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彼が私をダメにします。  作者: 十帖
番外編
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子猫とガラスとお月さま②

「みゃあ、みゃあ」


「わ、リュヌったらサクちゃんのこと好きみたい」


 レイの帰りが深夜になると連絡が入った日、琴は向かいに住む幼なじみを夕食に誘った。琴の通う高校の保健医であり、レイの腐れ縁でもある伽嶋朔夜とぎしまさくやだ。


 ゆったりしたVネックのニットを着た朔夜は、リュヌの爪でブランド物のニットがほつれるのも気にせずされるがままにしていた。


 夕食を終えた琴は、食後のコーヒーをリビングのガラステーブルへ置く。独特の酸味と香ばしい香りが広い空間にふわりと漂う中、琴は朔夜の膝に乗ってくつろいだ様子のリュヌを見下ろした。リュヌは雌だ。


「……猫にも、美形とか分かるのかな?」


「何のことだ?」


 訝しむ朔夜の顔は、レイに引けをとらぬほど整っている。トレードマークの伊達メガネをしていない今は涼やかな目元があらわになり、余計に冴えわたる美貌が際立った。


 眉間からスッと伸びた高い鼻梁と、鋭角的な輪郭。後ろに流した漆黒の髪は背徳的な色気を孕んでいる。レイが紅茶のように品のよい美しさなら、朔夜はウイスキーのような渋い魅力があり人を惹きつける。


 朔夜の整った容貌は人間の女性だけでなく、動物の雌まで惹きつけるのだろうかと、琴はしみじみ思った。


「でもそれなら、どうしてレイくんには懐かないんだろう……」


 ついさっきまで朔夜の膝で元気よく鳴いていたのに、電池が切れたように寝てしまったリュヌを見下ろしながら、琴は首を捻った。人それぞれタイプはあれど、琴はレイ以上に整った容姿の人間を芸能人でだって見たことがない。


 朔夜は「ああ」と思い出したように言う。


「言っておくが、神立くんは猫だけじゃなく動物全般に好かれない体質だぞ」


「ほえっ!?」


 そんなの初耳だ。お盆を取り落としそうになりながら、琴は朔夜の隣に腰掛けた。


「な、何で? レイくん、実は動物嫌いなのかな……?」


 だとしたら、リュヌを預かることになったのは悪かったのではないか。


 リュヌの面倒をレイの家でみることになった時、レイは特に嫌そうな顔はしなかった。むしろリュヌが助かって手放しで喜ぶ琴を、微笑ましそうに見つめていたというのに。知らぬ間に無理をさせてしまっていたのだろうかと琴は気を揉んだ。


「嫌いではないだろう。が、興味自体ないんだろうな」


「そ、それだけ? でも、興味がないくらいで動物が懐かないのかな……」


 神立レイという男は、とにかく人を惹きつける。性別に限らず、だ。街を歩けば異性の視線を一身に集め、同性からは憧憬の眼差しを向けられる人だ。


 そんな人が動物に嫌われやすいとは想像がつかない琴だが、現にリュヌが懐いていないのを見ると、何とも言えずお盆を握りしめた。


「強すぎるんだろうな。動物が屈したくなるような威圧感が、彼にはある」


「そう……? レイくんは威圧的じゃないよ? 優しいし。リュヌにだってとっても優しいのに」


「優しい、ねえ……」


 どうやら朔夜にとってはレイが親切な人という評価は頷きがたいようだ。まだコーヒーをすすっていないというのに苦そうな顔をした。


「神立くんは学生時代、修学旅行先のテーマパークにいたライオンに、目が合っただけで膝を折らせ怯えさせたという逸話を持つ男だぞ」


「えええ……」


「人間相手には上手く隠せても、動物は本能的に分かるんじゃないか。神立くんの強さ……それから怜悧さが。そういえば、神立くんは子供にもあまり好かれないな」


「ええ……? そうなのかなぁ……?」


「本質を見抜くからな、子供は」


「レイくんの本質は優しいよ」


 琴は唇を尖らせた。琴の機嫌が下降気味なことに気付いた朔夜は、コーヒーをすすりながら、反対の手で琴の眉間をトンと突いた。


「お前にはな。お前は神立くんにとって特別だから」


「皆にだって優しいよ? そりゃ、サクちゃんには憎まれ口叩いたりするけど……」


「守るべき対象とみなして優しくするのと、自分が優しくしたい相手への優しさは、違うってことだ」


「ほえ……」


 琴が不思議そうな顔をすると、朔夜は「神立くんが気の毒になるほど、本当にお前は愛されている自覚がないな」と呆れた顔をした。


「まあ、神立くんが子供や動物に懐かれないのは、彼自身が抱えた問題もあるだろうが」


「レイくんが抱えた問題……?」


 そういえばレイは、琴のことに対しては敏感なのに、自分のことはあまり口にしない。基本的にレイは愚痴を言わない人間なのだろうが、何も問題を抱えていないわけではないだろうに。


「リュヌが来てから、何となく元気もない気がするし……」


 恋人なのだから、もっと頼って甘えてくれたらいい。琴はそう思った。






 琴と朔夜が話している頃、レイは繁華街から少し反れた橋の上にいた。


 近くを高速が走っている橋は明治を彷彿とさせるガス灯が煌々とともっている。川辺のせいか肌寒く、しっとりとした雰囲気の似合うその場は、現在息をするのも憚られるほど緊迫した空気に包まれていた。


 それもそのはずで、橋の上にいるレイの手には、拳銃が握られている。その銃口は橋の先にいる逃亡者へ真っ直ぐに向いていた。


「動くな」


 車の音に混じり、レイの底冷えするような声が響いた。


 レイに拳銃を向けられた男は右手に刃物を、左手に小さな男の子を抱えている。橋の周辺にはパトランプが明滅し、レイと犯人を囲むように警官が押し寄せていた。


 殺人事件を起こして逃亡していた被疑者が、人質をとって橋の上まで逃げこんだのだ。よりによって小学生にも満たない子供を人質にとるなど、どこまで卑劣なのか。


 レイは細く息を吐くと、穏やかな表情はそのままに、銃口を揺らすことなく犯人に言った。


「さあ、神妙に縛についてください。僕に引き金を引かせないでくださいね」


「う、撃ちたきゃ撃ちゃあいいだろ!! もし撃たれても俺は、このガキを道連れにするぞ!!」


「馬鹿なことを言うな」


 レイのアイスブルーの瞳が、冷たい光を放つ。犯人の背筋を冷や汗が伝った。


「もし撃つなら、腱一本動かせないよう脳幹を貫くに決まってるだろう」


「ひっ!?」


「地獄の閻魔が貴方を歓迎してくれるといいですが」


 穏やかに微笑むレイとは対照的に、容疑者の男は歯の根が合わないほど震えだした。血走った目が、人質に向く。


「あ、そ、そんな……っおれ、俺は……っうああああああ」


「っち!」


 恐慌に陥った犯人が人質へ腕を振り上げたタイミングを見逃さず、レイは男のナイフの柄を正確に撃ち抜いた。反動でよろめいた男の手が緩み、人質の男の子が泣きながら逃げ出す。その子をすかさず抱え、レイは怒鳴った。


「確保!!」


 警官が波のように押し寄せ、男を捕える。部下に男の子を預けたレイは、地べたに引きすえられた容疑者に手錠をかけた。


「お疲れ様ですっ! 神立警部補! お手柄でしたねっ」


 部下の新米刑事が弾んだ声で言う。レイは興奮と尊敬に目を爛々と輝かせた部下を一瞥し、それから彼の背に隠れるようにして立っていた人質の子供を見下ろした。


「怖かったね。でも大丈夫だよ。もうすぐお母さんが来る」


「……っ」


 熊のようにガタイのいい部下のズボンに取り縋っていた子供は、レイが手を伸ばして頭を撫でようとした瞬間、ビクリと肩を震わせた。黒目がちなその瞳には、明確な怯えの色が滲んでいる。


「おいおい、どうしたぁ? 神立警部補が坊主を助けてくれたんだぞ?」


 レイの部下は困惑したように子供とレイを交互に見つめる。子供はレイを見上げると、部下のズボンがしわになるほど手を握りしめた。


「おいおい、本当に……」


「落合。早く親御さんに会わせてやれ」


 レイは部下の声を遮って言った。


「へ、あ、はい」


 レイの部下の落合は面食らった様子だったが、隠れる子供の脇に手を差しこんでひょいと抱き上げると、そのまま逞しい肩に乗せた。レイが瞠目するのと同じように、肩車をされた子供も呆然とする。


 しかし次の瞬間には、強張っていた表情を緩めて笑った。


「すごーい! 高いねぇ」


「おう。ママんとこ連れてってやるから落ちんなよー」


 無邪気さを取り戻した男の子を、レイは黙って見つめた。本来の子供らしさを取り戻したことに対する安堵と、小さな落胆が胸に苦く広がる。


「君は、子供と接するのが上手いな」


 母親に子供を引き渡して戻ってきた落合へ、レイが声をかけた。落合は憧れのレイに褒められたことが嬉しいのか、照れくさそうに首の後ろを掻いた。


「大家族で育ったんで」


「そうか。君がいてくれてよかった。お陰であの子にとってこの思い出が、怖いだけで終わらずに済んだ」


「そんな、神立警部補が助けてくれたからあの坊主は……!」


「あの場で必要だったのは、僕のような冷静さではなく、お前のような温かさだ」


 熱くなった落合の肩を叩き、レイはその場を後にした。


「どうにも、僕にはそれが欠けている。それが分かるんだろうな。真っ直ぐな子供や、本能的な動物には」


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