私の選んだ進路
久しぶりの感触に心が震える。しかし再び心が通ったことを喜んでいる間もなく――――またしても地下から噴火のような突きあげと爆音がした。そして、ホテル内の照明が全て落ち視界を奪われた。
「また停電!?」
「……とうとう発電機室が爆破されたみたいだ……。急ごう、おそらく作動していたスプリンクラーも止まってしまったはずだ」
「え……っ」
レイに手を引かれ、周りの状況を見ながら再び階段を駆け降りる。
「レイくんっ。まだ十九階だよね? 地上に下りるより屋上でヘリを待ってた方が良いんじゃ……?」
「ホテルの火災は上へ燃え上がる」
レイは琴を先導しながら言った。
「すでに上の階は爆破されているし、仮に屋上まで上れても外は台風だ。一応要請はしたけど、ヘリが屋上に到着するのは期待しないほうがいい」
「そんな……。でもレイくん、火は上へ燃え上がるって……確か下の階でも爆発は起きてたよね!?」
「ああ……はしご車の救助が期待できる階まで下りられたら良いが、そのはしご車も風の影響があっては――――……くそっ! 琴、引き返して!!」
「え……っ」
先に下りていたレイが振り返ったと思うと、熱風が髪を撫で彼の後ろから炎が竜のように襲いかかってくるのが見えた。発電機室が爆破され消火機能を失ったせいで、火が燃え広がってきたのだろう。
慌ててたったいま下りてきた無事な階に飛びこみ、二人で階段の非常扉を閉めた。レイは懐からペンライトを取りだし、そこから二人急いで離れる。
(どうしよう、ヘリは来ないし階段もエレベーターも下りれないなんて……)
万事休す。このまま爆発に巻き込まれて死ぬのを待つしかないのか。琴の脳裏に死の影が過ぎる。しかし、レイは琴を引っ張り、十七階のレストランまで連れてきた。
「恐らく、さっきの火は十五階のバーから上がってきたものだ。十五階より下の階におりたい……」
皮肉にも壁一面のガラス窓から階下の火災の灯りを取りこむことで、強盗にあったように散乱したレストランの様子が停電していてもよく見えた。
椅子はひっくり返り、高い絨毯にはワインが転がってシミを作り、冷めきった食べかけの料理がテーブルに並んでいる。皆が慌てて避難した様子が容易に想像出来た。
「琴、テーブルクロスを全て引き抜いてくれるかい? 早く!」
「は、はい!」
言われるがまま、琴はレイに従いテーブルクロスを回収した。それをレイの元へ持っていけば、レイはガラス窓のカーテンを全て引き剥がし、端を括って長い紐のようにしていた。琴に渡されたクロスも手早く括っていく。
「レイくん?」
「これを命綱に下の階まで飛び降りよう」
レイは結んで一本の綱のように長くなったカーテンやクロスの端を、レストランの柱に括りつけた。そして反対側の先端をたすきのようにレイの身体と琴の身体に巻きつける。
「え、ちょっと待って、レイく……」
「炎がもうそこまで来てる!」
事実、レストランの中は熱く、近くまで炎が迫っていることを二人に伝えていた。
「耳を塞いでて」
「え……きゃあっ!?」
レイは琴が耳に手を当てるや否や、上の人間から携帯するよう指示されていた拳銃をホルスターから引き抜いた。そして数発窓へと撃ちこみ、ヒビの入ったガラスを最後は足で叩き割る。二人がかろうじて通過できるスペースが出来た。
「しっかりつかまってて、下りるよ!」
「え……っひゃあああああっ」
琴の絶叫が風の吹きすさぶ夜に響き渡る。レイは琴の腰を抱くと、そのまま地面を蹴りバンジージャンプよろしく飛び降りた。途中、激しく燃え上がった十五階を通過する際にレイに火傷しないよう琴は抱きこまれる。
やがて身体に巻いた紐が長さの限界を迎え、ピンッと身体が張るような感覚を覚えた。固く閉じていた目を怖々開くと、気が遠くなるほど下に駐車場が見え、玩具のような消防車が見えた。
紐で吊られている状況に、琴はひいっと情けない声を上げる。その紐だって、カーテンとクロスで作ったものだ。切れたらまっさかさまに落下し、一瞬であの世行きだろう。
「レイく……え……?」
レイの手に抱かれた腰にぬるりとした感触が走り、そこへ視線を落とした琴は真っ青になった。スーツの袖口から真っ赤な血が滴り、レイの手を濡らしていた。
「レイくん! 血が……っ!」
(これ、きっとシャンデリアで私を庇った時に負った肩の傷のせいだ……!)
「ああ、自分で圧迫して止血してたけど、今は両手が塞がってるから……動いたせいでまた出血したみたいだね」
レイは何でもなさそうに言った。それから、鞭のような強風に乗って反動をつけ、ホテルの客室の窓を蹴破る。ちょうど紐が炎で焼ききれたのか、そのまま二人して十一階の客室へ窓からなだれこんだ。
「無事かい? 琴、さあ、また逃げるよ――――……」
「待って!」
すぐに立ち上がったレイに制止を掛け、琴は客室の棚を開け未使用のタオルを取りだし、流血するレイの腕を縛った。
「じっとしててね」
「驚いたな……琴、止血出来るのか」
てきぱきと傷口を圧迫し止血する琴に、レイは感心したように呟いた。琴は手を止めずに答える。
「サクちゃんに教わったの。私……」
琴は少し躊躇ってから、真っ直ぐにレイの目を見て言った。
「私、看護師を目指そうと思って。だから、高校を卒業したら看護学校に行こうと思う」




