生きたがりの王子へ
警察病院に運ばれたレイは、緊急手術を受けることになった。
致命傷を外したとはいえ油断できない出血量だった。琴は手術室の前を陣取って無事手術が終わるのを待つと聞かなかったが、自身も怪我をしていると医者に指摘され、捜査員に説得されて手当てを受けることになった。
真っ白な包帯を両手首に巻かれ、体調にも異常がないことが判明してからやっと解放された琴は、再び手術室の前に戻る。
今回は、あまりにも沢山の危険をおかしすぎた。それが回りまわって誰かのためになると分かってはいても、もしレイが死んでしまったら? と思うと、琴は代償の大きさに震えずにはいられなかった。
「レイくん……」
(大丈夫だよね……?)
死なないと約束してくれた。生きようと思うようになってくれた。なのに自分が彼を危険な目に遭わせてしまったのが、胸が潰れるほど苦しく、やるせない。
不安で押し潰されそうになり塞ぎこんでいると、不意に肩を揺さぶられた。
「琴!」
「サクちゃん……!? どうして……」
着の身着のままといった様子の朔夜が、息を切らして琴の前に立っていた。伊達眼鏡もしていなければ、いつものように髪を後ろに流してもいない。風を受けて乱れた髪は、ここまで彼が走ってきたことを如実に伝えていた。
数少ない頼れる大人の登場に、琴は張りつめていた気が緩む。思わずソファから立ち上がり、朔夜の胸に飛び込んだ。
「サクちゃん……! レイくんが……っ」
「お前を迎えに来てくれと連絡してきた公安の折川さんに何があったのか少しだが聞いた……。また事件に巻き込まれたみたいだな……お前は大丈夫か?」
琴を抱きしめ返してから、朔夜は検分するように琴に巻かれた白い包帯を見た。
「鼓膜が片方破れてちょっと聞こえづらいけど音は何とか拾えるから大丈夫……でも、私のせいでレイくんが……」
「お前のせいじゃない。事件を起こしたのは、お前じゃないだろう」
朔夜が言い聞かせるように言った。その優しさに、琴は泣きたくなった。どうして、大人たちは琴に甘いのだろう。無茶をしすぎだと怒ってくれたらいいのに。罵ってくれたらいいのに。
「お前の様子がおかしいと、前から神立くんに相談されていた」
「……レイくんに?」
となりのソファにかけた朔夜を、琴は覗きこんだ。手術室のランプが床に反射している。
「ああ……。それに、掲示板に写真が貼り出される悪戯もあっただろう。だから、正直お前が何をしているのか心配だったし、怒りも湧いた。一発説教してやろうとも思った。でも……」
朔夜は琴の丸い頭に手を置き、労わるように撫でた。
「怪我をするほど無茶してまで頑張ったお前を、こんなにボロボロになったお前を、労いこそすれ、責める気にはならないな」
「…………」
「折川捜査官にも、お前を褒めてやってくれと言われた。詳しくは知らないが、頑張ったな、琴」
「……サクちゃんは……優しすぎるよ……」
泣きたい。ここ一カ月以上、苦しくて堪らなかった。大好きなレイに嘘をつき続け、怖い思いを何度も味わった。何度も逃げ出したくてたまらなかった。それでも誰かのためになると努力し続け、その結末の果てに、目標は達成されたが何より大事にしたいレイに怪我を負わせてしまった。
作業玉になったことを後悔なんてしちゃいけない。それでも、すべてを上手く成し得ることはできなかったことが琴を苦しめた。
手術室のランプが消える頃には日付が回っていた。ストレッチャーに乗せられたレイが青白い顔で出てくるまで、琴は生きた心地がしなかった。
「レイくん……!」
弾かれたように立ち上がり、琴はストレッチャーに駆けよる。まだ麻酔が切れていないらしく、薄い瞼にレイの瞳は閉ざされていた。病室へと運ばれていくレイを見送ると、少し遅れて手術室から中年の執刀医が現れ、琴と朔夜、それから付き添いの捜査官に話しかけた。
「出血は多かったようですが、止血も的確でしたし、弾は運よく臓器を外れていたので問題はないでしょう。しかし、あの刑事さんは相変わらず怪我が多いですね……」
「相変わらずって……レイくんは、ここの常連なんですか?」
琴が目を丸めて聞くと、医師は苦く笑った。
「そりゃあもう。若いうちから無茶ばかりして……運よく、というより、あの刑事さんの実力なら、驚異的な瞬発力で弾を急所から外したと言っても疑いませんよ。まあここ最近はめっきり顔を合わせる回数が減っていましたから、無鉄砲なことはやめたと安心していたんですけどね……でも、なるほど?」
訳知り顔で頷いた医師に、琴は首を傾げた。
「献身的に心配してくれる、君が現れたからだね」
「……そんなことありません。レイくんは今回、私のせいで怪我をしたんです……」
琴は申し訳なさから口ごもった。しかし、医師は吠えるように笑いながら手を振った。
「そうでしたか。それでもえらい進歩ですよ。手術前に、金髪の刑事さんが言ったんですよ。何が何でも生きたいと。私は驚きましてね……命知らずな彼があれほど明確に生への執着を見せたのは初めてでしたから。嬉しかったですね」
「もうすぐ麻酔が切れる頃だからそばにいてあげてください」と言い残し、医師は去っていった。
次回はようやく琴とレイが二人で話し合える予定です。