初めての喧嘩です
起きられるのかだけが不安だったが、次の日、時計のアラームが小さく一回鳴っただけでしっかりと目が覚めた。ベッドの上で伸びをしながら、朔夜に言われたことを思い返す。
たしか朔夜の助言では、時計のアラームが鳴ったあとも、起き上がらずに自分のスマホのアラームが鳴るまでじっとしていろとのことだった。
二度寝をしないよう気をつけろということだろうか? 朔夜の発言の真意が分からず、琴はベッドの中でとりあえず指示どおりスマホのアラームが鳴るのを待つ。
しかし、アラームより前に音が鳴ったのは、部屋のドアノブだった。
極力音を立てぬよう控えめに回されたドアノブ。そんなことをする人はこの家で一人しかいない。深夜に帰宅したレイが、琴の部屋に入ってきたのだ。一体何のために?
(え? レイくん? もしかして私のこと起こしにきた? でもまだ時間早いし……)
驚倒する琴だが、掛け布団で顔を隠し、寝たふりを決めこむ。すると、近くまでレイがやってくる気配がし、足音がベッドの前で止まった。
視界が陰る。薄目を開けると、レイが琴の携帯へ手を伸ばしていた。
(――――っえ?)
琴が目をむく間に、レイは慣れた様子でスマホを操作する。三十秒もせずに、再び枕元へ画面を上にして置かれるスマホ。レイの目を盗んでそっと画面を確認すると、画面の右上に表示されていたアラームのマークが消えていた。
――――アラームが解除されている。
「わ、たしのアラーム……!」
驚き、掛け布団を跳ねあげ起き上がる琴。部屋を後にしようとドアノブに手をかけていたレイは、琴を振り返り、苦虫を噛み潰したような顔をした。
「起きてたのか……」
「レイくん、えっと、え?」
レイと枕元のスマホを見比べながら、琴は困惑する。
「今、私のアラーム……切った? 何で? そ、それに私の携帯のパスワードは……っ」
他人に操作されないようロックをかけていたはずだ。苦々しげな表情のレイは、「あー……」と頬を掻き、観念したように言った。
「……開けた僕が言うのもなんだけど、パスワードに生年月日を使うのはお勧めしないよ」
「……! そ、そんな……」
琴の中で、パズルのように朔夜との会話が蘇る。レイと暮らし始めてから、レイが朝食を作ってくれる日に限って起きられない自分。鳴った覚えがないのに消えていたアラーム機能。そしてたった今目撃したレイの行動。
朔夜は琴との会話から察したに違いない。レイがわざと、琴が起きる前にスマホのアラームを止めていることを!
カッと沸騰したように頭に血が上る。琴はベッドから身を乗り出し、レイに詰めよった。
「ひどい……っ。何でこんなことしたの?」
「ごめん琴、怒らせるつもりじゃなかったんだ。勝手に携帯を弄ってごめん」
「そうだけど、そうじゃなくて……っ」
(レイくんは私が、レイくんの役に立ちたいって思ってること、知っていたはずなのに。そのために早起きしようとしてたことも知っていたはずなのに!)
「何でアラームを止めたりしたの? ここに越してから、今までずっと?」
眉を吊り上げ詰問する琴に、レイは観念したように「ああ」と頷く。毛を逆立てる琴を宥めようと手を伸ばしてくるが、いつもは大好きなその手も、今は琴の怒りに拍車をかけるだけだった。
「じゃあ、レイくんは私にご飯作ってほしくないからこんなことをしたんだ……」
「違うよ、琴。そうじゃなくて、僕は」
「違わないよ!」
琴はレイの言葉を遮って声を荒げた。
「私が、私が役に立たないから、何にもしてほしくなかったんでしょ……」
レイは優しい。優しいから、結局琴に気を使っていたのだ。だから本当は、琴の世話を焼きたいのではなくて、足手まといだから琴には何もしてほしくなかったに違いない。琴はそう思った。
それなのに役に立とうだなんて張りきっていた自分がバカみたいだ。何だか一人相撲をしているような虚しさがこみ上げてきて、琴は顔を歪めた。
たかが女子高生の小娘だけど、なんでも完璧にこなすエリート刑事のレイには足手まといでしかないと理解もしていたけれど、それでも、自分なりにレイの負担を減らすため頑張りたいと思っていた。なのに。
「私の行動は、レイくんにとって迷惑でしかなかったんだ……」
自分の行動は無意味だったと言外に伝えられたようで、次第に怒りより悲しみの方が強くなり、琴は鼻の奥がつんとするのを感じた。
「琴。迷惑なんかじゃないよ。ごめん、傷つけたね。僕は――……」
「もういい。着替える」
珍しく焦りを見せるレイの言葉を遮って、琴は俯きながら言った。
「から、出ていって」
そのまま、部屋の外へレイを追いだす。レイは何か言いたそうだったが、琴は制服に着替えてから、レイが出勤時間になるまでずっと部屋にこもり無言を貫いた。