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彼が私をダメにします。  作者: 十帖
第二章
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恋敵さん、改めまして私は・・・・・・

 帰宅してから、琴はしばらくの間枕元のテディベアを抱きしめ伏せっていた。


 レイはきっと今夜も帰ってはこないのだろう。夕飯も用意しなくていいと以前言われてしまったし、自分しか食べない食事の準備を急ぐ必要もない。


 二時間ほど経ってからやっと顔を上げ、緩慢な動きでキッチンに立ち、パスタを茹でた。濃厚なクリームソースが絡んだカルボナーラが出来あがると、琴は広いダイニングで一人食事をとる。向かいの席はもう一週間以上空席だ。


「寂しい、な……」


 弱音さえ、広い室内に吸いこまれてしまう。ダイニングに置かれた鏡面のようなテーブルも、十五畳あるリビングの窓辺に置かれた観葉植物も、高い革張りのソファに置かれたモノトーンのクッションも、全部レイの趣味の物なのに、家主がいない。


 まるで実家に居る時と同じようだと琴は思った。実家にいた時も、両親はおらず、いつも一人で食事を取っていた。寂しいのを堪えて背中を丸めて。


 ふとした瞬間に、あの頃の琴が顔を出す。二人の楽しさを知ってしまったから、一人になるのは今まで以上に寂しかった。


「傘、明日返さないと……」


 本来はレイの傘であるため、帰宅したレイに「ありがとう」と言えば済む話なのだが、レイと琴が赤の他人だと思っている結乃を介して借りてしまった以上、彼女にレイへの返却を頼まなければ不自然だ。


「……どうして」


 私が彼女なのに。もう二度と傘を忘れるもんか。何なら置き傘もしよう。レイの顔を立てて他人の振りを装ったが、どれだけ自分はレイの恋人だと言ってしまいたかったか。


「……傘を忘れた私が悪いんだけどさ……」


 でも、相合傘をしている場面を見る羽目になるくらいなら、ずぶ濡れになって帰った方がずっとマシだったと琴は思った。リビングの窓を叩きつける雨より、琴の心の方がずっとバケツをひっくり返したようなひどい雨が降っている。


「ああもうやだよー……やな女だ、私。気分転換するっ」


 パスタをかきこんだ琴は、シンクに空の皿を置くと、自室に引っ込んで本棚を物色した。少女漫画や参考書が並ぶ段から、一冊だけ背の高い本を抜く。手作りお菓子のレシピ本だ。


 息抜きにお菓子を作ろう。結乃への傘のお礼に渡すのも有りだろうか。あとは、心配してくれたにもかかわらず逃げるように帰ったしまった詫びに朔夜にも渡そう。もちろん、紗奈と加賀谷にも。


 琴は家にある材料を思い浮かべながら、鬱屈した気分を振り払うように本のページをめくった。






 結局琴は紅茶のクッキーを焼いた。


 翌日、外足場で会った紗奈にラッピングを施したクッキーを渡す。その際に琴が手にしていた男物の傘を見咎められたので、琴は返答に詰まりながらも、正直に結乃の元へ傘を返しに行く旨を伝えた。


 すると案の定、目を三角にした彼女にどうしてそうなったのか洗いざらい白状するよう迫られる。


 紗奈の短い髪がメデューサのようにうねって迫ってくる幻が見えた琴は思わず「ひいっ」と後退したのだが、怖い顔をした紗奈の尋問からは逃れられず、昨日の出来事を話すはめになった。


 琴が話していくうちに紗奈の猫目はどんどん細くなっていき、話し終えた時には上まぶたと下まぶたとくっつきそうなほどになっていた。


「バッカじゃないの? アンタ彼女のくせに、二人が相合傘して帰っていくのを指くわえて見てたわけ? しかも今からのこのこ傘を返しに行くだぁ!?」


「う……。紗奈ちゃん怖い……」


「琴、いい加減にしなよ? 言っちゃえば良かったんだよ。私はレイさんの彼女ですーって……ぶっ」


「しーっ! 紗奈ちゃん、声が大きいよ」


 琴は慌てて紗奈の口を手で塞いだ。


「レイくんのお仕事の邪魔になるから言えないよ……。とにかく、お説教はあとで受けるから。桐沢先輩に傘返してくるね……」


「ふふふふふぐ」


「ほえ? ふぐ?」


「アタシも行くっつったの!」


 琴の手を口元からベリッと剥がしながら、紗奈は肩を怒らせて言った。






 紗奈の怒りが沸点に達していることを危ぶんだ琴は、時間を置いて紗奈の怒りのボルテージも下がってきたであろう昼休みに傘を返しに行くことにした。琴は一人で行くと再三言ったのだが、頑固な紗奈が「付いていく」と言って引かなかったため仕方ない。


 琴は紗奈を連れて、自分たちの教室とは渡り廊下を挟んだ向かいにある三年生の校舎へ向かう。結乃のクラスを把握していなかったが、廊下で戯れている三年生に尋ねると廊下の一番奥のクラスだと教えてもらえた。


 赤いリボンやネクタイをした三年生とは違い、二年生の琴たちは青いリボンを結んでいるので、すれ違う三年生からの視線が痛い。やっと結乃の教室の前まで来て室内を覗きこむと、教室の真ん中でクラスメートに囲まれて昼食をとる結乃の姿があった。


「……桐沢先輩」


 琴が控えめに呼びかける。と、結乃はすぐに気付いた様子で扉のところまでやってきた。


「昨日の子ね。どうかした?」


「あ、私、宮前琴って言います。昨日は傘を貸していただいてありがとうございました」


「私は桐沢結乃です。貸したのは私じゃなく神立さんだから、お礼を言われる筋合いはないのだけど……それに、お礼を言いたいのは私の方。貴女のお陰で神立さんと相合傘出来たんだもの。ラッキーだったわ」


 白い手を口元に当て、ふふっと可愛らしく結乃が笑う。見惚れてしまうほど愛らしい笑みなのに、琴は胸がざわついた。


「学校中の噂だし、貴女も知ってるんでしょう? 私がニュースを騒がせている事件の関係者だって。必死に捜査されてるお父様や神立さんたちには悪いけど、捜査が長引いたらいいのに。そしたら神立さんと長くいられるもの」


「え……」


 保健室で初めて会った時も思ったが、結乃はよく言えば天真爛漫だ。だが、平気で不謹慎なことを言う。空気が読めないというより、読まないのだろう。


「ああ、こんな私情、貴女に言うことじゃないわね。ごめんなさい?」


 さすがに愛想笑いが出来ず困っている琴を見て、結乃が謝った。それまで後ろで成り行きを見守っていた紗奈が、目元が笑っていない笑顔で口を挟む。


「先輩って、もしかして、神立刑事のことが好きなんですかぁ?」


 紗奈の直球な質問に、琴は青くなった。この親友はなんてことを聞いてくれるのだ。質問された結乃は太い眉を吊り上げ、驚いた顔をしている。それから、新雪のような頬に桜色を浮かべた。


「ええ。好きよ、一目ぼれなの」


(……! やっぱり……)


 琴は持っていたクッキーの包みを握る手に力をこめた。


 予想はしていたが、本人の口から言われると堪えるものがある。レイを狙っている人と、レイは一緒にいるのだ。


 初恋を知った少女のように初々しいリアクションを示した結乃を、紗奈は半眼で睨む。


「へーえ? でも先輩、知ってました? 神立刑事って、かっわいーい彼女がいるみたいですよ?」


「ちょ、紗奈ちゃん……!?」


 チクリと結乃を口撃する紗奈の腕を掴んで止める。結乃はアーモンド形の瞳を歪めて一瞬泣きそうな顔をしたが、開き直ったように言った。


「知ってるわよ、神立さんが言ってたもの。彼女がいるって」


「はあっ!? 知ってるのにベタベタしてるんですか?」


「だって、きっと私の方が神立さんにお似合いでしょう?」


「何ですって!?」


 食ってかかりそうな勢いの紗奈の前に立ち、琴は声を上げた。


「あ、の!」


 琴はクッキーの袋と傘を、結乃に半ば押しつけるように渡した。


「これ、お返しします。あと、お礼にクッキーを焼いてきたので、よかったら食べて下さい! それじゃ!」


「あ、待って!」


 まだ結乃を睨みつけている紗奈の腕をひっつかみ、その場を後にしようとした琴を結乃が呼びとめる。結乃は琴が渡したクッキーをしげしげと眺めていた。


「貴女、琴ちゃん……だったかしら。もしかしてお菓子作りは得意?」


「へ……?」


 きょとんとした表情を浮かべる琴へ、結乃は女優のように笑った。


「お礼だっていうなら、お願いがあるのだけど」


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