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彼が私をダメにします。  作者: 十帖
第二章
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王子の真意を誰が知る

 朔夜との生活は快適だった。親しき仲にも礼儀ありという言葉通り、琴は余計なことはせず、朔夜も詮索はしない。互いが互いの領域を侵すことなく、同居人としての節度ある距離感を保って過ごしていた。


 朔夜と過ごすにつれ、琴は付き合う前の琴とレイの距離は随分近かったのだろうな、と認識した。あの頃のレイは何でもかんでも琴の世話を焼きたがったし、暇さえあれば二人くっついていた気がする。付き合う前の方がソファで寄り添う機会も多かったし、スキンシップも多かったかもしれない。


(今は……)


 きっと結乃の方が、レイと触れ合っている時間が長いに違いない。そう思うと、また嫉妬が胸をチリチリと焼いた。






 ケーキ屋で遭遇してから四日後、自分の城である保健室で今から遅い昼食を取ろうと椅子から腰を上げた朔夜は、来訪者にニヒルな笑みを浮かべた。


 保健室に不機嫌な表情で入ってきたのは、レイだった。その端正な容姿から絵本から抜け出た王子様のような見目だと例えられることの多いレイだが、形の良い眉を寄せた小難しそうな表情も見る者を惹きつける。


 校内を闊歩するレイを、魂を奪われたような顔で見つめる女生徒の目撃情報が後を絶たないくらいだ。しかし今の彼は如何せん眼光が鋭すぎるな、と朔夜は悠長なことを考えていた。


「君のことだから、ケーキ屋で会ったその日のうちに迎えに来るかと予想していたが?」


「結乃さんを送り届けてから、ちょうど帰宅した刑事部長に捕まって……結局あれ以来家には帰れていないので。帰ったところで、琴もいませんしね」


 レイは冷え冷えとした瞳で朔夜を睨み、あてこすった。常人なら震え上がるほどの怒気だ。よっぽど琴を連れ帰ったことがお気に召さないらしい。憮然とした顔で睨んでくるレイを、朔夜は頭の先から靴の先まで眺める。


「……痩せたな、神立くん。激務のせいか」


「僕のことはいいんです」


 レイは鬱陶しそうに言った。


「貴方がさらっていった琴はどうしていますか。ああ、もし手を出していたら社会的にも物理的にも抹殺しますよ、貴方を」


「目が据わっているぞ、神立くん。居候しているのが申し訳ないのか、よく家事をしてくれて助かっている。これも用意してくれたしな」


 そう言って、朔夜は鞄から巾着袋を取りだした。中身は琴の手作り弁当だ。それを見つめたレイは、本当なら朔夜の手からそれを叩き落としてしまいたいのだろう。しかし琴が作った物に対してそんな暴挙に出る男ではないので、朔夜は憎たらしい笑みをちらつかせて弁当を見せたのだ。


 レイは気を落ち着けるように前髪をかき上げると、低い声で言った。


「琴の前で煙草は吸っていないだろうな」


「自分の女にマーキングされるのは不快か?」


 茶化すように言った直後、レイの右ストレートが襲いかかってきたので、朔夜は寸でのところで交わした。本気で当てる気はなかったのだろうが、レイは琴のことに関すると途端に短気になるな、と朔夜は思った。


「……こんな不毛な会話をしている間に、琴にメールを返してやったらどうだ」


「それに対する返信がきても、返せませんから……」


「それでも、一回でもメールを送ってやればあいつは喜ぶだろう」


 朔夜がそう言うと、レイは黙りこんだ。取り調べでは柔和な笑みと非情なまでの話術で犯人を追いつめているだろうに、琴のことになるとどうしてここまで不器用になるのか朔夜には不思議だった。


「……君は相手の何手先も読む男だし、思慮深い方だとも思っている」


「へえ? 随分と僕を買っていてくれてるんですね」


「だから、最近の君の琴への態度にはいささか納得がいかなくてね。神立くんの元へ琴を返す気にはあまりなれないんだが」


「伽嶋」


 レイの声が更に冷えこむ。朔夜は付け足した。


「もちろん、琴が君の元へ帰りたいと言うなら話は別だ」


「……琴は、僕の元に帰りたくないと言っているのですか」


 朔夜は答えなかった。レイは「今日にでも琴を迎えに行こうかと思っています」と言った後、踵を返したが――出ていく寸前で思い出したように付け加えた。


「ああ、それと……ダイイングメッセージの意味に気付きました」


「あの気の抜けそうなメッセージか……何だったんだ?」


「サクラ」


「……!?」


 朔夜は『サクラ』という単語に顔色を変えた。


「おい……刑事部部長の奥方が残す『サクラ』の意味なんて限られているだろう? サクラといえば、公安警察の俗称……」


「ええ、まあ」


「大丈夫なのか……? 今、公安と共同捜査をしているんだろう?」


「上の了承は得て、独自のルートで犯人を追っていますよ。そのせいで家に帰ることが中々叶いませんが」


 それでも早く事件を解決して琴と再び一緒に過ごすため、レイは寝る間も惜しんで捜査に励む所存だった。そんなレイの様子を見た朔夜は、眉間にしわを寄せるばかりだった。






 レイが朔夜の元を訪ねていた頃、琴は二年の教室にやってきた結乃と、扉の前で話していた。出来れば結乃とはあまり会いたくなかったが、訪ねてきた結乃に応対しないとなれば紗奈や加賀谷に心配をかけてしまうので、琴は平静を装って対応していた。


 話題は、結乃の姉の結婚披露パーティーで贈るお菓子についてだった。


「アップルパイ、ですか?」


「ええ」


 結乃は晴れ晴れとした顔で頷く。


「思い出したのよ。私の亡くなった実母が生前、私とお姉様にアップルパイを作ってくれたことを。その時のお姉様がとっても嬉しそうだったから、懐かしい味を婚約披露パーティーでプレゼントしようと思って」


「なるほど……じゃ、アップルパイに決まりですね。結乃さんのお母さんの味が再現出来るかは分かりませんが、頑張りましょう」


「ありがとう琴ちゃん、本当にいい子ね!」


 そう言って、結乃は感激した様子で琴の両手を握る。琴は自分が本当にいい子なら、子供じみた嫉妬なんてしないと内心苦く思った。


(本当は断れたらいいんだけど、一度引き受けたらノーとは言えない自分の生真面目さが恨めしい……)


 琴の荒んだ内心などいざしらず、今日も美しい結乃は笑顔で問う。


「それでね、早速アップルパイの試作をしたいのだけど……今日とかどうかしら?」


「あー……えっと……」


「あら? 都合悪い?」


「悪くはないん、ですけど……」


 結乃の家に行くということは、ケーキ屋で遭遇して以来会っていないレイと顔を合わすということだ。


(レイくん、家に帰ってこない私のこと、どう思ってるかな……)


 もしかしたら責められるだろうか。心配はしてくれているだろうか。勝手なことをして迷惑だと感じた気持ちの方が強いかもしれない。でも……。


 琴は綿あめのようにふわふわした髪をくしけずりながら、結乃を横目で見た。


(結乃さんが一緒なら、レイくんが私に話しかけてくることはないから、大丈夫かな)


 結乃がずっと、糊でくっつけたようにレイに寄り添っているに違いない。そのことに落ちこみつつも、琴は「今日で大丈夫です」と答えた。






 放課後校門前に行くと、最近は見慣れた光景になりつつある車を背にした格好でレイが待っていた。とてもいい笑顔で。


「おかえりなさい。それからこんにちは、宮前さん。この前は大丈夫でしたか?」


 まさかレイから積極的に話しかけられるとは思わず、琴は面食らった。挙動不審になりそうになるのを堪えて答える。


「大丈夫、です。ありがとうございます」


「いえいえ。伽嶋と帰っていったので、心配で」


 心なしかレイの口調が刺々しい。口調に反して、飛んでいる鳥も惚けて落ちてきそうなほど爽やかに微笑んでいるので、琴はレイの真意が読めず胃がキリキリした。


(……いや、多分……レイくん怒ってる……?)


 結乃を先に助手席に乗せたレイは、後部座席のドアを開ける前に琴に耳打ちする。


「後で話があるから、そのつもりでいて」


 背後のレイを振り返った時には、もう刑事の顔をしていた。後で、とはいつだろう。今日レイは帰宅するのだろうかと、琴は車の中で考えこんだ。



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