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彼が私をダメにします。  作者: 十帖
第三章
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それは正義の福音

「私をここに連れてきて……何が目的ですか……蘭世さん」


 震える足のつま先にグッと力を入れて立ち上がる。くじけそうになる心を叱咤し琴が睨みつけた先の蘭世は、カウンターに手をついたまま笑みを浮かべている。どうか違ってくれと琴は祈った。


「……あら、意外と賢いのね」


 その返答に、琴の期待は裏切られたが予想は的中した。


 ミルクをたっぷりと落とした紅茶色の髪を耳にかけながら、蘭世は不自然なほどニッコリと笑う。琴は蜘蛛の糸に絡めとられたような気分を味わった。


「聡い子……可哀相な子。睡眠薬の入ったホットミルクを飲んで、眠ってしまえば知らぬ間に終わったのに」


「終わるって、何が……」


「何って? そうですね、貴女が今から沢山の男にマワされて、嫌がる姿を動画に収められることを?」


 つやつやした果実を彷彿とさせる可憐な唇が、肝の冷えるような言葉をおかしそうに紡ぐ。理解しがたい言葉に、しかし琴の身体は反応し一歩後ずさった。聞こえづらいはずの耳元で激しく警鐘が鳴る。


「冗談でしょう……?」


「冗談? いいえ、本気ですよ? ほら、ちゃんと人も揃えたの」


 愕然とする琴に艶然と微笑みかけ、蘭世はバックヤードを振り向く。するとチャラチャラした大学生風の男たちが五、六人、奥からぞろぞろと姿を現した。


「大学時代の私の『オトモダチ』よ。可愛い子をハメてもいいって言ったら、皆来てくれたの。ね?」


 上品な見目に似合わぬ下品な言葉を吐きながら、蘭世はバーテンダーを始め、男たちに目配せする。身元がばれるのを恐れて顔の一部を隠した男たちは何が面白いのかニヤニヤしながら、下卑た目線を琴に向けた。


 ついさっきまで慈愛に満ち、物わかりがよく心配性なよき姉を演じていた蘭世はゆっくりと偽りの仮面を外していく。貞淑な女性がこわく的な魔女へと変貌を遂げる様を、琴は気絶しそうな面持ちで凝視した。


「ああそうだ。警察は助けに来ないですよ。電話、してませんから。貴女の好きなレイさんだって、今は病院だし……諦めてくださいね?」


「ふざけないでください。何でこんな……きゃあ!?」


 目の下までマスクをした茶髪の男が琴をソファに押し倒した。琴が起き上がろうとする前に、他の男たちがすかさず琴の四肢を押さえる。血が止まるほどきつく掴まれ、琴は呻いた。


「い……っ。やだ、離して! 何でこんなことをするんですか!」


「分からない? 貴女邪魔なのよ」


 心底不思議そうに、蘭世が琴を見下ろしてきた。その手にはいつの間にか動画モードにされたスマホが握られており、無機質なレンズは今にも捕食される小動物のような琴に向けられている。


「ねえ、私が貴女とレイさんの関係を知らないと思った? 知っていたわよ、最初っから。それこそ、レイさんがファンタジーランドで私をひったくり犯から助けてくれた夜に、パパの権力を使って調べて知ったの。彼が神立レイという名で、幼なじみの女と一緒に住んでいるって。レイさんは黙っていたけど、あんなにガードの固い人が一つ屋根の下に幼なじみとはいえ女を住まわせるなんて、特別な感情でもない限りあり得ないわ」


「それでも」と、蘭世は憎々しげに呟いた。


「貴女とレイさんが恋人だって確証はなかった。だから人を使って貴女を調べさせたけど、出てくるのは他の男と接触した情報ばかり……やっと確証を得たのは、ホテルのレストランで貴女に会った時よ。レイさんは貴女にばかり気をやっていた。よりによって他の男といる貴女を! 腹が立って、貴女を連れていった男を調べさせたら驚いたわ。蒼羽って男、暴力団の幹部だったんだもの。貴女何者?」


 やはり、蘭世はレイに訊いたのではなく、人に調べさせて蒼羽が『犀星会』の人間だと知っていたのだ。琴は合点がいった。


「でも私には関係なかった。邪魔なのは宮前琴、貴女だけ……」


 そう告げた蘭世にはもう上品さのかけらもない。怒りで血走った目は憎らしそうに琴を睥睨する。蘭世はネイルの施された指で、琴の白い頬をなぞった。そのまま頬に爪を立てて掴まれる。琴は鋭い痛みに目を細めた。


「可愛い子……化粧っ気がなくて、純真そうで、綺麗。ねえ、人を使って貴女のことを調べたと言ったでしょう? 私ね、得意なんですよ。自分以外の綺麗なものを汚すの。でも貴女に対してはちょっと苦戦してしまったわ。せっかく貴女の学校の掲示板に盗み撮りした写真を貼りつけて、貴女を貶めようとしたのに……」


「な……」


 琴は愕然とした。学校の掲示板いっぱいに貼られた琴の写真と、中傷の言葉が蘇る。


「あれは貴女の仕業だったんですか!?」


「そうよ。だって貴女、目ざわりなんだもの。貴女がいる限り、レイさんは私を見てくださらないし……。だから貴女が淫売な女だって学校中に知らしめて、レイさんを失望させようと思ったの。貴女、何なの? ごく普通の女なのに沢山の男に囲まれて……その上レイさんにまで愛されて! それなのに優しいレイさん。レイさんが貴女を庇いに学校にやってくるなんて誤算だったわ」


「レイくんは貴女の仕業だってことを……」


「知っているわけないでしょう? 私がこっそり、雇った人間にレイさんを尾行させて行動を監視していた限り、そんな素振りは見せなかったもの」


「貴女は私だけじゃなく、レイくんも監視していたの……!?」


 拘束されていることも忘れ、琴は声を荒げる。男たちが煩わしげに琴を押さえつける力を強めた。


「そうよ……いえ、監視なんて言い方、よそよそしいわね。見守っていたの、レイさんを。だから昨日、レイさんが何らかの事件に巻き込まれて怪我をしたことも知ってるし、貴女を助けに来られないことも知ってるわ」


 絶望する琴の視界いっぱいに、蘭世の毒々しい笑みが広がった。


「かわいそうね、宮前琴。貴女今からボロ雑巾みたいにされてしまうんですよ。さあ、さっさとその子を犯してしまってください。薄汚れてもう二度と神立さんの隣には立てなくなるほどに」


「待ちくたびれたぜ」


 スカーフで口元を隠した男が、鼻息も荒く言った。


 ぎらついた獣のような目が琴のスカートから伸びた足をねぶる。琴が足をばたつかせると、タイツが引き裂かれる音がした。気持ちの悪さに、琴の全身が粟立つ。


「いや、いやだ……っ」


 暴れれば暴れるほど、男たちは笑みを深くする。黄色い歯をむき出して笑う男たちに、琴は嫌悪感から吐きたくなった。


(やだ……レイくん……っ!!)


 異物が肌を這う感触。男たちの琴を拘束する力が増す。蛇のような腕がコートをはぎ取ってニットの裾から下腹を這い、琴は短い悲鳴を上げた。服はどんどん捲り上げられ、冷たいソファに素肌が当たり、絶望が視界を埋め尽くす。


 スン、と変態じみた顔で琴の首元を嗅いだ男の鼻息が当たり、琴は吐きそうになった。別の男に腰骨を撫でられる。


「すべすべだな、気持ちー」


「肌しっろ! 今からおにーさんたちが汚してあげるからねー」


「ひ……っ。やだ、離して! んーっ」


 ハンカチを口に噛ませようとしてきた男の手に思いきり噛みつく。慌てて手を引っ込めた男が逆上し、琴に手を振り上げた。


「このアマ……!! ナメた真似しやがって……!!」


 男の腕が風を切り、琴の頬めがけて落ちてくる。視界の端で、蘭世が舌舐めずりしながらこちらを見下ろしているのが見えた。


 怖い、悔しい、怖い――――。


 琴の視界が滲む。レイでもない男に好きにされる恐怖と、蘭世の良心を少しでも信じようとした自らの迂闊さに対する怒り。


 そう、怒りだ。蒼羽の時のような恐怖を感じはしない。こんなつまらない男たちに、身体をいいようにされる嫌悪感が恐怖を凌駕した。


 ああ、どれだけ殴られたっていい。逃げなくては、レイを悲しませる。


 琴は自らに下りてくる拳を、射殺すような目で睨みつけた。怯えるなんて癪だ。琴の眼光の鋭さに、拳の向こうで男が怯むのが分かった。ごつごつした拳が迫るのが、スローモーションで見える。


 ――――バキッ!!


「な、何だ!?」


 木の折れる音が響き、木片が蘭世の背後に飛び散った。


 突然の轟音に店内にいた全員が音の出所を見つめる。鍵をかけた入口のドアがドア枠から外れて倒れ、一人の男が仰向けに伸びていた。薄暗い店内に光が差し込み、埃がガラス玉のようにキラキラと宙を舞う。


「は……?」


 琴に馬乗りになっていた男が、目を白黒させる。琴はその隙を見逃さなかった。驚きから拘束が緩くなっている男たちの腕を振り切り、起き上がると、グッと拳を握って琴にのしかかっていた男の顔面を殴り飛ばした。


「ぐっ……!?」


「離して!」


 何が起きたかは分からないが、何でもいい。逃げなくてはいけないと琴は思った。殴られて鼻血を流した男は、再び琴に掴みかかる。しかし、蘭世の「止まりなさい!」という命令が飛び、男は歯噛みして拳を下ろした。


「何なのよ、これ……」


 続いて、蘭世の呆然とした声が響く。


 倒れたドアを下敷きに気絶しているのは、蘭世の運転手だった。白目をむいた彼はピクリとも動かない。店に繋がる階段を転がり落ちたのか――――……いや、違う。


 運転手のスーツの肩部分には、蹴られたような足跡がついていた。つまり、ドアをぶち抜くほどの威力を持った誰かに蹴り飛ばされたのだ。


 ――――誰に? いや、答えは明白だ。自分を助けに来てくれるのは、いつだって彼に違いない。


 琴は蒼白な唇を震わせ、焦がれた人物を呼んだ。


「レイ……くん……」


 階段をおりるカツン、と小気味のよい足音に続いて枠の歪んだ入り口をくぐってきたのは、夏の太陽のような金髪。それから次に見えたのは、ダークカラーのスーツの足元を彩る、ダブルモンクストラップの革靴。


 そしてその手には、磨き抜かれた旭日章が光る黒い手帳。


 絶対零度の笑みを携えたレイが、そこに立っていた。圧倒的な強者のオーラを背負って。


「警察です。こちらで事件の気配がしたものですから……少しお話を伺ってもよろしいですか?」


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