01 PRESS START(その3)
*
『まさか、芹歌ちゃんがうちの学校に来ると思わなかったよ』
『超可愛いね』
『会見場から直接来たの?』
お約束と言ってしまえばそれまでだが、休み時間になった途端に月乃芹歌はクラスメイトたちに囲まれてしまった。だが、誰も「どうしてうちの学校に来たの?」とは聞かない。そんなことは分かりきっているからだ。
「あっ、ごめんなさい。ちょっとお手洗いに行きたいんだけど、どこかしら?」
あまりの質問攻めに疲れたのか、歌姫は遠慮がちに席を立ってしまった。場所を案内すると申し出た女子生徒をやんわりと断り、教室を出た様子からして、よっぽど一人になりたかったのかも知れない。因みにオレも声をかけようとしたが、明らかに殺気のこもった視線を向けられたので、言葉は発しなかった。
前の席の優樹と話しながら、歌姫が教室から出る様子をぼんやりと見つめていると、慌ただしい以外に適切な形容詞が見つからない翔太が、息を切らせて教室へ戻って来た。
「翔太、月曜からテンション高すぎ」
冷めた視線を送るが、翔太は構わず唾を飛ばしながら喚き散らす。
「そりゃあ、芹歌ちゃんがうちのクラスに転校してきたんだから……って、そうじゃなくって、廊下でA組とB組の奴らが喧嘩を始めちゃったんだよ!」
「は? C組の前でか?」
「いや、教室の前は廊下狭いじゃん。そこのトイレの前だよ。しかも、マジ喧嘩だし、超ヤバイって」
「トイレだって!?」
反射的に立ち上がり、翔太に問いただす。オレの慌てた様子に、翔太も釣られて更に声が大きくなる。
「ああ、すぐそこの……え? 颯人!?」
「颯人!」
翔太と優樹の声は耳に入ったが、駆け出す足を止めるには至らなかった。
*
大慌てで廊下を走ると喧嘩の現場は直ぐに分かった。
「うわっ、マジで喧嘩じゃねぇか」
あまりの惨状に思わず声を漏らす。
廊下で向かい合っているのは青白い男子生徒と筋肉質な男子生徒。上履きの色から二人とも一年生だと分かる。というか、殆ど小中学校からの持ち上がりなのだから、顔を見ただけで大体何年生か分かる。
まず、青白い男子生徒が手を広げる。すると、その掌にどこからともなく現れた細かい氷が集まり、あっという間に一本の氷柱に変貌した。しかし、その非常識な様子に本人も、向かい合う筋肉質の男子生徒も怯んだりはしない。躊躇なく青白い男子生徒が筋肉質の男子生徒へ氷柱を投げつける。鋭い氷はまるで剣のようだが、筋肉質の男子生徒はそれを左手一本で粉々に砕いてしまった。
砕けた氷の破片が飛び散る。
一般的にはあり得ない状況だが、この学園では別に珍しくない。生徒たちは危険なことには慣れっこだし自己責任という校風だ。他の生徒たちは、巻き込まれないようにかなり離れたところから様子を眺めている。
だけど、慣れていない生徒が一人、喧嘩の直ぐ側に立ちすくんでいた。
「芹歌! 危ない!」
目の前に繰り広げられる摩訶不思議な状況に、ただ目を丸くする歌姫。手にハンカチが握られている様子から、トイレから出てきたところで喧嘩に出くわしてしまったのだろう。そんな彼女を狙うように氷柱の欠片が飛んでくる。
咄嗟に駆け出し、彼女の華奢な肩を掴み、その場に倒れこむ。すんでのところで氷柱の欠片はオレたちの頭上越しを通過し、そのまま窓ガラスを突き破った。
「きゃっ」
「動くな」
状況が飲み込めていないのか、歌姫は音のした窓ガラスの方へ顔を動かそうとする。しかし、小さな破片が散らばってきたので、歌姫に覆いかぶさり背中で破片を受け止める。
そんなオレたちになんて構わずに、男子生徒二人は喧嘩を続行していたが、遠巻きに喧嘩を観戦していたギャラリーの一人がオレたちの方を指さした。いや、正確には月乃芹歌を指さした。
『あれ、月乃芹歌じゃねぇ?』
その言葉に、ギャラリーたちがどっと湧き上がる。
『うわっ、マジで!?』
『今朝引退会見してたよな?』
『ヤバイ、俺、超ファンなんだけど』
『私も。サイン貰いたい!』
これはマズイ。パニックになるぞ。ってか、なってるか。
「おい、あいつらに揉みくちゃにされたいか?」
オレの腕の中で呆然としている歌姫に短く問う。すると、はっとしたように顔を上げギャラリーの方へ一瞬視線を向けた。
「今朝の会見だけでお腹いっぱいよ」
「そりゃそうか。じゃ、走るぞ」
「え? あっ、ちょっと!?」
何かゴチャゴチャ言ってるけど、オレだってこんな騒ぎの真っ只中に居るのは勘弁だ。歌姫の腕を強引に掴み、廊下を一気に駆け抜ける。
『ん? 今の娘、月乃芹歌じゃない?』
『まさか~』
『でも、今朝校舎の前に黒塗りの車が停まってたよ』
『うそ? じゃあ、本物!?』
すれ違う生徒たちからも注目を集めてしまう。階段を降りこのまま校舎を出ようと思ってたけど、校舎の出口に行く廊下は結構人通りが多い。
「仕方ない。あっちにするか」
くるりと踵を返し、逆に階段を上る。
「屋上に行くの?」
半分息を切らしながら歌姫が問いかけてくる。
「そっ、そうだけど」
あれ? オレ屋上って言ったっけ?
「何で分かったんだ?」
驚いて一瞬、足を止めそうになったけど、そういう場合じゃないのでそのまま階段を駆け上がりながら問い返す。
「……分からない。でも、颯人はいつも屋上で……あれ?」
そこで言葉は続かなくなってしまう。
「とにかく走るぞ」
幸いオレたち一年生の教室がある二階から三階、四階と駆け上がる間は殆ど人とすれ違わなかった。何人かはすれ違ったが、かなり気合の入った眼光を向けたら、ヤバイものを見たように目をそらし、そっと道を譲ってくれる人ばかりだった。きっと、オレの日頃の行いが良いからだろう。
「はぁ、はぁ……。よし、誰も居ないな」
普通の休み時間なので、わざわざ屋上まで登ってくる物好きは他にいなかったみたいだ。屋上には小さいが庭園があり、小さなベンチなども用意されている。
「はぁ、はぁ……苦しい……」
「何だ、結構体力ないんだな」
「……はぁはぁ、うっさいわね。自分だって息切れてるじゃない」
「口が減らねぇな。とにかくここなら騒がれる心配もないから座ろうぜ」
「そうね……膝がガクガクするわ」
よろけるように歌姫がへたり込む。まぁ、かなりのスピードで駆け上がったし、疲れただろう。オレも隣に腰を下ろす。
「なぁ、お前の能力って……」
「お前じゃない」
「あっ、ああ。せ……月乃は」
「何で呼び直したの? 芹歌で良いわ。さっきもそう呼んだでしょ?」
確かにさっきは普段テレビで見ている癖で、ついいつも通り名前で呼んでしまった。
「おっ、そうか。えっと、じゃあ、芹歌の能力って精神感応なのか?」
「は? 能力?」
歌姫……もとい芹歌が目を丸くする。あれ? 何か嫌な予感がする。
「あのさぁ、青い薔薇って意味分かるか?」
「えっと、あたしのデビュー曲?」
「まぁ、それも正解だけど」
「え? 聴いたことあるの?」
デビュー曲の初回版を予約して、早朝寮を抜けだしてゲットしたオレに、何たる愚問だ。しかし、素直にファンですサインくださいとか今更言えるはずもない。
「そうじゃなくて、青い薔薇が異能力者を指す隠語だって言ってるんだ」
「異……能力?」
あちゃぁ、そんな言葉生まれて初めて聞いたみたいな顔してるよ。
「えっと~、ちょっと違うけど、所謂超能力者ってことだ」
「誰が?」
「お前が」
「何でそうなるのよ?」
うわっ、やっぱり知らないのか。
「ここが、異能力者の通う特殊学校だからだ」
「学校全体が?」
「そうだ。幼稚部から大学院まで、国が定めた能力検査で、異能力を検知された奴しかいない」
「あたし、そんな検査したことないわよ」
「普通は学校入学時の身体測定とかに紛れて秘密裏に行われているんだよ。でも、お前の場合は多分……」
「だから、お前じゃない」
「ああ、ワリィ。えっと、芹歌は昨日のコンサートが原因だろうな」
「コンサート?」
「青く光っただろ?」
「あっ」
「あれは演出じゃないよな?」
「え? 見に来たの?」
「ちっ、ちげーよ! テレビだ!」
嘘。朝のワイドショーを見たが、どのチャンネルでも芹歌の引退は話題にしても、発光に関して言及した番組は無かった。つまり報道規制をひく必要のある内容なのだ。
「ああ、そうなの。ってか、そんなに大声出さなくても聞こえるわよ」
取り敢えず、オレがコンサート会場に居たかどうかはそんなに気にしていないらしい。一安心だ。
「そりゃあ悪かったな。で、演出だったのか?」
「アンタの言う通り、演出なんかじゃないわ。どうして光ったのか分からないのよ。それに、光る前の記憶が曖昧なの。気づいたらステージで歌っていたわ」
「稀に能力発動時に自分の意志とは関係なく、身体が発光したり、外見が変わったりする奴も居るんだ。それで、異能力機関に目をつけられたんだろう」
「えっと……、もしかして、その発光して異能力者だって分かったから、急に引退会見を開かされたの?」
「多分な」
「じゃあ、本当に引退させられたの?」
「たまーに能力者か分からない微妙な奴が仮入学してくるし、そういう奴らは護衛付きだけど、ある程度自由に出来るらしいけどな。っても、そんな奴ら滅多にいないし、能力検査ではっきりしちゃえば結局オレたちと一緒で、制限付きの人生だ。万が一、能力検査で一般人ってことが分かれば……」
「一般人?」
「ああ、悪い。青い薔薇じゃない普通の人間のことだ。とにかく、そうだってはっきりしたら今度はスッゲー数の誓約書を書いて、絶対この学園の話をしないように強制されるんだと……まぁ、疑われて結局一般人なんて、ホント稀らしいけどな」
「この学園ってそんなに秘匿扱いなの?」
「ああ、学園の存在自体はオープンだけど、内情は完全に国によって秘匿とされている。万が一、人口の0.01%程度は、実は異能力者だなんて一般人たちにバレてみろ? すっげー騒ぎになるぞ」
「確かにそうね。っていうか、0.01%も居るの?」
「一応、授業ではそう言われているな。大体全国で一万人くらいらしいぞ」
「じゃあ、確率的にはRhマイナスAB型よりは多いのね」
「そんなマニアックな例えされても全然分かんないぞ?」
「そう? 統計も出てるわけだし、そんなに特殊な例えじゃないと思うけど。それにしても、やっぱり、その能力っていうのが分かると、中世の魔女狩りみたいになっちゃうのかしら?」
「どうなんだろうな? 一〇〇〇対一の戦いだが、異能力者が力を合わせれば、一方的な虐殺や追放は起こらないと思うけどなぁ……」
「ホントに?」
「いや、何の確証もないぞ。ただの根拠もない想像。そもそも、そういうトラブルを避けて、異能力者たちを有効に使う為にこの学園は有るわけだし。平和が第一、一般人とは揉めたくないし、混乱させたくないっていうのが方針さ」
「それで、あたしの場合は? 仮入学って形なのかしら?」
「お前は、大勢の前ではっきり能力者だって見せつけちまっただろ? 特に仮入学とか言われてないし、マジ入学だよ。高等部卒業までは相当行動が制限されるし、大学に進んだって結局学校の監視下だ。正直、芸能活動は厳しいだろうな」
「嘘……」
小さく呟くと、芹歌は大きな瞳から大粒の涙をボロボロとこぼし始めた。
「え? おい、ちょっと」
「何でこうなったのかは分からなかったけど、ほとぼりが冷めればまた戻れるのかもって思ってたのに……」
「分かったから、泣くなって」
「こっちだって泣きたくて泣いてるわけじゃないわよ。止まらないんだからしょうがないでしょ」
「ったく。仕方ねぇな」
突然泣かれて内心かなり焦っているが、オレまで慌てても仕方ない。丁度オレたちの後ろに生えているバラの枝を掴み、芹歌の目の前に引っ張る。バラはまだ固い蕾をつけている。普通に見積もったら咲くのに一週間はかかりそうだが、その蕾を右手でそっと握る。
「嘘?」
少し間を置いて右手を開くと、芹歌はオレの手の中の様子に目を丸くする。
「種も仕掛けもないぞ」
オレはすっかり花開いた青い薔薇を芹歌に見せつける。
「これが颯人の能力なの?」
「まぁ、一応な」
「何でこれをあたしに見せてくれたの?」
「これは元々オレの婆ちゃんの能力だったんだ。オレもガキの頃からこの学校にいるからな。何人もお前みたいに泣く新入生を見てきた。で、大体この能力を見せると泣き止む。まぁ、子供の頃から泣いたやつを見かけた時の癖みたいなもんだ」
「こっ、子供扱いしないでよ!」
「でも、実際泣き止んだじゃないか!」
「ってか、泣いてないし」
「泣いてただろうが」
「あんたって、どうしてそうデリカシーが無いの?」
「はっ? デリカシー? 何だそれ? 美味いのか?」
「うわっ、最悪。信じられない」
芹歌が大げさに肩を竦める。すると、そこへ男子生徒数名の声が聞こえ、屋上の扉が開いた。
『さっきの喧嘩で自習なんてラッキーだな』
『窓、割れたしな』
『おっ、先客が居るな……え? 月乃芹歌!?』
げっ、A組の奴らだ。騒がれると色々面倒だ。仕方ないので、オレは飛びきり機嫌の悪い表情を向ける。そして、いつもより少し低い声を心がける。まぁ、元々低いが。
「おい、何見てんだ?」
『げっ、C組の一刻!?』
「ん? 呼び捨てか? お前が転校してきた時に散々面倒みてやっただろ?」
ここで引きつった微笑みを向ける。すると、男子生徒三人組は血の引いた表情をこちらに向けてくる。
『いっ、一刻くん、いや、僕らも休憩しようかと……』
「折角エリートのA組にいるんだ。真面目に自習で当然だよな?」
普段ならここまではやらないが、芹歌の件で騒がれるのは本当に勘弁だ。折角泣き止んだのに、また泣き出されたらどうすんだよ。
どうやらオレの必死さはある意味伝わったらしい。
『ごごごごごごっごめんよ! 僕たち教室に戻るよ。えっと……』
「お前らはここで何も見なかった」
『え?』
「見なかったな?」
『はっ、はい!!』
ダメ押しですっかり萎縮した三人組は、半分転がるように階段を降りていってしまった。