モテ期がやってきたようです
レイは琴が部屋に入るまで見送るつもりのようだった。
駐車場に車をとめたあと、無言のまま共にエレベーターに乗りこむ。ボタンの前に立ったレイの背中を見つめながら、琴はとめどない後悔に苛まれていた。
レイのあんな苦々しそうな顔は初めて見た。傷つけてしまった。何で関係ないなんて言ってしまったのだろう。
そんな後悔が巡るが、琴の中で答えははっきりと分かっていた。
本当は学校にレイが来た時、女子に囲まれていたのが面白くなかったのだ。レイは自分だけのヒーローだとうぬぼれていたから、他の子に取られたみたいな気持ちになってモヤモヤした。
そんな気持ちも、助けてもらったことで希望に形を変えつつあった。嬉しくて仕方なかった。
それなのに「安易に男に近寄るな」と叱られると、女生徒に囲まれていたレイを思い出してしまって、レイはいいのに自分はダメなのかと腹が立った。レイを好きだと自覚してしまったから余計にだ。
(バカだよね……レイくんは私のこと何とも思ってないのに。一人相撲だ。レイくんにあんな顔をさせるくらいなら、ひどい言葉なんて吐くんじゃなかった……!)
玄関の扉を開けたレイは、琴に入るよう促す。琴が大人しく入って靴を脱ぐのを見守ると、レイは踵を返した。
「じゃあ、僕は仕事に戻るから」
気をつけて、の一言くらい言えたらいいのに、喉にゴルフボールでも詰まってしまったかのように言葉が出ない。逡巡している間にレイは行ってしまい、琴は閉じられた扉に額を預けた。
「……私のバカ……」
(……レイくん、泊まりこみって言ってなかったし、帰ってくるよね?)
部屋着に着替えてから、ダイニングのテーブルに突っ伏す。どうしよう。どうすればいい? どうやったら仲直りできるんだろう……。
顔を上げると、向かいの椅子に一瞬レイの幻が見えて琴は泣きたくなった。
(レイくん……幻が見えるくらい、私いつの間にかレイくんに依存しちゃってるんだよ……ダメな子になってるんだよ……)
磨き上げられたテーブルを一撫でする。ここでレイと食事するのが最近の楽しみだった。美味しいと言いながら完食する琴を眺めるレイの目は誰より優しかった。
「ご飯、一緒に食べたら……仲直りできるかな」
腕をふるおうか。そう思って立ち上がってから、また椅子に座り直す。
「……レイくん、私に料理作ってほしくないからアラーム止めたんじゃん……逆効果だ……」
いい案が浮かばず八方塞がりだと気を落としていても、時間だけは過ぎるもので。いつの間にか、壁にかけた時計の針は九をさしていた。
その時、重い空気を裂くようにインターホンが鳴る。琴はテーブルにへばりつけていた頬を引っぺがし、玄関へと走った。鍵を開ける時間ももどかしく思いながらノブを捻りドアを開ける。
「レイくんおかえり……っ」
顔いっぱいに期待をこめてドアから顔を出すと、立っていたのは輝く金髪のレイではなく、烏の濡れ羽色をした黒髪の朔夜だった。仕事終わりなのか、ワイン色のネクタイは緩められ、伊達眼鏡はしていない。
「神立くんじゃなくてすまないな」
「……サクちゃん……」
「神立くんだと思っていたとしても、タンクトップ姿で飛び出してくるのはあまり感心しないぞ」
琴をやんわりと注意し、朔夜は「邪魔してもいいか?」と尋ねてくる。琴はスリッパを用意し、彼を招き入れた。
「もしかしてレイくんと飲むつもりだった? ごめんね、レイくんまだ帰ってきてないの」
「知っている、連絡があったからな。神立くんは、今日は仕事が長引いて帰れないそうだ」
「え……っ。ちょ、ちょっとごめん!」
自室に走り、充電器に繋いだ携帯を確認する。レイから今日は帰れないという簡素なメールが一通届いていた。
(仲直りしたいと思ったのに……)
いや、仕事なら仕方ない。彼は国のために働いているのだから。そう自分に言い聞かせるものの、どうしても落ちこんでしまう。
(自分のこういうとこ、子供っぽくてやだなぁ……)
部屋の前で待っていた朔夜に、琴は声をかける。
「じゃあサクちゃんはどうしたの? 何か用事?」
「ああ、俺は神立くんに琴の様子を見ているよう頼まれたから来ただけだ。女子一人では危ないからと。彼は過保護だな」
「……家にいるだけなのに、どうしてサクちゃんを寄こすの?」
「俺がここに来るのは不満か?」
「ああ、えっと、そういう意味じゃないんだけど……。他の男の子といると危機感がないって怒るくせに、サクちゃんはいいんだ、と思って。あ、ご飯食べた? まだなら一緒に食べようよ。作るのは今からだから、遅くなっちゃうかもしれないけど」
加賀谷の件があったから、一人にさせまいと警戒されているのだろうか。
朔夜の分の料理を作るなら構わないだろうと自らに言い聞かせ、琴はキッチンに立つ。キッチンからはダイニング越しに、広々としたリビングが良く見える。
革張りのソファにかけ大型のテレビを見ている朔夜は手持ちぶさたなようで、時折胸ポケットへ手を伸ばしてはひじ掛けに腕を戻すという奇妙な動作を繰り返していた。
「……サクちゃん、もしかして煙草吸いたい?」
ブロッコリーをゆでながら琴が問いかける。朔夜は苦笑気味にこちらを見た。
「ああ……だが、ここで吸うと神立くんが怒るだろうな」
「あー……壁が汚れるってレイくん怒るかな。あ、換気扇の下なら大丈夫かも」
キッチンの換気扇を琴が指差すが、朔夜はゆるりと首を振った。
「いや、いい。お前の前で吸うと彼はもっと怒るからな。神立くんはあんな端正な顔をして怪力だから、殴られるとなかなか痛いんだ。なんせ元ヤンだしな」
「レイくん空手黒帯だしね……って、え? どうして私の前で吸うとレイくんが怒るの?」
意外な事実に琴が驚くと、朔夜は切れ長のつり目を丸めた。
「……知らないのか? お前は子供の頃喘息気味だっただろう。だから神立くんは煙草をやめたんだ」
「え……」
「不良だった頃は吸っていただろう。覚えていないか」
睡眠時間を除けば栄養バランスにこだわり運動も欠かさない健康志向なレイが元喫煙者であったことに琴は吃驚する。が、自分のためにレイが煙草をやめたことにもっと驚いた。
「何で、私のために……」
どうしてレイは自分に優しくしてくれるのだろう。
理由を考えようとしたところで、鍋がふきこぼれそうになり、琴は慌てて火を止めた。
冷蔵庫の中は潤っており食材には困らなかったので、琴はロールキャベツを作った。ランチョンマットの上にコンソメ風味の野菜スープとサラダ、バケットを並べると、香りに吸い寄せられたのか朔夜が席に座った。琴もエプロンを椅子の背にかけて座り、向かい合って手を合わせる。
綺麗な箸使いで料理を口に運んだ朔夜を見守っていると、朔夜は感心したような声を上げた。
「美味いな」
「ホント?」
琴は表情を明るくさせ、前のめりになって言った。
「スープの人参、ちょっと固かったかも……」
「その辺は愛嬌だろう。これだけ美味いなら、神立くんも喜んでいるだろうな。しまりのない彼の顔が浮かぶ」
朔夜がそこまで言ったところで、琴の視線は下がった。スープをかき混ぜながら、暗い声で言う。
「……レイくんは食べてくれないよ。っていうか、作る機会がないの。レイくんはいつも私の分のご飯まで手早く作っちゃうし、仕事で忙しいし……今日だって、本当は私が迷惑で、何もしてほしくなかったんだ……」
琴は少し迷ったが、今日起きた出来事を全て朔夜へ話した。琴が話し終えるまで静かに耳を傾けていた朔夜は、椅子の背にもたれると、腕を組んで静かに言った。
「――――俺にしておくか?」
「へ? な、何の話?」
「ん? 今のお前の口ぶりでは、神立くんが好きだから役に立ちたいのに、それを彼が望んでいないことが辛い。そして、女生徒に囲まれた彼に嫉妬した、そう聞こえたが。だから神立くんに恋するのが辛いなら、俺にしておいたらどうだと思ったまでだ」
「は、はい!? そ、もそも、私、レイくんのことが好きなんて一言も言ってないよね!?」
朔夜の突飛な発言に、琴はまごつく。しかも彼の推理が当たっているから余計に。朔夜はクールな表情を崩さず、マイペースに「そうか」と言った。
「なら、尚更問題ないな。うるさい女は苦手だが、お前は昔から知っていて気を使うこともないし一緒にいて楽だ」
朔夜の大きな手がすっと琴の頬へと伸びる。レイよりも体温の低い手に琴はドキリとしつつも身構えた。
「今は幼いが、お前はきっといい女になる。ひたむきで、一生懸命な所も悪くはない。お前さえよければ、俺の女になれ」
「……っ」
何故だか今日はよくモテる日だ。
凶暴なくらいの色気を孕んだ瞳に射抜かれ、琴は身を固くする。朔夜の鋭い瞳は吸いこまれそうな力があり、見つめられるとドキドキしてしまう。
毒のような魅力がある男だ。その気がなくても全身を蝕まれてしまいそうになる。しかし、そんな色男を前にしても琴の脳裏によぎったのは、レイの優しい笑顔だった。




