黒煙は月と星を塗りつぶす
「爆発!? やだ何で!?」
「嘘だろ!?」
爆発という言葉が火種となって、会場内はパニックに陥った。飛び交う悲鳴と怒号に負けぬよう、スタッフがレイたち警察へ叫ぶ。
「発電機室は無事です!」
「なら電気は一分もかからぬ間に復旧するはずですが……」
レイの言葉通り、電気はすぐに復旧した。しかし、今度は桐沢警視長にホテルの出入り口を封鎖していた刑事から無線が入った。
『大変です! 爆発によってホテルに留めていた客が制止を振り切って逃げだしました!』
「ウェイター姿の男は!?」
桐沢警視長が叫ぶ。だが――――……。
『人が多すぎて把握出来ません!』
「ね? 一筋縄じゃいかないでしょ?」
逃げないよう両側から刑事に腕を押さえつけられた佐古は、にやにやと下種な笑みを貼りつけて言った。あちこちから罵声が飛ぶが、気に留めた様子もない。
「脱出するなら急いだ方が良いッスよ。このホテルには反警察団体によって、いくつか爆弾が仕掛けられていますから、ちんたら此処に留まっていたら皆爆死するッスよ。元々あの団体がオレに協力している本当の目的は――――警察関係者をここで木端微塵にする爆弾テロを起こすことッスから」
「な……っ!?」
(何てことを……!)
琴は言葉を失う。
客は平静を失い、警察やホテルスタッフにつめよって此処から出せと暴れ出した。出口へ押し寄せる客を宥めながらも、刑事の一人が唸った。
「念のため神立さんの指示によってパーティーの前に我々がホテル内をチェックした時は爆弾なんてなかったはずだ……!」
「宿泊客の手荷物を検査するのは流石にホテル側に拒否されたのが、仇になったッスね。協力者たちが客に紛れて持ちこむことは容易だったはずッスよ」
無線からは、これ以上客を引き留めるのは無理だという訴えが入る。悲鳴や断続的な爆発音が響き、華やかに飾りつけられた会場内は地獄へと様変わりした。
客の不安を煽るように、佐古は付け足す。
「ちなみに発電機室が無事なのは、オレが爆発騒ぎに乗じて証拠の手袋を隠滅し、逃げることを想定した時間の分だけッスよ。さあ、早く逃げないと発電機室も爆破されて、エレベーターが止まっちまいますよ?」
「随分と嬉しそうだな、佐古。お前が捕まることは変わらないぞ」
レイが侮蔑的な視線を向けると、佐古は心地よさそうに笑った。
「ええ。でも、ただで捕まるわけじゃない。捕まるよりももっと恐ろしい死を、これからホテル内にいる奴らは味わうんだと思うと楽しくて」
「ほう? なら、お前の期待を裏切り此処から死者を一人も出さずに抜け出せたなら、妻の無念も晴らせそうだな」
目をぎらつかせ、桐沢警視長が言った。それから、荒れ狂う会場内に向かって一喝する。
「ホテル内にいる全警察官に告ぐ! 速やかに客を誘導し、ホテルから退避せよ!」
ぐわん、と脳が揺れるほどの桐沢警視長の大声は、混乱を極める会場内の客を落ち着かせるには十分な効果があった。
それからの警察官とホテルのスタッフとの連携は見事だった。元々ウェイターの逃げ道を塞ぐため各階に散っていた彼らの誘導により、エレベーターで次々と客を避難させていく。低い階にいる客は、非常階段を使って避難することになった。
三十階にある会場内の客も、女子供、それから老人を優先的にエレベーターへ乗せ、着々と避難を進めていった。
慌てず、しかし急ぐ。発電機室がいずれ爆破されると佐古によって予告されたため、いつ割れるか分からない風船を抱えているような気分に陥りながらも、エレベーターを使う。若い男性陣は出来る限り階段を使うことになった。
「結乃さん、新郎新婦と一緒に乗って下さい」
刑事の一人が無理矢理結乃をエレベーターに押しこもうとしたが、結乃はいやいやと頭を振った。
「神立さんと一緒じゃなきゃ嫌!」
「僕は佐古と最後に下りるので……もしもエレベーターが途中で止まった時のために刑事を一人つけておきますから、早く逃げて下さい」
レイがそう説得するものの、結乃は「神立さんと一緒に逃げる」の一点張りだった。結乃が譲らない間にも、一面の窓から外を見下ろせば階下から黒煙が立ち上っているのが見えた。
「では宮前さん、君が先に……」
「私も最後に下ります」
レイが言い切る前に、琴は頑として譲らない姿勢を見せた。レイは険しい表情を浮かべ口を開いたが、折川が口を挟んだ。
「私も最後に避難する。桐沢警視長は先に避難して下さい」
「私は部下と共に階段で行く」
桐沢警視長は部下や男性客を先導しながら踵を返した。
「女は一度決めたら引かん……。神立、折川、任せたぞ」
しんがりを任されたレイと折川は、琴と結乃、それから佐古を乗せ、会場に残っていた最後の女性客らや刑事とエレベーターに乗りこんだ。
しかし、直後にまた階下で爆発が起きる。鉄の箱の中、女性客の悲鳴が響いた。
「今のは十五階のバーが爆発した音ッスかねぇ」
混乱を楽しむように佐古が言う。ガラス張りのエレベーターからは黒煙と炎、それから駐車場にとめどなく入ってくる消防車の様子が見えた。
強い風に煽られ、羽衣のように闇をたゆたっている炎が皆の不安感を煽る。どうかこのエレベーターが地上につくまで発電機室が無事でありますように。誰一人として犠牲が出ませんようにと、琴は胸の前で手を組み祈った。
永遠のように感じられる中、ふいにエレベーターが二十五階で止まる。
「え……?」
まだ地上についていないのに。昇降機内の皆が不安に包まれる中、扉が開く。そこには中学生くらいの女の子が、今にも倒れそうな青白い顔で立っていた。
どうやら逃げ遅れたらしい。満員のエレベーターを見て、女の子の顔が絶望に歪む。
「まだ避難出来ていない民間人がいたのか……」
折川が険しい表情をする横で、前に進み出たレイは女の子と同じ視線になるよう腰を曲げて優しく声をかけた。
「一人かな?」
「は、はい……お手洗いに行ってる間にホテルが揺れだして……私だけ……」
「そう、怖かったね。すみません皆さん、つめて下さい」
レイは、前半は泣きだした女の子に、後半はエレベーター内の皆に声をかけた。何とか大人一人入れるスペースを作りだし、女の子を招き入れる。しかし――――……。
ブーッ。
非情なブザー音を立てて、エレベーターは容量オーバーを訴えた。