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彼が私をダメにします。  作者: 十帖
第一章
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嵐の前の静けさです

 夜中の雨が嘘みたいにからっと晴れ、自室の小窓からは遠くの景色がよく見える。今は雷鳴の代わりに小鳥のさえずりが聞こえ、朝の訪れを告げていた――――……朝?


「……あさ?」


 急速に琴の脳みそが回転し始める。夜中、たしか自分はリビングでレイに抱きしめられたままうたた寝をしていたはずだ。仕事が済んだタイミングでレイが起こしてくれると言っていた。だが、レイに起こされた記憶もなければ、自分で部屋に戻った記憶もない。


 なのに今は自室のベッドの上だ。しかも時間は朝。導き出される答えは――――……。


「……っレイくん!!」


 パジャマ姿のまま廊下を駆けキッチンに飛びこむと、エプロン姿のレイがふんわりしたパンケーキをひっくり返しているところだった。


「おはよう琴。早いね。もう少し寝ていてもいいよ。ちょうど焼きあがったところだから、お腹が空いたならすぐ食べられるけどね」


「わあ、今日はパンケーキだ……!」


 バターの香りが漂うぷるぷるしたリコッタチーズパンケーキに歓声を上げる琴。だが、我に返ると急いで首を横に振った。


「じゃなくて! 何で! 起こしてくれなかったの!?」


「え? だって、まだ起きる時間には早いし」


「そうじゃなくて! 夜中にどうして起こしてくれなかったの? 部屋までわざわざレイくんが運んでくれたんでしょ!? 起こしてくれたらちゃんと自分で」


「ああ、ごめん。あまりにも幸せそうに寝ていたから起こすのが忍びなくて」


「う……っ。でも、レイくん遅くまで資料に目を通してて疲れてるでしょ? なのにまたご飯まで作ってくれてるし……」


(そういえばレイくんと住むようになってからご飯がおいしすぎて二キロ太ったんだった……。運ぶ際に重いと思われてたらどうしよう……!)


 難しそうな顔をする琴の眉を読んだレイは、ああ、と事もなげに言った。


「琴は羽根のように軽いから、大丈夫だよ。それに前にも抱き上げたことあるし」


「!? れ、レイくんのバカ!! そんな歯の浮くような台詞簡単に言わないでよ!! それから心を読まないで!」


「琴は思っていることが顔に出るから分かりやすいんだよ。可愛いね」


 琴は耳まで真っ赤になりながら、たれ目を出来うる限りキッと吊り上げてレイを睨んだ。


「……っレイくん! そういうの禁止! そういう、恥ずかしい台詞禁止!」


 勘違いしそうになっちゃう、と琴は内心腹を立てた。


 何故か生理の一件から、レイに褒められると胸がムズムズするのだ。嬉しい、と風船のように膨らんで飛んでいきそうな気持ちと、お世辞だから勘違いするな、とその風船を押さえつけて割ろうとする気持ちがせめぎあってぎゅうぎゅうと胸を満たしている。


「それから、やっぱり私の世話をあれこれ焼くのも禁止! 甘やかしてくれるのは嬉しいけど、自分にできることまでしないのは怠惰だもん!」


 琴の発言に耳を傾けていたレイは、打ちのめされたような表情を浮かべた。


「そんな……僕の生きがいが……」


 どんな生きがいだ。琴は突っこみたかったが、これ以上会話を続けると、経験上口の達者なレイに丸めこまれてしまう気がしたので止めておいた。


「そんな、無理して大人になろうとしなくていいのに」


 レイは寂しげに呟き、大きな手を琴の頬へ伸ばした。


「そのままの琴でいてくれたら、僕は何より嬉しいんだけどね」


 レイは何でこうも琴に何もさせたくないのだろうか。


 きっちりとネクタイをしめた姿でうなだれる二十六歳というのはちょっとギャップがあって可愛いのだが、ここで折れてはいけないと琴は思った。琴をほだすためのレイの演技という可能性も十分にありえるのだから。


 ああでも、と琴は小さく口を開いた。


「レイくん、昨日はありがと」


 はにかみながら言った琴へ、レイはまつ毛の長い目を見開く。それから、くしゃりと琴の髪を撫でた。


「……どういたしまして。時に琴、世話を焼けないなら、今度から帰宅する時は連絡を入れてもらってもいいかな」


 どこまでも過保護なレイの発言に、琴は「せっかくカッコイイのに……」と頭を痛めた。







 珍しく晴れた中、琴は体育館裏の自販機へジュースを買いに行く。その途中で、喫煙所で煙草をくゆらす朔夜に遭遇した。


 喫煙所といっても人気のない藤棚の下に灰皿が設置された簡易的なものだが、さすがは色男、風にたなびく藤色のカーテンを背に佇み、片腕をポケットに突っこんで煙草をふかす仕草はそれだけで絵になる。


 ボタンの開いた黒いシャツからのぞく厚い胸板は危険な色香を放っており、ついドギマギしてしまう。涼やかな流し目と視線が合うと、琴は子リスのようだと言われる顔をへらりとさせて近寄っていった。


 琴が傍まで寄ると、朔夜は灰皿に煙草の先を押しつける。煙いのは苦手だが、煙草を吸う姿は格好よかったので、琴は少し残念に思った。


「その様子だと、アラームではまだ起きられていないらしいな」


 開口一番、朔夜が黒髪を掻き上げながら言った。


「……レイくんといいサクちゃんといい……エスパーなの?」


「何のことだ?」


 怪訝な表情を浮かべる朔夜に、琴はこっちの話だと告げる。


「よく分からんが、もし俺が貸した時計のアラームで起きたなら、お前はそんな様子ではいられないだろうと思ってな」


「……どういうこと?」


 今度は琴が訝しそうに朔夜を見上げる番だった。


「それは明日の自分に聞いてみることだ」


 引っかかるような言葉を残して去っていく朔夜に、琴は首を捻るばかりだった。


 何にせよ、時計のアラームを設定すれば朔夜の意味深な発言の理由も解明されるのだろう。学校から帰宅後、明日こそはレイよりも早く起きて朝食の用意をするのだと意気込み、琴は朔夜に借りた時計のアラームをセットする。


 実は買い物も済ませてきた。一週間分まとめて買い物をしているレイによって冷蔵庫の中は潤っているのだが、朝食の献立に足りない食材だけ買い足したのだ。


 スーパーに寄ったことは黙っておき、一応、朝レイに言われた通り、帰宅した旨だけメールで知らせる。


 冷蔵庫を開ければ食材が増えているとレイが勘づくかもしれないが、返ってきたメールには、「今日は深夜までかかりそうだから戸締りして先に寝ているように」と書いてあったので、その心配はなさそうだ。


「ますます、ちゃんと起きてご飯用意しなきゃ」


 スマホの画面を見ながら、琴は目尻を下げてふふ、と笑みを零す。


(レイくん、喜んでくれるといいなぁ)


 炊きたての白米の香りに誘われて目を覚ましたレイが、テーブルの上に並んだ朝食を見てどんなリアクションをしてくれるのか想像し、ベッドの中で丸くなる琴。


 レイは金髪碧眼という異国の王子様のような出で立ちだが、ああ見えて日本食をこよなく愛していることを琴は知っている。


 紅鮭とほうれん草のおひたし、油揚げとわかめ、豆腐の入った合わせ味噌の味噌汁に、ふんわりとした出し巻き卵。綺麗な箸の持ち方で、それらに順番に口をつけていくレイを妄想しながら、琴は機嫌よく眠りに落ちた。


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