そして死神がマントを広げる
同世代のゲストがいないため会場の中壁際でぽつんと佇んでいた琴は、結乃に声をかけられて顔を上げた。
「琴ちゃん! 素敵なお召し物ね」
「ありがとうございます。結乃さんこそドレス、とてもお似合いです。アップルパイは無事完成しましたか?」
「ええ! 後でお姉様にサプライズで渡すから、見守っててちょうだいね」
結乃の周りは、レイを始め折川や佐古、それから折川の部下によってガードされていた。結乃が会場入りしたことにより、場内の空気も糸を張ったように張りつめる。
表立って警護しているのはレイたちだけだが、会場内にいる警官も結乃の身を案じているようだった。中には耳に無線をつけ、周囲に目配せしながら連絡を取っている者もいる。
パーティーという割には物々しい雰囲気だな、と琴が思っている間に、会場内が暗くなった。代わりに壇上へライトが集中すると、司会者による開会の挨拶が始まり、それから主役の新郎新婦が登場した。
「わあ……お綺麗なお姉さんですね……!」
結乃の姉は、妹に負けず劣らずほっそりとした美人だった。淡い色のドレスで着飾った彼女は、新郎に手を引かれて壇上へと登る。そこから婚約発表がなされ、指輪の交換が終わると乾杯になった。
「琴ちゃん、何か食べるでしょう?」
「いただきます」
結乃に声をかけられ、琴は料理を取りにいった。ビュッフェ形式なので自分たちで皿に料理を盛りつけていくのだが、結乃が動く度、彼に腕を掴まれているレイはもちろん、カルガモの親子のように折川や佐古までついてくる。
使用済みの皿はテーブルに避けられていたが、何しろ来賓の数が多いので若いウェイターが積み上がった皿を両手に抱えて下げていった。
しばらくすると、薄暗い中、新郎新婦の友人によって作られたスライドショーが始まった。結乃はそろそろアップルパイを用意するよう係の者へ頼む。
「琴ちゃん、姉には後で紹介するわね」
「あ、はい……」
頷く琴。するとその隣をすり抜け、先ほど皿を下げていたウェイターが、今度はトレンチにシャンパンを載せてレイや折川、佐古に寄ってきた。
「お客様、ドリンクはいかがですか? ……っと!」
ウェイターが何でもないところで躓く。そのせいでグラスが傾き、琥珀色の液体が宙を舞った。レイと折川はさっと身を翻して避けたが、ついでにレイは琴と結乃にかからないよう盾になってくれたが――――佐古は胸元でシャンパンを受けてしまった。
「うわあっ。つめてっ!」
「も、申し訳ありません! お客様!」
年若いウェイターは顔を青くさせ、慌ててナプキンを取り出し佐古の胸元を拭った。
「大丈夫か、佐古」
「あの、ハンカチどうぞ……!」
レイと琴が持っていたハンカチを差し出す。佐古は袖口にもシャンパンがかかったようで、琴のハンカチを受け取りながら、折角のカフスボタンの留まった袖口を拭う。結乃が「鈍くさいわね」となじる隣で、折川はもっと拭く物を持ってくるようにとウェイターに頼んだ。
「うう……ベストまで濡れちまったッスよ……」
「申し訳ありません……クリーニング代はお支払いいたしますので……」
何度もぺこぺこ頭を下げながら、ウェイターは拭く物を取りに向かう。その後ろ姿を見つめたレイは顎へ手をやり、小さく呟いた。
「あのウェイター……さっきも不審な動きを……」
思うところがある様子で、レイは携帯電話を取りだし部下へと電話をかけた。その視線は、しばらくウェイターを追っていた。
佐古がぶつぶつ愚痴を零している間にもプログラムは順調に進み、スライドショーが終わると再び会場は明るくなった。新郎新婦の元へ友人たちが寄っていき、歓談の時間となる。
はて、どのタイミングでアップルパイを渡すのだろうと、琴は首を傾げた。
「お姉さんへどうやってサプライズするつもりなんですか?」
「ああ、それはね……警察の方とホテルのスタッフと相談して決めたの。……見ていてちょうだい!」
結乃は悪戯っぽい笑みを琴に投げかけ、中央のシャンデリアの真下まで駆けていった。それから指をパチンと鳴らす。
するとどうしたことだろうか、蝋燭を吹き消したようにふ、と照明が落ちる。琴は暗くなる寸前、袖の方で大きなアップルパイを載せた台車を用意しているスタッフが見え、なるほどと思った。
おそらく結乃がシャンデリアの下に立ったところで、ホテルのスタッフが照明を消す手はずになっていたのだろう。そして次に明るくなった時には大きなアップルパイが台座に載っているというサプライズだ。
「やだ、何々?」
壇上で、結乃の姉が無邪気な声を上げる。
それに呼応して、司会が声を張り上げ
「それではここで、新婦の月乃さんの妹である結乃さんから、サプライズのプレゼントです」
と言った。
「いきますよー! 三……」
司会者のカウントダウンが始まる。
琴はやっぱり、と納得して天井を見上げた。そこで、シャンデリアと天井を繋ぐリングキャッチャーの部分が暗闇の中光っていることに気付いた。
――――蛍光塗料が塗られている。
「二……」
(待って、あのシャンデリアの下って……!)
途端に、嫌な予感が背筋を駆けあがった。耳の裏側でドクドクと、激しく血の巡る音がする。琴は結乃の元へ走りよった。
「結乃さん!!」
琴が叫ぶのと、銃声が数発響き渡ったのは、ほぼ同時だった。
「一……えっ!? 何だ!?」
突然の銃声に、司会者のカウントが止まる。暗闇の中から桐沢警視長の
「照明を!」
という怒声が響いた。
これら全ての出来事が一瞬だった。
再び照明がつき、目が眩むほどの明るさに照らされた会場内で来賓者の目に真っ先に映ったのは、結乃と琴の元に落下していく大きなシャンデリアだった。会場内を大きな悲鳴が貫く。
「危ない!」
そう言って、琴は結乃をシャンデリアから少しでも遠ざけようと突き飛ばす。目下にシャンデリアが迫り、自分の影と、愕然とする結乃の表情を影で覆った。
まるで死に神がマントを広げ、自分を懐へ招き入れようとしているみたいだ――――……。衝撃と痛みに備えて固く目を瞑りながら、琴はそんなことを思った。
しかし――――。
「危ないのは君もだ!」
レイの声によって、全てがスローモーションのように見えていた琴の時間が再び急速に回りだす。力強い手に引き寄せられ、大きな胸板に抱きこまれたと思うと、耳を劈くようなガシャンという音がすぐ傍からした。
「え……っ!?」
驚倒する琴の頬を、飛んできたガラス片が掠める。間一髪、迫ってくるシャンデリアから琴はレイに助け出され、庇うように覆いかぶさられていた。