騎士は貫く権力の盾も
レイのアイスブルーの瞳が、氷のような冷たさをたたえた。
「――――これは困りますね」
「れ、レイさ……」
「琴が強姦されている動画をネットにばら撒いて彼女の人権を奪えば、僕が琴から離れていくと思いましたか? 答えはノーです。ただ……そうですね」
蘭世のスマホに映る怯えた顔の琴を一撫でし、レイは感情を押し殺したような声で言った。
「僕はどんな琴でも愛し抜く自信がありますが、他人に穢されるのは我慢ならない。そうした相手を決して許しはしないでしょう」
誰よりも怜悧なレイの碧眼が、端で縮こまっている男たちを竦みあがらせる。蘭世は鈴蘭のように愛らしかった表情をかなぐり捨てて唸った。
流行の太い眉は天を向いたまつ毛とひっつきそうなほどひそめられている。
「どうして……どうしてここが分かったんですか? 私が宮前琴を貶めると知っていたみたいじゃないですか!」
たしかにそれは琴も疑問に思っていた。レイはいつも琴のピンチに現れてくれるが、彼は今入院中の身だ。偶然この現場に居合わせたなどありえない。
疑問の答えは、すぐにレイから与えられた。
「なに、貴女と同じことをしたまでです。貴女が僕を探っていたように、僕も探っていたんです。貴女の今までの悪事を、ね。貴女はどうやら、気に入らない同性を男に乱暴させ、それを金で揉み消す悪癖をお持ちのようだ。だから、琴も危険な目に遭うのではないかと警戒していましたよ。さすがに今日は病院のベッドの上でしたが……心強い通報がありましてね」
「通報……?」
今まで揉み消してきた悪事がレイにバレていたという事実に、蘭世は頬に爪を立てて後ずさった。追い打ちをかけるように、レイは穏やかな口調で言った。
「ええ。先ほど蘭世さんをつけていた車を撒けた気でいましたか? あまり公安警察をなめない方がいい」
(さっき私たちを追ってきた黒い車の正体は、公安だったんだ……!)
てっきり琴をこのバーへ連れこむための口実に蘭世が用意した追手かと思ったが、なるほど、琴は公安の目に守られていたらしい。
「この国の公安は優秀でしてね、事件後のケアも万全というわけですよ」
蘭世はレイが何を言っているのか分からないという顔をしたが、琴はよく分かった。リバイブの取引でデリケートな時期の今、公安が作業玉である琴の安全を守るため、秘密裏に監視していたのだろう。おそらく折川か、もしくは――――レイの父、神立次長の命令によって。
琴が公安警察に守られているとは露知らず、蘭世はまんまと琴に近付いてきたのだ。公安の尾行に気付き逃げようとした蘭世の車に不信感を抱いた公安の捜査官が、レイに連絡を入れてくれたお陰で彼は警察病院から飛んできた、というわけである。
もし公安の追手がなくても、蘭世は適当な理由をつけてこのバーへ琴を連れこんだに違いない。その証拠に、最初から蘭世の車は目的地である警察病院とは違う方向に向かっていた。
「琴に危害を加えないよう、貴女に琴と付き合っていることは伏せていましたが……金にものを言わせて人を雇い、僕の行動を監視させていたのと同様に、やはり琴についても調べていたんですね」
確証はなかったが、レイは予想していた。ホテルのレストランで琴と蒼羽、レイと蘭世が偶然鉢合わせした時、レイが琴に話しかけたのは嫉妬半分、それから蘭世の行動を探る目的もあった。巧妙に猫を被ったこの狡猾な娘が、琴に対しての情報を得ているかどうか、琴を見た蘭世の態度から探ろうとしたのだ。
上手く隠してはいたが、案の定蘭世は琴に向かって勝ち誇ったような素振りを見せたので、レイは琴が蘭世にマークされていると気付いた。
そしてこれまでの蘭世の素行を調べ、警戒していたのだ。ワガママに育ち、願えば何もかも、人の心さえ手に入ると思っている蘭世から琴を守るために。
そして、案の定蘭世は琴に罠をしかけてきた。
「……蘭世さん、貴女のスマホは強姦未遂の証拠として押収させていただきます。隅にいる男たちと共に、詳しくは店の外にいる捜査官に署の方でご説明ください。ああ……」
視界の端で逃げを打とうとした男たちに一瞥を投げ、レイは冷笑を浮かべた。
「逃げようなんて考えない方がいい。僕は腹に穴があいていたって、貴方たち数人くらいなら右手一本で制圧できますよ」
冗談ではなく本気で言っているのだろうレイの物言いに、男たちは縮みあがった。レイは蘭世に向き直る。犯人を追いつめる刑事の顔をしていた。
「それから、ホテルのレストランで蒼羽を狙った男二人を連行した刑事が一人、貴女に買収されたと口を割りましたよ。蒼羽が犀星会の幹部であるとの情報と、僕が昨日入院したという情報を売ったと……悪事はばれますね」
蘭世は力が抜けたように膝をついた。
「お父上は、今回の件をご存知ですか? 貴女が僕を監視していたことも、琴を貶めようと画策していたことも」
「いいえ……何も知らないわ……」
「そうですか。貴女個人の意思で動いていたという訳ですね」
レイは一つ頷くと、何か思うところがあるような様子で「三乃森議員に蒼羽のことが何も知られていないなら僥倖だ」と独り言を零した。
琴が不審そうな顔をすれば、「こちらの話だよ」とレイは琴の頭を撫でる。
「蘭世さんのお父上には、琴への乱暴を理由に縁談をお断りさせていただく所存です。それが不名誉だと感じるのなら、貴女の口からこの縁談はなかったことにしてくれと三乃森議員にお伝えください」
「……っいや!!」
蘭世は今までで一番大きな声を出した。床を這うように近付いてくると、レイの足に取り縋る。
「嫌よ……私はレイさんが好きなのよ。貴方ほど綺麗な人なんて他にいないもの……。ファンタジーランドで見かけてから、ずっとレイさんが欲しかったのに! どうして!? どうして私と結婚してくれないの!?」
「申し訳ありませんが、僕は卑劣な貴女を許せるほど度量が広い人間ではありません」
レイは取りつく島もなく言った。蘭世は幼い子供のように泣き喚く。
「嫌だってば! ……っ私! 諦めませんから! 絶対に諦めないわ! 貴方は私のものよレイさん! 私にこそふさわしいのに!」
「僕は貴女のものになるつもりはない」
「嫌よ! そうさせるわ! パパに頼むもの! パパの思い通りにならないことなんてないんだから!」
琴は蘭世の剣幕に怯え、レイのスーツの裾を握りしめた。今を盛りと咲き綻ぶ花のようだった蘭世の見た目は、悪鬼のように醜悪に歪んでいる。髪を振り乱しいやいやと繰り返す蘭世は、オモチャを買ってもらえず四肢をジタバタと振りまわす子供そのものだった。
「そうよ、絶対! パパに何とかしてもらうんだから!! パパはもしレイさんが縁談を断ったら、警察を辞めさせるって言ってた! それでもいいの!?」
「レイくん……!」
恐れていた事態に、琴はレイを見上げた。しかし、レイは琴の肩をしっかりと抱き寄せ、安心させるように力強い声で言った。
「稚拙な脅しだ。取り合うことはないよ、琴」
「脅しじゃないわ! 私との縁談を蹴ったら、レイさんのお父様だって許さないわよきっと!」
憤激して当たり散らす蘭世に、レイは肩をすくめた。
「それはどうでしょう?」
「……どういう意味?」
「この世にはままならないことがあると、蘭世さん、貴女は知った方がいい」
レイは冷たく言い残すと、琴の膝裏に腕を回した。突然の浮遊感に驚いて琴がレイの首へ手を回した瞬間、レイは琴を抱き上げる。
そのまま、レイは踵を返すと店の外へ琴を連れだした。
繁忙期に忙殺されていますが三章も完結まで五話を切りました。完結までお付き合いいただけると嬉しいです。