いつの日か寄り添う月と星
最終話になります。
世の中はニュースの話題で持ち切りだというのに、レイと琴がいる病室だけは、世界から四角く切り取られたかのように静かだ。
もうファンタジーランドで引ったくりを捕まえた金髪の刑事を探る者はおらず、今は蒼羽、それから『暁の徒』について議論を重ねる者ばかり。しかしそれも、やがて鎮静化するのだろう。窓の外しんしんと降りだした雪が積もれば、明日の朝の皆の興味をさらうはずだ。
「帰りはバス?」
帳が落ちた窓の外を見ながら、レイが言った。
相変わらず過保護なレイは、琴の夜道の一人歩きを心配しているのだろう。琴はウサギの形に切り終えたリンゴを皿に並べて言った。
「サクちゃんが、電話したら迎えに来てくれるって」
レイは眉をギュッと寄せた。琴は心配だが、腐れ縁の朔夜に琴を任せるのは面白くないに違いない。心なしか尖ったレイの唇にリンゴを一つ押しつけ、琴はクスクスと笑った。
瑞々しいリンゴを一口かじってから、レイは囁くように言った。
「……伽嶋にお節介を焼かれて、当時母さんが入院していた頃に病院で働いていた看護師の連絡先を教えてもらったんだ。父と母の当時の様子について、知っていることを教えたいって」
「……そう」
「少し怖かったけど、今なら、聞ける気がする。琴のお陰だ。ありがとう」
「レイくんに、何か、返したいと思ったの。私の孤独を掬いあげて、包みこんでくれたレイくんにずっとお礼がしたかった。だから、レイくんのお父さんに、お母さんとの本当のことをレイくんへ話す条件で作業玉になることを飲んだの。でも」
もう一つ切るか迷っていたリンゴを手のひらで弄びながら、琴はこれまでのことを思い返した。
「でも、その過程で、レイくんを沢山傷つけちゃった。ごめんね、もう無茶したりしないから」
「たしかに、もう無茶はしてほしくないけど……でも、ありがとう。琴は僕の望むものをすべてくれたんだよ」
「え……?」
「琴がいなければ、誤解したままのことが沢山あった。母のこともだし……それから、父のことも」
「……ファンタジーランドでレイくん、親子連れのお客さんを見つめていたでしょう?」
琴はファンタジーランドのデートを思い返しながら言った。
「心のどこかでずっと、レイくんは温かい家庭に憧れていたんじゃないかなって思ったの。だから、せめて親子の間でもし誤解があるなら、秘密があるなら、それを解いてあげたいなって思った……レイくん?」
手の中からリンゴを取りあげられたかと思えば、レイに腕を引き寄せられた。そのまま片方の膝をついてベッドに乗り上げれば、ぺたんこの後頭部に手を回されて抱きしめられた。
「そうだね、憧れてた。ずっと。自分には手の届かないものだと諦めてきたけど、温かい家庭に憧れてた。でも、もう、憧れているだけなのはやめるよ」
「え?」
琴がレイの傷に響かないよう、そっと胸板を押し返してレイを見る。こちらを見つめるレイの瞳からは、星屑のようにホロホロと、キラキラと、琴への愛しさが溢れ出していた。
「望むなら、自ら欲して、手に入れないといけないと思ったんだ」
「レイくん?」
「……だから、琴がくれないかな」
オニキスの瞳を、琴がしばたいた。琴の瞳に映るレイは甘く微笑んでいて、それにドキドキしている間に、コツリと額が合わさる。いつの間にか絡められた指が汗ばんでしまって落ち着かないのに、レイは視線を外すのをよしとしてくれなかった。
「れ、レイく……」
「今すぐじゃなくていい」
レイが言った。
「琴にはこれから先様々な世界に飛びこんで、見聞を広めてますます素敵な女の子になってほしいと思ってる。看護師になる夢を叶えてほしいとも」
「うん」
「……でも、琴が夢を叶えて、社会に出たら……僕と家族になってくれないか」
「……っ」
息が止まった。琴の襟元がゆったりしたワンピースの胸元にレイの視線が落ちる。そこには、シルバーのチェーンに通された指輪が光っていた。以前レイに貰ったものだ。
吸い寄せられるように、まるで誓いのように、レイの唇がそこへ落ちる。静寂に包まれた病室に、チャリ、と金属の擦れる音がした。そして、小さな嗚咽が。
「……琴、泣かないで」
「ん~~……っ」
むずかるように琴は呻く。嫌なわけではない。違う。そんなわけない。違う。嬉しい。
愛しいとか、嬉しいとか、好きだとか。そういった感情が、窓の外に舞う雪のように涙となって零れていく。
鼻が痛い。絶対に赤くなっている。目も熱い。レイの言葉を反芻した心臓は胸壁を破って出てきそうなくらい歓喜の鐘を打っている。情けない。不細工だ。
しかし、ウサギのように目を真っ赤にした琴を見て、レイは花が綻ぶように笑い、琴の涙がたまった目尻に、赤くなった鼻の頭に、それからみっともなく嗚咽をもらす唇にキスを落とした。
「レイくんが好きだよ……」
「うん」
「嬉しいよ」
「うん」
「ずっと一緒にいられる?」
「ああ。琴が望んでくれるなら」
「……っいつか家族になろう」
ああ、レイの傷に障らないように気をつけていたのに。最後の最後で、琴は力いっぱいレイに抱きついてしまった。しかし、レイはそれを難なく受け止める。
遠い道のりだった。同棲を始めてからは一年も経っていないけれど、もうずっと、それこそ幼い頃から、ずっとお互い隣にいたいと思っていた。お互いに家族の愛に飢えていて、お互いに抱えた孤独を、闇を掬いあげて、この人しかいないと互いに思った。
にもかかわらず沢山のしがらみがあって、大勢の人を傷つけて、自分たちも傷ついて、一度は絆も途切れた。それでも繋ぎ合わせた絆だって、より大きな困難の前に潰えそうになった。
けれど、より強固な誓いを得て、絆はいつか永遠に変わるのだ。お互いがお互いを愛している限り。
世の中の興味は変わる。金髪の刑事というヒーローから、暴力団員の逮捕へ、反警察組織の壊滅へ。そして東京を一面銀世界へ染める雪へ。
それでも、変わらないものもある。誓い合った言葉と、想いと、繋ぎ合った手のひらから伝わる愛しさは。
そのかけがえないものを噛みしめて、二人は永遠に想いを馳せ、微笑みあった。
三章までお付き合いくださりありがとうございました!とても難産な章でしたが完結できてホッとしています。
今後は一先ず、琴とレイの小話や蒼羽、折川などの番外編を更新していく予定ですので、完結マークが外れていたら察してください(*´꒳`*)笑
そして元々三部作を想定して書いたお話ですので四章を書くかは未定ですが、まだ書きたい設定が残っているので、また筆を取れたらいいなとは思っています。ここまで読んでくださった方々に最大の感謝を。