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彼が私をダメにします。  作者: 十帖
第二章
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小鳥は小さく縮こまる

 大きな事件の記者会見がある度にテレビで見かけていた琴は、すぐに彼が桐沢警視長と分かった。


 視線と洗練さで相手に格上だと認識させ凍りつかせるレイとも、背徳的な雰囲気で相手を怖気づかせる朔夜とも違う。桐沢警視長は細身であるにも関わらず、圧倒的な覇気でねじ伏せるような威圧感がある。


 その眼光の鋭さで、目が合った瞬間大きな手のひらで叩き潰されるような気になるのだ。


 琴が委縮していると、姿勢を正したレイが


「お疲れ様です。部長」


 と声をかけた。


「ご苦労だな、神立」


 夜の深い森が話しかけてくるような声で、桐沢警視長が言った。


「娘のお守は大変だろう」


「いえ……」


「お前の実力には合わん仕事だが、犯人を逮捕するまで辛抱してくれ」


「もう、お父様ったら、お守って何ですか」


 結乃はプリプリした様子で言った。桐沢警視長は気にした様子もなく、琴に視線を向ける。琴はかしこまり、手を固く握った。


「君の話は結乃から聞いている。……元気そうで何よりだ」


「……! お邪魔しています。宮前琴です」


 話ぶりから、桐沢警視長は琴が誘拐された事件を知っているに違いないと琴は察した。


「ねえお父様、琴ちゃんをパーティーに招待したいんです。いいでしょう?」


 何も知らない結乃は甘えた声でおねだりした。


「またワガママを言っているのか……。だが、そうだな。宮前くんがいいなら、是非とも来てくれるかな」


「え……っ」


 桐沢警視長の瞳に琴に対する興味がちらついたのを感じ、琴は困惑した。レイは声を荒げる。


「部長、彼女は部外者です」


「ほう? お前が声を荒げるなんて珍しいな」


 涼しげな様子で桐沢警視長が言った。どうやら彼は琴を餌に捜査一課のエースという看板を背負う若造をからかっているようだ。


 しかし、警視庁のお偉いさんに誘われては断れない。というか断る勇気がないと琴は思った。


「あの、本当にお邪魔じゃないですか?」


「勿論だ」


 快く頷く桐沢警視長に琴は観念し、顔を出すことを了承した。レイはまだ渋い顔をしていた。


 アップルパイを焼いている間に、琴はリビングに移動しレシピを結乃へ書いてやった。最近は日が暮れるのも早くなってきているため、そうしている間にいい時間になり、窓の向こうは炭を流したようにとっぷりと暗くなっていた。


「夕飯を一緒にどうかね?」


 濃紺の着流しに着替えた桐沢警視長に誘われたが、琴は滅相もないと遠慮した。それから、現在の同居人であり、放っておくと身体に害のあるものしか摂取しない朔夜を思い浮かべた。


「家で夕食を待っている人がいるので……」


「ほう?」


 眉を上げた桐沢警視長は、レイに愉快そうな視線を送る。控えるように部屋の隅に立っていたレイは、珍しく不機嫌そうに口を引き結んで琴を見ていた。


 どうやら桐沢警視長は、レイと琴が同居していることも把握しているようだ。レイが結乃の家に缶詰にもかかわらず、琴には夕食を作る人物がいる。そして優秀な部下であるレイの不愉快そうな顔。その二つを結びつけた桐沢警視長は、玩具を見つけたような顔をしてソファに座ったまま指を組んだ。


「ふむ。なかなか興味深いな、君は……」


「ほえ?」


「いや。それなら結乃に付き合わせて悪かったね。家で待っている人が心配するだろう。早く帰った方がいい」


「琴ちゃん、もしかして家で待っている人って伽嶋先生?」


 桐沢警視長の向かいのソファに掛けていた結乃が、興味津々な様子で尋ねた。


「付き合っているの?」


「ほえ!? ち、違います……! 伽嶋先生とはそんなんじゃ……」


「あら? 噂になってるわよ? じゃあ違うのね……琴ちゃんに恋人はいないのね」


「いえ、恋人なら……」


 いるんですけど……。と、尻すぼまりになっていく声で琴は言った。というか、同じ室内にいるとは流石に言えない。琴はレイの顔が見られなくて、アップルパイの様子を見に行くと理由をつけ、逃げるようにキッチンへ向かった。


 狐色の焼き色がついたアップルパイは、食べる前から口の中に唾液が湧きあがってくるような甘酸っぱい香りを放っていた。皿に載せてリビングに持っていくと、試しに一口食べた結乃は破顔する。


「美味しいわ、琴ちゃん」


「良かったです」


「でも、お母様のアップルパイの味とは少し違う気がする……」


 では改良が必要ということか。まだしばらく結乃の家に通うことになりそうだと思うと、琴は陰鬱な気分になってしまった。


「お母様の作ったものは、クリームの味がしたのよねぇ……」


「カスタードクリームですか?」


「そうなのかしら? でもこれも十分美味しいわ。ねえ神立さん、食べてみて」


 自分が食べていたアップルパイをフォークで一口大に切った結乃は、レイへとそれを優雅に差し出す。琴はスカートを握りしめて目を伏せた。


(……みじめだ)


 他人のためにアップルパイをこしらえて、他の女性が自分の恋人にあげるシーンを見ないといけないなんて。


 レイはそのフォークを受け取るのだろうか。それとも断ってくれる?


 ギロチンにかけられ、今にも銀色に鈍く輝く刃が落ちてくるのをキリキリした気持ちで待っているような気分になる。それに耐えられなくなった琴は目を反らし、リビングのソファに置いていたカバンを手に取った。


「あ、の、私……アップルパイも出来たことですし、夕食の準備もあるので、そろそろ失礼します」


「ああ、遅くまですまなかったね」


 桐沢警視長が言った。


「帰りは電車かな? 暗いので誰かに家まで送らせよう」


「え……いえ、一人で……」


「僕がお送りしますよ。部長」


 いつの間にかリビングの扉の前に立ったレイがにこやかに言った。


 まるで最初からこの機会を待っていたと言わんばかりのレイに、琴は不意打ちを食らった。琴の視界の端には、アップルパイをさしたフォークを持ったまま、拗ねている結乃が見えた。どうやら結乃はレイにかわされたらしい。


「でも私、一人で……。レ……神立さんは結乃さんの警護がありますし」


「今は家に私も、折川くんたちもいるから気にすることはない」


 戸惑う琴に、桐沢警視長が優しく言った。


「それに、君に何かあると、君の『同居人』に申し訳が立たないのでね」


目線だけでレイを指した桐沢警視長に、琴はやっぱりこの人はすべてお見通しなのだと気付かされる。


「では、行きましょうか。宮前さん」


 ぐ、と背中に手を添えられ、琴はレイによって半ば強引にリビングから出された。


「え、あの……」


 まるで逃げるのを阻止するかのように琴の肩を抱き、車のキーを手にレイは玄関へと進む。廊下ですれ違った家政婦に見送られ、レイと琴は玄関を出るとレイの車が止まったガレージへ向かった。



二章の最初に登場人物紹介を割り込み投稿しておきました。

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