あまりにモテすぎると、穏やかではいられません
昼休み、琴は保健室へ行くため立ち上がった。
家のテーブルの上に、いつも通り手作りのお弁当が置いてあったからだ。言い争ってしまったし(怒っていたのは琴だけだが)弁当はさすがに用意されていないと思っていたが、どこまでもレイは律儀な男だと琴はため息をつく。
巾着袋を持ち、教室のドアを出ようとしたところで、食堂へ向かったはずの紗奈が興奮気味に戻ってきた。
「ねえねえ、琴! 伽嶋先生が保健室の前で超絶美形の男と話してるらしいよ! 食堂内は今その話題で持ちきり! 見に行かない?」
「へ……」
「伽嶋先生の友だちみたい! 目撃した子たちが言うには、芸能人並にカッコイイって!」
「サクちゃんの、友だち……」
ちょうど目的地は保健室なのでそこへ向かうのは構わないのだが、朔夜の友だちという言葉が引っかかった。朔夜の友人で芸能人並のルックスとなると、琴の頭に浮かぶのは一人しかいない。
(……まさか、レイくん? いやでも、まさかね。仕事中のはずだし、第一校内にいるわけないか……)
考えこむ琴に構わず、紗奈は琴の背中をぐいぐい押す。
「行くよ琴! イケメン拝んで目の保養にしよ!」
「ちょ、ちょっと紗奈ちゃん?」
背中を押され困惑する琴の後ろから、加賀谷のバカにしたような声がかかった。
「アホらし」
「なーんでそう言いながら加賀谷もついてくるのかなー?」
紗奈はじとりと加賀谷を睨んだ。
「ああ、琴がそのイケメンに惚れちゃうかもって気が気じゃない?」
夏服を着崩した加賀谷は、スラックスのポケットに手を突っこんだままついてくる。
「バーカ。俺は散々ハードル上げられたそのイケメンとやらが、本当に美形なのか面を拝んでやろうと思っただけだっつの」
加賀谷には肩に腕を回され、紗奈には背中を押され、琴はあれよあれよという間に保健室のある特別棟へと連れられる。
保健室の前には、黄色い声を上げる女生徒の人だかりができていた。そしてその中心には見慣れた眩しい金髪が……。
(うそ……ほんとにレイくんだ……)
大人数に囲まれていても、レイも朔夜も背が高いので頭一個分飛び出しておりよく見える。遠目から見てもイケメンオーラがすごかった。
「うっそ、実物半端ないんですけど……!」
紗奈が神々しいものでも見るように、うっとりと感嘆の息を漏らす。野次馬根性をむき出しにしていた加賀谷も「マジかよ……」と、レイの完璧な容姿に衝撃を受けていた。
外で見るレイは一段と格好よく、さらりと目にかかった金糸の髪も、高い鼻梁も、すっきりとした横顔も、何もかもが絵になる。学年中の女生徒がつめかけてきているのではと思うほど、レイを見にやってきた人の数は多く、誰もがハートを打ち抜かれていた。
「刑事さんなんですか? もったいないー俳優になればいいのにー」
「彼女いますか? 伽嶋先生とはお友だちってホントー?」
矢のように浴びせられる女生徒たちの質問。
「教室に戻れ」と朔夜が鬱陶しそうに促すものの、女生徒たちはイケメン二人に釘付けだ。特にお伽噺から抜け出てきたようなレイの容姿は、女生徒たちを骨抜きにさせているようだった。
熱を上げる女子高生たちに、心底辟易した様子の朔夜。その隣でレイは苦笑を浮かべている。
「ひゃー、困った顔もイケメン!」
人垣の一番後ろで、指で双眼鏡の形を作りながら紗奈が言う。
「あんな美形、本当に存在するんだねー。ねぇ琴。さすがにあんたと同居してるお兄さんも、あれほどのレベルじゃないでしょ?」
「……というか、本人だね……」
頬を引きつらせながら琴が言った。紗奈と加賀谷がすごい勢いで振り向く。
「はあ!? マジ!?」
加賀谷と紗奈の声が見事なハーモニーを奏でる。あまりの大声だったので廊下全体に響きわたり、一瞬観衆の目が何事かとこちらへ向いた。
「ちょ、ちょっと、二人とも静かに!」
琴は慌てて二人の口を塞ぎ、ちらりと輪の中心にいるレイの方を見る。そこでドキリとした。レイがこちらを見ていたのだ。
目が合い戸惑っていると、レイの唇がうっすら開く。一瞬、話しかけられると思った。いつもの調子で、マシュマロのように甘ったるく「琴」と呼びかけられると思った。しかし……。
(え?)
ふい、とレイの視線はすぐにそらされ、朔夜の方へ向いた。
(目、確かに合ったのに、そらされた……)
レイの明るい水色の瞳は、間違いなく琴の姿を捉えていた。なのに、まるで琴なんか知らないと言わんばかりに無視されたことに、琴の胸がズキッと鈍く痛んだ。
(今朝ケンカしたから……? まだ怒ってると思って無視された……?)
アラームを止めた件に関しての怒りはまだ琴の中で燻っている。しかし、今はそれ以上に無視されたことへのショックが勝った。
「目が合ったのに、お前に話しかけねえじゃねえか。ホントに同居してんのか?」
背の高い加賀谷に、肩にのしかかるように腕を置かれて訊かれる。ずしりとした加賀谷の重みに地面へ沈んでいく気がしたが、それは気が沈んでいるだけなのかもしれないと琴は思った。
「……っ?」
一瞬、刺すような視線を感じ、再びレイを見る。加賀谷も視線を感じたのか、眉間に皺を寄せてレイを睨んでいた。
「あの野郎……」と加賀谷が何か物騒なことを呟いた気がした。しかし琴がレイに視線を送った時には、レイは女生徒たちの質問に丁寧に答えていた。
(……気のせい? レイくんの視線を感じた気がしたのに……)
しかし当のレイは、アイドルのように女生徒にベタベタ触られて苦笑している。琴は小さな唇をへの字に曲げた。
面白くない。家ではひたすら甘やかすくせに、学校では知らんぷりなんて。……ああ、そうか。今は勤務中だからか。それに今朝の一件もあったから気まずくて無視しているのだろうか。
そう推測するものの、苛立ちは小さな煙を上げて胸の中でくすぶる。それ以上に、レイが他の女の子たちに笑いかけているのを見ていると、胸が針で刺されているような痛みを感じた。
「レイくん……」
レイはあくまで警察官として、女生徒たちへ語りかけているようだった。近くで不審者が出たから気をつけるようにと防犯の心得を説いているし、自分に対する個人的な質問は受け流している。
そう、あくまで仕事として接している。それでも、子猫が甘えるようにレイへ絡む女生徒たちを見ていると琴の胸は軋むばかりだった。
(無視しないで。他の子に優しく笑いかけないで。触らせないで……)
この胸に膨らむ独占欲は何なのだろうか。保護者代わりのレイが取られそうな焦り? それともレイを一人の男の人として―――……。
そこまで考えて、琴は思考を断ち切った。つま先立ちでレイと朔夜を眺め続けている紗奈のベストを引っ張る。
「……戻ろう、紗奈ちゃん」
「え? いいの?」
「いいの。ほら、加賀谷も、行こう」
「お、おう」
加賀谷の腕を引っ張り、琴は教室への道を戻っていく。その後ろ姿をレイが見つめていることに、琴は気付かなかった。レイの瞳が、色を無くしたように冷たいものだったことにも。