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彼が私をダメにします。  作者: 十帖
第二章
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あの温もりを覚えてる

 病室から見える日が傾いてきた頃、朔夜に声をかけられた。


「桐沢が来る」


「あ……うん」


 名残惜しくレイに一瞥を残し、琴は病室を出る。琴が廊下に出ると、首にコルセットを巻いた結乃が、折川と佐古に付き添われてこちらへ向かってきていた。


「琴ちゃん? どうしてここに?」


 長いまつ毛を瞬く結乃に、琴は目を泳がせた。


「あ、あの、結乃さんと神立さんが襲われた時、私ちょうど学校にいて……心配で様子を見に来たんです。あの、大丈夫ですか?」


「そう、ありがとう。私は首を捻挫しただけよ、神立さんが守ってくれたから。もし神立さんじゃなく頼りないワンコや狐に送られていたら、きっと今頃あの世の義母と会うはめになっていたわ」


 もしもの未来を想像したのか、結乃はぶるりと肩を震わせる。犬と狐呼ばわりされた佐古や折川は、渋い表情をしていた。


「今回の件でご自分の立場が分かったでしょう。今後はもっと我々の言うことを従順に聞いていただきたいですね。貴女はやはり、犯人に命を狙われていると判明したのですから」


 辛辣な口調で折川が言うと、結乃は鼻白んだ。


「何よ。貴方たちなんて、私が襲われるまで今日は警護についていなかったじゃない。早く犯人を捕まえて下さらない? 神立さんのように盾になってくれるなら別ですけど。私が我慢する必要なんてないと思いません? だってもしまた危険が迫ったら、今度は貴方たち二人が身を挺して庇ってくれれば問題ないでしょう?」


 そう吐き捨て、結乃はレイの眠る病室に入っていこうとした。しかし、琴は発作的にその腕を掴んだ。

警察が盾になるのは当たり前だと言わんばかりの結乃にもやもやし、衝動的に掴んでしまったのだ。


「琴ちゃん? なあに?」


 少し苛立った口調で結乃が言う。不自由な環境に置かれ、結乃は結乃なりにストレスがたまっているのだろう。それは分かる。でも……。


 刑事部部長の娘という立場の結乃にとっては、ノンキャリアの警察官は自分の盾になる駒でしかないと言われたようで。レイが命を張って守った結乃に警察を軽んじるような発言はされたくなかった。


「警察官は、結乃さんの盾になる駒ではありません。人間です。警察の方々が結乃さんを守ってくださるのは、一人の人間として、貴女が心配だからです。もちろん、私も……今朝の現場を目撃した時、すごく心配で……。だから、結乃さんの身を案じている方々の言葉に、もっと耳を傾けてください」


 言いすぎたかもしれない。結乃の眦が吊りあがったのを見てそう思った。佐古も、鉄面皮な折川でさえ驚いたように琴を見下ろしている。しかし、琴は言わなければ気が済まなかったし、取り繕う気にもなれなかった。


「宮前の言うとおりだ。あまり心配させるな」


 微妙な空気に助け船を出したのは朔夜だった。後輩に注意され不機嫌な結乃へ、「神立くんの様子を見なくていいのか?」と朔夜は言う。すると結乃は思い出したように病室へ入っていった。


 しばらくすると部屋から声が聞こえてきて、レイが目を覚ましたのだと分かる。会話の内容までは聞こえなかったが、琴はただレイが目覚めたことに安心し、肩の力を抜いた。






 徹夜が続いていたせいか、レイは麻酔が切れてからも泥のように眠っていた。悪夢を見るかと思えば、随分と温かな夢を見ていた気がする。胸にぽっと優しい灯りが灯るような夢を。


 やがて緩やかな覚醒に背中を押され、レイはまぶたを押し上げた。真っ先に飛び込んできたのは、目に痛いほど白い天井だった。


「…………此処は」


「神立さん! お目ざめになりました!? 此処は病院ですわ!」


 二番目に視界に飛びこんだのは、警護対象である結乃のアップだった。途端に職務のことを思い出し、レイは頭を切り替える。それでも琴であれば良かったのにと考える自分が浅ましかった。


 起き上がろうとグッと腹に力を込めたところで、鈍痛に顔をしかめる。そこでガラスが刺さったことを思い出した。仕方ないので、仰向けになったまま病室内を見渡す。


 それから、ほんのりと温かな感触の残る手のひらへ視線を落とした。片方の手だけ、手汗をかいている。


「結乃さんが、僕に付いてくれていたんですか?」


「……どうしてです?」


 誰かが傍に付いていたと確信しているようなレイの物言いに、結乃は面食らった様子で尋ねた。


「夢うつつですが、誰かに手を握ってもらっていた気がしたので。柔らかい手だったので、女性だったのかと」


 つい今しがたまで病室近くにいた女性は琴しかいない。しかしレイと琴の関係を知らない結乃は、訝しげな表情を浮かべた。


「あの子が……? まさかね……」


「結乃さん?」


「え? あ、ええ。それは私ですわ。こうして……」


 結乃はレイの手をそっと掬いあげた。


「手を握っていたのですけど……嬉しいわ。神立さん、眠っていても私のぬくもりを感じてくださっていたんですね」


「へえ……」


 レイは大理石のように滑らかで冷えた結乃の手を見下ろした。


「結乃さんの手は冷たいんですね」


「そうかしら」


 ぎくりと肩を揺らしそうになりながら、結乃はとぼけた。


「ええ。女性は冷え症の方が多いですから、気をつけて下さい。それから、すみませんでした。警護対象である貴女に怪我を負わせてしまった」


 コルセットの巻かれた結乃の首元を見て、レイは力不足を痛感した。しかし結乃は、命を守ってくれたヒーローであるレイにますます惚れこんだようだった。


「いいえ……! 神立さんのおかげで助かりましたわ。それに、琴ちゃんにも怒られてしまったし、私も軽挙は控えるようにします」


 他の刑事たちの前とは打って変わって、結乃は殊勝に言った。しかし、レイが反応したのは『琴』という名前の方だった。


「宮前さんも、来られているんですか」


「どうやら今朝の現場を見て心配して来てくれたみたいですわ」


「そうですか……。すみません結乃さん。僕は今こんな状態ですので、佐古や折川さんとしばらく一緒に居てください」


 渋る結乃を病室から出し、レイは手のひらをじっと見つめる。結乃は自分がレイの手を握っていたと言っていたが……。


「……でも、夢の中で俺の手を握ってくれた人の手は温かかった……」


 手のひらに僅かに残る温もりへ、レイは想いを馳せる。太陽のように温かい子供体温は、レイの知る限り一人しかいない。ほんの一月前、星空へのぼっていくような観覧車の中で握った手。


「琴……」


 名前を呼ぶと、固く鍵をかけた扉の向こうから愛しさが溢れ出してくる。手痛く振った自分に、琴はさっきまでついていてくれたのだろうか。


「そんなに熱のこもった声で呼ぶなら、どうして別れを切りだしたんだ」


 扉を開けてからコンコン、と申し訳程度のノックをしたのは、朔夜だった。

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