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彼が私をダメにします。  作者: 十帖
番外編
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月の揺りかご

お久しぶりです(*´꒳`*)

 最初に違和感を覚えたのは、一緒のベッドで眠ることを決めたレイが、琴を抱き寄せてこなかった時だ。


 一緒に眠ることに当初は緊張を強いられた琴だが、眠りに落ちる瞬間まで背中を叩いてくれる手の優しさや厚い胸板から伝わる力強い心音が、揺りかごの中にいるような安心感を与えてくれると知ってからは彼と眠る時間が幸せで堪らなかった。


 それにレイと一緒に寝た翌日は憑き物でも落ちたように爽やかに目覚めることが出来たし、熟睡出来るせいか起きぬけはとても身体が軽い。


 何より、レイよりもほんの少し早く目が覚めた時に、彼の腕の中に包まれている事実が琴の心を温かくさせた。寝ているため普段より体温の高いレイの腕枕の固さだとか、琴の丸い額にかかる彼の穏やかな寝息だとか、均整のとれた寝顔だとか。


 眠っているレイからは、研ぎ澄まされた刃のような鋭さも、年上の余裕を感じさせるミステリアスさも感じられない。宝石のように人々を魅了するブルーアイズを瞼の奥に隠した彼の寝顔は子供のようにあどけなく無防備で、それが気を許されている証拠に感じられて、琴は満ち足りた気分になるのだ。


(それこそ、最初の頃のレイくんは、戦場の兵士のような眠りだったけど……)


 琴が少しでも身じろぎする度に目を覚ましていたし、微かな物音に反応していた。それが最近では、琴が目を覚ましても気付かず眠っている時がある。もしかしたら実際は目を閉じているだけで起きているのかもしれないが――――以前よりも明らかに心を許されている気がして、琴は胸の内が甘くなった。


 なのに、その日はレイが眠る時に琴を抱き寄せてこなかった。その事実が、琴の胸に鉛のようにのしかかった。






「おかえりレイくん」


「ただいま、琴」


「…………」


「どうかした?」


 珍しく夜の八時過ぎに帰宅したレイが、玄関先でネクタイを緩める。琴の好きな仕草の一つだ。が、琴は首元をくつろげたレイについ唇をとがらせそうになった。


(今日はキス、してくれないんだ)


 出かける際と帰宅した時には、暗黙の了解のようにレイからキスが贈られる。それに慣れきっていた琴は、肩透かしを食らった気分になった。


 眠る際に抱き寄せてもくれなければ、キスもしてもらえない。もしかして、自分に飽きてしまったのだろうか。


 ふと琴の脳裏に暗い影が過ぎる。レイから惜しみない愛情を注がれていると重々理解しているはずなのに、ふとした瞬間不安はいつも琴を飲みこもうと手を広げるのだ。


 それはおそらくレイが、神が贔屓して作ったとしか思えない見目をしているせいだろう。彼の虜にならぬ異性などいないと思わせるほどに。


 その証拠に、仕事から疲れて帰宅してもレイの精悍さは一ミリも削られていない。高潔な魂が内側から光り輝いているようなレイの、鼻筋の通った横顔は凛々しく、万人を虜にする桃花眼は青く煌めいている。異国の血を引く肌は透き通るように白く、今は痩せた頬に滲むような赤みを――――……。


「あ、れ……? レイくん、ほっぺ赤くない?」


 レイからカバンを受け取った琴が言うと、リビングの扉に手をかけていたレイは悪戯が見つかった子供のような顔をした。


 口を噤んだレイに、琴ははたと気づいて手を伸ばす。背伸びして触れたレイの額は、ギクリとするほど熱かった。


「レイくん、熱あるよ!!」


[ああ、うん]


「うん、じゃないよ! ああ……うー……大変、ベッド、ベッドに横になって! あ、スーツだとしんどいから着替えてね! 着替えられる!?」


 落ち着いた様子のレイに焦れ、琴はレイの背中を彼の自室へ押した。


「あ、でも病院に行った方がいいかな……。そうだ、サクちゃんのお父さんの病院、内科あったよね、急患で診てくれないか私連絡……」


「落ち着いて琴。病院ならもう寄って帰ってきたから」


 取り乱す琴の気を鎮めるよう、穏やかな声でレイが言った。アイス枕を用意しようと足は冷蔵庫へ、手はスマホへ伸びていた琴は、パチリと一つ瞬きをして固まった。


「……もう行ったの? 病院」


「うん。薬も貰ってきたから、飲んで寝れば治るよ」


「……風邪?」


「みたいだ」


「そっか……」


 勢いを失くした琴は、冷静なレイを前に項垂れる。具合が悪いレイの方がよっぽど余裕があると思った。それもそうだ。彼はもう立派な大人であるのだから、自分で体調が悪いと判断し、仕事を切りのいいところで切り上げ病院に寄って帰るくらいの分別がある。


 対して自分はどうだろうか。琴は自問した。レイが高熱であることにうろたえただけだ。


 しかし、琴が狼狽するのも無理はなかった。


 だって――――……レイとは長い付き合いになるが、彼が熱を出すところなど見たことがなかったのだ。職務で大怪我を負うことはあれど、レイがウイルスにやられるなど、まったくピンとこなかった。もしここに朔夜がいれば、あの神立レイが風邪を引くなど、どんな細菌兵器がばら撒かれたのだと言うに違いない。それくらい、周りから見てレイは健康優良児なのだ。


 そんなレイが高熱を出したことは、琴に多大なショックを与えた。


「ビックリしただろう? ごめんね、驚かせて」


 体調不良にも関わらずレイは元気をなくした琴を気遣い、頭を撫でてくれる。その優しさに琴は少し切なくなった。


「薬を飲んで少し横になったらよくなるから、気にしないで」


「気に……っ」


 するよ、好きな人のことなんだから。そう言いかけて、琴はレイの息が浅いことに気付き口を噤んだ。


 自ら具合が悪いと口にしたせいだろうか。帰宅直後より、レイの具合が悪くなっている気がする。ブルートパーズのような瞳が潤み、熱っぽい吐息がレイの整った唇から吐き出された。


「レイくん。薬飲むなら、ご飯食べなきゃ……。お粥なら食べられるかな? 待ってて、すぐ用意するから」


「いや、普通のご飯でも……」


「いいから!」


 そう言い切り、琴はレイの上着を脱がせて寝室へ促す。病人であるのに手伝おうかと腕を捲ったレイを一睨みし、琴はベッドで大人しくしているよう念を押した。





「こんなものかなぁ」


 煮立った鍋にといた玉子を回し入れ、さっとかき混ぜてから火を止める。ほこほこと柔らかい湯気を立てた玉子粥を盆に乗せ、琴は白湯と氷枕を用意した。


 軽くノックをしてから、レイの寝室の扉を開ける。着替えたところで力尽きたのか、デスクの椅子にシャツとスラックスをかけたレイは、寝間着のシャツ姿でベッドに仰向けになっていた。


 熱が上がったのか、先ほどよりも呼気が荒い。汗で前髪の貼りついた額に手の甲を載せたレイは、琴がやってきたことにも気付いていないようだった。


「レイくん……大丈夫?」


「ああ、琴、ありがとう……」


「あ、無理して起きないで!」


 ベッド脇の小机にお盆を置き、琴は起き上がろうとしたレイに手を貸す。大きな枕を背中に敷いてやると、レイは苦しげな息を吐きだした。


「いい匂いがする」


「食べられそう?」


 レンゲを手渡しながら琴が小首を傾げると、レイは嬉しそうに笑った。


「食べさせてくれないの?」


「ほえ……」


「なんて、冗談」


「いいよ。はい」


 レンゲを受け取ろうとしたレイの手を交わし、琴はお粥を一口掬いあげ、フーフーと息を吹きかけ冷ましてからレイの口元へ運んだ。驚いたのか半開きになったレイの口に、そっとお粥を流しこむ。


 大人しい小動物のように咀嚼するレイを見て、琴は親鳥になったような気持ちになった。レイの喉が上下したのを見て、もう一口掬い口元へと運ぶ。が、レイは俯き、大きな手で顔を覆ってしまった。


「レイくん?」


「……ごめん、僕の負けだ」


「ほえ、何が」


「慣れなくて、こういうの」


 そう言うレイの耳元は、熱とは関係なく赤く染まっていた。


「見ないでくれないか」


「……もしかして照れてるの? レイくんが?」


 女性の扱いに長けたレイが、恥ずかしそうに口元を覆い琴の視線から逃げている。それが意外で、琴は真ん丸な目を見開いた。


「嘘ぉ。本当に?」


「琴、ありがとう。一緒にいて風邪が移ったら大変だからもう部屋に……」


「やだ、もっと見たい」


 レイの照れている顔なんて、年代物のワインよりずっと稀少だ。琴は宝物を見つけた子供のように無邪気な表情でレイへと顔を近付けた。


「ねえ、ほら、もう一口」


「琴、もういいから……っ」


 ベッドの端に腰掛けレイの口へ再びレンゲを運んだ琴に、レイが参ったような声を上げる。切羽詰まったような表情のレイが貴重で、琴は大きな瞳いっぱいにレイの姿を焼きつけようと思った。


 が……。


「わ、熱……っ」


 悪ふざけが過ぎたのだろう。前のめりになった際の振動で、レンゲに載っていたお粥が腕まくりした細い手首に流れてしまった。


 衝動的に「熱い」と口にしたが、火傷するほどではない。琴は土鍋へレンゲを戻し、粥がとろりと垂れた腕を持ちあげて赤くなっていないか確認しようとする。しかし、その腕を自分より一回り太い腕に巻きとられた。


「レイくん……? ひゃっ」


 一瞬、熱っぽいレイの瞳と目が合う。それだけで琴は、快感とも恐怖ともとれる何かが、背筋を駆け上がる気がして肩を跳ねさせた。


「あ……っ」


 食べられる、気がしたのだ。捕食されてしまうと。


 照れていたレイはどこにいったのか。腕を引っ込めようとしたがもう遅い。熱のせいか潤んだレイの瞳が弦月のように弧を描いたと思った時には、琴の腕に生温かい感触が這った。


「ひ、あ……っ?」


 まるでベルベットに擽られているような感触が、腕から手首へと伝わる。目を瞑っていたらそう勘違いしたかもしれない。しかし、まるで肉食獣が獲物の喉笛を狙うような桃花眼が琴を熱く見つめ、視線を反らすことを許さなかった。


 ブルートパーズの瞳に映る琴は、青い宝石の中に閉じ込められ溺れているように見える。


「レ、く……」


 レイの熱い舌が、琴の白い手首を甘く嬲っている。腕に伝った粥の一筋を、下から舐め上げていっている。


 それだけなのに、レイの赤い舌先が柔い皮膚を撫でていくだけで、チリチリとした電流が琴の背中から腰の方へ流れた。薄い皮膚にグッと舌を押しつけられる度に腰が浮きそうになり、琴は声が漏れそうになるのを抑えるのに必死になった。


「ぁ……レイくん……」


 手首まで這いあがったレイの舌が、チュッと音を立てて離れる。それだけで肩を揺らしてしまい、琴は目元を歪めた。


 風邪を引いているのはレイのはずなのに、気付いたら肩で息をしてしまっている自分がいる。レイの腕から解放されるやいなや、慌てて自身の胸元へ手首を引き寄せた琴は、青い血管が浮き出た手首に鮮やかな朱色の花が咲いたのを見て熱くなった。


「……っ」


「琴も熱があるみたいだ」


「……っだ、大丈夫だもん! 触っちゃダメ……!」


 熟れた果実よりも真っ赤になった琴の頬に触れようとしたレイから慌てて離れ、ベッドから降りて距離をとる。


 危ない。レイは弱っていても神立レイなのだ。油断してはいけなかった。決して可愛らしいなどと思ってはいけない。琴はそれを嫌というほど痛感した。


「触っちゃダメなんて、傷つくな」


「う……っ」


 しおらしく項垂れてしまったレイに罪悪感がわく。しかし、琴はまだ手首に生々しく残る舌の感触を忘れてはいなかった。


「へ、凹んだふりしたってダメだもん! こういう不意打ちはダメなの!」


「ダメ? どうして?」


「だ、だってドキドキしちゃうから……」


「へえ……」


 レイの悪魔的に整った美貌が、愉しそうに笑みをかたどる。それだけで一体何人の異性を落としてしまうのだろうと思いながら、琴はレイをねめつけた。


「そんなに意識する?」


「へ? あ……」


 ドキドキするなんて、病人のレイに対して強く意識していると言ってしまったようなものだ。自らの失言に遅れて気付いた琴は、悔しそうに唇を噛んだ。


「可愛いな。琴」


「レイくんは意地悪だよ」


「僕をからかった琴への、ちょっとした意趣返しさ」


「それは悪かったけど、もう少し手加減してほしい……心臓もたないもん……」


「ごめんね」


 あやすような柔らかい口調で言ったレイへ、琴はまだ少し頬を膨らませながらレンゲを渡した。


 具合が悪いのは本当だろうが、琴が作った粥を完食したレイは、そのまま病院で処方された薬を飲む。それを見届けた琴は、お盆を下げようと立ち上がった。


「他に何かいるものがあったら持ってくるよ」


「ありがとう。……初めてだな」


「え?」


 ふと落ちたレイの呟きに、ドアの前に立っていた琴が振り返る。再び横になったレイは、遠い昔を思い出すような目で言った。


「具合の悪い時に、誰かがつきっきりで看病してくれるなんて、初めてだなって思って」


(もしかして……)


 レイは普段から鍛えているし、おそらく風邪は引きにくい性質だろう。それでも、風邪を引いたことがないわけではなかったのだ。


 琴がレイを健康優良児だと思っていたのは単に、体調の良い時しかレイに会っていなかったからだ。子供時代に喘息がちだった琴のために煙草をやめたレイが、自らの具合が悪い時に琴に会いに来るとは思えない。


 人の手を煩わせまいと、迷惑や心配をかけまいと、子供の頃から今日まで、きっと具合が悪くて心細い時も一人ぼっちで対処してきたのだろう。


「具合が悪いことを隠そうとしてたわけじゃないんだ。ただ、何て言えばいいか分からなくて」


 敏感なレイは、おそらく風邪を引いて自身が琴と距離を取ったことを琴が不審に思っていると気付いたのだろう。彼から発せられる言い訳に、琴は耳を澄ませた。


「一人に慣れたまま大人になったから……しんどいとか、疲れたとか……わざわざ相手に言っていいのかな、と思って」


「……っいいよ!」


 琴の肩に力が入り、お盆の上で土鍋がガチャリと耳障りな音を立てた。


「いっぱい言っていいんだよ。レイくんの辛さとか、分かち合う為にいるんだよ、私。だから……」


「頼ってよ。これからもずっと」


 具合の悪い時は言ってほしい。独りじゃないのだ。一人でもない。だから無理に強がる必要なんてないのだ。


「レイくんは頑張らないぐらいが丁度いいんだから」


「琴は僕に甘いなあ……でもありがとう」


 レイはくしゃりと笑う。それからすぐに穏やかな寝息が聞こえてきて、琴はそっと寝室の扉を閉めた。


 きっと頑張らなくてもいいと言っても、レイは明日にはまた頑張るのだろう。風邪を引いていたことが夢だったかのように、職務に励むに違いない。そんな姿を誇らしく思う。でも、これからは……。


「沢山甘えてね、レイくん」


 辛い時やしんどい時は、自分にくらいは甘えてほしいと思いながら、片づけを終えた琴は再びベッド脇の椅子に腰かけ、レイの穏やかな寝顔を見守った。サラサラと流れる金糸の髪を撫でる。ずっとこの安息が続けばいいと願い。


中々書く時間が取れず久しぶりの投稿になってしまいました。

三章で完結させようか迷ったのですが、どうしても書きたいストーリーが浮かんだ為、現在はゆるゆる四章を書き始めております。とはいえいつ更新出来るかも分からないので、息抜きに番外編を書きつつ執筆に励みたいと思っています。

では読んでくださった方々に、最大の感謝を。

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