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彼が私をダメにします。  作者: 十帖
第二章
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それは事件の幕開けです

 帰宅すると、琴は水玉のエプロンをつけ夕飯の支度にとりかかった。今日はレイと一緒に晩ご飯を作る約束をしていたので、彼が帰宅する前に下ごしらえを済ませておく。


 豚ひき肉に青ネギ、ショウガとごま油、塩コショウなどの調味料を加えたものをこねて、そこへ更にゼラチンで固めた中華スープを混ぜる。小籠包のタネが出来たところで、レイが帰宅した。


「おかえりなさい、レイくん!」


「ただいま、琴。ん」


 落ちついた濃紺のスーツ姿のレイは、玄関まで出迎えた琴にキスを一つ落とす。チュッとわざと音を立ててから離れていく唇を、惚けた目で追ってしまう琴。


 付き合うようになってから、琴が起きている時間にレイが出かけたり帰宅した時は、キスをするのがお約束になっている。だが、いつまで経っても慣れなくて琴は熱にうかされたようにぼんやりしてしまうのだった。


「物欲しそうな顔。足りなかった?」


 赤らんだ琴の丸い頬を撫でて、レイが悪戯っぽく笑う。その顔が妙に色っぽくて、琴はドキドキしながらもレイの胸元を叩いた。


「もう! カバンと上着貸して!」


 照れ隠しのように琴がレイの手からカバンをひったくると、レイが背後で笑う気配がした。


 着替えを済ませたレイは、黒いエプロンをつけて対面キッチンへとやってくる。どんな格好も様になる人だと、琴は彼の鍛え上げられた二の腕を見ながら感心した。


 カウンターにボウルと皿を持っていき、二人で椅子に座りながら小籠包の皮を包む。今日あった出来事を話しているうちに包み終わると、手分けして副菜を作り始めた。琴がわかめと椎茸ととき卵の中華スープを作っている横で、レイはチンジャオロースを作っていく。


 その手際の良いこと、瞬きする間にピーマンやゆでタケノコが細切りになっていく。これでノンキャリアでありながら最短で警部補まで登りつめた警視庁のエースというのだから、非の打ちどころがない。


 小籠包を蒸しながらレイの人形のように整った横顔を見つめていると、青い宝石と視線がかち合う。目が合ったレイは、大きな二重瞼を瞬いてからフライパンを傾け


「味見するかい?」


 と聞いてきた。


 腹の虫を刺激するような香りにつられ、琴は頷く。レイは菜箸でお肉とパプリカ、タケノコをつまむと、琴の口元へ持っていった。


「熱いから気をつけて。はい、あーん」


 どうやら直接食べろと言っているらしい。琴は照れてしまい、じっとレイを見上げるものの、レイは笑みを深くするだけだ。


 琴は観念すると、親鳥に餌を与えられる雛のように口を開けた。素直な琴の反応に満足なのか、レイは満面の笑みを浮かべて琴の口へ箸を運んだ。


(……レイくんって優しいけど、こういう時Sだよなぁって思う……)


「……ん、美味しい!」


 咀嚼するなり、琴は顔を輝かせた。


 味がしっかりついていて、野菜もシャキシャキしている。これはご飯が進みそうだ。その場でぴょんととび跳ねた琴を愛しげに眺めながら、レイは琴が使った箸をそのまま使い自分も味見する。間接キスだ、と琴が赤くなったのは言うまでもなかった。


「うん。完成だ」


 レイの言葉を聞いた琴は、食器棚から大皿を取りだしながら、レイと結婚したらこんな生活が続いていくのかなぁ、とぼんやり考える。だったらいいのに、と。


 それと同時に、琴はスクールバックに折り畳んで入れたままになっている進路希望調査票を思い浮かべた。


「そういえばね、進路希望の紙が配られたの」


 お玉で鍋をかき混ぜながら、おもむろに琴が言った。スープ皿に盛りつつレイの様子をちらりと窺うと、彼は「そう」と答えた。


「琴も将来を考える時期なんだね。希望はあるの?」


「進学したい、とは思ってるよ。パパとママにはまだ相談してないんだけど……まだどんな職業につきたいかも決めてないし」


「……そう。琴の将来だからね、琴がやりたいことをじっくり考えて、好きな道に進むといいと思うよ。やりたいことがまだ分からないなら、それを探すために大学に行くのも手かな」


「うん」


「学費のこともあるし、どんな進路を選ぶにもご両親と相談するのが一番だけど、僕も相談に乗るから」


「……ありがと、レイくん」


 何だろう。意外にレイの反応があっさりしていて琴は拍子抜けしてしまう。別に紗奈が言ったような展開を期待していたわけではないが……。


(何だろう、何か……)


 レイは真摯に答えてくれているのに。自分は自立した大人になりたいはずなのに。


(レイくんに依存しすぎて、私、弱くなった……?)


 ダメになってしまっている気がする。レイは琴の将来を考えて助言してくれているというのに。良くない兆候だと自分を戒めるように首を振ってから、琴はテーブルにつく。そして湯気の立った美味しそうな料理に二人手を合わせたところで、タイミング悪くレイの携帯が鳴った。


「ちょっとごめん」


 断りを入れるレイに、気にしないでと手を振り、席を立ったレイの広い背中を見つめる。料理が温かいうちにレイの電話が終わるといいなと思っていると、「何だって!?」とレイの大きな声が響いた。


「ほえ……」


 吃驚し、声を漏らす琴。そんな琴を横目で見てから、レイは声を落とした。レイの固い口調から察するに仕事の電話のようだ。電話口からかすかに漏れ聞こえてくるレイの後輩の声は慌てている。


 琴がはらはら見守っている間に、レイは輝くような金糸の髪をぐしゃりと掻き上げ、眉間にしわを寄せた。


「それで? ああ、ああ……。今からそちらへ向かう。部長は? ああ、そうか」


 話しながら、レイはダイニングから消えていく。しばらくして戻ってきた時には電話を切り、スーツ姿に戻っていた。


「出かけるの?」


「ああ、急な呼び出しでね。ごめん琴、一人でご飯食べてくれるかい? あと、多分今日はもう帰ってこられないから先に寝てて」


 早口に語ると、レイはカバンを手にして一直線に玄関へと向かう。その横顔が固く強張っていたため、琴は嫌な予感がした。


 大きな事件があったのだろうか。気になるが、それを今聞ける雰囲気ではないことを察し、琴は静かに見送る。


「戸締りはしっかりしてね。なんなら、ドアロックもかけておいていいから」


「うん」


「じゃあ、行ってくる」


 そう言って出ていくレイの顔は、完全に刑事の顔で。いつもならキスをしてから出て行くのに、ろくに琴の顔も見ずに行ってしまったということは、よほど切羽詰まった状態ということだろうか。


 バタンッと冷たい音を立てて閉まったドアに鍵をかけてから、琴はとぼとぼダイニングへ戻る。


 いまだ湯気が立った小籠包をレンゲに載せ、もちもちとした皮を箸でやぶく。空いた穴からじゅわりと黄金色のスープが溢れ出し、レンゲを満たした。


(折角の熱々のスープなのになぁ……)


 口から漏れた息は、スープの熱を冷ますためのものか、それともため息か。琴は静かにレンゲを口元へ運んだ。先ほどまではレイがいたからにぎやかだったダイニングは、今は琴の食器の音が触れ合う音しかしない。それが虚しくて嫌になり、琴は行儀が悪いと思いつつも立ち上がり、リビングの大型テレビをつけ大きめに音を流した。


「ダメだなぁ、私……」


 実家に住んでいた頃は両親の帰りが遅く一人の食卓なんて当たり前だったため、レイろ同居しているだけで嬉しくて満足出来たのに。想いが通じたら、もっと沢山のことを求めて欲張りになってしまう。


「与えられることに慣れちゃいけないよね」


 でも、二人で食卓を囲む楽しさを知ってしまった今では、どうしても寂しいと言う感情が湧いてしまう。琴は自分を律するようにパチンと頬を叩くと、レイの分の食事にラップをかけ、冷蔵庫にしまった。



 ――――翌日、ニュースのトップを飾ったのは、警視庁刑事部部長の妻が何者かによって殺害されたというものだった。




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