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彼が私をダメにします。  作者: 十帖
第一章
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雨の夜は貴方の心音が何よりも

 帰宅した琴は、早めに風呂に入ることにした。雷が鳴り始めてから風呂に入ってもし停電でも起きたら最悪だと案じたからだ。風呂を上がると、いつの間にか帰宅していたレイが料理を作っている最中だった。


 またタイミングを誤り、レイの仕事を増やしてしまったと後悔した琴だったが、今日はレイが早く帰ってきてくれたことに心が弾んだ。これで少なくとも、雷が鳴っても一人ではない。


 でも、できれば雷が鳴りだす前に寝てしまおうと琴は思った。なので、十時前だというのに琴はパジャマに着替えさっさとベッドへ潜る。眠ってしまえば雷なんて気にならないからこっちの勝ちだと思った。


 しかし――琴が目を閉じた瞬間、ゴロゴロと不穏な音が響き、稲妻がカーテンに隠れた窓枠を青白く浮かび上がらせた。その後、すぐに腹の底に響くようなドーンッという轟音がした。


「ひああっ」


 短い悲鳴を上げてから、琴はハッと口元を両手で覆う。それからベッドに沿った壁へピタリと耳をくっつけ、今の悲鳴をレイに聞かれていないか隣の部屋の様子を窺った。


 隣の部屋からは物音がしない。レイは休みなく働いて疲れているだろうし、もう寝てしまったのだろうか。


「……というか、外の音がすごくて他の音が聞こえない……」


 ボツボツボツッと耳にぶらさがるような激しい雨音。時折光っては部屋を不気味に浮かび上がらせる雷光と、遅れてやってくる地鳴りのような音。


 思わず枕元のテディベアを掻き抱くが、目を閉じても明滅する雷の光が不安を煽る一方だ。


「……もっと早く寝ればよかったよう……」


 口をついて出る言葉は覇気がない。真っ暗な部屋が怖くて電気をつけてみる。が、暴風がドンッと窓を叩いたので振り返ると、カーテンの隙間から稲妻が縦に走っていくのが見えた。


「きゃあああっ」


 思わずその場にうずくまり、両手で耳を塞ぐ。折った膝に目元を押しつけるが、連続する稲光からは逃げられなかった。


(……今の悲鳴はさすがに聞こえたかもしれない……レイくんを起こしちゃったらどうしよう……)


 雷鳴と豪雨の音に悲鳴がかき消されていることを祈る琴。早く雷がおさまるのを願うものの、雨脚は強くなり、雷もひどくなる一方だった。


(落ち着いて私、心頭滅却すれば火もまた涼しって言うでしょ……!)


 呪文のように脳内で唱える琴だが、絶え間なく鳴る音は不安を煽るばかりで、とうとう限界を超えた。


「……っ火もまた涼し、じゃない……っ。雷は嫌い!」


 そう叫んだ瞬間、部屋の明かりが一瞬消え、またついた。瞬停だ。


(もうやだーーーーっっ。今絶対雷落ちたよーーーー!)


 とうとう耐えきれなくなって、琴は震える肩を抱くようにして部屋から飛び出した。廊下に出ても怖いことに変わりはないが、じっとしているのが耐えられなかったし、気持ちを落ち着けるためにホットミルクでも飲もうと思った。


 怖さから、黒目勝ちの瞳に涙の膜が張る。ぐずっと鼻をすすりながらリビングに続くナチュラルブラウンのドアを開けると、眩しさに目が眩んだ。


(あれ……電気ついてる……?)


 消したと思ったのに。琴はキッチンを抜け、十五畳以上ある広々としたリビングに出る。すると、ガラステーブルの前の床に腰を下ろし、高そうな黒い革張りのソファに背中を預けたレイの後ろ姿が見えた。傍のカーペットにはレイの仕事カバンが置かれており、彼の手には書類が握られている。


「レイくん……」


(起きてたんだ……)


 レイの後ろ姿を見つけただけで、琴は言いようのない安心感に包まれる。思わず気が緩み、広い背中に抱きつきたい衝動に襲われ爪先がムズムズした。


 長い指でページをめくろうとしていたレイは、琴の声に振り返った。


「琴? 眠れないのかい? ああ、そうか。雷……」


 レイが言いかけたところで、リビングが白く光ったと思うと、間髪入れずにピシャーンッと雷が鳴った。その場で猫のように飛びあがった琴は、滑りこむ勢いでレイの後ろのソファにダイブし、クッションを頭から被る。


「…………」


「…………琴」


 気まずい沈黙を破るように、レイが琴の背中に触れようとしたところで、琴は勢いよく顔を上げた。涙目の顔は羞恥で真っ赤に染まっている。


「へ、平気だよ! 雷くらい! いつまでも子供じゃないんだから! でもほら、私の部屋って窓が大きいからピカピカ光ると眩しくて寝られなくて! だからちょっと飲み物でも飲もうかなって思っただけ! 全然怖くなんかないんだからね!」


 琴が強がって捲し立てる。さすがに無理があっただろうか。飲み物が飲みたいと言いつつも、レイから離れるのが怖くてソファの上でじっと固まってしまっているから、信憑性に欠けているかもしれない。


 琴がそんな風に考えているなどいざ知らず、レイは大きな瞳をぱちくりとさせてから苦笑を零した。


「そっか。じゃあ、雷がおさまるまで夜更かしできるなら、ここにいてくれるかい?」


「え……」


「ちょうど資料に目を通すのに飽きてきたところでね、世間話に付き合ってくれると嬉しいんだけど」


「……! いいよ!」


 自然に一緒にいられる権利を得て、琴は弾んだ声で返事をした。


(珍しい。レイくん、いつもなら家に仕事を持ちこんだりしないのに……。まさか私がリビングへ逃げこんでくると踏んでた……? そんな、いくらレイくんでもまさかね)


「じゃあ、琴は喉が渇いているみたいだし、ホットミルクでもいれようか」


「あ、私、作るよ……ひあっ」


 レイが腰を上げたところで、再び雷が落ちる。思わずレイの腰に抱きついてしまうと、レイは琴の髪をあやすように一撫でした。


「いいよ。それより今日はちょっと冷えるから、そこにかけてあるブランケットでも羽織っておくといい」


 レイはソファの背にかけてあるブランケットを琴に手渡した。


 あからさまに怖がっている素振りを見せても、からかってこないレイに琴はほっとする。これがクラスメートの加賀谷だったりすると、嬉々として弄ってくるのに。


 ふとした言動一つで、レイの優しさが見えて大人だな、と感激する。しかしその気持ちとは別に、たまに胸が甘酸っぱい気持ちになるのは気のせいだろうか。


(レイくん、仕事でも婦警さんたちにこんな態度なのかな。イケメンにこんな紳士な態度とられたら女はイチコロだよね)


 そこまで考えて、眉間に皺が寄るのが分かった。レイが優しいのは自分に対してだけだったらいいのにな、と思ったところで、琴は首を激しく横に振る。


 これはいけない。レイに甘え過ぎているせいだ。ダメになっちゃう。ダメな子だ。嫌な子だ。レイは誰にでも優しいのに、その優しさに甘えて「自分だけのものだったらいいのに」なんて一瞬でも思ってしまったことを琴は恥じた。


(傲慢だ……)


 欲張りになっていく。レイが与えすぎてくれるせいで、どんどん欲しがってしまいそうだ。


「――――……ほえっ」


「物憂げな顔してどうしたんだい?」


 悩ましげな横顔に、ピタリと温かいマグカップを当てられて、琴は肩を跳ねさせた。ほんのり甘い香りが立ったホットミルクをレイから受け取る。レイのもう一方の手には琴と色違いの青いマグカップが握られており、コーヒーの香ばしい湯気が立っていた。


 琴は自分用のピンクのマグカップに視線を落とす。窓辺に置かれた観葉植物も、落ちついた色の壁に飾られた現代アーティストによる絵画も、洒落たインテリアも、シックな色合いの部屋も全部レイの趣味だが、その中に確実に自分のためにレイが用意してくれたレイらしくない物が混ざっているのが、何だか擽ったかった。


(ここにいることを、受け入れてくれてるみたい)


 まあ、実際快く受け入れてくれてるんだけど、と自分で突っこみを入れながらマグカップに口をつける。コクリと喉を鳴らして一口飲むと、雷の恐怖による体の震えが止まった。


「このホットミルク甘くて美味しい……!」


「よかった。少し蜂蜜を入れてるんだ。琴は甘いの好きだろう?」


「うん」


 頷いたところで、また窓の外が光った。せっかく幸せな気分に浸っていたのに、またしても恐怖が襲ってくる。少しレイとの距離を詰めると、レイは横目でチラリとこちらを見つめ、安心させるように微笑んできた。


 それに安堵しかけたところで――――……。


 今までで一番大きな雷鳴が轟いたと思うと、ふと蝋燭を吹き消したかのごとく、部屋の明かりが消えた。


 ――――停電だ。


 声にならない悲鳴を上げる琴。吃驚しすぎてソファから滑り落ちそうになると、固い何かに支えられる。


「やだやだやだっ。暗いのやだーーっ」


 一人ぼっちで停電にあった時のことを思い出し、琴は取り乱す。手探りで目の前の温もりにしがみつくと、逞しい腕が琴の背中に回るのを感じた。


「大丈夫だよ、琴。すぐに明かりはつくから」


 恐怖で冷えきった耳元に、安心を誘うような深い声が落ちる。ついで、震える小さな背中をポンポンと叩かれた。レイに抱きしめられていることに気付いたのは、石鹸の香りがする彼の胸元に押しつけていた自分の耳が、彼の力強い鼓動を拾ったからだった。


 レイの規則正しい心音は、激化する雨音や雷の不安から琴を守ってくれる。


「うー……」


 とうとう零れ落ちてしまった涙が、レイの胸元を濡らしてしまう。冷たさでレイに泣いていることがばれるかもしれないと思ったが、鳴りやまない雷が怖くて、琴はレイから離れられなかった。


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