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彼が私をダメにします。  作者: 十帖
第二章
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ナイトは誰を守るのですか

 朔夜によって閉められたベッド周りのカーテン。そのわずかな隙間から三人の様子を覗き、琴は耳をそばだてる。


 切り出したのは朔夜だった。


「それで? 俺に何の用かな」


「実は……桐沢警視長の奥方が殺害された件で、ご息女の結乃さんを僕が警護することになりました。それによって校内をうろつくこともあるかと思うので、先生方には挨拶をと此処を尋ねた次第です。一応、貴方も養護教諭ですし?」


 最後の一言を棘々しく言ったレイに、朔夜は分からないという顔をした。


「被害者の娘が桐沢だということは連絡を受けていたが……何故それで、桐沢の警護が必要になる?」


「結乃さんは、犯人に顔を見られた可能性があるからです」


「……何だと……?」


 朔夜は結乃を見下ろし、苦い顔をして言った。


「そうなのか? 桐沢」


「はい。犯人と鉢合わせてしまって……。でも、背格好から男ということは分かったんですけど、暗くて犯人の顔は見ていません。犯人はすぐに逃げてしまいましたし」


 淡々と語る結乃に、朔夜は微妙な顔をする。結乃は人形のように整った顔で


「それに、殺害現場に居合わせたと言っても義理の母が殺害された時刻は、私が犯人と鉢合わせるよりもっと前でした」


 と言った。


 その言葉を受け、レイが険しい顔で相槌を打つ。


「ええ、死亡推定時刻は結乃さんが犯人と鉢合わせた時間より三十分以上前……。そこから考えられるのは、その間、犯人は亡骸の傍に留まり何か証拠を隠滅していたか、もしくは……」


「何らかの理由で殺害現場に戻ったところを、桐沢と鉢合わせしてしまったか、か」


 頭の回転が早い朔夜が続きを引きとると、レイは腕を組み、頷いた。


「ええ。結乃さんは犯人の顔を見ていませんが、犯人は結乃さんに顔を見られたと思っているでしょう。口封じのために命を狙われる可能性は高い。そのため、僕が警護を任されたというわけです」


 冷たいブルートパーズの瞳で朔夜を睨み、レイは「今の捜査情報は漏洩するなよ」と念を押す。話を盗み聞きしていた琴は、四六時中結乃を警護していたからスーツに香りが移ったのか、と納得した。


 それから、母親を亡くした結乃に酷く同情する。それは朔夜も同じだったようで、いつものクールな表情は消え去り、結乃へ送る視線は気遣わしげだった。


「事情は理解した。大変だったな、桐沢」


「気にしないで下さい、先生」


 結乃は先ほどと同じようにあっけらかんとした様子で言った。


「殺されたのは父の後妻で、私の実の母ではありませんからショックではありませんわ。事件に巻き込まれたのは本当に迷惑です」


「……結乃さん」


 たしなめるような口調でレイが呼ぶと、結乃は肩をすくめる。それから、うっとりとした様子でレイの腕に自分の腕を絡めた。


「ああでも、お父様には感謝しなくちゃ。こんなに素敵な人を警護につけてくださったんだもの」


(え……っ)


 思わず身を乗り出し、琴はベッドを軋ませてしまう。寝返りを打ったと思われたのか、カーテンの向こうの三人が気にした様子はなかったが、琴は焦った。


(素敵な人って……レイくんのこと……?)


 琴がうろたえている間にも、結乃はレイの腕を組んだまま、上機嫌で甘えるようにすり寄っている。上司の娘だからか、レイは無碍に振り払えず困ったように微笑んでいた。


「まあ、護衛は僕以外にもいるんですけどね」


「冴えない刑事と、公安の人たちでしょう? 厳めしい顔で周囲をうろつかれるのは嫌だわ。私には神立さんだけで十分なのに」


「そう言わないで下さい。僕も他の者も、貴方を守りホシを挙げることに全力をつくしているんですから。お父上も、貴女を心配しておられる」


 レイに優しく諭された結乃は、少しの間むくれていたがややあってから「先に職員室に戻る」と言って保健室を出ていった。



「悪い子じゃないんですけどね」


 レイは結乃が出ていったドアを見つめながら言った。


「よく言えば天真爛漫ではあるがな。大変だな、神立くん。だが、随分好かれているようじゃないか」


 朔夜が言うと、レイは疲れた様子で手近のパイプ椅子に座り、長い足を組んだ。


「まあ、嫌われているよりは仕事がやりやすいですけどね」


「しかし君がSPのような真似をするとはな」


 朔夜が揶揄するように言うと、レイはあからさまに秀麗な顔をひそめた。結乃がいなくなったので、素が出ているのだろうと琴は思った。


「夫人を亡くした刑事部部長直々の命令ですからね」


「君の所属する捜査一課は刑事部だから、エースの君が指名されたというわけか。桐沢の話だと公安警察も動いている様子だが? 公安は国家体制を脅かす事案に対応するものだと思っていたが……今回の事件は反警察思想を持つ者による犯行だと思われているのか?」


「相変わらずムカつくくらい頭の回る男ですね」


 レイは鬱陶しそうに言った。


「その可能性はゼロじゃありません。ただ、殺害現場である被害者の部屋の金庫からは金が盗まれていたため、強盗殺人の可能性も大いにある。なので、捜査一課と公安の合同捜査というわけですよ。合同捜査とは名ばかりで、お互いに情報は共有していませんがね」


「犯人の目星はついているのか?」


「玄関に設置された防犯カメラを上手く交わしていることから、夫人の知り合いの可能性が高いかと。ただ、ダイイングメッセージの意味はさっぱりです」


「ダイイングメッセージ?」


 興味深そうに尋ねる朔夜に、レイは懐から写真を取り出し、机の上を滑らせる。朔夜は自分の手元まで滑ってきた写真を拾い上げると、切れ長の目を見開いた。


 写真には、殺害現場のフローリングに書かれた『サダヲ』という血文字が写っていた。被害者が最後の力を振り絞って書いたのか、文字はところどころ不自然に途切れている。


「サダヲ……? 阿○サダヲか?」


 某演技派俳優の姿を思い浮かべ、朔夜が困惑気味に問う。写真が見えない琴は、物騒な事件のダイイングメッセージにしては似つかわしくない単語にガクッと肩の力が抜ける。


 レイは呆れたように言った。


「そんなわけないでしょう。犯人の名前か、何かの隠語か……今分かっているのは、犯人は一度犯行現場を後にしたのに戻ってきたか、もしくはそのダイイングメッセージは捜査を混乱させるために犯人がわざと残したかということだけです」


 何故レイにはそんなことが分かるのか、ベッドの上でハテナを浮かべる琴。しかし、鋭い朔夜はピンときたようだった。


「ああ、もし桐沢に鉢合わせするまでの三十分間被害者の傍にいたなら、まんまと被害者にダイイングメッセージを残させたりはしないだろうからな。まあ、家中の金品を奪っている間に書かれた可能性もあるが」


「殺害現場の部屋以外は荒らされた様子がないので、それはないですね」


 そこまで言い終えると、レイはしわの寄った眉間を押さえた。消毒液の匂いが漂う室内に、重い沈黙が落ちる。


「……何にせよ、ホシは絶対に挙げますよ。警察の威信にかけてね」


 そう言ったレイの空色の瞳は、疲れをものともしないほど澄んでいる。琴はその瞳の中に、信念を宿した青い炎が揺らめいているように感じた。


 レイが、警察官という職業に誇りを持っているのが分かる。彼はきっと、警察になることを志してからひたむきに努力し、自らの信念と正義を貫き通してきたのだろう。


 ふと、頭の隅に追いやっていた進路のことが頭に浮かぶ。自分は何がしたいだろうか。何だか急に自分が空っぽに思えてくる。


 自分は、レイの隣に並ぶにふさわしい人間ではない。たれ目がちの大きな瞳は子供っぽく、スタイルは平平凡凡だ。栗色の髪だって癖毛で雨の日はうねり、悩みの種でしかない。


 それでも、レイは自分を選んでくれた。それが大事だと朔夜は言うが、琴はそれだけではいけない気がしている。


(レイくんの隣に並ぶのは、もっとこう……)


 しとやかで慎ましく、気品があって、でも自信も兼ね備えていて思わず目を引くような……。そこまで考えて、琴はハッとした。琴の脳内に描いていた人物像は、先ほどまで保健室にいた結乃にまさに当てはまっていたのだ。


 レイは片平ともお似合いだったが、結乃とは、儚げな姫とそれを守る騎士のように絵になる。そのことに気付いてしまうと、琴は胸の辺りが落ち着かなくなった。


(それに、結乃さんのレイくんを見る視線……あれはまるで……)


 異性として見ているように見えたのは、思いすごしだろうか。


「犯人が捕まるまでは、ずっと桐沢の護衛につくのか?」


 朔夜の質問にレイが立ち上がって答える。


「少なくとも彼女の安全が保障されるまでは……。それまで、家に帰れる時間も減るかもしれません」


 レイが、琴が眠っていると思っているベッドの方を気遣わしげに見た。琴は視線が合うかもしれないと咄嗟にカーテンから離れる。それからレイの言葉を反芻し落ちこんだ。


 レイが家を空ける時間が今まで以上に増える。そしてそれは、その分だけ結乃と居るということだ。


 お日様の匂いがする真っ白なシーツを握りしめる。仕方のないことと思いつつも、レイと結乃がお似合いだと気付いてしまっては、言いようのない不安に絡め取られそうで怖い。結乃がレイをえらく気に入っている様子だったから尚更だ。


 レイがこちらへやってくる気配がした。琴は複雑そうな顔を隠すために急いでシーツを頭から被る。レイの手がカーテンにかかり、軽く引く音がしたが、その時彼の携帯が鳴った。


 しばらくカーテンに手をかけたままだったが、急ぎの用だったのかレイは通話の相手に二言三言話すと、琴に一瞥をやってから踵を返してしまった。


 レイが居なくなった保健室で、琴はベッドから身を起こす。


「職業柄仕方のないことだが、事件がつきないな」


 いつの間にかベッドの傍に立っていた朔夜にそう言われ、琴は苦笑いを零した。


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