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彼が私をダメにします。  作者: 十帖
第二章
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彼のみぞ知る真実

 一人で入ってきた朔夜は、手近の椅子にかけて長い足を組む。


「伽嶋……。なるほど、此処は貴方の親の病院ですか。僕は誰にも邪魔されずに、貴方のお説教を受けなければならないというわけですね」


 皮肉っぽく言ったレイに、朔夜は眉間にしわを寄せた。


「説教をするつもりはないが……ただ、たった十七歳の女が、自分には不釣り合いなほどの色男の恋人になって、そしてその男の隣には毎日男にご執心の綺麗な女がいる。不安でたまらなかっただろうな。それなのにそんな彼女を振って泣かせた男の弱った姿を拝んでやろう、という嫌味は言いに来た」


「……僕は怪我人ですよ」


 はあ、と深い溜息を零してレイは言った。


「琴、泣いていたんですか」


 出来れば琴には泣いてほしくない。大切に大切にしたい。それなのに、ここ最近の自分は琴を泣かせてばかりだ。


 その上、自分が泣かせておきながらも、朔夜に縋って泣いたのではないかと思うと、嫉妬の炎が腹の底で燻る。いつまで自分は琴の恋人気取りでいるのかと、レイは嫌気がさした。


 ここ一カ月、もうずっと嫌だ。何もかもがスムーズに進まない。そして琴を振った理由を聞くまでは朔夜が動かないのだろうと思うと、見た目に似合わぬお節介な彼に対しても嫌気がさした。


「伽嶋、貴方以前に保健室で言いましたよね、『今の君の琴への態度にはいささか納得がいかない』って」


「ああ……今までの君なら、どんな状況下でも時間を作り琴からのメールに返信をしていたのに、それをしないのを不審に思っていた」


「甘えていたんです。琴なら事情を理解してくれているはずだからと、恋人の座にあぐらをかいていた……そしてそれ以上に」


 レイは少し言いあぐねてから、静かに言った。


「迷いがあったんです。琴と付き合っていて、幸せだと思う反面、ずっと迷いがあった。だから琴が寂しそうな顔をしているのにも、不安そうな顔をしているのにも気付いていたのに、積極的にメールを返す気になれなかった」


「迷い?」


 朔夜は首を捻った。


「琴のことが好きじゃなくなったのか?」


「いえ。好きです。誰よりも。好きだから迷っていたんです」


「……どういうことだ」


「琴を預かったばかりの僕は、琴に昔のままでいてほしかった。でも、彼女と暮らしていくにつれて、成長しても琴の根幹が変わっていないことを知って安心した。と、同時に……」


 レイは仰向けになったまま、シーツを固く握りしめた。


「僕が琴の未来を閉ざしている気がしたんです。進路に悩む彼女を見た時、彼女にはこれから、輝かしい未来が待っていると思いました。高校生だ。これから何にだってなれる。大事な時間だ。それを、僕の帰りを待って不安にさせるだけで奪ってしまっていいのか、最近はずっと悩んでいました」


「何せ今でさえ、この有様ですからね」と、レイはベッドから起き上がれない自分の状況を自虐的に語った。


「自信がないのかもしれない……琴が将来を考える年になって、いつ命を狙われてもおかしくない僕の隣に置いておいていいものか……。警察の威信にかかわる事件が起きて、命に代えても警護対象を守らねばと思うと、余計にその迷いが強くなった」


 敬愛していた阿澄は、事件に巻き込まれて簡単に死んでいってしまった。自分もそうならないとは限らない。阿澄の死はレイに暗い影を落とし、未だに彼を苦しめ続けていた。


 自分がいつ、どんなタイミングで殉職するか分からない。そんな危険な仕事につき、琴を置いて死ぬかもしれない自分が、陽だまりのような彼女と一緒にいてもいいものか。


 しかし、だからといって刑事を辞めるという選択肢もレイにはなかった。


「琴が憧れる正義のヒーローになりたいと思って刑事になりましたが、きっかけはそれでも、それだけで最短で警部補になったわけじゃない。国民を守りたい、だから刑事として走っていきたい。僕はもうその生き方を変えられない」


 好きな女の子の傍に居たいと同時に、刑事でいたいとも思った。


「だから、泣いた彼女を見て、手を離してあげた方が彼女のためだと思ったんです」


 自分の手で幸せに出来ないなら、どうか別の場所で笑顔を咲かせてほしい、と。


「でも、家に帰る度、琴の存在を探してしまう自分が浅ましくて嫌になる。あの家には、琴の気配が色濃く残っていて、つらい。自分から手放したくせに勝手だろう? でも、あの空間に一人でいたくないんだ。それなら、ずっと働いて泥のように仮眠室で眠る方がましだと思うくらい。……あんな家で、いつ帰るか分からない僕の存在を待っていた琴は、心細かっただろうな」


 レイは琴を思う。琴が折れそうなほど小さな背中を丸めてリビングのソファに座り、クッションを抱きしめて自分の帰りを待っていたのかと思うと、心が張り裂けそうだ。


「……俺じゃ、琴を幸せに出来ない」


「アレは、君に幸せにしてほしいと思うタマか?」


 朔夜はガリ、と頭を掻きながら、ドアの擦りガラスにゆらめく人影を見つめた。レイは俯いているため気付かなかったが、朔夜は琴を病室の外で待たせたままだった。


 病室に入る際、僅かにドアを開けたままにしておいたので、琴にはレイたちの会話が聞こえただろう。去っていく琴の影を見つめながら、朔夜はそう思った。


「……これが、僕が琴を振った理由です。理解したなら出ていってくれませんか」


 レイは刺々しい口調で言った。


「これ以上お節介を焼く、というなら、個室を手配してくれた礼に話だけは伺いますが?」


「いや、そろそろヤニも切れたしな……」


 そう言って、懐の煙草へ朔夜は手を伸ばす。さすがに院内では吸えないため我慢していたのだろうが、ヘビースモーカーの朔夜にはそろそろ限界のようだった。


 ふん、と鼻で笑い、レイは朔夜を視界から追い出すように横を向く。そこで、枕元に警察手帳が置かれていることに気付いた。


 寝ている間に誰かによって置かれたのかと何気なく開いたところで、レイは目を見開いた。


 ハンカチで拭われたようだが、凹凸のあるバッジの旭日章には僅かに自らの血が付着していた。それはまるで……。


「…………」


「……神立くん、すまないがそこのゴミ箱にこれをほかしていいか」


 警察手帳に気を取られていたレイは、朔夜の声に反応して彼を見上げた。朔夜の手には空になって潰された煙草の箱が握られていた。


「ほかす?」


「ああ、これは関西弁だったな。忘れていた。捨てるという意味だ」


 そう言って、朔夜は結局レイの了承を得る前にゴミ箱へ箱を捨てた。レイはまじまじと朔夜を見つめて言った。


「……お前、関西出身だったのか」


「父の実家が京都でな。祖母が関西弁だったから、小さい頃よく世話になっていたせいか、たまにポロッと出てしまうんだ」


「――――……そうか」


 ふと、琴との会話が蘇る。自分が犯人で関西人なら、関西人であることを隠す……。


「まさか……いや、でもそれなら……落ち着け、考えろ……本当に辻褄が合うのかを……」


 レイは考えを整理するように独り言を呟いた。


「桐沢部長夫人の事件から一カ月……犯人はあれ以来一度も行動を見せなかった。警備の手も緩めていない。なのに、何故今のタイミングで結乃さんを襲撃してきたのか……」


 もし自分が犯人なら、結乃の記憶が鮮明な事件直後に口を封じるだろう。何故事件から日が空き、結乃の記憶が薄れてくるような今だったのか……。


 それに結乃が目撃した殺人犯は一人。それならばダンプカーで襲撃してきた運転手二人は、犯人というより協力者の可能性が高い。犯人のバックには何かいる?


「神立くん?」


 突然掛け布団をガバリとめくり起き上がったレイに、朔夜は目を見開いた。


「おい、急に動いたら傷口が……」


「伽嶋、とりあえず貴方は容疑者から外れました」


「……何のことかさっぱり分からないんだが」


「僕、もう退院します」


 点滴針を男前に引き抜こうとしたレイの手を、朔夜が止める。


「いや、傷が塞がるまで待て」


「時間が惜しい。それから」


 レイは面倒くさそうに朔夜の手を払ってから、ニヤリと笑った。いつもの自信に満ちた刑事の顔で。


「琴はやっぱり僕の光だ。事件解決の糸口へ導いてくれる彼女は最高ですよ」


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