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彼が私をダメにします。  作者: 十帖
第三章
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そして、暗転

 黒曜石の瞳で真っ直ぐに蘭世を貫くと、蘭世は気後れしたように小さな二重瞼を震わせた。コーラルピンクのルージュが引かれた艶やかな唇をキュッと噛みしめ、蘭世は無理に微笑んでみせた。


「そうでしたか……。どうりで、レイさんがなかなか振り向いてくれないわけですね。こんなに可愛らしい恋人がいらっしゃったなんて」


 今にも泣き出しそうに目元が赤く染まっているのに、蘭世は健気にも痛々しい笑みを浮かべて言った。


「答えてくださってありがとうございます。……ならば父には、私の口から破談にするようお願いしておきますね……。レイさんと宮前さんの仲を裂くようなことをしてしまって、申し訳ありませんでした」


「……! いえ、そんな……! 謝っていただくようなことはされていません……! こちらこそ、わざわざ御足労いただいて申し訳ありませんでした。本当は、私がレイくんと共に三乃森議員や蘭世さんにお見合いの件はお断りさせていただきたいとお願いしに伺うべきでしたのに」


「いいえ。父は気が短いですから、宮前さんがいらっしゃっても失礼な言葉を浴びせて追い返すと思います。実はレイさんからも何度かお断りされていたんですが……父は取り合いませんでしたし、私も諦めが悪くて……宮前さんのことを存じ上げなかったものですから、すみませんでした」


 蘭世が意外にも話の通じる相手であったことに、琴は面食らった。レイから聞いた印象では、レイに執着しているように感じられたから、もっと渋られるとばかり思っていた。


 しかしホッとした。蘭世の口から三乃森議員に破談を申し入れてくれるなら、三乃森議員も認めてくれるかもしれないからだ。蘭世のレイへの恋心を思うと胸が苦しくなったが。


「あの、私、そろそろ……」


 一通り話し終えた琴は、ぬるくなった紅茶を飲みほし、トレーを返却口に持っていくため立ち上がった。ショックが大きいのかしばし呆然としていた蘭世は、取り繕ったような笑みで言った。


「ああ、失礼しました。あの、これからどこかへ向かわれるんですか?」


「レイくんのお見舞いに行こうと思ってます。実は昨日から入院してまして」


 今レイの話題は鬼門かもしれないと思ったが、嘘をつく理由もないので琴は正直に言った。蘭世は口元を押さえ、ショックを隠しきれない声で言った。


「まあ……! お怪我の具合はひどいんですか?」


「出血はひどかったんですけど、一週間で退院できるみたいです」


「そうですか……。あの、よろしければ、私もご一緒してもよろしいですか?」


 蘭世がおずおずと言った。琴は戸惑ったが、その迷いを見逃さなかった蘭世は、哀れなくらい打ちひしがれた様子で続けた。


「宮前さんがご不快でなければ……。その、レイさんに、縁談の件についても相談したいですし……父はレイさんとの縁談に乗り気なので、断るなら、一日でも早い方がいいと思うんです」


 そう言われては断れない。正直これ以上蘭世といるのは良心が痛んで仕方なかったが、この痛みは甘んじて受けとめようと琴は覚悟を決めた。


(誰かと結ばれるってきっと、誰かを傷つけることだ……)


 琴はただレイと寄り添いたいだけだが、二人を取り巻く環境や人は沢山いて、望まずとも少なからず傷つけてしまうことがあると琴は痛感していた。片平も、加賀谷も、結乃も。そして、蘭世も。


 誰も彼も、ただ琴とレイに好意を向けてくれるだけなのに。その矢印が一方通行なだけで、ナイフで切りつけられたような痛みを味わわせてしまうのだ。


 だからこそ、琴はレイと矢印が向き合ったことを奇跡のようだと思う。大切に、大切にしたいと。


「車で向かいませんか? 私、ここまで車で来たんです」


 パン屋の駐車場に停車した外車を指差し、蘭世は言った。シャツを押し上げるような胸筋の逞しい運転手が、ドアを開けて待っている。琴は二の足を踏んだが、華奢な腕に「行きましょう」と腕を絡められて、観念したように同乗した。


「警察病院までお願い」


 後部座席に座った蘭世が、鈴を転がしたような声で運転手に指示を出す。琴は落ち着かない気持ちに襲われながら、滑りだした車窓の景色を眺めた。


「ごめんなさい、強引でしたよね? 電車やバスの方がよかったですか? 私、公共機関には慣れていなくて……」


 恥ずかしそうに蘭世が言った。琴は慌てて首を横に振る。


「い、いえ……ただ、車は少し……」


 ここ一カ月、車に乗っていい思いをしていないので憂鬱なだけだ。ほぼ初対面といっても過言ではない蘭世と隣に座るというのも居心地が悪い。


(それにしても、やっぱりお嬢様なんだ……。公共機関に慣れてないなんて)


 育ちもよさそうだし、言葉づかいも丁寧で物腰も柔らかい。もしレイがシングルだったら、蘭世に惹かれていたかもしれないなと琴は思った。


(……それでも、レイくんの隣にいるのは私なんだ。それは誰にも譲れない)


「……あれ? こっちは警察病院への道とは違いますよ?」


 街道を南下していく車に、琴は考え事を打ち切って運転手へ声をかけた。蘭世はにこやかに言う。


「お見舞いの品を買いに寄ろうかと思いましたの。すみません、ひと声かけるべきでしたね」


「そうですか……わっ!?」


「きゃあ、何!?」


 急に車が車線変更したせいで前のめりになり、蘭世が声を荒げた。運転手は短く謝ってから、バックミラーをちらちら見て焦った様子で言った。


「すみません、実はさきほどから――――黒い車につけられているみたいです」


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