捜査の糸口を探します
結乃の家に行くのは二度目だが、相変わらず部下を引き連れた公安の折川が居た。今日も今日とてその性格に違わずピッチリと髪を撫でつけた折川は、厳しい三白眼で家政婦に対峙している。
ニ十畳ほどある広い和室で松の描かれた欄間の埃を払い落していた中年の家政婦は、折川からの詰問に、頬に手を当て悩んでいるようだった。
構わずキッチンに行こうとする結乃を制し、レイは障子に隠れ耳を澄ませた。厳しいレイの横顔に何か理由があるのだろうと思い、琴もそれに倣う。
「我々は桐沢警視長の奥方を殺害したのは、奥方の愛人だと踏んでいます。何か思い当たることはありませんか」
「そうですねえ……思い当たることは、全て警視庁で刑事さんにお話しましたけど……ああでも」
家政婦は思い出したように手を打った。
「一度奥様の携帯にかかってきた電話のスピーカーから、関西弁が漏れ聞こえていたことがありましたけど……」
「愛人は関西人だと?」
「私が関西弁を耳にしたのは一度だけなので、自信はありませんけどねぇ」
「……桐沢夫人と交友関係がある関西人を洗い直せ。それから、ダイイングメッセージの『サダヲ』と関係のありそうな者を搾りこむんだ」
折川が家政婦に頭を下げてから、部下の二人に指示を出す。琴はその様子を見つめながら首を傾げた。
「警察ってすごいなあ……。どうやって関西出身の人を探すんだろう。あ、でも関西の人って関東に来ても関西弁のままだったりするから、分かりやすいのかな? 私がもし犯人なら、関西人って分からないように隠すけど……」
ぼんやり考えていたことがどうやら口に出ていたらしい。それまで気配を消していたレイがツボに入ったのかふきだした。
「……くっ。はは、宮前さん、警察には独自の情報網があるんですよ」
「う、あ……はい……。そ、そうですよね」
(そうだよね、警察の人が、ただ関西弁喋るから関西人って単純に見極めてるわけないよね……!)
自らの安易さに琴は赤面する。相当面白かったのか、レイはまだ笑っていた。結乃もいるのに子供っぽいことを言ってしまい穴があったら入りたくなった琴だが、レイが久しぶりに心から笑っている様子を見て気まずさが少し和らぎ、ホッとした。
「でも着眼点は良かったと思いますよ。関西弁で話さなければ、すぐには関西人とは分かりませんからね」
目尻に溜まった涙を拭いながらレイが言うと、折川は腕を組み憮然とした表情で言った。
「戻りが遅いと思ったら、盗み聞きか? 神立刑事」
「公安の方は情報を共有してくれないので、仕方なく」
「それはそちらも同じだと思っていたが? 神立刑事、君は随分と秘密主義だそうじゃないか」
「嗅ぎまわられると隠したくなる性分なもので」
「この事件、どこまで掴んでいる?」
「そちらほどは掴めていませんね」
「……食えない男だ」
たとえ蛇のしっぽを掴んでいてもおくびにも出さないのだろう、と言い残し、折川は携帯を手に廊下へと出る。レイは涼しい顔をしていたが、折川の背中を見送る瞳は鋭かった。
折川と入れ替わるようにして、今度は捜査一課の佐古がやってきた。
真冬の朝のようにピリリとした空気をかもす折川とは違い、佐古は相変わらず刑事には見えないチャラさと人懐っこさがある。彼の犬っぽい顔つきのせいか、琴は彼を見るとゴールデンレトリバーを思い出してしまうのだった。
「神立さん、戻られてたんスね。また折川さんに絡まれてたんスか?」
「それが嫌で別の部屋に避難しているのかと思ったが?」
同じ捜査一課の人間相手だからか、レイの態度は折川の時よりずっと柔らかい。それに相手を揶揄するようなレイの口調は珍しくて、琴はつい食い入るように見つめてしまった。結乃はいつもこんなレイを見ることが出来るのだと思うと、やはり嫉妬してしまう。
不躾なくらい二人を見ていたせいか、佐古と目が合った。琴は反射的に頭を下げたが、ふと、もしかすると佐古は琴が何者か知っているのではないかと思った。
佐古が捜査一課の人間なら、琴が以前、レイを逆恨みしている外道な篠崎によって誘拐されたことを知っているはずだ。しかし佐古は、そんな様子を微塵も見せない。
(ということは、私がレイくんの同居人ってことも知らないのかな?)
もし知っているなら、レイが仕事をやりにくいのではないかと思ったが、レイもそんな素振りを見せていない。
佐古は人好きのする顔で「ああ、君、また来たんスね」と言った。
「はい。あの……佐古さんは、捜査一課に配属されたばかりなんですか?」
自分とレイの関係を知っているのか、琴はやんわりと探りを入れた。
「ああ、ひと月くらい前にね」
それならば琴の誘拐事件は知らないだろう。そう推測する琴の前で、佐古はレイへ尊敬の眼差しを送る。
「本当は班が違うんスけど、神立さんは有名ッスから、こうして捜査を一緒に出来るのは光栄ッス。神立さん、また飯連れていって下さいね!」
「調子のいい奴だな……」
レイは腰に手を当て、呆れたように言った。
「お前を飯に連れていった覚えなんてないが?」
「えー? そうでしたっけ? じゃあ今度連れていって下さいッス」
「そうだな。桐沢警視長の奥方と交友のあった関西人を見つけ出せたら何か奢ってやる」
「おっ。約束ッスよ? って、関西人スか? 何でまた?」
訝しげな佐古に家政婦から得た情報をレイが説明すると、佐古は手帳に何かを書きこみ「オレ、寿司が食べたいッスー!」と勇み足で出ていった。
「たーいくつ。行きましょ、琴ちゃん」
琴の腕を引っ張り、結乃がキッチンの方へ引きずっていく。義母の事件についてはとんと興味がないのだろう結乃に連れられながら、琴はレイをちらりと盗み見る。
レイはあとで話があると言ったが、今のタイミングではなさそうだと琴は意識をアップルパイへ向けた。それでも、胸の奥に小さなしこりとなって、何の話をされるのだろうという不安が巣くっていた。
結乃の家のキッチンは家政婦によって綺麗に磨きあげられ調理器具も豊富なため、とても使い勝手がいい。
琴は危なっかしい手つきの結乃をサポートしてやりながらフィリングを作るために林檎を小さく刻んだ。それから鍋に角切りにした林檎と砂糖、バターを入れて炒める。
さらに水分がなくなるまで、時々かき混ぜながら煮る。やがてべっこうのように透き通った黄金色になると、火からおろして熱を冷ました。その間にパイ生地を用意する。
「手際が良いわね、琴ちゃん。普段から家事をやっているの?」
「両親が共働きで家にいなかったので……」
言い回しが過去形になってしまうのは、ここ数カ月はレイと協力して家事をしていたからだ。ここ一カ月はレイが出払っているためまた家事を一人で担当しているが。
レイを見ると、時折リビングで電話や調べ物をしながらもこちらの様子を窺っていた。
「えらいのね、琴ちゃん。私も両親は不在がちだったけど、家事は全然ダメだわ。お手伝いさんがやってくれたし……ああでも、お姉様は小さい頃から家事が好きでよく料理してるけど」
「結乃さんのお姉さんは、今はどちらに?」
「婚約者ともう新居に住んでるわよ。あ、そうだ! 琴ちゃんも婚約披露パーティーに来てくれないかしら? お姉様に紹介するわ!」
「ええっ!?」
丸い型にパイ生地を合わせていた琴は、驚いて手を止めた。
「いえ、そんな……私なんかが行っても御迷惑なだけじゃないですか?」
というより、これ以上深入りするのは避けたい。パーティーには警察関係者も沢山出席するだろうし、そんな場所に琴が行けば、レイの同居人ということがバレかねない。
「迷惑なんてとんでもないわ。お姉様もきっと喜ぶと思うの。ねえ、ダメかしら――――……」
「結乃さん、無理強いはよくないよ」
話を聞いていたレイが、キッチンへと顔を出して言う。助け舟が出たことに琴が安堵していると、リビングの扉が開いた。
折川か佐古が戻ってきたのだろうかと扉を見やる。そこに立っていた人物に、琴は瞠目した。
眉間と額に刻まれた深い皺は冷厳な雰囲気を他者に与え、油断のない双眸は目が合った者を屈服させるような力がある。髭に隠れた真一文字の口元をうっすらと開いたその人は、桐沢警視長その人だった。
今話で二章で登場回数の多い登場人物が概ね出揃ったので、ぼちぼち一章同様、登場人物紹介を作成して挿入しようと思います。




