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彼が私をダメにします。  作者: 十帖
第一章
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貴方の職場に突撃します

(たしかに、アスミって書いてある……)


 ならばこの人が、レイが夢でうなされるほど焦がれているアスミということだろうか。アスミの素性が知りたくて見学に来たものの、開始一分でお目当ての名前を持つ人物を見つけられるとは思わなかった。


 そしてまさか、こんなに美人だなんて、と琴は頭を抱える。


(もしこの人がレイくんの大切な人なら、勝ち目なんてないじゃん……)


 手の甲が白くなるほど、琴はスカートの裾を握りしめる。するとそれを見ていた紗奈に、勢いよく背中をぶったたかれた。バシンと小気味のよい音が響き、琴は涙目になって紗奈を見つめる。


「いった……紗奈ちゃん?」


「琴、顔暗くなってる。まだ片平さんが、レイさんの呟いた『アスミさん』だって決まったわけじゃないし、気にすんなー? もしかしたら警視庁の中にはまだ他のアスミさんもいるかもだし。このだだっ広い警視庁内で片平さんとレイさんが面識あるかも分かんないし? 敵情視察はまだまだこれからだよ」


「う、うん……」


「分かったら、そんな情けない顔しない!」


 紗奈に喝を入れられた琴は、気持ちをいれ替えようと努めた。……上手くはいかなかったが。


 片平から注意事項の説明を受けてから、まずは『ふれあいひろば警視庁教室』という部屋へ通される。室内には黄色いシートの座席が並んでおり、部屋の中央にあるスクリーンで警視庁の概要が上映された。


 レイの仕事内容が気になっていた琴は、普段なら食い入るように見るはずなのだが、今日はスクリーンの傍に立った片平が説明で口を挟むたびに、うなされていたレイがちらつくのだった。


(あんなに苦しげに呼んでいたんだもん……。もし片平さんが、レイくんの言う『アスミさん』なら、レイくんは届かない片思いでもしているのかな……?)


 マイクを使いスクリーンに映った文字を読み上げる片平の左手を盗み見るが、指輪はしていない。仕事柄のせいかもしれないが、片平の年なら単純に考えて独身という可能性が高いだろう。指輪をしていたらよかったのに、と考えて琴は自己嫌悪に陥った。


(レイくんのことが好きだって自覚してから、私ダメダメだ。嫌な子になっちゃう……)


 自分の心を揺らすのはいつだってレイなのだろうとも思う。恋をすると、人はこんなに嫉妬深く、醜い心を抱かなければならないのか。


(それとも、私だけこんなに嫌な子なのかなぁ……?)


 子供の頃のように、レイが特別だと言ってくれた純粋な心のままでいられたらよかったのに。レイは琴を昔から変わっていないと言ってくれたが、そんなことはない。打算的になったし、ずるくもなった。悪い方にばかり賢しくもなった。


 こんな自分を知られたら、もうレイには大切と思ってもらえないかもしれない。琴は心が暗く淀んでいく気がした。


(たとえ片平さんがレイくんの求める『アスミさん』でなくても、レイくんがうなされるほど焦がれている存在は確かにいるわけで……)


「琴? 次、行くよー?」


「あ、うん」


 いつの間にか部屋が明るくなり、隣に座っていた紗奈が出口へ向かっていたので慌ててついて行く。

片平が次に案内してくれたのは、警察参考室だった。


 ここには警視庁創設以来の資料が、ガラスケースに入って千点ほど展示してある。ケースの合間を縫って歩くうちに、じっとしていた時より気が紛れた。初代警視総監の愛刀や有名な事件の関連資料、明治期からの制服も展示されている。


「侍みたい……」


 時代劇でよく見る肩のとんがった肩衣と袴がセットになった和装が飾れているのを見て琴が呟く。すると近くにいた片平が


「これは初代警視総監の川路利良のかみしもよ」


 と説明してくれた。


 近くで片平を見ると、まつ毛の長さや肌のきめの細かさが際立っている。琴よりずっと背も高くて、何だか薔薇のような香りがした。


 本当に、この人がアスミさんじゃなかったらいいな、と琴は祈る。


「貴女、さっきから元気がないようだけど、どうかした?」


 片平の吸いこまれそうな瞳に覗きこまれ、琴は萎縮してしまう。まさか貴女が原因ですと言いだす訳にもいかずもごもごしていると、紗奈が助け舟を出してくれた。


「琴ー! 写真撮ろー!」


「あ、うん!」


 片平に頭を下げてから、唯一撮影が許されたコーナーで紗奈と白バイを背に写真を撮る。琴は片平から遠ざけてくれた紗奈に「ありがとう」とお礼を言った。


 最後に案内されたのは、110番通報などを受ける通信指令センターだった。


 まずエレベーターで五階まで上がる。部屋へ向かう途中に庁内の案内ボードがあったのだが、レイの所属する捜査一課は六階と書かれてあり、琴は一つ上の階にレイがいるのか、と落ち着かない気分になった。


(こんなピリピリした空気の中、レイくんは働いているんだ……)


 庁舎内は、一般人が放つものとは違う独特の雰囲気が流れている気がする。広報課の片平ですら、キリキリと張りつめられた弦のように鋭いオーラがあるのだ。


(本当に、純粋にレイくんの職場の雰囲気を味わえたらよかったのになぁ……)


 立派な警視庁で、有能な捜査官として働くレイを尊敬する気持ちだけでいられたらいいのに。


 扉を解錠してもらうと、そこはガラス張りの部屋になっていた。上からガラス越しに、センターの様子が見下ろせるようになっている。


「わあ……」


 思わず暗鬱な気分も吹き飛んでしまうほど、広い室内には映画のような世界が広がっていた。


 一人当たり三つのモニターが設置された長いテーブルは、東京二十三区の110番通報の受理台らしく、十数台が整然と並んでいる。そこに座った人たちは、忙しなく通報を受け、情報を共有しているようだった。


 奥には無線指令台があった。そこから活動中のパトカーや交番の警察官へ、無線で指示を出しているのだと片平が説明してくれた。


 そして何より琴の目を引いたのは、映画のスクリーンのように大きな表示装置だった。その巨大な画面には、東京の地図がでかでかと表示されている。


 見学者が興味深そうに巨大ディスプレイを眺めていると、片平が説明した。


「あの装置には、カーロケーション情報などが表示されています。画面を分割して様々な情報を表示することも可能ですし、ヘリテレ映像を映すことも可能です」


「ヘリテレって?」


 紗奈からの質問に片平は「ヘリコプターからの映像よ」と答えた。


 ひっきりなしにかかってくる通報や巨大画面を見ていると、こんな場所で働いているレイがますます雲の上の存在に思えてくる琴。そして、同じ職場で働ける片平を羨んでしまった。


「はー……改めて、レイさんってすごい人なんだねえ。こんな所で働いてるんだし」


 感心したように紗奈が言う隣で、琴は頷いた。


「おまけに、顔も性格もよくて、警視庁のエース……やんなっちゃうなぁ」


「琴だって可愛いじゃん。琴、結構人気あるんだよー? 目がおっきくて色白でうさぎちゃんみたいって」


「たれ目なだけだよ。部活してないから白いだけだし」


 卑屈に答える琴に、紗奈は納得いかないような顔をしたが、何も言わなかった。通信指令センターを見終わったので、一応見学はこれで終わりということになった。


 現職の刑事と何人も遭遇できるとは思っていなかった琴だが、結局片平以外の『アスミ』には遭遇できなかったなあ、と踵を返す。


 帰宅したらそれとなく、レイに片平という婦警を知っているか聞きだしてみようか。突っこんで訊くと不審がられるだろうか。


 片平に先導され、警視庁の正面玄関を出る。ここまで見送ってくれた片平に見学者一同でお礼を言い、警視庁を後にしようとしたところで、こちらへ向かってくる白金の髪が見えた。


 ――――レイだ。


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