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彼が私をダメにします。  作者: 十帖
第一章
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大切なのは私ですか?

 夏休みが近付き短縮授業になったので、琴は午前中の授業を終えるとスーパーで買い物を済ませ夕食を作る。


 レイは「琴の栄養管理は僕がしたいのに……!」と渋っていたが、琴が辛抱強くお願いをすると以前とは違い極力耳を傾けてくれるようになった。琴が自立しようとしても、根本は変わらないことを理解してくれたからだろう。


(もし、昔の私と変わってしまったら、レイくんの大切な存在ではなくなっちゃうのかな)


 ネガティブな考えが浮かんでは表情を曇らせる琴。


 気もそぞろで調理していたせいか、包丁で指の先を切ってしまった。絆創膏を貼ったところで、エプロンのポケットに入れていたスマホが震える。紗奈から『予約取れたよ』というメールが届いていた。


 レイの仕事姿が見られるかもしれないという期待と、アスミが何者なのか見つけたいという不純な動機に対する罪悪感。それに悩まされ悶々と料理を盛りつけていると、レイが帰宅した。


「ただいま。ごまのいい香り」


 ネクタイを緩める仕草が様になっていて格好いいレイから、琴はカバンを受け取る。レイに「何だか新妻みたいだね」と言われると、いつもなら首まで真っ赤になるのだが、今日は笑顔が引きつってしまった。


 不思議そうな顔をしたレイに悟られぬよう、琴はつとめて明るい声で話し出す。


「今日はね、冷しゃぶだよ! レイくん働き過ぎてちょっと痩せちゃったから、豚肉食べて力つけてもらおうと思って」


 お醤油とお酢、お砂糖、ほんの少しの豆板醤、それからごま油と、白いりごまの特製ダレのかかった、きゅうりと茄子の冷しゃぶをテーブルに置く。ここ最近、疲れがたまっているのか少しやつれたレイは、手洗いと着替えを済ませてから席についた。


「美味しい」


 レイは気持ちがいいほど痩せの大食いだ。自分の作った料理をおかわりしてくれるのはやっぱり嬉しくて、琴はにやけながらお代わりをよそった。


「短縮授業になってから夕飯作ってもらってばかりで悪いね」


「ううん。でも、スーパーに行くだけでも連絡してほしいなんて、レイくん過保護だよ……」


 大切だと明言されてから、より一層レイの過保護に拍車がかかった気がする。琴は苦笑を零すのだが、レイはいたって真剣だった。


「大切な琴の身に何かあったら困るからね」


「……そう?」


 大切と言われるたび浮かれていたのに、今はその単語がちらつくと邪念が浮かんでしまう。


(大切なのは、私だけ? 他にもっと大切な人はいないのかな?)


 思っていることが表情に出てしまいうなだれていく琴に気付いたレイは、首を傾げた。


「琴。最近元気ないけど……どうかした? って、その指……っ」


 琴が茶碗を持った際に左手の指に絆創膏が貼られているのを見つけ、レイは顔色を変えた。琴は話題がそれたことに内心ホッとする。


「あ、ちょっと料理中に切っちゃって。でも大丈夫」


「傷は深くないのかい? 琴の肌に傷が残ったら大変だ。……やっぱり料理は僕が作るよ」


「ダメ。絶対に終業式まではご飯作るからね」


 にべもなく断る琴に、レイは口をへの字に曲げる。


「……僕は琴を家政婦にするために預かってるわけじゃないのに」


「私のご飯じゃイヤ?」


「とんでもない! 琴の料理は今まで食べてきたどんな料理よりも美味しいよ」


「……口上手いんだから……。ちなみに、終業式は十九日だから」


 レイの部屋に置かれたカレンダーの十九日に丸がしてあったことを思い出しながら、琴は言った。アスミと会うなら何か反応があるかと思ったが、レイは「そう」と答えただけだった。


「じゃあ夏休みに入ったら、今度は本物の星を見に行こうか」


 レイの提案に、琴はオニキスの瞳を子供のように輝かせる。しかし、探りをいれるような真似をしたことが後ろめたくて、琴は結局警視庁の見学に行くことをレイには報告できなかった。







 桜田門前に荘厳と聳える警視庁。見上げると首が痛くなるほどの高さがある庁舎の屋上に巨大アンテナが設置された姿は、ドラマで見る景色と同じで圧巻だ。


 琴は立派な外観に圧倒され、レイの勤め先をあんぐりと口をあけて見上げた。


 近くには警察庁に外務省、法務省に農林水産省まで粛然と構えている。えらく場違いなところに来てしまったと琴は怖気づいたが、紗奈は爛欄と目を輝かせ、琴の腕を引いていった。


「見学の所要時間は一時間十五分だってさ」


 受付に到着した紗奈が、腕時計に視線を落として言う。午前で授業を終えた琴と紗奈は、一旦帰る時間が惜しいので制服のまま見学にきていた。学校からの移動時間や昼食の時間も考え、予約は午後二時四十五分からの回にしてある。


 受付を済ませると、隣の待合室へ行くよう指示を出された。そこで待っているとぞくぞくと見学予定の人たちが集まり、時間になると制服を着用した婦警が現れた。


「うっわ、美人……」


 紗奈が思わず声を漏らす。


 警察の広告塔かと思うほど、集合場所に現れた婦警は美人だった。すっきりとした目鼻立ちは気品があり、目尻の吊りあがった涼やかな瞳の奥からは気の強さがうかがえる。射干玉のような黒髪をピンと伸びた背筋に流したその人は、レイと同世代に見えた。


(迫力美人……。モテるんだろうな……。こんな美人さんが警視庁にいたら、レイくんも好きになっちゃうんじゃ……)


 おまけにスタイルもいい。婦警の制服を着ていても分かる曲線美を眺めてから、琴は成長のきざしを見せない自分の胸元を見つめた。今日から豆乳を飲もうと固く誓う。


 これは『アスミさん』が見つからなくても、警視庁にはレイへの誘惑がいっぱいありそうだと落ちこむ琴。しかし、次に婦警が放った言葉に、琴は雷で打たれたような顔をした。


「これから庁舎内を案内させていただく、片平明日美と申します。皆さん、今日はよろしくお願いします」


「アスミ……?」


 今眼前の婦警は何と名乗ったか。自分の耳がおかしくなければ、アスミと聞こえたが――――……。


「婦警さん、アスミって言うの?」


 動揺から固まる琴を横目で見た紗奈が、婦警、もとい片平に尋ねる。片平は「ええ」と頷いてから警察手帳を見せた。それを食い入るように見た琴は、その場に座り込みたくなった。


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