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彼が私をダメにします。  作者: 十帖
第二章
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生き急ぐんだね、君はいつも

 例えば何かよくないことが起きると分かっていたらもっと殊勝に生きたのに、だとか、あんな言動を取らなかったのに、と後悔しても仕方がないのだけど。


 琴はレイがガラスの摘出術を受けている間、病院のロビーに腰掛けずっと俯いていた。途中やってきた折川や佐古、他の刑事たちに代わる代わる説明を求められたが、記憶があやふやでちゃんと答えられた気がしない。しかし隣に座っていた朔夜が代わりにしっかりと答えてくれたようだった。


 やがて手術が終わり、レイが病室に移ったと聞いて初めて、琴は顔を上げた。


「走るな」と後ろから追いかけてくる朔夜を無視して病室へ向かうと、ちょうどレイの病室から出てきた中年の看護師に声をかけられる。


「あら、神立さんのお知り合いの方? 申し訳ありませんが、本人がまだ目を覚ましていないので……」


「そいつはいいんだ。通してやってくれ」


 追いついた朔夜に、看護師は頬を染めた。朔夜の美貌は中年にも通じるらしい。


「朔夜さん……! なるほど、神立さんは朔夜さんのお知り合いでしたか。どうりで顔面偏差値が高いと……」


 院長の息子である朔夜とは顔見知りなのだろう。ベテランの看護師は、病室で眠るレイを思い浮かべて苦笑した。


「血だらけで運ばれてきたのに、一瞬美しすぎて看護師たちの手が止まるほどでした。でもまだお若いのに随分と傷痕の多いこと……」


 琴は以前偶然目にした、レイの肩甲骨に走る大きな刀傷や銃創を思い出して胸が締めつけられた。


(レイくんは、その身を賭して国を、民間人を守ってるんだ……)


「滅多にお目にかかれないくらいの美青年は国の宝ですから、もう少し自分を大事にしていただきたいものですわ」


「起きたら神立くんに伝えておこう」


「あの、レイくんは大丈夫なんですか?」


 会話に割って入るのは失礼だと承知しつつも、琴は気が気でなくて口を挟んだ。中年の看護師は、しわの入った口元を柔らかく緩め微笑ましそうに言った。


「命に別条はないので大丈夫ですよ。刺さった破片は幸い臓器をそれていましたし」


「CTを撮っていたようだが、頭の方は大丈夫だったのか?」


 朔夜が訊くと、看護師は頷いた。


「脳しんとうだけです。ニュースになるくらいの事故だったみたいなのに、幸運でしたね。では、私は桐沢さんの方を見てきます」


 そう言って去っていく看護師に頭を下げてから、琴は朔夜を見る。朔夜は顎で病室をさし、入るように促した。自分は病室の外で待っているから、と。


 琴はその気遣いに感謝し、病室の戸を開いた。


「レイくん……」


 個室のベッド、その白いシーツの上で、頭や腕に包帯を巻かれたレイが眠っていた。包帯の巻かれていない肘の部分からは点滴のチューブが伸び、その先を視線で追っていくと、スタンドに輸液ボトルがつり下げられていた。


 そこから点滴筒へぽちゃん、ぽちゃんと輸液が落ちるのを見て、琴は涙が滲んだ。


 目に痛いほど白い包帯を巻いたレイは、まるで人形のよう。ちゃんと生きているか不安になり、琴はレイの頬へ手を伸ばした。


「ごめんね、レイくん……」


 頬を撫でても、レイは目を覚まさない。ただ深く上下する胸が、レイが生きていることを知らせてくれて琴は安堵に胸を詰まらせた。琴はベッド脇の椅子に腰かけると、冷たいレイの手を両手でそっと包みこむように握る。


 何を甘ったれていたのだろう、自分は。命を張って警護対象の結乃を守ろうとしたレイを思い出し、琴は寂しさを我慢出来ずレイを責めた自分を恥じた。メールが返ってこないから何だっていうのだ。レイは命を賭けて仕事をしていたというのに。


 そう、いつだって……。


 琴が誘拐された時だって、自らの危険を顧みず助けにきてくれた。それなのに自分は? 何が出来ただろうか、彼に。朔夜のように冷静な応急処置が出来たわけでも、救急隊員に状況を説明出来たわけでもない。


 レイの手に、琴の涙が落ちる。このままじゃ嫌だと改めて思った。


「レイくんが怪我をして、再認識したよ。自分の進みたい道……自分の進路……」


 レイが死ぬかもしれないと思った時、世界がひび割れた気がした。そのまま粉々に砕けて、世界が色を失うかと。


 まだ、いやずっと、レイと一緒にいたい。


「レイくん、やっぱり隣にいたいよ……」


 返事を寄こさないレイへ、懇願するように語りかける。


 以前にレイの好きな相手が片平かもしれないと勘違いをした時は、身を引こうと思った。レイが好きな相手と結ばれてほしいと思ったから。でも、今回は違う。琴のことがまだ好きだと思ってくれているのに別れを選んだなら、身を引きたくない。


 誘拐事件を通して、レイの辛い過去を知った。一人で背負うには重すぎる傷を知った。阿澄刑事を目の前で亡くした痛みを抱えて生きる彼に、寄り添いたいと思った。支えていきたいと思った。誰かではなく、自分が。


(一人で血を流さないで。一人で生き急がないで)


「今度は、私が支えたいの……」


 琴は拾った警察手帳を彼の枕元に置いてやる。命がけで結乃を救った先ほどの様子を見るに、きっと、彼はこれからも生き急ぐのだろうと思った。


 そして、緋色に染まった警察手帳のバッジを見た瞬間、レイの心から血が流れているように見えて苦しくなった。これからも彼は無茶をする。刑事であろうとする度に。


「今度こそ、受け止めてみせるよ……」


 それからしばらく、琴の高い体温がレイの手に移るまで、琴はレイに寄り添っていた。


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