その瞬間まで傍にいようよ
「さて、どうしよう……」
二十五階で降りた琴は、蜘蛛の子さえ逃げ出したようにがらんとした廊下に佇んでいた。とりあえず階段だ。桐沢警視長たちと合流出来ればいいが、彼らは琴がエレベーターに乗るよりもずっと前に動いていた。とっくにもっと下の階まで逃げているに違いない。
爆発はいつまで続くのだろうか。心なしか煙く空気が薄い気がして、琴はバッグからハンカチを取り出して口に押し当てた。
今いる階に爆弾が仕掛けられている可能性だってある。琴は恐怖を無理やり押さえこみ、非常階段まで辿りついた。
(びっくりするほど怖い……でも、後悔なんかしない)
絶対にホテルから脱出して、レイに想いを伝えるんだ。意図せず恐怖からこみ上げてくる涙を押しこめ、琴はついと前を向いた。もつれそうになりながら、階段を下りる。三階ほど下りたところで、階下から足音が聞こえてきた。
(――――誰かいるんだ……!)
光明が見え、気が逸る。しかし琴が足を速めた瞬間――――……間近で大砲を撃たれたような轟音が響き、続いて天井に亀裂が走った。
「――――っきゃああああっ!!」
つい今しがたまでいた階が爆発したらしい。衝撃に耐えきれず、とうとう天井が崩壊し、岩のようなコンクリートの塊が落下してきた。
(あ……やばい、今度こそ死んじゃう……)
「飛べ琴!」
死に手招きされ、階段で立ちつくす琴。しかし世界で一番好きな声に身体が反応し、電気が走ったように踊り場を見下ろせばレイがいた。
(……何、で)
そう口にする間もなく、琴はレイが広げた腕をめがけ、階段から飛び降りた。その背後で、琴の今までいた階段は瓦礫に埋もれ見えなくなった。
ガシッ!!
レイの固い胸板に受け止められる。間一髪だった――――……いまだにガラガラと落ちてくる瓦礫に、琴は冷や汗をふきだした。
何故レイが此処にいるのだろう。どうして。
爆発による動揺で、心がひどくかき乱される。階段から飛び降りた琴を受け止めてくれたレイの鼓動を聞いて、琴は目頭が熱くなった。
しかしレイによって勢いよく身体を離され、ひどい寂寞感が襲う。だが次の瞬間にはレイに手を繋がれ、二階下の廊下に引っ張りこまれた。
此処まではまだ火の手が迫っておらず、琴はいつの間にか上がっていた息を整えた。
「レイくん、何で此処に……エレベーターはどうしたの……?」
「……っ降りて君を探しにきたに決まってるだろ!! この……っ」
強い力で引っ張られた琴は、レイに壁へ押しつけられた。
「きゃ……っ」
思いきり押しつけられたせいで背中が悲鳴を上げる。しかし、レイが今にも泣きそうな顔をしていることに気付き、琴は文句を飲みこんだ。
「どうしてそう……どうしていつも無茶をするんだ! どうして危険に飛びこもうとする! どうして俺なんかを……っどうして俺なんかを守ろうとする……」
琴の両肩に、レイの指が食いこむ。その力は、彼の悲鳴のように感じられた。琴は震えるレイの手に、そっと自分の手を添えた。
それに気付いたレイが、弱弱しく琴の瞳を覗きこむ。久しぶりに彼の本音に触れられた気がして、琴はうっすらと微笑んだ。
「私、レイくんのことが好きだから」
「だから……っ!」
レイは苛立ったように言った。
「どうして君を傷つけてばかりの俺を好きでいるんだ! 俺といても、幸せになんかなれないだろ!!」
悲痛な声でレイが怒鳴った。火がそこまで迫っているのだろう。琴は熱気に頬を撫でられながら、揺らぐことなくレイを見つめ返した。
「私、幸せじゃなくてもいいもん」
「なに……」
「レイくんといられるなら、それが不幸なことだっていい! 不幸せになるとしても、レイくんの傍にいたいよ! 幸せも不幸も、レイくんがいなきゃ感じられない!」
琴の肩を掴むレイの力が弱まる。琴は離されたくないと思った。
「ねえ、レイくんは、自分が死に急いでるから私と別れたの?」
「……っ」
「そんなの勝手だよ。レイくんは私を危険な目に遭わせることを怖がるけど、私だって、レイくんを失うのは怖いんだよ。さっきだってエレベーターを降りたのは、レイくんが自分を犠牲にするのが怖かったからだもん。不幸だって良いの。レイくんを失って、心が死ぬよりマシだよ」
「僕は警察官だ。君を守ることが仕事だ! たとえ自分の身を危険に晒しても……」
「じゃあ、生きててよ! 神立レイは私を守るんでしょ。その約束を守るためなら、ずっと生きててよ」
「無駄死にするつもりはない」
悲痛な声でレイが訴えた。
「でも危険な仕事についてるんだ。いつ死ぬか分からない。君を守ることが出来ても、自分が死ぬかもしれない。そしたら君の未来に影を落とす……だからそうならないよう、早いうちに離れようとしたのに……」
「危険な仕事についてなくたって人は突然死ぬよ! でも、だから何!? レイくんが危険なら、私が守るもん! 今だって、そうした! レイくんが犠牲にならないように! これからだってずっとそうする! レイくんが私のことを好きじゃなくたって何度だって庇うし守るよ!」
(ねえ、だから、お願い……)
今日だけでもう二回死ぬかと思った。足が竦む恐怖を味わった。それでも泣かなかったのに、レイを好きという気持ちだけでこんなに簡単に泣けてくる。
目が熱い。息が浅くなる。ねえ、どうしたら伝わるの。
「曖昧なものを怖がって、離れていくなんてバカみたい! 神立レイは何でも出来るハイスペック人間でしょ! それとも、恋愛には臆病なの!? ねえ、お願いだから……っ」
拳を握り、力任せにレイの胸を叩く。次第に力を失っていき嗚咽が漏れた。
「もし今日、もし明日死ぬとしたって、死ぬ瞬間までは傍にいようよ……!」
「――――――……ああもう、くそ……っ」
頭上でレイが衝動任せに髪を掻き上げた。
「レイく」
「好きだ……っ」
腕を引かれ、琴はレイにかき抱かれた。背骨が軋むほどの強い拘束がレイの想いを伝えてくるようで、琴の頬を大粒の涙が伝った。
「好きだ。琴以外好きじゃない。ずっと触れたくて気が狂うかと思った」
ほどけかかっている琴の髪をかき乱すように、レイの手が後頭部へ添えられる。そのまま上を向かされ、次の瞬間には貪るように唇を重ねられた。
「ん……っふ……」
頬をピリッと焼くような熱気と煙の中で交わされた口付けは、何故だか目眩を覚えそうなほど甘く感じた。唇が離れると、琴はレイに再び強く抱きしめられた。
「せっかく離したのに。離してあげなきゃと思ったのに。手を掴んだのは琴だ」
「うん」
「もう二度と離さない。今度は琴が嫌がっても」
「……嫌がるはずない。ずっとレイくんと一緒にいたいんだよ」
首を少し傾げ、目尻に涙をためて琴が微笑む。レイはその涙を掬うように目元へ口付けを落とした。
やっと仲直り、です(*´꒳`*)




