求めるもののすれ違い
放課後、琴は何故か結乃と共にレイの愛車がとまる校門へ向かっていた。
終礼が終わる時間を見計らい、校門にとめた車を背もたれにして結乃を待っているレイは、雑誌の表紙を切りぬいたかのように様になっていた。女生徒が黄色い声を上げて横を通過していくのを歯牙にもかけず、レイは腕時計に視線を落とす。
だが、警護対象の結乃の後ろに琴を見つけるなり、レイは大きなアクアマリンの瞳を瞬いた。
しかしそれは一瞬のことで、レイはポーカーフェイスを取り繕う。
「結乃さん、そちらの子は昨日の……?」
「宮前琴ちゃんです。琴ちゃん、こちらは私の警護をしてくれている神立さん。その辺の経緯はお昼間に説明したわよね?」
先日保健室でレイたちの会話を盗み聞いて事情を知っていた琴だが、改めて昼休みに結乃から経緯は説明されていた。
結乃の背に隠れるようにして立っていた琴は、紹介されたため観念してレイと向き合う。しかしレイと視線を絡ませると、何故結乃と一緒に居るのかと責められている気がしてばつが悪くなり、すぐに反らしてしまった。
「……神立です。リボンの色が違うから、結乃さんの後輩さんかな?」
知っているくせに白々しいことを言う。琴の胸に一瞬黒い感情が巡ったが、琴は作り笑いをした。
「はい。昨日は傘をありがとうございました」
「琴ちゃんからお礼にクッキーをいただいたんです。そしたらそれがすごく美味しくて、是非お菓子作りを教えてもらいたいなと思って、家にお招きすることにしたんですよ」
「……結乃さん、貴女は今凶悪犯に狙われているかもしれないんですよ」
「あら。そんなことを気にしていたら何も出来ないじゃないですか。ビクビクして行動を制限されるなんてまっぴらごめんだわ。それに」
結乃はレイの腕に自分の腕を絡めて蠱惑的な笑みを作った。
「神立さんが私を守って下さるんでしょう?」
「……全力は尽くしますが、ご学友を巻きこみかねない行動は感心しませんね」
眉根を寄せやんわりと咎めるレイだが、結乃はどこ吹く風だ。それよりも温厚なレイが自分に対してリアクションを見せることが嬉しいらしい。琴は何故二人の会話を見せつけられねばならないのかと、もう帰りたくなった。
(帰ったって、迎えてくれる人はいないけど)
背中を叩くように吹いた一陣の秋風が、琴の胸のうちまで冷たく撫でていく。レイが助手席のドアを開けると、当然のようにそこへ滑りこむ結乃。それにまた嫌気がさす自分に自己嫌悪を覚えてしまい、琴はレイが後部座席のドアを開けようとする手を制し「大丈夫ですから」と言って、いびつな笑顔で乗りこんだ。
狭い車内で二人のやりとりを見せつけられるのも癪だ。車が走り出すと、琴はシートから背中を浮かせ、助手席の結乃へ話しかけた。
「桐沢先輩は、どうしてお菓子作りを覚えたいと思ったんですか?」
昼休みに結乃に「お菓子作りを教えてほしい」と頼まれた時はたまげたものだ。その気迫たるや凄まじいものがあり、琴はついのけ反ってしまった。背後で紗奈は猛反対していたが、結乃はオーケーするまで絶対に帰してくれそうになかったので、琴は泣く泣く了承してしまったというわけである。
「結乃でいいわ。私、歳の離れたお姉様がいるんだけど、お姉様の婚約披露パーティーに手作りのお菓子をサプライズでプレゼントしたいと思っているの。だけど一人で練習しても上手くいかなくて困っていた時に琴ちゃんに会ったってわけ」
「きり……結乃さんのお姉さんの婚約披露パーティー……ですか」
(刑事部部長クラスになると、大物が招待されたりしてそういったものを開くのかな……いや、でも待って)
「あの、さしでがましいかもしれないんですけど、こんな時期に婚約披露パーティーを開くなんて危険なんじゃ……?」
警察としては本当なら予定を先延ばしにするか中止していただきたいところだろう。人が多く集まるパーティーなんて、結乃を狙っているかもしれない殺人犯にとっては格好のえさ場だ。レイもそう思っているのか、ミラーに映る彼の目元は厳しい。
「お姉様の婚約パーティーはお義母様が殺害される前から決まっていたことだもの。今更中止なんてありえないわ。お父様にもそうお願いしたの。私のせいでお姉様のパーティーを中止しないでって」
「桐沢部長は、お嬢様方に弱いですからね……」
上司の命令には逆らえないのだろう。レイは苦虫をかみつぶしたような顔で言った。
さすが警視長の自宅というだけあって、結乃の屋敷は一等地に建つ、白塗りの塀にぐるりと囲まれた古風な日本家屋だった。
門には警察官が二人、警備員のように仁王立ちしている。車を停めてからレイに誘導されて門をくぐる途中、琴は警察官二人がレイを尊敬の眼差しで見つめていることに気付いた。
「うわあ……立派なお庭……」
足を踏みいれた瞬間、琴は感嘆の声を漏らした。
母屋までは敷石の長い道が続いているのだが、ふと横へ視線を向ければ緑が広がり、奥へ誘うように敷かれた飛び石の両側には手入れの行き届いた松や低木が植わっている。
それから苔むした灯篭に目を奪われていると、小川のせせらぎのような音の後に小気味よく竹が石にぶつかる音がした。カッポーン、と、音は辺りに響き渡る。
音の根源を探れば、竹で囲まれ区画された場所に、水のたまった石と上向きに一端を開放した竹筒があった。テレビで特集される日本庭園でよく見るあれだ。
「カッポーンて鳴るやつ、初めて生で見た……」
「ししおどしだよ」
「! レイく……」
琴がししおどしに目を奪われている間に、いつの間にか後ろに立っていたレイに耳元で話しかけられた。驚き振り返った琴を見るレイの蒼い瞳は、苦い色を内包している。
結乃は少し先を歩いているため、こちらの様子には気づいていないようだった。レイは責めるように口を開いた。
「琴、どうして誘いを断らなかったんだ。結乃さんの傍にいたら、君も危ない目に遭うかもしれないんだよ」
「ご、ごめんなさい。断りきれなくて……怒ってる?」
「……少しね。僕が……」
たんぽぽの綿毛のようにふわふわした琴の毛先を掬いあげ、レイは切なそうに言った。
「僕がどうして、外で君と距離を置いているのかの意味を考えてほしかった」
琴をいらぬ危険に巻きこまないためだろう。それは琴も重々理解している。しかし……。
(距離を置くことで私がレイくんといられない辛さも、考えてほしいなんて……言ったらダメなんだろうな……)
誘拐されて死ぬほど怖い思いを味わった。今でも夢に見て夜中に飛び起きるくらいだ。それでも、レイが助けに来てくれた事実を思い出し、胸に温かい灯りがともって再び眠ることが出来た。そう、怖い思いをするのは平気だ。レイが助けに来てくれると信じているから。
でも、レイと一緒にいられないのは……。
「神立さん、琴ちゃん、何してるの?」
玄関の前で、結乃が怪訝そうにこちらへ声を張る。琴の髪からパッと離れていくレイの手を寂しく思う琴の隣で、レイはいつもの営業用スマイルに戻った。
「琴さんの髪に糸くずがついていたので、取っていたんですよ」
そう言って、レイは再び結乃の隣に行ってしまう。ここ数日、何度その広い背中を見つめただろうかと、琴はひっそりと息を吐いた。




