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彼が私をダメにします。  作者: 十帖
第一章
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星空の下、貴方に誓います

「れ、レイくん。お家に帰ったりしないよね? 私、濡れてても平気だから、ね?」


 運転を再開したレイへ、琴は懇願するように問いかける。ずっと楽しみにしていたプラネタリウムをこんなところで諦めたくはない。今日を逃したら次にいつ二人で出掛けられるかも分からないのに。


「心配しなくても帰らないよ。でも服は着替えないとね」


 不安げな琴の頭を撫で、レイはニッコリと笑う。車は海岸沿いから町の中心街へと方向を変え、ブランド路面店が並ぶ洒落た通りへ入っていった。


「無理無理無理っ。レイくん!」


「そんなに着替えるのが嫌なら、家に帰るしかないなぁ」


「それはやだっ。プラネタリウム……!」


「じゃあ聞き分けようね」


 近くのパーキングに車を停めたレイは、子供のようにぐずる琴の手を引き、ブランドショップの扉へ手をかけていた。


 入口に大理石の階段がある店の相場は高いのだ。琴はそう思うのだが、レイは暴れる琴を無視し扉を開けてしまった。間接照明に照らされた広い店内へ足を踏み入れると、店員に恭しく迎えられる。


「本日はどういったものをお探しでしょうか?」


「この子に合う服を探していて」


 洗練された振る舞いの店員に気後れすることもなく、レイは言う。


「ああ、あれなんていいな。すみません、あの服試着します」


 トルソーが着ている白いレースのワンピースをレイが指差すと、店員が琴を試着室へ誘う。緊張のあまりロボットのような動きになる琴は、大の字で横になっても余るほどの広い試着室へ通され青ざめた。格式が違う……!


「それから、ああ、これもいいね」


 気に入った服を見つけてはポイポイ寄こしてくるレイへ助けてと視線を送るものの、レイは気付いているのかいないのか爽やかな笑みを寄こすだけだった。教育の行き届いた店員でさえレイの笑顔に頬を赤らめていた。


 観念し、繊細なレースの刺繍が施されたワンピースのタグに怯えつつ目をやる。ゼロの数の多さに目眩がして、琴は頭を抱えた。


(……貯金……切り崩すしか……)


「レイくん……この近くにATMとかって……」


「いや琴、流石に高校生の君に払わせる訳ないだろう……?」


 試着室から顔だけ出し暗い声で言う琴に、レイは半ば呆れたように笑う。


 レイが支払ってくれるというなら、なおさら悪い。こんな高い物をレイにプレゼントしてもらう理由なんてないのだから。


 服が濡れたのは自分のせいだし、もっとその辺のファッションビルで、自分で安い服を買うのに。


 琴がそう言わんとしているのを察したのか、琴の小さな唇に人差し指を当てたレイは


「僕が琴にプレゼントしたいんだ。僕のわがままなんだよ」


 と言った。だから早く、着た姿を見せて、と。


 殺し文句だ。そんなこと言われたら、何も言い返せない。レイは分かっているのだろうか。レイがその言葉を発した瞬間、若い女の店員が惚けたような表情をしていたことを。それから羨望の目で琴を見たことを。


(特別だから、お姫様みたいに扱ってくれるのかな……。私はレイくんのことが好きだけど、レイくんの私への『特別』は、きっと恋愛感情とは別物なんだろうな……)


 それが少し寂しいと思う。レイが自分を好きになってくれる姿が想像できない琴だった。


 Aラインのワンピースは上品な可愛らしさがあり、その場で回ると空気を含んでふんわり揺れる。着ている服が違うだけで少しいい女になった気がした。


 試着室から出てきた琴を見たレイは満足げな様子で「これにします」と決め、さらにワンピースに合うサンダルまでコーディネートし、スマートにカードで支払いを済ませてしまった。


「ごめんね、レイくん……高いのに」


 そのまま着ると言ってタグを切ってもらい、ワンピース姿で店を出た琴が眉を下げると、レイは着てきた服の入った袋を車に積みながら言った。


「うん? たしかにさっきの服装も可愛かったけど、今の服もよく似合ってる。琴の可愛い姿が二回も見られるなら、安いもんだよ。それに」


 車のキーを回しながら、レイは涼しげに笑う。


「どうせなら、ありがとうの方が嬉しいんだけどね」


「……ありがと」


 敵わないなあ、と思いながら、琴はシートに身体を預けた。


 道中、カフェで少し遅めの昼食を取ってからプラネタリウムへ向かう。


 着いたプラネタリウムは科学館が併設されているらしく、ガラス張りのドームという近代的な外観だった。あえてメジャーなところを外したお陰か、いい席のチケットが買えた。


 トワイライト上映の時間までまだ二時間近くある。科学館の展示が充実しているらしいので、琴とレイはそちらでまず遊ぶことにした。


 科学館は、実際に実験を見せてくれるショーのスペースと、展示スペースに分かれていた。展示場も、宇宙の誕生や惑星、オーロラについてのコーナーや、電気やエネルギーについてのコーナー、鉱物や宝石についてのコーナーなど細分化されていた。


 琴とレイは宇宙のコーナーにまず足を踏み入れると、五億分の一サイズの太陽系の模型を興味深そうに眺めた。模型の傍にあるスイッチを押すとアナウンスが流れ、説明を聞き入る。次に試した原子体重計は、自分の身体がどれくらいの数の原子でできているのか分かるらしく、二人で盛り上がった。


「琴、隕石に触れるみたいだよ」


「ほんと?」


 台座に載っていた、黒く光る隕石を軽々と持ちあげているレイから受け取る。と、あまりの重さに取り落としそうになった。


「重っ!?」


「あはは、琴には重かったかもね。大丈夫? 怪我してない?」


 手首を痛めてないか確かめるレイに頷き、一通り見て回ると、ちょうど上映時間になった。いよいよだ。


 薄暗く涼しい館内に入ると、気分が高揚してくる。スタンドのように斜めにせり上がった座席の真ん中に座り、リクライニングを倒すと完全に中が暗くなった。


「いよいよだね」


 館内の暗さに慣れてきたところで、隣のレイから声がかかる。耳に心地よいアナウンスが流れると、視界いっぱいに満天の星空が広がった。


「わぁ……」


 星屑がシャワーとなって今にも降ってきそうだ。煌々と輝く星は、宝石箱をひっくり返したかのよう。幻想的な空間に、星がまたたいては星座が踊る。


「流れ星……っ」


 視界の端で震えるように輝いていた星が、光の軌跡を描く。


「レイくん、見た?」


「うん。琴、ほらあっちも」


 突き抜けるような空が頭上に広がっているせいで、本当に屋内にいるのか疑わしくなる。投影された夏の夜空は神秘的で、琴は眩い柄杓型の北斗七星を見ると興奮気味に声を上げた。


「プラネタリウムなんて、小学校の遠足以来だなぁ……」


 嬉しくて隣のレイを見ると、彼の瞳に星が閉じ込められていて綺麗だと思った。不意にレイがこちらを見たので、ドキリとする。


「琴の瞳、星が映りこんでる。ちっさな星空みたいで綺麗だ」


 頬に手を添え、夜空と同じ色をした瞳を覗きこまれる。自分と同じことを考えていたことが嬉しくて、琴ははにかんだ。すると、頬を親指で撫でられ、レイとの距離が縮まる。


「あ……」


 レイで視界が陰り、彼越しにしか星が見えなくなる。近くなった距離に胸が高鳴ったところで、『夏の夜に一際美しく輝く星座たち、夏の大三角形です』とアナウンスが流れた。


「……主役だよ」


「う、うん」


 今の思わせぶりな態度は何だったのだろうか。琴は動悸のおさまらない胸を押さえながら考える。レイの琴に対する距離間は近すぎると思った。


(期待しちゃうよ……)


 火照った顔のまま頭上を見上げると、夜空を横切るように天の川が流れていた。


 白銀に光輝く天上のカーテンはため息が出るほど美しい。それを跨ぐようにして輝く星たちが、点と線で結ばれると夏の大三角が姿を現す。はくちょう座、わし座、それからこと座。


 夏の大三角の中でも、右上で一際眩い光を放って観客を魅了しているのが、こと座のベガだった。


「綺麗……」


「うん。星が動いても、一番明るいからすぐに分かるね」


 夏の夜空の動きを早足で映している映写機。しかし、どの時間になっても、ベガは天の川の中で溺れることなく輝き続けていた。


 星を見ると、今までの悩みがちっぽけに感じると言う人がいるが、その通りだと琴は思った。幾千の星がまたたく様は、長い歴史の重さと広大な世界の広がりを感じさせ、胸のつかえを溶かしてくれる。先人たちも、この夜空に想いを馳せてきたのだろうなと。


 そんな吸いこまれそうな星屑の中、導くような星。その星座と同じ名前であることを誇りに思った。


「レイくん、連れて来てくれてありがと」


 視線は夜空に向けたまま、ひじ掛けに置かれたレイの手を、そっと握る。


「ママがね、昨日電話をくれたの。琴の日だからって」


「……そう」


「私、今まで、すごく寂しかった。でもこんなに……」


 琴はあいている方の手をベガへと伸ばす。どの星よりも強く輝いているというのに、なんて優しい光なのだろうと思った。


「夜空で輝く星座の名前を両親がくれたって知ったから、もう孤独に溺れたりしない。レイくんのお陰だよ。私もう、両親のことで、卑屈になるのはやめる。後頭部がペタンコなことだって、自分のチャームポイントだって愛せるようになるよ」


 応えるように、繋いだ手を力強くレイに握り返された。


「こと座がこんなに輝いてるって、知れてよかった。ありがとレイくん」


「……今度は空気が澄んだところへ、本物の星を観に行こうか」


 投影が終わり、明るくなった館内でそう言ったレイに、琴は「うん」と元気よく頷いた。


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