お邪魔虫は、私でした
偶然遭遇した美形の刑事に、女性の見学者たちは色めき立つ。捜査一課の赤バッジをスーツの襟に留めたレイは、家にいる時とは違い眼光鋭く刑事の顔つきをしていた。
悪いことをしているわけではないのに、咄嗟に琴は紗奈の後ろに身を隠す。対照的に片平は、案内中よりも明るい声でレイに声をかけた。
レイを見つけた瞬間、片平の表情が華やいだのを琴は見逃さなかった。片平は子猫が甘えるようにレイの腕へ自分の手を絡める。
「神立さん! 聞きこみから戻られたんですか? お疲れ様です」
(神立さん……!? 片平さん、やっぱりレイくんのこと知ってるんだ……!)
決定的だと琴は思った。レイと片平が顔見知りで、なおかつ片平が女優も顔負けの美女なら、レイの焦がれていた『アスミさん』は彼女で間違いないはずだと。
声をかけられたレイは少し急いでいる様子だったが、愛想よく返事をした。絡められた腕を邪険に解く気配もない。
「ああ、部下から連絡があったからちょっと様子を見に戻ったんだが……琴?」
人影に紛れていた琴をめざとく発見し、レイは瞠目した。琴は黙って見学に来ていたのでどうにも気まずく、目を泳がせてしまう。しかし片平の鋭い視線が刺さり、驚いて顔を上げた。
(え……? 今、睨まれた……)
レイは琴の隣に佇むショートカットの紗奈へ視線を向ける。
「それと、琴のお友だちかな? 以前学校で会ったね。琴、どうしてここにいるの?」
「あ、アタシが誘ったんです。警視庁に興味があって! ね、琴」
レイに話しかけられた紗奈は、覚えてもらっていたことが嬉しいのか興奮気味に言った。紗奈に腕を小突かれた琴は相槌を打つ。
「あ……うん」
「そうだったんだね。琴、どこかへでかける際は必ず連絡入れるように言ったはずだけど。どうして何も言わなかったの?」
口調はあくまで穏やかなのに、問いかけるレイからは真綿で首を絞めるような威圧を感じる。琴は少し怖くなり謝った。
「ご、ごめんなさい」
(レイくん……何か、怒ってる……?)
琴の謝罪に目を細めたレイは、片平へ向き直った。
「片平、見学はまだ続くのか?」
「いえ、たった今終わったところです」
「そうか、ありがとう。なら琴、送るよ。お友だちもよければ乗っていって」
辺りを一度睥睨するように確認してから、レイは言った。
「え、でもレイくん、部下の人から連絡があったって……」
「ああ、問題が解決したって今メールが来たから大丈夫。いくよ。……いや、やっぱり車をここまで回そう。庁舎の中で待っていて。片平、頼む」
「え、あ、はい」
琴と紗奈を預けられた片平は面食らった様子だったが、レイが玄関に車を横づけするまで中で待つように再び庁舎へ誘い入れた。
しかし、彼女の鷹のような瞳は先ほどまでの見学者に対するものとは違い、鋭さが増していた。
腕を組んだ片平は愛想の仮面を外し、琴を値踏みするような目で見下ろす。
「警視庁の見学に来るのは小中学生が多いイメージだったから女子高生が来て珍しいなって驚いたけど、そういうこと……。貴女でしょ? 神立さんの預かっている子供さんって」
「子供さんって……」
態度が冷たくなったことに困惑する琴を歯牙にもかけず、片平は続けた。
「保護者の仕事が気になるのは分かるけど、あまり神立さんの邪魔にはならないようにしてね。彼は警視庁きってのエースなんだから」
「ちょっと、邪魔って何よ! 琴はレイさんに一番大事にされてるんだからね!」
紗奈が口を挟んだが、琴は紗奈の腕を掴み制した。
「紗奈ちゃん……」
片平は鼻で笑う。
「大事にされてる? そりゃそうでしょうよ。人様の子供を預かってるんだもの。でも、神立さんは他に大事にしたい人がいるかもしれないのに、大事にされている立場に胡坐をかいて、神立さんの恋愛を邪魔しないでくれる?」
「え……」
返事に詰まる琴を真っ直ぐ見下ろし、片平はバシリと叩きつけるように言った。
「私、神立さんが好きなのよ。貴女が何らかの事情で神立さんの家に御厄介になっているのは仕方ないとしても、世話になっているなら世話になっている者らしくしてくれない? 子供が大人の恋愛を邪魔しないで」
「……っ」
片平から見れば、琴はレイを独占したいと思っている子供のように見えるのだろう。だから職場まで押しかけてくるような迷惑な子供だと。
「……違う、私は……」
レイを好きな気持ちは、子供が年の離れた格好いい大人に抱く憧れじゃなく、れっきとした恋愛感情だ。眼前の片平がレイを好きな気持ちにだって負けていない。
それなのに、喉に何かがつかえたように声が出ないのは、夢にうなされるほどレイが『アスミさん』のことを求めていると知ってしまったから……?
(私は、レイくんに大切に思ってもらえている……。それは本人に言われてもう疑ってない…でも、レイくんが『求めている』のは……?)
レイは琴の目を澄んでいると言う。穢れがないと。だから目を見たがる。でもそれは、本当に私の瞳を見て言ってるの? とふと疑念が浮かんでしまった。琴を通して、片平を見ているのではないのかと。
先ほど腕を組み会話を交わす二人があまりにも絵になっていたから、余計にそう思うのかもしれない。
「ちょっと、聞いてる?」
返事がないことを不満に思った片平が、琴の顔を覗きこむ。さすが刑事と言うべきか、片平の瞳はとても意志が強く澄んでいた。その目を見ていたくなくて、琴は目をそらす。
「……心配しなくても、レイくんは貴女しか見てませんよ」
「はあ? ちょっと……」
訝しげな片平の追及を遮るように、クラクションが鳴る。レイが玄関に車を横付けしていた。琴は紗奈の手を握ると、「失礼します」と片平に声をかけ、急いで警視庁をあとにした。
「琴、言われっぱなしでいいの?」
悔しそうに片平を睨む紗奈に、琴は首を振る。
「よくない……。けど、レイくんと片平さんが両想いなら、私の出る幕なんてないよ」
邪魔者は、私じゃないか。琴はそう思った。
レイは先に紗奈を家に送り届けた。それから二人きりになった車内で、レイは切り出した。
「それで? どうして警視庁に見学に来ることを黙ってたんだい?」
どうやら見逃してはくれないらしい。咎めるような口調で訊かれた琴は、「何となく」と言葉を濁す。レイが悲しそうな顔をしたので胸が痛んだが、どうして執拗に訊くのだろうという疑問も浮かんだ。
(もしかして、片平さんのこと、私に知られたくなかったのかな……?)
勘ぐるのを止められない自分に嫌気がさす。そんな琴の心情などいざ知らず、レイは真剣な顔で言った。
「必ず出かける際は連絡してね。たとえ自販機にジュースを買いに行く時でも」
「え……」
「頷くまで、家には帰さないよ」
どうやら琴が黙って警視庁に来たことにたいそうご立腹らしい。有無を言わせぬ雰囲気を醸し出したレイは、宣言通り琴が約束を守ると誓うまでマンションへは帰らず、あっちこっちに車を走らせた。




