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彼が私をダメにします。  作者: 十帖
第一章
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天の川に願うこと

 帰り道、夕食の買い出しでにぎわう商店街を通っていると、珍しいことが起こった。母から電話がかかってきたのだ。


 転勤になってから初めてのことに、琴は戸惑いながら電話に出る。


「もしもしママ……? どうしたの?」


『琴? 元気にしてる? 今日は琴の日だから電話してみたのよ』


「私の日……?」


 ちなみに今日は誕生日ではない。何のことだと首を捻っていると、パン屋の軒先に飾られた笹が目に入った。色とりどりの短冊や七夕飾りがぶら下がっている。


「七夕……?」


 レイのことですっかり忘れていた。織姫と彦星は琴とレイ以上にずっと離れ離れだったというのに。


『そ。今日は七夕。そして主役の織姫はこと座のベガ。ね、琴の日よ』


「うん……」


 母が自分のことを思っていてくれたのが嬉しかった。いつだったかレイが言ったように、両親は夜空に浮かぶこと座を眺め、琴を思ってくれているのかもしれない。そう思った今なら、母に本音をぶつけられる気がした。


「ママ、ごめんね。実は私、少しママとパパのこと、恨んでた。仕事ばかりで、私のことなんてどうでもいいのかなって、やなこと考えたこともあるの」


『ああ、でしょうね。私も、レイくんに説教されたことがあるくらいだし、娘の貴女がそう思っても仕方ないわよ』


「レイくんに……?」


 あの礼儀正しいレイが両親に説教なんてたれるだろうか。にわかには信じがたかったが、母は『ホントよ』と笑った。


『愛を注いだって、それを言葉や態度で伝えてやらなきゃ、あの子の心は孤独なままだって』


「……!」


 琴はスマホをギュッと握りしめた。ああ、ずっとレイは琴の孤独に気付いて寄り添ってくれていたのだ。


『だから海外へ転勤が決まった時は、母さんも父さんも琴をどちらかが連れていこうか迷ったの。でもね、レイくんが言ってくれたの。僕は琴を独りにしたりしませんって。その言葉のお陰で、安心してこっちでも仕事できてるのよ』


「そっか……レイくんが……。ねえママ。私、レイくんと楽しく過ごしてるよ。だから心配しないで、お仕事頑張ってね」


 不思議だと思った。仕事ばかりの両親がずっと嫌だった自分が、初めて心から仕事を応援できた気がする。


(レイくんのお陰だ。レイくん……お礼が言いたいの。会いたいよ……)


 電話を切ってから、笹の横に設置された机に目をやる。そこには短冊とペンが置かれてあり、『ご自由にお書きください』と書かれたメモが机に貼られていた。


(願いごと、か)


 桃色の短冊を手に取り、ペンを滑らせてから笹の葉に括りつける。


「本当は七夕って、習い事の上達を願ったりするものらしいけど……」


『レイくんと、ずっと一緒にいられますように』


 丸い字で書いた短冊の願いごとを読み返し苦笑を零してから、琴は家路を急いだ。


 その影を追うようにして歩いてきた人物が、琴の短冊に目を通し笹から外したことに、琴は気付かなかった。







 琴が帰宅しても、レイはまだ帰っていなかった。


 しかし食器棚を開けると、洗い終えたレイのマグカップが昨日とは微妙に違う位置で伏せられて置いてあり、一度レイが帰宅していた事実を突きつけられる。


 レイの気配は色濃く残っているのに、彼がいないのが寂しいししんどい。会いたい。耳障りのいい声が聞きたい。


「レイくん、私、レイくんと住むようになってから寂しい顔見せなくなったんだって。……でも今、寂しいよ……」


 夜の十時を過ぎてもレイは帰ってこない。


 今日もお泊まりコースだろうか。もう一週間顔を合わせていない。一年に一度しか会えない織姫と彦星に比べれば忍耐力が足りないとは思うものの、星の輝く夜空で逢瀬を楽しんでいる二人にまで羨ましさが湧いてくる。重症だ。全身がレイを欲している。


「明日は土曜日だし、徹夜して待ってようかな」


 しかしもしレイに避けられているなら、琴が起きている限り帰ってこないんじゃ、と暗い考えが浮かぶ。そうなったら、仲直りの機会なんて望めない。


 琴はしばらく悩んだあと、「よし」と自らを奮い立たせ、最終手段に出ることにした。


 レイの部屋の扉の前でしばし佇む。それから遠慮がちに扉を開け、忍び足で中に入りこんだ。罪悪感がわいたが、レイだって寝ている琴の部屋に無断で入っていたのだし、おあいこのはずだと無理やり言い聞かせた。


「失礼しまーす……」


 そう声をかけるものの、当然部屋の主は不在だ。


 初めて入ったレイの部屋は家具がモノトーンで統一されており、こざっぱりとしていた。


 間接照明に照らされた壁の一面は大きな本棚になっており、人気のミステリーから犯罪心理学などの難しい本まで並んでいる。パソコン机には今までに関わった事件の資料らしきファイルが、ラベルに振られた番号順に整頓されていた。大きな窓からは東京の夜景が一望できる。


 同じ家の中なのに、パステルカラーで統一された少女趣味な自分の部屋とはこうも違うものか。レイは香水を使わないはずなのに、何だか室内はいい匂いまでした。


 本来の目的を忘れそうになったところで、琴はハッとした。セミダブルのベッドへ歩いていくと、琴は腕に抱えていたテディベアを枕元へ置く。レイに貰ったものだ。テディベアのプラカードには『ごめんね』と書かれている。


「これでよし……っと」


 レイのシックな部屋にテディベアというミスマッチな光景をおさめつつ、琴は満足げに頷く。これで琴がレイに会えなくても、プラカードの文字が帰宅したレイの目に留まるはずだ。


「頼んだよ、くまさん……」


 重々しく言い残し部屋を後にしようとするものの、何だか後ろ髪を引かれる。レイの気配が濃すぎるのだ。スプリングのきいたベッドに腰掛け、柔らかい香りのするシーツを撫でる。それからそっと横になってみると、レイの香りが濃くなった。


 柔軟剤のように優しくて、でもどこか爽やかな香り。意識してしまうと離れがたくて、琴はシーツを身体に巻きつけるように引き寄せた。


 どうせレイは、琴がいる間は家に帰ってこないはずだ。それなら、少しくらいレイの名残を堪能してもいいだろう。両親に『琴を独りにしない』とのたまいながら、こんなにも不在なのだから。レイが悪い。そう言い聞かせ、琴はレイのベッドに潜りこんだ。


 レイのシーツに包まると、まるで彼に抱きしめられているような心地がした。もやもやが煙のように消え、代わりに穏やかな眠気を誘ってくる。琴は吸い寄せられるように、夢の世界へと旅立った。







 あと数分で七夕も終わろうという時刻にレイは帰宅した。


 琴が寝ている可能性も考え、極力音を立てぬようにドアを閉めたのだが、廊下の電気がついていることに違和感を覚える。琴の部屋のドアが半開き状態だったので、まだ起きているのかと隙間から覗くものの、琴の姿はなかった。


 途端に、レイのこめかみに冷や汗が滲む。気配を殺すのをやめ、強張った声で琴を呼んだ。


「琴? どこだい? 琴……」


 リビングや洗面所を覗き、トイレも確かめるのだが、どこにも琴の気配はない。玄関には琴が気に入って履いている靴が並んだままだったのに、と思いつつも、レイは前髪をぐしゃりと掴んだ。蒸し暑い夜だというのに、嫌な予感が背筋を凍らせる。


「くそ……っ。琴!」


 返事がないことに焦燥感を募らせ、最後に自室のドアを乱暴に開ける。と、広いベッドが上下していることに気付き、レイは一瞬息を止めた。


「……琴……?」


 レイのベッドの上で、琴は身体を丸め眠りこんでいた。スヤスヤと穏やかな寝息が聞こえてきて、気が抜けたレイはドアにもたれて座りこむ。整った唇からは安堵の息が漏れた。


「何でこんな所に……」


 熟睡している琴を覗きこむと、テディベアをギュッと抱えこんでいることに気付く。その首から下がったプラカードを見て、レイは参ったな、と眉を下げた。


「琴の方が、僕より大人か……」


 少し汗ばんだ琴の前髪を払ってやる。感触に気付いたのか、琴は手を彷徨わせるとレイの指をキュッと掴み自分の元へ引き寄せた。それから、安心したように口元へ笑みを浮かべ「レイくん……」と寝言を呟いた。


「……僕は理性を試されてるのかな」


 苦笑を零し、レイはベッドの枕元へ腰掛ける。それからしばらく、空いた方の手で琴の髪を撫で続けた。


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