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彼が私をダメにします。  作者: 十帖
第一章
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解けない魔法、醒める夢

 プラネタリウムを後にすると、本物の空にもぽつぽつと星が散っていた。


 館内からずっと繋がれたままの手は、レイがほどく気配がないので、甘えたままでいる。自分の手をすっぽりと包むレイの大きな手に、琴は頬を緩めた。


 しかし見上げた先のレイは、どこか張りつめたような表情で辺りの気配を気にしていて、琴は首を傾げた。


「どうしたの? レイくん、キョロキョロして」


「ああ、ごめん。警察官の性かな。どうにも周りの気配が気になってしまうのは」


「私とお出かけするの、嫌だった?」


「そんなことないよ。琴とデートできて、幸せだ」


「デっ!? デートなんて……っそんな……!」


(レイくんも、デートって思ってくれてたのかな……?)


 そう思うと転げ回りたいくらい胸の辺りがムズムズして、レイが移動中に時折見せる鋭い表情の意味を、琴は深く考えなかった。


「お腹空いたね。遅くなりそうだし、どこかで食べて帰ろうか」


 レイの提案に乗ると、彼がお勧めの店へ車を走らせる。郊外にある隠れ家風のレストランは、緑に囲まれた庭園がオレンジの照明で柔らかく照らし出されており、その奥に異人館を改築したレンガ造りの大きな館が佇んでいた。


 シャンデリアが輝く店内を横切り、個室へと通される。


 レイが気を使ってそうしてくれたのだろうが、本当に個室で良かったと琴は思った。


 優雅な音楽が流れる店内にはグランドピアノが置かれていたし、ドレスコードはなさそうだが、客は皆小奇麗な格好をしていた。それに、ソムリエがテイスティングしているところも目撃した。ファミレスに慣れている琴にとっては、未知の世界で身の置きどころがない。


「こーと。僕に集中して。個室で誰も見てないから、リラックスしてね」


「うん……」


 テーブル越しにレイにムニッと頬をつままれ、緊張がほぐれる。ちなみに値段がひどく気になったが、メニュー表はレイに取り上げられコース料理を頼まれてしまった。


「レイくん……!」


「今日は僕のエスコートだからね、琴はニコニコ楽しんでくれたらそれでいいんだよ」


 何から何まで支払ってもらい悪い気がするのだが、申し訳なさそうな顔をするとレイが片眉を吊り上げるので、琴は開き直り、楽しむことに決めた。


 出てきた料理は精巧なガラス細工のように綺麗に盛りつけられ、テーブル上で踊るキャンドルの炎に照らされていた。


 口の中で蕩けるようなフォアグラのテリーヌから始まり、宝石が皿の上に載ったような見目の前菜をいただく。それから爽やかなレモンの風味が効いたサーモンと鯛のカルパッチョ、途中まろやかな甘みが舌を打つ冷製スープを挟み、メインの赤ワインソースが効いた牛フィレ肉のステーキは、頬が落ちそうなほど柔らかかった。


「美味しいー」


 頬を押さえ緩みきった声で言うと、向かいのレイは「よかった」と微笑んだ。作法がよく分からない琴とは違い、レイのテーブルマナーは完璧で、食事中何度も見惚れてしまった。


「この店、気に入っていてね。前から琴を連れてきたかったんだ」


「私を……?」


「うん。美味しいものを食べると、琴にも食べてほしいなぁって思う」


「ふ、ふうん」と、にやけているのがばれないよう、濃厚で酸味の効いたブラッドオレンジジュースを口に含む。


 隣にいない時でも、レイが琴のことを思い出してくれる瞬間があることが嬉しかった。


 化粧室に寄っている間に支払いを済ませてくれていたレイに何度もお礼を言い(あまりに言いすぎて、じゃあ今度もまた僕と出かけてくれるならいいよとレイに返された)すっかりと暗くなった夜道を走る。


 夢みたいな時間だったなぁ、と胸一杯になりながら車窓を眺めていると、マンションのある街まで帰ってきたというのに、帰り道が違う気がした。


「レイくん、どうしたの? 家の方向こっちじゃないよね?」


「ん? ああ、琴とのデートが楽しかったから、真っ直ぐ帰るのは惜しくて。少し遠回り。嫌だった?」


「……やじゃ、ない……」


「そう? それは良かった」


 レイが何かを振り切るように車を走らせることに気付かず、琴は雲に乗っかったようにフワフワした気持ちでいた。







 翌日、レイとのデートの余韻に酔いしれた琴は、浮かれたままの気分で早く目覚めた。


 自分はシンデレラではないので、日付を跨いでも魔法は解けない。それが嬉しくて「ふふっ」とシーツに包まったまま笑みを零してから、キッチンに向かい朝食の準備にとりかかった。


 昨日、帰宅してからデートのお礼も兼ねて琴が今朝の朝食を作るとレイに切り出したのだ。アラームの件があったからか、レイは琴の意思を尊重しオーケーしてくれた。


 朝食の準備ができてから、琴はフワフワした髪を手ぐしで整え、レイの部屋をノックした。しかし返事はない。


「あれ……? レイくん、まだ寝てるの?」


 普段ならレイが琴よりも遅く起きることはまずない。が、今日は朝食を作らなくていいので、起床時間が遅いのかもしれない。「入るよ?」と声をかけレイの部屋に入ると、彼はまだベッドの上で眠っていた。


 寝顔は整った顔立ちが余計に引き立つせいか、人形のようにも見える。朝日に照らされたプラチナブロンドが綺麗で、琴はずっと眺めていたい気分になった。しかしレイは日曜日でも仕事なので、そろそろ起きなくては間に合わないだろう。


 琴はレイの肩を優しくゆすった。


「レイくん、起きて。朝だよ」


 自分はエプロン姿だし、何だか新妻みたいだなあ、と浮かれてしまう。


 長いまつ毛に縁どられた瞼が伏せられている姿も絵になるが、早く透き通った彼の瞳に自分を映してほしくて、もう一度呼びかける。なかなか起きないのは疲れが溜まっているせいだろうか。


 琴の声に反応し、レイが小さく身じろぎした。起きるか、と琴が見守っていると、彼の眉間に皺が寄る。薄い唇がうっすら開いた。


「……す、み……」


 夢と現実の境をさまよっているのか、レイが吐き出した言葉は要領を得ない。寝言だろうかと琴が迷っていると、固く目を瞑ったレイの表情はますます険しくなった。声も、呻き声に変わっていく。


「あ……すみ……」


「レイくん……?」


 さすがに心配になり、琴はレイの顔を覗きこむ。すると、シーツから這い出てきた手が、琴の腕をグイと掴んだ。


「あすみ、さん……」


 やっと聞き取れた単語は『アスミさん』というものだった。一体――……。


 夢にうなされているのだろう。苦しげに息をしているのが気になって、琴はレイを起こそうと呼びかける。


「レイくん? レイくん! 起きて!」


「あす……行くなっ!!」


 ヒュッと息を飲む音が聞こえたかと思うと、叫びながらレイは飛び起きた。前髪は額に貼りつき、こめかみには脂汗が滲んでいる。荒い息を繰り返すレイの焦点は定まっていなかった。


「……レイくん、大丈夫……?」


 琴が遠慮がちに声をかけると、レイはそこで初めて琴の存在に気付いたようだった。明らかにいつもと様子の違うレイが心配で琴が手を伸ばせば、逆にレイに腕を掴まれ、ベッドへと引きこまれる。


「レイ……っ」


「目を見せて」


「え」


「琴、早く」


 いつかと同じように、レイは琴に目を見せるようせがんだ。いつもなら壊れ物を扱うように優しく扱ってくれる指も、今は琴の腕に食いこんでいる。


 琴は言われるがまま熱に浮かされたようなレイの瞳を見つめ返した。すると、切羽つまった彼の瞳が次第に平静を取り戻していくのが分かった。彼の様子が落ちついたタイミングを見計らってそっと問いかける。


「レイくん……ご飯できたから呼びに来たんだけど……食べられそう?」


 琴の質問にコクリと頷くレイ。しかし「ごめん、ありがとう」と言って琴の肩に顔を埋めたレイが、わずかに震えているのが気にかかった。


 そしてもう一つ。


『アスミ』とは誰なのだろうか。


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