進路と恋に不安はつきものです
ホームルーム前の教室内は喧騒で溢れ返っている。宿題を写させてと頼む声や、昨日のテレビの話題、親の愚痴に、ネットニュースのトップについて。そして何より女子が好きなのが恋の話だった。
「幼なじみとなんて付き合わなかったら良かった」
大人びたクラスメートの声が聞こえてきて、琴は顔を上げる。窓際の後ろから二番目に座った琴は、タイムリーな話題が気になって聞き耳を立てた。
「今まで近すぎたせいか、別れたらもう幼なじみには戻れないんだよね。赤の他人より遠くなっちゃった」
(……赤の他人、かぁ……)
片思いの頃は、ただレイを好きな気持ちでいっぱいで、結ばれたいと夢見るだけだった。結ばれた後の心配なんて何一つしていなかっただけに、クラスメートの会話は心臓に悪い。
「……でも、まさか」
自分たちに限って。
別れなければいいんだ。琴は紺色のベストの上から、レイにもらったネックレスに触れる。カッターシャツを第二ボタンまで留め、青のリボンもしているため人からはネックレスを着用しているのは見えない。なので、琴は体育の授業以外は肌身離さずつけるようにしていた。
これを付けていると、離れていてもレイを感じられるのだ。不安な気持ちを払拭するためにも、琴はお守り代わりにネックレスを触って気を落ちつけた。
自分はレイのことが大好きで、別れたいなんて天地がひっくり返ったって思わない。でもレイは……レイはどうだろう?
(飽きられないように、嫌われないようにしないと……!)
平凡が服を着て歩いているような琴と何故付き合っているのか謎なくらいに、レイはモテる。街を歩けばすれ違う女性は皆振り返るし、レイが微笑めば必ず頬を染める。
前なんて、レイを芸能人と勘違いした女子高生に盗撮されそうになっていたほどだ。もちろん気付いたレイはやんわり注意していたが、それだってレイが喋るのを、目をハートマークにして見ていた彼女たちには聞こえていたか怪しいくらいだ。
「うーん……」
自慢ではあるが、モテる彼氏を持つというのは不安がつきない。机に突っ伏し唸っていると、朝練を終えた野球部のエース加賀谷と、ボーイッシュな親友の紗奈が遅刻ギリギリで教室に入ってきた。
「朝から眉間にしわ寄せてどしたー? 琴……と、わ、もう先生きた」
紗奈の後を追うようにして、中年の男性担任が入ってくる。出欠を取るなり、先生はプリントを配り始めた。
「はい」
琴が後ろの席に座る加賀谷にプリントを回すと、加賀谷は「進路希望調査票か」と呟いた。
「提出期限はまだ先だが……。高二の二学期だ、お前らもそろそろしっかり進路について考えるようになー」
気だるげに言い、教室を後にする先生。その姿が見えなくなると、琴の前に座る紗奈が振り返った。
「進路かー。考えるのめんどいなー」
「もうそんな時期なんだねぇ」
自立した大人になりたいという気持ちが人一倍強かった琴だが、ここ数カ月は両親の転勤やレイとの同居、誘拐事件など目まぐるしい日々を過ごしていたため進路について考える機会がなかった。恋愛でああだこうだと頭を悩ませていられるのも今だけかもしれないな、と琴は調査票と睨めっこしながら思う。
自分は何がしたいだろう。自活できるよう安定した職につきたいという漠然とした希望はあるため成績も上位をキープしてはいるが、何の職につきたいかと問われるとパッと浮かばない。まず進学か就職か。仮に進学するにしても、専門学校か大学にするべきか、つきたい職種によって変わってくる。
考えこんでいると、頭上から「琴は良いよねぇ」と紗奈の声がかかった。
「へ? 何で?」
「だーって、永久就職って手があるじゃん? レイさんのところに!」
チェシャ猫のようにニヤッと笑いながら、紗奈が言う。思いがけない選択肢が増え、琴は真っ赤になりながら首を横に振った。
「ええっ!? そんな、そん……ないよ!」
「琴、どもってるよ。でももう結婚出来る年だしさ、あり得ない話じゃないっしょ?」
「ええー……?」
目を白黒させる琴に追い打ちをかけるように、加賀谷も重々しく頷いた。
「あの男ならあり得るな。宮前のことしか考えてなさそうだし。爽やかで優しそうに見える奴ほど、腹の中はどす黒いしああいう男こそサラッとして見えて独占欲が強いんだよ」
「加賀谷はレイくんを何だと思ってるの……」
琴が大きなたれ目で睨みつけると、加賀谷は肩をすくめた。
「でも、あいつがその気なら、宮前は流されるしかないんじゃねえの」
たしかにレイは弁が立つし、もし経済力も兼ね備えた彼がその気ならあっという間に結婚まで進んでいってしまう気がする。両親だって、琴がレイと結婚することになればもろ手を上げて祝福してくれるだろう。
(いやいや、私、そもそもレイくんと付き合って少ししか経ってないんだから……!)
そう思いつつも、力み過ぎて調査票をしわくちゃにしてしまう琴だった。




