後は、重力に任せるだけだ。紀乃が唖然としながら手を緩めると、ゾゾは紀乃の手を離して拍手した。

「実に素晴らしいです、紀乃さん。どうか、そのお力の矛先を見誤らぬよう」

「うん、解っている」

 紀乃は答えたが、声に力が入らなかった。こんなことが出来る者が、ただの人間でいられるわけがない。姿形は人間でも、中身は化け物だ。生体兵器にされるだけの理由がある。数百個のスペースデブリが全て燃え尽き、束の間の天体ショーが終わると、紀乃はインベーダーに相応しい覚悟と自信がごく自然に胸中に広がった。

 自分を守るために、世界と戦うのだ。



 翌朝。海辺に、妙な物体が落ちていた。

 それを拾ってきたのは、朝の暖気を兼ねた散歩をしていた小松だった。海水とオイルにまみれた円筒形の機械は校庭に転がされ、見覚えのある日の丸が側面に付いていたが無惨に焼け焦げていた。青く煌めく長方形のパネルが四枚付いていて、細かくひび割れている。どこからどう見ても人工衛星だった。どうやら、昨夜、紀乃が超能力を使って流星群を作った際にスペースデブリと一緒に引き寄せられて落下したようだった。

「日本ので良かったねー。これで他の国のだったら、まず国際問題だもん」

 紀乃が物珍しげに人工衛星を眺め回すと、ゾゾは腕を組んだ。

「全くですね。見たところ、偵察衛星のようですが、これで私達を見張る目の一つが潰れたといっていいでしょう」

「潰れた潰れたレタレタレタ!」

 ミーコは訳が解っているのか解っていないのか、いつものようにはしゃいでいた。

「使えそうな部品が多い。今度は俺の番だ、構わないよな」

 人工衛星をいじくり回していた小松がゾゾに向くと、ゾゾは快諾した。

「ええ、もちろん。小松さんが何を企てようが、私は一向に構いません。面白いことになりそうですからね」

「面白い面白いロイロイロイロイローイ!」

 ミーコはびょんびょんと飛び跳ねたが、寄生虫の数が減っているのか口から零れ出さなかった。

「楽しみだねー、ガニガニ」

 にこにこした紀乃が同意を求めると、ガニガニは盛大に鋏脚を鳴らした。

「珍しいな。お前が面白がるとは」

 小松は紀乃にメインカメラを向けると、意外そうにシャッターを開閉させた。

「だって、人工衛星を落としたのは私だもん。その先がどうなるか、ちょっと気になるじゃない?」

 紀乃は擦り寄ってきたガニガニを撫でてやりながら、小松に笑みを返した。ミーコはきょとんとし、小松は感心したような声を漏らし、ゾゾは満足げに頷いていた。ちょっと誇らしくなった紀乃は、意味もなく胸を張った。これで万事が順調に進むとは思いがたいが、少なくともどっちつかずだった心中は定まった。これからはインベーダーとして人類に背き、信念を貫くのだ。比較的被害の少ない手段で変異体管理局を叩きのめし、最終的には元の生活に戻してもらう。道程は険しいだろうが、紀乃には味方がいないわけではない。

 だから、これからも頑張れる。

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