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彼が私をダメにします。  作者: 十帖
第三章
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甘い毒を塗り込めた口付けは

 窓辺近くにあるマホガニーのテーブルに掛けた蒼羽は、愛銃だろう、優雅にマカロフの手入れを終えるなりマガジンを装填した。ここ数カ月で見慣れてしまった凶器に、しかし琴の身体は震える。


 蒼羽がキレやすいことも、人をためらいなく撃つことも知っている。だからこそ、琴を瑠璃と重ねて見ている蒼羽が、琴が期待に応えなかった場合その銃口をこちらへ向けるのではないかと、琴は危ぶんだ。


「さて」


 おもむろに椅子から立ち上がった蒼羽は、再びベッドの傍へとやってくる。そのままベッドの隅に腰掛けると、黒光りした銃口を琴の頬に擦りつけた。冷たい銃口に、琴の喉が引きつる。


「瑠璃……お前には聞かなきゃならねえことがある。神立レイに何を言われ、俺に近付いた? 以前にホテルの小机から、ごく少量だがリバイブが減っていた……。くすねたのはお前だな? お前の腕を見た限り、自分で使用した様子はねえし……」


「や……っ」


 蒼羽の大きな手が、琴のニットの袖口を捲りあげた。


「国家の狗に証拠として渡したか。俺を捕まえようと?」


「……っ車内でも言いましたが……貴方と接触したのは、レイくんに指示されたからじゃありません」


「ほう? まあ、捜査一課の刑事が俺について探ろうなんざ、おかしな話だとは思ったが……なら、誰の指示で俺に接触した」


 琴は小さな下唇を引き結ぶ。しかし、頬に当てられた銃口をますます強く押しつけられ、観念したように口を開いた。


「……公安です」


「公安だと? はっ。マル暴ならともかく、公安が暴力団員の俺に何の用がある」


「そ、れは……」


 琴は言い淀んだが、一度目を瞑ると、覚悟を決めて口を開いた。


「貴方を、スパイにするためです」


「何?」


 蒼羽は不可解そうに言った。琴は当初の予定とは違うが、蒼羽をスパイとして獲得するのを諦めるのはまだ早いと思った。


 状況がいかに絶望的でも、諦めるのは最後の最後でいい。


「……っ公安の目的は蒼羽さんじゃありません。公安は今、蒼羽さんがリバイブを売っている反警察組織『暁の徒』を追っています。私は、『暁の徒』を壊滅させる決め手となりうる蒼羽さんに、公安のスパイになってもらうために貴方に近付きました。どうか……っ」


 危険な過激派団体から国民を救うためには、蒼羽の協力が必要なのだ。


「どうか、協力してもらえませんか……!?」


 琴は黒曜石の瞳で、真っ直ぐに蒼羽を射抜いた。蒼羽は組んでいた足を組み換え、琴に顔を寄せる。蒼羽の肩から流れ落ちたエクステの羽根が、琴の鎖骨をくすぐった。


「俺がスパイになれば、何が得られるってんだ? お前は手に入るのか?」


「……いえ。でも……公安は十分な対価を貴方に提示する予定だと仰ってました。貴方がリバイブと関わっているのは自明で、逮捕するのは時間の問題だとも公安の方は仰っていました。でも、国家に協力してくれるなら罪を軽くし、出所後の支援も手厚くしてくれるそうです。スパイになったことで犀星会のメンバーから報復されないよう十分な措置も取ると……」


「興味ねぇな」


 蒼羽は一蹴した。


「俺が犀星会を裏切ると思うか?」


 たしかに、自らが忠義を誓った組を裏切ろうとする組員はいないだろう。しかし、琴は一縷の望みにかけていた。蒼羽は、組の抗争に撒きこまれて最愛の瑠璃を亡くしている。だから、犀星会に対しての忠義は薄れているのではないかと思ったのだ。


「……たしかに俺ァ、犀星会に対する忠義は以前ほどはねぇ」


 琴の眉を読んだ蒼羽が言った。


「だが、裏切る理由もねぇ。『暁の徒』は上客だ。俺が逮捕される? その前に高跳びしてやらぁ。公安が提示してくる条件じゃ、俺を寝返らせるには弱ぇな」


「……っ公安の、折川さんと話してください! 彼なら、きっと貴方を満足させる条件を提示してくれるはずです」


「分からねえ女だな」


 蒼羽に大きな声を発せられ、琴は肩を飛び上がらせた。ギシッとベッドが沈み、蒼羽が覆いかぶさってくる。琴は完全に射竦められた。


「俺が欲しいのはお前だけだ。お前が俺の女になるなら、全てを投げ出してスパイになってやってもいい。それが条件だ」


「そん、な……。私、私は瑠璃さんじゃありません。貴方の恋人にはなれない」


「いいやお前は瑠璃だ。俺がそうさせる」


「……え……? んっ……!」


 視界が蒼羽の狂気に満ちた顔で埋まる。と同時に、唇に熱を感じた。それがキスだと分かった瞬間、琴は総毛立った。


「ん、ゃだ……や……っんう!」


(やだ、やだやだやだ! 気持ち悪い! レイくん以外とキスなんてしたくないよ……!)


 自由にならない手を引っ張って抵抗するが、手錠が手首に食いこむだけだ。顔をそむけて蒼羽の唇から逃げようとすれば、強い力で顎を掴まれ、再び執拗に口付けられた。嫌で仕方ない心が悲鳴を上げる。


 息苦しさからギュッと瞑っていた目を開けると、琴を捕食しようとする獰猛な獣と目が合った。絡め取られそうになる。真っ暗な闇を宿した瞳に――――……。


(やだ、レイくん……!)


 優しい稲穂色の髪をした、穏やかなレイの顔が浮かぶ。恋しくて仕方なかった。


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