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彼が私をダメにします。  作者: 十帖
第三章
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違うと言って、その声で

「えっ!?」


 琴はリアガラス越しに道路を見つめた。すると、二台後ろの黒いワンボックスカーが車線変更をしたところだった。そのまま無理に追い抜かしをかけ、琴の乗る車にピッタリと貼りついてくる。


「宮前さんを乗せるまで、こんな車につけられてはいなかったんですが……」


 ほとほと困り果てた様子で言う運転手に、琴は胃が一段落ちこむ気がした。それはつまり、ワンボックスカーで追いかけてきている人物の狙いが琴ということだ。


(それにしても一体誰が……まさか犀星会? それとも、暁の徒?)


「……っすみません、おります」


「いけません宮前さん! 危険だわ!」


 何にせよ無関係の蘭世たちを巻きこむわけにはいかない。琴は車をおりようとしたが、蘭世は頷かなかった。


「もしも、先日のレストランで起きた銃撃犯の仲間が宮前さんを狙っていたらどうするんですか? 犀星会と敵対する組が、蒼羽さんをおびき寄せるために、宮前さんを利用しようとしているのかもしれないんですよ……!?」


 琴はギクリと強張った。蒼羽を拳銃で襲撃してきた人物の仲間が自分を襲ってきたらひとたまりもない。だがもしも追手の狙いが琴なら、一緒にいれば蘭世たちを危険にさらしてしまう。


(そんなのはダメ……!!)


 しかし――――……


「このまま追手を振り切ってください。早く!」


 蘭世に命令された運転手がアクセルを強く踏んだので、琴はどのみちおりられなくなった。車の間を縫うように走り抜け、追いかけてくる車を振り切ろうとする。警察病院からますます離れていった。


(本当に私を狙ってるのかな……? とにかくレイくんと警察に連絡を……)


 琴は荒い運転に酔いながらもショルダーバッグを漁った。しかし、蒼羽に誘拐された際に携帯を落として壊したことを思い出して歯噛みする。どのみち駒のように車がスピンしたせいでとてもじゃないが電話をかけられそうにない。胃がひっくり返りそうだ。せり上がってくる吐き気に琴は口元を押さえた。


 青い顔でハンドルを握る運転手は、追手から逃げるため縦横無尽に車を走らせていた。黄色信号の交差点を突っ切ってから、四つ目の角を右折する。


「近くに知り合いの店があるの、そこで止めてちょうだい! 匿ってもらいましょう!」


「でも」


「いいから」


 渋る琴の手を握り、蘭世は年上の優しい姉のように言い聞かせた。


「一人になってはいけません。貴女はレイさんの恋人だもの、何かあってはレイさんが悲しむわ……」


 琴は後ろを振り返った。さきほど琴たちをつけていた車は見当たらない。運転手は慎重に周囲を見回すと、車を赤いレンガ造りの建物の前で止めた。街かどにポツリと佇む建物は一階部分から地下に向かって細い階段が伸びており、そこがバーへの入り口になっている。


 昼時の今は黒い扉にクローズの札がかかっていた。


「ここです。さあ、追手が来る前に早く!」


 蘭世に促された琴は先に車をおりた。続けておりた蘭世は、運転手に囮として車を走らせるよう命令する。車が発進するのを待たず、蘭世は琴の背中を押すと冷たい手すりのかかった階段を一緒におりた。


 ドアの窓には内側からカーテンがかかっていて中の様子が見えなかったが、鍵はかかっておらず蘭世が金色のドアノブを回すとドアが開いた。蘭世は周囲の様子を窺いながら、琴を庇うようにしてバーの中に押しこむ。続いて自分も店内に入ると、後ろ手で鍵をかけた。


「蘭世さん、あの……」


「すみませんお客さん、当店はまだ準備中でして……」


 琴の声と、朗らかな男の声が重なる。カウンターからひょっこり姿を現した口髭を蓄えた男は、パーマのかかった黒髪を掻きながら困ったように笑い、それから常連客である蘭世の姿を認めて瞠目した。


「あれ? 蘭世さん?」


「お願い、匿ってください。追われているの!」


 ブラウンのシャドーが施された瞼を震わせて訴える蘭世に、バーテンダーはぎょっとした様子で訊いた。


「追われてるって……変な奴にですか? 警察に電話した方がいい。さ、こちらへ」


 板張りの床を大股で横切り、ドアにかかったカーテンを控えめに開けて外の様子を覗き見たバーテンダーは、カーテンをしっかりしめ直すと電話のあるバックヤードへ蘭世をいざなった。それから先に戻ってきたバーテンダーは、冬にもかかわらず日焼けした顔で琴に向き直った。


「どうぞ、かけて。鍵もかかっているし、男の僕もいる。ここなら安心だ」


 打ちっぱなしのコンクリートの壁が寒々しい印象を与える店内に鎮座した赤いソファをすすめられ、琴は小さくお礼を述べて腰掛けた。天井から下がったシーリングファンのように、ここに居てもよいものかと思考がぐるぐる回る。


「ホットミルクです。よかったら」


 横から伸びた腕に、ほんのりと甘い香りの立ったマグカップを手渡される。この店の店長なのだろう、バーテンダーの男が淹れてくれたホットミルクを受け取った琴は、じんわりと手のひらに広がる熱に、自分の指がどれほど冷えていたのか思い知らされた。


 口元に運び唇を湿らせるものの、恐怖と混乱から飲む気にはなれない。結局マグカップを膝の上に戻してしまった。


(警察に連絡してくれても……それまでここにいて安全なんだろうか。もしも相手が拳銃を所持していて、押し入られたら? そしたら蘭世さんとバーテンさんが危険だ……)


 そう、本当に、琴をつけていた車の運転手が、蘭世の言うように蒼羽を襲った襲撃犯の仲間で、琴を狙っているかもしれないなら。


(たしかに可能性はゼロではない……でも……)


 果たして本当にそうか? 琴の顔を見た襲撃犯たちはすでにレイによって逮捕されている。では、犀星会か?


 しかし、リバイブの取引は今日の午後のはずだ。まだ蒼羽が公安のスパイになったとは発覚していないはずなのに、犀星会が、琴が蒼羽に寝返るようそそのかした犯人だと目をつけるなんておかしい。


 じゃあ、『暁の徒』のメンバーか? それこそ、どうやって琴と蒼羽の繋がりを知っているというのだ。


 ならばやはり、『犀星会の蒼羽』を狙う組の人間が、琴をダシにしようと狙っているのだろうか。


(いやいや、ちょっと待って……?)


 琴は額を押さえた。


 どうして蘭世は、レストランで琴と一緒にいた男が『犀星会の蒼羽』だと知っているのだろう。レイから聞いた? いや、レイが蘭世に言うとは思えない。必要以上のことを他人に喋るほどレイの口は緩くない。


「飲まないんですか? ああ、猫舌とか?」


 思考の波にのまれた琴の耳が、どこか遠くでバーテンダーの声を拾った。警察病院で診断されたが、鼓膜が片方破けたため、やはり音が聞きとりづらい。


(そういえば……)


 さきほど、蘭世は運転手に対し行き先を警察病院だと指示していたが、自分はレイが警察病院に入院しているなんて言っただろうか。


 それに、蘭世はレイの入院の理由を怪我だと思っているようだったが、自分はレイが怪我をして入院したと言った覚えはない。それなのに蘭世はまるで、何もかも知っているかのようだ。それなのに、レイが入院したことを知らない振りをしている意味は一体……?


 それに、蘭世の聞き分けのよさは何だ。聞いていた人物像とは全然……。


 水蒸気のようにモヤモヤと宙を舞っていた疑問が、冷静な分析によって固く形をなしていく。そしてそれは、琴の中で一つの疑念を生みだした。


(これって、まさか……)


 温かいマグカップで暖をとったはずの指が、再び急速に冷えていく。心臓がざわざわと嫌な音を立てる。


「宮前さん、もう少しの辛抱ですよ。警察がもうすぐ来てくれます」


 バックヤードから蘭世が姿を現し、テーブルで湯気を立てているミルクに視線を落とした。


「あら……飲まれないんですか?」


 小首を傾げて問う姿は、先ほどまではいじらしく感じられていたのに、今は薄ら寒いものさえ感じる。小さな二重瞼の奥に潜む蘭世の目を、琴は零れ落ちそうはほど大きな目で見極めるように見つめた。


 ああ、信じたくはない。疑いたくはない。でも……。


「私を尾行してきた車は……犀星会でも、暁の徒でも、まして蒼羽さんに恨みのある組でもありませんね……?」


 今一番怪しいのは、眼前の蘭世だった。


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