多分知ってた、君はそういう人だって
ダンプカーがぶつかり、標識がひしゃげる。そのはずみで、ダンプカーの助手席のガラスが砕けた。それでも構わず、ダンプカーの運転手はレイの車を追いかける。
静かな朝は突如として悪夢に変わり、学校周辺にあるマンションの住民は、窓から外を見下ろし悲鳴を上げた。通りかかった通行人や車は、ただただ呆然と立ち尽くしている。
(どうしよう、レイくんが……っ。レイくんが……!)
殺されてしまうかもしれない。轟音が鳴り響く中、琴は生きた心地がせずに頬に爪を立てた。いてもたってもいられず、琴は窓の桟に足をかける。
「待て。お前が行っても邪魔なだけだ!」
琴の腕を掴み、朔夜が叱る。琴は「でもっ」と叫んだ。
「逃げ回っていても被害が増えるだけだ。神立くんもそれを分かっているはず……おそらく神立くんは、こっちに突っこんでくるぞ」
「え……校門に!?」
このまま道路を逃げ回っていても、他の車や通行人を巻きこみかねない。道路より学校の敷地内に入った方が安全だ。一台のダンプカーに追われたままのレイの車は、校門へ向かってスピードを上げた。しかし、正面からはもう一台のダンプカーが迫ってきていた。
このままでは挟まれる。琴は悲鳴を上げた。
しかし、寸でのところでレイの車は進路をそらせ歩道に乗り上げた。その直後、辺り一帯を劈くような轟音が上がる。ダンプカー同士が衝突したのだ。
レイはこれを狙っていたのだろう。逃げ切るだけでなく、相手を運転不能にして襲撃犯を追いつめようとしたのだ。しかも、運転者が死なない程度のスピードを計算して。
「本当に人間かよ、あの刑事……」
琴の担任は腰を抜かし、その場に座りこんだ。琴は安堵の息を吐きかけたが、朔夜が「まだだ」と焦った声で言ったので、また道路の方を見た。
命が助かったことに感謝もせず、一台のダンプカーは性懲りもなく運転を再開しようとする。しかしぶつかった衝撃のせいかダンプカーの荷台部分がぐらりと揺れ、そのまま振子のようになって、カーチェイスに唖然としていた一般の運転手が乗る車へ襲いかかった。
――――ぶつかる――――……!
琴は離れていても、運転手の悲鳴が聞こえてくるかのようだった。しかし、ギャリッと車輪が擦れる音がしたかと思うと、レイの車が急発進し、ダンプの荷台と一般車の間に割って入った。そして、一般車の側面をわざとぶつけ、その衝撃を使って一般車を安全な校門の中へと押しこむ。
その代わりに――――……。
「レイくん!!」
今度こそ心臓が止まるかと思った。レイの車の側面に、荷台が激しくぶつかる。右側の後部座席がぐしゃりと押し潰され、衝撃に押し流された運転席側は門にぶつかった。
飛び散るガラス。そして、沈黙。車はどれも、完全に止まった。
頬に立てていた爪が、琴の薄い皮膚を食い破る。ピリッとした痛みが、琴を現実に返らせた。
「レイくん、結乃さん!」
「っち! 琴、救急車と警察!」
窓の桟を飛び越え、植えこみに着地した朔夜が振り返って叫んだ。
「早く!」
「っ、はい!」
震える指でスマホをタップし、救急車を呼ぶ。頭の中がぐちゃぐちゃだ。レイは無事なのか。結乃は? 車は、助手席は無事なようだったが、後部座席は大破していた。
(どうしよう、レイくんが死んじゃったら……私……)
嫌な予感に、琴の心臓が痛む。世界が黒く染まる。不安を打ち払うように、琴は必死に電話の相手へ住所を伝えた。
朔夜に遅れ、男性教師らがレイの車へ駆け寄った。琴も震える足で続く。誘拐され銃を突きつけられた時よりもずっと身体が震えた。レイの元へ近寄る前に、レイが朔夜たちによって車から引きずり出されるのが見えた。
結乃は無事なようで、自分で車から出てきた。すぐに教師たちによって車から引き離されているのが遠目に見える。ただひどく狼狽して何事か叫んでいた。
(レイくんが、警護対象である結乃さんを怪我させるわけないからきっと大丈夫……。でも、レイくん自身は……?)
自分より他人を優先させる人なのは、たったいまの事故を目撃していなくても知っている。琴は心臓が早鐘を打つのを感じながら、レイに近寄った。
車から出されたレイは頭部から出血していた。夕日を浴びた稲穂色の髪が、今は緋色に染まっている。しかし幸い意識ははっきりしているようで、大人の男たちによって車から距離を離したところに寝かされていた。
「襲ってきた奴らと、結乃さんは……」
「桐沢は無事だ。意識が清明ってことは、急性硬膜下血腫の心配はなさそうだな」
痛みに小さく呻きながら言ったレイへ、朔夜は頭部の傷を調べて言った。
「当たり前でしょう……。ガラスで切っただけですよ……。ただ、腹部に刺さったのは少し痛みますが……」
レイの横腹には飛び散ったガラスがいくつか突き刺さっており、そのうちの一つが深く刺さっているようだった。
「サクちゃん……! レイくんは……」
レイの腹部から滲む血に、琴は金切り声を上げた。それによって、極力頭を動かさないようにしていたレイは琴の存在に気付いたようだった。琴はレイの頭の横に膝をつく。
レイは琴と目が合うと、親に叱られる子供のような顔をした。
「また、泣かせてしまったね……」
打ちつけたのだろう。赤黒くなった手を伸ばし、レイは琴の涙を拭った。それから、爪を立てたせいで血の滲んだ琴の頬を撫でる。
「そんな顔をさせたいわけじゃ、なかったんだけどな……」
「レイく……」
琴が自分の手を添えようとすると、するり、とレイの手が力なく落ちる。意識を失ったレイに、琴は「レイくんっ」と細い悲鳴を零した。
「おそらく腹部の痛みで気を失っただけだ」
琴の肩に手を置き、朔夜が冷静に言った。いや、琴の肩に食いこんだ指の力の強さから、朔夜もいつもより冷静さを欠いていることが伝わった。
「許せない……。レイくんと結乃さんを危険な目に遭わせた犯人を……何でこんなこと……」
「犯人と鉢合わせした桐沢の口を封じるためだろう。警戒していたことが現実になったな」
警視長の妻を殺害した犯人は、確実に結乃を狙っているとこれではっきりした。
「でも、犯人は捕まる! そうでしょう……っ?」
琴は大きくへこんだダンプカーの方へ視線をやった。野次馬が車を取り囲んでいるが、運転席はもぬけの殻だった。レイと結乃をダンプカーで襲った犯人は、車を乗り捨てて逃げたようだった。
絶望と、身を焼くような怒りが琴の中に押しよせる。
(そんな……っ)
歯を食いしばって怒りに耐えていると、レイの傍に警察手帳が落ちていることに気付いた。警察手帳は開き、警察の紋章でもある旭日章が彼の血で染まっていた。緋色に染まった花のようにも見えるそれを、琴は震える手で拾いあげる。
(レイくん……っ)
ほどなくサイレンの音が聞こえてきて、琴の担任が二台の救急車を学校内へ誘導した。出来ることが何もない琴は、ただレイの手を握っていた。
救急車から降りてきた隊員へ、朔夜がレイの怪我についてざっと説明する。
「伽嶋病院へ運んでくれ。親父には俺が連絡する」
離れたところで教師に囲まれていた結乃は、見たところ外傷はなかったがどこか打ちつけているかもしれないと念のため別の救急車で運ばれることになった。
「俺はこのまま病院へ同行します。宮前、お前も来い」
レイの乗せられた救急車に乗りこみながら朔夜が教師陣に言い、琴の手を引いた。教師たちは不可解そうな顔をしたが、琴がレイの家で世話になっていることを知っている担任だけは頷いた。




