貴方の幸せを何よりも
次の日、学校に着くなり紗奈は昨日の片平とレイのことを話題に持ち出した。二人とも『アスミ』の正体は片平で間違いなさそうだという結論に至ると、琴は改めて気落ちする。
紗奈に慰めるように肩を叩かれている途中で、クラスメートの声が耳に入ってきた。
「年上の彼氏っていいよねー。同世代の彼氏と違って余裕があるし、すぐ可愛いって褒めてくれるしさあ。お前のことが大切だって直接言葉にしてくれるのが嬉しい」
「いやー、年上の彼が彼女を『可愛い』って言うのは、ただの挨拶みたいなもんだって」
ナーバスになっているせいか、関係ない人の言葉を聞いただけで胸がチクリと痛む。
(もしかして、レイくんの特別だからってうぬぼれてた? レイくんが私のことを本当に可愛いと思ってくれていると舞い上がっていた? 私……)
脳裏にレイと片平のツーショットが浮かぶ。あんな美男美女が相思相愛なら、自分の入りこむ隙間なんて一ミリもありはしないと思うと、視界が滲んだ。
「琴ー? 気にしちゃダメだよ。あんな女……片平さんの発言なんて。レイさんが琴に夢中だからひがんでるんだよ」
紗奈の発言に、琴は自嘲を刻む。
「あんな女なんて……警視庁に勤めるくらいの才媛で、美人で、気位も高くて……レイくんの横に並ぶにはあれ以上ピッタリな人、いないよ……」
自分がなりたいと思い描いていた理想そのものだ。だから余計落ちこむのだろうか。
「じゃあ、レイさんを譲る気?」
「譲りたくなんてないよ! けど……」
レイの幸せを思えば、邪魔者はどう考えたって自分。身を引くべきは自分だ。昨日から何度も、その結論に行き着く。
「やだなぁ……」
レイの隣には自分がいたい。これからも彼の笑顔を並んで見ていたいし、レイが悲しい時には、片平ではなく自分が彼の傍にいて力になりたい。
レイの時折見せる悲しげな横顔を笑顔に変えるのは、自分でありたいのだ。
でもそれは、自分のエゴだと琴は思った。きっとレイが片平と付き合うことになれば、片平が彼に寄り添い癒してくれるはずだ。
(そしたら、きっとレイくんはあんな悲しげな瞳をすることはなくなるはず……)
「それを認めたくないから、私って子供なのかな……」
レイは沢山の優しさを自分に与えてくれた。沢山笑顔にしてくれて、淡い恋の痛みも寄こしてくれた。レイのお陰で両親へのわだかまりもなくなった。そんな彼に自分ができることは……。
「身を引くことなんて……辛すぎるよ……」
机に突っ伏し、塞ぎこむ琴。しかし、自分がレイのためにすべきことは、だんだん固まりつつあった。
覚悟ができないだけだ。今こうして目を閉じたら、すぐ瞼の裏にレイの穏やかな顔が浮かんでしまうくらい好きなのだから。
短縮授業で弁当がないため、朔夜に相談しにいく口実がない。琴が学校から帰宅すると、夜勤明けのレイが冷蔵庫に大量の食材をしまっているところだった。
「レイくん? お買い物なら私、行ったのに」
驚いた琴はレイに駆けより、食材をしまうのを手伝う。レイはお礼を言いつつ、不自然なほどニッコリと笑った。
「ああ、いいんだ。琴はまっすぐ家に帰ってきてくれれば。一週間分の買い物は済ませておいたから、もうスーパーに行く必要ないからね。もし他に必要な物があれば僕が買ってくるし、琴は家にいて」
「え……ちょっと待ってレイくん。どうしたの?」
それでは最初の頃と一緒だ。いや、もっと過保護になっている。
せっかく最近は琴の意思を汲んで、家事を任せてくれる日も増えていたというのに、彼の中で何が起きたというのか。これでは以前の日々に逆戻りだ。
「もしかして、まだ内緒で警視庁に行ったこと怒ってる……? あのね、私のこと大切って思ってくれてるのは知ってる。でも……ちょっとやりすぎじゃないかな? それに……」
(本当に大切にしたいのは、私じゃなくて片平さんなんじゃないの……?)
大切だからって、ここまでしなくていいのに。私以外に大切にしたい人がいるくせに。こんな風に私の世話ばっかり焼いていたら、その人が嫉妬してしまうよ。
そんな言葉が喉元までせり上がってくる。しかし言ったら全て終わりになってしまう気がして、琴は唇を噛むしかなかった。
「君が大切なんだよ。琴がしっかりしているのは知ってる。でもやっぱり……」
ぺたんこの後頭部を一撫でされ、琴はそのままレイの胸元へと引き寄せられた。
「心配でたまらないんだ……」
一体この力強い腕で抱きしめてくれるレイは、何を憂えているのだろう? 琴は思った。心配してくれるのは嬉しい。けれど、琴がいると、レイはいつまでも片平の手を取れないのではないか?
片平を選ばないでほしい。ずっと自分の傍にいてほしい。けれど……。
(私がいたら、ずっと『アスミさん』に焦がれてうなされたままなんじゃないの……?)
レイが幸せになれないのが、琴にとっては何より嫌だった。自分がレイに選ばれないことよりも。




