貴方と過ごす初めてのクリスマス 中編
「わあ……」
家に帰ってまず手洗いうがいをし、それからリビングに入ると窓辺に背の高いもみの木が置かれていた。
「どうしたの? これ」
「買ってたんだ。飾りつけを手伝ってくれる?」
先ほどクリスマスマーケットで購入したベルをチリンと揺らしながら尋ねるレイへ、琴は破顔して頷いた。
柊のついたキャンディケーン、ジンジャーブレッドマン、天使の人形に林檎、金や銀、赤のカラーボール。それらをレイと二人、仲良くもみの木に飾っていく。仕上げの星をてっぺんに飾ろうと手を伸ばすと、思いのほかツリーの背が高く背伸びをしなければ届きそうになかった。
「よっと……わっ」
天使にでもなったかのようにふわりと浮く身体。後ろを振り返れば、腰に腕を回したレイによって抱っこされていた。非常に良い笑顔で。
「これで届くかな?」
「小さい子扱いして……」
クスクス笑うレイに、琴は少しむくれてみせる。しかし唇を尖らせているのはただのポーズだ。特別な日はなんだって楽しい。本当なら背の高いレイが飾れば済む話なのに、わざわざ琴を抱っこしてくれたレイにだって琴が喜んでいることは伝わっているはずだと思った。
「小さな頃、こうやってパパとママとクリスマスお祝いしたなぁ……」
いつも仕事命の両親だったが、琴が小さな頃は必ずケーキを買って用意してくれた。父が店から帰る際に急ぎすぎたせいで崩れていたこともあったが、それだって良い思い出だ。日にちが前後することはあったが、一年のうちで両親が揃っていてくれる数少ない日であり、琴はクリスマスがとても好きだった。自分の誕生日よりも。
「嬉しかった?」
遠い日の温かな記憶に想いを馳せていた琴は、レイの穏やかな声に我に返った。そして瞠目した。レイが、酷く優しい顔を浮かべていたものだから。
「うん。幸せな記憶」
「そう。今年はご両親と過ごせなくて寂しい?」
「…………ぁ」
ほんの僅かな違い。小さい頃から一緒の琴でなければ気付かないほど僅かに、レイの瞳が寂しげに細められた。だから、琴は慌ててレイの手を握って言った。
「寂しくない」と。
「今年はレイくんが一緒にいてくれるから。すっごく嬉しい。私と過ごしたいと思ってお休み取ってくれてありがとう。クリスマスマーケットも楽しかった。ソーセージも美味しかったし、ホットココアも甘くてもっと飲みたかったくらい。ステージで歌ってたゴスペルも素敵だったし、レープクーヘンもどんな味がするのかなぁ楽しみ。あとで一緒に食べようね、ね、レイく……」
瞳をキラキラさせ一息で言い切ろうとしたところで、レイに抱きしめられた。まるで小さな子供がぬいぐるみでも抱きしめるように、ぎゅうっと固く。そのまま体重をかけられ、傍にあったソファに二人して座りこんでしまった。
「れ、レイくん……?」
「ありがとう、琴」
「え……」
お礼を言うべきは自分なのに。しかし、レイは多くの人を魅了してやまないその瞳に柔らかく弧を描き
「僕と過ごしてくれてありがとう」
と言った。
何だか今日のレイは、いつもとは違う気がする。いつもの隙がないレイとは違う。どこか人間らしく、表情も豊かだ。
ディナーの準備をするため席を立ったレイを見上げながら、そう琴は思った。
テーブルの上に飾られたサンタやトナカイの置物を、甘いキャンドルの炎がオレンジ色に照らしている。テーブルには所せましとディナーが並べられていた。
大きなローストチキンに、ブロッコリーやニンジンと共にツリーの形に盛りつけられたポテトサラダ。トマトとチーズのカプレーゼに、野菜スティックのディップ。ホタテと柚子のカルパッチョ、薔薇の形に盛りつけられたローストビーフに、カッティングボードの上には生ハムまで。さらには琴の好きなクラムチャウダーや、ピンチョスまで並び、琴はあまりのボリュームに呆然とした。
「レイくん……とてもじゃないけど二人で食べきれる量じゃないよ……大人数でパーティー出来そう」
琴が手作りしたブッシュドノエルを何処に置こうか迷いながら言うと、レイは「力みすぎちゃったね」と苦笑した。
「余ったら僕が食べるから大丈夫だよ」
レイは気持ちが良いほど痩せの大食いなので、本当に食べきってしまいそうだと思いながら、琴はそわそわしつつ言った。
「写真撮ってもいい?」
「どうぞ」
「えへへ。あ、レイくんも入って!」
スマホのカメラを自撮りモードに切り替え、豪華なディナーをバックに二人で写真を撮る。何気に写真があまり好きではないレイと撮る機会は少ないので、琴はちゃんと後でプリントしようと思った。もちろん、画像は携帯の待ちうけにし、即両親へ写真をメールで送る。
共働きで琴を放置気味だった両親に対し複雑な感情を持っていた自分がすんなりと連絡出来るようになったのは、レイが沢山愛情を注いでくれたお陰だと思った。
「琴、その写真、僕にも送ってくれるかな」
「え、うん! もちろん」
本当に珍しいこともあるものだ。危険な捜査中に携帯を奪われては困るからと、極力写真を残さないレイが写真を欲しがるなんて。
(レイくんも、私と過ごすの楽しんでくれてるのかなぁ……)
そう思うと嬉しくて、自然と笑みが零れる琴だった。
ポンッと軽快な音を立てて、シャンパンが開けられる。グラスに注がれる琥珀色の液体は、星を溶かしたよう。琴は未成年のため、シャンメリーで乾杯することになった。
淡いキャンドルとツリーのライトに照らされた室内で、グラスの触れあう音がする。こくりとシャンメリーを一口含むと、ノンアルコールなのに体温が上がった気がした。
でもそれは、恐らく幸せによるものだろうと琴は向かいに座るレイを見て思う。去年のクリスマスは、こんなに幸せが待っているとは思わなかった。去年は去年で、クラスメートとクリスマス会を開いてカラオケ三昧し楽しんだのだが、やはり好きな人と過ごすのはこんなにも幸福なのかと、琴は幸せを噛みしめる。
しかし、話上手なレイがいつもより口数が少ないことに気付き、琴は宝石のような野菜が詰まったテリーヌにナイフを入れながら話を振った。
「お家でクリスマスも素敵だね、レイくん。何となく、レイくんはクリスマスを外で過ごすのが好きなイメージだったけど……」
レイの華やかな見た目故だろうか。煌びやかなイルミネーションに囲まれた場所で佇む姿が良く似合う。それはある意味、生活感がないとも言えるのだが。
(でもレイくんって学生時代からずっとモテモテだったし、歴代の彼女と外で過ごすクリスマスはすでに沢山堪能して飽きてるのかもしれないなぁ)
そう思うと、気分が下降してしまう。自分から話を振っておきながら勝手な話だと琴は思った。
「外か……」
「うん、そう。こう、ナイスバディで華やかで綺麗なお姉さんと、夜景の見えるホテルでディナーとかして……そうだなって……」
墓穴を掘った。自分の発言にダメージを受けた琴は、言葉尻が小さくなっていく。このままキャンドルのように溶けてなくなりたい。
「ああ、ホテルでディナーか……」
窓の方へ視線をやりながら、レイはぽつりと呟く。過去のクリスマスを思い出しているのだろうか。琴は俯いていた顔をバッと上げた。
(いやだ、自分で言っておいてなんだけど、レイくんに今私以外とのクリスマスのこと考えてほしくない……!)
「それも考えたんだけどね」
「あ、のね、別に全然外で過ごしたかったわけじゃないの。むしろレイくんと過ごせたら私、何でも――――……。ごめん、ちょっと嫉妬しちゃって……レイくんと、今までクリスマスを過ごしてきた女の人たちに」
レイと過ごせるなら、別にツリーがなくたって、豪華な料理がなくたって、普段通りでいいくらいだ。ただ、過去にクリスマスに過ごした女の人のことを考えるのはやめてほしかった。
「ああ。琴がクリスマスを夜景の見えるホテルで過ごしたいって思ってるわけじゃないのはちゃんと分かってるから安心して」
レイは食べる手を止め、おかしそうに笑った。
「むしろ緊張して味が分からないって言いそうだよね」
「う……仰る通りです……」
琴の返答に笑ってから、レイはシャンパングラスと手に取ると、立ち上っていく気泡を眺める。しかしその目は、もっと遠くの物を見ているように琴には感じられた。
それから、目元をふっと和らげて琴に微笑む。
「嫉妬してくれるのは嬉しいけど、恋人とクリスマスを過ごすのは琴が初めてだよ」
「ああ、やっぱり……って、え? そうなの?」
予想外の答えに、琴はガタリと立ち上がった。それからハッとして、また席につく。
レイほどの容姿なら女は放っておかないだろうし、華やかな女性に囲まれて派手に過ごしてきたのだとばかり思っていた。
しかしよくよく考えてみれば、本当の彼は目立つ容姿とのギャップを感じるほど静かな場所を好み、硬派であるため浮ついたことはしないだろう。そう思い、嫉妬で目が曇っていたと琴は反省した。
「刑事になってからはずっとイブもクリスマス当日も仕事だったし、学生時代もクリスマスを誰かと過ごしたことはないな。それに……」
「子供の頃も」
最後に付け加えられた言葉に孤独の匂いを感じて、琴は息を飲んだ。
そういえば、自分はレイの過去を知らない。どんな風に過ごしてきたのかを知らない。知りたいと思ったことは何度かあったが、レイが自分から口にしない限り聞きだすのも躊躇われ、未だに聞いたことはない。
ただ、想像は出来た。初めて会った時、レイは今の温厚さからは考えられないほど尖っていたから。前に母親に捨てられたと思って過ごしてきたと言っていたレイは……琴が想像する以上に孤独な幼少期を過ごしてきたのではないだろうか。
そう思うと苦しくなって、膝の上でスカートを握りしめる琴。それとは裏腹に、レイの表情は穏やかだった。
「だからね、琴」
「うん?」
「だから、家族で囲む食卓の温かさに憧れていたんだ。琴を預かってから、それを知ることが出来てすごく嬉しかった。そしたら人間傲慢なものだね、もっと貪欲になってしまって。大切な人と過ごすクリスマスはどんなものだろうって、浮足立ってしまったんだ。だから初めて琴と過ごすクリスマスは、家でツリーを用意して、温かい料理を並べて過ごしたいと思ったんだよ」
「レイくん……」
それで、クリスマスに休みが取れなくて、らしくもなく拗ねていたのか。ずっと温かい食卓に憧れていたから。
(ああ、この人は――――……)
琴の孤独に敏感で、いつだって優先してくれていた。でもそれは、彼自身が孤独をよく知っているからだったのだ。
「ありがとう、琴。クリスマスなんてただの平日で意味のないものだと思っていたけど、こんなに幸せな日だったんだね」
なんのてらいもなく、レイが心から微笑んで言った。それが胸の一番柔らかい場所にじんわりと沁みていって、琴はグラスを握るレイの手に、そっと自分の手を重ねた。
(らしくもない子供っぽい仕草、無邪気な笑顔、写真をねだった行動……)
全部が、愛しいと思った。完全無欠の彼が、自分だけに見せてくれた素顔だと思うと。
「琴?」
「来年も、再来年も……っ一緒に過ごそう?」
琴はレイの手を握る手に力を込めて言った。
「これから先ずっと……レイくんが定年になって、本当にクリスマス当日に一緒に過ごせるようになっても、ずっと……」
レイの蒼い瞳が見開かれ、わずかに揺れる。吸いこまれそうなほど綺麗な彼の瞳に、頬を染め必死な自分が映っていた。
「あったかくていつもよりちょっと豪華なディナーと、おっきなツリーと、飾りつけた部屋で、一緒に過ごそう?」
「それは……」
レイが重なっていた手を一度ほどき、それからすぐに互いの指を絡めて言った。
「目眩がするほど幸福だね」と。
何処か泣きそうにくしゃりと微笑んだレイの姿を、スノードームに閉じ込めるように、いつまでも忘れないでいようと琴は思った。